【注釈】
■イエス様語録
 今回も、マタイとルカのテキストはほぼ同じで、復元で問題になるところは、マタイの「(ティルスやシドンで)起こった/生じた」〔中動相アオリスト〕とルカの「行なわれた」〔受動相アオリスト〕の違いと、マタイの「灰をかぶって(悔い改める)」とルカの「灰の中に座って」との違いくらいです。イエス様語録本文では、先の場合はルカを、後の場合はマタイを採っています。また、イエス様語録の版では、今回の段落は、先の「十二弟子派遣」の章にあるマタイ10章15節と、「受け入れる者への報い」の章にあるマタイ10章40節との間におかれています(これらの箇所は【参照】にあげてあります)。この配置から分かるように、今回の箇所は、もともと弟子たちの派遣説話とつながっていたのでしょう。ただしここでは、弟子たちではなく、イエスを受け入れるか拒絶するかが、「わざわい」を被る基準になっています。同時に、弟子たちが宣べ伝える「イエス」を拒む者にも同じ「わざわい」が望むことを告げようともしているのです。
 語りの様式から見ると、ここでの「不幸だ/わざわいだ」で始まる語り方は、旧約聖書から来ています(イザヤ29章15~16節/ミカ2章1~2節/ハバクク2章9~10節)。また、内容的に見ると、ここは、イザヤ書14章13~15節(七十人訳)を反映しています。イザヤ書では、かつて天において神に仕えていた天使が、堕罪して悪魔の頭となった「宵の明星」(ルシフェル)"Lucifer"のことを述べていて、この堕天使は、後に「サタン」と同一視されるようになります(エゼキエル28章14~17節/ヨハネ黙示録12章9節を参照)。
【数多くの力ある業】原文は「イエスによるおびただしい数の力ある業」ですから、「力ある業」は「奇跡」〔新共同訳〕とも訳されています。具体的には、病の癒しや悪霊追放、その他マタイ11章4~6節のような出来事を指します。「行なわれた」とあるのは、出来事が「起こった」「生じた」(マタイ)ことです。
【叱り始め】「叱る」の原語は「非難する/悪く言う/叱責する」です。
【悔い改める】マタイ3章2節と同4章17節のイエスの「悔い改めよ」を思い起こさせます。「悔い改める」の原語は、「心を入れかえる」「神の御心を受け入れる」「(神に)戻る/立ち帰る」という意味です。わたしたちは、イエスがガリラヤの町々をお叱りになったその理由が、彼らの間で行なわれた「力ある業」にあること、すなわち病の癒しや悪霊追放などの数々の「奇跡的なしるし」にあることに注意しなければなりません。神の国のこのような「不思議としるし」は、神に滅ぼされた昔のソドムやゴモラ、あるいは、異教の町として蔑まれているティルスやシドンでは行なわれなかったからです。イエスがガリラヤの町々を叱責したのは、彼らが、これほどの神の御業を見ていながら、それでもなお「悔い改めなかった」からです。すなわち、神を神として正しく認識し、そこに人知を超えた神の働きと恵みを認めることをせず、その御業を信じなかったからです。
【お前は不幸だ】原語は文頭に来て、「わざわいだ」"woe to" の意味ですが、この言葉はまた「なんと悲しいことよ!」という悲嘆や悲痛をも表わします。これに「あなた(たち)」が加わると「わたしはあなた(たち)のことを思うと胸が張り裂ける!」という強い悲しみを表わします。また「わたし」が加わると、「わたしは、辛い/悲しい」のように、自分の不幸や悲しみを嘆く言い方になります(イザヤ24章16節)。ただし、「わざわいだ/不幸だ、お前(たち)は」で始まるこの言い方は、キリスト教以前では、正しい人たちや貧しい人たちを苦しめた邪悪の者たちに、終末に神の裁きが降ることを預言する呪いの言葉として用いられました(『エチオピア語エノク書』99章)。イエスは、この言い方を「偽善な律法学者とファリサイ人たち」などイスラエルの指導者たちに向けています(マタイ23章15~31節)。なお、パウロでは、この言い方が、自分に向けられています(第一コリント9章16節)。ここマタイ11章21節では、この言い方がガリラヤの町々に向けられていますが、それは、これらの町々のための深い悲しみを表わすと同時に、神の裁きが近いことを警告するためです(マタイ23章37~39節)。このため、この11章21節を「最後の審判への序言」と呼ぶ学者もいます。「禍いだ、お前は」〔岩波訳〕。「ああ禍だ、お前コラジン!」〔塚本訳〕。
【コラジン】ガリラヤ湖の北、カファルナウムから4キロほど北の丘陵地帯にあった町で、現在は「コラジム」あるいは「ヒルベルト・ケラーゼ」と呼ばれています。ここの会堂(シナゴーグ)が現在発掘されています。町は130年頃のバル・コクバの反乱の時にローマ軍に破壊されたらしく、会堂は、その後に再建されています。しかし、その会堂も、4世紀に、キリスト教に改宗したローマ皇帝ユリアヌスによるユダヤ教に対する弾圧によって破壊されています。ここは、7~8世紀頃から13世紀頃まで無人化していたと思われますが、その後再び人が住むようになり、19世紀にはアラブ人の村ができていました。現在はイスラエルの領土になっています。発掘は、1世紀の地層まではまだ進んでいませんが、カファルナウムの会堂と同じように、黒みを帯びた玄武岩で造られたかなり大きな会堂が、丘陵地の町中に建っていたと思われます。
 コラジンの名前は、四福音書中、ここだけにしかでてきません。だから、イエスの叱責の中に突然この名前がでてくるのはおかしいという見方もあります。しかし、イエスはここで、カファルナウムを始めとするこれらの町々だけを特定して非難しているのではありません。今回の出来事は、イエスのガリラヤ伝道の前半部分を締めくくるものですから、ここでのイエスの言葉は、カファルナウムを中心にして北のコラジンと東のベトサイダを含むガリラヤ湖北部一帯を指しているのです。
【ベトサイダ】この町は、今回の箇所だけでなく、ヨハネ福音書1章44節/同12章21節にもでてきて、十二弟子のペトロとフィリポとアンデレの出身地として知られています。イエスの頃、ここは、ヘロデ・アンティパスのガリラヤ領ではなく、ヘロデ・フィリッポの領土でした。聖書の内容から判断して、ベトサイダは、ガリラヤ湖の東北端にあたる沿岸にあった町(現在のゴラン高原の西の麓)と推定されていました(現在この辺りは「エルアラージュ」と呼ばれています)。この辺りは、湖岸から北の丘陵地帯までの間に、かなり広い平野が広がっていますから、5000人への供食がここで行なわれたと言われたのでしょう(ルカ9章10節以下)。しかし近年では、沿岸よりも3キロ?ほど北にあったベトサイダ・ユリアスのことではないかと考えられるようになりました。この町は、前2年頃に、ヘロデ大王の子フィリッポによって建て直され、皇帝アウグストスの娘の名{ユリア」にちなんで「ユリアス」と呼ばれました。現在ここは「エッテル」と呼ばれています。ガリラヤ湖を見下ろす小高い丘にあるEt-Telでは、現在も、ガリラヤのボランティアたちによって、昔の「ベット・ツァイーダ」(原義は「漁師の家」)の発掘が進められています。もしもここが、聖書のベトサイダだとすれば、湖岸よりやや北になります。エルアラージュとエッテルと、どちらが聖書のベトサイダなのかは、まだ同定されていません(ベトサイダが2箇所あったとは考えられませんから)。なお、ベトサイダは、正確にはガリラヤ領に入りませんが、福音書の記者たちは、使徒たちの出身地でもあることから、ここをも「ガリラヤ」に含めて見ています(ヨハネ11章21節)。
【ティルスやシドン】ティルス(ツロ)とその北にあるシドンは、ガリラヤの北西に広がるフェニキア地方にあって(現在のレバノン)、どちらも地中海に面しています(マタイ15章21節以下/マルコ3章8節)。フェニキア地方は、古代からのカナン文化の中心地で、ソロモン王の時代からイスラエルと文化的に深いつながりがあります。しかし、宗教的にはカナンのバアル神を受け継ぐ異教地帯ですから、旧約の預言者たちからは、その栄華と共に批判の的とされました(列王記上18章20~40節/イザヤ23章/エゼキエル28章)。
【粗布をまとい】山羊やらくだなどの黒っぽい毛織りの衣で、喪に服したり改悛の情を表わすためにまとうものです(創世記37章34節/イザヤ37章1節/エレミヤ4章8節/ヨハネ黙示録11章3節)。全身にまとう場合と腰に巻く場合とがありました。
【灰をかぶって】頭から灰をかぶる行為は、喪に服したり、悲しみを表わしたり、悔い改めの場合に行なわれました。マタイでは「灰をかぶり」とあり(サムエル記下13章19節/エレミヤ25章34節)、ルカでは「灰の中に座る」とあります(ヨブ2章8節)。イエス様語録ではマタイのほうに従っています。粗布をまとって灰をかぶる場合、粗布をまとって灰の上に座る場合(ヨナ3章6節)、粗布を敷いて(その上に灰をまいて?)座る場合(イザヤ58章5節)などがありました。「粗布と灰」は、このように、悲しみや悔い改めを表わすしるしを意味しました。なお、ギリシア語の「灰」にあたるヘブライ語には「塵」の意味もありますから「塵の中に座る」とも言います(ヨブ16章15節)。ここでは、イスラエルの人たちの心の頑(かたく)なさが、異教の地の、しかも最悪の異教の町よりもさらに悪いことを指しています。
【カファルナウム】これについては、「イエス様の伝道開始」の章のマタイ4章13節「カファルナウム」の項を参照してください。今回の所では、カファルナウムが「陰府にまで落ちる」と告げられていますが、ここはイザヤ書14章13~15節にあるバビロンの王ネブカドネツァルに向けられた預言を反映しています。だからこれは、終末における神の裁きと重ねられているのです。カファルナウムは、ガリラヤ湖一帯のイエスの伝道活動の拠点でしたから、「カファルナウムよ、わたし(イエス)がお前を訪れたからと言って、天にまで高められるつもりなのか?」という意味でしょうか。ここは、イエスのガリラヤ伝道の前半部分を締めくくる大事な預言になっていますが、この発言から見る限り、これまでのイエスの伝道が「失敗に終わった」かのように見えます。このために、ここの出来事を「ガリラヤの危機」と呼ぶ学者もいるほどです。しかし、カファルナウムとその周辺地域だけが、イエスの非難の対象にされているのではありません。イエスはこれ以後もカファルナウムを訪れています(マタイ17章24節)。だからここでのイエスの言葉は、「力ある御業」を見たり体験したりしながら、それでもなおイエスを受け入れ神を信じようとしないイスラエル全般に対する厳しい警告だと見るべきでしょう。
【陰府】原語は「ハデース」で、ギリシア語では死者の往く地下の「黄泉」(よみ)の国のことです。このギリシア語は、七十人訳では、ヘブライ語の「シェオール」=「陰府」(よみ)の訳語として用いられています。ほんらい旧約時代には、新約聖書の言う「地獄」という考え方はなく、陰府は死者たちが往くところで、そこは「生きている」神から切り離された場所として、人が朽ち果てる所であり(ヨブ記17章13~16節/詩編49篇15節)、したがって「天」と対照される「地下の国」のことになります。また、後の時代には、神の裁きを待つ場所とされました(シラ書9章12節/イザヤ14章19節)。このような陰府は、復活を待ち望む義人の霊魂の住まう場所でもあり、また裁きと罰を受ける罪人の霊魂が住まう場所でもあって、義人と罪人とは、それぞれ住む場所が分かれていました(『エチオピア語エノク書』22章)。ここでは、天と陰府とが対比されていますから、神から離れた暗い陰府に落とされるという意味でしょうか、あるいは陰府で、一時的に罪人と共に裁きを待つことでしょうか〔マーシャル『ルカ福音書』〕。ルカはおそらく後者の意味で陰府を用いていると思われます。しかしマタイ福音書では、「ハデース」はここ11章23節と16章18節にしかでてきません。マタイは、同胞のユダヤ人に対してルカよりも厳しい見方をしていますから、ここでは、死者の逝く陰府の国というよりは、神の裁きによって罰せられる場所として、おそらく「ゲヘナ」(地獄)と同じ意味で用いているのでしょう(マタイ5章29~30節)。
 
■マタイ11章
 マタイ福音書では、ここは、直前の子供たちのたとえに続いて、神の業に対する無視あるいは無関心への警告と叱責になっています。続く11章25節以下では、こことは対照的に、素直で「御心にかなう」人たちのことが、「幼子」のたとえで語られます。
[22]【しかし、言っておく】ここの「しかし」は、むしろ「アーメン」に近く、したがって「アーメン、私は言う」(マタイ10章15節)の意味に近いでしょう。
【軽い罰で済む】原文は「(神の裁きと罰に)より堪えやすい/耐えやすい」です。「堪える」と訳した原語は、「我慢する/忍耐する」、あるいは「持ち堪(こた)える」ことで、転じて「罰が軽い」という意味にもなります。ここでは、神の裁きの際に「滅ぼし尽くされる」ことがなく、何とか「持ち堪えて」生き延びる/残ることができるという意味でしょう。「罰が軽い」〔塚本訳〕〔新共同訳〕。「堪えやすい」〔岩波訳〕。「耐えやすい」〔口語訳〕。
[23]【ソドム】マタイ10章15節の注釈を参照。なお「無事であった」と訳されている原語の意味は「(今もなお)残っている」です。この節の後半「お前のところで」以下はルカには抜けています。
[24]23節後半「お前のところで」~24節はマタイによる付加部分でしょう。マタイは24節と同じ言い方を10章15節(ここでは「ゴモラ」も加えられています)でも用いています。この繰り返しは、ユダヤの滅びとエルサレムの崩壊を体験したマタイとその教会が、「神の罰を受けた」自分たちユダヤの民に対して抱いていた厳しい見方を表わすものです。ソドムが「遺る」とあるのは、ローマ軍に完全に破壊し尽くされて、だれも「遺らなかった」エルサレムのことを念頭に置いているのでしょう。ここでは、ソドムのようなかつての邪悪な町やティルスとシドンのような異教の町々を引き合いに出して、イエスの言葉を受け入れ神を信じることを拒んだガリラヤの人たちが、ソドムやティルス以上に厳しい裁きを受けることが警告されています。
 ここの解釈では、次の点が注目されています。(1)これが、ガリラヤ伝道の半ばであるにもかかわらず、すでに結果が不成功に終わったかのように裁きの言葉が語られていること。(2)旧約聖書では、ほんらい異教の王ネブカドネツァルやティルスやシドンなどの異教の地に向けられていた非難や裁きの言葉が、ここでは、逆にイスラエルの町々へ向けられていること。(3)このために、イエスの伝道全体の結果が予め定められていて、神の国が、イスラエルの民から異教の町々へ向かうことを予告するような内容になっていること。
 このように、イエスの伝道活動が、結果的にイスラエルにおいては受け入れられず、福音が異邦人世界に広まるようになったことを前提にして語られているようにも見えますから、イエス復活以後の教会の見方、すなわち、エルサレム滅亡以後のマタイの教会のユダヤ人キリスト教徒たちの見方が、ここに反映していると言われています。エルサレムの滅亡以後に書かれたマタイ福音書には、ユダヤ人に対して、こういう厳しい見方が表われています(マタイ8章11~12節参照)。
 ただし、このような見方は、ここで語られているイエスの言葉と出来事を必ずしも史実として否定するものではありません。エルサレムの滅亡とパレスチナの破壊が起こった後になって、後の教会が、今回の出来事を「事後預言」(すでに起こった出来事をあたかも前もって預言されていたかのように語ること)として語っているという説があります。しかし、このような説に対しては、次のような反論がなされています。
(1)マタイ11章21~22節では、叱責の理由が「力ある業」への人々の反応におかれています。後のキリスト教会がガリラヤで「力ある業」を行なった形跡はありません。人々が、力ある業を見たにもかかわらず、悔い改めることをしなかったとあるのは、初期キリスト教会の伝道活動よりも、イエス自身に帰するほうがより自然です。
(2)カファルナウムやコラジンやベトサイダが批判の対象にされているのは、逆に見ると、それだけこれらの町々に対するイエスの期待が大きかったことを表わすものですから、ここには、イエス自身が、神の業が著しく表われたにもかかわらず人々の反応が鈍かったことを嘆いた様子をうかがうことができます。
(3)イエスは、神の力ある業を示すことで御国の到来を告知しています。しかし、イエスは、終末の完成がはっきりとした形で未来にプログラムされているとは考えませんでした。このために、御国の成就への期待と、これに伴う裁きとの狭間にあって、イエスは、それだけ厳しい批判と警告を発することになったと思われます〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。
(4)神が遣わした預言者に対して、民の反応が鈍かったために神の裁きを受けるというメッセージは、旧約以来の一貫した主題ですから、イエスの批判もこの伝統に沿うものです。今回のイエスの言葉から、イエスが伝えた御国の福音は、力ある業を伴うものであり、同時にそのことが、神の裁きをも招くことが分かります。「裁き」は、公平な裁判官のたとえにもあるように(ルカ18章1~9節)、邪悪な者には恐怖ですが、貧しい者や正しい者には待ち望むべき希望となります。イエスがここで伝えているのは、目前の町々のことよりも、それらに代表されるすべての町々が、終末に受けるであろう裁きと、そのために心備えをするようにという警告なのです。ここでの厳しさは、町々に、すでに終末の裁きが臨んでいるというよりは、このような裁きに備えるための「脅し」でしょう。わたしたちはここで、イエスの厳しい「警告」と神による「終末の裁き」そのものとを区別しなければなりません〔ルツ『マタイ福音書』〕。
 
■ルカ10章
[12]ルカは、マタイと異なりこの節を1度だけにしています。マタイとルカとの最大の違いは、マタイは、ここの段落を洗礼者ヨハネに関する記事の後に続けているのに対して、ルカはここを72人の弟子たちの派遣と彼らの帰還との間に挟み込んでいることです。したがって、ここの段落は、宣教と結びついていますが、人々に向けての告知と言うよりは、弟子たちを待つ間のイエスの「独り言」ではないか、という見方もあります〔マーシャル『ルカ福音書』〕。マタイと比較してみると、ルカのほうは、イエスの警告をヘレニズムの異邦人世界と異邦人キリスト教徒を念頭に置いて読み取っています。
[13]【ベトサイダ】ルカ福音書では、ベトサイダは、5000人の供食の奇跡が行なわれた所です(ルカ9章10節以下)。
【灰の中に座って】マタイとは違い、ルカでは、灰を頭からかぶるのではなく、灰の上に粗布を敷いて、その上に座ることをイメージしています。
[14]【裁きの時には】原文は「裁きに際して」"at the judgment" で、マタイの「裁きの日に」と異なります。マタイ福音書では、裁きは「終末の日」であることがはっきり意識されていますが、ルカ福音書では、必ずしも限定されていません。
[15]マタイ福音書では、カファルナウムと神の罰を受けたソドムとが比較されていますが、ルカ福音書では、華やかな異教のティルスやシドンとカファルナウムとが対比されることになります。だからマタイのように、同胞の民に向けられた神の厳しい裁きと罰を意識するよりは、むしろ、ルカと同時代の異教の人たちや異邦人キリスト教徒たちに向かって、イエスの福音を受け入れずにこれを拒むなら、神の罰を受けて、栄華を誇る町々もかつてのティルスやシドンのように滅ぼされると警告する内容になっています。ルカが、ここに続いて、「わたしを受け入れる者は」で始まるルカ10章16節で締めくくっているのはこのためでしょう。
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