85章 女性たちの奉仕
ルカ8章1〜3節
 
【聖句】
ルカ8章
1すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
2悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
3ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
                       【注釈】
 
【講話】
■旧約時代の女性
 イスラエルの信仰の祖であるアブラハムは、ユーフラテス河の下流にあるウルから、北上してハランにいたり、そこから南下してカナンを通りエジプトへ降りました。彼の地理的な移動は聖書によって比較的はっきりしていますが、アブラハムの移動の時期は、紀元前20世紀〜前16世紀という漠然としたものです〔Eli Barnavi ed. A Historical Atlas of the Jewish People. Shocken Books(2002).p.3その他〕。アブラハムの頃を「族長時代」と言いますが、この時代、イスラエルの民は、半遊牧、半農耕の民として、部族中心の大家族制でした。この時期は一夫多妻が認められており、女性は、言わば財産と見なされました。それでも、イスラエルにおいては、他の古代国家に比較すると女性の権利が保証されていたようです。宗教的にも女性の役割が重視されて、モーセに率いられた出エジプトの時には(前1280年頃か)、民が無事に紅海を渡って、ファラオの軍隊からの脱出に成功した際に、アロンの姉である女預言者ミリアムたちが、勝利の歌を賛美したとあります(出エジプト15章1〜12節/同20節)。
 イスラエルの12部族は、前1220年頃から、カナンの地に定着し始めて、サウル王による王権国家を樹立するにいたります(前1020〜1004年頃)。イスラエルは、この間に、大家族単位で農業に従事する農耕社会を形成するようになります。12部族は、親類縁者を含む大家族単位で形成されていて、原則として各家族が自給自足の生活を営んでいました。古代イスラエルの女性の地位と役割について、山口雅弘氏の著書に、次のように述べられています〔山口雅弘著『イエス誕生の夜明け:ガリラヤの歴史と人々』日本キリスト教団出版局(2002年)44〜50頁を参照〕。士師記の頃のイスラエルの大家族は、比較的広い中庭を囲むように数軒の住居が隣接していて、それぞれの家屋は通常四つの部屋からなる「四部屋構造」(床は通常土間)で、その中の二部屋は4〜6人の家族が食事や寝起きや仕事に使用し、他の部屋は農耕の道具や食糧を保存する部屋、小さな家畜を収容する部屋として使ったようです。四部屋の使用は、家族の規模や親族の数によって様々であったろうと思われます。また、二階建ての家屋もあり、この場合は2階の部屋で寝起きしていました。大きな家族では、共同の食糧保存庫や家畜部屋もあったようです。
 中庭には、パンを焼いたり食事を調理する竈(かまど)や、オリーブ油を絞るための挽き臼(大きな円形の上下二つの石)があり、そこは全員が共に食事をしたり、宗教的な儀式を行なったり、情報を交換したり、物語を語って子供たちを教育する場所ともなりました。住居の周囲には貯水池や穀物の畑、野菜や薬草の菜園があり、食糧は自給でした。金属類の道具など以外は、食事に使う陶器や家具などもほとんどが自家製で、経済はほとんどが小さな市場での物々交換でした。
 重労働や兵役は主として男性の仕事でしたが、このような生活形態では、女性の役割は、男性と同じ農作業や、脱穀、粉ひき、食糧を保存する塩漬けや乾燥、調理、糸紡ぎや着物を作る機織りなど「家政」全般にわたるもので、女性の実際の発言権は、男性と変わらなかったと考えられます。出産が女性の大事な任務であったのは言うまでもありません。特に子供の教育において、母親が日常生活の具体的な知識や知恵を口頭で授ける役割は大きく、後にこれが、イスラエルの知恵文学の母体となります。女性たちは、葬儀の場では嘆きの歌を歌い、闘いの勝利の場では祝いの歌を歌いました(サムエル記上18章6〜7節/士師記5章のデボラの歌)。財産の最終的な所有権とこれの継承権は男性にありましたが、女性はこのように「知恵ある女」として、家政一般に関する決定権を持っていました。
 ところが、部族と大家族制からなるイスラエルが、次第に国家として統一され、ダビデ王からソロモン王の時代にかけて(前1000年〜前922年)、イスラエルの王権が確立することになります。これに伴って、家や財産の継承と分配、結婚の取り決め、子供の売り渡し権、訴訟事件の処理などの法整備が進むにつれて、イスラエルは家父長制の度合いを強めていくことになり、それまで女性の参与が認められていた分野も、その権利が次第に狭められていくようになりました。女性は、「知恵ある女」として聖女化されていく一方で、「愚かな女」として男性よりも低い存在と見なされるようになったのです。わたしたちは、このようなやや不均衡な女性観の二面性をシラ書の中から読み取ることができます(シラ書25章13〜26節/同26章1〜17節/同36章26〜30節/同42章9〜14節)。ただし、このような父権制への移行は、イスラエルに限らず、ギリシアでもローマでも、日本を含むアジアでも共通して見られる傾向でしょう。
■イエス様の頃のガリラヤ
 イエス様の頃のガリラヤの農民生活については、山口氏の前掲書に詳しくでています(205〜212頁)。これを参考にしますと、当時のヘレニズム世界では、家父長制に基づく価値観が支配的で、女性には男性への服従が求められていて、この考え方は、新約聖書にも反映しています。しかし、このような家父長制とこれに基づく価値観が機能しえたのは、ギリシア・ローマの比較的裕福は社会のことで、パレスチナ、特にガリラヤのような貧しい農村では、必ずしもそうではなかったようです。
 ガリラヤの人たちの暮らしぶりは、多くの点で古代イスラエルの生活様式とそれほど変わりませんでした。ヘレニズム世界とは異なり、イスラエルには神殿制度を中心とするユダヤ教の律法が、生活を細かく規制していました。特に食物規定と共に、女性に関する「汚れ」の規定があって、女性は、これによって規制されていました(レビ記12章)。ただし、律法によって女性の側から離婚を申し立てることができたことが注目されています。しかし、このような律法による規制も、エルサレムから離れたガリラヤの農村地帯では、それほど厳格に守られてはいなかったようです。
 ヘレニズムの影響で、ガリラヤ湖畔のティベリアス、ナザレから遠くない内陸のセッフォリス、またガリラヤ湖東北岸に近いベトサイダのように、ギリシア風の都市が建設されていました。ガリラヤは、ギリシア・ローマの西方から、陸路でエジプトあるいはアラビア半島へ向かう交通の要所でしたから、異邦人の往来が多く、異邦人の町も点在していました。また、南のユダの人たちとは異なって、ガリラヤでは、サマリアの人たちとの交流もありました。したがって、ガリラヤは、南のユダとは宗教的にも政治的にもまた経済的にも異なった風土にあったと考えられます。
 イエス様の頃のガリラヤの状態は、山口氏の前掲書によれば(218〜222頁)、基本的には家父長制に基づく男性優位が認められていましたが、男女共同で農作業に従事し、自給自足の経済に依存していました。農村では、農作業の傍ら、女性は、パン焼き、粉ひき、料理、食糧の加工と保存、糸紡ぎ、育児、水汲み、洗濯、織物、手芸などをも受け持っていましたから、家の経済の実権は事実上、その家の主婦が管理していました。したがって、上層階級や都市の生活とは異なって、ガリラヤの農民においては、男女はある程度対等な関係にあったと見ることができそうです。しかし、税が払えなかったり、借金が返せなかったりすると、娘が連れ去れて奴隷に売られる場合が多く、この事情は、江戸時代、あるいはそれ以前の日本とあまり変わらなかったようです。
 農民の生活は厳しく、栄養失調による幼児の死亡率が高く、生まれて1年以内に30%が死亡し、10年以内には50%、30歳代までには、75〜80%の人々が、栄養失調や飢饉で死亡したと推定されています。貧しさから来る病気だけでなく、干ばつ、水不足、害虫、伝染病などの災害があり、さらに、戦争によっても多くの人たちが殺されました〔山口『イエス誕生の夜明け』226頁〕。
■イエス様と女性たち
 ここで、福音書から、イエス様が女性と関わる主な記事をあげてみることにします。類似する記事あるいは重複する出来事は省いてあります。
 
(1)シリア・フェニキアの女性との出会い(マルコ7章24〜30節)。
(2)出血の女性の癒やし(マルコ5章25〜34節)。
(3)腰の曲がった女性の癒やし(ルカ13章10〜17節)。
(4)女性たちがイエスに同伴したこと(ルカ8章2〜8節)。
(5)罪ある女性の香油注ぎと口づけ(ルカ8章36〜50節)
(6)サマリアの女性との対話(ヨハネ4章7〜30節)。
(7)姦通の女性を赦す(ヨハネ8章1〜11節)。
 
(8)妻を離縁することについて(マタイ5章31〜32節)。
(9)マルタとマリア姉妹(ルカ10章38〜42節)。
(10)やもめの献金(ルカ22章1〜4節)。
(11)十字架の下の女性たち(マタイ27章55〜56節)。
(12)マグダラのマリアと復活したイエス様の出会い(ヨハネ20章11〜18節)。
 
 (1)〜(7)までは、当時の慣習から見て許されないこと、あるいは律法によって禁じられていることです。(1)と(6)では、異邦人の女性とユダヤ人の男性とが言葉を交わすことは当時の常識では考えられないことです。(2)では、出血で「汚れた」女性が男性に触れると男性も汚れます。(3)では、安息日に女性に触れて癒しを行なうのは律法にも慣習にも違反します。(5)と(7)は、当時の慣習およびモーセ律法から見て許されないことです。(8)〜(12)は、違法ではありませんが、イエス様と女性との関わりを現わす特徴的な出来事です。
 これで分かるように、イエス様は当時の慣習や律法にとらわれずに、かなり「型破りな」仕方で女性に接しておられます。イエス様が律法や慣習に左右されなかったのは、女性に対してだけではありませんから、イエス様と女性との関わりを特別視することはできません。しかし、わたしはここで、イエス様のほうではなく、女性たちのほうに注目すべきだと考えます。なぜななら、これらの女性たちが置かれていた立場を考えると、彼女たちは、ある意味で、通常のユダヤ人の男性以上に、大胆で型破りな行動をとっていたことが分かるからです。身分のある女性たちが、夫以外の男性に付き添って巡回するというのは、相当の勇気がなければできない行動だったと思われます。
 また、後半の五つの例では、(8)では、イエス様が結婚をきわめて重く見て、男性が妻を離婚することが律法で認められているにもかかわらず、厳しく戒めているのが分かります。(9)のマルタ・マリア姉妹の場合には、イエス様は、当時の通常の常識では、女性の振るまいとして「賞賛されるべき」マルタのほうではなく、イエス様の足下で「お言葉を聴く」こと、すなわり女性が「学ぶ/学習する」ことを賞賛しているのが注目されるべきです。(11)では、男性たちがほとんど逃げ去ったにもかかわらず、女性たちが、危険をも省みずに(政治的な反逆者に荷担した女性は殺されるか奴隷にされる危険がありました)、最後まで十字架の下に踏みとどまっています。(12)では、イエス様復活の最初の証人たちが女性であったことも、イエス様と女性との関わりを考える上で重要な点です。
 いったいなぜ、これらの女性たちは、イエス様に対して、このような「女性としては考えられない」批判あるいは危険をおかしてまでもイエス様に従ったのでしょうか? これらの出来事から判断すると、イエス様の振舞いやお言葉が、女性たちの側に、思い切った行動に出るように働きかけていたことが分かります。女性をしてこれほどまでに勇気ある行動を生じさせる、そのイエス様の力とはなんだったのでしょうか? 
 それは彼女たちが、イエス様の伝えている「神の国」、これは神様の御霊の働く「領域」のことですが、この御霊の世界に「すでに」入っていたことを意味します。だから、彼女たちは、わざと人目につく行為をしたのではなく、イエス様を信じて、イエス様を通して働いておられる神様の聖霊のお働きに導かれるままに、語り行動していた、こう考えられます。御国は、すでに始まっていたのです。
 御霊の働きにあるこのような女性観は、パウロにも受け継がれていて、ガラテヤ人への手紙の「もはや男も女もない」という世界が生じることになります。
 
  「もはや、ユダヤ人かギリシア人かはなく、奴隷か自由人かもなく、男と女もない。   だからあなたがたは、皆、キリスト・イエスにあって一つである。」
                      (ガラテヤ3章28節)
 「ユダヤ人かギリシア人かはない」は、人種的な違いを指していると同時に、ここでは「割礼」を問題にしていますから、宗教的な違いをも念頭に置いています。キリストの御霊にあっては、「ユダヤ教も異教もない」のです。続いて「奴隷か自由人か」とありますが、奴隷と自由人とでは、当時の社会では大変な違いです。パウロは、人種的、宗教的、社会的に極端に違う者たちをあげて、これらの違いさえも、イエス・キリストの御霊の働きによって根元的に解消されていると言うのです。これはすでに完全に成就していることではなく、イエス様の御霊によって、この目的に向けて導かれているという意味です。
 「男と女もない」がこれに続きますが、これはいわゆる性(ジェンダー)的な差別のことです。ここだけ原文が「男<と>女」になっています。ユダヤ人か、異邦人か、奴隷か、自由人か、これらの間の差別は、歴史とともにキリストの御霊にあって解消されていくのが望ましいことです。ところが、「男と女」の場合は、これとは少し違うようです。男女の「区別」それ自体は、神によって定められたものですから、この違いを「解消する」ことはできません。むしろ、男も女も、それぞれ与えられた特質を活かして、互いに助け合い慰め合うのが、創造の神の意図なのです。「男女平等」とは、互いに人格的に対等であるという意味です。男女の「差別」は解消されなければなりませんが、その区別は活かすべきなのです。
 しかしながら、イエス様も彼女たちも、女性の権利運動を起こすとか、「ウーマン・リベレイション」の社会運動を起こそうとしたのではありません。そうではなく、イエス様が伝えておられる「神の国」、すなわちに神の御霊が働かれる領域に入ったら、自然とそのようになるんだよ。このようにイエス様は言われるのです。社会運動や革命運動の形で働くのではなく、静かな聖霊の事態にあって、根源的なところからそのような事態が創り出されてくるのです。これが、イエス様の御霊のお働きの大事なところです。
イエス様の結婚観については、四福音書補遺の「イエス様の結婚観と創造の御霊」を参照してください。
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