【注釈】
■ルカ8章1〜3節
 ルカは、概(おおむ)ねマルコ福音書の枠組みを用いながら、イエス様語録やルカ独自の資料をマルコ福音書の枠の中に挿入するという構成をとっています。このやり方に従って、ルカは、ルカ6章19節でマルコの枠をひとまず離れて、イエス様語録とルカ独自の資料(やもめの息子の生き返り)との両方を彼なりに編集して、これら全体を6章20節以下に挿入し、8章4節から再びマルコの枠(マルコ4章1節)に戻ります。このように見ると、今回の8章1〜3節は、ルカ独自の資料に基づいていて、しかも、ここが、ルカ6章20節〜8章3節の挿入部分全体のまとめになっているのが分かります。
 今回の段落は、イエスのガリラヤ巡回の記述で始まります。この記述は、先のルカ4章43〜44節と対応していて、同時にこの8章1節は、後のルカ9章51節のエルサレムへの旅立ちとも対応しています。だから、ルカ福音書では、イエスのガリラヤでの伝道活動を、8章1節を境にして、その前と後とに分けて見ることができます。
 ここで注意したいのは、この挿入部分の後半から、女性に関する出来事が多く語られることです。今回の段落もそうですが、これに先立って、息子を生き返らせてもらったやもめの出来事(ここでは、息子よりも、やもめのほうにルカの関心が向けられています)、罪深い女性を赦した出来事(7章36節以下)などが語られています。
 今回の記事でも、イエスが女性たちを伴って巡回していたことが記されていて、これはルカ福音書だけに記録されている貴重な証言です。イエスの一行は、伝道に参加する十二弟子と、彼らと並んで、必要な奉仕をする女性たちとで成り立っていたことが分かります。しかし、イエスの時代に、女性たちを伴って巡回するのは、きわめて異例なことで、それだけに人々の批判の目に曝されたと思われます。ルカが、この記事の前に罪の女性による香油注ぎの出来事を置いたのは、あるいは、イエスの一行についての不必要な誤解を解くためであったのかもしれません。
[1]【すぐその後】直訳すれば「さて、順序として次は」です。「さて、それに引き続いて」〔岩波訳〕。直前の出来事を重視しているのに注意してください。
【福音を告げ知らせ】この部分を直訳すると「神の(王)国を宣べ伝えつつ福音しながら」です。「神の国を<福音する>」という動詞の用法は、四福音書ではルカだけのようです(ルカ2章10節/9章6節/20章1節/使徒5章42節など)。「福音する」はほんらいイザヤ52章7節の「よい知らせを伝える」の七十人訳から出た言葉ですが、この場合は、ルカの言う意味の「イエス・キリストの福音」のことではありません。「福音する」はパウロにも二、三回見られますが、ローマ10章15節はイザヤからの引用であり、第一コリント9章18節では、「福音を無代価で福音する」という面白い言い方がでてきます。ルカは、「宣べ伝える」で、広く言い広めることを意味し、「福音する」では、伝える内容が「幸いをもたらす」善いものであることを言おうとしているのでしょう。同じように、「イエス・キリストの名<について>福音する」(使徒8章12節)という言い方も「福音する」で、キリストの御名の内容を言い表わそうとしているのでしょう。ただし、ただ「福音する」と1語だけの場合もあります(ルカ9章6節)。マルコは「神の福音を宣べ伝える」と言い、マタイは「御国の福音を宣べ伝える」ですが、マタイは「御国」の代わりに「天の王国」と言う場合が多いようです。
【町や村を巡って】イエスは、当時の大きな都市、例えばセッフォリスやティベリアスなどを避けて、主として小さな町や村々などを巡り歩いています。「巡る/歩き回る」〔不定過去〕は、点と点とを結ぶように移動することではなく、その時々に導かれるままに巡り歩いている状態を指します。エルサレムへ向けてまっすぐ進む9章59節以下の旅とは異なる点に注意してください。ルカは、今回の箇所で、イエスのガリラヤ伝道の有り様をまとめているのです。
【十二人も一緒】ルカは、イエスが十二弟子を選んでから(6章13〜16節)、彼らのことには触れず、ここで再び彼らを登場させています。ガリラヤ伝道の後半では、弟子たちもイエスの業に倣って「福音した」ことを言うために「彼(イエス)と一緒に」とあるのでしょう。弟子たちは「福音する」こと、女性たちは「奉仕する」こと、これがイエスのグループの伝道活動の有り様だったようです。
[2]【何人かの婦人たち】イエスと十二弟子の一行に女性たちが同伴して巡回するというのは、当時としてはきわめて異例なことでした。この女性たちは、悪霊や病気からイエスによって「癒やされていた」のですから、ガリラヤ出身で(ルカ6章18〜19節)、「自分の持ち物を出し合って」一行に付き添って巡回しながら奉仕していたのです。「幾人」とありますが、続く3節では「そのほか多くの」とあり、ここは資料の文体が乱れていたことを示唆しています。
 官界の段落からは、イエスの一行が、独身あるいはやもめとなった女性たちの資産の援助を受けていたことが分かります。この女性たちは、比較的自由な独り身であったのでしょう。そうでなければ、移動するイエスの一行に仕えることなどとうてい不可能だからです。しかし、そういう女性の中には、イエスによって罪が赦されたり精神的な病が癒された女性たちもいて、こういう一行の姿は、外部の人たちから見て誤解を生じさせたとも考えられます〔ジョエル・グリーン『ルカ福音書』〕。イエスがガリラヤで活動を始めたときから、イエスに付き従った「大勢の女性たち」がいましたが、その中でも、今回登場する女性たちは、様々な困難に耐えて、イエスの十字架刑を最後まで見守った人たちでした(マルコ15章41/マタイ27章55節)。イエスの死に立ち合った「ガリラヤから従ってきた婦人たち」(ルカ23章49節)というのは彼女たちのことです。イエスの十字架刑に際して、男性の弟子たちは全員逃げ去ったとあります。しかし、イエスのガリラヤ伝道の初めから付き添った女性たちは、最後までイエスのもとに留まり、イエスの死と埋葬に立ち会っています。それだけではなく、おそらくマグダラのマリアを中心としたこれらの女性たちは、命がけでイエスの復活を証ししたと思われます。ルカ8章(1節〜3節)の記事は、こういうイエス一行の姿を現代に伝える重要な証言です。 
【悪霊を追い出して】原文を直訳すると「(イエスによって)悪い霊どもと諸病から癒やされていた」です。ルカは、悪魔的な霊力を表わす「悪霊」には通常「ダイモニオン」"demon"の単数あるいは複数形を用いますが(ルカ4章35節/7章33節/8章27節など)、同じことをまれに「汚れた霊(プネウマ)」とも言います(8章29節)。またルカ福音書4章33節には「汚れた悪霊(ダイモニオン)の霊(プネウマ)」という変わった言い方がでてきます。よほどたちの悪い「悪霊」だったのでしょう。これらの場合には「(悪霊を)追い出す」という動詞が遣われています。しかし、ここ8章1節では「悪い霊ども(「プネウマ」の複数形)」です(ここのほかに7章21節)。これは、悪魔的な霊のことではなく、例えば「てんかん」のような病気も「悪い霊」の仕業だと信じられていました。なお「病」とあるのも「体の具合が悪い」という一般的な意味です。だからここでは、なんらかの病を引き起こしている「悪い霊」のことで、「病気」と並んで動詞には「癒やす/癒やされる」が用いられています。したがって、身体的あるいは神経的な病気の類を指すのでしょう。
【七つの悪霊】ここの「悪霊」の原語は「ダイモニオン」(複数形)で、動詞には「追い出す」が用いられています。ただし、なんらかの精神的な病気も「悪霊」の働きに分類されましたから、この場合でも、いわゆる道徳的、あるいは人格的に「悪魔的」であることを必ずしも意味しません。これに対して、「悪魔」は、人格的で知的な存在であり、必ずしも「悪霊」とは一致しませんから注意してください。「七つの」とあるのを必ずしも辞義通りにとる必要はありません。「いろいろな」の意味にも理解できますから。
【マグダラの女と呼ばれるマリア】「マグダラ」(現在は「ミグダル」)は、ガリラヤ湖西岸のティベリアスの北7キロほどの所にあり、ティベリアスとゲネサレ(現在は「ギノサル」)の間に位置するガリラヤ湖畔の町です。当時は比較的小さな漁村だったのでしょう。ここは、イエスがナザレからカファルナウムへ向かう途中に通る道筋になります。「マリア」(ヘブライ語で「ミリアム」)は、ごく普通の名前でしたから、原文の「マグダラ(女性形)のマリア」は、「マグダラ出身のマリア」という意味です。
 マグダラのマリアは、イエスによって「七つの悪霊を追い出していただいた」と証言されています(ルカ8章2節/マルコ16章9節はルカからの写しか?)。「七つの悪霊に憑かれている」ことを精神的・身体的な病に限定して、これを「罪深い」不道徳な性質から区別する説もあります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』〕。けれども、「七つの悪霊」には、不道徳な罪の性質、例えば「淫行の霊」なども含まれていた可能性もあるでしょう。もしもそうだとすれば、この女性は、精神的な病にあっただけでなく、道徳的にも「罪深かった」ことになります。ルカ福音書は、イエスに香油を注いだのは、「罪深い女」であったと証言しています(ルカ7章37節)。しかし、ルカ福音書では、「マグダラと呼ばれる」とあるように改めて彼女が紹介されていますから、ルカは、明らかに直前の香油を注いだ女性とこのマグダラのマリアとを区別しています。ですから、ルカ福音書では、(1)七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア(8章)と(2)香油を注いだ罪深い女性(7章)と、さらに(3)ベタニアのマルタの姉妹マリア(10章)と、これら3人の女性たちが別々に登場することになります。
 四福音書を通じて、イエスに香油を注いだ女性がマグダラのマリアであるという証言はありません。しかし、後の教会では、ルカ福音書にでてくる罪深い女とマグダラのマリアとが同一視されるようになり、以後の教会でマグダラのマリアを直前の「罪の女」と同一視する伝承が生まれたのです。だからここで、マグダラのマリアと四福音書の香油注ぎの女性について見ておく必要がありましょう。
(1)マルコ14章の女性とマタイ26章の女性とヨハネ12章のマリアとは、いずれもベタニアに在住していてイエスに香油を注いだ女性ですから、同一の人物であると考えることができます。彼女を「ベタニアのマリア」と呼ぶことにします。
(2)ルカ10章のマルタの姉妹マリアは、ヨハネ11章のマルタの姉妹マリアと同一人物と見ることができます。したがって、ヨハネ12章で香油を注いだのも、このベタニアのマリアであると考えていいでしょう。ここでは、ルカの伝承がヨハネのほうに影響していると思われます。ただしルカ福音書では、場所が「ある村で」とあって、ヨハネ福音書のように、エルサレム近くのベタニアとはなっていません。ルカ福音書では、マルタとマリア姉妹の話が、ガリラヤからエルサレムへ向かう旅の途中の出来事とされていますので、彼は意図的に「ベタニア」という地名を消したと考えることもできます。
(3)ルカ7章の「罪深い女」の場合はどうでしょうか? 罪赦されて涙を流し、イエスを愛した罪の女性とマグダラのマリアとは、同じ人物であると考えていいでしょうか? 後の教会はこのように解釈して、これが今なお伝統的に受け継がれています。そうだとすれば、ここで「ベタニアのマリア」と並んで、「罪深い女=マグダラのマリア」が、香油注ぎの女性として登場することになります。
 この場合に、次のふたつの疑問が生じてきます。
(1)ルカ7章の「罪深い女」はルカ8章のマグダラのマリアと同一人物なのか? 
(2)ベタニアのマリアとマグダラのマリアとは同一人物なのか?
  疑問(1)について。「マグダラのマリア」は、イエスの十字架刑を近くで見守っていた女性たちの一人としてあげられています(マタイ27章56節/マルコ15章40節/ヨハネ19章25節)。彼女はまたイエスの埋葬にも立ち会っています(マタイ27章61節/マルコ15章47節)。さらにイエスの復活の証人として重要な役割を果たします(マタイ29章1節/マルコ16章9節/ルカ24章10節/ヨハネ20章1節以下)。以上の四福音書の証言から見て、彼女は、イエス一行の身の回りの世話をしていただけでなく、イエスの優れた弟子として知られていた女性ではなかったかと考えられます。四福音書に前後して書かれた『トマス福音書』では、彼女は、ペトロよりも優れた弟子として、イエスとの対話の相手役になっています。
 このような見方に立って、現代の聖書学では、このふたりの同一視は否定されています。ルカが二人を区別していることもその根拠の一つです。また、教会の伝統的な解釈は、マグダラのマリアを「罪深い女性」と同一視することによって、マグダラのマリアに賦与されていたイエスの優れた女弟子のイメージを意図的に否定しようとしていると見ることもできます。
 時代を経るにしたがって、イエス一行をめぐる女性たちの存在と彼女たちの働きが、護教的な立場から排除されるか、あるいは聖女化されることによって、その実態が薄められていった形跡を読み取ることができます。2世紀に入ると、グノーシスの異端が盛んになりますが、このグノーシス派では、女性の活躍がめざましかったので、教会は徐々に教会内での女性の働きを制限するようになりました。この傾向に伴って、イエスの高弟の一人であったマグダラのマリアにもその影響が及んだようです。最終的にマグダラのマリアは、娼婦に仕立て上げられてしまいます。現代の聖書学が、マグダラのマリアと「罪深い女」とを同一視することを退けるのは、おそらくこのような女性差別的な形跡を意識して、これを是正するためであろうとも思われます。
  疑問(2)について。ヨハネ12章のベタニアのマリアは、ヨハネ20章1節でイエスの復活の証人となるマグダラのマリアと同一人物かどうかが問題になります。これを同一人物とする説もあります〔バーナード『ヨハネ福音書』(2)〕。しかし、ほとんどの注釈者はこの点について全く触れていないか、あるいは、ヨハネのマグダラのマリアが、「マルコやマタイやルカ」に出てくる香油注ぎの女性では<ない>と言うだけです。ヨハネもまた、ふたりが同一人物だとは言っていませんが、この問題に立ち入るのは控えます。
 イエスへの香油注ぎは、マルコ14章3節〜9節とマタイ26章6節〜12節とルカ7章36節〜50節にもでています。マタイはマルコの記事に全面的に依存しています。ヨハネの物語にもマルコの記事が反映していて、マタイとマルコとヨハネの三福音書とも、香油注ぎの場所はベタニアです。マルコもマタイも、ヨハネと同様に、イエスを殺す企みのすぐ後にこの物語を置いていて、三福音書とも、香油注ぎを過越の祭りにつながるものとしています(マルコとマタイでは過越祭の二日前。ヨハネでは六日前)。
 しかし、ヨハネ福音書の物語には、マルコやマタイとは異なるところがあります。マルコとマタイでは、「らい病/皮膚病の人シモンの家」での出来事であり、女性は「一人の女」とあって名前は特定されていません。これに対してヨハネでは、女性の名前はマリアであり、彼女を批判するのはユダです。またマルコとマタイでは、香油注ぎは、エルサレム入城の後のことですが、ヨハネでは入城直前のことで、この点でもマルコ/マタイと異なります。何よりも大きな違いは、マルコとマタイでは、香油はイエスの頭に注がれますが、ヨハネではイエスの両足に注がれることです。さらに「自分の髪の毛でイエスの足をぬぐった」とあるのもマルコ/マタイと異なります。
 これに対してルカ福音書7章では、香油注ぎの場所はガリラヤで、ファリサイ派のシモンの家です。香油を注ぐのは「罪深い女」であり、この物語は、イエスによる「罪の赦し」を表わす出来事として描かれています。したがって、出来事が、他の三つの福音書とはかなり異なる意味を帯びています。ただし、女性がイエスの足に香油を塗って自分の髪の毛でそれをぬぐうところはヨハネ福音書と共通しています。ルカ福音書では、女性が涙でイエスの足を濡らしたとありますが、ヨハネ福音書にはそのような描写がありません。これらのことから、ルカは、マルコ/マタイの伝承とは別に、ルカ独自の伝承を持っていたと推定することができます(「ルカの特殊資料」と呼ばれるものです)。おそらくルカは、この独自の伝承に基づきながら、マルコをも参照しているのでしょう。
 以上のことから分かるのは、マルコとマタイとはほぼ一致していますが、ルカは、この両者とはかなり違うことです。マルコ=マタイ伝承とルカ伝承とのこの違いと共通点はどこから生じたのでしょう? もともとガリラヤのファリサイ派の家で、罪の女性がイエスによってその罪を赦されて、涙でイエスの足をぬらして、自分の髪の毛でこれをぬぐったという伝承があり(ルカの物語に近い)、これとは別に、ベタニアのらい病人シモンの家で、ある女性(名前はマリア?)が、イエスへの愛の証しとして香油をその頭に注いだという伝承があった(マルコに近い)。ひとつには、このような説明が考えられます〔R・ブラウン〕。ルカはおそらく自分に伝えられた伝承(ルカの特殊資料)とマルコの香油の伝承とを融合させたのでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』〕。
 最近では、四福音書の香油の物語は、ほんらいひとつの出来事から生じていると見るようになりました。女性が許可もなく男性の食事の席に入ってきて、自分の髪の毛を男性の前でほどいて、男性の足に接吻することは、相当に思い切った振舞いであったと思われます。ルカ福音書は、そのような驚くべき出来事がほんとうにあったことを伝えているのです。このように見るならば、マルコ/マタイ伝承よりもルカに伝わる香油注ぎの伝承のほうが、より真実に近い出来事を伝えていると考えられます。この出来事は、おそらく口伝の段階で、いろいろ異なる形となって伝えられたのでしょう。マルコ14章3〜9節の物語が、四福音書のひとつの基準になっているのは確かです。しかし、マルコは、伝えられた伝承を過越祭の直前のこととして、香油注ぎをイエスの埋葬への準備としていますが、そこには、イエスをメシア(油注がれた者)とする意味もこめられていると見ることができます(イエスの「頭に」香油を注いだとあるのはこの意味)。このために、ルカの伝承が語る「生々しさ」が薄れていると言えましょう。
[3]【ヨハナ】原語は「ヨワンナ」です。この名前は希ですがヘブライ語名からきています。夫の名前「クザ」は、アラム語からです。どちらも、パレスチナ出身のユダヤ人でしょう。ヘロデとは、ヘロデ大王の息子の一人ヘロデ・アンティパスのことです(ルカ23章6〜8節)。大王の後、その領土が3分割されて、ヘロデ・アンティパスは、ガリラヤとペレア(ヨルダン川の東部)を相続しました。クザはそのヘロデ・アンティパスの「家令」とありますが、原語の「エピトロポス」には、「支配人/管理人/家令」の意味と、「行政官/監督官/支配者」の意味とがあります。クザが、財産を管理する支配人であったのか〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』〕、それとも、ある一定地域の行政権を持つ監督官だったのか〔ボヴォン『ルカ福音書』〕、どちらとも決めかねます。しかし、身分の高い地位の人であったことは間違いなく、このことは、すでにイエスの教えの影響が、王室を含む支配階級にも及んでいたことを示しています。ヨハナは、あえて高位の身分を捨ててイエスに従ったのでしょうか? それとも夫をすでに失っていたのでしょうか? おそらく後のほうだと思います。彼女は最後までイエスに仕え、ルカ福音書では、彼女はイエスの十字架刑とその復活に立ち合っています(ルカ23章49節/同24章10節)。
【スサンナ】原語「スサンナ」は、ヘブライ語名で「百合」のことです。彼女のことは、新約聖書でここ以外にでてきません。「奉仕する」(「ディアコノー」)は、「仕える/接待する/世話をする」ことで、これはイエスの一行の生活のために必要な物を調達するだけでなく、身の回りの世話をすることです。この言葉は、後にキリスト教会では、施しや慈善の業をも含むようになりました(英語の"deacon"はここからでていて、聖公会の助祭、長老派教会の執事、プロテスタント教会での婦人牧師補佐、婦人執事、婦人奉仕員などを意味します)。
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