【注釈】
■イエス様語録
 今回の復元もほとんどがルカ福音書からです。ただし、度々繰り返すように、復元は必ずしも確定できないところがあります。今回の箇所では、初めの「彼(イエス)からしるしを求める人たちがいた」は、マタイ福音書では「ヨナのしるし」の初めに置かれていますが(マタイ12章38節)、この出だしは、マルコ福音書8章11節にもありますから、はたしてこれがイエス様語録からなのか、あるいはマルコ福音書からなのか、確かではありません。なおルカ福音書では、この書き出しが「分かれ争う国」のたとえ(ルカ11章17節以下)の前に置かれています。また、マタイ福音書では質問した人たちが「律法学者とファリサイ派」と特定されていますが、ルカ福音書のほうは不明です。どちらの可能性もありますが、復元はルカに拠っています。マタイ福音書ではこの部分に「先生」とありますが、これをイエス様語録の復元に含めている版もあります〔マックQ〕。イエス様語録の後半、「南の国の女王」と「ニネベの人たち」の部分では、マタイ福音書とルカ福音書の用語はほとんど同じです。ただし、「南の国の女王」と「ニネベの人たち」との順序が、マタイとルカとでは逆になっています(復元はルカによる)。
【よこしまな時代】今回のイエス様語録で特に注目されるのは、その前半部分でイエスが、自分を「人の子」と呼び、「よこしまな時代」へ遣わされた「しるし」であると告げていることです。「人の子」と「よこしまな/邪悪な時代」との結びつきは、ユダヤの黙示思想から来ています〔ツェラー『Q資料注解』〕。黙示思想はアンティオコス4世の迫害とマカバイ戦争(前2世紀)の時期にその全体像が形成されたもので、『ヨベル書』(前150~前100年)には「この邪悪な時代に」、子が、その親や年長者の罪と暴虐のゆえに彼らを糾弾するとあり(ヨベル24章15~16節)、『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)の「エノク書簡」(前100年頃)には、「よこしまな世代/時代が起こり」多くの人たちが邪悪な行為に走るが、一方で「選ばれた人たち」が現われて義の証人となり、彼らには「七倍の知恵と知識が与えられる」とあります(第一エノク書93章9~10節)。このように黙示思想は、義人たちは邪悪な時代に受け容れられないが、彼らの正しさは神によって必ず「立証され」て、迫害した悪人や罪人たちは必ず裁かれるという終末思想に根ざしています。今回のイエスの言葉も、この黙示思想を背景にしています。
 ただし、イエス様語録の後半部分には「ソロモンの知恵」がでてきますから、イエスの発言には、黙示思想と共にユダヤの知恵思想も受け継がれているのが分かります(ただし後半部ほんらい別個の伝承だった可能性があります)。今回のように、知恵思想が「裁き」と結びつくのは、知恵の書から来ています(知恵の書2章10~20節/3章1~9節/4章16~20節)。そこでは、知恵の人(義人)が悪しき者たちに迫害され、その知恵と義のゆえに殉教しますが、神は彼に「不滅の希望」を与え(同3章4節)、彼は「神の子たちの一人とされ」(同5章5節)、「主の訪れの時に輝きわたる」(同3章7節)のです。このように殉教した義人/賢者が天へあげられることを「高挙」"exaltation"と言いますが、賢者を迫害した者たちは彼の高挙を見て恐れおののき、神の裁きに遭うのです(同3章10節/5章1~7節)。
【ヨナのしるし】イエスが言う「ヨナのしるし」とは、どういう意味かが今回の箇所で特に問題になります。ヨナ書では、(1)ヨナが、異教の地であるニネベへ行けという神の命令に背いたために嵐の海の中に投げ込まれます。(2)ヨナは、海中で大魚の腹の中に三日三晩留まります。(3)ヨナは結局ニネベに向かうことになります。(4)彼はニネベの人たちに裁きと滅びを警告します。(5)ところがニネベの人たちは、彼の説教を聞いて悔い改めたために、滅びを免れるのです。
 ヨナの物語にはこの5項目が含まれていますが、マタイ福音書では、「しるし」が(2)の意味に理解されています。しかしイエス様語録では、その後半から判断すると、このしるしが(4)の裁きへの警告と(5)のニネベの人たちの悔い改めになっているのが分かります。この違いはどこから来るのでしょうか? イエス様語録の人たちは、ペトロやパウロやマタイの諸教会のように、イエスの死と復活、これによって与えられる罪の赦しの信仰を必ずしも共有しませんでした。だから彼らは、イエスを罪の贖いのための救い主として仰ぐよりも、むしろイスラエルの知恵の人と見なして、直接生前のイエスの生き方に学び、その生き方に習おうとしたのです。こういう彼らの信仰は、知恵の書にあるように、賢者/義人には不滅の命が与えられるその一方で、彼らを嘲り迫害する邪悪な罪人に臨む裁きが臨むという思想を受け継いでいます。ダニエル書12章や『第一エノク書』62~63章では、イスラエルの賢者が、その知恵によって迫害を受けた後に天にあげられ、逆に迫害した者たちが神の法廷において裁かれます。ダニエル書も『第一エノク書』も黙示思想と知恵思想の両方を受け継いでいますから、この点で、イエス様語録の人たちは、知恵と黙示の両方の思想を受け継いでいると見ることができます(ただし、「黙示」と「知恵」という用語をどのように定義するかによって、この両思想を厳密に区別する見方もあります)。
 こういうわけで、イエス様語録では、「ヨナのしるし」が(4)と(5)の意味に理解されているのです。またこれが、実際にイエスが語った時のほんらいの「しるし」の意味であったろうと考えられます。イエスは自分を神から遣わされた「人の子」として同時代の人たちに神の国を告知しました。この告知は、それを受け入れる者には(ニネベの人たちのように)救いとなり、これを拒む者には裁きとなります。
 しかし、裁き/救いをもたらす人の子が、「それ自体で」はたして「しるし」と呼べるのかどうか、という疑問も生じます。このために、ここでの「しるし」は、イエスが終末に再臨することを「しるし」と呼んでいるという解釈もあります(だとすれば、イエス以後の教会の信仰を反映していることになります)。少なくとも、イエスの答えは「イエスを試そうとする」人たちが求めているしるしで「ない」ことは確かです。だとすれば、ここでイエスが言う「しるし」は、なんら具体的なしるしには「ならない」ことになりましょう。言い換えるとしるしが「いっさい与えられない」のと同じことなのです。だから、マルコ福音書でイエスが、「今の時代にはしるしは決して与えられない」(8章12節)と告げるているのと、結果的に同じことになります。
 ここで黙示思想と知恵思想との違いに触れておきます。黙示思想では、迫害された義人(たち)は、義のために殉教して、神によって天へ挙げられ(高挙)、終末には再び地上に顕われて、かつての邪悪な迫害者たちを裁いたり、あるいは神の遣わす天使によって悪人どもが裁かれるのを見たりします。ところが、知恵思想では、例えばダニエル書のように、迫害された賢者は、多くの場合に、その知恵によって殉教の「死を免れる」のです。彼/彼らは、生き延びて長寿を全うし、逆に悪しき迫害者どもが裁きに遭い滅びに終わることになります(第一エノク書10章17節)。このように言うと、知恵思想は現世的で、黙示思想は来世的であるかのように思われるかもしれません。実際、両者をそのように区別する見方もあります。しかし、知恵思想はそれほど単純ではありません。なぜなら、知恵のゆえに殺された者は、神の手によって高挙され、「主の訪れの時、彼らは輝く」(知恵の書3章7節)とあるように、知恵の書に表われる思想は決して現世的とは言えないからです。知恵思想が「現世的」であるとすれば、それは、神からの知恵を宿す者は、「すでにこの世において」永遠の霊的な命を宿す者と考えられているからです。これが知恵の書の根本的な思想です。知恵が「命の樹」(箴言3章18節)であるというのはこの意味です。したがって、真の知恵を抱く者は、その肉体の存在如何に関わらず「生死を超えた」命を己の内に宿しているというのが知恵思想の根源的な生命観です。
 イエス様語録の人たちに戻りますと、彼らがイエスの内に見たものは、このような意味で永遠性を持つ命であったと考えられます。わたしたちは、イエスがここで「ヨナのしるし」と呼び、しかもこれをソロモンの知恵と関連づけているのは、このように現在すでにイエスに宿っていて、しかも永遠に失われることのない命のことであり、そのような命を宿す人の子イエスが、「今のよこしまな時代」にとって、ちょうどヨナがニネベの人たちに対する「しるし」であったと同じように、裁きと救いの両方の「しるし」であると警告しているのです。この意味で、ここでのイエス様語録は、「まずイエスの知恵の教えとイエスの悔い改めへの呼びかけに」〔ツェラー『Q資料注解』〕応じるよう人々に求めていることなります。
 イエスが、自分を「ヨナのしるし」として、かつそのしるしをニネベの人たちの悔い改めと南の国の女王が求めた知恵とに結びつけているのは、イエス自身が、「すでに命を宿す者」として「今の時代」に存在していること、そのイエスの存在それ自体が、同時に裁きともなり救いともなる「しるし」であることを告げているのです。マタイが「しるし」を「三日三晩大魚の腹にいた」と解釈したのは、イエスが受難を覚悟していたことを示すものです。おそらくイエス自身も、受難の後に何らかの姿で復活することを予知していたのでしょう。ただし、イエス様語録のこの箇所では、むしろ今ここにいるイエス自身こそが、「今の世に対する」裁きと救いの「しるし」であることを言いたいのです。この意味で、イエス様語録のこの箇所をルカ17章20~21節「神の国はあなたがたの間/内にある」と結びつける解釈もあります〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。
【南の国の女王】「シバの女王」の記事は、列王記上10章1~13節と歴代誌下9章1~12節に、ほぼ同じ内容で語られています。彼女がソロモン王の知恵を求めて訪れたとあるのは、列王記上10章4節と歴代誌下9章6節から来ています。彼女は多くの香料と金と宝石をソロモンに贈り、同時に王にいろいろな「質問」(謎解きのこと)を浴びせたところ、王はそれらすべてを見事に解いたとあります。「ソロモンの知恵」と呼ばれるゆえんです(列王記上3章16節以下を参照)。王は女王に贈り物をして女王の願うものはなんでも与えたとあります。
 列王記上9章26~28節によれば、ソロモン王は、エツヨン・ゲベル(紅海のシナイ半島東側のアカバ湾の北端にあった港で、現在のエイラートに近い)で船団を編成したとありますから、彼は、エルサレムから南方のエドムの地を通りアカバ湾にいたる通商路を確保していたことが分かります。そこから紅海の東西両岸にあるアラビア半島西部とエジプトの東部との交易を通して富を得ることができたからです。当時のシバ王国は、アラビア半島西南部(現在のイエメン西部で紅海の入り口にあたる)にあったと考えられていますから、シバ王国の女王のほうもダマスカスから地中海方面へいたる交易を確保するために、ソロモンの王国と友好関係を保つ必要があったと思われます。
 ただし、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(8巻6章5節)には「エジプトとエチオピアの女王がソロモンを訪れた」とあります。これによれば、彼女は現在のエチオピア(当時のクシュ王国)の女王でもあったことになります。現在でもエチオピア系のユダヤ人がおり、また、イスラム教が支配するアラビア半島とアフリカ北部の中にありながら、エチオピアが唯一のキリスト教国であることもソロモン時代のイスラエルとこの地方との結びつきを示唆するものです。だとすれが、シバ王国の所在は、紅海入り口の狭い海峡を挟んで、アラビア半島南西側とアフリカ東北側との両説が成り立つことになります。現在のところアラビア半島西部のほうが、シバ王国の地として有力視されているようですが。
 2009年9月28日にBS朝日で放送された「BBC地球伝説」によれば、シバ王国の遺跡が、現在のエチオピアとエリトリアとの境に近いアクスムにも存在すると言われています。アフリカ西岸の山間部にあるこの町では、今でも、エチオピア人の多くが、この町こそシバの女王が君臨した都だと堅く信じていて、女王に関する伝説が根強く伝わっています。
 これによると、昔、アクスムの町全体を恐怖に落とし入れていた一匹の巨大な大蛇がいて、人々は、毎日、数えきれないほどの家畜を生け贄に捧げていました。そんな時、マケダという一人の美しく勇敢な娘が、平然と大蛇に近づくと、たちまちその首を切り落としてしまったのです。住民は、熱狂して彼女を自分たちの女王にしました。このマケダがシバの女王です。女王は、まもなくエルサレムのソロモン王を訪問しますが、やがて、女王とソロモンとの間には男の子が生まれました。男の子は成人するとメネリクと名乗り、母がソロモンから贈られた指輪を証拠として、エルサレムに行き、父ソロモンと対面したのです。ところがメネリクが、エルサレム神殿の契約の箱を盗み出したために、ソロモンはその後を追ったが、盗み出したのが自分の息子でもあったので、泣く泣くエルサレムに引き返しました。一方、契約の箱を持ち帰ったメネリクは、シバの女王と住民すべてに祝福されました。その契約の箱は、今もなお、アクスムの一画に保存されていて、そこは「聖所」とされており、そこを管理する者は一生外の世界に出ることがないということです。こういうわけで、アクスムは「聖都」と呼ばれるようになり、現在でもこの町では、11月下旬になると、この日を祝う行事が行われています。アクスムの遺跡には、シバの女王の神殿と言われる100室以上を有する巨大な宮殿跡や崩れ落ちた石柱が点在していて、古代のアラビア語とも思われる文字が刻まれた石版なども遺されており、アラビアとエチオピアとのつながりを示す証拠も多数発見されています。
 ところが、古代エチオピア王国の対岸に当たる現在のイエーメンにもシバ王国の遺跡が遺されています。南アラビアのイエメン地方には、砂漠に埋もれた遺跡が多数眠っていて、そこには、シャブワ、ティムナ、マアリブ、シルワと言った古代の遺跡が連なっています。これらは、香料ロードと呼ばれる香辛料などの贅沢品を運ぶキャラバンルートでつながっていました。中でも、マアリブには遺跡が無数に眠っており、特に巨大なダムの跡と月の神殿と呼ばれている遺跡が知られています。ダムが完成したのは、紀元前600年ほどで、幅が680メートルもある巨大なものでした。月の神殿と呼ばれるものは、囲い地だけでも95メートルあり、囲っていた壁の高さは16メートル以上ある大規模なものです。現在、その神殿の入り口の柱廊があった場所には、8本の四角い石柱が砂の中から突き出ています。地元のイスラム教の師イマームによれば、コーランの34章にこの女王の記事が載せられています。彼が語るところによれば、シバの女王は足に毛が生えた悪霊的な女王だとされていたのですが、女王がソロモン王を訪れたときに、唯一の神を信じることによって、その悪霊的な女王が浄い女王に変容したと伝えられています。
 エチオピア王国と狭い海峡を挟んだ対岸のアラビアとは、古代から往来と征服の歴史が繰り返されましたから、どちらかがどちらかを征服して、一つの王国であった時代があるのでしょう。エチオピアのある家に今も残されている石碑に刻まれた文字が、イエーメンの遺跡の壁にも刻まれています。このように、シバ王国の場所は、アクスムとマアリブと東西二カ所の言い伝えがあります。
【ニネベ】ニネベは、チグリス河の中程で、やや上流に近い場所にあり、現在のイラク北部の都市モスルの東を流れるチグリス河の東岸にその遺跡があります。ここは古代アッカド王国の時代に、すでにその名前が知られていた都市で(前2800年頃)、女神イシュタル(後のアシタロテ)の神殿が置かれていました。この都市は半ば伝説的な王ニムロドによって建設されたと伝えられています(創世記10章8~12節)。ニネベが歴史に登場するのは、アッシリア帝国の勢力拡大によるものです。ニネベは、広大なアッシリア帝国の中心部に位置する四つの都市の一つとなり、センナケリブ王の時代(在位前704~681年)に、ここに王宮が建てられて、アッシリアの首都になりました(前705年)(列王記下19章36節参照)。ここにはアッシュパニバル王の王宮もあり、市内のクユンジクにあったと言われる大図書館でも知られています。ニネベは、メディアとバビロニアよってアッシリアが滅ぼされた時に破壊されました(前612年)。
【ソロモン】ソロモン王(在位前965~926年頃)は、ダビデとバト・シェバの間の息子で(サムエル記下12章24~25節)、父ダビデの後を継いで即位しました(列王記上1章11~40節)。彼は、神殿と王宮を現在エルサレムにあるシオンの丘に建立しましたが、これはソロモンの「第一神殿」と呼ばれています(列王記上7章)。この王の時代に、イスラエルは交易によって栄え、その版図はイスラエル史上最大に達しました。ソロモンはまた「知恵の王」としても知られています(列王記上5章9~14節)。
【ヨナにまさるもの】「まさるもの」の意味が問われています。「よりまさるもの」の原語「プレイオン」は、形容詞の中性単数比較級が名詞として用いられていますから、これを「者」ととればイエス自身のことになります。しかし原語は中性単数ですから「物事」の意味にもなります(「ヨナより大いなるもの」〔岩波訳〕)。マタイ12章6節の「神殿<よりも偉大なもの>がここにある」も、同じように形容詞「大きい」が中性単数比較級で用いられています。「もの」が「物事」の意味だとすれば、何を指すのでしょうか? 
 イエス様語録でヨナの「説教」とある原語は「ケーリュグマ」で、この用語はイエス復活以後の教会が「宣教」の意味で用いました。「もの」が中性単数であることを併せて考えると、「物事」とは、イエス以後のイエス様語録の人たちが「宣べ伝えた」神の国のことではないかという説があります。そうだとすれば、イスラエルが結局悔い改めなかったことなどから、ここで語られているヨナのたとえは、イエスの復活信仰が成立した後になって、イエス様語録の人たちによって作られたことにもなりましょう。
 イエス様語録の人たちが神の国を重視して、これを「宣べ伝えた」のはその通りです。しかし、シバの女王とソロモン王の物語も、またヨナの話も、イエスの時代のイスラエルではすでによく知られていた伝承です。また「神の国」は、イエス自身が「宣べ伝えた」重要なメッセージで、しかもイエスは、神の国を自分自身の存在と深く結びつけて語っています(マタイ12章28節/ルカ11章20節)。ここではヨナと女王とを「もの」と言うのですから、「もの」は「者」と理解するほうが自然でしょう。イエスは、自分を通して働く神の御霊を「神の国の到来」として伝えましたから、イエスの霊性を受け継いだイエス様語録の人たちが、イエスと神の国とを一つに観て、これを「宣べ伝えた」のは自然な成り行きです。したがって、「説教する」がイエスの復活信仰以後にイエス様語録の人たちが用いた用語であるという理由で、ここで語られている二つの故事の事例が、イエスにさかのぼるもので<ない>と判断する根拠にはなりません。
 
■マタイ12章
 イエス様語録と比較して分かることは、マタイが、38節「律法学者とファリサイ派」を編集句として挿入し、39節「よこしまな時代」ではイエス様語録を採り入れ、40節「三日三晩」では彼の解釈を加え、41~42節ではイエス様語録の言葉をそのまま採り入れていることです。ただしその際に、ルカとは逆に、「ニネベの人たち」を「南の国の女王」の先に置いて、40節のヨナの記事とつながるように配慮しています。なお、「ヨナのしるし」は、マタイ16章4節にも繰り返されています。こちらはイエス様語録からではなく、おそらくマルコ福音書8章12節に基づいて、これにマタイが「ヨナのしるし」を加えたのでしょう。だからマタイは、今回の箇所ではイエス様語録に基づき、マタイ16章1~4節では、マルコ福音書8章11~12節に基づいて、しかもそれぞれにマタイ独自の解釈と編集を加えたと考えられます。
[38]【律法学者とファリサイ派】マタイ12章の始めから、イエスとファリサイ派との間に一連の論争が続きますが、ここ38節で、これに律法学者が加わります。マタイ福音書では、イエスに敵対する論争相手としてファリサイ派が圧倒的に多く登場しますが、これはおそらく、マタイ自身の教会(シリアのアンティオキアか?)と当時のファリサイ派との間に生じた論争が背後にあると思われます。ファリサイ派と律法学者の組み合わせは、マタイ15章1節にもでてきますが、特に23章(2節/13節/15節/23節/25節/29節)にこの組み合わせが集中して表われます。彼らは、イエスの時代に律法を民に教える指導的な立場にあったからであり、中には、イエスの活動を監視する目的でエルサレムから派遣されて来た人たちもいたのでしょう(マタイ15章1節)。またファリサイ派とサドカイ派の組み合わせも16章に多くでてきます(1節/6節/11節/12節)。
【しるし】「しるし」の原語は「セーメイオン」で、これは「奇跡」(「力ある業」「不思議な業」)と区別されています。しかし「しるしと不思議」(使徒2章22節/同5章12節)として両方がひとまとめにされることもあります。病気癒しや悪霊追放などの「奇跡」や「不思議な業」もまた「しるし」と呼ばれることがありますが、「しるし」の意味は「奇跡」よりも広く、必ずしも奇跡や不思議な業だけではありません(例えば16章3節の「空模様と時代のしるし」)。
 マタイ16章1節/マルコ8章11節/ルカ11章16節では「天からのしるし」となっていますから、「(ヨナの)しるし」は、癒しや悪霊追放以上の「しるし」のこと、おそらく、イエスがイスラエルを救うために神から遣わされた「メシア」であることを証明するような特別の「しるし」を指すのでしょう。しかもファリサイ派と律法学者たちは、「イエスを試そう」として、しるしを見せてほしいと「要求して」います。彼らは、エジプトでモーセが顕わしたような一連の大きな「しるし」(出エジプト記7章以下)に相当するような出来事を見せるようにイエスに迫ったのです。
[39]【よこしまで神に背いた時代】「よこしまな」とは、特にモーセに率いられて荒れ野を旅したイスラエルの民に向けられた言葉です(申命記1章35節/同32章5節)。彼らは神が遣わしたモーセに度々逆らったからです。今回の記事の少し前には(マタイ11章16~19節)、イエスを監視するためにエルサレムから来た人たちが、イエスが行なう悪霊追放を「ベルゼブルの業」だと呼んでいますから、「今の時代の人たち」も同様に神に逆らうのです。なお「神に背いた」とある原語は「姦淫の」です。これは字義どおりの意味ではなく、旧約では、神との契約を破り偶像礼拝に陥ったイスラエルの民を「夫を裏切る不誠実な妻」にたとえるところからでています(ホセア1章2節/同4~7節)。なお「神に背いた/姦淫の」は、イエス様語録からではなく、おそらくマタイの挿入でしょう。
【預言者ヨナのしるし】「預言者」はマタイの挿入です。ヨナはニネベの人たちに裁きを警告したのであって、奇跡やしるしを行なっていません。だから、神が遣わした預言者であるヨナ自身が「しるし」なのです。ヘブライの預言者たちは、奇跡を行なうよりも、むしろ様々な象徴的な行為をしたり、幻(まぼろし)を与えられたりします。しかし、そのような象徴行為や幻よりも、民に神の言葉を語る預言者の存在自体のほうが重要です。神は、彼らの業よりも彼らの存在とその言葉を通じて語るからです。ここでも、ヨナ自身が神からニネベに与えられた「しるし」なのです。
[40]【三日三晩】40節はマタイだけで、ここは「ヨナのしるし」に加えたマタイの解釈です。「三日三晩」が2繰り返されていますが、これはイエスが、その死後「三日三晩」墓の中(「大地の中」はこの意味)にいた後で復活したことをヨナが「三日三晩」大魚の腹の中にいた(ヨナ書2章1節)ことと結びつけているのです。マタイはなぜヨナと復活とを結びつけたのでしょうか? これには、列王記上17章でエリヤによってよみがえったやもめの息子が、預言者ヨナであるというユダヤ教の伝承があったからでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)578頁〕。イエスは後に、「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で撃ち殺す」(マタイ23章37節)ような「よこしまな時代」のエルサレムを嘆いています。これに続いてイエスは、エルサレム神殿の崩壊を預言しますが(マタイ24章1~2節)、この預言については、イエスの裁判の時に、二人の証人が「神の神殿を打ち壊し、三日あれば建てる」とイエスが言ったと証言しています(マタイ26章61節)。これは偽りの証言ですが、この証言は、イエスが、当時のイスラエルの宗教制度を根底から脅かす「しるし」であったことをうかがわせるものです。わたしたちはここに、マタイの言う「ヨナのしるし」の真意を読み取ることができます。神から遣わされた「人の子」イエスが、これを拒否する邪悪な時代にとって厳しい裁きをもたらす「しるし」になるとマタイは指摘しているのです。マタイのこのような「しるし」解釈は、ヨハネ2章18~22節で語られるイエスの復活の「しるし」に通じるところがあります。
[41]ヨナとイエスとでは、一つ大きな違いがあります。それは、ヨナの説教を聴いて、ニネベの人たちが悔い改めたのに対して(ヨナ3章5~10節)、エルサレムは、イエスを拒み十字架刑に処したことです。結果として、ヨナは救いのしるしとなり、イエスは、その復活によって、イスラエルへの裁きのしるしとなりました(使徒2章36節)。41節でイエスはこのことを警告しているのです。ただし、ヨナ書の舞台はアッシリアの都ニネベですから、ここでは異邦人が悔い改めてイスラエルの神に立ち帰ったことになります。イエスの場合も、復活以後に、ギリシア・ローマのヘレニズム世界に福音が広まりました。「裁きの時」とは終末の裁きを指しますから、終末においては、このように、異邦の民とイスラエルの民とは、神の御前でその立場が逆転するのです。異邦人の悔い改めというこのような逆転と、知恵思想がでてくることから、この箇所は復活信仰成立以後の教会による伝承だと見る説もあります。しかし、ユダヤ人と異邦人との逆転はマタイ8章11~12節でも11章20~24節でも語られていますから、41~42節がイエスにさかのぼることを否定する根拠にはなりません〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。なおマタイはルカと違って、ヨナの記事を南の女王の前に置いて、40節とのつながりを保っています。
[42]【今の時代の者たち】ルカ福音書のほうは「今の時代の<者たち>」となっていますが、マタイ福音書では「今の時代」とあるだけです。したがって、ルカ福音書では「彼らを罪に定める」ですが、マタイ福音書では「これ(時代/世代)を罪に定める」です。「この世代を罪に定める」〔岩波訳〕。どちらがもとの形なのか確かではありません。なおここでは、南の女王がソロモンの知恵を「試すために」来たことがファリサイ派たちと比較されています。ただし、その結果女王はソロモンの知恵に信服しましたが、ファリサイ派と律法学者たちはイエスとその知恵を拒否したのです。
【ソロモンの知恵】ここでのソロモンの知恵を「地上的な」知恵として、これをイエスの「天上的な」知恵と比較対照する解釈があります。しかしこの解釈は必ずしも正確ではありません。ここでは、知恵が邪悪な者たちに理解されずに、その結果彼らが、逆に知恵によって裁かれ罪に定められることが語られています。知恵が迫害され、迫害した者たちが知恵によって裁かれることはイエス様語録の解説で指摘しました。イスラエルの知恵がほんらい「地上的」であるという指摘それ自体は決して誤りではありません。賢者/知恵者は、その知恵を<現在この地上で>所有し、その知恵の栄光を地上において現わすからです。大事なことは賢者の知恵が、彼が地上に存在する、しないにかかわらず、永遠に失われないとされていることです。この点で知恵思想は、終末の裁きにおいて初めてその栄光が顕現するという黙示思想とは異なるところがあります。イエスが、ソロモンの知恵にまさるものが、「すでに今ここにある」と言うのは、彼の伝える神の国が、終末において初めてその栄光を顕わす/成就するだけでなく、イエスの存在を通して、すでに今ここで働いていることを示唆していることが分かります。
 
■マルコ8章
 イエス様語録では「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」とあります。これはルカ福音書(11章29~30節)からの復元ですが、一方、マルコ福音書8章12節には「決してしるしは与えられない」とあって、「しるし」がはっきりと拒否されています。イエス様語録=ルカ福音書とマルコ福音書と、どちらがほんらいのイエスの言葉なのか? これが問題になります。これについて三つの説があります〔ルツ『マタイ福音書』〕。
(1)ルカ11章29~30節全体がほんらいの形である。
(2)ルカ11章29節がほんらいの形であり、これに同30節が後で加えられた。
(3)マルコ8章11~12節がほんらいの形である。
 マルコ福音書に従うとするならば「しるしは与えられない」ことになり、これに対する例外として、ルカ11章29~30節の「ヨナのしるしのほかには」以下がマルコ福音書8章12節に後から付加されたことになります。ルカ11章30節は、ほんらいこれだけで独立した伝承であったと思われますから、この解釈では、「ヨナのしるし」が例外としてマルコ福音書8章12節のイエスの言葉に加えられたことになりましょう。
 このように、イエスの言葉は、「しるしは与えられない」と「ニネベの人たちへのしるしのように、人の子も今の時代にしるしとなる」と、この両方があり、マルコ伝承とイエス様語録とにそれぞれ別個に伝えられていたことになります。マルコ福音書には、ファリサイ派が「議論/論争をしかけた」とありますから、イエスは、敵対する律法学者やファリサイ派に向かって「あなたたちにしるしは決して与えられない」と告げて、彼らへのしるしを拒否したのです。その一方で、弟子たちや周囲の人たちには、人の子は、「ヨナがニネベの人たちへのしるしとなったように」しるしとなることを告げていたのでしょう。それだけに、「ヨナのしるし」の意味が改めて問われることになります。マタイは、この点に配慮して、彼の解釈を加えてその意味をはっきりさせようとしたのです。
 ところでマルコ福音書6章30節~8章10節の間のイエスの足取りは、ガリラヤとその東方のベトサイダ、シリア・フェニキア、ティルス、デカポリス、そして位置不明のダルマヌタ(ガリラヤ湖の東岸にある場所か?)と複雑です。カファルナウムを中心にして見るならば、はるか西北の地中海沿岸地帯(ティルスとシドン)から、今度は大きく迂回してガリラヤ湖南東のデカポリス地帯へ回り、そこから再びガリラヤ湖西岸のゲネサレトへ戻ります。マルコ福音書にはでてきませんが、マタイ福音書では(16章13~20節)、イエスはさらに、カファルナウムからヨルダン川に沿って北上し、フィリポ・カイザリアまで別個の旅をしていたことになります。
 マルコ福音書では、その間に5000人の人たちへの供食と4000人の人たちへの供食が行なわれて、その直後に今回の記事が来ます。したがって、今回の箇所は、ガリラヤとその周辺への伝道の最終段階の出来事だと考えられます。2度も大きな奇跡を顕わした後で、なおも「しるし」を求めるのは、ここで言う「しるし」が通常の奇跡のことではなく、出エジプト記のモーセやエリヤのような(列王記上18章25~40節)「天からの」特別のしるしであることを思わせます。この段階でイエスは、ファリサイ派に代表されるガリラヤの敵対者たちと訣別します。8章13節にイエスが「彼らをそこへ置き去りにして立ち去った」(原語の意味)とあるのはこのことを指すのでしょう。
[11]【ファリサイ派の人々】このファリサイ派の人たちは、エルサレムから派遣された人たちではなく、地元のガリラヤで律法の指導に当たっていた人たちのことでしょう。マルコ福音書ではファリサイ派が11回登場しますが、そのうち2場面は律法学者と共に(2章16節/7章1節と5節)、2回はヘロデ党(3章6節/12章13節)と共にでてきます。すでに2章16節に見るように、彼らは終始イエスの働きに敵対していました。
【議論をしかけた】これはマルコだけです。原語は「議論」と「論争」の両方の意味を含みますから、彼らは、「しるし」が与えられることはまずないだろうと見て、イエスを陥れようとして(「試みる」の意味)難題を持ちかけ、できればイエスへの民衆の支持を失わせるねらいがあったのでしょう。
[12]【深く嘆いて】これもマルコだけです。原語は「呻くように深くため息する」です。「心の中で」の原語も「霊において」ですから、イエスの霊が激しく嘆き呻いていたことを表わします。神の力を「試そう」とする人間に対して、神は応じることが「できない/してはならない」のです。
【どうして・・・】この疑問の形も、続く「アーメン、あなたたちに言う」(原文)もマルコだけです。イエスは彼らには絶対にしるしを与えないのです。
【与えられない】原文を直訳すれば「もしも~与えられるとすれば」ですが、ここは仮定ではなく、ヘブライ語「イム」の用法から出たギリシア語です。「イム」は、「もしも~だったなら/絶対にそのようなことはありえない」の意味で、これは誓いの言葉として強い否定を表わします。「この時代の人に徴が与えられるものか」〔塚本訳〕。この言い方もマルコだけです。
 
■ルカ11章
[16]ルカ福音書ではこの11章16節が、イエスの悪霊追放の記事の直前に置かれています。用語はマルコ福音書8章11節に近く、この部分は、マルコとルカとがそれぞれ別個に所有していた資料が、共通する伝承から派生したことを思わせます。「天からのしるし」を求める「者がいた」とありますが、これは悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出しているとイエスを中傷した人たちとは異なる「ほかの人たち」のことです。この人たちは、イエスの行なう悪霊追放だけでは、イエスの働きが神からでていると判定するにはまだ不十分だと考えたからでしょう。しかしイエスは、「神の指で悪霊を追い出す」こと以上のしるしは要らないと戒めているのです。
[29]~[30]「群衆の数が~話し始められた」は、おそらくルカの編集です。ほんらいの書き出しであった11章16節の代わりにここを加えたのでしょう。なおマタイ福音書には「よこしまで<姦淫の>時代」とあります。もしも「姦淫の」がイエス様語録にあったのだとすれば、ルカがこれを省いたことになります。この場合、ヘレニズム世界の人たちには、「姦淫の時代」の意味が理解できないからでしょう。また、ルカ11章30節はマタイ12章40節とは異なっています(マタイでは「三日三晩」がでてきます)。ルカ福音書のほうがイエス様語録に近いでしょう。
【しるしとなる】ルカ福音書では「人の子が~しるしとなるであろう」と未来形になっているのが、「人の子」との関係で注目されます。イエスが自分を人の子と重ね合わせていたのは確かです。しかし、人の子とイエスとの同一関係は必ずしも明確ではありません。イエスにとって、人の子は未来に顕現する者でもあるからです。だから、ここで言う「ヨナのしるし」も、終末における人の子イエスの顕現と裁きを指す、あるいは十字架以後の復活を指す、あるいはイエスの昇天を指す、などの諸説があります。いずれにせよ、ここには、ダニエル書7章13~14節に代表されるダヤ黙示思想の「人の子」が反映しているのは確かです。ヨナがしるしと「なったちょうどそのように」とあるのは、単なる未来の出来事だけでなく、現在イエスが行なっている働きをもしるしの中に含めていると見ることができましょう。イエスの伝える神の国は、未来に成就するとは言え、現在においてすでにその力を発揮しているからです。
[31]~[32]マタイ福音書とルカ福音書とでは、二つの事例の順が逆になっていますが、これはルカのほうがほんらいの順で、マタイはヨナと関連づけるために順序を逆にしたのです。
【今の時代の者たち】マタイ福音書とマルコ福音書では「今の時代」ですが、ルカ福音書では「今の時代の<人たち>」です。ヘレニズム世界では、このほうが分かりやすいからでしょう(したがって、ルカでは「これを裁く」ではなく「彼らを裁く」です)。「南の女王」を先にだすことで、ヨナの事例も知恵思想から見ていることが印象づけられます。イエス様語録の人たちは、イエスを「イスラエルの賢者」として崇める傾向がありました。ダニエル書や『第一エノク書』や知恵の書では、賢者もまた預言者と同様に、神から遣わされ、この世において迫害を受け、昇天して、悪人たちをはじめ人々に顕現し、裁きを行なう/裁きが行なわれるのを観るのです。
【一緒に立ち上がり】この言い方は、ヘブライ語の「共に立ち上がる」の用法から出ていて、ヘブライ語では、これだけで「裁く/訴える/非難する」ことを意味します。しかしこれだけは分かりにくいので、「罪に定める」が後から加えられたのかもしれません。なお「立ち上がる/起き上がる」は、「よみがえる/復活する」の意味をも含みますから、ここでは、終末での人々の復活が示唆されているという説もあります。
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