93章 種蒔きの解釈
マルコ4章13〜20節/マタイ13章18〜23節/ルカ8章11〜15節
【聖句】
マルコ4章
13また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。
14種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
15道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
16石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
17自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
18また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、
19この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
20良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
 
マタイ13章
18「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
 
ルカ8章
11「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。
12道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
13石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
14そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
15良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
 
                       【注釈】 
【講話】
聖書の譬え
 
すでにお話ししたように、今回の譬えの解き明かしでも、人と種と蒔かれる土地との譬えのつながりが論理的に一貫していません。これは、聖書の比喩の構造が、ギリシアやローマに始まる西欧の比喩構造とは違っていて、アジア的な文化圏から出ているからかもしれません。日本の比喩/譬えの構造も欧米の譬えとは違っていますね。特に、禅の公案などは、欧米の論理では全く理解不可能です。京都の妙心寺にある退蔵院に瓢鯰(ひょうねん)図という国宝級の掛け軸があります。口の小さな瓢箪の中に鯰(なまず)がひとりでに入るように
するにはどうすればよいのか?と言う禅の公案を画にしたものです。その画には禅僧たちのいろいろな答えが書いてあって、中には「誰にも分からない」などというのもあります。こんな譬えは、欧米流の比喩の論理ではどうにもなりませんね。聖書の世界は、極西アジアの世界です。
■わたしの場合
 ここには、実を結ぶ人を含めると、神様の御言葉を聞く四つの場合があげられていて、これらのそれぞれにイエス様の解き明かしが加えられています。しかし、わたしの見るところ、解き明かしは要するに一つのことを教えているように思われます。「御言葉」、これは単数で福音と同じ意味ですから、イエス様ご自身のことですね。この御言葉、自分に与えられたイエス様の御言葉に従うのを止めないこと、どこまでもイエス様の御霊に留まり続けること、このために祈りを絶やさないこと、これです。鳥も石地も茨も、この一事を妨げようと働きかけてくるのですから。
 だから、一つ一つの場合を採りあげて、これは例えばこういうことですなどと、それぞれについて事例をあげてもあまり意味がないように思います。なぜなら、鳥も石地も茨も、決して一つの場合ではなく、食べる鳥の種類も百あれば、根が枯れる場合も百あり、茨に塞がれる例も百あるからです。集会に来ない理由は百ありますが、来る理由は一つだけで、御言葉を聞くためです。大事なことはイエス様に「聴き従う」こと、これだけです。ですから、ここで、一つ一つの譬えにわたしなりの解釈を加えることをしないで、わたし自身が歩んできた道を、そのままお伝えしてご参考にしていただこう。こう思います。
■敗戦の体験
 わたしは、太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)8月15日、旧制中学の1年生でした。ちょうど夏休みの最中のことで、2学期が始まって学校へ行くと、学校の様子がすっかり変わって、先生方も生徒にどのように対応すればよいのかずいぶん迷っておられる様子でした。それから始まった授業は驚くことばかりでした。今まで習ってきた歴史の教科書のあちこちを墨で塗り潰すよう指導されたのです。先生が教化書をめくりながら、ここも塗りつぶせ、あそこもダメという具合です。
 中学1年生のわたしにとって、1学期までは、教科書は絶対的な権威でした。それがわずか一月後には、1頁に何カ所も黒々と塗りつぶされたのです。教科書は価値観の象徴でした。軍隊も国家も学校も、それまで教えられ信じてきた価値観も、突然に全部崩壊したのです。それだけでなく、それまで隠されていた軍隊や戦場や、政治や社会の醜い実体が、映画になり新聞記事になって中学生のわたしの目に飛び込んでくるようになったのです。わたしは、国家とか学校とか新聞とかが、いかに当てにならないものか、真理だ権威だと威張っていたものが、いかにもろいものか、これを身をもって体験したわけです。これはわたしに消しがたい体験として遺りました。
■牧師の道に挫折する
 大学に入ってからも、この体験は続きました。わたしは大学の1回生の時に宣教師さんの教会に通って、2回生の時に洗礼を受けました。そして、大学を出て半年ほどで、宣教師さんの勧めもあって、教職を辞めて伝道と牧会の仕事に献身しました。今思えば、異言体験が与えられたことが、伝道者として献身する大きな理由の一つだったと思います。わたしは伝道者として、また牧師として当然のこと、すなわち、多くの信者を集めて教会堂を建てることを目指していました。
 しかしながら、宣教師さんと共に働き、その通訳をしているうちに、彼らのメッセージと信仰の内容にどうしても納得できないところがあることに気づき始めたのです。宣教師さんたちが、仏教や神道など、伝統的な日本の宗教や文化を根底から否定するメッセージを語っていたからです。それだけでなく、プロテスタントの立場から、カトリック教会さえも「悪魔」と見なしていました。
 ついにわたしは、彼らから別れて独立の伝道を始めました。しかし伝道はなかなかうまくいきませんでした。理由は幾つかありますが、今思えば、キリスト教の福音とはいったい何なのか?という根本的な疑問がわたしの心の底にくすぶっていたからだと思います。わたしが大津にいたときに、そこに井上さんというまだ30歳代の伝道師がいました。彼は独特の霊能を有する人で、祈ると知っている人が現われて、その人の本性が見えてくると言うのです。ある日、彼がわたしのところへ来て、「実は、祈っているとあなたの姿が見えた」と言うのです。そして彼は、「私市さん、あなたはほんとうに真理を求めている人ですね」と言ったのです。彼はまた、「わたしはあなたが、真っ黒な雲の中へ突っ込んでいくのを見た」とも言いました。この預言を聞いたときは、なんだか妙な気持になりましたが、今でもはっきり覚えています。
 宣教師さんたちとも分かれ、伝道者としてもうまくいかず、生活苦に悩まされて、わたしはついに伝道と牧会に挫折して、教職に復帰して、自分の家庭で集会を始めからやりなおすことにしました。だからわたしは、牧師としても伝道者としても、失敗者です。大勢の人に伝道して、立派な教会堂を建てて、教団を指導するというわたしの夢は絶たれました。これに成功して、立派な牧師、多くの人たちを導く伝道者になった方々がおられますが、わたしはそれがいかに大変な仕事であるか、これに成功することは主のお導きなしにはできないことをよく知っています。同時にわたしは、自分がほんとうに願っているのは、どうもそういうことではないような気がしていたのは確かです。
■霊能の伝道を離れる
 わたしは大学に身を置きながら、英文学を研究し、同時に聖書を学び、細々と集会を続けていました。今思えば、この時代に身につけた英文学の研究方法と大学での授業とが、現在のわたしの聖書の講話と注釈の方法に活かされているのを知るのです。
 そんな時に、わたしが出版した『聖霊に導かれて聖書を読む』と『これからの日本とキリスト教』とが、出版社や新聞社の目に留まり、過分の評価をいただいて、ある雑誌に連続して寄稿する機会も与えられました。同時に霊能的なみ業も現われて、人々が日本の各地から集会に来るようになりました。これはわたしにとって驚きであり、主からの大きな恵みであり賜であると思われました。その時に知り合った方々は、今でも替え難い信仰の友として交わりを続けています。
 しかし、雑誌に寄稿し、霊能的な集会を持ちながらも、わたしには、それが自分のほんとうに願っていることではないような気がしていたのです。霊能はすばらしいし、著作活動も立派です。これらが主からの賜であるのは間違いありません。それでも、ほんとうのイエス・キリストの福音とは、こういうものではないのではないか? 何か別にある。そんな思いがつきまとっていたのです。霊能のすばらしさと同時に、その危険性に気づいたのもその頃のことです。
■失敗した人たち
 伝道にも失敗し、牧師にもなれず、聖書を信じる神学にも行き詰まって、わたしはただ祈ることしかできませんでした。「実を結ぶ」ことが、目に見える様々な形となって成功する事であるのならば、わたしは実を結ぶことができませんでした。少なくともそう思っていました。ところがその頃から、自分と同じように、教会生活に挫折し、伝道にも失敗し、信仰的にも神学的にも行き詰まっている人たち、そういう人たちと、メールを通して、あるいは出会いを通じて知り合うようになったのです。これには、わたしが唯一つ自分の有り様を伝えるために立ち上げたホームページが役立ちました。ホームページとメールを通じて、自分と同じような状態に置かれているクリスチャンたちが、いかに大勢いるのかをわたしは身をもって知るようになったのです。立派な牧師や伝道者たち、成功した教会や教団の指導者たち、このような人たちの陰に、「そうでない」人たちが大勢いる。このことがわたしにだんだんと分かってきたのです。
 わたしが彼らのためにできることは、ただ祈ること、それだけでした。たとえ挫折しても、誘惑に負けても、茨に塞がれても、石地の心でも、悪意の鳥に襲われても、その結果「実を結ぶこと」に失敗しても、祈り続けること、これが大きな恵みと祝福をもたらすことをわたしは知るようになりました。なぜなら、そのような状態にある者にもイエス様は共にいてくださる、このことが分かってきたからです。これは大きな「発見」でした。わたしは初めて、イエス様が復活して、「このような」わたしたちためにも御臨在くださることを知るようになったのです。なんにもなくても、イエス様だけは共にいてくださる。このことを発見したのです。わたしは初めて、キリスト教とはこういうものか、「よい知らせ」と呼ばれる福音とはこれなんだ、と知らされたのです。聖書が伝えようとしている「真理」の意味が、ようやくわたしにも、おぼろに見えてきたのです。
■御霊の実
 どんな失敗者でも、どんなに挫折しても、たとえどんな泥沼状態に陥っても、イエス様はその人と共にいてくださる。わたしは今、確信を持ってこのように言うことができます。たとえどのように惨めな境遇にあっても、そこにイエス様が訪れてくださること、これがイエス様の御霊の御臨在です。どのような状況にあっても、そこにイエス様の愛と喜びと平安とが訪れてくれること、これが、クリスマスの馬小屋が伝える真理です。御霊の実の種類は「愛と喜びと平安」で始まります(ガラテヤ5章22節)。このような実は、復活したイエス様の御臨在と同じように、奇跡に等しい不思議です。誰でもが結ぶことのできる、どんな状態にあっても失われない、それは不思議な「実」なのです。
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