94章 成長する神の国
マルコ4章26〜29節
【聖句】
マルコ4章
26また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
27夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
28土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
29実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
【講話】
今回の譬えは、ごく小さなもので、マルコ福音書だけに出てきます。でも、わたしは、この譬えがとても好きです。また、すごく大事な譬えで、わたしが信じている御国を譬えるのにぴったりです。この譬えは、読みようによっては、人間はなんにもしなくても、神の国が「ひとりでに」育ってくれるようにも聞こえますが、譬えのポイントはそうではないでしょう。「どうして育つのか分からない」とありますから、神の国の成長は、人間の理解を超えた不思議な出来事なんです。神様のお力がいかにすごいか、譬えはこれを表わしています。あえて言えば、譬えのポイントは三つあると思います。
(1)神の国は、イエス様によっていったんこの地上に蒔かれると、後は確実に成長していくことです。神の国はイエス様の到来によって始まりました。ナザレのイエス様が居られるところ、そこに神の国が臨在して働いたのです。福音とはこのイエス様の御臨在のことです。
けれどもこのイエス様の御臨在を通して働く御国は、弟子たちや周囲の人々には理解されませんでした。目に見える人間イエスに目を奪われてイエス様の霊性を悟ることができなかったからです。また、イエス様の霊性が、それまでの伝統的なユダヤ教の教えから見れば、飛び抜けた普遍性を宿していたからです。このイエス様が受難を経て復活されて初めて、弟子たちはイエス様の御霊の御臨在を通して、イエス様の霊性に触れることができるようになったのです。ナザレのイエス様の霊性が、イエス様を信じる一人一人にも与えられることを知ったのです。御復活はこの世の力に勝利した証しです。「あなたがたはこの世では悩みが多い。でも元気を出しなさいよ。わたしはすでに世に勝っているのだから」(ヨハネ16章33節)。こうイエス様が言われたのはこのことです。
様々な困難や迫害や悪い者による妨げが次々と襲うでしょう。それでも大丈夫。神様の御言葉、すなわち「イエス様」という「御国の種」は、すでに蒔かれたのです。ここから芽生えて育つ御国は絶対に枯れません。たとえ天地が過ぎゆこうとも、神様の御言葉とその御国が過ぎ去ることがないのです。弟子たちが勝利したのではない。イエス様が勝利されたのです。わたしたちが自力で勝ち取ったのではない。御国は、人間的な努力や計らいで成長するものではないのです。同じように、御国は、人間的な妨げや陰謀に負けることもないのです。キリスト教は、300年に及ぶローマ帝国の迫害に耐え忍びました。16世紀に日本に伝わったキリスト教信仰は、260年に及ぶ徳川幕府の迫害にも耐えて生き残ったのです。
(2)御国の成長は「密かに」起きることです。「いつの間にか」人々に伝わるのです。これが御国の特長です。わたしたちのコイノニア会はなきに等しいミクロな集会です。でも、御臨在さえ働いていれば、決してなくなることがないのです。集会全体としても、一人一人にとっても、何をやっているのか自分でもよく分からない。信仰生活において、こんな気持ちになることがよくあります。それでもあきらめないで、シコシコとやっていけば、「いつの間にか」日本のあちこちに伝わって、ああ、こんなにいろいろな人たちが分かってくれるのかと驚くのです。これが「エクレシア」です。イエス様の御霊にある真の「教会」です。エクレシアにミクロもマクロもないのです。ミクロが何時かはマクロにつながるからです。
(3)御国は、突然やって来るのではありません。この地上において、徐々に、しかし確実に<成長していく>のです。しかも、御国の成長は、この地上に留まるのではありません。それは、現在の「この世」を超える永遠性を宿しています。エクレシアの列車に乗り込むのに、身の回りのものさえあれば、余計な荷物は要りません。身軽になって、ただその日一日を生きていく。その時々に、なすべきことをしていく。それだけです。「この世」は過ぎ去ります。何時かは分かりませんが終末が訪れます。「終末」も人知れず、そっとやってくるかもしれませんよ。「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです」(第一テサロニケ5章2節)とありますからね。その時が御国の「完成する」時です。人類に歴史があるように、人類を含む宇宙にも神様の歴史があるのです。今は「まだ」そこまで行っていません。でも御国はこの地上で、人知れずに「すでに」始まっています。この御国は、「必ず」完成します。だから安心して神様にお任せしましょう。大丈夫です。
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