101章 イエスの名声とヘロデ
マルコ6章14〜16節/マタイ14章1〜2節/ルカ9章7〜9節
【聖句】
マルコ6章
14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。
16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。
マタイ14章
1そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、
2家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
ルカ9章
7ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、
8「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。
【講話】
■人々の戸惑い
ここのところは、マルコ福音書とマタイ福音書では、洗礼者ヨハネの殉教と結びついています。けれども、ルカ福音書では、洗礼者ヨハネの殉教と直接結びついていません。だからここは、ほんらい、洗礼者ヨハネの殉教とは別個の伝承ではないかと言われています。こういうわけで、今回は、ここだけを採りあげました。この次に洗礼者の殉教について学びたいと思います。
今回の所では、ヘロデの口を通して、洗礼者ヨハネとイエス様とは、どういう関係なんだろう? ということが問題になっています。実はこれは、ヘロデだけのことではなく、イエス様の当時のいろんな人たちの間でも噂(うわさ)になり、この問題は現在でもまだ続いています。これは、ただ二人の関係だけでなく、いったいイエス様とはどういうお方なのだろう? ということにも及んできます。したがって今回は、わたしたちも、いったいイエス様とはどういう方だろう? これを考えてみたいと思います。
ヘロデ・アンティパスは、自分が殺した洗礼者ヨハネとイエス様とは、どうつながっているのだろう? イエス様は洗礼者ヨハネの「生き返り」だろうか? 噂を聞いて、こういう疑問を抱いたとあります。ある人たちは、イエス様には、エリヤが生き返って働いていると言います。エリヤは生きたまま天にあげられた預言者です。あるいは、預言者だと言う人たちもいます。だから、イエス様と同時代の人たちは、いったいイエス様とはどういう人なんだろうと、考えたり戸惑ったり、いろいろ噂していたわけです。この点では、弟子たちも同じで、彼らもまた「この方は、どういう人なんだろう?」と驚いたり、戸惑ったりしていました。だから「戸惑った」のは、ヘロデだけでなく、ペトロもヨハネも、ほかの弟子たちも同じです。イエス様の敵対者であろうと、弟子であろうと、為政者であろうと、イエス様を見知っている人たちであろうと、知らない人たちであろうと、みんなそれぞれに、戸惑ったり、いぶかったり、驚いたりしていた様子が分かります。だから、ここで語られるヘロデの疑問と戸惑いは、当時の人たちの誰もが抱いていたのです。
■御復活以後の15年
ところが、イエス様が十字架されて、御復活されてから初めて、イエス様はものすごいお方だったのだ、と言うことがだんだん分かってきたのです。イエス様が救い主(キリスト)だということが分かったのです。でも、この段階でもまだ、救い主イエス様はどういう方なのだろう? 御復活のイエス様の御霊のお働きです、これが、どういう意味を持っていて、どこへ向かおうとしているのか? これがはっきりしていたわけではありません。
イエス様の十字架と御復活が30年だとすれば、それ以後の15年間ぐらいは、イエス様のことは口頭伝承で伝えられていました。この段階では、イエス様の出来事それ自体も、まだはっきり確定されていたわけではありません。この15年間は、イエス様を知るとても大事な時期なんですが、書かれた記録としては残されていません。わずかにイエス様語録ぐらいが、45〜50年頃に、ようやく文書化された程度です。だから、イエス様の御霊のお働きも、そのほんとうの意味が、まだはっきりとは掴めていなかったのです。文書としては、イエス様語録以外に、53〜57年頃に書かれた一連のパウロ書簡、第一テサロニケ人への手紙やガラテヤ人への手紙やフィリピ人への手紙や第一と第二のコリント人への手紙やローマ人への手紙、フィレモンへの手紙などが残されていますが、それ以外には知ることが難しいのです。
■ユダヤ教ナザレ派
だからイエス様の御霊のお働きもいろいろに解釈されました。御霊のお働きで大きな問題の一つは律法と福音との関係です。これはパウロのガラテヤ人への手紙に出てくる問題です。ユダヤ教の律法とイエス様の御霊のお働きとの関係です。イエス様の御霊は、伝統的なユダヤの律法を厳守せよと言われているのか? それとも、律法から自由になってもいいと言われているのか? さあ、ここのところが問題でした。
パウロは、福音は律法から自由であると主張していたのですけれども、イエス様の弟のヤコブは、この人は当時のエルサレム教会の指導者だったのですが、彼は、イエス様の御霊は、ユダヤの伝統的な律法を厳守することを求めておられる、だから、異邦人がキリスト教徒になった場合は、ユダヤ教の割礼を受けなければならない。こう教えていたと思われます。当時のユダヤ人キリスト教徒の大部分は、こういう考え方をしていたと言っていいでしょう。だから、この点では、パウロやシルワノスは、少数派だったことになります。
イエス様をメシアだと信じる人たちは、ユダヤの人たちから「ナザレ派」と見なされていましたから、これはまだ「キリスト教」とは言えません。ユダヤ教の中では、ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派などと並ぶ新しい「ナザレ派」にすぎなかったのです。言わば、ユダヤ教の一派です。このナザレ派の中心人物が、イエス様の弟のヤコブでした(ゼベダイの子の使徒ヤコブのことではありません)。彼は律法を固く守ったので、「義人ヤコブ」と呼ばれていましたが、62年に殉教します。最近(1995年頃から)、主としてユダヤ系の学者の間から、この義人ヤコブこそ、エルサレムの教会を指導したキリスト教の本流であるという主張がなされています。だから、パウロと義人ヤコブとはずいぶん違っていて、律法問題を巡る両者の解釈の開きの間に、イエス様の御霊のお働きについて様々な立場の人がいたのです。でもこれは、現在でも変わりません。
■四福音書成立
ところが、ユダヤ戦争でエルサレムの神殿が崩壊して、ユダヤの国が滅亡するのとほぼ同じ頃に(70年)、イエス様の御霊のお働きが、どういう事を意味するのかが、教会の人々にはっきり見えてくるようになりました。この頃に、マルコ福音書(70年頃)、マタイ福音書(80年頃)、ルカ福音書(90年頃?)、ヨハネ福音書(95年頃?)が書かれます。だからこの段階で、ユダヤ教の一派だと見なされていた「ナザレ派」から、はっきり区別された「キリスト教」が誕生してきます。この頃から、イエス様の御霊のお働きは、ユダヤ人も異邦人も全く区別なしに与(あずか)ることのできる福音だということが、キリストのエクレシアの人たちにはっきり自覚されるようになったのです。神殿の崩壊とユダヤの国の滅亡によって、それまで見えなかったイエス様の御霊の歩みがはっきり見えてきたのです。
洗礼者ヨハネとイエス様との関係から、話が逸(そ)れてしまいましたが、実は、この頃になって初めて、二人の関係も、福音書の記者たちにはっきりと見えてきました。だから、マルコ福音書の冒頭に「神の子イエス・キリストの福音の始め」とあって、直ぐその後に、洗礼者ヨハネの記事がでてきます。しかし、彼はイエス様の「師」ではなく、イエス様の福音伝道の「先駆け」です。ヨハネ福音書では、二人の関係は、花婿とその友人として、いっそうはっきりと表わされています(3章27〜29節)。
特にヨハネ福音書では、イエス様は、単なる人間ではない。その内に天地をお造りになった神御自身が宿っておられたことが、冒頭に謳(うた)われています。これは、ヨハネ福音書だけでなく、ヨハネ福音書より少し以前に書かれたコロサイ人への手紙やエフェソ人への手紙(どちらも80年代)でも同じです。万物をお造りになった神の御子イエス・キリストとして、イエス様のことが語られています。さらに、これらとほぼ同じ頃のヘブライ人への手紙では、イエス様の霊性は、旧約聖書の成就として、永遠の大祭司であり、万民の贖い主であることが記されています。
■新たに啓示されるイエス様
このように、イエス様と同時代の人たちには分からなかったことが、40年ほど経って初めてはっきり見えてきたのです。40年という時間を長いと見るか、短いと見るか、意見が分かれると思いますが、わたしに言わせると絶妙のタイミングです。今78歳のわたしですが、40年前の38歳の頃の出来事を今でもはっきり覚えています。福音書の時期には、イエス様と同時代の人たちもまだ生きていたのですから、四福音書の記述は、十分信憑性を帯びています。最初期の口頭伝承でさえも、現代のわたしたちが考えるよりは、はるかに正確で、出来事の本質をみごとに見抜いています。このように、ナザレのイエス様の出来事が、まだはっきりと記憶されているその時期に、四つの福音書が書かれ、しかも、イエス様と同時代の人たちが見ていた「人間」としてのイエス様ではなく、そのイエス様に宿って働いていておられた神の御霊のお働きと、そのお働きの意義までが啓示されて、認識されるようになったのです。
40年も経っているのなら、福音書が伝えるのは、ほんらいのイエス様の姿とは違っているのではないか? あるいは、歴史的なイエスと福音書が伝えるイエス様とは別人ではないか? こういう疑問が現在でも出されています。同じことが、洗礼者ヨハネとイエス様との関係でも言えます。イエス様の頃の人から見れば、洗礼者ヨハネのほうがイエス様の先生で、イエス様は洗礼者の弟子だと思っていた人たちがいたかもしれません。二人が地上から召された後でも、洗礼者ヨハネの宗団の人たちは、おそらくそう思っていたでしょう。
しかし、時の経過と共に、イエス様の出来事について、それまで見えなかったことが見えてきたのです。あるいはイエス様の出来事が、それまでとは違った姿を顕わし始めた、こういう事が起こるのです。先に、新しいものと古いものとを分ける学者の譬えでもお話ししましたね。「温故知新」(古いことから新しいことを見る)ではなく、「知新温故」(新しいことから古いことを見る)のほうです。だから、御復活のイエス様の御霊は、それ以後も歩みを止めることなく、2000年の歴史を刻んで現在のわたしたちのところへ来られています。その間に、三位一体の教義ができたり、宗教改革があったり、実にいろいろな事がありました。しかし、そういう歴史の歩みだけではない、もっと広くて、はるかに長い、人類の霊的な歩みそのものも、イエス様の御霊に含まれているのです。
■聖書が伝える信仰
四福音書は、科学の書でもなければ、歴史的文書でもありません。聖書は信仰の書なのです。マルコ福音書が伝えようとするのは、イエス様によって起きる出来事を連続する「神の時」の「神の出来事」としてこれを物語ることなのです。ヨハネ福音書では、イエス様の物語は「祭儀的な」時間で語られています。だから、過去と現在と未来とが重なり合うのです。このような信仰的な語り方は、いわゆる資料に基づく歴史的な考え方によって書かれたものではありません。だから、史的イエスと福音書のイエス様とが違うために起こる「信仰の危機」も、聖書が霊的な「信仰の書」であることを見過ごすことから生じています。
イエス様の御霊は、従来の自然科学では説明できません。また従来の歴史学からも見えてきません。これからは、心霊学(心理学)や宗教学や人類学が進んで来ると思いますが、それでも、なかなか見えてこないでしょう。だからといって、学問的なことを軽んじてはいけません。それどころが、今はまだでも、将来、自然科学、例えば量子物理学や宇宙物理学、あるいは宗教学や文化人類学が発達してくるにつれて、イエス様の御霊のお働きについて、もっといろいろなことが解明されてくると思います。それにつれて、ナザレのイエス様の出来事の解釈もその姿を変えてくるでしょう。
ヘロデと同じように、現在の人たちも、イエス様のことをいろいろと噂しています。出来事にはいろんな見方がありますからね。生物学的に見れば、イエス様は肉体を具えた人間です。これは自然科学的な見方です。歴史的に見れば、2000年前のナザレのイエスです。これがいわゆる史的イエスです。
しかし、聖書の伝えるナザレのイエス様は、神からの霊性を宿したお方なのです。その神の霊のお働きには、旧約時代と新約時代だけでなく、古代からの人類の宗教的霊性と、これからも続くであろう人間の宗教性が含まれます。しかも、これらをも含めても、なおその上に、宇宙を創造し続けておられる神からの啓示としての「ナザレのイエス様」がおられるのです。わたしが常々言う「イエス様の霊性」です。このイエス様の御霊は、ラテン語で言えば「スピリトゥス・クレアートール」"Spiritus Creator" 、「創造者の聖霊」です。この御霊は現在もわたしたちを通して働いていてくださいます。「ナザレのイエス様」が御霊として御臨在くださるからです。だからわたしたちも、このイエス様の御名によって祈ることができるのです。
祈りと御言葉と賛美、これに伴う御臨在とわたしたちの交わり、これが福音の原型です。これに最小限度の洗礼と聖餐の二つが加われば、イエス様のエクレシアが立派に成立します。
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