【注釈】
■マルコ6章
〔ヨセフスの記事との比較〕マルコ福音書での洗礼者ヨハネの殉教記事を扱う前に、ヨセフスが、その『ユダヤ古代誌』で語っていることを簡単にまとめておきます。
 ヨセフスによれば、洗礼者ヨハネは、ユダヤ人に対して、徳を実践し正義を求め、神への敬虔を実践するために洗礼を受けるよう説いていました。彼が教える洗礼とは、「犯した罪の赦しを得るためでなく、霊魂が正しい行ないによってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だった」からです。しかし、大勢の人たちが彼の周囲に集まるにつれて、ヘロデ・アンティパスは、洗礼者の影響力が騒乱を起こす引き金になることを警戒して、革命が起こって窮地に立たされる前に、「反乱の先手を打って」洗礼者を捕らえ、マケラスの砦で鎖につないでから、彼を処刑しました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻5章2節〕。
 なお、ヨセフスによれば、この出来事に先立って、ヘロデ・アンティパスは、妻であったアレタ王の娘と離別して、アンティパスの異母兄弟であるヘロデの妻ヘロディアと恋に落ち、彼女と再婚しました。彼の先妻との離婚が原因となって、ヘロデ・アンティパスは、先妻の父アレタス王の怒りをかい、両者の間で戦争が起こり、アンティパスが敗れました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻5章1節〕。これを聞いた人々は、ヘロデ・アンティパスが、先妻の父アレタス王と戦って敗れたのは、亡くなった洗礼者ヨハネが、彼に復讐したからだと噂したと伝えています。なお、ヨセフスは、再婚したヘロディアの連れ子である娘の名前が「サロメ」であることも伝えています〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻5章4節137〕。ちなみに、ヘロデ大王の妹にも「サロメ」がおり、また、イエスの十字架刑を見守っていた女性の中にも「サロメ」がいますから(マルコ15章40節)、これらのサロメと区別してください。
 以上で分かるように、マルコ福音書とヨセフスとでは、洗礼者ヨハネの殉教記事に幾つかの違いがあります。
(1)マルコ福音書によれば、洗礼者ヨハネが処刑されたのは、彼がヘロデとヘロディアとの結婚を非難したために、ヘロディアの恨みをかったことが原因になっています。ところが、ヨセフスによれば、洗礼者の処刑は、ヘロディアの差し金によるのではなく、ヘロデ・アンティパスのほうが、洗礼者を警戒して処刑したことになります。個人的な怨恨か? 政治的な懸念からか? ヘロデとヘロディアと二人のうちで、どちらが洗礼者の処刑を望んだのか? これが問題になります。
(2)ヨセフスによれば、ヘロディアの前夫の名前は「ヘロデ」になっていますが、マルコ福音書では「フィリポ」です。彼女の前夫は、父ヘロデ大王の名声にあやかるために、公称では「ヘロデ」と称していたけれども、その個人名は「フィリポ」だったのでしょうか。なお、ヘロディアの連れ子である娘サロメは、今回の物語で重要な役割を演じています。彼女は、ヘロデ・アンティパスの異母兄弟でガウラニテスの領主であったフィリポと結婚しています。フィリポが34年に亡くなっていることを考えあわせると、サロメは今回の出来事の時はすで10代で、結婚可能な歳だったのでしょう。ちなみに彼女は、前夫フィリポに先立たれた後に、同じヘロデ一族でアルメニア王となったアリストブロスと再婚しています。
(3)ヨセフスによれば、洗礼者ヨハネは、死海の東岸にある<マケラスの砦>の牢につながれていたことになります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻5章2節119〕。しかしマルコ福音書では、ヘロデの誕生の祝賀行事の一つとして、大規模な宴会が催されたとありますから、その場所は当時ヘロデ・アンティパスの宮殿があったティベリアス(ガリラヤ湖の西岸)であろうと推定できます。領主の命令で、処刑人が直ちに遣わされて洗礼者ヨハネを処刑し、その首を宴会の席に持ってきたとあるので、洗礼者ヨハネはティベリアスの宮殿の地下牢に捕らわれていたことになりましょう。ただし聖書を含めて、洗礼者ヨハネが閉じ込められていたのがティベリアスであったという伝承はありません。だからこれは「状況証拠」にすぎません。もしかすると、ヘロデは、権力を誇示するために、わざわざ遠く離れたマケラスで、誕生の祝賀の宴を開いたのでしょうか?〔フランス『マルコ福音書』256頁〕。
 マルコ福音書にあるとおり、ヘロデが洗礼者ヨハネの話を<しばしば聞いていた>のであれば、また、洗礼者ヨハネが弟子をイエスのもとへ遣わした記事から判断すると(マタイ11章2~15節)、その場所は、遠く離れた死海の東岸ではなく、ティベリアスの宮殿の地下牢のほうが適合します。ただしここに問題があります。洗礼者ヨハネの殉教物語は、洗礼者ヨハネ宗団から出ているとも考えられますが、それ以上に、ここのヘロディアとその娘の踊りの物語部分には、ヘレニズム世界の民間の物語の影響を読み取ることもできるからです。マルコ福音書のこの殉教記事の中心部が、ヘレニズム世界の民間の物語から出ているとすれば、洗礼者の処刑がティベリアスで行なわれたという推定も疑わしくなります。以上で分かるように、状況証拠から判断すれば、洗礼者の処刑はティベリアスでの出来事になりますが、実際の処刑の場所については、確かなことが分かりません。
〔マルコ福音書の構成から〕マルコ福音書では、十二弟子の派遣から新たな段階が始まります(マルコ6章6節後半~13節)。マルコは、この派遣と弟子たちの帰還(6章30節)との間に、この殉教物語をサンドイッチのように挟んでいます。彼は、イエスの名声が広まったことを語るために、殉教物語とイエスの名声とを結びつけて、派遣記事の中に挟んだのでしょう。無実の義人が敵対する為政者によって殺されるという洗礼者の殉教物語は、後のイエスの十字架刑を予想させます〔Guelich. Mark 1-8:26. WBC. Electronic edition. Mark. 6: 4-29.〕。これ以後、イエスはガリラヤを離れて、北辺の「異教」の地をめぐり、それからエルサレムを目指す「受難への旅」に入ることになります。
〔マルコの物語の特徴〕洗礼者ヨハネの殉教は、ユダヤの殉教物語に準じた物語伝承の影響をうけています。ユダヤ教以外のヘレニズムの殉教物語では、殉教者が様々な試練に遭うところに重点が置かれますが、ユダヤの殉教物語では、殉教者が、律法に敵対する権力者に抵抗して、最後まで律法を守って死ぬことを重視します(第二マカバイ記7章)。これが、ユダヤ教の伝統的な「義人の死」です。今回の洗礼者ヨハネの殉教は、マルコ以前の教会の伝承から出ていると考えられますが、この物語は、ユダヤ教の殉教物語を超える特徴を具えています。
 マルコ福音書の物語は、(1)ヘロデ王とヘロディアとの結婚に向けられた洗礼者ヨハネからの批判、(2)ヘレニズムの物語様式を採り入れた宴会と乙女の踊りと王への要請、(3)ヘロデによる洗礼者ヨハネの処刑、(4)この殉教物語をヘロデによるイエスへの懸念と結びつけている、などの特徴を帯びています。
 このような洗礼者の殉教物語は、洗礼者ヨハネ宗団から出ているとも考えられますが、マルコ福音書では、この殉教物語が、「イエスとは誰か?」を問う疑問と結びついている点に注意しなければなりません。先に指摘したように、(2)の部分には、ユダヤ以外のヘレニズム世界の民間の物語伝承の影響を読み取ることもできます。そうだとすれば、この外来の物語に編集を加えて、これを洗礼者の殉教に組み込んだのは、おそらくマルコ以前の伝承段階のことでしょう。マルコはここで、ヘロデと洗礼者との関係を、ヘロデとイエスとの関係に重ねているのです。
[17]ヘロデ・アンティパスとヘロディアとの結婚の経緯(いきさつ)については、前回の「ヘロデとイエス」の注釈をご覧ください。マルコ福音書では、この殉教物語が、その直前のヘロデによるイエスへの警戒心とつながっています。また、洗礼者ヨハネの殉教が、十二弟子の派遣と帰還との間に挟まれています。ヘロデのイエスへの警戒心が、イエスの弟子たちの宣教活動を通じていっそう広がったことを示すためでしょう。洗礼者ヨハネは、イエスと異なって、生前、奇跡(しるし)は何一つ行なっていません。ところが、その洗礼者が「生き返った」結果、異常な霊能が与えられて、それがイエスに「乗り移った」、こう考えられたのです。しかもその霊力が、今や弟子たちを通じて広がっていることが、ヘロデの警戒心を強めたのす。
[18]~[19]ヨセフスが伝える洗礼者ヨハネの殉教では、洗礼者の宣教活動が反乱に結びつくことをヘロデが恐れたとあります。しかし、マルコ福音書では、殉教の直接の原因がヘロディアの個人的な恨みから出ています。ただし、宮廷内部の争いと外部への政治的な判断とは、相互に関連し合いますから、どちらが原因かを決める必要はないでしょう。
【許されない】自分の異母兄弟の妻と不倫をして、現在の妻を離別してまで兄弟の妻を娶り、しかも彼女が、自分の姪(異母兄弟の娘)にあたるというのは、律法に照らしても(レビ記18章16節)、不倫と近親相姦の両方の罪あたる「許されざる」行為になります。このことが隣国との敵対関係をもたらし、かつ洗礼者の非難がこれに重なったのですから、ヘロディアの個人的な恨みとヘロデの政治的警戒とは表裏一体です。
【恨み】心の中で「根に持つ」ことです。「恨む」も「殺そうと願っていた」も、一時的なことではなく、かねてからもくろんでいたことを指します。ここには、異教の王妃イゼベルと預言者エリヤとの対立の物語が背景にあると考えられます(列王記上19章1~18節)。事の成り行きはイゼベルとヘロディアとでは異なりますが、洗礼者がエリヤであるという噂から見ても、マルコ福音書では、二つの出来事が関連づけられています。
[20]【恐れ保護し】ヘロデは、洗礼者に「畏敬」の気持ちを持っていたことで、「怖がる」ことではありません。また「保護する」とは、ヘロディアの企みにもかかわらず、処刑せずに監禁状態をそのままに続けていたことです。おそらくヘロデは、洗礼者の活動を封じ込めて民衆との接触を断ち切りたかったからで、彼を処刑するつもりはなかったのでしょう。
【当惑しながら】ここの動詞「当惑させる」を「行なう」と読む有力な異本(複数)があります。これだと「大いに困る」ではなく、「多くを行なう」[NRSV欄外の読み]という意味になり、ヘロデは洗礼者から「幾度も話を聞いていた」という意味になります。「当惑していた」は、現在ほとんどの訳で採用されていますが、この読みは、ルカ9章8節から来ているのかもしれません。なおここでのヘロデの「どうしていいか全く分からない」〔岩波訳〕状態を、後にピラトがイエスの裁判の際にとった「ためらい/困惑」(マルコ15章10~14節)と関連づける解釈もあります。
[21]【良い機会】ヘロデの誕生祝いの宴会(複数)は何日か続いたと思われますから、ヘロディアが洗礼者を亡き者にするのによい機会だという意味です。このような盛大な祝賀会は、当時ヘロデの宮殿があったティベリアスでの事であろうと思われます。
【高官】政治的な高官や有力者のこと。
【将校】原語の「キリアルコス」は、ほんらい千人隊長を指す言葉ですが、ローマ軍の司令長官などの高級将校をも意味します。
【有力者】ガリラヤの諸地方の首長や主だった人たちのこと。「高官たちや、千人隊長たちや、ガリラヤの名士たち」〔岩波訳〕。
[22]【ヘロディアの娘】原文は(1)「<彼の>娘ヘロディア」と(2)「<彼の>ヘロディアの娘」とふたとおりに読むことが出来ます。通常の読み方だと(1)の訳になりますが、これだと「ヘロデの娘」のことになり、しかもその娘の名前が「ヘロディア」になります[NRSV "his daughter Herodias"]。(2)であれば「彼の(妻)ヘロディアの娘」〔岩波訳〕となります。このためでしょうか、「彼の」を「彼女の」に変えて、「ヘロディアの娘」〔新共同訳〕あるいは「ヘロディアの娘自身」と読む異本があります。
【踊りを】領主あるいは王の娘ともあろう者が、大勢の客人たちの前で踊るような「はしたない」真似をするだろうか? という疑問が出されています。しかし、これはユダヤの慣習から見た批判であって、領主の娘の踊りは、ヘロデ・アンティパスの「万事ローマ風」を見せびらかす横柄な行為とも考えられます。当時のパレスチナの人たちは、王家の家族の紊乱(びんらん)ぶりを噂(うわさ)していて、人々の噂話が伝承として伝わったのでしょうか。
【その客】原語の意味は、ヘロデと「一緒に食卓に横になっている人たち」です。「王や領主と「共に食事をする」ことは、古代では特に名誉なこととされていました。また、「横になって」食卓につくのは、当時の上流階級の宴会での作法でしたから、ここでは贅沢な食事であることを示唆しています。ただし、ヘレニズム世界では、特別な食事の場合は、民間でも「横向き」なって食卓につきました。
[23]【この国の半分】ヘロデのこの答えは、彼の大げさなジェスチュアを彷彿(ほうふつ)させます。ここのところには、ペルシア王クセルクセスが王妃エステルに向かって告げた言葉(エステル記5章3節/7章2節)が反映していると言われています。エステル記は、アケメネス朝ペルシア時代(前539~330年)の王クセルクセス1世(前486~465年)の時に、ハマンという廷臣がユダヤ人の廷臣モルデカイを憎み、ユダヤ人を抹殺するよう王に讒言(ざんげん)したために、大量虐殺の恐れが生じた時の物語です。その時、ユダヤ人の王妃エステルが、身を挺(てい)して王に懇願した結果、逆にハマンが処刑され、ユダヤ人は虐殺を免れました。
 この出来事は、プリム(Purim)の祭りとして、現在でもイスラエルで祝われています(ユダヤ暦アダルの月〔2~3月〕の14~15日)。なおペルシア語の王名は「クセルクセス」〔新共同訳〕ですが、ヘブライ語原典では「アハシュヴェロシュ」〔岩波訳〕と訳されています。ただし、七十人訳では、王が、クセルクセスの息子の「アルタクセルクセス」になっていて、これが旧約続編にあるエステル記(ギリシア語)です。
 エステルの物語は、遠くバビロニアの神話へさかのぼるもので、「モルデカイ」はバビロニア神話のマルドゥク神へ、「エステル」はイシュタル女神に由来します。しかし、エステル記の物語は実際の出来事が基になっていて〔岩波訳『エステル記』解説230頁〕、これにバビロニア以来の神話が反映して語られていると考えられます。王妃エステルとペルシア王によるユダヤ人の救済物語は、ヘロディアの娘(サロメ)とヘロデ王による洗礼者ヨハネの殉教物語とは、内容的に見れば全く異なります。にもかかわらず、ここにエステル記の反映を見ることができるのは、パレスチナの民間伝承が、このような形でエステル記の「王の答え」を採り入れたからです。エステル記もここの殉教物語も、ある出来事に基づく歴史物語であって、しかもそこには、古くからの神話や物語伝承が重ね合わされている点で共通していると言えましょう。
[24]~[25]「座を外す」から「大急ぎで(王の所へ)行く」まで、娘の素早い行動が描かれます。母ヘロディアはついに企みを成就したのです。娘は、母親の言いつけにさらに加えて、洗礼者の首を「盆にのせて」、しかもそれを「直ちに自分に」与えるよう願い出ていて、母娘の残酷な性情を思わせます。なおイエスの頃のユダヤのミドラシュの注釈によれば、エステル記1章で、王は、彼のご機嫌を損じた王妃ワシュテの首を盆にのせてくるよう命じたとあります〔Guelich. Mark 15:25. 〕。
[26]~[27]ヘロデは、みんなの前で「固く誓った」こともあり、客人たちが見ている手前、やむをえずサロメの願いを聞き入れ、執行人に洗礼者の斬首を命じます。ここは、後にピラトが、大祭司たちの訴えを「退ける/断わる」ことができず、その意に反して、「群衆を満足させるために」(マルコ15章10~15節)イエスを十字架刑に引き渡したことと比較されています。
[28]この物語だと、処刑はヘロデの王宮のあったティベリアスで行なわれたことになりましょう。ヨセフスは、洗礼者がマケラスの砦に閉じ込められたと証言していますので、この点でマルコ福音書と食い違うようです。マケラス(死海の東岸)までは遠すぎるからです。ただし宴会がマケラスで催されたとすれば矛盾は消えます。今に残るマケラスの遺跡には、宴会場の跡も遺っていますから、祝賀の宴はマケラスだったのでしょうか?〔デイヴィス『マタイ福音書』468頁〕。確かなことは分かりません。なお、洗礼者の殉教の時もはっきりしません。イエス様語録=マタイ11章2節以下では、洗礼者の逮捕はイエスの活動中のことになりますから(マルコ1章14節参照)、おそらくこれが事実でしょう。
[29]洗礼者の弟子たちが王に願い出て遺体を引き取って墓に納めたとありますが、これも後に、アリマタヤのヨセフたちが、イエスの遺骸を引き取って墓に納めたことへ通じています(マルコ15章45~46節)。洗礼者ヨハネの殉教がイエスの十字架と重なるのです。なお、洗礼者の宗団は、これ以後も活動を続けて、現在もなおマンダ教としてイランに存続していて、この宗教では洗礼者ヨハネが敬われています〔『旧約新約聖書大事典』1138頁〕。
■マタイ14章
 マルコ福音書では、イエスがナザレへ帰っても人々から受け容れられなかったことが語られ(マルコ6章1~6節)、これに十二弟子派遣が続き、その後で洗礼者ヨハネの殉教が語られ、5000人との食事の奇跡がこれに続きます。マタイ福音書の構成もマルコ福音書に準じていますが、十二弟子派遣の記事は、すでにマタイ福音書10章で語られていますから、マタイはこれを省いて、ナザレでの出来事に続いて洗礼者ヨハネの殉教を語っています。だからイエスは、故郷のナザレで拒否され、領主ヘロデからねらわれることでガリラヤから「向こう岸」(マタイ14章13節)、おそらくガリラヤ湖北東のベトサイダへ渡り、圧迫の手を逃れるのです。
 マタイはマルコの記事を大幅に縮めています。マタイ福音書とマルコ福音書とを比較すると、マタイ福音書では、洗礼者を殺そうとしていたのはヘロデのほうですから(マタイ14章4節)、この点でヨセフスの記事と一致します。ところがマタイ14章9節には、ヘロディアの願いを聞いてヘロデは「心を痛めた」とありますから、4節と9節とでは、ヘロデの対応がちぐはくになります。マタイ福音書の「心を痛めた」は、マルコ福音書の場合に適合するからです。マタイ福音書では、客の存在も希薄ですから、ヘロデが「やむをえず」洗礼者の処刑を命じた背景がはっきりしません。このように、マタイによるマルコ福音書の縮め方にはやや不自然なところがあります。
[4]【律法で許されていない】原語は「許されない/非合法である」で、特に神の律法に背くことです。洗礼者ヨハネは、特に兄弟がまだ生きている間にその妻と結婚したことが、律法に反すると非難したのでしょう(レビ記20章21節)。なお、ヘロディアのほうから前夫と離婚したことは、ユダヤの律法では認められません(ただしヘレニズム世界では女性の側からの離婚が認められています)。洗礼者は、このことでもヘロディアを非難したのでしょう。
[5]マタイは、マルコ福音書のヘロディアの殺意をヘロデの殺意に変えて、ヘロデが洗礼者の処刑を控えていたのは、彼への畏敬からではなく、民衆を恐れたからだとしています。だから、マルコ福音書では、ヘロデが洗礼者を「正しい人」だと認めていたとあるのを、マタイは、人々が洗礼者を預言者だと思っていたことに変えています。洗礼者の処刑が為政者の意向によることを明らかにして、イエスと洗礼者とを並行させようとしているのでしょう(マタイ21章23~27節を参照)。
[8]【唆されて】原語は新約聖書中でここだけで、「押し出されて/迫られて」の意味です。ここでは母親に「教えこまれた」のでしょう。
[9]【客の手前】「同席の人たち」のこと。マタイ福音書では、宴会の客のことはここだけにでてきます。なおここでヘロデを「王」と呼んでいますが、これはマルコ福音書から来ているのでしょう。
[12]【イエスのところに】マタイはマルコにはないこの一句を加えています。この話の冒頭に出てくる14章1~2節で、洗礼者がイエスにあって「生き返っている」とヘロデが信じていたことへと結びつけるためです。これによって、洗礼者ヨハネの殉教とイエスの受難と、これに続く復活とが、両者の間ではっきりと対応してきます。
 
■ルカ3章
 ルカ福音書での洗礼者ヨハネの殉教、というよりは洗礼者ヨハネそのものの扱い方が、マルコ福音書・マタイ福音書とは全く異なっています。ルカ福音書では、洗礼者ヨハネの伝道の開始の記事に続けて、ヘロデによる洗礼者の逮捕が語られています(ルカ3章19~20節)。これは、イエスが洗礼を受ける前のことになりますから、イエスへの洗礼が誰によって行なわれたかは語られません(同21節)。また、洗礼者の殉教記事もでてきません。だからルカ福音書では、イエスの登場以前に、洗礼者は牢に閉じこめられて姿を消してしまうのです(ただしルカ7章18~35節を参照)。
 ルカの洗礼者に関する記事は、マルコ福音書から出ていて(マルコ1章14節/同6章17~18節)、ルカはこれを短くした上で、分散させています(使徒13章25節を参照)。ルカの洗礼者へのこのような扱い方は、「律法と預言者はヨハネの時まで」だからです。だから洗礼者ヨハネまでが「旧約の時代」に属していて、イエスの時から「神の国の福音が伝えられる」(ルカ16章16節)ことになります。イエスを洗礼者ヨハネから時代的に切り離して、新たな「新約の時代」が始まったというルカの神学がここに現われています〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)476頁〕。
[19]【責められた】原語は「とがめる/非を指摘する/非難する」です。ルカは、洗礼者が、ヨセフスの伝えるような政治的な理由からではなく、ヘロデとヘロディアとの結婚を<倫理的に>非難したと見ているようです。20節から判断すると、ルカはヘロデの数々の「不道徳」で乱れた生活ぶりを念頭に置いているのでしょう。なおルカは、マルコ福音書に出ているヘロディアの前夫の名前「フィリポ」をあげていません。ルカは、ヘロデ家について彼なりの資料をもっていたと思われますから、マルコ福音書の記事が「誤り?」だと判断して省いたのかもしれません。
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