【注釈】
 今回の出来事は、いわゆる「賜物の奇跡」"gift miracles" と呼ばれる部類に属します。「賜物の奇跡」は、ほかに大漁の奇跡(ルカ5章)やカナの婚宴でのぶどう酒の奇跡(ヨハネ2章)などがありますが、この種の奇跡物語は、次のような特徴を具えています。
(1)旧約聖書にその例がある(出エジプト記16章の天からのマナの授与/列王記上17章8~16節のエリヤによる粉と油の奇跡/列王記下4章42~44節のエリシャによる油と大麦パンの奇跡)。
(2)奇跡の行為者は、求められないのに自発的に行なう。
(3)奇跡それ自体がどのように生じたのかは語られない。
(4)人々の賞賛や驚きが語られない。
(5)奇跡の意義について象徴的あるいは寓意的な解釈を生む。
 これで見ると、大漁の奇跡は(3)と(4)の点で供食やカナの奇跡とはやや異なります。「賜物の奇跡」は、言わば神話レベルの物語として受け取られるかもしれません。しかし、今回の五千人への供食は、神話レベルの話で済まないない性質を帯びています。この出来事は、四福音書全部にでてくるだけでなく、マルコ福音書とマタイ福音書では、同様な奇跡が2度でてきますから(マルコ8章1~10節=マタイ15章32~39節参照)、四福音書全体で6回語られています。この出来事が表わす意義については、軍事/革命説、宴会説、交わり説、聖餐説などがありますが、どの福音書も、最後の晩餐がこの奇跡に反映している点では共通しています。このような奇跡の意義は、共観福音書を総合して考える必要がありましょう。
 出来事が、単なる神話的な物語なのか、それとも何らかの具体的な出来事に基づくのか、この点を考える際に鍵となるのは、イエス自身が、この出来事に積極的に関わっていたかどうかです。言い換えると、イエス自身の信仰と霊性の有り様をどう判断するのか?にかかってきます。なお、四福音書の記述で、この奇跡が起こった場所の相互関係については、前回説明したので省略します。
■マルコ6章
[32]【船に乗って行った】これはイエスの一行が船で人々のいる所から離れて「立ち去る」ことです。
[33]【それと気づき】「(人々が)見た/認めた」と「気づいた」と「先回りした」はマルコ福音書だけです。また「駆けつけた」とあるのは「徒歩で急ぐ」ことです。大勢の人たちがイエスの一行が立ち去るのを認めて、岸伝いにイエスの後を追いかけて、先回りして目的地に着いたのでしょう。これだと、ガリラヤ湖の西岸伝いに、岸からでも見えるほどの距離の所をイエスたちの船が移動していて、人々は岸からイエスの船を見ながら徒歩で後を追ったことにもなりましょうか〔シュヴァイツァー『マルコによる福音書』186頁〕。しかし、ここの意味はそうではなく、イエスたちが群衆を離れて「向こう岸へ」離れ去ったのを知って、しかも、イエスたちの行く先を予め知っていた群衆が(「それと気づき」はこの意味)、方々の町から徒歩で駆けつけて、先回りしてイエスたちの到着地へ着いたという意味です〔フランス『マルコ福音書』265頁〕。
【一斉に駆けつけ】ガリラヤ湖の北西沿岸(例えばカファルナウム)辺りからベトサイダまでだと、陸伝いに急ぐならば、湖の真ん中を横断する船よりも先に到着することも可能でしょう。なお、方々の(「すべて」はこの意味)町から一斉に駆けつけて、しかも陸路をイエスたちよりも先に着くのは、軍隊のように組織化された集団でなければできないという見方もあります〔フランス『マルコ福音書』〕。ただし、この解釈の場合「男が五千人」(44節)とあるのは、集まったのは男たちだけで女性はいなかったことになります。しかし、後述するように、必ずしもそのような軍事的あるいは革命的な意図を読み取る必要はないと思われます。
[34]【飼い主のいない羊】これを指導者あるいは指揮官のいない軍隊や革命集団の意味にとる説もあります(列王記上22章13~17節)。「人里離れた場所」の原語は「荒れ野」と同じですから、ここにはモーセに率いられて荒れ野を旅するイスラエルの民の姿が反映しているのは確かです(民数記27章15~17節/エゼキエル書34章5~6節参照)。荒れ野を旅するイスラエルの民の有り様が、軍事的な組織に似ているからと言って、その目的も軍事的あるいは革命的な意図を持つと考えるのは誤りです。イスラエルに限らず、どの国の場合でも、人々を組織化する時には、軍隊組織に倣う場合があるからです。例えばユダヤ教の祭司制度なども、軍事的な組織に似た組制度をとっていました。モーセに率いられたイスラエルの民も、軍事的な組織に倣っていたとは言え、その目的は、集団で旅をすることであって、必ずしも、戦闘態勢のことではありません。民数記27章では、ヨシュア(=イエス)がモーセの後継者として選ばれることによって、「飼い主のいない」状態が解決しました。同様に、マルコはここでも、イエスをメシアと仰ぐ人たちが、共同体を形成しようとしている姿を想い描いていると考えられます。ちなみにヨハネ福音書6章17節では、五千人への供食の後で、人々はイエスを彼らの「王」にしようとします。
【深く憐れみ】34節はマルコ以前からの古い伝承によると考えられます。ここには旧約聖書の「羊飼い」の譬え(隠喩/暗喩)が用いられています。特にダビデ王はイスラエルの偉大な牧者として(エゼキエル書34章23~24節)、イエスの時代には来るべきメシア像とされました。ただし、イエスと同時代のクムランでは、複数のメシアが期待されていて、政治権力を具える「王」としてのメシアだけでなく、「祭司」としてのメシアも同時に重視されていました。「憐れみ深い」とは、ほんらい、王が「飢えている民」に食べ物を与えることを指しますが、ここでは、イエスが「いろいろと教え始めた」とあるので、食べ物よりもむしろ「教え」のほうに重点が置かれているようです。しかし、人々に食べ物を与える奇跡が、「食物」よりも「教え」のほうが大事だと解釈するのは無理があります。むしろここには、ヨハネ福音書が伝えるように「荒れ野のマナ」が反映していると見るほうが適切でしょう(出エジプト記16章/ヨハネ6章48~51節)。食べ物を与えるイエスの霊能とその教えとが結びついていることが大事なのです。「深く憐れみ」とは、イエスが、集まった人々を見て、彼らが疲れ果てて意気消沈している姿に「腸(はらわた)がちぎれる想い」(「深く憐れむ」の原義)がしたからです(マタイ9章36節)。
[35]【時がたった】これは午後遅くなり日没が近づいたことです。通常この時間が食事時です。なおここでは、弟子たちのほうからイエスに助言しますが、マルコ福音書8章2~3節では、逆にイエスのほうから弟子たちに告げています。
[36]この弟子たちの助言は、周りの里や村には食物があって、しかも集まった人々が食物を買うことができることを前提にしています。なんらかの軍事的あるいは革命的な集団なら、このような助言はしないでしょう。
[37]【二百デナリオン】イエスの答えは弟子たちの意表をつくものでした。イエスは明らかに、これから何が起こるかを知っているのです。1デナリオンは、当時の労働者の1日分の賃金でしたから、200デナリオンは、半年以上の労働賃金になります。これは弟子たちがとうてい工面できる金額ではありません。そもそも彼らは、「なぜ自分たちが彼らの面倒を見てやらなければならないのか?」ということさえ理解できなかったでしょう。ところがイエスは、弟子たちの要求に応じて「解散させる」ことを拒んで、逆に「あなたたちこそ」(原文は強勢です)彼らに食べ物を与えよと命じたのです。人々を養うのが「自分の使命」であることを自覚すると同時に、弟子たちにもその覚悟をさせようとするのです。
[38]「パン」とは、小麦か、それよりも安い大麦のもので、お皿ほどの大きさで厚さが親指ほどあります。ヨハネ福音書では「大麦のパン」とあって、これは貧しい人たちが食べる物で、ちぎって食べます。なお、「魚」とあるのは、ヨハネ福音書では別の言葉で、これはパンとともに食べるために、干して味付けした保存用の魚のことです。共観福音書では違った用語ですが同じ物を指すのでしょう。なお5つのパン、2つの魚は、四福音書に共通しています。さらに12の篭がでてきます。8章の四千人への供食では、7つのパン、7つの篭です。これら「5」「2」「7」「12」などの数は象徴的な意味を帯びていますが(これを「数秘」と言います)、このような数秘的、象徴的な数の使用は、口頭伝承の場合、正しく記憶して伝えるために大事な役割をはたします。「2」は「詩編」と「預言者の諸書」を象徴し、「5」はモーセ五書のこと、「12」は十二弟子とイスラエルの十二部族など、いろいろ象徴的な解釈が可能ですが、マルコもマタイも、そのような象徴的な意味についてはいっさい触れていません。
[39]~[40]【組に分けて】「組」の原語「シュンポシア」とは、ギリシアやローマの宴会の後で、男たちがそれぞれグループで固まってワインを飲むときの「集まり」のことです。弟子たちは、人々に食物が行き渡るように組み分けをしたのです。100人、50人の組み分けは軍隊組織だという見方もありますが、マルコのここでの用語は、むしろ宴会で人々が悦び楽しむ雰囲気を想わせます。イスラエルでは「青草」は特に春を連想させます。
【まとまって】原語は花壇の花の列や畑の野菜の列を想わせるもので、人の列について用いられるのは希です。青草の上に花々の列や作物の列が連なる場景は、祭りの際の大宴会を想わせるもので、これは終末でメシアの訪れに際して催される「メシアの宴会」をイメージしているとも考えられます〔フランス『マルコ福音書』〕。「青草」は詩編23篇2節の「緑の牧場」(原語の「青」は「緑」)を反映していると見て、この奇跡全体の背後に詩編23篇を読み取ることもできましょう。
[41]~[42]「(パンを)手に取る」「賛美の祈り」「裂く」「配る」、これらの言葉は最後の晩餐を想わせます(マルコ14章22節参照)。ただし、このような仕草は、ユダヤ教の家族で、家長が食事の際に行なうごく一般的な慣習でした。その際に家長は「主なるわたしたちの神よ、世界の王なるあなたをほめたたえます。あなたはパンを地から生じさせてくださいます」という祈りを唱えます。ただし、四福音書共に「天を仰いで」とありますが、祈りの際のこのような仕草はユダヤ教では希です。この奇跡全体が、後の教会では、聖餐の原型とみなされるようになりましたが、だからと言って、ここでのイエスの仕草を後の教会で聖餐の際に唱えられる祈りや司祭の仕草と関連づけて、奇跡そのものが、イエス復活以後の教会による創出だと考える根拠はないでしょう。なお、42節には、弟子たちや人々の驚きなど、マルコ福音書のほかの悪霊追放の記事などに見られる様子がありません。ただし、ヨハネ福音書では、この奇跡によって人々がイエスを「イスラエルを救う預言者だ」と感嘆します(ヨハネ6章14節)。
[43]【十二の篭】「篭」とは、ユダヤの人たちが日常物を運ぶ時に用いる篭のことです。8章19~20節から判断すると、この篭を持っていたのは十二弟子たちですから、「12」は、ここでは特に十二弟子あるいはイスラエルの十二部族を象徴していると考えられます。
[44]【男が】先に指摘したように、その場にいたのは男たちだけなのか、それとも女性や子供たちがほかにいたのか、マルコ福音書でははっきりしません。この点、マタイ福音書は、女性や子供たちを「除外して」男だけで五千人だったとあります。これだと、男たち以外にも女性や子供たちがそこにいたとも解釈できます。
 以上で分かるように、マルコ福音書が伝える五千人へのパンと魚の奇跡は、荒れ野で神がモーセを通して行なった奇跡、特に天からの「マナ」の出来事を下敷きにして語られています。この出来事を最後の晩餐と関連づけたのは、最初期のキリスト教徒でしょう〔シュヴァイツァー『マルコによる福音書』189頁〕。それ以後の教会が、この奇跡を教会での聖餐と関連づけました。
 では、この奇跡それ自体は、いったいどのような出来事だったのでしょうか? モーセに率いられて荒れ野を旅するイスラエルの民の姿と、マナの出来事がここに映し出されているのはすでに指摘しました。これは、実際に起こる自然現象ですが、イスラエルの人たちはそれが「天から与えられた」と信じたのです。さらに、列王記下4章(特に1~7節と42~44節)で語られているエリシャの奇跡も、ここでのイエスの奇跡に関連していると指摘されています。言うまでもなくイエスは、旧約聖書のこれらの記事を熟知していました。だからわたしは、マルコ福音書がここで語る出来事は、<イエス自身の信仰に基づいて>起こった出来事にその起源がある。こう理解しています。この奇跡が、四福音書全体で6回も語られているのは、<イエス自身による>何らかの出来事と結びついていることを証しするものです。
 ここで行なわれたイエスの奇跡を、軍隊の組み分けや、参加者を「男だけ」だと解釈することで、これを為政者との闘争や革命運動と結びつける解釈があることはすでに指摘しました。また、この出来事を飢えたパレスチナの民衆を救う救済者メシアの運動と見る説もあります。どちらも合理的で歴史的にもありそうな解釈です。けれども、ここで語られているのは、そのようが合理的な納得を拒否する「神の奇跡の働き」であること、まさにそのような不思議が、イエスの信仰を通して実現したこと、このことを伝えようとしているのです。マルコ福音書の語りをそのまま読むならば、ここに記されている出来事は、闘いや革命などではなく、むしろ平和で悦びに満ちており、イエスを通して顕わされた神の不思議な賜物(パンと魚が増えたこと)と、これに与りこれを食べて満足した人々の姿です。だから、ここで生じているのは、終末において初めて体験できるような、身体的であると同時に霊的な出来事でありこれの体験です。
 
■マタイ14章
 マタイ福音書はマルコ福音書の記事を下敷きにして、マルコ福音書の言葉遣いを改めたり、省略したりしています。特にマルコ福音書の地理関係の記述(マルコ6章33節後半)、弟子たちのイエスへの疑問/無理解(同37~38節)の省略が目立ちます。大事なのは、マタイ福音書では、マルコ福音書に比べると、最後の晩餐での主の聖餐の制定がこの奇跡にはっきりと反映されていることです。例えば、(1)「夕暮れになると」の追加で最後の晩餐を思わせる(マタイ26章20節)、(2)「(パンを)与え続けた」(マルコ6章41節)とあるのを「与えた」と晩餐での一回限りのことにしている、(3)「魚」を省いてパンの授与だけにしている、などに表われています。
 このように見ると、これらはマルコ福音書をマタイが彼なりに編集したという説がもっともらしく思われます。しかし、はたしてこれら全部が、マタイの編集なのか? それともマタイ以前からの伝承なのか? ルカ福音書や特にヨハネ福音書との共通点などを考える併せると即断できません。どの部分がマタイで、どの部分がマタイ福音書=マルコ福音書以前からの伝承なのかを決定するのは困難です。
[13]洗礼者ヨハネの殉教とこの奇跡とのつながりは、マルコ福音書に比べてマタイ福音書のほうは、やや不自然です。マタイ福音書では、マルコ福音書の「そこを去った」(複数)→「そこを離れ去った」(単数)、「イエスの一行を先回りした」を省く、「(人々が)気づいた」→「聞いた」に改められています。イエスに焦点を絞り、地理関係やマルコ福音書のあいまいな点を改めているのです。
[14]【深く憐れみ】原語は「腸がちぎれる想い」です(その理由はマタイ9章36節=マルコ6章34節を参照)。マルコ福音書ではイエスが群衆に「教え始めた」とありますが、マタイ福音書では「弱った人たち」を「癒やした」です。「深く憐れむ/断腸の想いに駆られる」は、「教え」よりも「癒やし」と結びつく場合が多いので、ほんらいの伝承はマタイ福音書のほうが近いでしょう(ヨハネ11章33~35節を参照)。「癒やし」よりも「教え」を重視するのは、通常マルコよりもむしろマタイのほうなのですが、ここでは逆になっています。
【病人】「病人」とある原語はここだけで、ほんらい虚弱体質の人のことですから、「病人」よりも「特に弱り果てている人たち」の意味に近いでしょう。これで見るとマタイ福音書のほうには、マルコ福音書に見られる「軍隊色」がないようです。
[15]【夕暮れ】「夕暮れ」はマタイ福音書にしばしばでてきます(8章16節/20章8節/26章20節)。ここは26章20節と同じで、夕食の時を指します。もっとも同じ言い方が23節にもでているので、この15節と考え併せると、時間的にやや不自然です。
【弟子たち】弟子たちはイエスに対する不信仰からこのように言うのではありません。群衆が疲れていて夕食の時間が来たので同情からイエスに申し出たのです。マタイはマルコの「何か食べる物」→「食べ物」に変えて「周りの里」を省いています。
[16]「生かせる必要はない」はマタイの編集です。「あなたがたが彼らに」では、「あなたがた」が強調されています。なお、「彼らに食べる物を与えなさい」というイエスの言葉は、列王記下4章42節でエリシャが召使いに命じた言い方です(七十人訳とは「食べる」の動詞が違いますが)。
[17]マタイ福音書ではマルコ福音書での弟子たちの驚き/疑問を表わす「200デナリものパン」が略されています。だから、少なくとも弟子たちは、イエスがこれから行なおうとしていることをある程度察しているように見えます。
[18]この命令はマルコ福音書にもルカ福音書にもありません。イエスが積極的にこの奇跡に関与していることを言い表わすためです。
[19]マタイは、マルコ福音書を編集し直して、弟子たちではなく直接イエスが群衆に「呼びかけて」(マルコ福音書では「命じる」)座らせています。ただし、パンは、弟子たちの手を通して人々に配らせています。これはイエスが、弟子たちに「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」と言ったからでしょう。弟子たちが、イエスと群衆との仲立ちになっているです。
[20]「賜物の奇跡」の特徴は、このように、有り余るほど与えられることです(列王記上17章16節/列王記下4章6~7節/ルカ5章6~7節/ヨハネ21章6節)。「12」には十二弟子、あるいは特に終末の時に全世界から集められるイスラエルの十二部族を象徴するという解釈もあります。また、「満腹する」は、終末のメシアの再臨に際してキリストと信者たちとの宴会を象徴するという解釈もあります。ただし、マルコ福音書やマタイ福音書から、直接そのような象徴性を読み取ることはできません。むしろヨハネ福音書では、ここで与えられたパンは肉体を養う地上のパンのことであって、イエスは後で人々に、地上のパンは、天から与えられる永遠のパンの「しるし」にすぎないから、天からのパン(イエスの霊性)を求めるように教えています(ヨハネ6章26節)。また、マルコ福音書にある「魚」が抜けているのは、これが最後の晩餐にでていないからでしょう。
 この奇跡物語を比喩的かつ霊的に理解して、エクレシアの聖餐を表わすと受け取るなら、この物語はイエス復活以後の教会において成立したことにもなりましょう。しかし、マルコ福音書=マタイ福音書の頃は、教会での聖餐と交わりの会食とは、まだはっきりと区別されていなかったと考えられます。したがって、ほんらいこの物語は、イエスが人々に身体を養うパンを備えたことを伝えると同時に、それが後の教会では聖餐のパンを象徴すると受け取られるようになったと見ることもできます〔デイヴィス『マタイ福音書』493~94頁〕。
[21]【別にして】この言い方は、その場に女と子供たちも居合わせたことを指しています("five thousand men, besides women and children." 〔NRSV〕)(出エジプト記12章37節参照)。マタイはマルコのあいまいな言い方を訂正しているのです。
 
■ルカ9章
 ルカ福音書もマルコ福音書と同じように、十二弟子の派遣とヘロデのイエスに対する懸念に続いて(ただし洗礼者ヨハネの殉教は語られません)、五千人への供食を置いています。ただし、マルコ=マタイ福音書では、これに続いてイエスの水上歩行が来るのですが、ルカ福音書では、その代わりにペトロの信仰告白が来ます。ルカは、この奇跡が弟子たちに大きな影響を与えたと考えたのでしょうか。
 共観福音書ではルカ福音書だけが四千人への供食の奇跡がなく、供食はここだけです(四千人への供食の奇跡は、ほんらい同じ一つの出来事が、二つの伝承に分かれてマルコ福音書の中に取り込まれたのではないかと考えられます)。この点で、ルカ福音書はヨハネ福音書と共通します。しかし、ルカ福音書のここの物語と、ほかの三つの福音書のそれとの関係は複雑です。ルカ福音書の記事がマルコ福音書のそれを踏まえて書かれているのは確かですが、マルコ福音書8章の四千人への供食は、ルカ福音書のここには反映されていません。また、ルカ福音書はここで、細かな言葉遣いでマタイ福音書とも共通します。このため、この奇跡は、マルコ福音書版とマタイ=ルカ福音書版の二つの伝承があったのではないかとも言われますが、マタイ福音書とルカ福音書とも同じではありません。ヨハネ福音書6章の記事は共観福音書とは別個の伝承からです(ほんらいは同じ伝承を起源にするのでしょうが)。したがって、ルカ福音書はマルコ福音書を基にしながらも、これをルカが編集したというのが妥当でしょう。
[10]【ベトサイダ】ルカ福音書だけがこの奇跡の場所をベトサイダと特定していますが、この点は前回扱いましたので控えます。
[11]【神の国について】イエスが群衆を「出迎えた」とあるのはルカ福音書だけです。マルコ福音書とマタイ福音書で、イエスが人々を「深く憐れんだ」とあるのと対照的です。群衆を避けて人里離れた場所へ出向いたはずですが、人々が追ってくると、イエスは彼らを快く迎えて、「神の国」について教え始めたのです。「教えた」とあるのはマルコ福音書と共通し、人々の病を「癒やした」とあるのはマタイ福音書と共通します。「教え」と「癒やし」に続いて、五千人とイエスとの会食の奇跡が来るのですが、ルカ福音書では、この奇跡に教会での聖餐がはっきりと反映しています。
[12]【日が傾きかけた】これはルカ福音書だけで、マルコ福音書では「時が経った」で、マタイ福音書では「夕暮れになって」です。どれも食事時を意味するのですが、ルカ福音書は独自の伝承を持っていたのでしょうか? それともマタイ福音書と共通する伝承が存在していたのでしょうか? マルコ福音書を踏まえていたのなら、なぜ四千人への奇跡を省いたのでしょうか?
【宿をとり】原文は「泊まって食事にありつく」で、これもルカ福音書だけです。
[14]【組にして】原語は食事用の長い食卓のことで、そこへ食卓ごとにグループになって食事を採ることから来ています。「座らせる」とあるのも、ユダヤの庶民のするように座るのではなく、宴会の席で体を横にして食事をする姿勢のことで、これはギリシア・ローマの宴席を思わせます。「50人ごとに」もルカだけの言い方です。
[16]【それらのために】16~17節の用語はマルコ福音書に基づいています。ただし、ルカ福音書ではイエスが「それらを祝福した」(直訳)とあって、パンと魚とを祝福し、天を仰いで賛美の祈りをささげたことが分かります。「祝福する」とは、この場合、イエスの手にあってパンと魚が「増えた」ことを意味するのでしょうか? また、弟子たちに「与え続けた」(直訳)とあるのも、マタイ福音書の「与えた」という1回限りの動作と異なります。「目を天に向ける」、「祝福する/賛美する」、「裂く」、「与える」、「配る」という一連の動作は、ルカ福音書では特に聖餐を想わせます。17節にパンの「かけら」とありますが、この「かけら」という言葉は、共観福音書以後の教会で、聖餐の際に配られパンの「かけら」と同じ用語です〔ギリシア語「クラスマタ」"klasmata"(複数)/ラテン語「フラーグメンタ」"fragmenta"(複数)〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)769頁〕。
[17]共観福音書とヨハネ福音書とを比較すると、ヨハネ福音書ではイエスが直接人々に与えたように書かれていることです(ヨハネ6章11節)。ただし、パン屑を集めたのは弟子たちです。また、ヨハネ福音書では、この奇跡の後の民衆の反応が語られているのも共観福音書との違いです。
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