【注釈】
■今回の構成と内容
今回の箇所をその構成から見ると、マルコ福音書7章1~23節は、全体として一続きのまとまりを成しています。しかしこの部分は、1~13節の論争と14~23節の教えとに大別することができます。このため、わたしたちも「論争」と「教え」とに分けて、今回と次回にかけて見ていくことにします。ただし、「論争」は<食事>の儀礼(作法)に関するものですが、「教え」のほうは<食物>の浄/不浄に関するものです。
今回の1~13節も、さらに1~8節と9~13節とに分けることができましょう。1~8節は「不浄の手」で食事することへの批判と、これに対するイザヤ書からの引用による答えです。これに対して、9~13節は「コルバン」についてですから、内容が異なっています。ほんらいこれら二つの部分は別個の伝承であったのが、マルコによって一つにまとめられたと思われます〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)29~30頁〕〔Collins, Mark. 342.〕。しかしわたしたちは、共時的な読み方をしますから、そのような資料構成で区別することをせず、マルコ福音書の作者の視点から、両方を「重ね合わせて」読みます。
マルコ福音書と、並行箇所のマタイ福音書とでは、構成がかなり違っています。今回の箇所だけについて言えば、マタイ福音書では、マルコ福音書の8~13節が、同5節のファリサイ派の質問に対するイエスの答えとして続いていて、同6~7節のイザヤ書からの引用が、マタイ福音書では論争の終わりに来ています。だからマタイは、マルコが「つないだ」二つの資料をさらに緊密に「シンクロナイズ」(共時化/総合)しているのです。
今回の箇所をその内容から見ると、荒れ野での供食/会食と水上歩行の奇跡に続いて、ゲノサレトで大勢の人たちを癒やすという「しるし」と霊能のイエス像から、一転してファリサイ派との論争になります。このような論争は、すでにマルコ福音書2章1節以下で中風の人の癒しの際にも生じ、3章20節以下でもベルゼブル問題が起きました。論争はこれで3度目ですが、度を重ねるごとに険悪になってきます。特に、3章のベルゼブル問題と今回の汚れ論争の場合は、「エルサレムから派遣されてきた」ファリサイ派や律法学者たちですから、言わば中央政権からイエスを監視するために派遣されてきた人たちです。
イエスの時代のユダヤ教の律法では、割礼規定と安息日規定と食物/食事規定とがとりわけ重視されました。安息日規定の問題では、マルコ2章23~27節で、弟子たちが安息日に麦の穂を食べたかどでイエスと律法学者たちとの間に論争が生じています。ここ7章では、食事と食物の規定に関する問題が採りあげられます。食事とその作法は、共同体が交わりを形成するために大切な意味を持っていたからです。イエスも、その地方の家々で、「罪人や取税人」などを含む人々と「共に食事をする」ことで、霊的な交わりを形成し深めました。
先の安息日規定の論争で、イエスは、「安息日は人のためのもので、人が安息日のためにあるのではない」(2章27節)として、この問題についての当時のユダヤ教の安息日規定の根本に触れる発言をしています。今回の箇所に限っても、ユダヤ教の指導者たちに「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(7章8節)と当時のユダヤ教の食事と食物に関する定めを根底から批判するのです。イエスとユダヤ教の指導層との衝突は、今回の論争で決定的になりますから、この出来事はエルサレムでの受難を予兆しているとも言えます。
■マルコ7章
[1]【ファリサイ派と律法学者たち】「律法学者」(グランマテウス)"scribe"とは「秘書/書記」「学者/教師」を含む広い意味です。この用語は地方の「書記/秘書」などを指すこともあり(マルコ2章6節)、エルサレムの中央政府の律法に関する「教師/学者」をも指す場合があります(3章22節)。「律法学者」と「ファリサイ派」との区別も必ずしも明確でありません。ファリサイ派の教師たちも「律法学者」だと言えるからです(2章16節参照)。マルコ3章22節に「エルサレムから下ってきた」とあるのを「律法学者」だけに限定すれば、実際にいたのは地元のファリサイ派とエルサレムから派遣された律法学者たちの意味にもなりますが〔フランス『マルコ福音書』280頁〕、今回の箇所では、ガリラヤにいる地元のファリサイ派や律法学者のことではなく、エルサレムからイエスの伝道活動を監視しようと「集まってきた」(原語の意味)ファリサイ派と律法学者たちのことでしょう。彼らの中にエルサレムの最高法院のメンバーたちもいたかもしれません。
すでに3章の「ベルゼブル論争」の時に、ユダヤ教の宗教指導層は、イエスの伝道活動が「悪霊から来ている」という半ば公式の判定を下していました。おそらく今回の事件は、このような彼らの判定に基づいて、イエスの活動と教えとが「律法違反」であることをさらに追求して、正統ユダヤ教の律法の教えに反するとして断罪する目的があったのでしょう。彼らのこのねらいは成功したようで、以後、イエスたち一行は、しばらくの間、ユダヤ=ガリラヤから離れて、外の地域をまわることになります(マルコ3章6節を参照)。
[2]【汚れた手】7章2節は、3~4節の挿入部分を通り越して、5節へつながると考えられます。ここでも、直接イエスに関わることではなく、その弟子たちの行為に関係しますから、イエス以後の教会での問題がここに反映していると見ることもできます。イエスの時代のユダヤの庶民は、パンなどの食物を共同で食べましたから、「汚(よご)れた手」の意味であれば、衛生的に見て好ましくありません。しかし、ここで問題にしているのは、衛生的な視点ではなく、祭儀的に「汚(けが)れて」いることです。この場合には、「聖なる物」に触れることは許されません(例えば、死人や死骸に触れた体で神殿に入ることなど)。だから、祭司が、犠牲を献げる場合には「手足を洗う/浄める」ことが必要でした(出エジプト記30章19~21節)。
ファリサイ派は、ほんらい祭司階級ではない平民たちでしたが、律法を重んじる立場から、日常の生活において、あたかも神殿で仕える祭司のように「浄め」の規定を実行していたのです。しかし、サドカイ派は、そのようなファリサイ派の「言い伝え」を律法に書かれた規定ではないとして退けました。サドカイ派に言わせると、祭司制度をそのように日常化するのは、口頭伝承を重んじる「彼ら(ファリサイ派)の言い伝え」にすぎないからです。だから、当時のユダヤの庶民が「洗わない手で」食事をしても、そのことが必ずしも聖書の律法に違反するとは考えられていなかったようです。しかし、食事の前に「手を浄める」習慣は、ユダヤの人たちの間にかなり広範囲に広まっていたという見方もあります(ヨハネ2章6節参照)。この規定は直接聖書の律法に根拠を持つのか? それとも律法学者たちの解釈による規定なのか? どのような場合に「手洗いの浄め」が必要なのか? 全身の沐浴(もくよく)が必要な場合と「手を洗う」だけで済ませる浄めとをどのように使い分けるのか? イエスの時代には、これらをめぐって、ヒレル派とシャンマイ派との間で議論がなされていたようですが、「浄め」の実態はよく分かっていません。現在のイスラエルでも同じですが、当時のユダヤ人の中にも、特に律法に厳格な人たちは、日常の食事の際にも「水で手を浄める」必要があると考えたのでしょう。イエスを監視するために来た人たちは、おそらく、このような厳格派だったようです〔デイヴィス『マタイ福音書』521~22頁〕〔フランス『マルコ福音書』280~81頁〕。
[3]~[4]3~4節は長い挿入になっていて、そこにも編集の跡が見られます。この挿入は明らかに異邦人(例えばローマの異邦人キリスト教徒)を意識したものです。ファリサイ派だけでなく「すべてのユダヤ人」とありますが、パレスチナの一般のユダヤ人は、ここに述べられているほど厳格に「浄め」を実行していたわけではないようです。マルコは、ユダヤ人が律法を厳格に守っていたことよりも、むしろ彼らが祭儀的な意味での「汚れ」を極度に恐れていることを印象づけようとしているのです。
【ファリサイ派】ファリサイ派は、ほんらい律法を重んじる平信徒の人たちでしたから、一般の人たちよりも律法を厳守することで、自分たちを区別(「ファリサイ」とは分離を意味する)しようとしました。「ファリサイ派」と言っても、イエスの頃は一様ではなく、律法とこれに基づく浄めを厳格に実行する者たちから、比較的緩やかな者までいたようです。
【昔の人の言い伝え】(旧約)聖書の解釈は、特に捕囚期以後においては、「ミドラシュ」(「探求」の意味)と呼ばれる解釈法によって行なわれました。この解釈法によって、聖書の律法(「モーセ五書」の創世記を除く四つの書)を、法的な面から解釈したものを「ハラハー」(「歩む」の意味)と言い、聖書の物語部分を解釈したものを「ハガダー/アガダー」(「語る」の意味)と言います。だから「ミドラシュ」は、ハラハー・ミドラシュとアガダー・ミドラシュを総称した言い方です。これらは、聖書の文言をそのまま引用したものではなく、これを著名なラビたちが解釈し直して口頭で伝えていますから「口伝伝承」と言われています。これらが紀元後2世紀以後に「ミシュナー」として文書化されることになります。イエスの時代のユダヤ教では、例えばパウロのように、父祖からの「ハラハー」と「アガダー」を学ぶことが聖書解釈の重要な目的でした(ガラテヤ1章14節)。
「ハラハー」と「ハガダー/アガダー」とは、後に(紀元後200年頃)ラビ・ユダ・ハ・ナシーによって「ミシュナー」(全6巻)として編集されました。「ミシュナー」は、「ゼライーム」(農耕に関する規定)/「モエード」(祝祭日に関する規定)/「ナシーム」(女性に関する規定)/「ネズィキーン」(民法・刑法の規定)/「コダシーム」(神殿の祭儀に関する規定)/「トホロート」(汚れに関する規定)から成り立っています。このミシュナを基にして後に編集されたのが「タルムード」と言われる厖大(ぼうだい)な注解、釈義、解説です。
フラヴィウス・ヨセフス(38~100年)は、「ファリサイ派の人々は、モーセの律法には記載されていないが、父祖たちから代々受け継がれてきたある種の律法諸規定を大衆に教え伝えてきた」〔『ユダヤ古代誌』13巻10章6節〕と述べています。だから3節で言う「昔の人の言い伝え」〔新共同訳〕「父祖たちの言い伝え」〔岩波訳〕とは、聖書のモーセ律法を日常生活の細部に適用できるように解釈し直したものです。これらの諸伝承の中には、「昔から」伝えられて一般生活にすでに取り込まれているものもあり、ラビたちは、これらを神から「委託されたもの」(第一テモテ6章20節の用語と同じ)として「固く守って」(マルコ7章4節)伝えていたのです。中には比較的新しくできた定めで、一部の人たち以外にはまだ受け容れられていないものもありましたが、熱心な人たちは、自分たちの解釈を広く「権威づけよう」とする傾向があったようです。
【念入りに手を洗う】「念入り」の原語は「こぶし/拳骨」です。だから、片方の拳骨でもう片方の手のひらをごしごし洗うことだと解釈することもできますが、「拳を水に浸してその肘の上まで(洗う)」という解釈もあります〔Collins, Mark. 339.〕。これは衛生面と言うより祭儀的な「浄め」のためです。神殿への献げ物や神殿で犠牲に献げた物を食べる場合、また神殿内で献げ物を食べる場合などは、特に浄めの規定が守られました。「拳骨」を省略したり、「拳骨」を「しばしば」と読み替える異読もありますが、これらは後の読み替えです。
【身を清める】原語は「バプティゾー」で、全身を水に浸す(沐浴する)ことです。「水を振りかける」と読む異読もありますが、これはおそらく洗礼の際の浸礼と滴礼との違いを意識した後からの書き換えでしょう。市場/広場では、異教徒や異邦人も多いために、いろいろな「汚れ」が移る恐れがあったので、市場で買ってきた物だけでなく、市場から戻った人まで、食事の前に沐浴(もくよく)する必要があったのです。クムラン宗団の人たち、あるいはエジプトのアレクサンドリアの「テラペウタイ」のユダヤ人なら、これを厳守したと考えられます。しかし、はたしてファリサイ派の全員が、そこまで厳格に「浄め」を実践していたかどうかは分かりません。また、「手」はその人の全身を象徴するという見方から、「全身を水に浸す」と言い表わしても、実際には手だけを浸す場合も考えられますから、人により場合により異なりますので、全体としてどの程度厳格に行なわれていたのかは確かでありません。ガリラヤではユダヤほど厳格ではなかったという見方もありますが、これは必ずしも正しくないようです〔Collins, Mark. 346.〕。
【多くのこと】原文は「さらに(以下のように)遵守すべき伝承が多くあった」です。ここでは「浄め」の内容が「手を洗う」ことだけでなく、「浄め」の儀礼全般へと拡大しています。これが後半で、食事の作法から食物の「浄/不浄」問題へと発展することになります。なお、「汚れ」の規定としては、食物に関するものがレビ記11章に、男と女の分泌に関するものがレビ記15章に詳しく記されています。
【杯、鉢、銅の器や寝台】これらを「水に浸す」のも浄めのためです。「鉢」とは、ほんらい油などの液体を量るための木か石の器(うつわ)/壺〔岩波訳〕のこと、「銅の器」とは火にかける銅製のヤカンや鍋などです。「汚れ」は水に浸して浄めますが、それ以後も、その日の夕方まで汚れています(レビ記11章32節)。「寝台」とは、食事の際に横になるカウチを指すという説もあります。「寝台」と言っても、パレスチナの一般の家には現在の「ベット」はありません。ベットや椅子は裕福な家の物で、庶民は寝るための(ほとんどは粗末な)マット/敷物しかありませんでした。「寝台」の汚れ規定はレビ記15章4節/同21節にあります。なお、「寝台」が抜けている重要な異本が幾つかあります。レビ記に従って「寝台」が後から加えられたのか、それとも逆に「寝台を水に浸す」のは不自然なので省かれたのか、どちらとも決めかねます〔新約原典テキスト批評93~94頁〕。
[5]ここでの問いかけは、弟子たちの行為を咎めるための尋問(じんもん)とも、イエスの教えがどこまでハラハー(「歩む」は「ハラハー」の語源)に従っているのかを試すためとも受け取れます(マタイ福音書15章2節の「破る」と比較)。ルカ福音書11章38節では、イエスを招いたファリサイ派の人が、イエスが食事の前に「身を浄める」(バブティゾー)しなかったので「驚いた」(原語)とあります。これは、イエスが、食事の場合の「洗い」だけでなく、慣習として守られているハラハー全体を無視していると思われたからです。
[6]~[7]【偽善者】この用語はマタイ福音書に圧倒的に多く(全部で13回ほど)、マルコ福音書ではここだけです。日本語でこの言葉は、自分は正しいことを知っていて、その上で偽りや不正を行ない、しかも、あたかも正しい言動をしているかのように「装う」ことを意味します。この場合、その言動は<本心から>ではありません。しかし、聖書にでてくる「偽善者」は、これとは意味が少し異なります。たとえその人が本心から行なっていたとしても、それが深い理解に基づくものでない場合、あるいは、本心から思い込んでいても、それが神の目から観て誤りであり不正である場合には「偽善」と見なされます。だから、たとえ心で信じていても、その信仰が正しくない場合、その人は「偽善者」なのです。
イザヤ書の引用の前半は、国家宗教として制度化した中で、外面的な神礼拝を行なっても、それは本心から出たものではない偽善になることを意味します。ただしそこには、神からの啓示を受けた預言者(イザヤ自身)の言葉を心から受け容れないという批判もこめられています。後半も同様で、実際は人間が作った命令や教えであるのに、それらをあたかも神からの啓示であるかの如くに権威をまとわせていることを指します。だから今回の場合でも、啓示を受けたイエスの言葉を受け容れないことへの批判が、この引用にこめられていると見ていいでしょう。
【イザヤは】この引用は七十人訳のイザヤ書29章13節からです。マルコ福音書ではこの引用がファリサイ派の詰問に続きますが、マタイ福音書では、詰問に対するイエスの返答の後に締めくくりとして引用が置かれています。ただし、マルコ福音書もマタイ福音書も、引用は同じ七十人訳そのままです。引用の後半「無意味にわたしを畏敬し、人の命令を<教義として>教えている」は、七十人訳では「無意味にわたしを畏敬し、人の命令<と教義を>教えている」で、「教義」の位置がマルコ福音書と七十人訳とでは違います。また、七十人訳とヘブライ語原典を比べると、七十人訳の終わりの部分「無意味にわたしを畏敬するが、人の命令と教義を教える」が、ヘブライ語では「彼らのわたしへの畏れは、人の教訓の棒暗記だ(後半は中澤訳)」となっています。
これで見ると、ヘブライ語原典には、七十人訳とマルコ=マタイ福音書の引用にある「無意味に」がありません。このことから、「マルコのイエス」の返答は、その内容から見て七十人訳からの引用でしか成り立たないと考え、それゆえにこれは、「(七十人訳を知らない)ナザレのイエス/史的イエス」の言葉ではありえないという見方があります。この説によれば、「マルコのイエス」の言葉は、ここでは「ナザレのイエス」のものではなく、イエス以後のもので、ギリシア語を話す初代教会の見解を代弁していることになります。
今回の箇所に、イエス以後の教会の見解が反映しているという見方も必ずしも適切とは言えません〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)518~19頁〕。また、たとえヘブライ語原典に「無意味に」がなくても、「人の命令を覚え込んでいるだけだ/人の教訓の棒暗記だ」というヘブライ語のイザヤ書の批判と風刺は、ファリサイ派に十分伝わったと考えられます。たとえイエスが、七十人訳からではなく、実際はヘブライ語原典を引用して答えたとしても、これに続くイエスの批判と内容的に適合します。だから、イザヤ書原典からの引用ではこの場のイエスの言葉にうまく適合しないという推論は正しいとは言えません。その上、はたしてイエスは七十人訳を知らなかったのか? あるいは現行のヘブライ語原典は1世紀のそれと全く同一なのか? などの疑問を併せると、ここでの「マルコのイエス」は実際の「ナザレのイエス/史的イエス」では<ない>という推論は成り立ちません〔フランス『マルコ福音書』284頁〕〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。
[8]「捨てる」と「固執する」、「戒め/掟」と「言い伝え」、「神」と「人間」とが対照されていますが、重点は最後の「神」と「人」との対比に置かれています。イエスのこの答えは、手を洗わないことに対してではなく、ファリサイ派の詰問の前半、「先祖の言い伝えに従って歩まない」ことへの答えです。イエスはここで、詰問者の言う「先祖」を「人間」と言い換えています。「先祖から」とは、アブラハムやモーセの聖書の教えを受け継ぐことを指しますから、イエスは、これを「人間」と言い換えることで、聖書にほんらい記されている神の教えとファリサイ派の教えとを切り離すのです。ここにも、ファリサイ派の伝統主義とこれに対するイエスの啓示とが対置されています。霊的な啓示が、既存の制度化した「言い伝え」を根底から問い直すのです。この8節をコロサイ人への手紙2章20~23節と比較してください。
[9]この説は、前節と同じことを繰り返しています。「イエスは言われた」とあるのも、6節の「イエスが言われた」と同じです(6節の「言った」〔アオリスト形〕から「言っていた」〔不定過去形〕に変わっていますが)。だから、ほんらいここ9節から13節までは、前節までの資料とは別の資料だった可能性があります。これを結びつけたのはマルコでしょう。8節と比較すると、9節は「よくも、まあ」と皮肉な調子で始まり、8節の「(神の掟を)なおざりにする」が9節では「(神の掟を)無効にする/廃棄する」と意味が強くなり、「人間の教え」が「<あなたたちの>教え」になり、「固執する」が「(別のものを入れ替えて)確立する」になっていて、彼らが、自分たちの教えを権威づけるために、意図的に神の掟を排除していてることが明瞭になります。
[10]【モーセは】冒頭の「実にモーセはこう言った」は、11節の「ところがあなたたちは言っている」と対比されて、モーセこそ神からの真の言葉を伝える者として、「人間の言葉」を語る「あなたたち」と対照されます。
【父または母】引用の前半は七十人訳の申命記5章16節の冒頭そのままです。後半の引用も出エジプト記21章17節の七十人訳(16節)と同じ用語です。「ののしる」は、ヘブライ語原典では動詞「カーラル」の強意態(ピエル態)で、「ひどい言葉を浴びせる」「呪う」の意味です。レビ記20章9節にも同様の言葉がありますが、七十人訳では出エジプト記のほうが、ここ10節に近いです。どちらにせよ、「死刑に処せられる」と明確に断罪されているのに変わりありません。
[11]~[12]【コルバン】「コルバン」とは、ほんらい古代のオリエントでは、相手に献げ物をささげて、自分の身の安全を図るための手段を意味したようです。しかしイスラエルでは、この制度が、自発的に神に献げ物をささげる時や、場合によっては、自分の身を神に聖別するための誓いとして行なわれました。ヘブライ語の「コールバン」は、その物を神に献げて聖別する際の誓いの言葉として用いられましたが、時には捧げ物それ自体を指すこともあります(レビ記2章1節以下)。その際に、生け贄の動物は屠られて祭壇で焼かれますが、お金や物は神殿の宝物庫に納められます。聖別された物は、これを神のため以外の目的や個人的な目的に用いることは許されません。「コルバン」には、個人として献げるコルバンと会衆として献げるコルバンとがありました。
ヨセフスは、ヘブライ語の「コールバン」をギリシア語の「ドーロン」(贈り物)と訳しています。ヨセフスの説明によれば、男であれ女であれ、神に誓いを立てた者は、髪を切らず酒を口にせず、その身を聖別します。その者は、切った髪の毛の一部を祭司に与えて、自分の身は神への「コルバン」(贈与/献げ物)だと宣言します。このような誓いを立てた人のことを「ナジル人」と呼びますが、いったん聖別されたナジル人が、その誓約から解かれてナジルの規定から自由になるためには、女性は30シケル、男性は50シケルを祭司に支払わなければなりません。当人にそれだけの支払い能力がない場合は、祭司が人に応じて支払額を決めます(レビ記27章1~8節)〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』4巻4章4節73〕。
このように、「コルバン」は、神に献げることで、神のために用いるという積極的な意味を持っていました。しかし「コルバン」には、同時に、献げられた物は、神以外の目的や私用のために用いては「ならない」という禁止をも含んでいました。「コルバン」は、神への使用と、それ以外の使用を禁じるという、肯定と否定の二面性を帯びていたのです。その上、「ネデル」(誓い/誓いによる献げ物)は、きわめて厳粛で、いったん神に誓ったことはこれを変更することが許されませんでした(民数記30章3節)。例えば、ミシュナの「ナシーム」の巻の中の「ネダリーム」(1章2節)に、次のような1節があります。
<もしある人が、「わたしがあなたの物から食べるならコルバンだ」、あるいは「わたしがあなたの物から食べないならば、コルバンだ」、あるいは「わたしがあなたの物から食べるのはコルバンではない」と言うなら、その人はこれに制約されない。しかし、もし人が「誓って、わたしはあなたの物から食べない」、あるいは「誓って、わたしはあなたの物から食べる」「わたしがあなたの物から食べるとは、誓わない」というなら、その人はこれに制約される。>〔Herbert
Danby Trans. The Mishnah. Oxford University Press (1933).265.〕。
「コルバン」"vow"もほんらいは「ネデル」"by my oath"と同じ意味で用いられたようですが、後にはこのように、かなり自由が利くようになったようです。「コルバン」のほうは、上に述べた禁止の目的でも行なわれるようになり、特にある特定の人が使用できないようにする意図で「コルバン」宣言が利用されるようになりました。しかも、父が息子に与えるべき物を息子が使用できないようにするため、逆に息子が父に与えるべき物の使用を父が利用できないように、あるいは、夫が妻に与えるべき物を妻が使用できないようにする目的などにこの制度が利用されるようになったのです〔フランス『マルコ福音書』286頁〕。
コルバン制度で分かりにくいのは、宣言した当人が、その後で、どこまで自分が献げた物を自由に扱うことが許されるのか? という問題です。ラビの言い伝えによると、この点でかなり本人の自由裁量が認められていたようですが、実態はよく分かっていません。さらに問題を複雑にしたのは、いったん「コルバン」誓約をしておきながら、後になってそのことを悔いて、この誓約を「取り消す/無効にする」こと、あるいは再び自由に使用できるようにコルバンした物を「買い戻す」制度があったたことです(民数記30章の「ネデル」制度を参照)。コルバンされたものが動産/不動産の場合、それほんらいの値段に5分の1を加えた値でコルバンを解除することができました〔Collins, Mark. 352.〕。
紀元後2世紀以降のラビ的ユダヤ教では、「コルバン」は、「主の御名によって誓う」正式の「誓約」(ネデル)ほど厳格ではなく、便宜的に使用したり、逆に使用を禁じる目的で利用されるようになったようです。第二神殿時代までの初期ユダヤ教は(前6世紀~後70年)、古代ヘブライの宗教あるいは古代ユダヤ教の時代と、紀元後2世紀以後のラビ的ユダヤ教との中間期にあたりますから、コルバン制度も、ちょうどその過渡期になります。このために、イエスの時代のコルバン制度が、実際どのようなものだったのか、その実態は、まだよく分かっていません。
イエスの時代のコルバン制度は、聖書ほんらいの献げ物規定とラビ的ユダヤ教の使用禁止のコルバン制度との中間期にあたります。正式の「ネデル」誓約は破ることが許されませんでした(申命記23章22~24節)。しかし、ある物を「コルバンにする」と宣言すると、コルバン宣言は正式の「誓約」に<準じる>意味を持ちますから、宣言されたその財産/所有物は、神への献げ物に「準じる」と見なされ、一応は献納物として「扱われる」ことになります。「コルバン」形式以外にも、「あなたがわたしから受ける益はコナムである」という「コナム」形式もありました。「コルバン」はヘブライ語からですが、「コナム」はアラム語から出ていると思われます。この宣言は、「あなたが用いようとするわたしの所有物は何であれ神殿への献納物である」という意味です。しかし、奇妙なことに、この宣言は、実際には、コルバン宣言された人(あなた)が、これを実際に使用する段階までは、神殿への献納物とは見なされなかったようです。
モーセの十戒には「父と母とを敬え」とあります。この「敬う」には、父母を適切に援助しその生活を守るだけでなく、病の時に彼らを看護し、父母が宗教的な行事に参加したりお勤めを果たすことを助ける義務も含まれていました。ところが、父母に向かって、「あなたが用いる物をコルバンする」と宣言すれば、コルバンされた人(あなた)が、それを用いようとするまでは、神への献納物とは見なされることがなく、「あなた」(父母)が実際にその援助を用いようとする時になると、コルバンの誓約が発行されて、利用できなくなるというのですから、これは「ばかげた」制度だと言えましょう〔Collins, Mark. 352-53.〕。このように、息子が親に与えるべくモーセ律法によって義務づけられていた援助金や所有物を阻止するための格好な便法として、「コルバン/コナム」制度が利用されていたようです。この場合、その息子は、「父母を敬え」とある律法に代わって、「神を敬え」という名目を立てることで、その義務を回避するのですから、まさに「唇で神を敬い、心は遠く離れている」ことになります。
ラビ的ユダヤ教では、コルバンのこのような乱用や悪用を阻止するために、祭司やラビが、コルバン宣言を吟味して、場合によっては退ける方策が採られました。神への献納物を受け容れるかどうかは、祭司あるいはラビが決定すべきことだからです。しかし、律法を字義どおりに解釈してこれを固持しようとするファリサイ派は、たとえ乱用や悪用が行なわれていたとしても、道徳か不道徳かの動機にかかわらず、誓いの宣言それ自体は有効であるという見解を取ったのでしょう。イエスは彼らのこのような律法解釈を「人間の定めで神の掟を無効にする」ことだと批判したです。
[13]【無にする】「(神の言葉を)無にする」とある動詞の原語「アクロー」の語源は「権威を否定する」ことで、そこから「無効にする」「破棄する」の意味になります。「あなたの弟子たちは、なぜ昔からの言い伝えを守らないで、汚れた手で食事をするのか?」(5節)というファリサイ派からの詰問を受けて、イエスは、直接に「食事の作法」には触れないで、父母を敬う律法がコルバンによって「無にされている」実態を逆に指摘します。なぜなら、彼らが「先祖/昔の人たち」から受け継いだ言い伝えは、神の言葉がほんらい求めていたその真の意図から「遠く離れてしまっている」(6節)からです。彼らが保持しようとしているのは、口先と上辺だけの偽善と欺瞞にすぎないからです。食事の前に手を洗うかどうかなどという問題をさも大事のように論じる前に、聖書の言葉がほんとうは何を求めているのか、その根本にさかのぼって彼らの信仰と生き方を問い直さなければならないのです。コルバンは、ほんの一例にすぎません。「これと同じようなこと」(13節)は、浄めの手洗いを含めて「ほかにもいろいろある」からです。
■マタイ15章
マタイ福音書でも、マルコ福音書と同様に、この出来事が、事実上、ガリラヤ伝道の最後となります。今回と次回との論争を通じて、イエスとエルサレムの指導層との亀裂が決定的になったからです。これ以後はカナンの地へ向かい(マタイ15章21節以下)、16章1~12節での「しるし」問答と「パン種」の喩えを挟んで、さらにフィリポ・カイサリアの地方を巡ることになります(同13節以下)。
マタイ福音書では、マルコ福音書の記事が縮小されて、イエスとファリサイ派との対立が、より明らかになるよう論点が整理されています。マタイ福音書の短い記事のほうがほんらいの伝承で、逆にマルコのほうが、マタイ福音書の伝承に加筆している、という説もありますが、たとえマタイが自分の資料を持っていたとしても、マルコ福音書に基づいて編集し直したと見るのが適切なようです〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)516~18頁〕。ファリサイ派と律法学者が、汚れた手で食事をするのはなぜかと弟子たちを咎めると、イエスは、逆に彼らが認めている「神への贈与宣言」を持ち出して反論してから、これをイザヤ書からの引用で締めくくっています。したがって、マルコ福音書と異なり、「コルバン」問答とイザヤ書からの引用の位置が入れ替わります。「マルコのイエス」は、始めにイザヤ書から引用して、「偽善者」の結論を先に出してから、その理由をモーセの十戒の例を引いて説明しています。その点では「マタイのイエス」のほうが、「父母を敬う」ことを例に出して、「偽善者たちよ」と弾劾し、イザヤ書の引用で締めくくりますから、論旨がはっきりして、分かりやすいです。
[1]マタイ福音書では、マルコ福音書と異なり、「エルサレムから来た」ファリサイ派と律法学者たちとイエスが論争するのは、ここが初めてです。12章38節にも同じ組み合わせが出てきますが、彼らが、エルサレムから来た人たちなのか、ガリラヤ地方の人たちなのかがはっきりしません。しかしここ15章1節では、「エルサレムからのファリサイ派と律法学者たち」とあって、どちらも、イエスの教えの正統性を監視するためにエルサレムから派遣されてきたことをはっきりさせています。
[2]マタイは、「手を洗わないままで」を挿入して「汚れ」の内容を説明しています。その上で、ファリサイ派は、「自分たちの言い伝え」を持ち出して、弟子たちがこれを「破っている」と厳しく咎めています(マルコ福音書では「従わない」)。弟子たちの行為が「先祖の言い伝え」に背くと見られていることをはっきりさせるのです。
[3]【自分の言い伝え】マタイ福音書では、ファリサイ派たちの「なにゆえ」を受けて、イエスも「なにゆえあなたたちの言い伝えによって」と「なにゆえ」を繰り返し逆に相手に問いかけます。イエスはさらに、「あなた(イエス)の弟子」に対して「あなたたちの言い伝え」を対置させます。「あなたたち」とは、主としてファリサイ派のことですから、マタイ福音書では、マルコ福音書に比べてファリサイ派への批判がより強く印象づけられます。ここには、マタイの教会と、同時代のファリサイ派との対立が背景にあるのかもしれません。なお、マタイ福音書では、「手を洗う」ことについてのイエスの答えが、15章20節で与えられますが、それはファリサイ派や律法学者に対してではなく、弟子たちに向けてです。
[4]マルコ福音書では「モーセは(命じた)」で、マタイ福音書では「神は命じた」です。「モーセ」の教えが神の教えと同じであることは、パレスチナのユダヤ人なら当然知っていることです。マタイの教会のユダヤ人キリスト教徒たちも、このことを知っていたと思われますから、彼はここで、異邦人キリスト教徒のことをも配慮して、「神」と「あなたたち」とを対立させているのでしょう。
[5]~[6]マタイは、マルコ福音書の「コルバン」を「供え物」と言い換えて、異邦人キリスト教徒にも分かりやすくしています。その上で、マルコ福音書の「何もしない」を「敬わなくてもいい」に変えて、彼らの教えの偽善性をはっきりさせています。
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