【注釈】
■マルコ7章
 今回の出来事は、ほんらいゲネサレトでの出来事であったものが、マルコかあるいはそれ以前の伝承において、ガリラヤの外の場所に移されたという説があります〔Collins, Mark. 364-65.〕。場所がフェニキアのティルスであるのに、「女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれ」とあるのも不自然であり、これは彼女が、ガリラヤのユダヤ人の間に混じっていたことを思わせます。「ギリシア人で」とあるのもユダヤ人の中にいたことを示唆しています。しかし、ここで語られている出来事とイエスの言葉は、異邦人キリスト教徒の反感を招きかねないこと、イエスの伝道活動が事実上イスラエルに限られていたこと、内容がパレスチナの風土に適合していることなどから、実際に起こった出来事であり、イエスの言葉も真正であると考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)545頁〕。ただしマルコは、イエスの復活以後における異邦人への伝道を視野に入れて、この出来事をゲネサレトでの癒やしとファリサイ派との浄め論争の後に置いたのかもしれません。ちなみに、この出来事は、列王記上17章8~24節でのエリヤとシドンのやもめとの物語に類似していると指摘されていますが、両者の関係は明らかでありません。
[24]【そこを】原文を直訳すれば「(イエスは)そこから立ち上がってツロの領土内へと入った」です。「そこから」を辞義どおりにとれば、6章53節で癒しを行なっていたガリラヤ湖畔のゲネサレト(にある7章17節の家から?)のことになります。
【ティルス】現在のレバノン領の南部にある「スール」です。ここは現在のイスラエルとレバノンとの境界から25キロほど北にあたります。ティルスは、古代から栄えた貿易港で、もとは島でしたが、アレクサンドロス大王の征服(前330年頃)によって本土と結ばれて、それ以来ギリシア・ローマの植民都市として栄えました。40キロほど北にシドンがあります。「ティルス<とシドン>」とある異本がありますが、これはマタイ15章21節/マルコ7章31節から出た後からの挿入でしょう。
 旧約聖書では、ティルスは富と繁栄の町として知られ(イザヤ書23章8~9節)、ソロモン王の時代にはここからエルサレム神殿の建築技師たちが招かれました(列王記上7章13節)。しかしこの町は、異邦人の悪徳を代表する町として、預言者たちから断罪されました(エゼキエル書26章/イザヤ書23章)。ただし、「ティルスの地方へ」とありますから、イエス自身は、ティルスの町自体には入らなかったと思われます。イエスは、ガリラヤでも、都市を避けて地方の町々村々を巡り歩いたからです。
【気づかれた】直訳は、「誰にも知られないように家に入ったが、人目を逃れることができなかった」です。すでにイエスの評判は、この地方にも広まっていたのでしょう。ユダヤ人の男性が、異邦人の「家に入る」あるいは「宿泊する」ことは、よほどの理由がない限り許されないことです。ガリラヤの周辺にもユダヤ人が大勢住んでいましたから、彼らの家であれば問題はなくなりますが。「人目を避けて」とあるのも、ガリラヤでの場合と同じで(1章35節/6章31節)、特に異邦人の土地だからではありません。
[25]~[26]【足もとにひれ伏し】イエスのいることを聞きつけて「すぐに」来ることも、イエスの「足下にひれ伏す」のも、悪霊追放や重病の癒しを請い求める人がとる姿勢です(5章6節/同22節)。だから、これも特に彼女が異邦人だからではありません。
【ギリシア人】しかし、これに続いて女性の身元を明かすマルコの描写には、この出来事の意義がはっきりと言い表わされています。先ず懇願者は女性で、しかも異邦の地域に生まれたギリシア人です。ユダヤの宗教的な指導者である男性が、このような人と接触すること自体が異例です。その上、異邦人の女性と「汚れた霊」に関して宗教上の会話を交わすことなど、通常では決して考えられないことです(ヨハネ4章9節参照)。マルコはここで、イエスの伝道活動が、今までユダヤ人の宗教的指導者が越えることをしなかった大きな境界を踏み越えて、全く新しい段階に入ったことを伝えているのです。なお、「ギリシア人」とあるのは、単に人種のことではなく、母語である言語も宗教も生活習慣もユダヤ人とは異なる人たちという意味です。
【シリア・フェニキア】フェニキア民族は、海洋貿易の民として、地中海各地に植民都市を建てました。特に、アフリカ北岸にあるカルタゴ(現在のチェニジア共和国の首都チェニス)は、ローマに滅ぼされるまでフェニキア民族の植民都市として栄えました。この地域には、フェニキアから移住した人たちによって、カナン(ウガリット)の宗教や文化が受け継がれていました。「シリア・フェニキア」という呼び名は、ローマから見て、アフリカ北岸の「フェニキア」と区別するために、パレスチナの「フェニキア」を指す言葉として用いられました。このことから、ここでの「シリア・フェニキア」は、ローマから見た言い方だと判断し、マルコ福音書はローマで書かれたという説が出されました。しかし、この見方に対して、ギリシア語で言う「シリア・フェニキア」は、ローマのラテン語とは異なり、パレスチナの北部の「シリア・コエレ」"Syria Coele" に対して、南部の「シリア・フェニキア」"Syria Phoenice"を指すという説があります。だから、「シリア・フェニキア」という呼び方だけで、マルコ福音書がローマ的な見方をしているとは言えないことになります〔Collins, Mark. 366.〕。ただし、マルコ福音書がローマで書かれたという説それ自体が否定されているのではありませんから注意してください。マルコ福音書の編集執筆がローマで行なわれたという見方は、他の地域に比べてより信憑性が高いと筆者(私市)は考えています。
[27]【子犬】イエスとこの異邦人女性との間に立ちはだかる壁は、予想通り/よりも?厳しいものでした。「犬」は、羊の番犬としても用いられましたが、通常、ユダヤ人の間では、敵意を表わして吠えるもの、汚れた卑しいものとして扱われました(詩編22篇17節/59篇7節など)。「犬」は律法を知らない無知な者たちを蔑(さげす)む言葉であり、このことから「犬」は、異邦人に対する蔑称として用いられました。異教の神々を祀る神殿で、身を売る神殿の男娼を指すこともあります(申命記23章19節)。旧約聖書にでてくるのは「山犬」が多いのですが、町中の犬も、腐肉やゴミなどをあさる動物として、敵意や汚れを表わすものとされました。だからここにでてくる「子犬」も、人並みに扱われない蔑みを表わすものです。これは「忠実な犬」、「愛すべき子犬」という現代のイメージとは異なります。
【パン】イエスはここで、「<先ず/先に>子供たちにパンを」と言っていますから、「パン」は、先にイスラエルの民に与えられる「救い」を指します。「先ず/最初に」とあるのは、イスラエルに続いて異邦人にも御国の福音が及ぶ、という二段階の救済史を想定していると考えられます(ローマ1章16節参照)。だとすれば、イエスは異邦人に対して御国の救いを拒否しているのではないことになります。なお、ここにでてくる「パン」は、続く4000人への「パン」につながり、さらに、「パン種」の譬えへともつながります。
[28]イエスが「子犬」と言ったのを受けて、女性はとっさに、街路でゴミをあさる一般的な犬から、家で飼われるかわいい「子犬」へと、そのイメージを移し替えます。その上で彼女は、自分を子犬にたとえて、「子犬でもおこぼれに与りますよ」と切り返したのです。これは驚くべき「機知/知恵」です。彼女のうちには、イエスの言葉にあえて逆らってまで、厳しい壁を試練として乗り越える強い信仰が働いているのが分かりますから、イエスは彼女の言葉を聞いて感心し、これを受け容れたのです。
 彼女の答えの前に、「はい、そうです」が挿入されている異本があります。これだと、彼女は、イエスの言葉をそのまま受け容れて、自分を犬と同等に見なしていることが、いっそうはっきりしますから、ほとんど自己卑下に近い「謙遜」になります。しかし、この挿入はおそらくマタイ15章27節から出ているのでしょう〔新約原典テキスト批評95頁〕。
 ここには、異邦人に対するユダヤ人の優越性がはっきり示されています。しかし、この出来事では、そのような優劣が問題ではなく、信仰には「試練」が伴うこと、すなわち信仰は「試される」ことでほんものになるという教えが含まれていると見るべきでしょう。
[29]~[30]【それほど言うなら】原文は「その言葉(単数)のゆえに/を持って(帰りなさい)」です。"for saying that, you may go" 〔NRSV〕ここで、遠隔からの悪霊追放という大きな業が起こったのです。この出来事は、イエスの神の国の伝道において一つの転機となる救済史的な意義を帯びていると言えましょう。この癒しでは、女性の信仰の祈りとイエスの言葉とが一つになって、信仰の祈りが、人間の内面的な想いや願望を超えて、「客観的な力」として、現実に働くことを示しています。
 
■マタイ15章
 マタイ福音書では、一連の御国の譬えの後で、ナザレで受け容れられない→洗礼者ヨハネの殉教→5000人への供食→湖での歩行→ゲネサレトでの癒やし→ファリサイ派との浄め論争→カナンの女の信仰→4000人への供食→しるし論争→ファリサイ派のパン種→ペトロの信仰告白と続きます。マタイは、これら一連の出来事でマルコ福音書の順番に従っていますが、マルコ福音書にある十二弟子の派遣と口のきけない人の癒やしとベトサイダでの盲人の癒やしの三つが省かれています。なお、マタイ福音書では、カナンの女の出来事を挟んで、イエスの一行は、その前にガリラヤから出て(マタイ15章21節)、再びガリラヤへ戻りますから(同29節)、周辺の異邦の地域めぐりの旅はでてきません。
 マタイは、今回の出来事で、マルコ福音書の記事に基づきながらも、これをイエスから四つの応答を引き出す対話形式に構成し直しています。
(1)女の要請(22節)→イエスの応対「しかしイエスは」(23節)。
(2)弟子たちの要請(23節)→イエスの応答「そこでイエスは」(24節)。
(3)女の要請(25節)→イエスの応答「しかしイエスは」(26節)。
(4)女の答弁(27節)→イエスの応答「そこでイエスは」(28節)。
 ここには明らかにマタイの編集の手が加えられていて(特にマタイ15章22~24節)、女が最後にイエスから引き出した驚くべき言葉を引き立たせます。ここでイエスは、それまでのイスラエル向けの宣教(マタイ10章5~6節)から、大きく方向転換することになります。おそらくマタイは、この出来事で、生前のイエスのイスラエル向けの伝道活動が、復活以後に異邦人向けに拡大されたことを視野に入れているのでしょう。なお、この出来事は、8章5~10節の百卒長の僕の癒しと内容的に共通することが指摘されています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)541~42頁〕。マタイ福音書では、イエスが異邦人を救うのは、8章の百卒長と15章のカナンの女の場合だけです。
[21]【シドンの地方】マタイは、マルコ福音書にはない「シドン」を加えて、マルコ福音書の「地域」を「地方」と言い換えています。またマタイは、マルコ福音書にある「家に入った」と「人目を逃れることができなかった」を省いています。イエスが異邦人の家に入ることは、ユダヤ人としてあるまじきことだとマタイは考えたのでしょうか。なお、マタイ福音書では「女が<そこから出て>きて」とあるので、イエスの一行がシリア・フェニキアに入る前に、女のほうが「そこ(=シリア・フェニキア)から出て来た」ようにも受け取れます〔France. Matthew.592.〕。これもマタイの意図的な変更でしょうか。なお、イエスの頃のティルスとシドンの領域は、東に大きく広がっていて、ほとんど北ガリラヤと境を接していたと思われます。これだと、イエスの一行は、テュロスの地域に「入った」とは必ずしも言えなくなります〔ルツ『マタイ福音書』(2)558頁〕。ガリラヤから北のフィリポ・カイサリアへ向かう場合には、どうしても「ティルスとシドンの地方」を横切ることになるという見方もあります。
[22]【カナンの女】マタイは、なぜマルコ福音書の「シリア・フェニキア」を「カナン」(この語はここだけ)に変えたのでしょうか。「カナナイア」(カナン人)と「クナリオン」(子犬)とが掛け言葉になっているという説や、「シリア・フェニキア」は、アラム語で「ケナーニター」と呼ばれていたことなどが理由としてあげられています。しかし、「カナン」が旧約時代から伝統的に異教の地と見なされていて、かつ「カナン」がイスラエルによって征服された歴史を持つことが、マタイによる変更の最大の理由だと考えられます。ユダヤ人マタイのこのような「カナン」観は、続く弟子たちの態度や24節でのイエスの言葉やイエスの子犬のたとえにも見ることができましょう。ただし、このことをもって、生前のイエスが異邦人に無関心であったとか、その教えが異邦人に開かれて<いなかった>と見なすのは誤りです。御国の<宣教の使命>という視点から見れば、イエスは、イスラエルの民が第一だと考えていましたが、同時に、異邦の民にも公正な目を向けていたからです。マタイ11章21~22節のイエスの言葉は真正だとみなされいますが、そこにはイエスの公正な見方がはっきりとでています〔Keener, The Historical Jesus of the Gospels. 390.〕。
【主よ】「主」は「ご主人様」という敬称ですが、それだけでなく、マタイにとってはキリスト教会のメシアである「主イエス」の意味も含まれます。カナンの女の言葉ですから目上の人への敬称だと思われますが、マタイは教会の聴衆/読者をも意識しているのでしょう。
【ダビデの子】パレスチナでは当時、この称号は、来るべき「メシア」を表わしていました。マタイ福音書でも、この意味がこめられていると思われます。しかし、特にマタイ福音書では、「ダビデの子」が病の癒やしに関連して用いられていることが注目されます(マタイ9章27節/12章23節/15章22節/20章31節)。これは、「ダビデの子」がソロモン王を指すことから来ています。ソロモン王は、「知恵の王」として知られており、このために、イエスの頃は、「ダビデの子=ソロモン王」の名前は、病の癒やしや悪霊追放など、医療について特別な効力があると信じられていたからです。このことから判断すると、この節は、マタイ福音書以前からの古い伝承資料から出ているのかもしれません。
【悪霊にひどく苦しめられ】マルコ福音書では「汚れた霊」で、これはユダヤ的な表現です。マタイ福音書では、「ひどく(悪い)霊(ダイモニオン)に憑かれている」で、こちらのほうが「カナン的な」言い方です(この言い方は新約聖書でここだけ)。「霊」(ダイモニオン)というギリシア語それ自体には、ほんらい「善い悪い」の区別がありません。しかし、次第に「ダイモニオン」そのものが「悪い霊」を意味するようになりました(英語の"demon")。
[23]【答えなかった】イエスは女の叫びにただ沈黙していたのです。この沈黙は彼女の願いを「退ける」意図からでしょうか? それとも彼女の信仰を「試す」ためでしょうか?見方はふたつに分かれているようです。「応える/答える」は、今回の箇所に4回でてきて、これが一つの鍵語になっています。
【追い払って】これの原語「アポリュオー」には「解放する/放免する」と「立ち去らせる/解散させる」の意味があります。ここを「解放する」の意味にとれば、彼女の願いを聞き入れて、「ついてこなくてもいい」ようにしてやることになります(〔新共同訳〕と逆の意味)。この意味だと、続くイエスの答え「イスラエル以外に遣わされていない」とも内容的に適合します。しかし、この一語の解釈だけに依存することをせず、全体的な文脈から、通常はここを「追い払う」の意味に理解しているようです〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)549~550頁〕。
【ついて来ます】この言葉から、一行は先へと歩き続けていて、女は「叫びながら」(不定過去形)、どこまでも執拗に願い続けている様子が分かります。弟子たちがイエスに願ったのは、彼女がうるさくつきまとったからと言うよりも、異邦の女と関わりになるのを恐れたからかもしれません。
[24]ここでのイエスの答えは、弟子たちへ向けられたのか、女に向けられたのか? おそらく弟子たちに語られたことを彼女も聴き取ったのでしょう〔France. Matthew. 593.〕。
【イスラエルの家の失われた羊】ここでのイエスの答え全体は、マタイ10章5~6節の派遣命令から来ていて、その文体から見て、イエスにさかのぼる真正性があると考えられます。おそらくマタイは、派遣命令からの言葉を今回の箇所に挿入したのでしょう。「イスラエルの家の失われた羊」とは、イスラエルの民の中でも、とりわけ貧しい「見失われた」者たちを指すという解釈もありますが、ここはそうではなく、イスラエル(ユダヤ)全体のことをこのような言い方で呼んだと考えられます。
[25]彼女は、イエスから弟子たちへの答えを聞いたのでしょうか? それとも、イエスの沈黙に対して、勇気を持ってイエスの前にひれ伏したのでしょうか? どちらともとれますが、彼女のこの姿勢は、「忍耐強い信仰」の模範にされています。
[26]~[27]この部分は用語も内容もマルコ福音書に基づいています。ただしマタイは、「先ず子供たちに十分食べさせなければならない」を省いています。この言葉はイスラエルの異邦人に対する優越性をはっきり言い表わしていて、マタイの主旨に合致するはずですが、なぜかマタイはこれを省いています。マタイの手にあるマルコ福音書には、この部分が抜けていたという見方もあります。確かに、今回の記事では、マルコ福音書に比べてマタイ福音書のほうには、異邦人に対するイスラエルの優越意識が、はるかに強く出ています。しかし、先の百人隊長の僕の癒しでは(マタイ8章)、同じ異邦人への癒しでありながら、「御国の子」であるイスラエルが裁かれて、異邦人が救いに与ることが強調されています。だから、このカナンの女の場合でも、神が、アブラハム契約に基づいて、イエスをイスラエルに遣わしたにもかかわらず、神の契約の<外にいる>異邦人のほうが、「先に」御国に与るという皮肉を裏に秘めているのかもしれません。
【主よ、ごもっともです】原文は「はい、主よ」です。これはマルコ福音書にありません。マタイ福音書で女は、この答えによって、ユダヤ人の優越性をはっきりと認めています。その上でさらに、「ユダヤ人のパンのおこぼれ」に与りたいと願っているのです。彼女のこの願いは、「主人の食卓から」と結びついています(マルコ福音書では「子供のパン屑から」)。ここで言う「主人」(複数)は直接の文脈ではその家の主(あるじ)を指しますが、この「主人」(キュリオス)は、「はい、主よ」の「主」(キュリオス)と結びついていて、ここには、復活以後のキリスト教会の「主」であるイエスが示唆されています。新共同訳で「主よ、・・・主人の食卓」とあるのもこのつながりを示唆しようとしたのでしょう("Yes, Lord ...from their masters' table."〔NRSV〕)。ここでのイエスと女とのやりとりは、新約聖書全体を通じて問題とされているユダヤ人と異邦人、とりわけユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒との融和という大きな主題にかかわっています。
[28]マタイの書き方は、マルコほど生き生きとしてはいませんが、マルコ福音書を縮めて、しかも信仰的に大事なところをはっきりと映し出すように構成されています。
【イエスは答えた】マルコ福音書の「そこで彼女に言った」と比較。冠詞の付いた「イエス」が、始め(23節)と終わり(28節)だけにでてきます。「答えた/応えた」はこれで4度目で、この出来事の鍵です。マルコ福音書の「そこで」に対してマタイ福音書の「その時」に注意してください。彼女の信仰の言葉が、「その時」イエスの姿勢を変えたのです。驚くべきことに、イエスは「彼女の意志/願い/祈り」に従ったのです。
【あなたの信仰は立派だ】「女よ!」もマルコ福音書にありません。イエスの驚きと感動がこめられています(マタイ8章10節参照)。原文は「あなたの信仰は偉大だ」です。事はイスラエルの優越性、すなわち神とイスラエルとの間の「契約」に関わる出来事だからです。旧約と新約との境界がここに表われています。マタイの解釈は、女の「信仰」とイスラエルの「選び」を軸にして形成されているのです。
【あなたの願いどおりに】8章13節と9章29節参照。原文は「あなたの意志のとおりに成れ」です。人間の祈りが現実の出来事となって起きることです。
【いやされた】マルコ福音書では悪霊が「出ていった」ですが、マタイでは、娘は「癒やされた」です。娘が「悪い霊にひどく」悩まされていたとありますから、マタイ福音書では、悪霊も病もすべてがイエスによって「癒やされる」のです(4章23~24節/8章16節)。
                       
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