【注釈】
■異邦の地域へ
 前回の「カナンの女」の出来事に始まって、マルコ福音書でのイエスの足取りは、ユダヤ人の住むガリラヤから出て、ガリラヤ周辺の異邦人の地域へ向かうことになります。
 イエスの一行は、まずガリラヤから北上してフェニキアの領内に入り、そこから西へ進路を変えて、地中海沿岸のティルスの方へ出ます(マルコ7章30節まで)。ティルスから沿岸沿いに40キロほど北へ進みシドンに出ます(そこから再びティルスの近くまで戻ったのでしょうか?)。
 マルコ福音書7章31節によれば、「シドンを経てデカポリス地方を通り抜けた」〔新共同訳〕とあります。デカポリスは都市による自治連合の地域で(前60年頃のローマの支配と共に始まる都市同盟)、ガリラヤ湖東南一帯に広がっていましたが、その自治範囲は時期によって変わりました。当初はガリラヤ湖の東岸に近いヒッポや湖の東南にあたるガダラも自治区に含まれていましたが、イエスの頃は(紀元30年頃)、ヒッポもガダラもフィリポの領土内にあり、自治区の北の境界はガリラヤ湖から10キロほど南になります。デカポリス一帯は、当時シリア州に合併されていましたから、ヘロデ・アンティパスやフィリポの領土の外の地域になります。
 マルコ福音書7章31節をそのまま読むと、地中海沿岸のティルスからまっすぐ北へ40キロほどのシドンへ行き、そこから東へ向きを転じて、ヘルモン山脈とガリラヤ湖を結ぶヨルダン川を渡り、フィリポの領土内に入り、さらにそこから、ガリラヤ湖のはるか東方を迂回するように南下して、ガリラヤ湖東南のデカポリス地方へ来たことになります。さらに、そこから北西に向きを変えてガリラヤ湖の南端に出て(7章31節)、この地域で、聾唖(ろうあ)の人を癒やし、四千人への供食の奇跡が行なわれます(8章9節まで)。そこから、船で「ダルマヌタ」(マタイ福音書では「マガダン」)へ来たとありますが、この地名は特定できません。おそらく、ガリラヤ湖東岸に近い村落でしょう。そこでは、ファリサイ派と「しるし」について論争が起こりますから、これはユダヤ人の地域です(8章11~13節)。さらにそこから、舟で、ガリラヤ湖の北岸のベトサイダへ向かうのですが(8章22節)、その間に弟子たちに「パン種」の譬えが語られます(8章14~21節)。ベトサイダでは盲人の癒しがあり(8章22~26節)、ベトサイダから、今度はガリラヤ湖の北へ、ヨルダン川に沿って北上し、フィリポ・カイサリアへ出ます。ここで、ペトロのメシア/キリスト告白が行なわれます(8章31~38節)。
 マルコが描くこの地図だと、イエスの一行は、ガリラヤのはるか北西のシドンから、異邦人の地域を東へ進み、そこから南下してデカポリスへ出ますから、ガリラヤ湖の北部から東部へとを大きく迂回して異邦の地域を巡る旅をしたことになります。イエスの一行は、ガリラヤの指導層の目を逃れるために、ユダヤ人の男性が通常では行なわないこのような旅を続けたのでしょうか? それよりも、イエスによるこのような「異邦人の地域をめぐる旅」は実際に行なわれたのでしょうか? この疑問は、マタイの並行記事を読むといっそう深まります(下記のマタイ15章29節参照)。地図のない時代ですから、マルコはシリアとパレスチナ北部の地図をよく知らなかったのではないかと言われていて、これもまた、マルコ福音書がローマで書かれたことの傍証とされるようです。ただし、これだけでマルコがシリアとパレスチナに不案内だと決めつけることはできませんが〔コリンズ『マルコ福音書』369頁〕。
 しかし、マタイ福音書の記事と比べますと、マルコ福音書の旅程がいかにも不自然だという感が否めません。マルコが、パレスチナから遠く離れたローマで、この福音書を書いているとすれば(マルコ7章26節「シリア・フェニキア」の項を参照)、彼のもとには、ガリラヤ周辺地域でのイエスの旅について、幾つかの伝承が、資料あるいは口頭で伝えられていたのでしょう。伝えられた伝承を忠実につなぎ合わせると、このような広範囲にわたる「異邦の地巡り」が出てきたのではないかと思われます。
 このためか、マルコ7章31節の「デカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へ」〔新共同訳〕とあるのを「さて彼は、再びテュロスの地域から出て、シドンを通って<ガリラヤの海にいたり>、デカポリス地域のただ中に来た」〔岩波訳とその注を参照〕という訳があります。またマルコ福音書の「通り抜け」や岩波訳の「ただ中に」とあるところは、「デカポリス地域の<北の境界に>」〔コリンズ『マルコ福音書』369頁〕と解することもできます。岩波訳はいささか解釈に近い訳ですが、このルートだとマタイ福音書とも適合します。この場合、イエスは<異邦の地域めぐり>をしたというより、ガリラヤ湖を中心に、あるいは北西のティルスへ、あるいは東南のデカポリスへ、あるいは北のフィリポ・カイサリアへと異邦の地域を旅したことになりますから、こちらのほうが、実際のイエスの伝道活動に近いのではなかったかと思われます。いずれにせよ、聾唖者の癒しと四千人への供食は、異邦人の多い地域で行なわれますが、ファリサイ派との「しるし」問答とパン種の譬えと盲人の癒しはユダヤ人の多いガリラヤ湖沿岸地域でのことです。
 イエスの当初の目的は、ガリラヤを離れることであって、必ずしも異邦人への伝道を目指すものではなかったようです。しかし、異邦人の間でも隠れていることができず、癒しや供食の業を行なうことになります。このようなイエスの旅は、ガリラヤでのイエスの評判が、すでにガリラヤの外の異邦人の地域にも広まっていたことを前提にしなければならないでしょう(マルコ3章8節)。同時に、ここで語られる「異邦人地域への旅」は、マルコ福音書が書かれた当時のキリスト教が抱える問題もその背景にあると思われます。イエスが、イスラエルの待ち望むメシア/キリストであることが、ユダヤ人以外の異邦人にとってどのような意味を持つのか? この問題が、マルコ福音書のこれらの出来事に反映していると見ることができます。
[31]上に述べたルートによれば、イエスたちは、ガリラヤ湖の東南にあるデカポリス地方へ行くために、ガリラヤ湖のはるか北西に当たるティルスから、さらにその北のシドンを「通り抜けた」ことになります。これでは、わざわざシドンへ向かう意味がなくなりますから、ここを「ティルスとシドンの地方へ入り」と読む異本があります。これはマタイ15章21節に従った後の読替とも考えられますが、むじろ、イエスの足取りが不自然なために意図的に変更したのでしょう〔新約原典本文批評95頁〕。
[32]【人々は連れてきた】32~36節の聾唖者への癒しは、マルコ福音書だけの記事です。人々のほうからイエスの所へ聾唖者を連れてきたのは、すでにこの地方にも、イエスの評判が伝わっていたことを示しています。デカポリスは異邦人の地域ですが、かなりの数のユダヤ人も住んでいたと考えられます。
【耳が聞こえず舌の回らない人】原語は「コーフォス」と「モギラロス」です。「コーフォス」には、「耳が聞こえない」と「口が利けない」との、どちらの意味もありますが、両方を指す場合にも用いられます。これらの二つの症状が重なる場合が多いからでしょう。マルコが、この語に続いて「モギラロス」(口がうまく利けない)を重ねているのは、ここでの症状が、耳だけでなく、口にも及んでいたことをはっきりさせるためです。「モギラロス」は、「話すのが困難」だという意味で、全く口が利けないことではありません。この用語は新約聖書ではここだけですが、旧約のイザヤ書35章6節(七十人訳)にもでてきます。マルコは、ここでイエスの癒しをイザヤ書の35章5~10節の預言と関連づけているのでしょう。
【手を置いて】「手を置く」ことは、最も一般的な癒しの方法です(日本語の「手当」)。しかし、これは病気の場合で、悪霊追放には決して用いられません。
[33]ここで癒しの方法が詳しく伝えられているのが注目されます。ここでのイエスの癒しの方法と、8章22~26節での盲人の癒しとの類似に注意してください(「手を当てる」「唾をつける」など)。口の利けない者の癒しは、9章14~28節にも出てきますが、こちらのほうは悪霊によるものですから、今回の癒やしとは全く異なる手法が採られています。
【群衆の中から連れ出し】イエスは、「この人だけを」群衆の中から連れ出して癒しを行ないます。また人々にこのことを言いふらさないよう戒めています。8章のベトサイダでの癒やしでも同じことをしていますが、ベトサイダは、ガリラヤの外に位置するとはいえ、ペトロとフィリポとアンデレの3人の内弟子の出身地です。デカポリスにも、同様にユダヤ人が住んでいたのでしょう。これはイエスの「病気癒やし」の評判が広まることで、人々に誤った「メシア」観を与えることを懸念したからだと思われます。あるいは、異邦人の地域であるとは言え、民衆の評判があまり加熱すると、為政者の介入を招く恐れがあったからかもしれません。
【唾をつけて】ここでイエスは、両耳と舌とに直接手と唾を用いて触れているのが注目されます。「唾をつけて」とは、直接その人の舌に唾をかけたのか、手に唾をつけて舌に触れたのか、はっきりしません。おそらく後のほうではないかと思われます。唾を患部に用いる方法は、古代で良く用いられました。エジプトのアレクサンドリアでは、ローマ皇帝ヴェスパシアヌスの唾で盲人の目が開いたと言うので、皇帝自身が驚いたという話が、ローマの歴史家タキトウスの記録にあります〔コリンズ『マルコ福音書』371頁〕。
[34]【天を仰いで深く息をつき】「天を仰ぐ」行為は、そこで起こる出来事が、人の念力や魔術ではなく、天からの神のみ業であることを証しするためです(ヨハネ11章41節)。「深くため息をつく」の原語はここだけで、イエスの深い共感を表わすものです(ヨハネ11章33節参照)。
【エッファタ】ここでは、珍しくイエスによる「癒しの言葉」が記録されています。おそらくアラム語の動詞「ぱっと開く」の命令形(単数)でしょう。マルコ福音書での癒しの言葉は、5章41節の「タリタ・クム」とここだけです。「タリタ・クム」もヘブライ語とアラム語との混合から出ていますが、「エッファタ」も同様にアラム語固有の言葉なのか、ヘブライ語とも関連するのか確かでありません。いずれにせよ、癒しの決め手となるのは「イエスの言葉」であることが分かります。マルコ福音書の読者/聴衆であるヘレニズム世界の人々には、イエスが語ったアラム語が、特別の霊力を持つと受け取られたのでしょう。ヨルダン川の東方では、デカポリスでもペトラ地方でもアラム語が通じましたから、この言葉は癒やされた当人にも分かったと思われます。耳が開いたとたんに聞いた言葉だけに、よほど印象に残っていて当人から伝えられたのかもしれません〔フランス『マルコ福音書』〕。
[35]【耳が開き】通常の「耳」ではなく、「聴力が開いた」という変わった言い方をしています。以下、舌のもつれ、口の語りなど、マルコの描写は、目撃者の証言のようです。「舌のもつれが解けた」とあるから、それまで口ごもった話し方をしていたのが、はっきりとはなせるようになったのです。
[36]~[37]【すっかり驚いて】直訳すれば「この上なく仰天して」。
【口止め】「口止めする」も「言う」も不定過去形ですから、繰り返し念を押すことです。イエスはその聾唖者にではなく、彼を連れてきた人たちに向かって、このことを言いふらさないようにと幾度も戒めたのでしょう。イエスは、「自分が何者か」についても、内弟子たちに口外しないよう戒めていますが(8章30節)、ここの聾唖者の癒しと娘のよみがえりの奇跡(マルコ5章43節参照)の場合も同様の戒めを与えています(二つ共にイエスのアラム語が記録されているのは偶然でしょうか)。これらの癒しの奇跡が、イエスは旧約で約束された預言者/メシアだという信仰を人々に与えたからでしょう。しかし、口止めは、かえって逆効果だったようです。
【すべて、すばらしい】「何もかも良いことばかりだ」〔塚本訳〕。この出来事は、異邦の地域にもイエスの評判を広める結果になって、これが、続く四千人への供食の奇跡へつながるのでしょう。先のイザヤ書からの引用と照らし合わせると、イエスが、ガリラヤだけでなく周辺の異邦人にも、旧約聖書で預言されている「メシア」だという印象を人々に与えたことが分かります(イザヤ書35章5節/42章7節/50章5節などを参照)。
 
■マタイ15章
 マタイ14章13~21節では、イエスは、方々の町からやって来た群衆を観て心を動かされ、その中の病人たちを癒やして(14章14節)、それが、五千人への供食の奇跡につながります。今回の15章29~30節での癒やしも、32節以下の四千人への供食に先立っています。ただし、先の癒しと供食とが、イスラエルの民のためであったのに対して、今回の癒やしも供食も異邦人の多い地域のことであるのが特徴です。
 マタイ福音書の記事は、マルコ福音書のそれに比べると大幅に縮められています。特に単独の聾唖者の癒しは除かれていて、多くの人たちへの癒しだけが語られています。ただし、その中に「口の利けない人」をも含めることで、マルコ福音書の記事を反映させています。マタイがマルコ福音書の聾唖者の癒しを省いたのは、おそらく、マルコ福音書では癒しの方法が詳しく書かれていて、それが異邦人の目から「魔術/まじない」のように受け取られるのを避けるためでしょう。また、地理関係も、ガリラヤ湖の北西から湖の東南へと迂回するマルコ福音書の描く旅ではなく、ただ「ガリラヤ湖のほとり」とだけありますから、そこがユダヤ人の地域なのか、異邦人のそれなのかがはっきりしません。
[29]【ガリラヤ湖のほとり】原文は「ガリラヤ湖の側/に近くにやって来た」で、この言い方は、マルコ福音書7章31節から来ています。ただし、前置詞だけが異なっていて、マルコ福音書の「湖へ」"to the sea of Galilee" が、マタイ福音書では「湖に沿って/の近くに」"along/near the sea of Galilee"へと変えられています。マタイは、おそらく意図的にあいまいにすることで、マルコ福音書7章31節の前半を省いたのです。だから、この地理描写からだけでは、以下の記事が異邦人の多い地域であることが必ずしも明確ではありません。
 「イエスは<そこを>去って」とあるのは、21節の「ティルスとシドンの地方」からのことです。そこから「ガリラヤ湖に沿って/の近く」へ来て、癒しを行ない、四千人への供食の奇跡を現わし、「舟でマガダン地方に行く」(39節)ことになります。ここには、マルコ福音書にある「デカポリス地方」(マルコ7章31節)はでてきません。したがって、マルコ福音書と併せて読むなら、マタイ福音書によれば、イエスたちは、ティルスとシドン地方からガリラヤ湖へ戻り、おそらく湖の東岸に沿って南下した所で、異邦人の多い地域で癒しが行なわれたと考えられます。この場合、イエスが座った「山」とは、ガリラヤ湖東岸の丘陵のどこかになりましょう〔フランス『マタイ福音書』598頁〕。なお、四千人への供食の後で向かった「マガダン」(マタイ15章39節)も、マルコ8章10節の「ダルマヌタ」同様に、その場所が特定できません。どちらもガリラヤ湖東岸の小さな村落だろうと思われます。
【山に登って】「山に登って座った」は、5章1節の「山上の教え」の場面を思い起こさせます。マタイは、5章のイスラエルの民への教えと、ここでの異邦人へのイエスの癒やしとを対応させているのでしょうか? 興味深いのは、ここのマタイ福音書でも、ルカ福音書(9章11節)でも、ヨハネ福音書(6章1~3節)でも、イエスが「山に登って座り」「大勢を癒やし」「四千人/五千人への供食」を行なったことが組み合わされていることです。マルコ福音書とマタイ福音書では、供食が2度でてきて、ルカ福音書とヨハネ福音書では1度だけですが、供食の奇跡と山に座ることと癒しとが、最初期の伝承から結びついていたと考えられます。
[30]【足の不自由】手足が麻痺していること。
【体の不自由な】手足が曲がっていて、体の自由がきかないこと。この語は手足が失われた状態をも指しますが(マタイ18章8節)、ここではその意味ではありません。
【口の利けない】マルコ福音書の場合と同じ原語。耳と口に障害があること。31節に「話せるようになる」とあるから、ここでは口が利けないことです。
【横たえた原語は「投げ出す」。何とか癒やしてもらおうと、イエスの足下に病人を横たえて、イエスに癒しを「迫っている」様子がうかがわれます。
[31]【イスラエルの神を】原文は「イスラエルの神に栄光を帰した/崇めた」。癒しの記事の結びとして、特に「イスラエルの神」が出てくるのは異例です。通常は、「イスラエルの神を賛美する」のは、イスラエルの民の間に限られていますから、ここでの癒しが、異邦人の多い地域で行なわれただけに、この結びが注目されます。イエスは、この地方で、「ユダヤのメシア」として知られるようになったのでしょう〔フランス『マタイ福音書』597頁〕。この31節にはイザヤ書35章5~6節が反映していますが、イザヤ預言は、終末の時に、散らされたイスラエルの民が「集められ」(「大勢の群衆」の意味)、人々の苦難や病苦が癒やされる時を待ち望むものです。マタイは、この預言をあえて、イスラエルの外にいる異邦人世界にも適用することで、イエスの癒し/救いの業が、異邦世界にも広がることを言い表わしているのでしょう。
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