【注釈】
■二つの供食記事
 四千人への供食は、一読すると6章の五千人への供食と語りの特徴が似ていて、五千人への供食を縮めたような印象さえ受けます。このために、供食の出来事は、ほんらい一つであったのが、マルコが、同一の資料を二度用いているのではないかと疑われてきました。しかし、資料の重複使用は、マタイとルカの場合はありえても(例えばマタイ9章27~31節=同20章29~34節)、マルコには決してみられません。同じ出来事が、二つの異なる伝承となって伝えられたとも考えられますが、マルコは、二つの出来事をはっきりと区別しています(8章15~20節)。だから、ここでは、同様の出来事が、ガリラヤ湖の北岸近くのユダヤ人が多い所と、湖の東南部で異邦人が多い所の2箇所で2度あったと見るほうが正しいでしょう〔フランス『マルコ福音書』309頁〕。確かにここの描写は、先の五千人への供食(マルコ6章30~44節)と類似しています。「しかし、たとえ様式史的な(文献)批評から学ぶべきことがあるとしても、奇跡物語が類似しているそのことが、(ただちに)一方から他方が創出されたことにはなりません。同じような出来事が、類似の形で伝えられたにすぎないからです」〔フランス『マタイ福音書』601頁〕。
 マルコは、ユダヤ人の地域と異邦人の地域のように二つの出来事を区別していると言われていますが、地理的に見て、ユダヤ人の多いガリラヤの「内と外」という区別はされていないようです。ただし、四千人への供食では、イエス自身が、終始弟子たちや群衆をリードしているのが注目されます。
■マルコ8章
[1]~[3]【また】原語は「再び」ですから、ここで先の五千人への供食を思い出すよう読者に注意をうながしています。
【弟子たちを呼び寄せて】6章35節の場合と異なり、イエスのほうから弟子たちに語りかけています。
【三日も】群衆に対するイエスの深い憐れみの情は、先の五千人への供食にも表われています。先の場合と異なり、群衆がどのような人たちなのか、また彼らがどこから来たのか、あるいは三日の間に何が行なわれたのか、これらについて何も語られません。しかし、長らく「わたしと一緒にいる」というのは、人々が、ただ奇跡や癒しを求めているだけでなく、「イエスと共にいたい」という強い願いに動かされていたことを表わします。おそらく、この間、イエスによる様々な教えが語られ、また癒しが行なわれたのでしょう。人々は食糧を携えてきたのですが、三日の間に食べ尽くしたと思われます。
【遠くから】この言い方は、ユダヤとガリラヤ以外の地を指すユダヤ人特有の表現だという説があります。この場所は、ユダヤ人の地域と異邦人の地域との境界に近いところですから、デカポリスや周辺からの異邦人が大勢加わっていたのでしょう。
[4]イエスの弟子への対応も、弟子たちからの応答も、先の五千人への供食とは異なっています。今回は、弟子たちを「試す」、あるいは弟子たちの不信仰を「たしなめる」様子が見られません。二つの奇跡が、別個の出来事であったことを物語るものです。弟子たちは、五千人への供食の時よりも、いっそう驚いた様子でイエスに問い返しています。先の出来事にもかかわらず、弟子たちがいぜんとして「悟りが鈍く」、イエスの意図を理解できないのです。イエスの指示を受けて弟子たちが驚いたのは、今回の群衆が、先の場合と違って、異邦人が多数だということがあるのかもしれません。なお、人里離れた「荒れ野で食べ物を与える」(原文)という言い方は、モーセによる「荒れ野のマナ」の出来事(出エジプト記16章)を思い起こさせます。
[5]~[7]【地面に座る】先の五千人の場合は、人々が「座る」の原語は「アナクリノー」で、今回の原語は「アナピプトー」です。どちらも、「体を横たえる」ことを意味しますから、これはヘレニズム世界で宴会の食卓につく姿勢を表わします。ユダヤでは椅子に座るなど体を立てて食事をしますから、ギリシア風に横になるのは社会的に身分の高い「自由人」の食事の姿勢だとされていました。過越の食事の際には、体を横たえて食事をする決まりがありましたが、これは民がエジプトの奴隷状態から解放されて、「自由人」になったことを表わすためです。五千人の時には、「<青草の上に>横になる」とあって、宴会のイメージがいっそう強くなりますが、今回の場合は「地べたに座る」ですから、事情が異なるとも言えます〔コリンズ『マルコ福音書』379頁〕。マルコは、ユダヤ人の場合と異邦人の場合とを区別しているとも受け取れますが、はたして、それほど違いがあるのか? 確かでありません。
【七つのパン】先の場合は、五千人に対して五つパンですが、今回は四千人に七つのパンです。しかし、多勢にわずかのパンという意味では変わりません。ここでの「5」「7」「4」という数にも数秘的な意味がこめられているのでしょう。なお、五千人への供食では、イエスは弟子たちに命じて群衆を座らせますが、今回は、イエス自身が人々に命じて座らせています。
【感謝の祈りを唱える】原語「エウカリストー」は「感謝する」で、これが後の教会で用いられる「聖餐」(ユーカリスト) "Eucharist" の語源です。続く魚では「エウロゲオー」(賛美する/祝福する)が用いられています。マルコ14章22~26節の最後の晩餐で、イエスは、パンを「賛美/祝福」(エウロゲオー)し、杯を「感謝」(エウカリストー)します。ちなみに、第二神殿時代のユダヤ教では、「感謝」と「賛美」とは、食事の前と後で使い分けされていました。しかし、その順序は相互に一定していなかったようです。フィロンは、食事の前には「感謝」(エウカリストー)を好んだようです。今回の場合、二つの動詞の間に大きな違いはないでしょう。
 先の五千人への供食も、ここの四千人への供食も、それぞれが、これらに先立つ一連の奇跡物語の締めくくりとして置かれています。この会食/供食の奇跡物語は、復活の主が顕現する祭儀として、最初期のキリスト教徒によって行なわれた「感謝の食事」(使徒2章46節)が基になって生まれたと見ることができます〔コリンズ『マルコ福音書』379~380頁〕。だとすれば、一連の奇跡や癒しの後に供食が置かれるというこの配置は、イエスがその在世中に行なった癒しや奇跡を締めくくるためであって、イエスの復活直後にキリスト教徒が行なった「感謝の食事」をば、在世中のイエスの業と結びつける意義があります。
 この点について、最近(2007年)出されたマルコ福音書の注解書には、これら二つの供食の背後には、最初期のキリスト教徒が行なっていた「顕現の祭儀」"liturgy of epiphany"の伝承があると指摘されています。この祭儀が、「聖餐」の制定として、マルコ福音書に受け継がれてきます。これのそもそもの始まりは、イエスが、行く先々で人々の家に入ると、そこで食事を共にし、癒しの業を行なったことに起源します。この「イエスの食事」が、イエスの復活直後に、信者同士の交わりのための食事、いわゆる「愛餐」として受け継がれます(使徒2章42節)。当初はこの愛餐に、最後の晩餐でのイエスの契約の言葉に基づいて「主の死を告げ知らせる」エウカリスティアが守られたと考えられます(第一コリント11章23~26節)〔エレミアス『イエスの聖餐のことば』207~210/214頁〕。それは同時に、イエスの復活と顕現を感謝する祭儀でもあったのです(使徒2章46節)。
 だからこれは、イエスが御霊として現実に臨在することを感謝するパンとぶどう酒の祭儀で、現在教会で行なわれている「聖餐」の基になります。パンと魚の会食の2度の奇跡、ゲラサの悪霊追放と様々な癒やし、イエスの水上歩行、これら一連の物語は、イエスの顕現と臨在を祝う「聖餐」の場で、その意味を説き明かす講話として語られたのでしょう。後にこれらの講話が、聖餐に併せて用いられる祈祷文 "liturgy"に採り入れられたのでしょう〔コリンズ前掲書380頁〕。
 ちなみに「聖餐」"the Eucharist/ Holy Communion" は「主の晩餐」"the Lord's Supper" とも呼ばれています。ただし「主の晩餐」は、イエスの「最後の晩餐」"the Last Supper" をも意味する場合がありますから注意してください。イエスの復活以後の教会の「聖餐」と「最後の晩餐」とは時期的に区別しなければなりませんが、「主の晩餐」はこれら両方を結びつけています。また最初期のクリスチャンが聖餐と併せて行なった交わりの食事は「愛餐」"Agape" (英語で「アガピー」)と言います。
【小さい魚】先の場合は「魚二匹」ですが、ここは「小魚/魚のかけら」です。先の場合と異なり、ここでイエスは魚だけを別に「祝福」していますが、パンも魚も「弟子たちを通じて」人々に配られるのは同じです。
[8]~[10]先の場合、パン屑は12篭ありましたが、今回は7篭です。「12」(イスラエルの十二部族)と「5」(モーセ五書)はイスラエルの民を象徴し、「4」(東西南北/四季/四大元素)と「7」(完全数/1週間)は世界的な広がりを象徴する(これを「数秘」と言います)という解釈があります。このような比喩的な解釈は、これを肯定することも否定することもできません。パンや魚の数、余ったパン屑の篭の数などは、すでに伝承に含まれていたと考えられますから、これらの数は、伝承の段階で数秘的な意味を帯びるようになったのでしょうか。マルコ自身が、その象徴性をどこまで意識していたのかは確かでありません〔コリンズ『マルコ福音書』379頁〕。
【篭】「篭」の原語は「スピュリス」で、6章44節の篭(コフィノス)と異なります。「スピュリス」は藺草(いぐさ)で編んだ柔らかく大きな篭で、「コフィノス」は、柳などで編んだ固くてやや小さな篭です。コフィノスは主としてユダヤで用いられ、スピュリスのほうは、より一般的な用語だという説があります(使徒9章25節)〔フランス『マタイ福音書』603頁〕。
【ダルマヌタ】マタイ福音書とは地名が異なりますが、どちらも、名も知られないガリラヤ湖東部の沿岸にある漁村でしょう。今回、イエスは弟子たちと共に船に乗り込みます。
 
■マタイ15章
 マタイ福音書は、マルコ福音書の記述に基づいて書かれています。ただし、今回のマタイの語りには、マルコ福音書と異なる点があります。一つは、パンと魚とを<同時に>感謝して与えていることです。もう一つの違いは、人々の数に「女と子供を別にして」とあることです。
[32]【群衆】この群衆は、イエスの癒しの業を見て「イスラエルの神を賛美した」(31節)人たちでしょう。「(彼らを)空腹のまま帰らせることを<望まない>」とイエスの強い意志が表明されています。
[33]直訳すると「こんな荒れ野で、<わたしたち>がいったいどこから、<これほどの人たち>を<満腹させる>ことができますか?」です。ここにはマルコ福音書の「パン」がありません。「わたしたちが」とあり「これほどの」とあり「満腹させる」とあるのは、ユダヤ人の自分たちが、異邦人のために、彼らが満腹するまで働かなければならないのか?という多少抗議にも似た語気が感じられます。もしもこの解釈が正しいとすれば、弟子たちは、まだマタイ15章26節の段階にいるのであって、イエスの言う同28節にはいたっていないと見るべきでしょう。
[36]【感謝の祈りを】ここでは「エウカリストー」が用いられています。しかし、「感謝する」も「賛美/祝福する」もそれほど違いがないと思われます。
[37]【篭】これについては、マルコ福音書のほうの注釈を参照。
[38]この説明は五千人への供食でも同じで、マタイ福音書だけです。五千人への供食で集まった群衆が、男性だけの集団で、革命的な行動に出るための「組み分け」ではないかという見方があります。しかし、マタイのこの説明は、そのような解釈をはっきり否定しています。
[39]【マガダン】後の多くの異本に「マグダラ」(ガリラヤ湖北西岸の漁村)とありますが、これは後の変更です。「マガダン」も「ダルマヌタ」同様に特定できません。おそらくガリラヤ湖の東南の沿岸近くの村落でしょう。
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