115章 ペトロの告白
   マルコ8章27〜30節/マタイ16章13〜20節/ルカ9章18〜21節
                  【聖句】
■マルコ8章
27イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
28弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」
30するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
 
■マタイ16章
13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
 
■ルカ9章
18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」
20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、(次のように言われた。)
 
                     【注釈】             
                     【講話】
■ペトロの告白
 今回の箇所で分かるように、人々はイエス様のことを預言者だとかエリヤだとかいろいろな名称で呼んでいました。弟子たちもイエス様の不思議な業に接して、驚くべき霊能の人であることを体験していましたから、畏敬の念を抱いてイエス様を「神の子」と呼んでいたのでしょう。だから、ペトロがイエス様を「神の子」と告白しただけでは、特別に新しいことではなかったのです。「神の子」にもいろいろな意味がありましたから。ところがイエス様は、彼の告白を聞いて、ペトロを祝福しています。これが、それ以後、ペトロが十二弟子の筆頭にあげられる決定的な出来事になったと思われます。だから、ペトロが、イエス様のことを「生ける神の子」と呼んだのは、それまでとは違う意味がこめられていたと考えられます。
 ペトロはここで、イエス様が「メシア」だと告白しています。しかし、「メシア」にもいろいろな意味がありましたから、新しい呼び名だとは言えません。人々もイエス様をそれなりの意味で「メシア」と呼んでいた節があります。
 クムラン文書が伝えるところでは、来たるべき「メシア」は複数で、王と祭司と預言者の三人、あるいは三つのタイプと言ってもいいかもしれませんが、三種類のメシアが待望されていました。「メシア」は主から油を注がれた者のことで、「油」は神の霊の象徴ですから、神の霊を注がれた人のことです。だからメシアは一人とは限らなかったのです。
 「王」とは、イスラエルの国を独立し復興させる「ダビデ的な」王権を具えたメシアのことです。「祭司」とは、イエス様の当時のハスモン系の大祭司ではなく、ダビデ王朝時代にさかのぼるアロン系の祭司のことで、イスラエルの民のために神に向かって執り成しを行なう大祭司「メシア」のことです。ハスモンの家系はイスラエルの南部にあるイドマヤの出でしたから、純粋のユダヤ/イスラエルとは異なると見なされていたのです。
 預言者とは、旧約時代の預言者たちのことですが、中でも「メシア」は、モーセが預言したある特定の預言者のことで、終末にイスラエルに現われると信じられていました。エリヤもそのような預言者の一人です。エリヤは生きたまま天に昇りましたから、再び来臨すると信じられていたのです。今回のフィリポ・カイサリアの出来事のすぐ後で、イエス様は、山上で変貌しますが、そこでモーセとエリヤの二人が顕現するのはこのためです。
 このようにいろいろなメシア像が広がっていましたから、弟子たちも人々も、それぞれに自分なりにイエス様のことを「何らかの」メシアだと思っていたのでしょう。この事情は現在のイエス様に対する見方とあまり変わりません。
 では、ペトロがここで告白した「神の子メシア」とは、どのような意味だったのでしょうか。ペトロはここで、霊能のイエス様、知恵のイエス様、この世を変革するイエス様、モーセやエリヤのような預言者のイエス様などを想像していたのではありません。そうではなく、彼は、イエス様こそが永遠から永遠にいます主なる神御自身がそのうちに宿るお方であること、言わばこの天地の創り主御自身がイエス様を通して働いておられることを啓示されたのです。このような知恵/知識は、人間の知力や推理で到達できるものではありません。ペトロは哲学者でもなければ神秘思想家でもありません。だから、これは天が彼に啓示してくださる以外にとうてい知ることができない真理です。言い換えると、弟子たちも人々も、イエス様が「何者なのか?」をそれなりに判断していましたが、イエス様が「ほんとうは誰なのか?」その真のお姿を知る人はいなかったのです。ただし、悪霊だけは、これは別の意味ですが、イエス様が「神の聖者」だと見抜いていましたが。
 だからこそ、イエス様は、ペトロの告白とその信仰の上にイエス様のエクレシアをお建てになると言われたのです。以後のエクレシアは、ペトロのこの告白に基づいて、「神の子イエス・キリスト」の信仰の土台の上に築かれたのです。ペトロは人間の中で初めて、イエス様が「メシア」であること、それもユダヤ・パレスチナで当時知られていたメシア像ではなく、これと全く異なる「生ける神御自身がこの世に来られた」という驚くべき啓示を受けたのです。ペトロのここでの告白こそ、真のリヴァイヴァルの原点です。イエス様が、「この岩(ペトロ)の上に<わたしの>エクレシアを建てる」と言われたのはこのためです。ただし、ペトロにはまだ一つ大事なことが隠されていました。これが、次回にでてくることです。
■エクレシアの岩
 今回の箇所で、特にカトリック教会では、ここでのペトロの告白とこれに続くイエス様のご発言、「わたしはこの岩(ペトラ)の上に、<わたしのエクレシアを建てる>」が重視されてきました。ペトロは、自ら望んで、ヴァティカンの丘で逆さまに十字架されたと伝えられています。現在その丘の上にカトリックの総本山聖ペトロ大聖堂が建てられていて、ペトロが初代ローマ教皇(在位41頃〜64/67年?)として崇められているのはこのためです。カトリック教会の教皇たちは、このペトロの後継者として「天国の鍵」を与る権威を帯びていると見なされてきたのです。
 けれども、皆さんはお分かりと思いますが、フィリポ・カイサリアの出来事は、ヴァティカンの丘のような特定の場所と特定の教団を絶対化するためではありません。現在のカトリック教会は、昔のように、ローマ・カトリックだけが唯一の正統なエクレシアであると主張していませんから、わたしはカトリックも、さらにこれよりも古いギリシアやロシアの正教も、ペトロの信仰告白を継承してきた大事なキリスト教のエクレシアの一つだと思っています。だから、従来のプロテスタントのように、これらの教派・教団を批判し非難したりしません。そこに含まれる伝統には大事な霊性が含まれているからです。
 しかし、今回のフィリポ・カイサリアの出来事とそこで語られたイエス様のお言葉をめぐっては、カトリックとプロテスタントの学者たちの間で、いろいろと議論されています。今回の箇所には、それだけ重要で、しかも聖書解釈において難しい問題が含まれているからです。今回は、聖書解釈のこの学問的な問題にあえて踏み込んで考えてみたい。こう思います。
〔イエスの史実性を否定する理由〕
 ここでのペトロの告白は、イエス様の御復活以後に、後の教会の時代になって初めて与えられた啓示をイエス様の時代に「さかのぼらせて」、フィリポ・カイサリアの出来事として語っているのだと言われています。この見方は、はたして正しいでしょうか?
 ここでマタイ16章17〜19節の「わたしのエクレシア」の御言葉が、はたしてイエス自身の口から出た言葉かどうか?というその真正性(authenticity)について考察したいと思います。ギリシア語の「エクレーシア」は、四福音書で2回しかでてきませんから、17〜19節は、イエス復活以後に、マタイの教会が、ペトロの使徒的な優位性を支持する目的で加えた編集であると見なされるのも理解できます。この部分がイエスの真正の発言であることを否定する理由は、例えば次の通りです。
(1)「エクレーシア」(教会)がでてくるのは、四福音書ではマタイ福音書の2回だけで、これは後の教会による挿入である。だからイエス様自身は「教会」には関心がなかった。
(2)イエス様は、差し迫った終末観を抱いていたから、自分の死後に、ペトロを柱とする教会が誕生し拡大することを予想していなかった。だから、「教会」はイエスの口からでたものではない。
(3)マタイ16章17〜19節は、後期の教会で、ペトロの優位性が確立した頃の見解を反映しているもので、史実ではない。
(4)イエス様は、クムランやファリサイ派のような特定の宗団を形成する意図がなかったから、「教会」を口にすることはしなかったはずである。
(5)ペトロの「生ける神の子」告白も、教会が「陰府の力に勝つ」ことも、イエス様御復活以後の教会の信仰を基盤にした発言である。
(6)「つなぐ」「解く」という発言は、イエス様の時代において、ユダヤ教のラビたちが用いた用語で、律法に基づく法的判断を指す用語である。だから、律法に反対していたイエス様がこれを用いたとは考えられない。
(7)17節の「(あなたに)あらわした」は、パウロのガラテヤ1章15節の「あらわした」と同じ用語であり、パウロは、復活以後の教会の「ペトロの岩」伝承を知っていて、ペトロの優越性に対抗しようとしている。したがって、イエス様の「教会」発言は、実はパウロ時代の教会の発言のことである。
 以上は、今回の部分が、イエス様以後の教会によって、生前のイエス様の出来事として織り込まれたと推定される理由です。これらが、ここでのイエス様の<御言葉の真正性>を否定する根拠です。イエス様の御言葉の信憑性を否定するこれらの説を見ると、そこに二つのことが前提されているのに気がつきます。
【T】文献的あるいは歴史的な視点から見ると、イエス様の発言は、復活信仰成立<以後の>キリスト教会の発言あるいは見解と一致する。だから、この発言は、在世当時のイエス様にさかのぼるものではない(1)(5)(6)(7)。
【U】イエス様が、その在世当時にこのような発言したとは考えられないから、発言は復活信仰以後の教会の発言に違いない(2)(3)(4)。
〔否定する根拠は正しいか?〕
 では、否定の理由(1)について考察してみましょう。文献的な、あるいは歴史的な見地から、イエス様の御発言がイエス様以後のキリスト教会の発言と一致するというのはその通りです。これらの事実は、学問的な裏付けによって確認することができますから、これを無視したり否定したりすることはできません。
 しかし、このように学問的に裏付けられた事実から<導き出される結論>のほうには問題があります。なぜなら、イエス様以後の教会の見解と聖書のイエス様の御発言が一致することが、イエス様自身がそのような発言を「しなかった」と判断する根拠には<ならない>からです。
 理由(1)で、ペトロによるイエス様への信仰告白とイエス様によるペトロへの祝福が、復活信仰成立以後の教会の発言と一致するからと言って、どうしてその一致が、イエス自身にさかのぼるものでは<ない>と結論する根拠になるのでしょうか? ペトロの発言とその発言へのイエス様からの祝福は、生前のイエス様とペトロの間で交わされた出来事である。<だからこそ>後の教会は、この出来事を重視して、使徒たちの間でも、ペトロの優位性が継承され保持された。このように結論することが、なぜ<できない>のでしょうか? イエス様にさかのぼると判断するほうが、後の教会によるメシア(キリスト)告白のいっそう確かな根拠に<ならない>などとどうして言えるのでしょうか?
 また先にあげた理由(5)にいたっては、事実認定それ自体に問題/誤りがあります。「陰府の門」「天国の鍵」などは、復活信仰成立以後の教会の用語とは見なされ<ない>からです。事実は逆で、パレスチナでのイエス様ご自身の発言と見なすほうが適切であり、そのゆえに、マタイ福音書の資料として保持されてきた。このように見なすほうがより適切です。
 理由(6)は、イエス様の頃のラビが用いた用語であるから、イエスがこのような用語を用いたと考えることができないという説ですが、この前提と結論は、全く逆です。イエス様の在世当時にラビたちが用いた用語であれば、当然イエス様もこのような言い方をした/できたはずです。こう結論するほうが学問的な推論としてはるかに適切ではないでしょうか。イエス様とラビたちは対立関係にあったから、イエス様はこのようなよう語を用いた<はずがない>というのであれば、その推論それ自体が全くおかしいと言わなければなりません。なぜなら、対立していたからと言って、イエス様が律法それ自体を否定していたとは考えられません。だから、律法にかかわる用語をイエス様が用いた<はずがない>という推論とは、全く逆の結論を引き出すこともできます。
 さらに言えば、イエス様がお始めになった運動が、イエス様以後に教会として拡大することをイエス様が期待して<いなかった>などと推論する理由はどこもありません。逆に、イエス様は、ご自分が地上から去った後も、ご自分の運動が継続することを期待しただけでなく予知していたと考えるほうが、はるかに適切です。
 同じように、(3)と(4)にいたっては、在世当時のイエス様に対する事実認定それ自体に誤りがあります。イエス様はペトロたちが自分の運動を引き継ぐことを期待<しなかった>、あるいは、イエス様は自分なりの共同体を形成しようとは<しなかった>という説は、生前のイエス様の運動を正しく洞察するなら、むしろ逆です。
〔史実の肯定と否定の分かれ道はどこか?〕
 以上のことから判断すると、ここで、二つの作業が行なわれているのに気がつきます。
〔A〕イエス様の復活信仰成立以後に書かれた福音書のテキストを文献的にあるいは歴史的に正しく解明し、その結果得られた編集の事実を確認すること。
〔B〕これらの事実確認をよりどころにして、<生前のイエス様の出来事>を推論し洞察すること。この二つです。
 〔A〕の事実認定は学問的に可能ですから、その結果は尊重しなければなりません。しかし、注意しなければならないのは、〔A〕の事実認定から〔B〕の生前のイエス様の出来事を推論し洞察する場合です。現在行なわれている学説によれば、同じ学問的な事実認定に基づきながら、全く正反対の結論を導き出すことが可能なのです。このことから、たとえ本文の成立過程を学問的に確定したとしても、これに基づいて生前のイエス様の出来事に近づくための学問的な方法論が、未だ十分に確立しているとは言えないことが分かります。
 だから、ペトロの告白とこれに対するイエス様の祝福は、イエス様の生前の出来事として認めることが<できる>という説が最近では有力になっています。その場合注意してほしいのは、真正性に賛成、反対どちらの説も、学問的に達成された聖書本文の編集過程それ自体については<互いに一致>していることです。だから、真正性を支持する学者が、歴史的な信憑性を否定する側に向ける反論は、概して言えば、〔A〕の学問的に確認できる編集のほうではありません。そうではなく、〔B〕のように、そこから生前のイエス様にさかのぼることを否定する<推論の仕方>にあります。だから、出来事の真正性を<否定する説を否定する>根拠もまた、聖書の編集から、イエス様にさかのぼる方法論にあることが分かります。では、全く相反する結論を導き出すその方法論の違いは、いったいどこにあるのでしょうか?
■編集の継承性と非継承性
 教会による後の編集とそこから、イエス様の生前にさかのぼる方法との間に、なぜこのような二つの正反対の説が生じるのでしょう? 次にこの点を考察しましょう。
〔非継承的な編集〕
 福音書はイエス様の復活信仰成立以後の教会によって編集されたり執筆されたりしたものです。しかしわたしは、福音書の証言が、イエスの復活信仰成立以後の教会の発言と一致するからと言って、そのことから、福音書の証言がイエスにさかのぼるものではないと推論したり結論づけたりするのは誤りだと指摘しました。もしも、教会の編集が復活信仰以後であるがゆえに、生前のイエス様の出来事にさかのぼるものでは<ない>と推論したり結論したりできるのなら、そこに一つ前提しなければならないことがあります。
 その前提とは、後の教会は、生前のイエスの出来事をそのまま忠実に伝えようと意図しているのでは<なくて>、教会それ自体が置かれている歴史的な事情に左右されて、教会のその時の事情によって、伝承や資料を<訂正するために編集し直している>という前提です。このような前提は、編集者が、伝えられた過去からの伝承をそのまま忠実に保持しようと意図しているので<なく>、逆に、自分たちの置かれた状況、これを「生活の視座」と言いますが、この「生活の視座」に左右されて、この見地から、それまでの伝承を「訂正」したり「否定」したりする意図の下に執筆や編集を行なったという見方です。
 このような編集の仕方は、伝えられた伝承を変更したり訂正したり、場合によっては正反対の方向に書き直したり、さらには、実際のイエス様の出来事とは無関係に、事実そのものを「創出する」こと、言わば架空の出来事を創作したことを意味します。このような場合、その編集を過去から伝えられた伝承から見て<非継承的な編集>と呼ぶことができます。だから、ペトロの告白とイエス様の教会発言の真正性を否定する説は、後の教会による編集の<非継承性>を主張していることが分かります。
〔否定を否定する〕
 上に述べた教会による<非継承的>な編集説によって、イエス様による「わたしの教会」発言の歴史的な信憑性を否定する説に対して、このような<否定に反論する>諸説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)612〜615頁〕。
(1)この説は、まずマタイ16章17〜18節が、教会による編集であることを認めています。その上で、ギリシア語の「エクレーシア」は、例えばアラム語の「ケニスター」、あるいは例えばヘブライ語の「ヤハッド」や「ハ・カーハール」ではなかったかと推測しています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)613頁〕。イエス様が「人の手で造られない別の神殿を建てる」(マルコ14章58節)ことを考えていたとすれば、それは何らかの終末的な共同体(エクレシア)の誕生を<予期していた>と考えられます。だとすれば、「わたしの<教会>」という言葉は(実際の用語が何であれ)、イエス様御自身にさかのぼると推論できます。
(2)イエス様が共同体の形成を意図しなかったという説に対しては、次のように反論します。洗礼者ヨハネは、明らかに「すべての民に開かれていて」しかも終末において最後まで忠実な「残りの者」の共同体が形成されることを意図していたと考えられます。第二イザヤ書では、この「残りの者」こそ真のイスラエルを指していますが、イエス様の伝道活動も同様の路線をたどったと推論することができます。イエス様による悔い改めへの呼びかけは、終末に向かうイスラエルの復興と裁きに関連しているからです。特にイエス様の伝道が、反対と拒否に出遭うことによって、「残りの者」の存在が期待され、また、そのような共同体にイエス様が言及したことは十分ありえることです。
(3)イエス様が、共同体の形成を未来のこととしてペトロに託したとは考えられないから、イエス様の発言は復活信仰成立以後の教会によるという説に対して。なぜ「建てよう」という未来形をそのように厳密に解釈しなければならないのか? ほんらいの意味は、「今からわたしはペトロという岩の上に教会を建てることにする」だと解釈することがなぜできないのか? エレミアスは、ここをそのように解釈しているのは正当です。たとえ一時であっても、ペトロにそのような天からの啓示が<なかった>などと結論する根拠はどこにありません。啓示は、イエス様の在世時代から、弟子たちに徐々に与えられ進行していったと見るほうが、はるかに合理的です。
(4)ペトロへの発言が、後の教会での彼の優位性を主張するものだという見方については、最初期の教会において、ペトロがそのような優位を占めていた形跡は見あたりません。マタイ福音書のテキストを正しく読むなら、そこにペトロに絶対的な優位や支配が授与されたという含みを読み取ることはできません。デイヴィスとアリスンは、ここでペトロに託されたのは、主としてペトロと弟子たちの宣教活動に関してであろうと推測しています(この点でカトリックの解釈と異なります)。したがって、もしもペトロが、最初期の教会で、何らかの意味で重要視されていたとすれば、それは、逆に考えれば、イエス様による何らかの発言があったことを裏付けていると言えます。
 このように推論して、ペトロの告白へのイエス様からの祝福には史的信憑性があると見なすのです。ただし、これらの支持説は、マタイ16章17〜18節についても、「学界の海に確かな島など存在しない」と見ています。だから、マタイ16章17〜18節がイエス様にさかのぼると、ためらいなく言い切ることは<できません>。しかし、これがイエス様から出たことを否定する多くの論も、同様にそれほど説得力があるとは言えません。むしろそれとは逆のほうに重心が傾く点のほうが多いのです。マタイ16章17〜18節には、フィリポ・カイサリアでの出来事の最終結果が含まれている<可能性があり>、ここのテキストは、イエス様の生き方を垣間見せる重要な見方を与えてくれる<可能性がある>のです。〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)615頁〕。
〔継承的な編集〕
 以上の見解から分かるように、信憑性を支持する説も、学問的な見地から見てこの部分が編集によることを認めています。その上で、この事実に基づいて、ここのテキストがイエス様にさかのぼるものでは<ない>として、その信憑性を否定する根拠になり得るのか? と事実認定から引き出される推論それ自体に疑義を呈するのです。言い換えると、学問的な事実認定から、その事実に基づいて、テキストの信憑性を否定するその<立論の仕方それ自体>に反論しているのです。反論する側の人たちは、編集それ自体に対してではなく、その編集が、イエス様にさかのぼるものでは<ない>とする立論の方法に疑義を呈しているのですから、その人たちは、聖書本文の編集が、イエス様の出来事にさかのぼり得ること、言い換えると、イエス様の出来事を、たとえ本文のままではないまでも、何らかの仕方で受け継いでいると考えているのが分かります。このような場合、その編集は、元の伝承を継承していることになりますから、これは「継承的な編集」と呼ぶことができます。
 これと同じ様な支持説が、最近になって多く見られるようになりました〔フランス『マタイ福音書』614頁〕。そこに共通する課題は、学問的な事実認定についてどちらの側も一致しているものの、その編集の仕方がこれの源である出来事と<継承的な>関係にあるのか、それとも<非継承的な>関係なのか? この点で分かれているのが洞察できます。言い換えるなら、聖書のテキスト編集についての学問的な事実認定から、その元の伝承へとさかのぼることが<できる>のか、それともほんらいの伝承から切り離された内容へと変化しているのか、この点について見解が異なるのです。この場合、「学問的には」そのどちらの可能性もありえますから、継承か非継承かを「学問的に」判別する方法は、現在の段階ではまだその方法論が確立していないことが見えてきます。このことが、編集の継承性をめぐって賛否両論が生じてくる原因なのです。
■聖霊の導き
 読者の方々はすでにお分かりかと思いますが、わたしは、よほどの確かな論拠がない限りは、聖書本文で行なわれている編集は「継承的な」性格のもだと考えています。これは、聖書だけでなく、日本に伝わった仏典の場合も同様です。 インドから中国へ、中国から日本へと仏典が伝えられるその過程では、編集や変容が生じているでしょう。しかし、これらの聖典を伝えた人たちは、自分たちに伝えられたものを正しく継承して、次の世代へ伝えたいという願いをこめて筆写したり、注解を行なったりしたのです。
 聖書は、旧約聖書の時代から新約聖書にいたるまで、聖なる文書として扱われてきました。そこには、時代による編集の変容が見られますが、それらの編集と変容においても、伝えられた内容を忠実に<受け継ぐ>ことで、これを後世へ伝えようとする祈りと意図が そこにこめられていると見なければなりません。このような<信頼関係>は、客観的に外から見て、これを<学問的に立証する>のは難しいのですが、わたしは、この一貫した信頼に基づく継承関係こそ、神の御霊の導きであると信じています。聖書が、聖霊によって書かれたとは、こういう意味です。
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