【注釈】
■マルコ福音書でのペトロの告白
 今回のペトロの告白(マルコ8章27~30節)とイエスの受難予告(同31節~9章1節)、これに続くイエスの山上での変貌(9章2~13節)は、イエス自身についての証しに関する重要な部分で、マルコ福音書全体の中心に位置しています。イエスはすでにその霊威と霊能の業を現わして人々を驚かせ(マルコ2章12節)、知恵の教師として教え(マルコ4章)、不思議な業で「この方はいったいどなたなのか?」(4章41節)と弟子たちを驚かせることで、イエスの真の姿に弟子たちの注意を向けさせています。しかし、イエス自身の口からは、その真の姿が語られることがなく、イエスのアイデンティティー(自分が何者かを自分でどう理解しているかということ)は「秘密」として、弟子たちからも読者からも隠されてきました。それだけに、今回からの一連のイエスに関する証しは、イエス自身がこれについて語る重要な部分です。だからここが、マルコ福音書全体の分岐点だと見なされています。ここから以後、イエスはまっすぐエルサレムへ向かい、受難と復活を経て、メシア(キリスト)としての使命を成就することになります(14章61~62節)。
■ペトロの告白と文献批評
 実は、今回のペトロの告白部分と、これに続くイエスからのペトロへの戒め、さらに山上での変貌は、イエスの復活信仰成立<以後に>、原初の教会によって創出された「復活のイエス」の顕現物語ではないかと見られてきました。
 ブルトマンは今回の物語内容が「史的性格を保証するものではない」と言い、特にマタイ16章17~19節は、すでに復活したキリストが語っている言葉だと見なしました(1921年)。この物語は、ペトロを教会の創始者であり指導者と仰いでいたパレスチナ原始教会による創出だと彼は判断したのです〔『ブルトマン著作集』(2)共観福音書伝承史Ⅱ。加山宏路訳。新教出版社(1987年)92~95頁〕。これに対してカール・L・シュミートは、マルコ福音書のここのペトロの告白は、前マルコ福音書からの資料によるもので、そこには古い伝承が含まれているから、「真正の事実が記憶されている」と見なしました(1919年)〔コリンズ『マルコ福音書』399頁〕。
 その後、バートン・マックは、マルコがイエスに関する古い伝承を集めて「新たなイエス像を創出した」と主張しました(1993年)。マルコは、教会の「キリスト神話」(復活したイエス・キリストへの信仰のこと)を採用して、イエス・キリストの十字架と復活神話をエルサレムでの歴史的出来事として描いて見せたもので、マルコは、イエス伝承とキリスト神話とを組み合わせることで「神の子キリスト」像を作り出したと言うのです。したがって、今回のペトロの告白も、復活のキリストを信じた教会による神話であって、マルコはこの「非歴史的な伝説を事実として叙述した」と見ています〔Burton Mack. Who Wrote the New Testament? Harper San Francisco (1995)152-53〕。ただし、サンダーズは、弟子たちはイエスを「何らかの意味で」メシアだと信じていたが、イエス自身は自分をメシアだと称したかどうかは疑わしいと見ています。サンダーズは、フィリポ・カイサリアで、イエスが弟子たちの質問に答えて、自分を「人の子」と言い表わした事実を認めています(1993年)〔E.P. Sanders. The Historical Figure of Jesus. Penguin Books (1993)241〕。
 最近では(2007年)、アデラ・コリンズが、マルコはイエスによる一連の巡回伝道を「意図的に創出した」と見て、フィリポ・カイサリアでのペトロの告白は、この地が異教の聖地として知られており、その上、ユダヤ戦争の際に、ここがローマの将軍とローマ軍の保養地にされたことから、このヘレニズム的な聖地を意図的にペトロのメシア告白と、人の子イエスの信仰告白の場所として選んだと考えました〔コリンズ『マルコ福音書』400~401頁〕。ルツもペトロの告白とイエスの「岩の上の教会」宣言は、後の教会が<使徒時代を回顧して>できた記事だと見ています(1990年)〔ルツ『マタイ福音書』(2)592頁〕。
 これに対して、ヨゼフ・ラッツィンガー(現在の教皇ベネディクト16世)は、マルコがここで「ペトロの信仰告白のほんらいの言葉を歴史的に再構成して、それ以外のものはその後の発展であり、復活以後の信仰によるとするのは、正しい道に導かない」として、「復活以前のイエスに基礎を置くことができないとすれば、復活以降の信仰はどこからきたのでしょうか」と問いかけています。ラッツィンガーはその上で、この問いに答えることは「学問にとって負担が重すぎる」、言い換えると現在の聖書学の範囲では、この問いに正しく答えることができないと指摘しています(2007年)〔教皇ベネディクト16世ヨーゼフ・ラッツィンガー『ナザレのイエス』里野泰昭訳。春秋社(2008年)383頁〕。
 また、エヴァンズは次の諸点を指摘して、告白場面の史的信憑性を認めています(2001年)。(1)もしもマルコの創出なら、なぜ彼はイエスが「神の子」(マルコ1章1節)であることを長らく秘密にするのか? (2)「メシア」伝承は当時のユダヤで一般的に流布していた。(3)もしもマルコがペトロの優位性を導き出そうとしているのなら、なぜイエスによるペトロへの叱責がここに出てくるのか? (4)人々がイエスを「預言者」だと信じていたのなら、ペトロの「メシア」告白は、人々に波紋を生じさせたであろうから、フィリポ・カイサリアのようなガリラヤから離れた場所こそ、告白の場所としてふさわしい。だから、この場所は、政治的あるいは神学的な意図から考案されたものではない〔エヴァンス『マルコ福音書』8章27節注解。Word Biblical Commentary電子版〕。
 福音書の記事を歴史的な出来事から切り離して、これを「神話」あるいは「創出」だとする懐疑的な見方と、福音書の記事をナザレのイエスの史的な出来事と結びつける見方とが、このように常に並行して表われるのはなぜでしょうか? この問題は、ペトロの告白だけではなく、福音書のイエスの言動、特に五千人へのパンの供食や水上歩行や大漁の奇跡やカナでのぶどう酒の奇跡などについても同じです。いったいこの両方の見解の間にはどんな問題が潜んでいるのでしょうか? ペトロの信仰告白という重大な出来事について、このように疑問が提示されています。
[27]【フィリポ・カイサリア地方】イスラエルの北にあるヘルモン山脈に源を発する水流がヨルダン川となりガリラヤ湖に注いでいます。フィリポ・カイサリア地域は、ガリラヤ湖からヨルダン川の流れに沿って40キロほど北へ行った所にあたります(現在のバニアス"Banias")。ここは現在でもイスラエルの最北端で、シリアと境を接しています。この場所は十二部族がカナンに定住した時代にダン族の居住地となり、「イスラエルの領土」の最北端と見なされていました。この事情は現在でも変わりません。ここは、レバノン山系の西南に広がる平野部で、雪渓から流れ出る貴重な水源地にあたります。その上、シリアとの国境地帯になりますから、古来イスラエルの防衛と水源の要地とされていて、この地のテル・ダンには、北王国イスラエルの王ヤロブアム2世が築いた祭壇跡(前750年頃)が今も遺っています。
 レバノン山系の南端近くに山があり、この山は紀元前3世紀のヘレニズム時代から「パンネイオン」と呼ばれていて、そこからヘルモン川が流れ出てヨルダン川に合流します。「パンネイオン」はギリシア神話の森の牧神「パン」から出ていて、ここはパンの聖地とされていましたから、「パニアス」とも呼ばれました。ヘルモン川の水源に近い崖にはパンの社の洞窟跡があり、聖地として崇められた遺跡が、アーチ型にくりぬかれた洞窟の中に今も遺っています〔Nickelsburg(1).Enoch.(1).240-43.〕。また、このあたりは、『第一エノク書』が伝えているように、ノアの洪水の原因となった堕天使たちが、天から降りてきた場所だと伝承されています。イエスの時代のイスラエルにとって、ここは言わば、ベリアルやサタンなどの悪霊の発祥地でもあったのです。
 このような由来のせいでしょうか、ヘロデ大王は、カエサルの甥オクタウィヤヌスが初代ローマ皇帝アウグストゥスになると、この地にアウグストゥスの社を建てたのです(前20年頃)。さらにヘロデ大王の息子の一人フィリポスがガリラヤ湖の北一帯をその領地として譲り受け、ローマからその領土権を認可された時に、彼はこの聖地の近くに都市を建設して、これを皇帝の通称「カエサル」にちなんで「カイサレイア」と名づけました(前1/2年)。「カイサレイア」は、ユダヤの地中海沿岸にもありますから、フィリポは、自分の名を取って、この町を「フィリポ・カイサリア」と命名したのです。
 その後、ヘロデ大王のひ孫にあたるヘロデ・アグリッパ2世の時に、ユダヤ戦争が始まると(67年)、アグリッパ2世は、ユダヤ鎮圧のローマ軍の総司令官ウェスパシアヌスをこの地に招いて約2ヶ月歓待し、ローマ軍部隊の駐屯地としました〔ヨセフス『ユダヤ戦記』3巻9章7節〕。さらにウェスパシアヌスの下でユダヤを鎮圧し、エルサレムを陥落させたその息子ティトスもまた、この地を訪れています。その折りに彼は、ユダヤ人の捕虜たちを見世物として野獣と闘わせたり、集団の格闘技をさせたりしたと伝えられています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』7巻2章1節〕。 
 このような理由から、マルコ福音書が書かれた70年頃には、この地は国を滅ぼされたユダヤ人の怨嗟(えんさ)の的とされていました。マルコは、このような理由から、メシアであるイエスへのペトロの「神の子」告白を意図的にこの地に設定したという説があります〔コリンズ『マルコ福音書』400~401頁〕。ただし、ユダヤ戦争とユダヤの敗北が、マルコ福音書の中心的な箇所であるペトロの信仰告白をこの地に設定するだけの十分な理由になるかどうかが疑問です。したがって、福音書のここの地理的な記事は、史実にさかのぼる伝承から出ていると見る諸説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)612頁〕〔フランス『マタイ福音書』646頁〕。
【わたしのことを】イエスが何者かは、すでに悪霊が見抜いていますが、人はこれに気がついていません(マルコ1章24節/同34節)。弟子たちはイエスの異常な力を体験しますが、その力の源もその目的も理解できません(4章41節)。ナザレの人たちはイエスが「大工の息子で、マリアの息子」だと思っていますが(6章3節)、その際に、イエス自身は、自分のことを旧約時代の「預言者」と比較しています(同4節)。しかし、今回の箇所で、イエス自身が「では、あなたがたは、わたしを何者だと思っているのか?」と改めて問いかけているのは、言外に、人々の言う「洗礼者ヨハネ」あるいは「エリヤ」が適切ではないことを含んでいるのでしょう。
[28]イエスの伝道が進展するにつれて、人々はイエスのことを天から降りてきた「エリヤ」だと言い、あるいは「昔の預言者たちのような預言者」だと言います(6章15節)。なお、ヘロデ大王の息子で、当時ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパス(在位前4年~後39年)は、イエスのことを「洗礼者ヨハネが生き返った」と思っていたとあります(6章16節)。また、今回のペトロの告白の少し前に、イエスは弟子たちに四千人と五千人へのパンの出来事を思い出させて、「まだ分からないのか」と戒めて、イエス自身について悟らせようとしています。このような過程をもう一度振り返ってみると、マルコ8章29節のペトロの告白と、これに続くイエス自身の自分についての証しが、どのように重要な意義を持つか、またマルコ福音書全体に占めるその証しの意味も洞察できると思います。
[29]【ペトロが】イエスの質問では「あなたがた」が強調されていますから、イエスは弟子たちから、一般の人たちの見方とは違った見解を引き出そうとしていると思われます。弟子たちは、すでに「御国の秘密」の解き明かしを受けていますから(4章11節)、人々の見方とは「異なる」理解が期待されていたのでしょう。ここでのペトロの告白は、彼個人の理解というより、弟子たち全体の見方をペトロが代表していると見るべきです。この点で、マルコ福音書とマタイ福音書とは異なっています。
【メシア】原語のギリシア語は「キリスト」です。新共同訳は、新約聖書の「キリスト」が意味する内容はイエス復活以後の教会において初めて成立したという解釈から、ここの「ホ・クリストス」"the Christ" を「メシア」というイエス在世当時のパレスチナのユダヤ人一般の言葉で置き換えて意訳しています。旧約聖書(ヘブライ語)の冠詞付きの「ハ・マーシーハァ」は、「油注がれた者(=王/祭司/父祖)」のことですから、必ずしも「来たるべき救い主」の意味ではありません。
 「メシア」が「来たるべき救助者/救い主」の意味で用いられるのはダニエル書9章24~26節で、そこには次のようにあります。
 
  虐げられ荒廃しているあなた(ダニエル)の民(ユダの民)とあなたの都(エルサレム)が、その罪科が赦されて、とこしえの義がもたらされ、とこしへの正義が到来して、至聖所に油注ぎ(ミーシャハァ)が起こるまで「70週」が定められています。さらに、エルサレムを再建/復興せよとのお告げが出てから、油注がれた君/王(マーシーハァ)の到来まで7週があります。その後「62週」の間に堀と大路を具えた都が復興します。62週が過ぎると油注がれた者は不当にも断たれ(殺され)、次に来る指導者/王の軍隊が都と聖所を荒らすでしょう。
        〔Collins. Daniel. Hermeneia(1993).345-46.〕[NRSV]。
 ここには「人の目から隠された神秘の歴史」が語られていますが、旧約時代以後の旧新約中間期では、苦難の時代に続いて希望をもたらす「メシア」来臨への待望が広まります。しかし、「メシア」がどのような人物なのか? あるいはメシアの到来が何をもたらすのか? これの意味する内容は、人によって、あるいは時代によって様々でした。したがって、「メシア」が意味する事/者は、それが用いられる時と、これを用いる人々/共同体によって判断しなければなりません。しかし、どのような意味にせよ、人々一般の理解では、神の民の霊的な復興と民族的な解放を含むものでしたから、そこに何らかの政治的あるいは社会的な変動が予想されるものでした〔フランス『マルコ福音書』331頁〕。
 マルコ福音書の冒頭に「神の子イエス・キリスト」とありますが、この「キリスト」は、「神の子」とあるように、すでに70年頃のキリスト教会が用いる特定された内容を含んでいます。しかし、マルコ福音書以前の伝承では、特に伝承がイエス在世当時にさかのぼるとすれば、ここでのペトロの「メシア」には、当時一般の人々が期待していた「ダビデ的なメシア」、すなわちローマ帝国から独立し、ユダヤ王国を回復するために主から油注がれた者という意味を帯びていたと思われます。
[30]【御自分のことを】イエスはここで、「自分のことを誰にも言ってはいけないと弟子たちに厳しく警告した」とあります。事情は少し違いますが、悪霊がイエスを「神の聖者」あるいは「神の子」と呼んだ時に、イエスはこれを黙らせました(1章25節/同34節)。人には見えなかったことが悪霊には分かったのです。また、このペトロの告白の後で、イエス自身が自分を「人の子」と呼んで、己の受難をはっきりと予告しています(8章31~32節)。しかしイエスは、自分が「メシア」であることは言いません。また、ペトロの告白を否定もしません。マルコ福音書では、イエスのメシア性が秘密にされているとしばしば指摘されますが、「メシア」がでてくるのは、マルコ福音書ではここだけです。
 以上のことから判断すると、ここでイエスが弟子たちに警告しているのは、イエスが「メシア」かどうかではなく、イエスが「メシアである」そのことを「誰にも言わない」こと、すなわち<公(おおやけ)に宣言>してはならないと厳しく戒めているのが分かります〔フランス『マルコ福音書』330頁〕。
 この警告の理由は、「メシア」の称号が人々の間で一人歩きして、イエス自身が意味する内容とは異なる意味に誤解されることを懸念したからだと考えられます。この当時、「メシア」の持つ意味が政治的に理解/誤解されると、これに同調する側にも、これに反対する側にも、どちらにとっても深刻な事態を招く言葉だったからです。イエスは自分が「誰である」かを<今ここでは>明言しませんが、続いて受難を予告しています。<その時には>、自ずとイエスの存在の真の意義が明らかにされるのです(14章62節/15章39節)。「人の子」の真の有り様は、選ばれた者たちには前もって顕わされますが、世の人々の目からは「隠されている」からです〔コリンズ『マルコ福音書』402頁〕。
 
■マタイの構成
 マタイ福音書の記事も四千人への供食に続いて、空模様のしるしについての教えがあり、パン種の戒めがあり、ペトロの告白が来て、山上でのイエスの変貌へつながりますから、マルコ福音書の叙述と並行しています(ベトサイダでの盲人の癒やしが抜けていますが)。ただしマタイ福音書では、イエスは自分がメシアであることを明らかにした上で、「この時からイエスははっきりと打ち明け始めた」(16章21節)とあって、最北のこの地から、エルサレムへ南下する旅が始まります。途中での悪霊追放と癒やしの出来事は二つだけで、それ以外は弟子たちへの教えにあてられていて、イエスは自分のメシア性の真の意味について彼らの目を開かせようとしています。だがこれに対する弟子たちの反応は今ひとつ鈍いようです。
■マタイ福音書でのペトロの告白
 マタイ福音書でも、イエスは「アブラハムの子」であり「ダビデの子」です(マタイ1章1節)。イエスは「メシア」と呼ばれていますが(同16節)、それ以後16章のこの箇所まで、イエスが「メシア」と呼ばれることはありません(ただし2章4節でヘロデが「メシア」がどこに生まれるのかを尋ねていますが)。ただし人々は、イエスのことを「ダビデの子」と呼んでいて、これは当時の一般的な「メシア」理解に沿った言い方です。また、悪霊はイエスを「神の子」と呼び(8章29節)、水上歩行の奇跡に接して、弟子たちはイエスを「神の子」(14章33節)と呼んでいます。
 今回の箇所で、マタイ福音書とマルコ福音書との最大の違いは、マタイ福音書では、ペトロの告白をイエスがはっきりと肯定していることです(マタイ16章16~17節)。だからマタイ福音書では、弟子たちに関する限り、イエスがメシアであることが「秘密」ではありません。問題は、イエスがペトロの告白を「天からの啓示である」として肯定しているのに、なぜそのメシア性を公に伝えてはならないのか? ということです。まさにこの点に、16章20節までと21節からとの「切れ目」があります。イエスのメシア性が、受難と死と復活に結びつくことを、弟子たちは「この時から」学ぶことになります。
 一見するとマタイ福音書のほうがマルコ福音書を踏まえて書かれているように見えますけれども、今回のマタイ福音書の記事には「バルヨナ」とか「血肉(人間)」「陰府の力」「対抗する」などマタイ福音書では通常用いられない用語がでて来ます。その他のマルコ福音書との違いから、今回の箇所では、マルコ福音書よりもむしろマタイ福音書のほうが、より古い伝承に基づいているのではないか、とも考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)604~605頁〕。
[13]【人の子のこと】マルコ=ルカ福音書では「<わたしのこと>をなんと言っているのか?」です。マタイ福音書の尋ね方だとイエスと「人の子」とは必ずしも同一人物ではないようにも聞こえますから、ここを「人の子である<わたしを>なんと呼んでいるか?」と読む異読があります。この「わたし」は、ほんらいマタイ福音書では抜けていたのですが、ここでの意味をはっきりさせるために後からこれを補ったのでしょう〔新約原典テキスト批評42頁〕。
 「人の子」は旧約聖書の時代からの用語で(例えばエゼキエル書36章やダニエル書7章13~14節や『第一エノク書』37章~71章)、イエスの時代のパレスチナでも用いられていました。しかしこれが当時どのような内容を帯びていたのかを正確に定義することは現在でも難しいようです。ここでもイエスは、その内容を特定することを避けて「人の子」を用いています。イエスは、続く16章21節以下で、自分の受難を「人の子」と結びつけています。これは、「人の子」にそれまでなかった新たな意味を与えたことになります。
(1)「人の子」は、イエスの時代には、「人々の代表としての自分」を指す場合に用いられました。だからこの「自分」は、現在のわたしたちが言う個人化した「自己」のことではなく、ある共同体の中にあってその共同体を代表する存在としての「自分」のことを表わしています。マタイ福音書の作者はマルコ福音書の記事を踏まえていますが、それだけでなく、16章13節の「人の子」では、マタイ独自の資料によっている形跡もあります。だから、マタイがマルコ福音書の「わたし」を「人の子」で置き換えたのか? それともマタイ独自の資料がほんらい「人の子」であったのか? そのどちらかは分かりません。どちらにせよ、「人の子」が「自分/わたし」を指すのですから、内容的にマルコ福音書と変わらないことになります(マタイ16章21節では「自分」となっているのに対して、マルコ8章31節では「人の子」となっていますから、マタイ16章13節の場合とは逆です)。
(2)旧約時代以来の「人の子」伝承では、「人の子」は、天から降るメシアと同一視され、また個人であると同時に共同体的でもあり、しかも、世の権力者たちや人々の目から「隠された」存在であって、「選ばれた」少数の者たちだけに啓示されると伝えられていました。今回の場合もこのような人の子伝承と一致しています。
(3)マタイ16章13節の「人の子」は、同27~28節の「人の子」と対応していて、13~28節が一つのまとまりを形成していることを表わしていると考えられます。このような構成はマタイ福音書の特徴です。
(4)今回の箇所には、「預言者」「エリヤ」「メシア」「神の子」「人の子」など、イエスに対して与えられるほとんどすべての「呼び名」がでてきて、しかもそれらは、「人々」とペトロとイエス自身とによって使い分けられています。マタイ福音書は、ここで、イエス在世当時に「イエスが誰なのか?」をめぐって、判断がどのように交錯していたのかを伝えているのです〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)617頁〕。
[14]ここに「エレミヤ」がでてくるのはマタイ福音書だけです。これはマタイの編集による追加でしょうか。同様の例が2章17節にも27章9節にも見られますから、マタイは、イエスとエレミヤとを重ねていると思われます。エレミヤもイエスも当時の神殿制度を批判し、かつ苦難を受けたことによるのでしょう。
[16]マルコ福音書では冠詞付きの「ペトロ」ですが、マタイ福音書では無冠詞の「シモン・ペトロ」です。マタイ福音書のヘブライ語名「シモン」は続く「シモン・バルヨナ」と関連します。マルコ福音書では「発言した/答えた」ですが、マタイ福音書では「言った」です。マルコ福音書よりもマタイ福音書のほうにセム語的な用法が見られますから、マタイはマルコ福音書だけでなく、独自の資料/伝承を保持していたのではないかと考えられます。
【生ける神の子】原文は「あなたこそキリスト、生ける神の子です」。このような言い方はここだけです(ただしマタイ26章63節を参照)。「キリスト」はマルコ福音書からですが、「生ける神の子」は復活信仰以後の教会からの伝承で、マタイ独自の資料からでしょうか? あるいはマタイ自身による編集でしょうか? この句は「イエスの父」としての神を指していますが、「生ける神」は旧約から来ています(申命記5章26節/ヨシュア記3章10節/列王記下19章16節)。「生ける神」は、ほかの神々に比較してイスラエルの神だけが「生きて働く」という意味に解することもできますが、むしろ、他の神々との比較対照ではなく、「神こそ命そのものである」という意味に理解するほうがいいでしょう。
 イエスが「神の子」であることは、すでに弟子たちが知っていたことですから(マタイ14章33節)、ここでのペトロの告白が、なぜイエスから特別の祝福を与えられるのか? その理由がはっきりしません。「神の子」には「生きて働く神の性質を宿す者」の意味があり、イスラエルではこれが一般的な理解でした。しかし、イエスの場合は、これだけにとどまらず、イエスと父なる神とが特別に深い交わりにあることを指しています(11章26~27節)。おそらく弟子たちの「神の子」理解もこの意味だったのでしょう。しかし、「神の子」は、メシアを意味する称号としても用いられ、これがイエス以後の教会では「メシア=キリスト」として、イエスの称号になりました。イエスの頃の「メシア」理解も一定ではありませんでしたが、ペトロがここで「生ける神の子」と告白したのは、すでに弟子たちが理解していた意味に加えて、さらにイエスこそ「メシア」その方であるという意味で用いていると見ることができます。それだからこそ、ペトロの「メシア」理解がここで問題になってくるのです。
[17]17~19節はマタイ福音書だけの記事です。しかもここのイエスの言葉は、エクレシア(教会)創立の土台として知られていています。それだけに、マタイ福音書のこの箇所のイエスの言葉が、はたして真正なのか、ブルトマン以降、その歴史的信憑性が議論の的にされてきました。先にマルコ福音書の注釈で述べたように、今回のペトロの告白記事全体が、イエス復活以後に、復活のイエスの顕現を受けた教会によって創出されたという見方もあります。例えば、イエスがその生前に「エクレシア」(教会)などという用語を用いたはずがないというのもその理由の一つです。したがって従来、ここのイエスの言葉は、後からの編集による挿入/付加であると見なされてきました。それがマタイ自身による付加なのか、それともマタイ以前の伝承/資料に基づくのかは確定できませんが〔ルツ『マタイ福音書』(2)587~88頁〕。
 この問題は、マルコ福音書とマタイ福音書との関係に及んでいて、もしもマタイ福音書がマルコ福音書を踏まえているのであれば、マタイ16章17~19節は、後からの編集による追加の可能性が高くなります。しかし、すでに見てきたように、マルコ福音書とマタイ福音書との間には、用語その他でかなりの違いがあります。このために最近では、マタイ福音書の記事はマルコ福音書のそれとは別個の伝承であり、むしろマタイ福音書のほうがマルコ福音書よりも古い原初の伝承にさかのぼるのではないかと見られるようになって来ました。
 ICCシリーズの『マタイ福音書』(1991年)は、次のような理由をあげて、この部分の真正性を認めています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)603~615頁〕。(1)生前のイエスがペトロを「ケファ」と呼んで、彼に特別の地位を与えていたこと(ガラテヤ1章18節を参照)。(2)イエスの言葉を含めて今回の箇所にはセム語的な用法が多く見られること。(3)クムラン文書などとの類似性から、ここがパレスチナ起源だと判断されること。それに、イエスの伝道活動が、イエス以後も継続することを期待<しなかった>などと考えることができません。だから、たとえイエスが「エクレシア」という用語を使わなかったとしても、何らかの共同体を表わす言葉、例えば「カーハール」(会衆)を用いたと考えられます。(4)イエスの伝道活動と内容が一致していること。例えば、ここの言葉がイエス復活以後の顕現から出ているとすれば、なぜペトロだけに特別の地位が与えられているのか?その理由が説明できません。(5)この部分の用語がイエス以後の教会の用語ではないことから、ここがイエスにさかのぼる可能性が高いこと(「陰府の門」「御国の鍵」「結ぶ/解く」「対抗する」など)。(6)フィリポ・カイサリアの地理的な場所が告白の場として適切であること。(7)ヨハネ6章66~71節でのペトロの告白と共通性があること。(8)この部分を後からの創出による挿入説の根拠が薄弱であること。このように最近では、ここでのイエスの言葉の歴史的信憑性を認める傾向が強くなっています〔Keener, The Historical Jesus.(2009.) 247-49. 〕〔R.T.France. The Gospel of Matthew. The New International Commentary on the New Testament: Eerdmans (2007) 614. 特に同頁脚注(9)を参照〕〔教皇ベネディクト16世ヨゼフ・ラッツィンガー『ナザレのイエス』里野泰昭訳/373~77頁/原初は2007年〕。
【シモン・バルヨナ】アラム語「バル(息子)ヨナ」は「ヨナの息子」です。ヨハネ福音書1章42節では「ヨハネの子シモン」となっています。「ヨナ/ヨハネの子」はほかのシモンと区別するためです。伝承の過程で「ヨナ」→「ヨハネ」となったのでしょうか。なお、「幸いだ」は、特に霊的な啓示を受けた人に対して言われる言葉です。
【人間】原文は「肉と血」で、これはユダヤ教で「人間」を意味する言い方です(ガラテヤ1章15~16節)。「人間が<啓示した>のではなく」とあるのは、ここでペトロに与えられた人の子イエスのメシアとしての啓示が、通常の「メシア」ではなく、特に終末的な意味を帯びていたからでしょう。
[18]「この節は聖書全体で最も論争の多い箇所の一つです」〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)623頁〕。論争の多くは宗派な違い(カトリックかプロテスタントかなど)に根ざす部分も少なくありません。また、この節の解釈にあたっては、いわゆる「学問的」ということの意味も再吟味する必要があります。
【わたしも】原文は「この<わたしもまた>あなたに言う」で、「わたし」(イエス)と「あなた」(ペトロ)が強められています。マタイは通常「わたし<も>」(カゴー)という言い方をしませんから、18節がマタイによって17節に<後から>付け加えられたのでは<ない>ことが分かります〔デイヴィス前掲書624~25頁〕。なお「あなたはペトロ」という言い方は17節の「あなたはメシア」と対応しています。
【ペトロ】先のマタイ4章18節と10章2節で「ペトロ」と呼んでいるのはマタイ福音書の作者(物語の語り手)ですから、その時すでにペトロと呼ばれていたのかどうかは、必ずしも確かでありません。物語の登場人物が「ペトロ」と呼ぶ例はここまで一人もいませんから。ここ16章18節で初めて、<イエスが>「ペトロ」と呼ぶのですから、ここで初めて「ペトロ」というあだ名が与えられたと見る説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)625頁〕。しかし、すでに4章18節と10章2節に「ペトロ」という名前がでていますから、このあだ名はすでに与えられていたのであって、ここ18節でイエスは、「ケーファ(-)」(ペトロ)の意味を説明しているという見方もできます〔フランス『マタイ福音書』620頁〕。マルコ3章16節/ヨハネ1章42節から判断すれば、イエスは、今回の出来事以前に、すでに「ケーファ」というあだ名をつけていたのでしょう。
 シモンにペトロという「新しい名前」が与えられたことは、その背後に旧約聖書の伝承があると指摘されています。アブラムは主から召命を受けた時に「アブラハム」と名づけられます(創世記17章5節)。また、ヤコブも神のみ使いと出会った後に「イスラエル」という新たな名前で呼ばれます(創世記32章29節)。アブラハムもイスラエルも、神に選ばれた新たな民(子孫)の誕生と関連づけられていますから、マタイ福音書では、イエスに選ばれて「ペトロ」と名づけられた一人の人物こそ、新約の「新しい神の民」を導き出す人物として、アブラハムと対応しているのでしょうか。イザヤ書(51章1節)では、アブラハムもまた、義人たちのよりどころとなる「岩」にたとえられています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)624頁〕〔フランス『マタイ福音書』622~23頁〕。
 なお、このようなペトロ観は、後の教会による創出だとする見解も可能ですが、これは必ずしもは正しくないでしょう。イエスの復活以後の教会で、エルサレムの教会で実際に指導的な役割を担ったのは、イエスの弟ヤコブであってペトロではないからです。だとすれが、ペトロを弟子たちの筆頭に指名したのはイエスであったと見ることができましょう。ただし、ペトロを新たなエクレシアの民の父祖と見なすこのような伝承は、エルサレム滅亡以後のマタイの教会から出ているとも考えられます。生前のイエスの意図と、これを受け継いだ後の教会による伝承とが、このようにつながりながら継承されていく様子をここに見ることができます。
【この岩】原語のギリシア語は「ペトロス」(男性単数)で、これはイエスが用いたアラム語「ケーファ(ー)」のギリシア語訳です。ただし、すぐ後に続く「この<岩>の上に」では「ペトラ」(女性複数)が用いられています。
 アラム語「ケーファ(ー)」は、大きな岩、あるいは岩盤のことですが、岩盤や岩が崩れて散らばったかけらもまた「ケーファ(ー)」と呼びますから、アラム語では、大きな「岩」 "rock"と比較的小さな「岩のかけら/石」"stone" の区別がないようです。これに対してギリシア語では「石」は通常「リトス」ですが、「ペトロス」もまた正確には「石ころ」のことで、どっしりした「岩/岩盤」(ペトラ)のことではありません〔ギリシア語小辞典463~64頁〕。
 だとすれば、イエスが「ペトロス」という「<岩>の上に」教会(神殿)を建てるとあるのは、ギリシア語の意味から見れば適切でないことになります。ただし、ユダヤでは、昔から神殿は、「隅の親石」(詩編118篇22節)を基点として土台を造りますから、神殿を「<石>の上」に建てるという言い方はおかしくありません。
 このように見ると、イエスがシモンを「ケーファ(ー)」と呼んだのは、固い「石」をイメージしたのか、どっしりした「岩」のことなのか、判断が分かれます。しかし、マタイ16章18節では「ペトロス」(石)と「ペトラ」(岩盤/岩)の両方がでてきますから、ここでの「ペトロ」は、両方の意味を含むアラム語ケーファー」の用法から考えて、「岩盤」の意味に近いでしょう(マタイ7章25節参照)。なお、この「岩」とはペトロのことではなく、実際はペトロが信仰を置いている「イエス自身」を指しているという解釈もありますが(プロテスタント側から)、これはカトリック教会の解釈を意識して、これに対抗する教派的な見解ですから適切とは言えません。
【教会】原語はギリシア語「エクレーシア」(単数)で、四福音書では、こことマタイ18章17節の2回しかでてきません。この二つの例は、内容的に見ると少し違っています。今回の16章18節では、広く一般的な「教会」を意味しているのに対して、18章17節のほうは、ある特定の場所にある「教会」を念頭に置いているからです。
 ここでも問題は、イエスがはたして「エクレシア」にあたる用語を実際に口にしたかどうか?という点です。新約聖書中に「エクレシア」(筆写はこの語を日本語として用いるためにこの表記を使用しています)は数多くでてきますが、マタイ福音書での用法は、生前のイエスとの関連から見るならば、ヘブライ語の「カーハール」に相当します。「カーハール」は、動詞「カーハル」(集う)から出た名詞で、「集い」「集会」「会衆」を意味します。だからこの語は建物を指すのではなく「人の集まり」を指す言葉です。「カーハール」に似た言葉に「モーエード」(会堂)、あるいは「エーダー」(会衆/集団/軍団)〔TDOT(10)470-74.〕があります。これらに相当するギリシア語は「シュナゴーゲー」(会堂)です。実はヘブライ語の「モーエード」(会堂)にも、人の集まりとしての「集会」の意味がありますが、「会堂」は「建物」の意味をも含んでいますから、現在の「教会」と変わりません。新約聖書の「エクレシア」(教会)は、キリスト教徒の<集会>のことで、その建物のことではありません。これに対して、「シュナゴーゲー」(会堂)はユダヤ教の礼拝場とその集いのことですから「エクレシア」とは区別してください。
 この用法から見れば、「神のエクレシア」はヘブライ語の「神の会衆」(ケハル・エール)あるいは「ヤハウェの会衆」(ケハル・ヤハウェ)とほぼ同じ内容を指していると見ていいでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)629頁〕。「ヤハウェの会衆/集い」は申命記4章10節に「わたし(ヤハウェ)のもとへ民を集めよ(カーハル)」とあり、同9章10節には「集会(カーハール)の日」としてでてきます。これはシナイ山でヤハウェと契約を結んだ民のことですから、「主(ヤハウェ)の民/会衆」のことです。
 今回の箇所で、イエスが「わたしのエクレシア(教会)」と呼んでいるのは、旧約聖書のこの「主の民/会衆」とほぼ同じ意味ではないかと考えられます。ただしここでは、「わたしのエクレシア」であって「神のエクレシア」ではありません。だから、「わたしのエクレシア」は「<イエスを通じて>集められた神の会衆」のことを指しています。
【建てる】「エクレシアを建てる」という言い方は、ここのほかに第一コリント14章4節に「預言することは(神の)エクレシアを建てる」とあるだけです。この「建てる」が神殿と関連しているのは、「(人の)手によらない<異なる神殿を建てる>」(マルコ14章58節)とあることからも分かります。だからエクレシアは「人が神を礼拝する場に生じる霊の神殿」のことで、これはクムラン宗団の神殿観にも通じるところがあります。ただしマタイ27章40節では、マルコ14章58節の「(人の)手によらない」が抜けています。マタイ27章の「神殿」は、イエスをあざける者たちの言葉なので、おそらく不要な誤解を避けるためにもマタイは「人の手によらない」を省いたのでしょう。なお、マルコ14章58節で言う「人の手によらない神殿」とは、ほんらいイエス復活<以後の>霊的な神殿のことを意味しますが、ここマタイ16章18節のエクレシアは、ペトロの告白の「この時から」始まると見る説もあります。「建てよう」は未来形ですが、ここでは、イエスの死後を指すのではなく、エクレシア建設が「今この時から始まる」ことだと解釈するのです。
【陰府の力】死んだ者たちが降る「地下の世界」あるいは陰府(よみ)の国が、固い閂(かんぬき)のある門で閉じられているという信仰は古代オリエント世界では一般的です。旧約聖書の「陰府」は、義人も含めて死者が閉じ込められている場所のことで、終末の裁きによって悪しき者どもが滅ぼされる「地獄」のことではありませんから注意してください。
 「陰府の門も強さにおいて対抗できない」とは、(1)ペトロを指していて、ペトロは不滅で死なないこと(マタイ16章28節参照)、(2)イエス・キリストが陰府へ降って眠っている義人たちを連れ出すこと、(3)イエスのメシア性に基礎を置くエクレシアは死の力に支配されないことなどの解釈があります。しかし、(4)「陰府の門」は、イザヤ書38章10節に「陰府(シェオール)の門(複数)」とあって、そこでは「陰府」それ自体のこと、すなわち「死」を意味します。だから、イエスによって建てられるエクレシアには、死の力さえ対抗できず、エクレシアは終末まで持ち堪えると解釈することができます。さらにこの解釈に(5)この世に働く「死と悪」のどんな迫害でも、イエス・キリストのエクレシアを打ち負かすことができないという意味をも加えることができましょう。ただし、「陰府の門」は終末の「地獄の門」のことではありません。
[19]【天の国の鍵】原文は「諸天の鍵(複数)」です。これにも諸説があります。
(1)古代の魔術では、呪文によって悪霊を縛ったり解いたりしたから、ここでもペトロは悪霊を縛ったり追い出したりする権威を持つこと。
(2)人の罪を赦したり赦さずに残したりする権威のこと(ヨハネ20章23節参照)。
(3)エクレシアから破門する権威。
(4)終末に人を「天国」に入れるか拒絶するかを決める権威(これがここでのペトロの鍵への一般的なイメージ)。
(5)「鍵」とは天国に入るための知識のことを指すから(ルカ11章52節/マタイ23章13節の「閉じる」も鍵を用いること)、救いのための「教え」を定める権威のこと(ローマ・カトリックでは、ここをこのように解釈し、初代教皇ペトロとこれの後継者たちが、この権威を引き継ぐこと)。ローマ教皇の教権を別にすれば、この説も有力です〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)639頁〕。
(6)イザヤ書22章22節には、主ヤハウェが、ダビデ王朝の王宮の家令/執事エルヤキムに「ダビデの家の鍵」を預け、「王宮の開け閉めは彼の一存で決めることができるようにする」とあります。マタイ23章13節から見ても、「鍵」をこの意味に解釈する説が有力なようです。ただし、「鍵」は複数ですから、ペトロの役目は一つの鍵しか持たない「門番」ではなく、ダビデの家の家令/執事のように複数の鍵を持ち、天国へ通じる地上の教会を教え導くだけでなく、全体を管理・管轄する役目がペトロに与えられていることになります〔ルツ『マタイ福音書』(2)600頁〕〔フランス『マタイ福音書』625頁〕。ここでのペトロへの委託伝承が、その言葉通りではないまでもイエスにさかのぼるとすれば、この見解が最も適切だと言えましょう。ただし、マタイ18章18節によれば、他の弟子たちにも同じ権威が与えられていますから、弟子たちの筆頭としてペトロへの委託が継承されていたのでしょう。 
【つなぐ/解く】19節後半の「縛る/結ぶ」あるいは「ほどく/解く」も、直前の鍵を託された者がなすべきエクレシアの管理にかかわることです。「縛る」と「ほどく」は、ユダヤ教のラビ文書にでてきて、あることを「許可しない/認めない」か、あるいは「許可する/認める」かを決める用語です。「つなぐ/結ぶ」は「縛る」ことで、これは禁止にあたります。これに対して、「解く」は許容/認可にあたります。 "forbid/allow"[REB]。ラビ文書の「ハラハー」(モーセ律法に基づいて社会・宗教的な生活を規定するユダヤ教の法規)では、これは人が「誓い」を立てた場合に、後でその誓いを取り消すことが許されるかどうかを判定する際の用語だったようです。この判定は、ここではペトロに託されていますが、マタイ18章18節では他の弟子たちにも託されていて、そこでは直前の内容から判断すると、それぞれのエクレシア共同体内で、罪を犯した者を「赦す」か「赦さない」かも含まれているようです(ヨハネ20章23節参照)。しかし、この用語は、人自身を全体として処罰あるいは赦すことよりも、原則として人の個々の行為に関して言われているのでしょう〔フランス『マタイ福音書』626頁〕。このようなエクレシアの管理は、ペトロを頂点する弟子たち(とその後継者たち)に委ねられていることになります。後の教会は、この16章19節とマタイ18章18節とヨハネ20章23節とを総合して、「罪の改悛の秘跡」や「教会からの破門」あるいは、破門あるいは罪のために遠ざけられた者を教会が再度受け容れる根拠としました〔ルツ『マタイ福音書』(2)602頁〕。
 「つなぐ」と「解く」の動詞は、正確には「すでにつながれていた」(未来完了形)になっています。一般にここの未来完了は、未来のことをやや婉曲に言うことだと理解されています。だとすれば、判定はペトロを始めとする弟子たち(とその後継者たち)に任されていることになります。しかし、未来完了をそのまま受けとめて、彼らが判定を下したなら、それは「それ以前に神/主イエスによって<すでに判定されていた>」ことが明らかになる、と解釈することもできます〔フランス前掲書627頁〕。この際、判定は<すでに>神/主イエスによってくだされていたことを、弟子たちが、後になってこれに追従したことになりましょう。
 
■ルカ9章18~21節
 ルカ福音書のペトロの告白記事は、マルコ福音書のそれに準じています。ところが、ルカ福音書では、この告白が、ヘロデのイエスについての疑問と、五千人への供食に続くのです。だから、マルコ福音書で言えばマルコ6章44節の後にペトロの告白が来ていることになります。言い換えると、ルカ福音書では、マルコ6章45節~同8章26節にあたる部分が抜けているのです。これが、いわゆる「ルカの大省筆/省略」"Luke's Big Omission"と言われている部分です。
 ルカ福音書では、なぜこの部分が抜けているのか? これに答える諸説がありますが、一つには、マルコ福音書では、五千人への供食とこれに始まる一連の奇跡や癒やしの業、続いて四千人への供食と「しるし」や「パン種」の教えと癒やしという構成を採っていますから、ルカは、これが内容的に重複していると見て、マルコ福音書の五千人への供食に続く部分を省いたという説があります。
 さらにもう一つ、マルコ福音書では、ルカの省いた部分が、ガリラヤ以外の地域でのイエスの旅にあたることがあります。これに対してルカ福音書では、五千人への供食がベトサイダ近辺で行なわれ、続いて、おそらくこの地域で(?)、イエスの口から一連の受難予告と山上での変貌が語られ、そこからイエスの一行は、エルサレムへ向かう旅に転じるのです(ルカ9章51節)。だからルカ福音書には、ティルスもシドンも、フィリポ・カイサリアの地名も出てきません。これがルカ福音書での「大省筆/省略」の理由だと考えられます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)770~771頁〕。
 マルコ福音書では、ペトロの告白がイエスの福音活動の重要な転機になり、マタイ福音書では、ここのペトロの告白がエクレシア創立の原点になります。ところがルカ福音書では、ペトロの告白が、五千人への供食を挟んでヘロデのイエスに対する疑惑の記事につながりますから、今回の出来事とヘロデに関する記事とが対応関係に置かれていることになります。だとすれば、ペトロの告白は、「イエスとは何者だろう?」というヘロデの疑問に答える形になってきます。ペトロの告白も大事な意義を持ちますが、ルカ福音書では、むしろイエスの受難(と復活)予告のほうに重点が置かれているのでしょう。なお、五千人への供食とペトロの告白とのつながりは、ヨハネ6章の五千人への供食と同67~69節のペトロの告白と共通します。ここでもルカ福音書とヨハネ福音書との類似が注目されます。
[18]~[19]【ひとりで祈って】原文は「たまたまイエスだけで祈っていることがあった」です。おそらくこれはルカによる編集でしょう。イエスが「一人で祈る」のは、22節の受難と復活予告へつながるものです。場所は特定されていませんが、おそらくベトサイダ周辺でしょうか。
【弟子たちが共にいた】「ひとりで」祈っていたのに弟子たちが共にいるのは不自然です。ルカの編集によって生じた矛盾でしょう。「(弟子たちが)共にいた」を「(弟子たちと)出会った」と読む異読がありますが、おそらくこれは、この不自然な点を解消するための後からの訂正でしょう。
【群衆は】マルコ=マタイ福音書では「人たち」ですが、ルカ福音書では「群衆は」です。「人たち」という言い方が適切でないと見て換えたのでしょうか? 
【預言者たち】マルコ=マタイ福音書では「預言者たちの一人」ですが、ルカ福音書では「いにしえの預言者たちのだれかが生き返った」です。ルカは特に旧約聖書の中の預言者を意識しているのでしょう。
[20]~[21]【神からのメシア】原語で言えば、マルコ福音書では「キリスト」、マタイ福音書では「キリスト、生ける神の子」、ルカ福音書では「神(から)のキリスト」です。「キリスト」が「メシア」〔新共同訳〕と訳されている理由は、マルコ福音書の注釈で説明しました。ヨハネ福音書でのペトロの告白は「神の聖者」(ヨハネ6章69節)です。ルカ福音書の呼び方はマルコ福音書から出ています。「神の」が加わっているのは、異邦人に分かりやすくするためでしょうが、それだけでなく、「キリスト」が父なる神の「子」であることをも伝えるためです(ルカ2章49節)。ペトロが「メシア」と告白したのは、イエスが、ダビデ的なメシアとして「イスラエルを復興する」(使徒言行録1章6節)ことを期待していたからでしょう。しかし、ルカ福音書での「キリスト」は、マルコ福音書の「キリスト」のようにイエスの頃のパレスチナの「メシア」の意味でしょうか? それとも、イエス復活信仰以後の「神の御子」であるイエス・キリストの意味をも含むのでしょうか? おそらくルカ福音書では、パレスチナ時代の「ダビデ的なメシア」だけでなく(ルカ2章4節/同11節)、唯一の父なる神の御子であるイエス・キリストの意味も重ねられていると見ていいでしょう(ルカ2章30~32節/使徒言行録1章7~8節)。
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