【注釈】
■マルコ9章の変貌記事
今回の箇所は、9章1節のイエスの預言との関係で注目されています。山上での変貌が、9章1節で預言された「神の国の到来」の成就だと見なすことはできませんが、この預言が今回の出来事の直前に置かれていることは、預言と変貌を関連づけるマルコの意図を示すものです。エリヤの出現は終末を表わしますから、イエスの変貌と続く天からの声は、<終末をもたらすメシアが到来した>ことを表わすのでしょう。しかし、9章1節の預言が成就するためには、さらに十字架の受難を経ることが避けられないことが、9章12節で改めて示されます。
イエスの神性は、すでにイエスの洗礼において啓示されています(マルコ1章10~11節)。ただし、その折に、啓示を受けた人たちが、イエス自身と洗礼者ヨハネのほかにもいたのかどうかは語られていません。今回の変貌は、イエスの洗礼に続いて、イエスの神性の二度目の啓示です。しかもここでは、イエス以外に、特定の3人の弟子たちがいたことがはっきりと語られます。変貌の記事は、終始<これらの弟子たちの視点から>語られています。「彼らの目の前で」「彼らに見えた」「彼らは恐れた」、さらに天から彼らに向けて語られる言葉などが、弟子たちからの視点を示しています。ここでの語りの特徴は「見る/見える」ことです。(1)イエスの姿が変貌して見えたことは、イエスが通常の人間以上の存在であることを証しします。(2)モーセとエリヤが顕われたことは、イエスが終末のメシアであることを表わします。(3)雲が現われて天から響く声は、イエスが「神の子」であることを証しします。ですから変貌記事は、イエス自身の体験であるだけでなく、<弟子たちの体験>なのです(第二ペトロ1章16~18節)。
今回の天からの声は1章11節の天の声と対応しています。洗礼の場では、声は特にイエス自身に向けられていますが、今回のところでは、その声が3人の弟子たちに向けられます。だから、マルコ福音書のメシアの秘密は、ここでイエス以外の3人の弟子たちと共有されることになります。この天からの声は、8章31節で預言された受難を受けて、これを9章12節での受難予告へつなぐものです。このように、マルコ福音書は、十字架にかけられたのはいったい「誰だったのか」、このことをここではっきりと示そうとするのです。
今回の変貌記事には、以下の諸伝承が背景になっています。
〔モーセ伝承〕山上の変貌は、旧約聖書のモーセ伝承と深くつながっています。モーセは、3人の弟子たち(と70人の長老)を連れてシナイ山に登ります(出エジプト記24章9節)。彼らはそこで神の栄光を観ます。モーセが神と出会った後で、彼の顔が光を放ちます(同34章29~31節)。モーセが山に行くと主の栄光が六日間雲となって覆います(同24章15~16節)。出エジプト記24章では、主の臨在に包まれたモーセの記述が、そのまま同25章以下で幕屋の建設につながります。だから、今回の箇所で「幕屋を建てる」というペトロの提案とも対応します。
〔エリヤ伝承〕エリヤ伝承は、「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる」(マラキ書3章23節)と預言されているところから来ています。さらにシラ書48章1~11節は、全体がエリヤにあてられていて、そこでは、エリヤが「火を降らせた」とあり、「死者を陰府から立ち上がらせた(よみがえせた)」とあり、「シナイ山で主の非難の言葉を聞き」、「神の怒りが激しくなる前に、これを鎮(しず)めた」とあります。だからエリヤは、終末の「主の日に」先立って再臨して、イスラエルを復興させるメシアだと考えられていました〔TDNT(2)931〕。エリヤもまた、モーセが神と出会ったホレブの山の麓で神の声を聞きいています(列王記上19章8~12節)〔フランス『マルコ福音書』346~48頁〕。イエスの頃には、エリヤ自身が「メシア」として再臨すると信じられていましたが、ここマルコ福音書ではそうではなく、エリヤは<イエスのメシア性>を証ししてると考えられます。
イエスにおいて顕現した神性こそ、モーセとエリヤのそれに優ることが天からの声で証しされます。モーセとエリヤを伴うイエスの変貌は、二人が見えなくなってイエスだけが弟子たちの目に入るところで終わります。この出来事は、受難と復活へ向かう途上で3人の弟子たちだけに啓示されますが、これはいったい何を意味するのでしょうか?この問いが、変貌に続いて、弟子たちがイエスに向けてた尋ねた「エリヤ問題」として、変貌の後に続きます。
山上の変貌記事は、かつては「復活物語」の一つであると見なされて、ほんらいは復活顕現の物語であったのが、マルコ福音書の作者が、意図的に(?)生前のイエスの出来事として組み込んだと考えられていました。復活以前には、イエスの天的な本質は<隠されていたはず>だと考えたからでしょう〔『ブルトマン著作集』(2)『共観福音書伝承史』(Ⅱ)96~97頁。原書は1962年〕。しかし現在では、この見方は受け容れられていません〔コリンズ『マルコ福音書』(2007年)415頁〕。
復活はイエスが「雲に覆われて」昇天するところで終わります(使徒言行録1章10節)。そこで語られるのはイエスが「復活した」ことを目撃し、「天に昇った」ことを確認することですから、<それ以上>のことは語られません。ところが変貌の物語では、モーセとエリヤが出てくるだけでなく、イエスの顔と衣とが独特の輝きを放つ様を<選ばれた3人の弟子たちだけが見た>ことを証ししています。これは「復活」ではなく「神顕現」(エピファニー)の物語です。復活物語と山上の変貌記事とは違いすぎます。だから、変貌記事は「誤ってか、あるいは意図的にか、復活物語が生前のイエスの物語に配置された」のではなく、イエス復活への予兆として、イエスを通して顕われた「神性の顕現」物語だと受け取ることができます〔フランス『マルコ福音書』349頁(注)8〕。なお、このような顕現は、ヘレニズム世界では、「神々の顕現」として、ギリシア神話やホメーロスの叙事詩にも見ることができると指摘されています〔コリンズ『マルコ福音書』418~19頁〕。
■マルコ9章
[2]【六日の後】マルコ福音書で日付が記されることはあまり多くなく、「数日後」(2章1節)「そのころ」(8章1節)など漠然としています。ところが今回は「六日の後に」とあるのが注目されます。これも9章1節のイエスの預言と山上の変貌とを結ぶためでしょう。「六日の後に」とあるのは、預言があってから六日後に山へ向かって一行が出発したことを指すのでしょうか。出エジプト記24章16節では、モーセは連れてきた一行を残して、一人でシナイ山に登り、主の栄光が顕われている雲に覆われて、そこに「六日間」留まっていたとあります。ただし、これは、今回のマルコ福音書の「六日後」と正確に対応していないので、今回の「六日」にはたして出エジプト記が反映しているのかどうかは確かでありません。
【ペトロとヤコブとヨハネ】この3人については、5章37節と14章33節でも同じ顔ぶれがでています。「よみがえり」「変貌」「ゲツセマネ」と、どの場合もイエスが特別の啓示を与える/受ける場面でこの3人が登場しますから、彼らが内弟子たちの中でも特別の存在であったことが分かります。ただし8章33節や10章35~41節から判断すると、彼らがイエスの期待に応えるほど霊的に成長していたかどうか?疑わしいところがあります。
【高い山】マルコ福音書がここで伝えているのは、ある特定の山のことだと考えられます。しかしそれがどこなのか? 残念ながらマルコ福音書の記事では、はっきりしません。フィリポ・カイサリアの北にはヘルモン山系があり、そこに標高1530mから2826mという「高い山」が幾つもあります。しかしこの地域は「異教の地」ですから、はたして大勢のユダヤ人が住んでいたかどうか疑問視されています(筆者はこの場所の歴史的な由来から見て、そこに大勢のユダヤ人がいたとしても不自然ではないと見ていますが)。
伝統的には、ナザレのやや東南10キロほどの所にあるタボル山(標高588m)が、変貌の山だとされています。しかし、山の麓に「ほかの弟子たち」を残していること(9章14節以下)、そこには律法学者も含めて「大勢の群衆」がいたこと、さらにその場所から「ガリラヤを通ってカファルナウムに来た」(9章30節/同33節)ことになりますから、タボル山では、フィリポ・カイサリア(8章27節)から地理的に離れすぎています。一つの案として、フィリポ・カイサリアから、直線距離で36キロほど南西にあたるメロン山(標高1208m)をあげる説もありますが〔フランス『マルコ福音書』350頁〕、確かでありません。
【変わった】原語は「メタモルフォーマイ」(中動相動詞)の受動態アオリスト形で、「変化する/変容する/変貌する/変身する」の意味です。ラテン語で書かれたギリシア神話集では、オウィディウスの『メタモルフォーシス』〔中村善也訳『変身物語』岩波文庫(上下)〕が有名ですが、そこでは人間が神々によって動植物に「変身」します。しかし、今回の箇所ではそのような「変身」ではなく、イエスの「姿」(すがた)が「変貌」することです。パウロ書簡では、「(わたしたちは)神の憐れみによって、心/思いを新たに<変える/変わる>」(ローマ12章12節)とあり、「(わたしたちは)鏡に映るのを見るように主の栄光を見つめつつ、栄光から栄光へと主の似姿に<変貌されて>いく」(第二コリント4章18節)とあり、それが「主の霊の働き」によるとあります。イエスの変貌は次の9章3節にでてきますが、それに比べると、パウロ書簡のほうは「霊的な変容」の意味が強いようです。
[3]【真っ白に】衣服/衣(ころも)は、聖書でもそれ以外の世界でも人間の霊性を象徴しますから、「霊衣」の意味を帯びています(創世記3章7節/同20節/出エジプト記28章3節以下)。特に「白い衣」は天的な存在を表わします(ダニエル書7章9節/詩編104篇2節/マタイ28章3節/マルコ16章5節/使徒言行録1章10節)。「輝く」とあるのは、星のようにきらきら光を発する様子のことで、「地上の布さらし人」のできることでないとあるので、何か超自然の霊光を感じさせるものがあったのでしょう。なおマタイ福音書とルカ福音書では、「イエスの顔」も輝いていたとあります。
[4]【エリヤがモーセと共に】次の5節では、二人の順番が逆になっていますから、ここでの「共に」も、モーセを主として、「エリヤ<も>モーセと一緒に」の意味でしょう。ここでのエリヤは11~13節へつながります。
伝統的には、この場面でのエリヤは「預言者」を表わし、モーセは「律法」を表わすと解釈されていました。イエスの「神の子変貌」が、律法と預言者(二つで聖書全体を指す)によって証しされていると解釈されたからです。しかし現在では、ここでの二人の顕現は、終末の到来と、これに伴うメシアの顕現を表わすと受け取られています。モーセはネボ山で姿が見えなくなり、その墓は隠されています(申命記34章1節/同6節)。エリヤは生きたまま天にあげられています(列王記下2章11節)。だから、イエスの頃には、二人とも、終末に再臨してメシアの到来を告げると信じられていました(モーセの預言については申命記18章15節/同18節参照)。
二人がイエスと何を「語り合って」いたのかは告げられていませんが、おそらくこれからイエスに起こる「受難」についてであろうと推定されています(9章12節参照)。エリヤもモーセも苦しみに遭(あ)っており、モーセはしばしば民から拒否されました。従来、マルコ福音書は、その「メシアの秘密」が重視されるあまり、マタイ福音書やルカ福音書に比べると、イエスが「新しいモーセ」であることを示す「モーセ・タイポロジー」(モーセ予型論)が欠けていると見られてきました。しかし、今回の箇所から判断すると、マルコ福音書にも「イエス=モーセ」のタイポロジーが流れていると見ることができます〔フランス『マルコ福音書』353頁〕。
ユダヤ教には、終末でのモーセとエリヤの「二人の再臨」伝承は例がありません。しかし、民衆の間に広まっていた黙示信仰では、メシアの先駆けとして「二人の人物」の到来が、イエスの頃にも存在していたと考えられます(ヨハネ黙示録11章3~12節参照)。ちなみに、『第一エノク書』の「エノクのヴィジョン」の巻では、三人の人物がエノクを伴って終末に臨む羊の群れを彼に見せてくれます(『第一エノク書』90章31節)〔TDNT(2)938-39〕
[5]~[6]【口をはさんで】原文は「答えて言った」。しかし、これはヘブライ的な言い方で「さらに話し続けた」「そこで話し始めた」の意味でしょう。ペトロは三人を代表して言っていますが、事の異様さに驚き恐れて、何をどう言えばよいのか分からないままに語ったのです。
【先生】原語の「ラビ」は、マルコ福音書ではここが初めてです。4章38節では「ディダスカレ」(先生)です。「ディダスカレ」はユダヤ教の律法の教師に対する呼びかけですが、この場合でも「ラビ」が用いられました。しかし、四福音書の場合、「ラビ」は、単に教師を意味するだけでなく、社会的にとても「偉い人」や霊能の人への敬称としても用いられています(ヨハネ20章16節参照)。
【すばらしい】原語の「カロス」は「美しい/立派な/優れて善い/尊い」など幅広い意味を含みます。「とても良い」〔塚本訳〕。ペトロは「わたしたちが」を強めていますが、そこにモーセとエリヤをも含めているのでしょう。彼は、この二人が何時までもそこに留まればいいと思ったのでしょうか。「すばらしい/とても良い」は、ただ驚きに圧倒されているだけでなく、霊的に祝され高められた状態にあることを示します。現在、シナイ山の麓にある正教の聖カタリナ(カテリーナ/エカテリーナ)修道院には、12世紀の変貌の壁画が残されています。真ん中にイエスが全身にオーラを帯びて描かれていて、その左にはモーセ、右にはエリヤがイエスを向いて語り合っています。彼らの足下には雲が波のように描かれていて、その波の下に左からペトロとヤコブとヨハネが跪(ひざまづ)いていて、彼らの頭にもオーラが描かれています。弟子たちは、上の三人の足下で圧倒されているように見えます。
【仮小屋】ユダヤの秋の仮庵祭の時に、エルサレムに集まった人たちが作るような木の枝で編んだ仮の小屋のことでしょうか。モーセは、主(ヤハウェ)とイスラエルの民が出会うことができる「会見の天幕」"the Tent of Meeting"を作りました(出エジプト記33章7~11節)。「会見の天幕」(ヘブライ語「オーヘル・モエード」)は、時期的に見ると後代の「臨在の幕屋」"the Tabernacle"(ヘブライ語「ハ・ミシュカン」)と異なります(出エジプト記25章9節/26章1節)〔新共同訳ではこの二つが区別されていないようですが〕。ここでペトロはこような天幕を指しているという説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)699~700頁〕。出エジプト記33章7~11節の会見の天幕は、イスラエルの民の宿営の外にあり、だれでもそこで「主にうかがいを立てる」ことができます。モーセがその天幕に入ると雲(主の臨在)がこれを覆い、その中で主は、モーセと「顔と顔を合わせて語った(語り合った)」とあります。この天幕が後に「臨在の幕屋」となり、ソロモンの神殿へ受け継がれます。
【恐れて】原語は「髪の毛が逆立つ」ほど恐れることですが、ペトロの発言から判断すると、恐怖よりもむしろ霊的な畏怖の念に圧倒されたと思われます。
[7]【雲が】旧約聖書で「雲」は神の臨在と栄光の象徴ですが、ここでは特にシナイ山を覆った雲のことが作者の念頭にあると思われます(出エジプト記19章16~18節)。「彼ら」とあるのは、イエスとモーセとエリヤの三人のことで、弟子たちは「雲の外にいた」という説があります〔TDNT(4)908〕〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)701頁〕。「雲の中<から>(声がした)」とあるから、弟子たちは雲の外にいたと解釈できます。ただし、6節では弟子たちのことが語られていますから、これに続く「彼ら」は、弟子たちを含めて、その場にいた6名全員のことだという見方もあります〔フランス『マルコ福音書』354頁〕。
【覆った】出エジプト記40章35節に「雲が会見の天幕を<覆った>ので、モーセは天幕に入ることができなかった」とあります。七十人訳でのここの「覆った」(「エピスキアゾー」のアオリスト形)は、今回の「彼らを覆った」と同じ原語です。モーセの時代に勝るとも劣らぬ神の御臨在に接して、ペトロはここにかつての「会見の天幕」を建てることを思いついたのでしょうか。
【これに聞け】この声はイエスよりもむしろ弟子たちに与えられたものです。ここにもモーセ伝承が反映しています(出エジプト記19章9節)。ペトロが3名のために小屋を建てようと言ったのに対して、天の声は、イエスただ一人こそ、あなたたちが聴き従うべき方であると告げています(「聞く」は「聴従する」こと)。旧約の「<仮の>小屋」ではなく、御臨在の幕屋以上のほんものの臨在が、イエスとその周囲の人たちを「覆った」のです。ここで福音書記者は、ペトロの旧約的な発想から新約の「新たなモーセ」であるイエスただ一人のほうへ弟子たち(と読者たち)の注意を向けさせようとしています。
[8]【急いで】原語は「突然/たちまち/急いで」ですから、これは弟子たちの視点から見ている描き方です。おそらく、弟子たちは顔を伏せた状態で天からの声を聞いたのでしょう。彼らが顔を上げると、突然、雲もモーセとエリヤも消え失せていたことを指します。モーセはシナイ山から降りてきた時でも、彼の顔はなお光を放っていましたが(出エジプト記34章29~30節)、イエスはここで元の姿に戻っていました。
[9]【命じた】先の8章30節と比較してください。ただし、8章30節の「戒めた/警告した」から、この9節では動詞が異なっていて、「指示すた/命じた」です。
【弟子たちに】これは連れて来た三人のことですから、周囲の人たちは言うまでもなく、ほかの弟子たちにも、彼ら三人が体験したことを明かしてはいけないということでしょう。イエスは、終末的なメシアの顕現にかかわる変貌の出来事が、ほかの弟子たちにも語られて、さらに彼らの口を通して人々に伝えられる際に、誤って伝えられたり解釈されたりして、誤解を与えることを恐れたと考えられます。
【死者の中から】沈黙の命令が、「死者の中から復活する<まで>」と時間的に限られている点が注目されています。イエスが「死者の中から復活」して初めて、変貌の出来事も正しく理解されるからでしょう。このために、現代の聖書学者の中には、変貌記事がイエスの復活以後の出来事を語っていると、まさに「誤って解釈する」人たちがいます。そうではなく、ここでマルコ福音書が言いたいのは、この出来事がまさに<地上にいる間の>イエスに起こったというそのことなのです。しかし、弟子たちにこの出来事のほんとうの意味、人間イエスにモーセ以来の主なる神の御霊が宿っていたこと、そのことを悟るのは、イエス復活以後のことです。だからこそイエスはここで、「復活する<までは>」と三人に沈黙を命じているのです。
だからこの命令は、起こったことがイエスの復活以前のことであることを前提にしています。
[10]【心に留め】原語は何か貴重な物を「自分だけの物として大事に保管する/隠し持って管理する」ことです。ダニエル書では、終末に起こる出来事とこの際の死者の復活とが「黙示」として啓示されます(ダニエル書12章1~3節)〔「黙示」も「啓示」も原語は同じ「アポカリュプシス」で、この訳し分けは日本語だけです〕。この際に、これを書き留めた書物を「封印して、秘密にしておくよう」命じられています(ダニエル書12章4節)。これは終末の時が来るまでは、人々は右往左往して「知識を追い求める」けれども、それらはすべて空しく、実際に終末の災厄が降るまで人々から隠されているからです。逆に終末が近づく時には、「秘密」にしてはならないことになります(ヨハネ黙示録22章10節参照)。イエスが三人に沈黙を命じたのも、実際に事が起こる前に人々に啓示された出来事を告げても、誤解と嘲笑と、悪くすれば冒涜を人々の間に生じさせる危険があったからです。
【論じ合った】「互いに」は、「隠し持つ」のほうにかかるのか? それとも「論じ合う」ほうなのか? 両方の場合が考えられますが、おそらく後の「論じ合う」にかけるべきでしょう(マルコ1章27節/10章26節参照)。「論じ合った」内容は書かれていませんが、「復活」よりも、むしろ「イエス(=メシア)の死」のほうが大きな疑問だったと思われます。「復活」の出来事はそれまでに例がなく、空前絶後の出来事ですから、そもそも弟子たちの理解を超えています。これに対して「メシアとしてのイエスの死」は、彼らにとって大きな謎であり、同時に衝撃であったと思われます〔フランス『マルコ福音書』357頁〕。
■マタイの変貌記事
マタイ17章の変貌記事は、以下のように交差法で語られています。
(A)状況説明(1節)。
(B)イエスの変貌とモーセとエリヤの顕現(2~3節)。
(C)ペトロの応答(4節)。
(D)雲の中からの声(5節)。
(C’)弟子たちの反応(6節)。
(B’)イエスが弟子たちに語る(7節)。
(A')状況説明(8節)。
この交差法から見ると、雲からの天の声が、出来事の中心に来ているのが見えてきます。マルコ福音書の変貌記事には、モーセのシナイ山での神との出会いが反映していますが、マタイ福音書では、イエスとモーセとの対応関係(タイポロジー)がいっそうはっきりと表わされています。マタイ福音書をマルコ福音書と比較すると、モーセの名がエリヤより先にでてくる、モーセの「顔が光る」、雲が「輝く」などにモーセ伝承を読み取ることができます。また天からの声に「わたしの心に適う者」が加えられていて、変貌と天の声が、イエスの洗礼と対応していることがいっそうはっきりします。ただし、マタイ福音書のここでのイエスは、「モーセよりも新しく、かつモーセに優る」存在です。
■マタイ17章
[1]マタイ福音書の変貌記事は、その配置も内容も、マルコ福音書のそれとほとんど変わりません。以下に、両者の違いに目を留めて見ていくことにします。1節では、「連れる」も「登る」もマルコ福音書と同じ現在形です。ただし「<その兄弟>ヨハネ」とあって、ヤコブとヨハネが、ゼベダイの息子たちであったことを読者にはっきりさせています。
[2]【顔】イエスの「顔」と「太陽」の光とを関連づけているのはマタイ福音書だけです。ここにはモーセ伝承が反映しています(出エジプト記34章29~30節)。イエスの顔が太陽と関連するのはヨハネ黙示録1章16節を参照。黙示文学には「もろもろの霊の主である方の光が、聖にして義にして選ばれた者たちの顔に顕われる」とあります(『第一エノク書』38章4節「たとえの書」)。
【光のように白い】輝く白い衣は神性を現わし、天使のような天的な霊性を象徴する旧約聖書以来の伝承です(詩編104篇2節/ダニエル書7章9節/ヨハネ黙示録3章4節参照)。
[3]【見ると】原語は「見よ」(命令形)ですが、マタイ福音書とルカ福音書にしばしばでてきます。「命令」あるいは「強め」の意味というより、読者の注意をうながすための指示だと見ていいでしょう。
【語り合う】マルコ福音書ではエリヤの名前が先にでていますが、マタイ福音書はこの点で、モーセをエリヤよりも先に置いてモーセとの関わりをはっきりさせています。マタイ福音書のここのモーセは、特に「律法」を表わすという説もありますが、「語り合う」とありますから、むしろイエスが天的な二人と同じ霊的な領域にあることを示していると見るほうが適切です。ちなみに、モーセが「主と<語り合う>」ときは顔覆いをはずしていたとありますが(出エジプト記34章34節)、七十人訳では、今回の3節と同じギリシア語動詞「語り合う」が用いられています。
[4]【主よ】マルコ福音書では「ラビ」、ルカ福音書では「先生」です。「ラビ」にも通常の「先生」以上の重みがこめられていますが、ペトロはここで、イエス復活以後にキリスト教会が用いた「主」という称号で呼びかけています。この呼びかけはマタイ福音書の作者の編集でしょう。
【お望みでしたら】マタイ福音書とマルコ福音書とのもう一つの違いは、仮小屋(天幕?)を建てる提案が「わたしたち」ではなく、「わたし」とあって、ペトロは他の弟子たちの代表ではなく、自分だけで提案していることです。「主よ」と呼びかけていますから、主の心に配慮して「もしも御心にかなうことなら」の意味で「お望みなら」を添えたのです。これを「(天幕を建てるのを)<どうか>お許しください」の意味にとることもできます。「仮小屋/天幕」についてはマルコ福音書9章5節の注釈を参照してください。ペトロはここで、モーセが建てた「会見の天幕」を建てることをイエスに提案しているのでしょうか。マタイ福音書では、マルコ福音書に比較すると、ペトロの役割が大きくなっています(マタイ16章17~19節)。
[5]【光り輝く】マタイ福音書は「<見よ、>天から声があって<告げた>」と重々しい言い方に変えています。「光り輝く(雲)」もマタイ福音書で付加されています(エゼキエル書1章4節参照)。「光り輝く」とあるのは、弟子たちから見た描写ですから、マタイ福音書は啓示の声が聞こえた雲と3人の弟子たちとの間に距離を置いていると見ていいでしょう。
【わたしの心に】マタイ福音書では「わたしの心にかなう者」が加えられていて、イエスの洗礼の際の天からの声と一致させています(マタイ3章17節)。「わたしの心にかなう」は、神の「選び」を意味します(申命記18章5節)。
[6]~[8]6~7節はマタイ福音書だけの記述です。「ひれ伏して非常に恐れた」とあることから、雲は、イエスとモーセとエリヤだけを包んでいて、雲が去ると同時に二人の預言者も消えていたのでしょう。その間、弟子たちは畏れ多くて顔を上げることができなかったのです(出エジプト記34章30節参照)。マルコ福音書では、弟子たちが「恐れた」のは、イエスの変貌に接したときですが、マタイ福音書では、「恐れ/畏れ」は、雲の中からの啓示の声に接した直後です。マタイ福音書では、神の声に「聴き従う」ことが畏敬を伴うのです。
【近づき】イエスが「近づいた」とあるのは、今回の箇所とマタイ28章18節の昇天の場面だけです。
[9]【命じた】マルコ福音書では「警告した/戒めた」ですが、マタイ福音書では「命じた/指示した」です。マルコ福音書では弟子たちが体験したことを「秘密にする」よう戒められていますが、マタイ福音書では、3人だけに与えられた「特権」を人に言わないように指示されたのです。
【復活するまで】マルコ福音書では、弟子たちが「死者からの復活」について論じ合ったとありますが、マタイ福音書ではこれが省かれています。終末の時に人々が「死者の中から復活する」ことは、すでにファリサイ派を始めユダヤ教に受け継がれていた信仰ですから、弟子たちがこれを知らなかったはずはありません。マタイ福音書で、この部分が省かれているのはこのためでしょう。ただし、<イエス個人が>、間もなく「死者の中から復活する」という信仰は、当時、特別な「義人の復活」が信じられていたとは言え、イエスの生前の弟子たちには思いも及ばなかったことでしょう。マルコ福音書のほうは、このような「人の子イエスの個人的な復活」が、弟子たちの理解を超えていたことを伝えていると思われます。
[10]マルコ福音書では、尋ねたのがだれなのかが、はっきりしません。また、「律法学者たちが言っている<こと>を」尋ねて言ったとあります"asked him and said that..."。マタイ福音書では、尋ねたのは「その(3人の)弟子たち」であったことが明確にされています。また「こと」を「なぜ?」と言い換えて、疑問をはっきりさせています。
■ルカ福音書の変貌記事
ルカ福音書の変貌記事も、マルコ福音書のそれを踏まえています。しかし、ルカ福音書では、マルコ福音書に見られない変更が加えられていて、これらは作者による編集だと見なされています(特にルカ9章29節/同31~32節/同34節)。マルコ福音書と異なりながらも、ルカ福音書にはマタイ福音書と共通する部分がありますが、これは相互に関連し合っているのではなく、例えば<前/原>マルコ福音書から出ているのではないか?と見ることもできます。
ルカ福音書の変貌記事は、マルコ福音書同様に、ペトロの信仰告白とこれに続くイエスの受難予告の後に置かれています。しかし、その終わり方は、マルコ=マタイ福音書と異なり、エリヤについての問答が抜けています(マルコ9章9~13節/マタイ17章9~13節参照)。
ルカ福音書の変貌記事は、マルコ福音書やマタイ福音書と異なり、イエスが<祈るために>山に登ったこと、そこで弟子たちに<イエスの栄光>が顕現したことです。これは、イエスのエルサレムでの受難を予告するだけでなく、これに続くイエスの復活とその栄光を想わせます。ルカ福音書では、エルサレムこそ、イエスによって始められた新たな共同体が「出エジプト」の脱出を開始する場所なのです(使徒言行1章8節参照)。
■ルカ9章
[28]ルカ福音書では、マルコ福音書と内容において変わりがないものの、マルコ福音書の文体が書き改められています。
【この話を】原文は「これらの言葉の後でおよそ8日ほどして起こったことは」です。「これらの言葉」とは、先に人の子の受難と自分の命の代価について語ったイエスの言葉を指すのでしょう。ただし、七十人訳のギリシア語では、「これらの言葉」が「これらの出来事」の意味で用いられることがあります(第一マカバイ記7章33節)。今回の箇所もヘブライ語的な用法が含まれていて、「イエスの言葉」と「イエスの出来事」とが重なっているのでしょうか。どちらにせよ、ルカ福音書は、マルコ福音書よりも、変貌記事をこれに先立つイエスの言葉と密接に結びつけています(特にルカ9章27節)。
【八日ほど】これを「復活の日」と関連づける解釈もありました。しかし、「八日」をあまり厳密に採らないで「約1週間」"about a week " 〔Nolland. Luke. 〕と見るほうがいいでしょう。ルカ福音書の作者はマルコ福音書の「六日の後」をこのように解釈したのです。マルコ福音書の「高い山」は、ルカ福音書では「山」です。また、マルコ福音書とルカ福音書では、ヤコブとヨハネの順序が入れ替わっています。
【祈るために】ルカ福音書でイエスが祈るために山へ行くのは、何か重大なことのためです(ルカ6章12節)。これもルカ福音書だけの挿入です。
[29]ここでもマルコ福音書の文体が書き換えられています。ルカ福音書では、イエスの変貌がイエスの祈りと結びつけられているのに注意してください。また、マルコ福音書でははっきりしませんが、ルカ福音書ではイエスの身体的な変貌(顔)と衣の変容(白く輝く)が区別されていて、変貌/変容が、イエスの外観とイエスの身体の両方で生じていることをはっきりさせています。
【輝いた】マルコ福音書にもマタイ福音書にもない動詞で、「ちかちかとまばゆく光る」ことです。この動詞は七十人訳ではエゼキエル書1章4節/同7節にでてきて、神の御座の栄光を表わしています。ここでのイエスの様子をエマオ途上で2人の弟子に顕現したイエスの姿と比較してください(ルカ24章30~31節)。ルカ福音書でも、イエスの復活と今回の変貌とは全く異なる描き方をしているのが分かります。
[30]【見ると】原文は「すると見よ!」で、ルカ福音書だけです。ただし、マタイ福音書では、天からの声が響くときに「すると見よ!」が来ています。また二人の順番はマタイ福音書と同じで「モーセとエリヤ」です。
[31]この節と次の節はルカ福音書だけです。
【栄光に】原文は「栄光に輝いて見える者たちは」ですから、これは弟子たちの目から観た描写です。二人が天から来臨したことを表わすのでしょう。
【最期について】「最期」の原語「エクソドス」は、イスラエルの民がエジプトから「脱出」した時の用語です。この言葉には「みまかる/逝く/脱出する」の意味がありますから、ここではイエスの死を意味する「最期」と訳してあります。しかし、続いて「エルサレムで<達成される/成就される>」とありますから、「エクソドス」は、単なる「死」あるいは「逝去」のことでなく、モーセがイスラエルの民を率いてエジプトから脱出したように、イエスもその弟子たちを連れて、新たな脱出を行なおうとしていることを指し示しています。この意味で、イエスの変貌は、受難と復活の「前触れ/予兆」として描かれているのです。ちなみに使徒言行録では、イエスの「エクソドス」(脱出)に対応して、イエスの「エイセドス」(来臨)が語られています(使徒言行録13章24節)。
【エルサレムで】ルカ福音書では、これら一連の受難予告の出来事に続いて、9章51節からエルサレムへの旅が始まります。
[32]32節もルカ福音書だけの叙述です。
【ひどく眠かった】原文は「(一方でペトロとその仲間たちの)上に眠気が重くのしかかっていた」です。黙示文学では、啓示を受けた人が、その啓示の重さに堪えきれずに意識を失う場合があります(ダニエル書10章9節参照)。今回の「眠気」も啓示の重圧によるものでしょうか。事情は異なりますが、ゲツセマネでのイエスの祈りの時にも、弟子たちが「眠りに襲われた」とあります(ルカ22章45節)。
【栄光に輝く】31節に続いてここでも「栄光」(ドクサ)がでてきます。31節ではモーセとエリヤの栄光ですが、ここではイエスの栄光です。「見えた」とあるのは、マルコ福音書同様に、事態を弟子たちの視点から描いているからです。共観福音書では、意外にも、イエスの復活顕現に際して「栄光」が語られることがありません〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)801頁〕。
[33]【イエスから離れようと】この句もルカ福音書だけです。二人は「徐々に」イエスから離れようとしていたのです。ルカ福音書の作者は、二人がイエスから立ち去らないように、ペトロは小屋を三つ建てようと提案したと考えたのでしょうか〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)801頁〕。
【先生】原語は「ディダスカレ」(呼びかけ)です。マタイ福音書では「主よ」、マルコ福音書では「ラビ」ですが、ルカ福音書では「先生/師よ」です(5章5節参照)。
[34]~[35]【雲の中に包まれて】原文は「彼(ペトロ)がこう言っている間にも、雲が<彼ら>を覆った。<彼ら>は雲の中へと入っていくので恐れた」です。この文章から見る限り、「彼ら」とは、イエスたち3人のことでだけでなく、ペトロたちをも含む6人を指していると思われます。神の臨在を顕わす雲が「<彼らを>覆ったので」彼ら(弟子たち)は恐れたのです"They were afraid as they entered the cloud; "〔REB〕。おそらく、これがルカ福音書の作者の意味でしょう〔ノゥランド『ルカ福音書』WBC9章34節注釈〕。新共同訳も岩波訳も、どちらともとれるように訳していますが。ただし「雲がおこって、彼らイエスとモーセとエリヤとを掩った」〔塚本訳〕。
【選ばれた者】新約聖書中、この言葉でてくるのは、こことルカ23章35節だけです。「(主に)選ばれた者」は、パレスチナのユダヤ教では、特に『第一エノク書』などの黙示文学で、「神に選ばれた民」(複数)を意味します(『第一エノク書』62章)。また、「選ばれた者」(単数)"the Chosen One"は、イスラエルの民を救う者であり(イザヤ書42章1節)、「メシア」をも指します(ルカ3章22節はこの意味を含むと思われます)(『第一エノク書』62章1節)。
[36]マルコ=マタイ福音書では、イエスが弟子たちに、変貌の出来事をほかに漏らさないように命じています。しかもこのことが、次のエリヤ問答への導入になっています。ところがルカ福音書では、エリヤ問答がでてきません。また弟子たちは「自発的に?」沈黙を守って、このことをほかの者に「伝える」ことはしなかったとあります。「当時」"in those days"とあるのは、イエス在世中の時のことでしょうか。イエスの復活に接してはじめて、ほかの弟子たちは、イエスがモーセと預言者(エリヤ)に証しされて「栄光に入った」ことを知らされるのです(ルカ24章26~27節)。
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