【注釈】
■マルコ9章33~37節について
 今回の部分から9章の終わりまでを概観すると、まず上に立つ者が下の者に仕えるべきことで始まり(9章33~35節)、9章の終わりでは、信者同士が互いに平和に過ごすように教えています(同50節)。したがって、9章33~50節までの部分は、イエス以後の教会が(マルコ福音書の頃の教会?)、教会内部の信者同士の規律と教訓のために、復活したイエスの言葉として創出したものだと見なされているようです。
 次に今回の部分(33~37節)を見ると、33~35節では弟子たちの間の優劣が問題にされていて、この点で<子供に見習う>ように35節で教えられています。ところが36~37節では<子供を受け入れる>ことが語られるのです。子供を「模範にする」ことと子供を「受け入れる」ことは、一見違っていますが、今回のマルコ福音書では、この二つが結びつけられているのです。
 今回の部分と内容的に類似しているマルコ10章13~16節では、「子供のように神の国を受け入れる」のですから子供が模範にされています。しかし同35~45節では、弟子たちの間の優劣が問題になっています。したがって、今回の部分は、10章13~16節と同35節以下との両方の問題が結びついて構成されているのが分かります。
〔文献批評〕
 今回の部分をブルトマンによって文献批評的に見ると次のようになります。
(1)33~34節は、マルコ自身が創出した(はなはだまずい?)編集だということになります〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)256~57頁〕。
(2)35節(後先の問題)と10章15節(子供に見習う)は、どちらもほんらい「イエスの言葉」伝承ですから、イエスにさかのぼるものでしょう。ブルトマンは、今回の箇所全体が35節を核にして形成されたと見ており、同様に10章13~16節も15節を核に形成されたと見ています〔前掲書57頁〕。
(3)36節は10章16節と共通で、どちらも後の教会で形成されたイエス像です。
(4)37節をブルトマンは(3)のイエス像に基づくマルコの編集だと見ています。しかし、37節は、マルコの編集ではなく、ほんらいイエスの頃のユダヤの諺から来ているのでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』443~44頁〕。
 こういうブルトマンの説に対して、デイヴィスとアリスンは、今回の箇所を次のように見ています。33~34節は、マルコが加えた編集なのか、それともマルコ以前からの資料に基づくのか、両方の可能性があります。35節は、マルコが10章43~45節から引用して今回の箇所へ挿入したとも考えられますが、おそらく35節は、ほんらいこれだけで独立した伝承だったのでしょう。36節はマルコによる編集で、彼はここをマルコ10章13~16節(マルコ福音書以前からの伝承か)から採りだしたと見ています。37節前半「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れる」はイエスにさかのぼると考えられます。37節後半「わたしを受け入れる者」以下は、マルコ福音書の頃の教会の(指導者たちの?)見解を反映させています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)755頁〕。
 マルコ福音書9章33~37節は、このように内容的に二つのやや異なる主題を含んでいますので、これを踏まえたマタイ福音書とルカ福音書は、それぞれに工夫を凝らしています。マタイ福音書では、先ず弟子たちの優劣問題を子供の模範と結びつけ、終わりに子供を<受け入れる>ことで結んでいます。ルカ福音書では逆に、優劣問題を<子供を受け入れる>ことと結び、「小さい者こそ大きい」と子供を模範にして結んでいます。
〔マルコ福音書の意図〕
 上で見たように、今回の箇所では、優劣関係と子供をモデルにすることとが結びついています。マルコはなぜこのような結びつきを行なったのでしょうか。今回のマルコ福音書では、イエスの再度にわたる受難予告にもかかわらず、弟子たちは、イエスの思いとは全く違う方向へそれていきます。イエスが、拒絶され殉教する覚悟を決めているその時に、弟子たちの関心は自分たちの「身分」のことに向いているからです。真の勝利が「受難による敗北」から生まれることを弟子たちは悟らないのです。そこでイエスは、子供を例にとって、ほんとうの信仰的な霊性とはどのようなものかを教え始めるのです。
 マルコ福音書の記者は、復活したイエスの御霊の導きに従ってこれを書いています。その際彼が、ナザレのイエスの言葉それ自体と教会に伝えられている物語伝承をどの程度区別していたかを見分けるのは困難です。イエスの霊性は教会に受け継がれて彼のもとに伝えられ、彼自身もまた同じイエスの御霊にあって生きているからです。しかし彼は、自分が編集している伝承が<イエスの出来事>を伝えていることをはっきりと自覚しています。しかも彼は、教会の現状が、必ずしもナザレのイエスがたどった真の霊性を受け継いではいないという危惧(きぐ)を抱いています。なぜなら教会の内部では、信者同士が互いに教会内の「身分」を比べ、その優劣を競い合っているからです。そこでイエスは、子供を例に出して、真の霊性とはどのようなものかを教えるのです。
■注釈
[33]~[34]【カファルナウム】9章30節に、イエスは人々に気づかれないようにガリラヤを通り抜けたとあるのに、ここで再びガリラヤのカファルナウムがでてくるのは不自然です。そこはイエスが最も注目される場所だからです。しかし、今回はイエスと弟子たちだけの集まりです(「家に着いてから/家の中で」の意味)。「家」とあるのはペトロとアンデレの家のことでしょう。
【尋ねた】原語は「問いかける」。弟子たちは先に受難のことでイエスに質問するのを怖れていたとありますが、それだけでなく、自分たちが優劣を競い合っていることをイエスに知られたくないという思いがあったのでしょう。このために、イエスのほうから弟子たちに問いかけたのです。
【だれが偉いか】「だれが偉いか」という問題は、先にイエスがペトロとヨハネとヤコブの三人だけを連れて山へ登ったこと、ペトロが叱られたこと、特に再度の受難予告で、近い将来イエスが自分たちから取り去られることが弟子たちの念頭にあったからだと思われます。「イエスの後釜はだれか?」という疑問が弟子たちの間にでてきたのでしょう。これは先の8章34~35節とは正反対です。
[35]【座る】「座る」も「呼び集める」のユダヤ教のラビが、弟子たちに大事なことを教える時にすることです。しかし今回は「家の中」ですから、「座る」も「呼び寄せる」も不自然です。このために35節が、これだけで別個に独立した伝承だと見なされるのです。
【先に】ここでは「先に/後に」と「仕える/仕えられる」が問われています。8章34~35節で見たように、この世的な価値観とは正反対に「低くなり」「奉仕する」ことこそ、教会の指導者の役目なのです。このことを最も明確に表わしたのが「弟子たちの足を洗う」イエスの行為です(ヨハネ13章4節以下)。
【仕える者】原語は「ディアコノス」で「奉仕する者/仕える者」です。これが後に教会の「執事」(英語の"deacon")の役職名になりました。「執事」は主教/司教の次に位する役職ですが、最初期の教会では「施し」など慈善の仕事に携わる役職の人を指しました。
[36]~[37]【子供】ユダヤの社会では、「子供」は、現代のように「無邪気でかわいい」というイメージよりも、むしろ「無知で善悪をわきまえない」、したがって「自分で正しい判断ができない」という低い見方をされていました。だから、今回の箇所で言う「子供」も、「子供のような性質になる」ことを意味するのではなく、むしろ「取るに足りない小さな」存在、「低く見られる」者のことです(マタイ18章4節/同10節)。ここは「家の中」ですから、おそらく子供は大人たちの仲間に入れず「庭で遊んでいた」のでしょう。ところが、突然呼び寄せられて、大人たちの「真ん中に立たされた」のです。「抱き上げる」は腕を回して抱きかかえる仕草を指します。この37節は10章15~16節から出ていると思われますが、マルコ福音書の頃の教会の信者たち、特に指導者たちへの警告/戒めとして「子供」(原語の「パイス」には「子供」と「召使い」の両方の意味がある)が引き合いに出されているのでしょう。
 ただし、今回の箇所を教会の指導者たちへの警告/戒めとしてではなく、子供も聖餐と礼拝の交わりに「受け入れる」べきだという意味に解釈する説もあります。また、この時代のヘレニズム世界では、貧しい家では生まれた子供を殺すことがよくありました(これは日本でもいわゆる「間引き」として行なわれました)。マルコ福音書の今回の箇所は、このような慣習を戒めて、捨て子や孤児(みなしご)を守り育てること、特に養子として育てることを勧めていると見る説もあります〔コリンズ『マルコ福音書』445~446頁〕。
【わたしの名のために】「名のために」とはその名前の人の「代理」になることを指します(13章6節参照)。だから今回の箇所でも「子供」のような低くて取るに足りない者こそ「イエス自身を現わす」のです。そのような者を見たらイエスだと思って「歓迎しなさい」(「受け入れる」の意味)と言うのです。
【遣わす】原語「アポステロー」は、後に「使徒」(英語の"apostle")の語源になりました。「遣わす」は、ヨハネ福音書などでしばしば用いられますが、マルコ福音書では希です。「遣わされた者」は「遣わした者」の代理としてその役目を果たすことになりますから、父なる神がイエスを「遣わし」、そのイエスが「子供のような者」を遣わすのです。
■マタイ18章について
 マタイ福音書には、イエスの「教え」が大きく分けて5箇所あります。5~7章の山上の教え、10章の十二使徒派遣に続く宣教の教え、13章の御国の譬え集、18章の「子供/小さな者」に始まる教え、24~25章の終末にかかわる教えです。
 今回の箇所はその4番目の「子供」に始まる一連の教えです。この箇所は、通常「エクレシア/教会」、特にその指導者たちに向けた教会指導のマニュアルだと言われています(8章17~18節参照)。このために、ここは後のマタイ福音書の頃の教会の諸問題が「イエスの言葉として」語られていると見られているようです。言わばマタイ福音書が書かれた頃の教会の「宗団規定」にあたるわけです。
 しかし、注意深く読むならば、イエスの頃から見た場合でも、18章が「時代錯誤」だと見なすことはできません。先ず何よりも、8章は「宗団的な」規制ではありません。そうではなく、信者一人一人の個人へ向けられた教えです。だからここは「規定」ではなく、むしろユダヤの「知恵の言葉」の流れを汲んでいて、信者同士が競い合いを避けて互に平和を保つよう配慮することを教えています。第二に、ここで想定されている「エクレシア」は、主教も執事もまだ存在しない状態の「取るに足りない」少数派の共同体です(19~20節)〔フランス『マタイ福音書』675頁(注)8〕。だから、この箇所には、イエスとその弟子たちが巡回した当時の状況と、そのようなイエスの臨在を引き継いだ最初期のエクレシアの伝承が受け継がれています(20節)。ここで採りあげられている諸問題は、イエス在世当時の弟子たちの間で起こったとしても少しも不思議ではないからです。したがって、今回の箇所を「教会の指導者向け」だとするのは、その真意を外れた誤った見解です〔前掲書673頁〕。
 マタイ18章は、弟子(たち)の質問が1節と21節に来ていて、これに続いてイエスの教えが語られていますから、全体を二つに分けて見ることができます。前半は共観福音書と共通しますが、後半はひとまとまりのたとえで、マタイ福音書だけにでてきます。今回の1~5節はマルコ福音書と共通しています。しかし、この教えは、マタイ20章26~28節でも、23章11~12節でも繰り返されていて、しかもルカ福音書(22章24節以下)とヨハネ福音書(13章12~17節)では、最後の晩餐でも繰り返されています! よほど大事な教えだと考えられたのです。
 マタイ18章1~5節は、マルコ9章33~37節に基づいていますが、マタイはマルコ福音書の記事を彼なりに編集し直しています。まずマルコ9章35節を省略して、代わりにマタイ18章3~4節を挿入しています。マルコ9章35節が抜けていても全体が「子供を受け入れる」こととしてまとまります。だからマタイは、マルコ福音書の35節をはずして、マタイ福音書の3~4節を補い、全体の内容が統一するように配慮したのでしょう。マタイ福音書の18章3節は、マルコ福音書10章15節から採ったのでしょうか、それともマタイ福音書独自の資料によるのでしょうか? また、4節は、「だれでも己を高くする者は低くされ、己を低くする者は高くされる」〔ヘルメネイアQ430頁〕とある語録集(Q)からでしょうか? この点では、マタイ18章4節→同23章12=ルカ14章11節=同18章14節を参照してください。
 今回の箇所は、後の教会の状況を反映していて、特に教会の指導者たちに向けられた教会規定の役割を果たすために作成されたという見方がありますが、これは適切とは言えません。イエスがその在世当時に語られた教えは、イエス以後の<イエス運動>の行く末をも見通しているからです。だから子供のように「低くなる」ことは、エクレシアのすべての人たちに向けられた教えです。このことを確認した上で、なお、今回の教えが教会の指導者にとってどれほど大事か、そのことをも見過ごしてはなりません。人を支配しようとする傲慢と権威/権力欲は、どのような組織の指導者にも断ち切りがたく働く誘惑です。教会であろうと「地上の王」であろうとこの点に変わりありません。だから、今回の子供の例は、その前に置かれた地上の王たちによる神殿税とも通底するところがあります。
■注釈
[1]【そのとき】直前の神殿税の問題とつなぐためのマタイの編集でしょう(8章13節の「ちょうどその時」を参照)。
【弟子たちが】弟子たちがイエスのところへ来て問うのは、イエスがこれから大事なことを語り始めることを示すマタイの手法です(13章36節/14章15節/24章3節など)。
【いったいだれが】「いったい」と強められているのは、特にペトロのことが弟子たちの念頭にあるのでしょうか?(直前の神殿税を参照)〔フランス『マタイ福音書』676頁〕それとも、イエス共同体全体を指しているのでしょうか?〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)755頁〕ここには、後の教会でペトロの優越性が問題になったことを反映しているという説もありますが、イエス以後の教会で、ペトロが特に優越した地位にあった証拠はありません。むしろ逆の見方さえできます(使徒言行録12章17節参照)。イエス在世の時に、直弟子たちの間で、ペトロとヨハネとヤコブの3人のことから、この問題が持ち上がったと見るほうが適切でしょう。
【天の国で】ここで弟子たちは、現在の自分たちの優劣を競い合っているのか、それとも将来の「天の国」において、だれが一番になるのかを問題にしているのかが論じられていますが、イエスの一行がエルサレムへ向かう途上ですから、弟子たちは、現在と将来とを区別して論じ合ったとは思われません。現在の状態をも含みつつ、「天の国」が(この地上に?)成就するその時のことを話し合っていたのです。弟子たちは、イエスが目指す「天の国」でも、「地上の王国」と同じように王を頂点とする序列が存在すると思っているのです。
[2]【呼び寄せ】家の中にはイエスと弟子たちだけしかいないので、イエスは外で遊んでいる子供をわざわざ呼び入れたのです。マタイは、マルコ福音書の状況をいっそう視覚的にはっきり描いています。
[3]3節は、マタイ5章20節と全く同じ構文で、マタイ福音書の特徴をよく表わしています。内容的にはマルコ10章15節に似ていますが、「アーメン」「心を入れ替える」「子供たち」「天国に入る」など語法があまりに違いますから、この箇所も(そしてマルコ10章15節も)ほんらいイエスにさかのぼる独立した伝承だったのでしょう。
[4]この節はマタイ23章12節から出たマタイの編集です。ほんらいは語録集(Q)から出ているのでしょう。4節の「子供」は単数で、3節で言われている「子供」のどこを見習うべきかを定義しています。「無知でわがままで、善悪の判断ができない」と見られていた子供に見習うという考え方は、律法に従うことを教えるユダヤ教では異例のことですから、弟子たちは驚いたでしょう。ではいったい、子供の何を見習うのでしょうか。隠さず開け広げなこと、神を単純に信じること、自然で巧まないこと、与えられるままに受け取ること、「アッバ父よ」と言うこと、アラム語あるいはヘブライ語の語法から推定して「再び子供のように生まれ変わる」こと(ヨハネ3章5節参照)など、諸説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)758頁〕。
[5]4節の「子供に見習う」ことと、5節の「子供を受け入れる」こととは、意味が少し違いますが、よく考えてみると、「子供のように低くなる」ことは、そのような「低い者」を受け入れることにつながります。「見習う」とは、受け入れる相手と自分を同列に置くことだからです(マタイ19章13~15節)。この点をはっきりさせるために、マタイは「わたしの名のために/によって」を入れています。「見習う」相手はイエスであり、イエスを受け入れる者は「イエスが自分を同列に置いている」低い者たちを受け入れるのです。
■ルカ9章46~48節
 ルカ福音書は、マルコ福音書に準じて、第二の受難予告→だれが偉いか→逆らわない者の順序で編集されていて、その直後エルサレムへ向かう旅が始まります。だから、今回の箇所は、受難(師の死)とそこへの旅立ちの狭間に置かれています。旅の間に、イエスは、受難に向けて心備えをさせるために弟子たちを「教育する」のです。受難の秘義が理解できない弟子たちは、将来与えられるであろう栄光と名誉を思い描きながら、その栄光を神に帰すことをせずに自分たちの手柄にすることで、互いに「競い合う」危険に陥りかけているのです。
 ルカ福音書は、マルコ福音書に従って、子供を「小さな者」のモデルと見て、これを「受け入れる」ことに焦点を当てていますから、子供に「見習う」ことをも視野に入れているマタイ福音書とは、視点が少し違います。この違いの原因はおそらくマルコ福音書にあります。なぜなら、マルコ福音書では、「だれが偉いか」という問題と「子供を受け入れる」こととが組み合わされているために、両方の解釈を生じさせる素地があるからです。
 文献的に見ると、ルカはマルコ福音書の記事のポイントを絞り短縮しています。ルカもマタイ同様に、マルコ福音書9章35節を省き(ここはルカ22章26節になります)、その代わり結尾の部分(ルカ9章48節後半)を加えています。
■注釈
[46]【議論が起きた】「起きた」の原語は「(議論が)入り込んできた」です。弟子たちは、先のイエスの受難予告を聞いても沈黙して何も尋ねませんでした。その代わり道々彼らの間で議論が生じ、その結果「だれた偉いのか?」という問題が入り込んできたと思われます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)817頁〕。
[47]~[48]【そばに立たせ】弟子たちはイエスを囲んで座っていたのでしょう。そこでイエスは、子供を呼んで、自分の<傍ら(右?)に>立たせたのです。これは、自分の次に偉い者の地位を示すためです。当然子供は、弟子たちの「真ん中に」(マルコ福音書)いることになります〔プランマー『ルカ福音書』258頁〕。後になって、この子供とは、シリアのアンティオキアの主教になったイグナティオス(35年頃~110年?)のことだという伝承が生じました。彼が「テオフォロス」(神の<傍らに>いる者/神を担う者)と呼ばれたからです。
【この子供】マルコ福音書では「子供たちの一人」ですが、ルカ福音書では「この子供」とイエスは自分をその子供と一つにしています。
【最も偉い者】原文を直訳すれば「このわたしを受け入れる者はわたしを遣わした方を受け入れる。あなたがた全員の中で最小(の立場)に身を置く者こそが、偉大な存在なのだ」です。ルカは「<最も>偉大」とは言っていません。そのような比較それ自体を否定しているのです。ルカはマルコ9章35節を省いていますが、マルコ福音書の「先と後」の関係を「偉大と小」に置き換えてこの48節に置き、しかもこの関係を「イエスの代理」として子供を「受け入れる」ことに結びつけています。
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