【注釈】
■マルコ9章38~40節
 イエスとその内弟子たちのグループは、小さくまとまった非常に特殊な宗団で、彼らの活動はイエスだけでなくその弟子たちをも含めて悪霊追放の特徴を帯びていました(マルコ3章14~15節)。ところが、彼らのグループとは直接かかわりのない人が、同じイエスの名前を用いて悪霊追放を行なっていたのです。悪霊追放はイエスのグループが伝える神の国のメッセージに伴う重要な証であり、神が彼らと共に働いてくださるという大切な「しるし」でしたから、「外の人たち」がこれを真似ることは、イエスとその弟子たちの権威を脅かすことにもなりかねない。弟子たちはそう判断したのです。先に弟子たちが悪霊追放に失敗したことも、このような懸念の原因になったのかもしれません(9章18節)。そこでヨハネがイエスに彼の行為を止めさせるよう頼んだのです。
 文献的に見ると、マルコ福音書では9章38~41節までがひとまとまりになっていますが、末尾の41節は、マタイ福音書の10章42節に並行しています。マタイ福音書の42節は、先に扱ったイエスによる弟子への派遣命令の一つに含まれています。マルコ9章41節も、同じ派遣命令と並行させて先に扱いましたので今回は省きました。
 したがって今回の箇所は、マルコ福音書とルカ福音書だけの記事で、マタイ福音書にはありません。イエスの名前が、イエスのグループ以外の人たちにも「利用される」ことを認めている今回の箇所は、マタイ福音書の教会のようにユダヤ人キリスト教徒が多く、したがって教義的に厳しい教会には受け入れがたかったのかもしれません。
■注釈
[38]【ヨハネ】ゼベダイの二人の息子ヤコブとヨハネの弟のほうです(マルコ1章18節)。この二人は、ペトロと共に最初にイエスの弟子になった人たちで、その意味で彼らはイエスの内弟子の中でも特別の存在だったのでしょう(マルコ1章29節/5章37節/9章2節/13章3節/14章33節)。イエスがペトロと共に変貌の山へ伴ったのもこの二人でした。この二人は「雷の子たち」(ボアネルゲス)という面白いあだ名で呼ばれています(3章17節)。しかし福音書の中の二人は、今回のヨハネの排他的な言葉でも、後にサマリアを通過する際のサマリア人への激しい言葉でも(ルカ9章51~55節)、さらに他の弟子たちを差し置いて自分たちだけが上に立とうとしたことでも(マルコ10章35~41節)、イエスから戒められたり叱られたりする場合が多かったようです。「雷の子たち」という激しいあだ名は、そこから来ているのかもしれません。しかし、このヨハネは後に使徒ヨハネになり(使徒言行録3章3~4節、兄の使徒ヤコブはヘロデ・アンティパスの手で殉教しましたが(使徒言行録12章2節)、弟ヨハネは十二使徒の中で珍しく長寿を全うしたと伝えられています。ヨハネ福音書(成立は90年頃か)の著者がこのヨハネだとエイレナイオスを始め教父たちから伝えられていますが、確かなことは分かりません。
【お名前を使って】ある「神の名」を呼ぶことは、その名前が指す神の力の働きを「呼び出す」ことを意味しますから、旧約聖書の時代から広くオリエントで行なわれていました(列王記下2章24節/同5章11節など)。イエスの頃のパレスチナでは、悪霊追放を行なう者たちがかなりいたと思われます(マタイ12章27節)。しかし今回の場合は、「イエスの名前」を使って悪霊を追放していた者が、イエスの内弟子たち以外にもいたことを証ししています。「イエスの名」が、それだけ悪霊追放と結びついて人々に知られていたからでしょう。しかも「やめさせようとした」という動詞の不定過去形から判断すると、その者の悪霊追放も効果を発揮していたようです。これに似た事態は、イエス復活以後の教会の外の祈祷師たちによっても行なわれました(使徒言行録19章13節)。ヨハネが憤慨したのは、その者が「イエスの名」で悪霊を追放しながら、ヨハネが言う「<わたしたちに>従う」ことをしなかったからです。ここにヨハネの排他的な「仲間意識」を読み取ることができます(「止めさせる」には「排除する」の意味もあります)。なお、「わたしたちに従わないのにあなたの名で悪霊を追い出している者」という異読もありますが、意味は変わりません。
 「わたしたち」とあることから、ここで行なわれていたのは、実際はイエス復活<以後の>教会の外部でのことではないかという説があります〔コリンズ『マルコ福音書』448頁〕。しかし、「わたしたち」とあるからと言って、イエスの頃に「イエスの名」を使う人が「いなかった」と見るのは誤った推論でしょう。とりわけガリラヤは病気癒やしの盛んな地方で、ギリシアの医療の神アスクレピオスによる癒やしなど、いろいろな癒やしが行なわれていました。だから、イエス以外の者が「あのイエスの神」「イエスの名前」を使って癒やしや悪霊追放を行なっていたとしても少しも不自然ではありません。最初期の教会も、イエス自身が行なったことに見習って自分たちの主である「イエスの御名」を用いたのです。自分たちの仲間以外の者をも認めるイエスの言葉は、むしろ後の教会の考え方では<なくて>、イエス自身にさかのぼると考えるほうがより適切です。使徒言行録19章13~16節も後の教会が今回のような行為に否定的であったことを証ししており、マタイ福音書には、今回の出来事が記されていないのも同様に否定的な視点からではないかと思われます。ちなみに「イエスの御名によって」行なう病気癒やしや悪霊追放は、そのまま現在でも広く行なわれています。
[39]原文は「イエスは言われた。『彼を止めてはいけない。なぜなら、力ある業を行ないながら同時にわたしを非難できる者はだれもいないのだから』」です。イエスがここで霊的な問題で寛容を示しているのは、その者の悪霊追放が「イエスの名」を用いた力を<現実に>発揮しているからです。イエスはそこにも神の働きを見たのでしょう。だから、彼は「正しいこと」をしていると見なされたのです。その者がイエスと知り合いであったかどうかは分かりません。
[40]この節を裏返した言い方がマタイ12章27節にあります。そこには「味方しない者は敵」という妥協を許さない厳しさがあり、しかもそこでは、この言葉が「聖霊を冒涜する」という重大な問題と関連しています。これに対して今回のイエスの言葉は「仲間だと認めるかどうか」に関係していますから、内容的に見れば異なる状況を指しています。だからマタイ福音書のこの排他的な言葉とマルコ福音書の寛容な言葉を同じレベルで比べることができません。ルカ福音書には両方の言葉がでてきます(9章50節/11章23節)。なお「逆らわない者は味方」という言い方は、ローマの元老院の一人で哲人でもあったキケロ(前106~前43年)も記していますから、これは諺として広く流布していたのでしょう〔フランス『マルコ福音書』377頁〕。イエスもこのように諺を引用したり、これを言い換えたりする場合があります。だからでしょうか、この40節はイエスにさかのぼる「原初的な」言葉だと見なされています〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(2)236頁〕。
■ルカ9章49~50節
 ルカ福音書では、今回の箇所がガリラヤ伝道の最後になり、51節からエルサレムへ向かう旅が始まります。ルカは、マルコ福音書の記事をほとんどそのまま受け継いでいますが、これをかなり縮小しています。ただし、ルカは今回の言葉とは「裏返しの」イエスの言葉を11章23節に入れています(語録集からか?)。このため、11章23節が本来のイエスの言葉で、今回の50節のほうは後の教会によると言われますが、ルカ福音書11章23節のほうは弟子たちだけでなく広く個人にも向けられており、ルカ福音書では今回の箇所が指導者たちに向けて語られていると見ることができます。だから、二つの言葉は違った時に語られたとも考えられます。だとすれば、どちらもイエスの言葉だと見なしてもおかしくないでしょう。ちなみに寛容の点でパウロの場合は第一コリント3章5~9節/フィリピ1章15節を参照してください。
 ルカ福音書とマルコ福音書の最大の違いは、ルカ福音書では「わたしの名を使って奇跡を行ない、そのすぐ後で、わたしの悪口を言うことはできない」が省かれていることです。だからルカ福音書は、事が「霊能の業」だけでなく、より広い範囲で「逆らわない者」を受け入れるよう勧めています。今回の箇所は子供を受け入れることに続いていますから、そこに共通する寛大/寛容な「受け入れ」の姿勢を読み取ることができましょう。
■注釈
[49]【先生】ルカはマルコ福音書の「ディダスカレ」を「エピスタタ」に変えています。この呼び方はルカ福音書だけです。「エピスタタ」は「先生/師」よりもさらに範囲が広く、管理者や行政官などの上司にも用いられますから「先生/ご主人/旦那様」に近いでしょう。
[50]マルコ福音書では「<その者を>止めさせてはならない」ですが、ルカは「その者」を省いていますから、「止めさせない」ことがより一般的に適用されています。特に、マルコ福音書の「わたしたちに(逆らう)」が「あなたがたに」へ変更されていて、イエスを含む「わたしたち」から、弟子たちの「あなたがた」になります。だから、これはイエス以後のエクレシア(教会)の指導者向けに語られたと見なされるのです。
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