【注釈】
■エルサレムへの旅
〔イエスの出来事〕
ここで共観福音書の「イエス様の出来事」を改めて考えてみますと、共観福音書が伝えているのは、いわゆる歴史的な人物としてのイエス像ではありません。では歴史の出来事では<ない>のかと言えば、はっきりした歴史的な出来事です。ただし、その出来事がほんとうに指し示していること、出来事の「意義」(significance)そのものは、イエス在世中の弟子たちには示されませんでした。それが啓示されたのは、イエス復活以後になってからです。それなら、イエスの出来事は、イエス復活以後の教会によって「作り出された」ものではないか。文献批評の立場の学者たちの中にはこういう見方をする人たちもいます。けれども、この見方も正しくありません。共観福音書は、歴史的なイエスの出来事をイエス復活以後の聖霊降臨を受けた弟子たちが、イエス在世中に体験したイエスの出来事のほんとうの意義を御霊によって啓示されることで悟ったからです。人が在世中には、その人の言動のほんとうの意義が分からなかった。いなくなって初めて、彼の全体像が、全く新たな光を受けて、その全体として顕わされた。こういう事態に似ています。共観福音書が伝えるイエスの出来事は、この意味で「霊的な出来事」です。
今までの共観福音書講話は、ガリラヤ伝道の枠組みとして、主としてマルコ福音書に準拠しながら、これにマタイ福音書とルカ福音書を並行させてきました。また、イエスの教えは、「御国のかたち」として、あるいは「御国の譬え」として、主としてマタイ福音書を中心に見てきました。しかし今回の「エルサレムへ向かう旅」からは、主としてルカ福音書が中心になります。ルカ福音書は主としてマルコ福音書の物語枠を採用しながらも、これにイエス様語録(Q)を組み合わせ、またルカ独自の資料(L)を補っています。だから、マルコ福音書の枠の中にマルコ福音書にはない教えと物語を挿入した部分が2箇所あります。ルカ6章20節~8章3節がそれで、ルカの「小挿入」"the little interpolation" と呼ばれています。
〔旅の構成〕
エルサレムへ向かう旅はマルコ福音書では10章32~33節です。これに対してルカ福音書では、この旅が9章51節~19章29節に及んでいます。しかもこの部分では、マルコ福音書に見られない箇所が9章51節~18章14節に及んでいますから、この部分をルカの「大挿入」"the big interpolation" と呼びます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)823~24頁〕。ちなみにマルコ福音書にあってルカ福音書にはない箇所が2箇所あります。マルコ9章43節~10章12節で、ルカの「小脱落」"the Little Omission"と呼ばれ、マルコ6章45節~8章26節はルカの「大脱落」"the Big Omission" と呼ばれています。
いったいなぜ、ルカ福音書だけにこのような長い旅物語があるのでしょうか? これについては様々な説がありますが、この旅が、イエスのガリラヤからエルサレムへの単なる「移動」でないのは確かです。ルカは、この旅の意義にルカ独自の解釈を加えているからです(ルカ9章51節/同53節/13章22節/同33節/17章11節/18章31節/19章11節/同28節参照)。
しかし、この旅には地理的にも旅程にも問題があります。9章53節ではイエスの一行がサマリアを通過したように思われますが、17章11節ではまだ「サマリアとガリラヤの間を通って」います。「イエスが常にエルサレムに向かって旅行しながら、ちっとも旅程がはかどっていない」〔コンツェルマン『時の中心』103頁〕のです。しかも「サマリアとガリラヤの間」とあることから判断すると、ルカはサマリアとガリラヤが東西に並んでユダヤと接していたと考えていたのかもしれません。また13章31節にヘロデが出てきますから、そこはヘロデが支配するガリラヤとも受け取れます。このようにルカの描く旅程は地理的に矛盾があり、しかもこの部分にはルカ独自の資料が多く用いられていることから、彼はこれらの資料をはめ込むためにこのような旅を「考案した」という見方さえあり〔クラドック『ルカによる福音書』233~34頁〕、「語りの枠組みと資料との緊張」〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)825~26頁〕が指摘されています〔ボヴォン『ルカ福音書』(1)7頁〕。
〔旅の意義〕
ルカによる二つの文書(ルカ福音書と使徒言行録)は、新約聖書の時代を旧約聖書の預言の成就として見ています。ルカはこの預言の成就をさらにイエス在世の時代と続く使徒たちの教会の時代とに分けていて、イエスの時代を復活以後の教会に反映させている見ることができましょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(1)11頁〕。
ではルカ福音書だけに見られる長期の「エルサレムへの旅」は、ルカのどのような意図の下に書かれているのでしょうか? さらにこの旅は、実際にイエスの史実にさかのぼるのでしょうか? これについては今もなお議論が続いていますが、以下に幾つかの説を紹介します。
(1)イエスのガリラヤからエルサレムへの旅は、これに続く使徒言行録で、ペトロやパウロなどを通じてエクレシアが御霊に導かれてエルサレムから始まって最終的にローマに到達する「旅」と対応します〔クラドック『ルカによる福音書』232~33頁〕。
(2)山上の変貌では、モーセとエリヤがイエスと共に顕われました。モーセは「出エジプト」を意味し、エリヤは「昇天」を意味します(列王記下2章1~14節)。この二人は、イエスの「脱出」と「昇天」を意味し、イエスは、十字架の死と復活と昇天のためにエルサレムへ向かうのです〔ケアード『ルカによる福音書注解』163~64頁〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)826頁〕。
(3)旅はイエスによる受難予告で始まります。エルサレムへの旅はイエスが歩む受難への旅であり、ルカはイエスの受難をその旅の目的としています〔コンツェルマン『時の中心』107/111頁〕。
(4)申命記では、信仰深いユダヤ人たちが捕囚の地からエルサレムへいたる道程が、「約束の地への旅」として描かれています。ルカ福音書は申命記の影響を受けていますから、イエスを信じる弟子たちが、イエスの十字架への道を学ぶために教育される旅として、エルサレムへの旅が用意されています。この旅は、使徒言行録で約束の神の国を目指す旅へつながります〔クラドック『ルカによる福音書』234~35頁〕。
(5)ルカの描く旅の中には、諺と譬え、知恵の言葉、敵対する者への批判、終末的な発言、物語、奇跡などが混在しています。中でも一連の神の国への譬えが重要な意味を占めています。ルカは、ガリラヤでの描写に相応しくないと思われるこれらの資料をエルサレムへの旅の枠組みで提示しようとしたと考えられます〔ノゥランド(Nolland)『ルカ福音書』付記「エルサレムへの旅」〕。
■サマリアでの出来事
今回のサマリアの記事はルカ福音書だけです。51節と56節はルカによる編集で、52~55節はルカだけの資料からでしょうか〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)826頁〕。ルカ福音書では、イエスの宣教活動が、ナザレでの拒絶から始まりますが、ここにもエリヤが出てきます(ルカ4章16節以下/特に同25~27節に注意)。ナザレでの拒絶がサマリアでの拒絶と重なり、それがエルサレムでの拒絶へつながります。しかし、その拒絶はサマリアにおけるイエスの御霊の働きへつながることになります(使徒言行録1章8節/同8章4節以下/ヨハネ4章を参照)。
サマリア人とユダヤ人との間の確執は、イスラエルが前922年頃に南北両王朝に分かれて以来のことです(列王記下9章1~29節)。この分裂には預言者エリヤの弟子であったエリシャが関係しています。「天から火を呼び求める」はエリヤ伝承から出ていますが(列王記上18章)、ルカはここで、エリヤを「神の敵を呪う」という旧約聖書の精神の代表だと見なして、イエスの教えをこれと対照させています。変貌の山に顕われたエリヤはその姿を消して、ただイエスだけが弟子たちに見えたのです(ルカ9章36節)〔ケアード『ルカによる福音書』164頁〕。このサマリアでの一件もイエスによる「弟子教育」の一環でしょうか。
■注釈
[51]【天に上げられる時期】51節はルカ独特の荘重な言い回しで語られています。直訳すれば「さて彼の昇天までの日々が満了する事態が生じると」になるでしょうか。イエスが天に上げられるまでの一定の日数が満了する時期に入ったことを意味します。これに似た言い方で「五旬節(ペンテコステ)の日が満了する頃に」(使徒言行録2章1節)がありますが、これはペンテコステの日になってすでにかなりの時間が経過していることを指します。神によって定められたある特定の期間が「満期」に近づいたことを意味するルカ独特の言い方です。
「昇天」(アナレーンプシス)という名詞も新約聖書でここだけです。これは動詞「アナランバノー」(引き上げる/取り上げる/取り去る/連れ去る)の名詞形ですが、名詞形では「逝去」をも意味しますから、ここでもイエスの死を含めて、死と埋葬から復活と昇天までの事態をまとめているのでしょう。ルカ福音書はこの事態を「イエスの栄光に入る」と言い表わしています。「昇天」の場面には「イエスは彼ら(弟子たち)から身を引いて天へ連れ去られていった」(24章49節)とあります。旧約聖書で生きたままの「昇天」は、エノク(創世記5章24節)とエリヤ(列王記下2章11節)の例があります。
【決意を固める】原文は「顔を堅く据える/向ける」ことで、「据える」は、ぐらつかないように固定することから決意/決心を表わします。しかしこの言い方はイザヤ50章7節の受難の主の僕が、自分の頬を打つ敵に向けて逆らわず「わたしの顔を火打ち石のようにした」とあるのを想わせるという指摘があります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)828頁〕。フィッツマイヤはこの見方に批判的ですが、筆者(私市)はここでのイエスの顔を主の僕のそれと重ねる見方には深い洞察がこめられていると見ています(ルカ6章29節参照)。なお「向かう」(原語「ポレウオー」)は「旅する/赴く」で、これ以後しばしばでてきます。
【エルサレム】ルカ福音書では「イエルーサレーム」で、ヘブライ語「イルーシャライーム」「イル-シャレーム」に近いギリシア語綴りです。ルカ文書ではこれが最も多いのですが、ほかに「ヒエロソリュマ」という綴りもでてきます(2章22節/13章22節/19章28節/23章7節)。ただし後者の場合「イエルーサレーム」への異読や脱落している異本もあります。
[52]【使いの者】「使いの者を遣わす」は、マラキ書3章1節の「主の道を備える」が反映しているのでしょう。これもエリヤ伝承と関連します(マラキ3章25節)。弟子たちは「準備する」ために遣わされた(赴いた)とありますが、具体的には、「泊まる場所」を見つけるためだけでなく、前節の「赴く/出かけていく」という言い方や10章1節から判断するとイエス自身がサマリアでも伝道しようとしていたと考えられます。
【サマリア人の村】サマリアについては聖書講話→四福音書補遺→「サマリア」の項を参照してください。サマリア人とユダヤ人との間には長い確執がありましたから、ガリラヤからエルサレムへいたるルートは、サマリアを通過する以外にも、ガリラヤからヨルダン川東岸のデカポリスへ出て、ペレアを通過してエリコへ出て、そこからエルサレムへ向かうルートがありました。このため正統派のユダヤ教徒は通常サマリアを迂回してエルサレムへあるいは逆にガリラヤへ向かいました。イエス以後(40年代)でも過越祭でサマリアを通過したガリラヤ人がサマリアで殺害されたために、ユダヤとサマリアとの間で紛争が起こり、ローマ皇帝クラウディウスの裁定によってサマリア側が罰せられるという事件がありました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』20巻6章〕。
マルコ福音書にはサマリアについて触れた箇所がなく、マタイ10章5節では、イエスが弟子たちを派遣する際に「サマリア人の町に入ってはならない」と命じています。サマリア人と弟子たちとの交流が出てくるのはルカ福音書(9章52節/10章33節/17章11節/同16節)と使徒言行録(8回)に多く、ヨハネ福音書では4章と8章48節にでてきます。ルカ福音書とヨハネ福音書に共通する伝承が存在していたのかもしれません。この伝承は、70年のユダヤの滅亡以後にキリスト教徒のサマリア人が多くいたことを反映していると思われます。なおサマリア人の「村」とありますが、これを「町」と読む異読があります。
弟子たちにサマリアへ入ることを禁じたことと、イエス自身があえてサマリアへ入ったこととは、必ずしも矛盾しません。イエスはエルサレムへ顔を向けながらも、サマリアでも神の国を伝えようとしたのかもしれません。しかし、イエスの一行が目指すのはエルサレムであり、そここそメシアの目指す場所であるという決意は、ゲリジム山の神殿こそエルサレムと並ぶ自分たちの聖所だと信じるサマリアの人には受け入れがたかったのかもしれません〔レングストルフ『ルカによる福音書』NTD新約聖書註解。ATD・NTD新約聖書註解刊行会(初版1976年)272頁〕。
[53]【目指して進む】原文は「彼の顔はエルサレムへ向かっている」です。「顔」はその人自身あるいはその臨在を表わします(日本語の「顔を出す・顔がそろう」に近い)。父ダビデとの闘いに臨むアブサロムにフシャイが「あなた(アブサロム)の顔がみんな(兵士たち)のただ中に出ていく」ように進言しています(サムエル記下17章11節七十人訳)。「わたしたちが(受けた)恵み(の賜物)は多くの<顔の>お陰で、多くの人がわたしたちのためにその恵み(の賜物)を感謝してくれたからです」(第二コリント1章11節)。
[54]~[55]【ヤコブとヨハネ】ゼベダイの二人の息子たちで、ペトロと並ぶイエスの内弟子です。「雷の子たち」というあだ名がつけられていたとありますが(マルコ3章17節)、このあだ名は今回の出来事から出たのかもしれません。
【天から火を】ここは列王記下1章10節/同12節を参照してください。「エリヤがしたように」とある異読がありますが、説明のための加筆でしょう。
【戒めた】当然のこととして「叱る/非難する」「諫める/勧告する」ことです。なお「(イエスは)彼らを叱って言われた『あなたがたは自分の霊性が分かっていない。人の子が来たのは、人の命を滅ぼすためでなく、彼らを救うためである。』それから・・・・・」が付加されている異読があります。おそらく説明のためにルカ19章10節を今回の箇所に反映させたのでしょう〔新約原典テキスト批評149頁〕。この付加は、55節の真意を正しく読み取っていると言うべきです。イエスは自分がエリヤと同一視されることを退けたのです。神の御心を求める者は、たとえ反対する人でも、人の反応に感化され影響されることがあってはならないからです。
[56]原文は「別の村へ赴いた(足を向けた)」で、人々に受け入れられなかった際の締めくくりの言葉です(4章30節)。ルカ9章5節/マタイ10章23節を参照。