【注釈】
■72人の派遣について
〔記事の構成〕今回の「聖句」はルカ10章1~12節の72人の派遣からです。ところで、ルカ10章1~20節全体を見ると、「72人の派遣」(1~12節)に続いて「ガリラヤの町々を叱る」(13~18節)があり、さらに「72人の帰還」(17~20節)がきます。この構成をイエス様語録と比べますと、イエス様語録から「弟子たちの派遣」と「ガリラヤの町々を叱る」の二つの伝承がルカ福音書に採り入れられていること、その上で、ルカ福音書では、この二つの伝承に「弟子たちの帰還」(17~20節)が組み合わされているのが分かります。イエス様語録の「ガリラヤの町々を叱る」にはマタイ福音書にも並行箇所(マタイ11章20~24節)があります。「弟子たちの派遣」と「ガリラヤの町々を叱る」についてのイエス様語録本文への注釈は、共観福音書講話の「十二弟子の派遣」の章と「ガリラヤの町々を叱る」の章をご覧ください。
ルカ福音書では、先に十二弟子の派遣がきて(9章1~6節)、今回新たに72人の派遣と帰還がでてきます。72人のほうはルカ福音書だけです。しかもルカは、派遣と帰還の間にイエス様語録の「ガリラヤの町々を叱る」を挿んでいます。一方、「十二弟子の派遣」のほうは共観福音書に共通します。だから、ルカは、十二弟子の派遣記事ではマルコ福音書に準拠し、72人の派遣ではイエス様語録に従っていて、しかもその中にイエス様語録の「ガリラヤの町々を叱る」(これはほんらい弟子の派遣とは別個の伝承です)を挿んでいることになります。ルカ福音書のこの構成は、イエス様語録で「弟子の派遣」と「ガリラヤの町々を叱る」が並んでいたからでしょう〔ヘルメネイアQ182頁以下〕〔マックQ86頁〕。だからルカはイエス様語録の組み合わせを忠実に採り入れています。ルカは、資料の文言こそヘレニズム風に変更していますが、このように資料の内容と配置に忠実です。ところで、共観福音書の「十二弟子の派遣」の記事を見れば分かるように、マルコ6章7~13節の記事よりも、今回のルカ福音書の72人の派遣記事のほうがイエス様語録に忠実であり、こちらのほうが、実際にイエスが行なった弟子派遣の実態を伝えていると考えられます。
こういうわけで、今回のイエス様語録(Q)の復元は主としてルカ福音書10章のほうからです。イエス様語録とマルコ福音書は、派遣記事に共通するところもありますが、マルコが保持していた伝承は、おそらくイエス様語録とは別に伝えられたものでしょう。マルコの記事は、杖と履き物の所持を認めるなど、イエス様語録以後の教会の伝道状況を反映しています(共通性も見逃すことができませんが)。ただし、イエス様語録もマルコの保持していた伝承も、それ以前の同一の伝承にさかのぼるもので、その内容はイエス自身の実際の派遣指示から来ていると思われます。
〔72人の派遣〕72人の派遣記事はルカ福音書だけです。しかもここには、十二弟子派遣よりもさらに古いイエスのガリラヤでの伝道活動に直接つながる資料(Q)を用いています。だから、二つの重複した派遣記事にルカによる編集が行なわれているとしても、今回の記事のほうが資料に忠実ですから、こちらの記事をルカの「創作」だと見なすことはできません〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)843頁〕〔マーシャル『ルカ福音書』413頁〕。
ルカはマルコ福音書とイエス様語録の二つの資料から、それぞれ別個に二つの派遣記事を採り入れています。72人の派遣記事は、ルカの創出によるもので、ルカはこの派遣記事を使徒言行録2章以下の聖霊降臨以後における初期キリスト教の伝道活動を反映して書いているという見方がありますが〔クラドック『ルカによる福音書』240頁〕、イエスが十二弟子以外にも弟子派遣を<行なわなかった>と言える根拠はどこにもありません〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)843頁〕。逆にイエスが十二弟子以外の人たちをも派遣したことが、マタイ10章23節でも示唆されています〔ノゥランド『ルカ福音書』ルカ10章1~16節〕。
さらに、注意しなければならないのは、ルカは今回の記事には「イエス自身が行こうとしているすべての場所へ<イエスに先立って>弟子たちを遣わす」とあることです(1節)。だから、この記事が、ペンテコステの聖霊降臨以後の教会の出来事を念頭に置いているという解釈は、少なくとも<ルカ福音書の作者の本意>ではありません(弟子たちが先に福音を伝えることでイエスがそこへ後から「来た」ことになるから、これは後の教会の伝道を指すとルカが考えていたなどとは、「順序正しく」書くことに忠実なルカのすることとは思えません)。こういう場合、聖書本文(と作者の意図)が語っていることと、現代の歴史的批評の視点からの解釈とを、はっきり区別する必要があります。
ルカによる72人の派遣記事が、イエス様語録に基づくルカの編集であったとしても、それゆえにこの記事がペンテコステ以後の教会の伝道への指示だと考えるのは誤りです。ルカ福音書の本文は、この記事をイエス自身によるエルサレムへの旅の途中の出来事と位置づけています。おそらくルカは、ガリラヤでの十二弟子派遣とユダヤ全土への72名の派遣とを区別して、前者をイエスによる伝道の原型と見なし、後者をその伝道がさらに拡大されて、全ユダヤとパレスチナへ広がったものと見ているのでしょう。「ほかに」とあるから、十二弟子は72人に含まれていないのでしょうか。含まれていないと見る説(コンツェルマン)〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』845頁〕と十二弟子も72人に所属するという説があります〔レングストルフ『ルカによる福音書』282頁〕。72人のほうは、使徒言行録へ、さらに、ルカたちの教会の伝道へとつながります。
だからルカの言う「旅」は、単なる地理的な移動のことではなく、霊的(神学的)な意味を帯びています。ではその神学的な意図とはなんでしょうか。それは、旧約聖書を通じてユダヤ教に受け継がれてきた預言、したがってイエス自身も受けていたであろう「メシア預言」に由来しています。具体的には「わたし(主である神)はあなた(受難の主の僕)を民(イスラエル)の契約とし、諸国(異邦の諸民族)への光とするために呼び出した」(イザヤ書42章6節/同49章6節=ルカ2章32節)とある第二イザヤ書の「僕の歌」の預言です(さらにイザヤ書60章3節を参照)。これは「僕の歌」から出た受難の僕に関わる預言ですが、ルカ福音書では、復活したイエスがこの預言を受けて、「メシアは必ず苦しみを受けてから栄光に入るべき」ことを聖書全体が証ししていると告げています(ルカ24章27節)。この点ではマタイ福音書も同様で、メシアが「ガリラヤから始まって諸民族への光となる」という預言を採り入れています(マタイ4章15~19節を参照)。
旧約聖書のこの預言こそ、イエスをしてサマリアを後にしても先ずエルサレムへ向かわせた神の導きであったこと、ルカは<このことを>自分の神学的な視野においていると見るべきです〔レングストルフ『ルカによる福音書』280頁〕。だからルカはこの派遣記事を「イエス在世当時の出来事」として、しかもイザヤ書のメシア預言を反映させて書いていると言えます。ナザレで、サマリアで、そしてエルサレムで排斥された後に初めて、イエスに栄光の勝利が与えられるのです。このような経過を経て、イザヤ書の受難の僕伝承に基づくエルサレムでの受難が、その後の聖霊降臨へつながるのです。
したがって、ルカ福音書では、十二弟子派遣と72人の派遣は相互補完的に描かれています。ただしルカは、この72人の記事で、イエスの伝道活動の実態を伝えると共に、そのような伝道の有り様こそ、異邦の世界へ広がる福音伝道の規範となるべきことを、エルサレムへの旅の途上にこの派遣記事を置くことで示そうとしたのでしょう。72人の派遣記事をイエスの受難と結びつけるルカの真意がここにあるのかもしれません(ルカ22章35~38節に注意してください。ここで「履き物を持たせずに」とあるのは十二弟子派遣ではなく72人派遣のほうです)。だからイエス様語録の派遣指示は、ほんらい十二弟子だけに宛てられたものではなく、それ以外の弟子たちも含まれていた可能性があります。
■注釈
[1]【その後】これはルカがしばしば用いる編集句ですから、1節はルカによる編集だと見なされています。
【主は】四福音書で、在世当時のイエスを福音書の作者自身が「主」と呼んでいるのはルカ福音書だけです。福音書の「主」は、通常七十人訳に従って旧約聖書の「主であるヤハウェ」を指しています。だから、イエスが「主」と呼ばれるのは復活以後に原初のユダヤ人キリスト教徒から生じました(マルコ13章20節と同16章20節を比較)。アラム語で「主」は「マーレー/マールヤー」で「主人/王/永遠の主」などを意味し、再臨のイエスにこの称号が用いられました(第一コリント16章22節参照)。ところがルカ文書(ルカ福音書と使徒言行録)では、在世中のイエスにも、使徒言行録の復活以後のイエスと同じように「主」を用いています〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)200~204頁〕。だからイスラエルの神「ヤハウェ」(七十人訳では「主」)も在世中のイエスも復活以後のイエスも「主」(キュリオス)と呼ばれることになります(ルカ1章32節と同7章13節と使徒言行録2章47節を比較)。
ルカが在世中のイエスに「主」を用いるのは、特に復活したメシア(キリスト)を意識しているのではなく(2章11節では「救い主」「メシア」「主」が並んでいます)〔フィッツマイヤ前掲書204頁〕、在世中のイエスをも「主」と呼んでいたルカの時代のキリスト教会の慣用に従っているという見方があります〔フィッツマイヤ前掲書203頁〕。ルカは、在世中のイエスをペンテコステ以後の聖霊の時代と区別して、地上に神性を啓示した人間存在と見ているのは確かです。ただし、そういう時期区分を踏まえた上で、ルカ福音書でイエスが「主」と呼ばれるのは、未来をも前もって映し出そうとするルカ独自の手法から来ていると見るほうが適切でしょう〔コンツェルマン『時の中心』295頁〕〔フィッツマイヤ前掲書203頁〕。
今回の「主」は、7章13節に続いて2度目の「主」です。このためにルカ福音書は、イエス復活以後の教会の視点から編集され記述されていると見られる傾向があります。ところが、ルカ1章1~4節で作者は「御言葉の奉仕者が伝えたとおりに順序立てて」記述することを意図していると述べています。これを言葉通りに受け取るのか、読者に訴えるための単なる文学的な手法に過ぎないと考えるのかで、見方が分かれます。しかし、すでに度々見てきたとおり、ルカは、マルコ福音書やマタイ福音書の作者よりもむしろイエス様語録などの資料により忠実です。わたしたちがルカ福音書を解釈する場合に、作者の意図とその記述の歴史的信憑性と現代の批判的な解釈と、これら三つの間で注意して読まなければならないのはこのためです。
【任命した】「委託する/選ぶ」(ルカ1章80節/使徒言行録1章24節)という読みと「任命する/選ぶ/証明する」(使徒言行録2章22節)のふたとおりの読み方があります。通常は前者の「アナデイクヌーミ」(委託する/選ぶ)のほうを採っています。ただし今回は、9章1節にある霊的な権能の授与が明示されていません。おそらくこのことも「任命」に含まれているのでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)845頁〕。
【七十二人を】「70」[NRSV]と「72」〔REBその他〕のふたとおりの読みがあり、どちらもそれぞれに有力な写本があるので決めがたいとされています。この数は「数秘」として象徴的な意味を帯びていると考えられますが、それがイエスによるものか、ルカ福音書の作者によるのか、伝承から出ているのかも判別できません〔新約原典テキスト批評150頁〕。旧約での象徴的な用法では「70」のほうが一般的で、「70人のヤコブの子と孫」(出エジプト1章5節)「70人の長老」(出エジプト記24章1節)「イエスの頃の70人による最高法院」「全世界の70の民」(創世記10章→ただし七十人訳では72の民)などがあります。これに対して「72」のほうは比較的少なく、「72人の長老」(七十人訳のある特殊な版)や七十人訳聖書は72名の訳者たちによって72日でできたという伝承〔アリステアス書簡50の307〕などです。比較的少ない例が、後の筆写によって、より一般的なほうに変えられる場合が多いことを考えると「72」のほうがもとの読みだと推定されます〔新約原典テキスト批評151頁〕。「72」はおそらくルカ福音書以前からの伝承に基づくものでしょう。
【ほかに】「さらにほかに」という読みもありますが、先の十二弟子派遣とは別の人たちのことです。彼らは「弟子」と呼ばれていないようです。
【二人ずつ】マルコ6章7節の「二人ずつ」"tow two" をルカなりに「二人ごとに」"by twos" と言い換えています。相互に助け合うためもありますが、むしろ二人以上の証言によらなければ「証し」とは見なされないからでしょう(民数記35章30節/申命記19章15節)。この事情は使徒言行録でも変わりません(8章14節/11章30節/15章32節/同40節)。
【御自分が行くつもり】原文の直訳は「彼の顔の前に/彼に先立って」。この言い方には、イエス在世当時だけでなく、その復活以後の教会の伝道、さらに終末でのイエスの再臨をも予見しているという解釈があります。そうだとすれば、「すべての町や村」とあるのはイスラエルのことでしょうか、あるいはさらに広い世界をも指しているのでしょうか(マタイ10章23節を参照)。
[2]ここでのイエスの言葉はマタイ9章37~38節と全く同じです(「働き手を送る」の語順だけが異なる)。ただしマタイ福音書では、「飼う者のいない羊の群れ」とあるように、打ちひしがれたイスラエルの民を救い、大勢の病人を癒やすことで神の国を民に伝えることに重点が置かれていますから、「重荷を背負う」働き手が少ないことを言おうとしています。これに対してルカ福音書では、収穫の季節が来て、その実りがあまりに多いのに働き手が足りないことを言おうとしるのです。ここでは、イスラエルの外の世界も視野に入れられていますから、御国の到来という終末の切迫が働き人を必要としているのでしょう。この点でルカ福音書はヨハネ4章35~38節に近いと言えます。
【収穫】旧約聖書で「収穫」は、異邦世界に散らされていった神の民(イスラエル)が「刈り集められる」ことを指します。イザヤ28章12節には、東は新バビロニア帝国のユーフラテス河から南はユダの最南端のエジプトとの境までの主の民を「脱穀する」ようにして「刈り集める」とあります〔フランシスコ会訳聖書〕。しかし、「刈り入れ」は同時に「主の裁きの時」でもあると告げられますから(ヨエル4章13~14節)、ルカ福音書でも72人の派遣と帰還の間に「裁きへの警告」(10章13~16節)が挿まれているのでしょう。終末での「収穫と裁き」のこの二重性はヨハネ黙示録14章14~20節を参照してください。
【収穫の主】「主」とは畑の所有主のことで、ここでは神自身です。どんなに切迫していて人手が必要でも、働き人を「投入する」のは、イエスでも弟子たちでもなく、ただ神だけであることを強調しています。「神の国」を伝えることができるのは「神から遣わされた者」だけだからです。だからこそ人を送るように畑の所有主に「切に求める」ことが必要なのです。
[3]【わたしはあなたがたを】原文は「出かけなさい。見よ、(わたしは)あなたがたを遣わす」です。ここで派遣が「イエスから」出ていることがはっきりします。マタイ10章16節では「出かけなさい」がなく、ルカ福音書では「わたし」が抜けています。マタイ福音書では「わたしは」が強調されていて、ルカ福音書の「小羊」(アルニオン)が「羊」(プロバトン)に変わっています(ただしどちらも複数形)。「出かけなさい」ではルカ福音書のほうが原初の形で、「わたしは」では、エレミアの説に従ってマタイ福音書のほうがイエスの言葉にさかのぼるでしょう〔マーシャル『ルカ福音書』417頁〕。ただし、ルカ福音書にも「わたし」を入れる異読があります。ここでの「遣わす」(アポステロー)は、後の「使徒」(アポストロス)"apostle"の直接の出所です。
【狼の群れに小羊を】マタイ福音書ではこの譬えが十二弟子派遣の終わりに来て、続いて「蛇のように賢く、鳩のように素直になれ」とあり、これを迫害への予告の導入としています。しかしルカ福音書ではこの言葉が72人派遣の最初に来ます。これはルカの編集でしょう。ただしルカ福音書は、先の十二弟子派遣よりも72人派遣のほうがイエス様語録に近く、こちらにほんらいのイエスの言葉に近い資料が用いられています。
ここで収穫の働き人から収穫の敵へ移行します。「狼」は貪欲と暴虐を象徴します(マタイ7章15節/ヨハネ10章12節/使徒言行録20章29節)。「小羊」は(1)苦難を耐え忍ぶ者(使徒言行録8章32節)、(2)罪のない無垢な者(第一ペトロ1章19節)、(3)犠牲として献げられ過越の小羊(ヨハネ1章29節)の象徴です〔TDNT(1)340〕。ここにもイザヤ書の主の僕の歌に出てくる「受難の僕」像が反映しているのを見逃すことができません。ただし「小羊」には今回の「アルニオン」のほかに、1歳のまだ角がない「アムノス」というギリシア語もあります。
今回の譬えについて、次のような話が伝えられています。
「(ローマ皇帝)ハドリアヌスがラビ・イェホシュアに言った(90年頃)、『70匹の狼(異邦の諸民族)の間でもなお存続することができる羊(イスラエル)がいるとは偉いものだ』。彼(ラビ)は答えた、『これを救い、これを見守り、彼ら(イスラエル)の面前で彼ら(狼)を滅ぼされる羊飼いこそ偉大なのです』」〔エレミアス:TDNT(1)340〕。
[4]ここには「財布」「袋」「履き物」の三つを「携帯するな」とあり、「挨拶するな」という指示がでています。9章の十二弟子の派遣では「杖」「袋」「パン」「お金」(銀貨)と「下着」を「持つな」とあります(これらについては「十二弟子派遣」の章の注釈をご覧ください)。「お金」を「財布」としたのはルカですが、イエスの頃のパレスチナでは「財布」を旅人が携帯することはありませんでした。これはルカの時代のヘレニズムの人たちに分かりやすくするための言い換えです。
「パンを持たない」ことは10章7節と関連します。「杖」は旅人の命を守る必需品でした。これが9章にでていて、ここで抜けているのは22章35~36節と関係するのでしょうか。逆に9章に抜けていてここにでているのが「履き物」(マタイ10章10節参照)です(「杖」も「履き物」も十二弟子派遣の注釈を参照してください)。イエス様語録ではこれらの物すべての携帯が禁じられていますから、イエスの指示は、当時のエッセネ派の旅の心得を上回る厳しいものであったことをうかがわせます。
【挨拶するな】イエスの頃の道行きの挨拶は、通常ていねいで長いものでしたから、これに「手間取るな」という意味です。その代わり、町とそこの家では「挨拶を交わす」よう求められています。所持品の携帯にせよ、挨拶にせよ、共観福音書に共通するのは、終末が近いという切迫感と、このゆえに御国を伝える緊急の使命が与えられていることです。しかもそれらが完全に「神の御手に」委ねられた業であることが強く印象づけられます。
[5]~[6]5~6節はマルコ福音書とルカ福音書の十二弟子の派遣にはありません。マタイ福音書には「どの町どの村に入っても、そこで誰がふさわしい人かをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとに留まりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もしふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる」(マタイ10章11~13節)〔新共同訳〕とあります。今回のルカ福音書はマタイ福音書の資料とほぼ同じですが、ルカ福音書からマタイ福音書へ、「言いなさい」→「挨拶する」/「平和の子がそこにいる」→「それを受けるにふさわしければ」と変えられています。「平和の子」と「『この家に平和があるように』と<言う>」のほうがセム的(ユダヤ的)な語法に近いので、ルカ福音書のほうが原資料(イエス様語録)に近く、マタイ福音書では書き換えられていると思われます〔マーシャル『ルカ福音書』419頁〕。
【平和の子】ヘブライ語では「子」は親(ここでは「平和/平安」)の性質を具えていることを意味します。「平和/平安」は特にルカ福音書では「救い」と同じ意味です(1章79節/2章14節/7章50節/19章38節)。なお「シャーローム」(平和/健康/幸い)はヘブライでは神からの「賜物/贈り物」です(民数記6章26節/イザヤ書26章12節/同45章7節)。だからルカ福音書では「平和があれ」と口に出して「言う」のです(マタイ福音書の「挨拶する」はこの点で弱い)。このように「平和」は贈答品のように、贈ったり贈り返されたり、今回のように、相手が受け取らなければ贈り主に「戻って来る」のです〔TDNT(2)413〕。
【平和があるように】ヘブライ語「シャローム・レハ=あなたに平安あれ」(士師記6章23節/歴代誌上12章19節)や「シャローム・アレケム=あなたがたの上に平安あれ」は、挨拶の言葉ですが、今回はこれが御国の救い(平和)をもたらすために神から派遣された人の口から出ることで、本来の意味を取り戻しています(ルカ24章38節/ヨハネ20章19節/ローマ1章7節)。
[7]【その家に泊まって】辞義通りに訳せば「その家自体に留まりなさい」ですが、アラム語の用法では「そこに、その家に」"in it, the house"ともなるから、ルカはイエス様語録のままを用いたのでしょう。「留まりなさい/泊まりなさい」は先の十二弟子派遣の場合と同様ですが、飲み食いの件と「渡り歩くな」は、ここルカ福音書だけです。
【出される物を】「その家にあるものだけを」食べるという意味にもなります。贅沢を禁じているのでしょうか。ただし、一緒に飲み食いするのは、その人たちとの「交わり」をも意味します(ガラテヤ2章12節)。だからマタイ福音書では「ふさわしい(家/人)」とあるのでしょう。
【報酬を受ける】これは諺でしょうか。マタイ福音書では十二弟子派遣の場合に、ルカ福音書では72人の場合だけにでてきます。ただしマタイ福音書では「からだを養う食べ物」とありルカ福音書では「報酬/賃金」です。諺だとすれば、ルカ福音書がイエス様語録そのままであるのをマタイ福音書では世俗的な「賃金」の意味に誤解されるのを避けるために言い換えたとも考えられます(第一コリント9章14節/第一テモテ5章18節)。
【渡り歩くな】「家々を渡り歩く」のを禁じていますが、これもルカ福音書のここだけですから、イエス様語録のままを採り入れたのでしょう。ただし、共に食事をすることが「交わり」を指すとすれば、福音を伝えるためには、複数の家々の人たちとの交わりが必要です。この点で『十二使徒の教訓』(ディダケー)には、使徒あるいは預言者(預言をする霊能の伝道者のこと)を「主のように」受け容れるべきこと、ただしその人は1日だけの宿泊にしなければならない。三日留まるならその者は偽預言者であるとあります。具体的にどのような方法で伝道活動が行なわれたのか、必ずしも明確でありません。おそらく実際の教えは、伝えられているよりも長いものだったのでしょう。伝承の過程で圧縮されたと考えられます。このように、ルカ福音書では、十二弟子派遣の場合よりも72人の派遣のほうがやや厳しい内容になっているという印象を受けます。「小羊を狼の中へ」とあるように、十二弟子派遣に比べると72人の場合のほうが、救いに与る者とそうでない者に人々が分かれて、敵対する場合を想定しているようです。「エルサレムへの旅」の途上での派遣の厳しさをうかがわせます。
[8]~[9]この部分もここだけにでています。十二弟子派遣の際には、マルコ福音書では「悪霊を追い出し病人に油を塗って癒やす」とあり、マタイ福音書ではこれにさらに「死人を生き返らせ、重い皮膚病を浄める」ことが加わります。ルカ福音書ではどちらの場合も「病人を癒やす」とあるだけです。ただし、十二弟子には「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気を癒やす力と権能」が与えられていますから、ここに霊能の業全体を含めているのです。十二弟子派遣では、弟子たちはイエスと同じ霊能を発揮することが求められていますが(特にマタイ福音書では)、今回の72人の派遣では、この点が後退して、その代わり「神の国が近づいている」ことを伝えるほうに重点が置かれているという印象を受けます。
【神の国は・・・・・】ここはマルコ福音書1章15節と同じですが、ルカ福音書では「あなたがたの上に」が加えられています。「近づいた」はヘブライ語の動詞の時制から「来た/来ている」とも訳すことができます。"The kingdom of God has come near to you." [NRSV] /"The kingdom of God has come upon you."〔REB〕。
[10]~[12]マタイ=マルコ福音書では、出ていくのが「家」なのか「町」なのかはっきりしませんが、ルカ福音書では、十二使徒のほうも72人のほうも「町」を出る時の行為を指示しているのが分かります。
【広場】原語は複数で「大通り」のことです。"its streets"[NRSV]〔REB〕。パレスチナに限らずヘレニズム世界でも村や小さな町は一つの共同体を形成していますから、福音を受け容れるかどうかは、その町全体の共同責任と見なされたのです。だから、福音伝道は公的な性格を帯びていました(13章26節参照)。
【この町の埃さえ】原文は「あなたたちの町から出ていてわたしたちにくっついている埃は、足にいたるまでぬぐい去ってあなたたちに(返す)」です。ここは直接話法で、「あなたたち」と「わたしたち」を対比させたみごとな言い回しになっています。直接話法は5節の挨拶の直接話法に合わせてあるのでしょうか。これもイエス様語録から採ったと思われますが、ルカの文体で書き改められているのが分かります。
当時のユダヤ教の伝道者たちは、異邦人がユダヤ教の教えを受け入れないときには、出がけに足の埃を払う慣例がありました(使徒13章51節)。ここを「上着の埃を払う」と解釈する説もあります(ネヘミヤ5章13節/使徒言行録18章6節)。ユダヤ教では、この行為は、その土地が「異教」の土地として神の裁きに逢うことを証しする象徴的な行為でした。今回のも、弟子たちを受け入れない土地を異教の地と見なして、以後、一切の交わりを絶つという意思表示でしょう。
【神の国は】福音が伝えられたにもかかわらずこれを退けることは、神の裁きを招くことですから、その責任は、伝えた側にではなく、これを拒んだ人たちの上に臨む(「<あなたたちの上に>近づいた」と読む異読があります)ことを警告するためです(6章1~6節のナザレの場合を参照)。なおマタイ福音書では「天国」ですがルカ福音書では「神の国」です。
【ソドムのほうが】「聖句」であげたように、イエス様語録では、今回の記事に続いて、ソドムへの裁きの言葉が置かれていました。「ソドムへの裁き」(創世記19章)はパレスチナでは諺として知られていました。12節はマルコ福音書にはなくて、マタイ福音書とルカ福音書だけにあります。マタイ福音書では「アーメン」とあり「ゴモラ」も出ていて「裁きの日には」となっていますが、ルカ福音書では「アーメン」も「ゴモラ」もなく、「かの日には」とあります。「かの日/その日」は終末の日を指す旧約聖書の言い方です(ゼカリヤ12章9~11節参照)。ルカ福音書のほうがイエス様語録に近いでしょう。