【注釈】
■善いサマリア人のたとえ話
〔イエスと律法の専門家の問答〕
今回のたとえ話「善いサマリア人」は、ルカ10章25~37節のまとまりの一部として分類されています〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕〔新約原典〕。この話は、25~29節の律法の専門家からの問いとイエスの答え、これに続くイエスのたとえ話の二つの部分から構成されています。しかもイエスと専門家の問答は、マルコ12章28~34節=マタイ22章34~40節と並行していますが、続くサマリア人の話はルカ福音書だけです。さらにマルコ=マタイ福音書では、律法と隣人愛のこの問答が、イエスのエルサレム入場と神殿浄化の出来事の後に来ていますから、これはすでに旅が終わっていて、イエスのエルサレム伝道の時のことになります。これに対してルカ福音書では、この律法と愛の問答が、サマリアからエルサレムへの間の旅の途中のことになっています。こういうわけで、律法の専門家とイエスの問答の部分は、今回は扱わず、エルサレム伝道の時期の出来事として、その時に「最も重要な掟/律法」と題して扱うことにします。
ただし、ルカ福音書では問答とサマリア人の話が密接に結びついていますから、この観点から、イエスと律法の専門家の問答を見ておく必要があります。この問答は、「永遠の命を得る」ための問いで始まります。イエスはこの問いに「命」と「律法」の関係について相手に問い返しますが、「永遠の命と律法」というこの問題は、マルコ10章17~31節の「金持ちの男」とイエスの問答でも取り上げられています。
通常、今回の問答は、律法と神と隣人への愛の関係を表わすと解釈されていて、この点から「隣人愛」に焦点が絞られ、この隣人愛が「善いサマリア人」のたとえ話へ発展する、このように解釈されます。しかし、金持ちの男の場合は、これとは違った展開になります。彼は、律法と永遠の命のつながりを知っても、これを<実践する>ことがいかに困難かを知って立ち去るのです。マルコ福音書の金持ちの話は、最後まで律法と永遠の命の問題から離れることがありません。ではルカは、今回の問答を旅の途中の出来事へと置き換えることで、律法と永遠の命の結びつきとこれに伴う<実践の難しさ>を「隣人愛」という一般的で「受け容れやすい?」問題へ置き換えているのでしょうか?わたしには、ルカがこのような意図によって「善いサマリア人」の話を「律法と隣人愛」に結びつけているとは思われません。この話の出発点に立ち戻るなら、「隣人愛」だけでなく、「永遠の命を受け継ぐ」ことも、隣人愛の実践を前後から囲む形で、サマリア人の話に一貫して含まれている。このように見るほうがより適切だと考えられます。
〔資料の問題〕
ルカ10章25~37節は、イエスと律法の専門家の問答(25~28節)とイエスによる善いサマリア人の話(26~37節)の二つの部分で構成されています。二つはほんらい別個の伝承だったのでしょうか〔『四福音書対観表』168~170頁〕。だとすれば、ルカは、マルコ12章28~34節によって前半を構成し、これを善いサマリア人の話と結びつけて、全体を旅の出来事として一つにまとめたことになりましょう。それとも二つは、ルカ独自の資料(L)として、すでに一つのまとまりとして伝承されていたのでしょうか?〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)877頁〕〔レングストルフ『ルカによる福音書』294頁〕。
さらに言えば、そもそも善いサマリア人の話は、ほんとうにあったことがイエスの口から語られたのでしょうか。神と隣人への愛の律法は、イエスの時代のユダヤ教ではすでによく知られていたことです。サマリア人の話では、登場する強盗、祭司、レビ人、サマリア人のそれぞれは、イエスの頃のユダヤとサマリアの実際の社会状況を正確に反映しています。だとすれば、今回の話は、イエスが直接聞いていた話であった可能性が高いと言えます〔クラドック『ルカ福音書』250頁〕。ただし語りのスタイルや語彙、それに異邦人に好意的な描き方などはルカの編集を証ししています。だから、イエスと律法専門家の問答、善いサマリア人の話し、この二つは本来別個の伝承だったのでしょう。ただし、神と隣人愛の律法も、サマリア人の話も、どちらもイエスの頃にすでに知られていたことですから、二つともイエスにさかのぼると思われます。二つの伝承はすでにまとまった形でルカに伝えられていたのでしょうか。おそらく、イエスと律法の専門家の問答は、共観福音書に共通する伝承から派生してルカに伝わり、善いサマリア人の話のほうはルカだけの資料であったのを、ルカはこれらを一つに結びつけて、独自のスタイルで編集したと思われます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)882~83頁〕〔マーシャル『ルカ福音書』446頁〕。
■注釈
[29]【正当化しようと】イエスに「永遠の命をわたしが受け継ぐことをあなたはどのように定義しますか?」と尋ねた「彼」とは、律法を専門に扱うユダヤ教の指導者です。彼はイエスを「テストする」ためにこの質問をイエスに答えさせようとしたのです。ところが逆にイエスから問い返されて、彼は「神を愛すること」(申命記6章5節)と「隣人を愛すること」(レビ記19章18節)の二つの戒めをあげます。イエスは彼に「あなたは正しい。その通り実行せよ」を告げます。イエスの「実行せよ」には、この専門家が自分の答えたことを「ほんとうに実行しているのか?」という強い疑問が含まれていました(マタイ23章3節参照)。これを感じとった彼は、自分が「実行しているかどうか」というイエスの率直な問いかけを「律法解釈の問題」へすり替えようとします。こうすることで、自分がイエスよりも上に立つ律法の専門家であること、さらに自分こそ永遠の命を受け継ぐ「知識を具えている」ことを「立証しよう」(原語は「自分の正しいことを証明する」)としたのです。
【隣人とは】「隣人」に対する規定はレビ19章16節/同19節/同33~34節にでています。そこでは、同じユダヤ人同士の間で「中傷するな」、隣人の「命に関わる偽証をするな」とあり、またユダヤ人ではない「寄留者」が「自分の土地に住んでいる」場合に、虐待してはならないとあります。では「中傷する」とは具体的にどのような行為を指すのか?「命に関わる」とは具体的にどういう場合を指すのか?「寄留者」とはよそから来た異教徒のことか? その者が「ユダヤの地で生まれた」かどうかを区別するのか?「自分の土地」とはどういう意味か? 彼はいかにも専門家らしく、事細かにふるい分けて、「隣人」の定義をイエスに問いかけたのです。こうすることで、彼自身が実際に実行しているかどうかを「律法解釈」の問題に置き換えて、自分が正しいことを人々に証明しようとしているのです。
[30]【エルサレムからエリコへ】エルサレムからエリコまでは27キロほどですが、高低差が1000メートル近くもあります〔マーシャル『ルカ福音書』447頁〕。イエスの頃のローマ軍団の要路には、ほぼ25キロごとに宿泊施設がありましたから、27キロは通常の一日分の行程です。しかし、その道は険しく、人がほとんど住んでいませんでした。しかし祭司やレビ人たちが通ったとあるように、この道はエルサレム神殿への礼拝のために欠かせない道だったのです。ユダヤ人は通常、エルサレムからエリコへ下り、そこから平野に入りヨルダン川を渡り、東岸のペレアを通過してガリラヤへ向かいました。話の内容から推定すると、このユダヤ人の旅人も礼拝のために上京して、エルサレムから(ガリラヤへ?)帰る途中だったのでしょうか。たとえ話では「ある人が」と意図的に特定を避けて、誰でもこの旅人になる可能性を示唆しています。
【エリコ】「エリコ」は現在三箇所あります。
(1)旧約聖書にある「エリコ」(民数記22章1節)の歴史は初期青銅器時代(前2900年~2300頃)にさかのぼります。旧約聖書によれば、ヨシュアに率いられたイスラエルの民がヨルダン川を渡ってカナンに侵入する際に攻撃したのがこのエリコです(ヨシュア記6章)。そこは死海の西北岸から北西へ12キロほどの低地にある城壁に囲まれた都市でした。その後に、捕囚期以後もこの町はユダヤ人の町として残ったようです。
(2)ヘロデ大王は、旧約聖書のエリコから2キロほど南西にある下がった高台に新たなヘレニズム風のエリコを建設しました。これが新約聖書のエリコです。そこには壮麗なヘロデの冬の宮殿があり、劇場もありました。このエリコは、ワディ・ケルトと呼ばれる険しい渓谷の入り口にあたり、そこは「アドミニーム」(原義は「血」)とも呼ばれていますから、古くから殺害などが行なわれた場所だったのでしょうか〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)886頁〕。このエリコの北方にはイエスがサタンの誘惑を受けたと伝えられる山(エベル・クワランテル)があります。
(3)現在のエリコは、旧約時代のエリコと新約のエリコの間を通るハイウエイをさらに東に行った所にあります。そこはイスラエル領ですがパレスチナ系の住民が多く住んでいて、その東方に死海の西岸沿いにガリラヤへいたるハイウエイが通じています。
【追いはぎ】原語は「盗人」の意味だけでなく「追いはぎ/強盗/盗賊」〔フランシスコ会訳聖書〕"robbers"〔NRSV〕〔REB〕をも指します。ただし、この地帯には政治的に非合法化された過激な革命家たち(「熱心党」と呼ばれるテロリスト)も隠れ住んでいました。彼らは、イドマヤ出身のヘロデの王朝を正統とは認めなかったために、また反ローマ的な活動のために弾圧されたのです。彼らは、民族解放の目的のためならどんなことでも許されると考えていましたから「強盗」と呼ばれまし。ただし、被害者が聖書で規定されている「隣人」のユダヤ人の場合、彼らは命を奪うことをせず、持ち物と衣類だけを奪いました。この旅人が傷を負ったのは、彼らに抵抗したからでしょう〔TDNT(4)261〕。ヘロデ王朝はこのような「盗賊」を退治しようとしたことが記録されています〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』17巻10章5節〕。
【半殺し】旅人は殴打によって意識を失っていたので、すでに死んでいるように見えたのでしょう。
[31]~[32]【たまたま】原文は「ちょうどその同じ時に」で、これが文頭に来て強められています。
【祭司】祭司とレビ人は、長い歴史の中で上下関係で結ばれ、共に神殿での礼拝の責任を負う人たちでした。「下ってきた」とありますから、この祭司はエルサレム神殿の勤めを終えてエリコへ帰る途中だったのでしょう。当時エリコには祭司たちが住んでいたからです。祭司とレビ人とそれ以外のイスラエル人(旅人)、この三者によって、当時のユダヤ教で言う「神の民」全体の構成が象徴されています(ネヘミヤ記10章35節参照)〔レングストルフ『ルカによる福音書』295~96頁〕。
【道の向こう側を通る】原語は一語で「(見ながら)道の反対側を通り過ぎる」(アオリスト/過去形)です。彼らがどういう理由でこの旅人を見過ごしにしたのか、その理由はいっさい語られていません。旅人がすでに死んでいると思ったか、あるいは介護の途中で死ぬと、死体に触れることで律法の定めによる「汚れ」を受けると判断したからでしょうか? 聖職者は、通常の埋葬義務から免除されていると考えたからでしょうか?〔レングストルフ前掲書〕。いずれにせよ、祭司も次のレビ人も、祭儀的な規則に制限されてその場の旅人を助けることができなかった可能性があります。そうだとすれば、安息日でもあえて病人を癒やしたイエスの行為と対照的です〔マーシャル『ルカ福音書』448頁〕。
【レビ人】レビ人の場合は、先の祭司と異なる言い方で、「その場へ来合わせる事態になった」とあります(後の挿入かもしれません)。「レビ」はイスラエルの十二部族の一人です(創世記29章34節)。しかし他の部族と異なり、レビ族には祭司たちの補佐役として聖なる幕屋/神殿に奉仕する役目が与えられていました(民数記1章47~53節)。モーセの補佐を勤めた祭司アロンもレビ族の出身です(出エジプト記4章14節)。レビ族の役目は最初期には幕屋周辺の警護に限られていましたが、時代によって変わり、次第に神殿の礼拝での祭司の補佐に携わるようになりました(民数記8章5~22節参照)。捕囚から帰還した後もレビ族には十分の一税による収入が与えられました(ネヘミヤ記10章38~40節)。
イエスの頃には神殿警護の役人たちが他にいましたから、レビ人には、礼拝の際の合唱の役目が与えられていました。神殿の本殿内の女性の庭から祭壇のある男性の庭へ通じる入り口(ニカノル門)は半円形の15の階段になっていて、日ごとの礼拝と安息日や祝祭の礼拝に際して、レビの合唱隊はそこに立って、楽器の奏者たちに合わせて詩編を歌いました。この際も合唱を始める合図を送るトランペットを吹くのは祭司の役目で、参列者はこの合図でひれ伏して礼拝を行ないました。彼らは、祭司だけが入る聖所に入ることは許されませんでした〔The Ritual of the Temple in the Time of Christ. Leen and Kathleen Ritmeyer. Jerusalem: Carta (2002)44-45.〕。
[33]~[34]【あるサマリア人】おそらくイエスの当時のユダヤの人たちは、祭司とレビ人の次に来るのは「親切で庶民的なユダヤ人」だと想定したでしょう。彼らもまたユダヤの宗教的指導層に不満を抱いていたからです。ところがイエスは、彼らの意に反して、こともあろうに「サマリア人」を持ち出したのです。当時のユダヤ人の目からは、隣国のサマリア人は「異教徒/異邦人」とそれほど変わらない存在でした〔ユダヤとサマリアの関係についてはコイノニア・ホームページ→聖書講話→四福音書補遺→「サマリア」を参照〕。話の内容から判断すると、このサマリア人は、同じ道をエリコからエルサレムのほうへ向かっていたのでしょうか。サマリア人がユダヤの地を、逆にユダヤ人がサマリアの地を旅することは可能だったからです。
ただし、イエスがここでサマリア人を出したのは、ある出来事が背景にあると指摘されています。それは歴代誌下28章5~15節にでてくる故事です。南王国ユダのアハズ王は、子供を偶像の犠牲に献げる暴君でした。彼が北王国イスラエルと闘って破れた際に、北王国イスラエルの将軍は、ユダヤの婦女子20万人を捕虜にした(奴隷にするため)とあります。これを見た主の預言者オデドは、主がユダヤの罪のために彼らをあなたの手に渡したのなら、今、あなたがたがユダヤに対して行なった罪に対しても同様に主の怒りを招くと警告したのです。北王国の指導者たちは、この預言者の警告を聞いて、「裸の者があれば戦利品から衣服をとって着せ、履物を与え、飲食させ、油を注いで弱った者をろばにのせてエリコへ送り届けた」とあります。イエスの話を聞いていた群衆は、この故事を思い出したのは間違いないでしょう。
【憐れに思い】原語は内蔵が熱くなる深い想い(母が子を想う気持ちに近い)を指す時に用いられる言葉です。彼は、旅人を目にするなり、その前後の事情を悟ったようです。見過ごしにすることができず、「なんとかしてやりたい」という想いだけで旅人に近づいたのです。その際「ユダヤ人が異邦人から親切を受けてはならない」というユダヤの戒めを彼が知っていたかどうかは分かりません。彼は憐れみに動かされて無条件で旅人の側へ行ったのでしょう。
【油とぶどう酒】本来この二つは飲食のためですが、二つを混ぜ合わせて医療に用いましたから(「油」についてはイザヤ書1章6節/マルコ6章13節参照)、この二つは旅人に必要な携帯品とされていました。飢饉の際にも、この二つは小麦などに準ずる生活の大事な必需品でした(ヨハネ黙示録6章6節)。
【宿屋】金銭を奪われた裸の旅人ですから、傷の手当てだけでは済まないので、自分の「ろば」(原語は乗り物に用いる家畜一般を指す)に乗せて宿屋へ連れて行ったのです。エルサレムからエリコまでは、当時の旅人のほぼ一日分の行程にあたりますから、エリコ近くのアドミニーム渓谷の入り口には隊商などが宿泊する旅籠(はたご)があったのでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)888頁〕。なお「介抱する」の原語は「世話をする/面倒を見る」ことです。
[35]【デナリオン銀貨二枚】このサマリア人は、その夜旅人と共にその宿に宿泊したのです。彼はユダヤで用事を済ませてから、再び同じ道を戻ってサマリアへ帰る予定だったのでしょう。その際におそらく同じ宿に泊まり、その間の旅人の世話料までもまとめて支払うことを宿の主人に申し出たのです。「デナリオン」銀貨二枚は、通常の労働者の二日分の賃金に相当します。当時の宿屋の宿泊費は、一泊で約十二分の一デナリ(1デナリを現在の一万二千円とすれば、千円)くらいが相場でしたから、二人の宿泊と数日分の旅人の宿泊とその世話代を合わせても十分な額です〔マーシャル『ルカ福音書』450頁〕。
【戻った時に】初代のクリスチャンたちは、このサマリア人をイエス自身だと見なして、彼が「戻った時」とはイエスの再臨の時を指すと解釈しました。
[36]~[37]【隣人になった】「隣人」の原語は「プレーシオン」で、このギリシア語は「あなたの隣人を自分自身に対するように愛しなさい」(レビ記19章18節)の七十人訳から来ています。原語(ヘブライ語)は「レーア」(友/付き合い仲間/隣人)です。「隣人」を表わすヘブライ語の言い方はほかにもありますが、「レーア」が最も多く用いられていて、「プレーシオン」もこのヘブライ語と対応する場合が多いようです。ヘブライ語「レーア」の本来の意味は「付き合う/関わり合う」ことで(箴言13章20節)、とりわけ同じ神の契約の下にいる者同士での「出逢い」の際に「最善の仕方で関わり合う」ことを意味します〔TDNT(6)312-13.〕。したがってこれは固定した関係ではなく、不特定の「出逢い」を意味する言葉です。だから「誰が隣人かは前もって決めることができず、生活の成り行きで決まるものです。誰が誰の隣人かは定義するものではなく、(成り行きによって)隣人に<なる>ことができるだけです」〔TDNT(6)317.〕。律法の専門家の質問は「わたしの隣人とは誰のことか?」でしたが、イエスの問いかけは、「強盗に襲われた人の隣人に<なった>のは誰か?」です。
【助けた人】原文は「その人に対して憐れみを施す」で、ヘブライ的な言い方です。ただしイエスの答えは「同胞の」ユダヤ人ではなく、隣国のサマリア人のことで、しかも、ユダヤ人はユダヤ人以外からの隣人愛を受けてはならないと言われていましたから〔マーシャル『ルカ福音書』430頁〕、相手(と聴衆)は予想もしなかった結論に導かれたことになります。最後の「同じように<行ない>なさい」は、最初の「永遠の命を受け継ぐためには何を<行なう>べきか?」に対する答えです。
この点をここで確認する必要があるのは、37節はルカによる編集だと言われているからです。ルカ福音書の作者のこのような編集は、ユダヤ人とヘレニズム世界との融和を意図するからだと見なされる傾向があります。1世紀末と思われるルカ福音書に、作者のそのような意図が反映して<いない>とは言いませんが、この物語をそのような意図に基づく「隣人愛」の視点だけから解釈するのは、ルカ福音書をも、作者ルカの真意をも見誤るものだと言えます。注釈からも分かるように、この物語はイエスの頃のパレスチナの社会的宗教的状況を的確に反映しています。だからこの話はイエスにさかのぼるもので、ルカはこれを伝承として受け継いでいます。その際のルカの扱いは、他の資料の扱い方同様に、きわめて慎重で資料に忠実です。この物語には隣人愛と共に神からの「永遠の命」がその核心をなす主題になっています。ルカは原話に「この主題」が内包されているのを的確に洞察していることを編集が示しています。だからここで扱われる隣人愛も、イエスが語る「ほんとうの命」とひとつになって、エルサレムでの受難への旅の途上のこととして語られています。このように、「伝承」とは、たとえ後の編集を経ていても、伝承それ自体に内蔵されている本来の主題をどこまでも保持して主張することを止めない強さを持っているのです。だから、ここで語られている隣人愛が、マタイ5章43~44節と結びつけられるのは正しいと言えましょう。
戻る