【注釈】
■真夜中の願い事
 今回の話は、ルカ福音書では、主の祈り(11章1~4節)に続いていて、この話の後に「求めなさい」という励ましが続きます(同9~13節)。主の祈りは共観福音書と共通し、「求めなさい」はマタイ福音書とイエス様語録に共通します。しかし中間の今回の部分だけがルカ福音書独自です。さらに今回の話は、ルカ18章1~8節の「やもめと裁判官」と内容的に並行していて、これもルカ福音書だけ(Lから)の記事です。ルカ福音書では共観福音書と共通する資料の間に独自資料(L)を挟み込んでいるのです。
 これで分かるように、「真夜中の願い事」は、資料的に見て、直接主の祈りに続くものではありません。しかし、神から答えが与えられることを確信して祈り続けるよう励ましていることから、主の祈りに始まって、「聖霊の授与」へいたるまでの<祈りの全過程>が11章1~13節に語られているのが分かります。ルカ福音書は「祈りの福音書」です〔プランマー『ルカ福音書』298頁〕。
 今回の話は、従来「諦めずにしつこく求める」なら、神は求めに応じてくださるというふうに解釈されてきました。しかし、よく読むなら、恵みの神は必ず祈りに応えてくださるという確信に裏付けられているからこそ、この確信に支えられた「大胆な」祈りが可能だというのが、ここの本来の意味だと思われます。人間の側からの「諦めないしつこさ」より、むしろ「持続する忍耐」の祈りは神に支えられた祈りだからです〔マーシャル『ルカ福音書』462~63頁〕。ルカは、今回の記事に、このほんらいの意味を読み取って、これを主の祈りに続け、さらにこれの後に「求める者には必ず与えられる」というイエスの言葉を続けたのです。
 「真夜中の願い事」は、資料的に見ると、「やもめと裁判官」の話とペアで伝えられたという見方があります。「やもめと裁判官」のほうがより古いという説もありますが、その理由が相互に矛盾していて根拠がありません〔マーシャル『ルカ福音書』463頁〕。むしろ「真夜中」とあるのは、ほんらい終末での「切実な」願いを表わしていたとも考えられます(マタイ25章6節参照)。だとすればこの話の起源も古いことになります。だから、「しつこく求める」という動機は後の教会によって加えられた解釈でしょう。この部分に続く9~13節では、罪の人間でさえわが子に善いものを与えるのに父の神が「それ以上に」してくださらないことがあろうか、という勧めで終わっています。だから、この勧めから逆照して見るなら、ルカは今回の記事において、人間の「大胆で忍耐強い」祈りも実は神がこれを支えてくださることを言おうとしているのです。ルカが「真夜中の願い事」を「やもめと裁判官」から離して、別個に扱っているのもこのためでしょう。
 ちなみに、マタイ福音書では、「天の父は願う以前からあなたに必要な物を知っておられる」(マタイ6章8節)とあり、これに主の祈りが続き、さらに「人の過ちを赦す」勧めが続きます(マタイ6章14~15節)。また「求めなさい」とあるイエスの言葉は、「人にしてほしいと思うことは自分からせよ」という黄金律で終わっています(同7章12節)。
■注釈
[5]~[6]「あなたがたのうち誰か~?」で始まるのはルカ福音書(と語録集)によくでる言い方ですが(12章25節/14章28節/15章4節/17章7節)、ここでは疑問がそのまま続かず、「言ったとしよう」と接続法で終わります。構文的に見ると「だれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き」とある「その人」が、本人(だれか)のほうなのか「友人」のほうなのかがはっきりしません。"Suppose one of you has a friend who comes to him" 〔REB〕。この部分は構文や動詞の時制が乱れていて、パレスチナの状況がよくでていますから、口伝の過程を経ているもので、おそらくイエスにさかのぼるでしょう〔マーシャル『ルカ福音書』464頁〕。
【夜中に】オリエントでは、暑さを避けて夜旅をするのはよくあることですから、この人は、思いがけず真夜中に客人を迎えることになったのです。
【貸してください】原語「キクレーミ」は新約ではここだけです。意味は「用立てる」ですが、ここは利息を取って金銭を「貸し付ける」(原語「ダニゾー」)ことではなく、隣人のよしみで利用させてもらうことです。
[7]【面倒をかけない】直訳すれば「わたしに迷惑/面倒をかけないでくれ」。
【戸を閉めた】おそらく両開きの戸に木製か鉄製の閂(かんぬき)をかけること。「すでに」とあるのは、かけてからしばらく経っていること。
【子供たちも寝ている】パレスチナの庶民の家は、大部屋ひとつの場合が多いから、起きて閂をはずしたりすると家中が目を覚ましてしまいます。
【何かをあげる】「わざわざ起きてまで、あなたに与えるわけにいかない」。
[8]【言っておく】話の大事なポイントを聴衆に確認させるための言い方です。
【友達だから】「友だからではなく、しつこい/恥知らずだから」。原語「アナイデイア」には「しつこい/ずうずうしい」と「恥知らず」の両方の意味がありますから、「しつこい」の意味にとれば、頼み込んでいる人のことになりますが、「恥知らず」の意味にとれば、隣人の切実な求めを無下に拒否する「恥知らずな友」の意味になり、前者は祈り求める人間のほう、後者は祈りに応える神のほうを指すことになります。人間でさえしつこく頼まれたなら仕方なく起きて願いを聞き入れるのだから、まして神は~ととるのか、人間でさえ隣人の頼みを断わったら恥知らずだと言われるのを恐れて頼みを聞き入れるのだから、まして神は~ととるのか、語法的にはどちらの解釈も可能です。言わんとすることの意味は本質的に変わらないと思いますが、「彼のしつこさ」の「彼」は「頼み込む人」を指すと見て、前者の意味に理解するのが一般的です。
【なんでも】「ほしいだけ」。隣人にはパンがたくさんあったのに、起きるのが面倒だったのです。
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