【注釈】
■香油の出来事
 イエスに香油を注ぐ今回の出来事は、四福音書に出ています。マルコ福音書とマタイ福音書とヨハネ福音書では、過越を間近に控えたベタニアでの出来事ですが、ルカ福音書だけは、ガリラヤ伝道でのことです(ルカ4章14節を)。場所がナインの近くだとすれば(ルカ7章11節)、ガリラヤ伝道の中期頃になるでしょうか。
 マルコ=マタイ福音書では、イエスを食事に招いたのは、「重い皮膚病」の人シモンです(必ずしも現代の「ライ病」のことではありません)。しかし、ルカ福音書ではファリサイ派の人で、ヨハネ福音書では、ベタニアのマルタとマリア姉妹(とラザロ)です。
 マタイ=マルコ=ヨハネ福音書では、女性の香油注ぎが、「イエスの埋葬」への備えの意味が与えらていますが、ルカ福音書では、その女性の「赦された愛」の深さが賞賛されます。
 共観福音書には、女性の名前が出てきませんが、ヨハネ福音書では、ベタニアのマリアです。ただし、ルカ福音書では、すぐその後に「(イエスによって)七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」が出てきますから(ルカ8章2節)、今回のルカ福音書の「罪深い女」を彼女と同一視する説があります(4世紀頃から)〔R.T.France. The Gospel of Mark. NIGTC. The Paternoster Press(2002).550.〕。たとえ無名でも、有名でも、この女性の「思い切った」行為は、「福音が伝えられる世界のどこでも」記念として語られます。
 四福音書の記述の相互の異同を考慮するなら、イエスが女性によって塗油を受けた史実が、幾つか(三種類?)の変容した(口頭)伝承として伝えらえたのでしょう〔Davies & Allison. Matthew 19--28. The International Critical Commntary(ICC). T&T Clark (1997) 442〕。
 
■マルコ14章
[3]【ベタニア】マルコは、先ず、事が起こった状況を説明します。イエスの一行は、エルサレムに入城し、神殿を訪れてから、エルサレム東方のオリーブ山を越えて、第1日目をベタニアで過ごします(マルコ11章11節)。二日目も同じように、ベタニアからエルサレムを訪れ、再び戻りますから、一行は、過越の食事までは、ベタニアに居たことになります(マルコ14章1節)。 
  イエスの頃のベタニアは、神殿の東の城壁にある門を出て、オリーブ山の西の麓にあるゲツセマネの少し北側の曲がりくねった道を通ると、オリーブ山の西麓のベテファゲに出ます。ベテファゲから南へ下り、オリーブ山の南側を東方に向かうとベタニアがあります。イエスの頃、この道は、エルサレムからエリコへ通じる道でした。エルサレムからベタニアまで「15スタディオン」(約3キロ)とありますから(ヨハネ11章18節)、1日でエルサレムとの間を往復することができたのです。現在、そこは、「ラザロ」の名にちなんで、「アル・アイサリヤ」(al-Eizariya)と呼ばれています。
【シモン】シモンについては、マルタとマリア姉妹同様にイエスを支持するベタニアの人であること以外に、分かりません。「重い皮膚病」は、英語で"leper"(ライ病)と訳されていますが、ギリシア語の「レプロス」は、ライ病以外の様々な皮膚の病気をも意味します。レビ記13章には、「皮膚病」に関する詳細な規定がありますから、これを参照してください。このシモンは、イエスによってライ病を癒されたという伝承もあります〔John Nolland. The Gospel of Matthew. NIGTC.The Paternoster Press (2005)1051〕。
【一人の女】共観福音書では、彼女は匿名です。彼女は、食事に招待された客ではなく、突然に食事の席に現われたのでしょう(ルカ7章37節を参照)。
【ナルドの香油】「アラバストロンの」「(体に塗るための)香油」「ナルド」「純粋の」「高価な」と、五つの語を並べて、その貴重さを強調しています。「アラバストロン」は、ほんらい、「雪化石膏」という鉱物を削ったものなので、これは、「(香油などを入れる)雪化石膏の瓶」を指すと考えられていました。しかし、「アラバストロン」は、イエスの頃、シリアなどで作られた「ローマガラス製(の瓶)」のことであろうと思われます〔織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』18頁〕。「ローマングラス/ローマガラス」は、前1世紀〜後4世紀頃に、ローマ帝国で製作されたガラスのことです。透明なものもそうでないものもあり、透明なものは、光を受けて表面が虹のように輝くので、ピアスやネックレスなどのアクセサリーとしても用いられました。このガラスは、製法が難しく、とても貴重で高価でした。「ナルド」はヘブライ語で、古代では、インドや東アジアで育つ甘松(かんしょう)の根から採取した香料のことです。「純粋」は、偽物でない本物のこと。
 マルコ福音書だけは、「瓶の口を割った」とありますが、香油は、首の長いガラスの高価な容器から香油を注ぎ出すのに、「瓶の口を割る」必要があるのか?という疑問が出ています。これは、その香油を二度と使えなくするための意図的な行為だという説もありますが、そのような配慮からではなく、むしろ、その女性の衝動的な激しさから出た行為でしょう。イエスの頭に「振りかけた」とありますが、イエスは、当時のギリシア風の宴席のように、頭を(通常)左にして体を横たえて、食卓についていたのでしょうか。当時のパレスチナの比較的貧しい庶民は、質素な腰掛けに座って、食卓についていました。もしも、頭を上にした姿勢なら、イエスの衣服にも香油がしたたり落ちたと思われます〔フランス前掲書552頁〕。
  古来、「塗油」(とゆ)は、神への聖別を象徴する祭儀で、とりわけ、人に油を注ぐ行為は、その人が大祭司として聖別されることを指していました(レビ記8章10〜12節)。ただし、この場合は、通常「オリーブ油」が用いられました。「ナルドの香油」は「アロマ油」"aromatic oil"とも呼ばれて、オリーブ油とは区別されます。
 オリーブ油による「塗油」は、大祭司や祭司、また王の即位でも行なわれました(出エジプト記28章41節/同29章29節/詩編132篇10節/同17節)。七十人訳では、「あなたの僕ダビデのために、あなたが塗油(とゆ)した者の顔を斥(しりぞ)けないでください」(七十人訳131篇10節)とあり、ここの「塗油した者」のギリシア語「クリストス」は、「油を注ぐ」のギリシア語「クリオー」から出ています。この「クリオー」は、ヘブライ語の動詞「マーシャッハ」(塗る/油を注ぐ/聖別する)に相当する用語で、これのヘブライ語名詞(と形容詞)が「マーシーァッハ」(油注がれた者/祭司/王/メシア(救い主)/キリスト)です。
 今回の女性の塗油行為は、当時の(旧約)聖書から見るなら、
(1)イエスを「メシア王」とする意味にも受け取れますが、女性が用いたのは、ナルドのアロマ油で、オリーブ油ではありません。今回の塗油は、むしろ、雅歌で乙女が言う「油」(雅歌1章4節)、あるいは若者が言う「油」(同4章10節)の意味に近いという見方もあります。
(2)そうだとすれば、もの女性の塗油行為は、聖書的に見れば、イエスを「花婿」に見立てることになりましょう(マルコ2章18〜22節参照)。彼女は、「花婿が取り去られる時」が近いのを予感したのでしょうか〔Adela Y. Collins. Mark. Hermeneia. Fortress Press (2007)642〕。
(3)当時のユダヤでは、宴席で客人への塗油があったという説もあります(詩編23篇5節参照)〔デイヴィスとアリスン前掲書445頁〕。これだと、女性の意図が理解できます。
■マルコ14章注釈
[4]マルコ福音書では、女性をとがめるのは、「幾人かの」人たちで、マタイ福音書では「弟子たち」です。ルカ福音書では、ホストのファリサイ派の人です。イエスが食事に招かれる時は、当時の教師(ラビ)が招待される場合と同様に、師の弟子たちも同伴します。だから、マルコが言う「幾人か」の人たちが、マタイの言う「弟子たち」であってもおかしくありません。
【憤慨して】女性が無断で宴席へ入り込んで来て、主客のイエスに香油を「浴(あ)びせ
る」のは、当時のユダヤ社会の慣習から見れば、「ちょっと考えられない」大胆な行為です。だから、見ていた人たちは、「互いに顔を見合わせた」だけでなく、相当に強い怒り/憤り(マルコ10章14節参照)をその女性に向け、口に出して彼女を批判したのです。このため、その女性は、思わずひるんだと思われます。
[5]【無駄使い】1デナリオンは、当時の労働者の1日分の賃金ですから、300デナリオンは、一人の労働者のほぼ1年分の賃金に相当します。「無駄遣い」とあるのは「浪費」「損失」のことです。同席の人たちには、この女性のしたことが「いったいなんのためか」と「理解に苦しむ」行為だったのです。彼らは、よほど気に障ったらしく、「鼻を鳴らして」不愉快だと責めたとあります。
 当時のユダヤでは、過越祭の時期は、貧しい人への「施(ほどこ)しの時期」とされていましたから、「施し」は、祭りを祝うのに「ふさわしい」行為でした(申命記15章7〜11節参照)。「施し」は、社会的・道徳的だけでなく、法的にも、「随意の善行」として定められていましたから、宴席の人たちは、この事を念頭に、「なんと無駄なことを!」と彼女を責めたのです〔フランス前掲書554頁〕。
 4〜5節は、マルコ10章21節にちなんで、「売って稼(かせ)げたはずのお金」に焦点をあてて解釈する場合が多いようですが、問われているのは、その女性の行為に向ける彼らの非難の「正当性」でしょう〔コリンズ前掲書642頁〕。お金や女性だけでなく、その場で生じた出来事全体への「正しい洞察力」が、その場の全員に問われているのです。
[6]【困らせる】これは「面倒な目に遭わせる」あるいは、少し強く言えば「苦境に立たせる」ことです。彼女にしてみれば、「良いは悪い」と言われた想いでしょう。
【良いこと】「うるわしいみごとな業(わざ)」のことです。イエスは、彼女を「よくやった」と褒(ほ)めたのです。
[7]〜[8]法で定められ、道徳的に公認された「貧者への施し」は、「随意に何時でも」行なうことができます。ところが、「今の時のイエス」への行為は、その時を逃すなら二度と訪れることがありません。高価なナルドの香油を所有していた彼女は、「ほかの誰にもできないことを(「できる限り」の意味)、この私(イエス)にしてくれた」こうイエスは言うのです。
【埋葬の準備】イエスは、かねて預言していたとおり、自分が「罪人として法的に処刑される」ことを予知していました。「罪人扱い」された遺体には、香料を施したり、亜麻布でくるんでお墓に納めるなどの「埋葬の準備」を行なうことが許されません。「埋葬の準備」がされないままの遺体処理は、遺体への侮辱であり、当時のユダヤ人にとって大きな恥でした〔フランス前掲書975頁〕。
 この事を予知していたイエスは、この女性が、「今この時に」自分に行なった行為こそ、自分の遺体への「埋葬の準備」だと理解したのです。ただし、女性自身が、そこまで「先を見通して」塗油を行なったとは想えません。しかし、その献身的な業(わざ)には、彼女自身さえ思い及ばない不思議な深い意味が込められていたのです〔フランス前掲書554〜55頁参照〕。ちなみに、ヨハネ福音書では、イエスの遺体は、ローマ側からの「特別の許可」を得て、丁重な埋葬への準備が行なわれたとあります(ヨハネ19章38〜42節)。共観福音書とヨハネ共同体とでは、埋葬の出来事について異なる伝承が伝えられていたと思われます。
[9]この節は、「アーメン、私はあなたがたに告げる」と、重々しい言い方で始まります。
【世界中どこでも】イエスの十字架を間近にしたこの言い方は、ここで起こった出来事が、「時と所を超越して」いることを表わすもので、イエスの復活を示唆します。9節は、マルコによる編集で付加されたという説もあります〔Davies & Allison. Matthew 19--28. The International Critical Commntary(ICC). T&T Clark (1997) 442〕。
【福音】ギリシア語「ユー/エウアンゲリオン」は、マルコ福音書に9回ほどでてきます。特に、今回との関連では、マルコ1章1節/同8章35節/同13章10節に注目してください。マタイ福音書では「この事の福音」とありますが、これだと、福音の内容が、限定されます。マルコ福音書にも、「この事の」を入れた幾つかの有力な異読がありますが、これは、マタイ福音書に合わせた後の編集です。なお、福音が「宣べ伝えられる」「語り伝えられる」は、マルコ福音書が、文書として伝わることよりも、教会において、聴衆に「朗読され、聴かされる」ことを指すのでしょう〔コリンズ前掲書644頁〕。
【記念として】ギリシア語の「ムネーモシュノン」(記念/記憶)です。ここでのイエスの言葉は、最後の晩餐での「聖体授与」(ユーカリスト)の言葉を想わせます。ただし、最後の晩餐では「アナムネーシス」(想起/記念)が用いられています(ルカ22章19節/第一コリント11章24〜25節を参照)〔フランス前掲書555頁〕。
 
■マタイ26章注釈
[6]〜[7]マタイは、ほぼマルコの記述を受け継いでいますが、「女が(イエスに)近寄り」という言い方をしています。 マルコの「食事の席に着く」をマタイは「(宴席で)身を横たえて席に着く」とイエスの姿勢をはっきりさせています。また、香油を「ナルド」と特定するのを避け、その上で「極めて高価な」と言い換えています。マタイは、マルコ福音書の「(香油の瓶の口を)壊した」を省いています。このため、女性の衝撃的な振舞いよりも、香油の「高い」価値/価格の「損失」のほうに弟子たちの目が向きます。マタイは、「香油を頭に注ぐ」行為に、イエスをメシアとする象徴的な意味を読み取っていたのでしょう〔フランス前掲書974頁〕。
[8]〜[9]マタイは、マルコの「幾人かの人たち」を「弟子たち」と特定し(マタイ19章13〜14節を参照)、さらに、マルコの「300デナリオン」を省いて、「高く」と言い換えています。弟子たちは、おそらく、マタイ19章21節の教えを想い出して〔フランス前掲書975頁〕、互いにつぶやいたのでしょう。
[10]〜[11]マタイは、弟子たちがこそこそつぶやき合っているのをイエスが「見抜いた/察知した」ことをはっきりさせて、その上で、「どうして<この女を>」と、マルコの「彼女」を「この女」と言い換えて、イエスの口調をやや厳しくしています。マタイは、マルコの「するままにさせなさい」を省いて、イエスの言葉を短くはっきりさせています。
 マルコの「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒に居る<のだから>(ギリシア語「ガル」)」とある理由を受けて、マタイは「ガル」を三度繰り返し、「私のための良い業」と「いつも一緒の貧者たち」と「埋葬のための塗油行為」とのつながりを強く印象づけています。
[12]〜[13]マタイは、彼女の塗油行為が、イエスの十字架刑と密接につながると観ています。マタイは、(女性の意図とは関わりなく?)塗油が受難を間近に控えたイエスへの「埋葬への備え」の先取りであることをはっきりさせています〔ノウランド前掲書1055頁〕。
 
■ルカの塗油物語
 今回のルカの塗油物語は、以下のように構成されています。
(1)女性による塗油(36〜39節)。
(2)負債のたとえ(40〜43節)。
(3)女性とシモンとの対比(44〜46節)。
(4)罪の赦しと愛への教え(47〜50節)。
  ルカは、イエスのガリラヤ宣教の始めに続いて、マタイによる「山上の説教」と並行する形で、「平地での教説」を配置します(ルカ6章20〜49節)。続いて、百人隊長の僕の癒しと(マタイと共通)、ルカの独自資料(L)からのやもめの息子の生き返りと、洗礼者ヨハネとイエスとの間のメシア問答(マタイと共通)が来ます(ルカ7章1〜35節)。続いて、今回のルカ独自の塗油物語と女性たちの同行(ルカ独自)が語られます(ルカ7章36〜8章3節)。ルカは、そこから再びマルコ福音書へ戻って、種蒔きのたとえを配置しています(ルカ8章4〜15節)。これで見ると、ルカは、今回の塗油物語を含むその前後で、かなり手の込んだ編集を行なっているのが分かります。
 ルカのこの編集から見て、受難物語の始めに置かれたマルコ福音書の塗油伝承と、平地の説教と洗礼者ヨハネの伝承に続くルカ福音書の塗油物語とは、同じ出来事を伝えているのか? それとも、ほんらい、別個の出来事から出ている異なる伝承なのか?という疑問が出ています〔マーシャル前掲書304〜307頁〕。
 今回のルカの塗油物語の内容それ自体にも、いろいろな問題が提起されています。女性の塗油と借金問答に続いて、女性によるイエスへの愛の深さと、ファリサイ派シモンのイエスへの愛の欠如とが比較対照されますが、愛の大少ともてなし方の優劣とは、そんなに関係するのか?という疑問も生じます。なによりも、女性の愛の行為は、「赦された結果」から出ているのか? それとも、「赦される理由」になるのか?そのどちらにも受け取れます。「罪深い」が娼婦を意味するなら、イエスの当時の娼婦の社会的立場と、当時の宴席での慣習と、塗油の意味と、これらのつながりが問われます。この物語の女性は、初対面ではなく、すでにイエスと旧知の間柄にあったのに、ルカはこのことを省いているのではないか? こういう疑問も出ています。このように、ルカのこの物語には、様々なモチーフが重層していますが、塗油の物語とイエスのたとえとのつながり方が「不手際だ」という批判もあります〔マーシャル前掲書307頁参照〕。
 これらの事情を考慮すると、イエスが「罪人の友」であることを伝えるルカのこの物語は、もとは、ある娼婦にかかわる話であった。物語に続くたとえは、ほんらい別のもので、ルカ7章40〜43節のたとえは、ルカによって物語に追加された。47節もほんらい別の伝承からである。こういう想定も含めて、「諸説紛々」(しょせつふんぷん)〔ボヴォン前掲書290頁〕の様相です〔マーシャル前掲書304〜306頁参照〕。
 これに対して、こういう「伝承の多様性」を否定して、物語は、全体として同一の伝承を受け継ぐまとまりを見せているという見解があります。今回の塗油の物語は、マタイの山上の説教と並行するルカの平地での教説と(ルカ6章20〜49節)、ルカの独自資料(L)からのやもめの息子の生き返りと、神の救いと福音の媒体者とは誰かを語る洗礼者ヨハネとイエスとの間のメシア問答(7章1〜35節)を受けています。その上で、ルカは、独自の資料から、塗油の物語とイエスのたとえの両方を併せて、これを一貫した「シンポジウム様式」でまとめている。こういう見方があります〔ボヴォン前掲書290頁〕。
 「シンポジウム様式」とは、プラトンの『饗宴(きょうえん)』(ギリシア語原題「シュンポシオン」)に由来する様式のことです。『饗宴』の舞台は、紀元前400年頃のギリシアのアテナイ(アテネ)で、悲劇詩人アガトンの屋敷で祝賀の宴会が行なわれた時に、幾人かの論客たちが招かれ、そこにソクラテスも途中から参加します。客の一人エリュクシマコスから、「愛の神エロース」について語り合おうと提案され、これを受けて、論客たちが一人ずつ「エロースの神」について賛美を語ります。最後にソクラテスが、先のアガトンの説について問いを発します。ソクラテスは、それから、ディオティマという賢明な女性から聴いた話として、「エロース」について語ります。プラトンのこの『饗宴(シュンポシオン)』の様式は、以後、「シュンポジウム」"symposium"(討論会/談話会)として、その様式が欧米に受け継がれることになります。
 ルカもその当時知られていたこの「シンポジウム」様式を採用して、シモンの家での宴会の席へイエスが招かれる場面を設定し、途中から女性を登場させて塗油を行なわせ、ファリサイ派シモンとイエスとの問答を導き出します。イエスの問いかけに、シモンは、師イエス(40節)の問いに対して、自分の意図に反して、「正しい」答えを出さざるをえません(43節)。その結果、塗油の女性と比較対照されて、「教える」ファリサイ派が学ぶ者となり、ついに、愛の足りない低クラスへ転落するという皮肉な結果になります。
 ルカの伝える塗油物語も、マルコ=マタイと同じ出来事から出た単一の口頭伝承に基づくものです(「アラバストロン/シモン/デナリオン」など共通する用語)。この口頭伝承は、その後、「聖者列伝」の伝統によって変容を受けます。愛は、赦しの結果か?赦しへの理由か?をめぐり、物語とイエスのたとえとのつながり方が「不手際」だと言われるのは、その伝承過程での変容のためです。ルカは、繰り返しを避けるために、受難物語では、この伝承を省いたのでしょう〔ボヴォン前掲書291頁〕〔マーシャル前掲書307頁参照〕。
■ルカ7章注釈
[36]【あるファリサイ派の人】「ファリサイ派」と明記しているのはルカだけです。イエスは、社会的身分の高い人には、それなりに接していることを示すものです。同様の状況はルカ11章37節にも、同14章1節にも出てきます。
【食事の席に着く】マルコと同じに「身を横たえる」(原語「カタケイマイ」)ことです。マタイだけは、「食卓に片肘を置いて横になる」(原語「アナケイマイ」)とあり、当時のギリシア風の宴席の身の置き方を伝えています。ルカも同様の姿勢を念頭においています。
[37]【罪深い女】「すると見よ」で始まるこの節は、女性の入室が全く突然であったことを意味します。「罪深い女」はルカだけです。「この町に」とあるのは、当時の社会で「娼婦」とされていた女性であることを意味します〔ボヴォン前掲書293頁〕。他の男性と通じた「姦淫/不倫の妻」だという説もありますが。「娼婦」が、ファリサイ派の家での宴席に無断で入り込むのは、当時の社会通念では考えられない大胆な行為です。「ファリサイ派」が繰り返されていますが、娼婦であることそれ自体が、とりわけファリサイ派の教えに反するという意味ではありません〔マーシャル前掲書308頁〕。むしろ、その後のイエスのたとえによる成り行きを暗示するためでしょう。
[38]ルカは、マルコ=マタイに比べて、女性の行為をより明確に描いています(「(容器を)持ち込んで」)。イエスは、左肘を食卓に置いて、足を伸ばして横たわっていたと思われます。女性は、イエスの後ろに立ったのでしょう。彼女は、感極まって、イエスの足に涙を落とすと、衝動的に自分の髪を解いて、イエスの足を拭ったのです。足を拭う行為は、恩師などへの「敬意」の表われですが、それ以上に、このような宴席で、女性が自分の髪の毛を用いたり、足にキスするというのは、当時の社会では考えられない「思い切った」行為です。しかし、イエスは、これを「最大の敬意」だと受け容れています〔マーシャル前掲書308〜309頁〕〔ボヴォン前掲書295頁〕。このような行為は、おそらく、女性自身も意図しなかったことでしょう。ルカはこれを「罪赦された者」による嬉しさのあまりの改悛から出た行為と見なしています。
[39]ファリサイ派シモンは、女性の行為に憤慨する以上に、「この男は預言者でないな」と、イエスの「理解(認識)不足」を蔑(さげす)んでいます。ところが、シモンの「理解/誤解」は、イエスに見透(みす)かされて、シモンは、思いもよらない仕方で、自分の「認識不足」を暴露されることになります。
[40]【言いたいことがある】「わたしからあなたへ」が強調されていて、ここから、イエスが、その場の対話を取り仕切ります。これに対して、シモンは、イエスを「先生」と呼んで、教えを聞く立場になります。ルカ福音書では、イエスの弟子以外の人が、この呼び方を用いる場合が多いようです〔マーシャル前掲書310頁〕。
[41]〜[42]金貸しと負債者の関係は、ユダヤ社会では日常的ですから、両者の関係は、「罪の負債」という諺(ことわざ)としても知られていました。金の貸し手と借り手のたとえは、マタイ18章21〜35節にも出てきます。そこでは、王(神)が貸し手で、家来(人)が借り手で、そこでも「罪を犯した(加えた)者」への「負債免除」(赦し)が語られます。しかし、今回のルカ福音書のたとえでは、負債免除が「(神と人との)愛」と関連して扱われているのが特徴です。
 イエスは、(ちょうどソクラテスのように!)シモンとの語らいを閉ざさないよう配慮しながら、イエスと罪の女性との間の出来事について、シモンが思いもしなかった「全く新たな真実/現実」の認識へ彼を導き入れます〔ボヴォン前掲書295〜96頁〕。
【帳消しにする】字義通りには、「両方一緒に赦免した」です。「恵みを与える/気前よくする」(ギリシア語原語「カリゾマイ」)を借金の帳消しに用いるのは異常です。「カリゾマイ」は「多くの目が見ない人たちに視力を<賜わった>(原語「カリゾマイ」)」(ルカ7章21節)でも用いられています。ルカは、この語で、「神の終末的な赦し」を言い表わそうとしています〔ボヴォン前掲書296頁〕。
【愛する】これの原語(ギリシア語)の「アガポー」は、この場面では、負債が赦免された寛大な慈悲に「感謝する」の意味で用いられています。しかし、ここでの「愛する」は、今ファリサイ派シモンの眼前で生じている出来事の真意を彼に悟らせる「転換」となる内容を秘めています。この意味で、「愛する」は、ここで、「罪の赦し(への感謝)から(神への)愛へ」という「神学的な意義」を啓示しています〔ボヴォン前掲書296頁〕。なお、古代のヘブライ語の「ヤ(ー)ダー/トーダー」(感謝する)についは、この章の末尾の【補遺】感謝と賛美「ヤーダー」と「トーダー」を参照してください。
[43]【思います】「〜のように受け止めます」とやや用心深く答えています。ファリサイ派での教義問答では、自分の答えが「適確でない」ことを恐れて、しばしばこういう答え方をします。シモンは、罠にかかったらしいと、自分でも「気乗りしない」答え方をしたのです。
【そのとおり】「全く正しい」というこの言い方は、ソクラテスが弟子との問答で、しばしば用いる言い方です〔ボヴォン前掲書296頁〕。これはルカによる編集でしょう。
[44]〜[46]イエスは、この段階で、聴衆の目をシモンから女性のほうへ向け変えます。以下でのシモンの「いたらなさ」は、あくまで、女性との比較においてですから、当時の慣習に照らして、シモンのもてなし方が「お粗末だ」というのが、ルカの記述の主意ではありません〔マーシャル前掲書311頁〕。
【足を洗う水】徒歩での長旅の後で、旅行者の「足を洗う」のは、しばしば行なわれた慣習です。洗足は、とりわけ、家の奴隷がその家の主人に行なうべきことでした。しかし、客への応対として、通常行なうべき作法であったとは言えません。
【接吻する】来訪の客への軽い接吻は、ギリシアで行なわれた応対の仕方ですが、当時のパレスチナでは、接吻が抜けていたから、客の応対がおろそかだとは言えません。
【頭にオリーブ油を】オリーブ油は、ナルドの香油に比べるとはるかに安価です。しかし、客に塗油をするのが、客への通常のもてなしの作法だとは言えません。ルカ福音書では、 「イエスの足」が四度も繰り返されています。身を横たえたギリシア風の宴席では、女性の立ち位置から、これが自然な振舞いだからでしょう〔Joseph Fitzmyer. The Gospel According to Luke I--IX. Doubleday(1979)691.〕。しかし、頭ではなく足に塗油をして接吻するのは異常な振舞いだと思われたでしょう〔フイッツマイヤー前掲書691頁〕。
 45節の「入った」は、動詞が一人称で、イエスのことになっていますが、この動詞を三人称単数女性形に読み替える異読があります。これだと、イエスの入室からしばらくして、「彼女が入ってきた」ことがはっきりします。アラム語の動詞のギリシア語への訳し間違いだという説もあり、写筆の際に"--then"を"--thon"と間違えたという見方もあります。
[47]イエスがここで語る主旨は、二つに大別して解釈することができます。
(1)それだから、私は言っておく。彼女の罪は、多いけれども、赦された。だから彼女は多く愛する。[NRSV]
(2)そこでわたしは言う。彼女が示した大きな愛は、その多くの罪が赦された証(あかし)である.。[REB]
 (1)の愛の理由よりも、(2)の愛の根拠のほうが、この場に合致すると言えましょう〔フイッツマイヤー前掲書691頁〕〔マーシャル前掲書313頁〕〔ボヴォン前掲書297頁〕。
[48]マルコ=マタイのここでの「赦される」(現在形)ではなく、ルカは「(すでに)赦されている」(完了形)を用いて、女性の悦びの大きさを示唆しています〔ボヴォン前掲書297頁〕。48節は、伝承の過程で挿入されたと思われますが、マルコ2章5節=ルカ5章20節から出ているのでしょう。                      
[49]
この段階で、人々のイエスに対する見方が、単なる「預言者」を超えて、より大きな「メシヤ/キリスト」観に達したと見るべきでしょう。
[50]ルカはこの物語を「(イエスへの)愛」で終わらせずに、さらにイエスの言葉を続けて、彼女の「愛」を「信仰と救い」に結びつけています(ルカ17章19節を参照)。神の絶大な赦しに伴う人の感謝と愛は、イエスが、その生前に癒しの業などで人々に証ししたことであり、イエスは、その受難を通じて、この「赦しと愛」を人々の間に実現させたのです〔ボヴォン前掲書298頁〕。
                    ベタニアでの塗油へ