■補遺
 
            感謝するから愛するへ
  〔TDOT(5)427〜443頁〕(2023年7月21日)
 
 旧約聖書で、「感謝する」「賛美する」(ヘブライ語の「ヤーダー」から)は、聖書の言葉を司祭の朗読に合わせて唱えたり、合奏隊の楽器の演奏に合わせて声に出して賛美を歌うことですが、「ヤ−ダー」のほんらいの意味は、心の想い、とりわけ自分の罪を「告白する」ことです(詩編32篇5節)。この「ヤーダー」は、 ヘブライ語以外では、アラム語(ダニエル書2章23節「ヤーダー」の分詞形名詞)とアラビア語のみで、旧約では、動詞として100回ほど、名詞として30回ほどでてきます〔TDOT(5)428頁〕。
 「感謝する/賛美する」は、動詞「ヤーダー」の使役態(ヒフィル)の「ホーダー」(感謝/賛美/告白させる)です。「ホーダー」は、詩編など、韻文に多く用いられますが(詩編44篇9節/同79篇13節/同105篇1節/同106篇1節と47節)、希に散文にも「賛美/感謝を歌う」の意味で出てきます(歴代誌上16章41節 )。
 「ヤーダー」の名詞は、動詞の使役受動態(ヒトパエル)の「ヒトヤダー」から出た「トーダー」です(詩編26篇7節/同42篇5節/同97篇12節)。これは、感謝・賛美・告白を「させられること」です〔TDOT(5)432〜434頁〕。「告白する」のほんらいの意味は、誰かの言うその「同じ事を声に出して言う」ことですから、「感謝」も「賛美」も、たとえば「ハレルヤ」のように、主の霊のお働きを受けて、霊が「語らせるままに」声に出して感謝し、賛美することです。このような「神への賛美の誓い/宣言/告白」としての「感謝(する)」は、古代のアッカド語とヘブライ語の特徴で、英語の"thank"「感謝(する)」には含まれない意味です〔TDOT(5)430頁〕。
 ただし、筆者(私市)の見るところ、現代では、イスラエルの「トダ」も、「サンキュー」(英米)も、「有り難う」も、「メルシー」(フランス)も「グラッツェ」(イタリア)も、「謝々(シェシェ)」(中国)も「カムサハムニダ」(韓国)も、イスラムの「ショコラ」も、対等な人同士の間で、相手の好意への謝辞として普通に用いられています。ただし、日本語の「有り難い」は、古来、「上様のご厚意有り難き幸せ」のように、「もったいない」「畏れおおい」の意味をも含みますから、英語の「サンキュー」とは異なって、カミガミや王室の「御加護への御礼(おんれい)」という祭儀的な内容も込められています。この意味で、「有り難い」は、古代のヘブライ語に通じるところがあるでしょう。
 旧約聖書の「告白する」には、「人間に禍(わざわい)をもたらす罪を暴く」の意味もありますから、自分が受けている迫害や恐れから「救出される」ように「祈り求める」、あるいは、「自分の犯した罪」への悔い改めの告白という宗教的な想いが「ヤーダー」(感謝する/賛美する)に関わっています〔TDOT(5)430〜31頁〕。
 名詞の「トーダー」(賛美/感謝)は、神による「病の癒しと命の保全」という個人への恵みだけでなく、国の滅亡に関わる苦難からの「新たな救出」をも喜ぶことです。「ヤーダー」のヒフィル態命令形の「ホドゥ」(賛美せよ)は、詩編100篇4節に見るように、一時的な「感謝/賛美」(名詞「トーダー」)から、永続性を帯びる「賛美せよ/感謝せよ」へ変じることになります〔TDOT(5)433頁〕。
 「感謝する/賛美する」の動詞には、「キー」(なぜなら/そのゆえに)で始まる節の文が続くことが多く、節文の内容は、感謝を呼び起こすような「(過去の)出来事/体験」が語られる場合と、感謝と賛美を動機づけるような「未来への希求」を内容とする場合とがあります〔TDOT(5)434頁〕。とは言え、「実に/まことに」と体験と希求の両方を含む言い方もあります。歴代誌上16章41〜42節では、楽器を鳴り響かせる合奏隊が任命されていますが、これは、「主の慈しみはとこしえであるから/ことを、主(ヤハウェ)に賛美し告白するために」と歌うのに合わせて合奏するためです。ちなみに、ここの「賛美する/告白する」は、「ヤーダー」の不定詞(コンストラクト形)です。
  詩編9篇2〜5節では、「主に感謝を捧げよう」とあり、続いて、「私の敵は退き、倒れ、主の前から滅び去ったのだから」と「キー」で始まる節文が続きますが、この節文は、「(敵は)退き滅び去る<であろう>」と未来の希求にもなりえる文体です。「キー」で始まる付属の節文では、悦びと感謝のあまり「感極まる」ことがあります(詩編9篇2〜5節/詩編67篇4〜6節)。 赦されて知る罪の重さと、そこから湧く感謝(ヘブライ語の「トーダー」)の想いは、新約で言えば、「罪の女」の振舞いが、まさにこれに相当するでしょう(ルカ7章36節以下)。イエス様から注がれる愛する(ギリシア語の「アガポー」)心こそ、深い怨みに打ち勝つことができる唯一の「愛」(アガペ−)のお働きです。
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