【注釈】
 今回は、「主の晩餐」を扱います。弟子たちが過越にちなむ食事の準備をしてから、イエスの一行は、「最後の晩餐」(The Last Supper)を執り行ないます。イエスは、その席で、ユダによる裏切りを予告しますが、「主の晩餐」(The Lord's Supper)と呼ばれる大事な制定を行ないます。マルコ福音書とマタイ福音書は、最後の晩餐それ自体については、ごく簡単に触れるだけです(マルコ14章17節/マタイ26章20節)。ルカ福音書は、最後の晩餐と主の晩餐を一つにまとめて描き、その終わりに、ユダの裏切りを続けています(ルカ22章13~23節)。
 「主の晩餐」(The Lord's Supper)は「聖餐」(The Eucharist)とも称されます(Shorter Oxford Dictionary)。「主の晩餐」で、イエスは、パンとぶどう酒とを自分の「からだ」と「血(命)」として、弟子たちに授けました。イエスによるこの出来事を想起するために、キリスト教会では、現在も「聖餐」(The Eucharist)を守っています。なお、「最後の晩餐」とユダヤ教の「過越の食事」との関係、また、共観福音書とヨハネ福音書の記述に関する問題などは、この192章末の「*しるし」を参照してください。
 イエスは、「主の晩餐」"the Lord's Supper"を「最後の晩餐」"the Last Supper"から区別して、「主の晩餐」では「イエスの死」を告げ知らせ、過越の小羊にちなんで自分の肉と血を「多くの人の罪の赦しのために」授与する「新しい契約」を成立させます。
 イエスが、どのような思いでパンとぶどう酒を弟子たちに与えたか、弟子たちは、それらをどのような思いで受け取ったかは推測の域を出ませんが、弟子たちは、イエスの受難が間近に迫っていることを感じ取ったに違いありません(ヨハネ13章36節~同14章14節を参照)。ヨハネ福音書には、パンについて、「わたしは天から降ってきた命のパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンは、世を生かすためのわたしの肉である」(ヨハネ6章51節)とあり、ぶどう酒については、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっているなら、(ぶどうの樹液が枝に流れるように)(私の血が)その人に流れ、枝がたくさんの実を結ぶように、その人はイエスの命を宿す多くの人を生み出す」(ヨハネ6章5節を意訳)とあります。
■マルコ14章
 マルコの描写は簡潔ですが、そこには、主の晩餐に不可欠な動詞が含まれています。それらは、「(手で)取り上げる」「(神に)感謝する/祝福する」「(パンを)裂く/割く」「与える/授ける」の四つで、これらの動詞は、先の五千人へのパンの授与でも用いられています(マルコ6章41~42節)。マルコの記事には、イエスの命令「私への記念としてこのように行ないなさい」(ルカ22章19節)がありませんが、イエスのこの真意は、「(あなたがたは)受け取りなさい」(22節)の一言に含まれています〔R.T.France. The Gospel of Mark. NIGTC. The Paternoster Press.(2002).567--68.〕。
[22]【一同が食事を】
 今回の段落(22~25節)は、最後の晩餐と直接にはつながらない構成になっていますから、18節前半が、22節の冒頭でも繰り返されます。おそらく、この段落は、マルコが使用した「前マルコ福音書」の資料になかったもので、ここは、独立した伝承だったと思われます(Adela Yarbro Collins. Mark. Hermeneia.Fortress Press(2007) 654 )。
【イエスはパンを取り】
 最後の晩餐は、その祭儀的な意義において、当時のユダヤ教の「過越の食事」に「ちなむ/倣(なら)う」ものでした。だから、ニサンの月の15日に行なわれたユダヤ教の正規の{過越の食事」ではありません。当時のユダヤ教の過越の食事には、14日の午後に犠牲として屠られた小羊の肉と、種入れぬパンとが饗(きょう)されました。しかし、共観福音書が伝える最後の晩餐では、14日の午後に、実際に祭司によって屠られた小羊の肉が「あった」という記述はありません。おそらく「なかった」と思われます〔France. The Gospel of Mark. 568./Note(48)〕〔W.D.Davies and D.C. Allison. Matthew 19--28. Vol.3. T&T Clark.(1997))469.〕。最後の晩餐が、15日の過越の食事に「見立てた」食事であったとすれば、そこに出されていたパンは、種入りのパンであったと思われます〔France. The Gospel of Matthew. 991.〕(晩餐を準備したその家の特別の配慮によって、除酵祭と同じ種なしパンであったと考えられなくもありませんが)。イエスのここでの仕草は、「過越の食事」の作法通りではなく、ユダヤで日常行なわれていた家長の仕草だとされています〔前掲書〕。神殿で屠られた小羊の肉は、まだ出ていませんが、過越にちなんでいるとすれば、その家で焼かれた羊の肉が出ていた可能性もありましょう。
【賛美の祈りを】
 ギリシア語の原語は「ユーロゴー」(賛美する/祝福する)です(ルカと比較)。五千人へのパンの供与では、イエスは、「天を仰いで(祈り)、(パンと魚を)祝福して」、(パンを割いて)弟子たちに配らせています(マルコ6章41節)。ただし、四千人への供与の場面では、七つのパンを「感謝して(ユーカリストー)、裂いて」います(マルコ8章6節)。マルコの頃(70年頃)の教会では、聖餐の祭儀に、「祝福する」と「感謝する」のどちらも用いられていたのでしょう。
【これはわたしの体である】
 マタイとルカのほうは、「(からだ)である」の動詞(英語の"be")が明記されていますが、マルコ福音書では、「である」が抜けている版があります。中世の神学では、聖餐に際して、パンとぶどう酒が、キリストのからだと血に、(実際に物理的な意味で?)「変質し変貌する」と信じられました。こうなると、パンとぶどう酒それ自体が、魔術的な呪術性を帯びることにもなりかねません(悪用されるおそれが生じます)。16世紀の宗教改革で、ルターは、中世の聖餐への神秘思想を受け継ぎますが、ルターよりもいっそう強く政治・社会体制を変革しようと意図するツウイングリたちは、ルターの聖餐論を批判して、パンとぶどう酒は、キリストの体と血を表わす「象徴」"symbol"に過ぎないと主張しました。キリストのからだと血が、パンとぶどう酒に「実在するのか、しないのか?」というこの論争は、自然科学的な意味での「存在論」(オントロギア)ではなく、神の言葉が語られるところには、神が「臨在する」(ヘブライ語の「ハーヤー」)、という「臨在論」(ハヤトロギア)によって解決することができます(コイノニア会ホーム・ページで、共観福音書補遺欄の「ハーヤーすること」を参照してください)。「(私の)からだ」は、アラム語の用法では、「自身」を指す言い方ですから、「わたしの体」とは、「私自身」を意味すると考えられます〔W.D.Davies and D.C. Allison. Matthew 19--28. Vol.3. T&T Clark.(1997))471.〕。
[23]【感謝の祈りを】
 「パンを取り」に対応して、「杯を取り」とありますが、これに続く言葉は、「賛美/祝福する」ではなく、「感謝する」です。イエスの頃のユダヤ教の儀式では、祈りの際に、このような言い換えが行なわれることは珍しくありませんから、イエス自身が語った言葉が受け継がれ、マルコの頃にも、聖餐の祭儀では、両方の言い方が用いられていたと思われます。「感謝する」(ユーカリストー)は、The Eucharist(聖餐)として、教会に受け継がれています。
 「(イエスの)体を食べる」こと、その「血を飲む」こと、こういう禍々(まがまが)しく、おぞましい行為をマルコは「(あなたがたが)受け取りなさい」と「与えた」と「(弟子たちは)飲んだ」と、三つの動詞でごく簡単に記しています。弟子たちがそれを拒んだ様子も、怖(お)じ惑(まど)う様(さま)も描かれていません。このことは、イエスがパンとぶどう酒を授けるにあたって、かつてイスラエルの民がエジプトで体験した恐ろしく禍々(まがまが)しい「実際の出来事」が、「過越の食事」として「祭儀化される」ことで、長年イスラエルに伝承されてきたことと関係します。イエスの「主の晩餐」での行為が、イスラエルの「この祭儀」を継承していることを悟ることで、弟子たちは初めて、イエスから、その「からだと血」を「受け取る」ことができたのでしょう。パンとぶどう酒が、過越の祭儀のように「かつて起こった」出来事ではなく、「これから起こる」出来事を予想させることも、イエスの勧めを受け容れやすくしていると言えましょう。マルコの簡潔な記述は、イエスが、最後の晩餐とこれに伴う主の晩餐を過越の祭儀と重ね合わせた真意を悟らせてくれます。この記述は、マルコ福音書の資料とは別個に、マルコが関わっている(ローマ市内の?)教会の聖餐を支える伝承から出ているのでしょうか。
【杯】
 ユダヤ教では、「杯」は、神がその人に与える「定め/運命/使命」を表わす表象としても用いられます(詩編11篇6節/同23篇5節/エゼキエル書23章33節を参照)。「死の苦(にが)い杯」は、前100年~前50年頃の『アブラハムの遺訓』16章に出ています。イエスは、ゲツセマネで、「(これを)取り除いてくださるよう」祈っています(マルコ14章36節)〔F.Bovon. Luke 3. Hermeneia. Fortress Press (2012).159--160.〕。
[24]【流されるわたしの血】
 「注ぐ」の原語を綴り通りに表記すれば、「エッケオー」で、「注ぎ出す/流し出す」です。「血」は、その「からだの命」を表わします(創世記9章4~5節)。ここは、動詞の受動態完了形ですから、原文では「これこそ、流される/注がれるわたしの血であった」です。だから、イエスは、この言葉を弟子たちが杯から飲んだ<その後で>語ったことになります。杯をまわして飲んだ後の弟子たちは、イエスの言葉から、イエスの受難と死をそれだけ強く印象づけられたでしょう。「注ぐ/流す}は、祭壇で注がれる小羊の血をも連想させます。
 なお、「契約の(血)」には、「新しい契約(の血)」という異読があります。これは、ルカ22章20節から転用した後の編集でしょう〔Collins. Mark. 656. 〕。この「契約の血」は、シナイ半島で、モーセに率いられたイスラエルの民とヤハウェ神との間に結ばれた従来の「契約」(出エジプト19章5~6節)と対照されます。「新しい契約」という言い方は、捕囚期以後の時代に、エレミヤ書31章31~33節で預言されている言い方から出たと思われます。「新しい契約」は、パウロの第一コリント11章25節(54年頃)が、文献的に確認できる最初の例でしょう。マルコの版では、「新しい」が抜けていたと思われますから、聖餐に関するイエスの言葉伝承に「新しい」が用いられたという確証はありません。 しかし、マルコが伝えるイエスの言い方には、従来の過越の祭儀が伝える契約を超える「革新的な契約内容」が込められていたのは間違いありません〔Collins. Mark. 656.〕。
【多くの人のために】
 この言い方は、ユダヤ教の犠牲の祭儀で、伝統的に唱えられた言い方ではありませんが「~ために」とは、
(1)神との契約(の祭儀)に伴って、「(神にある)共同体のメンバー」として正式に容認されることを指します。
(2)「~ために」には、契約に与る人々の「身代わりになる」"on behalf of..."ことで、「(彼らへの)贖(あがな)い」の働きをすることも含まれます。下記のマタイ26章28節を参照。
(3)加えて、主の晩餐での契約では、「受難する義人」に具わる「正義」を神が証(あか)ししてくださること(vindication)が約束されているのも見逃してはなりません〔Collins. Mark. 656.〕。
[25]この節は、前節の「血の注ぎ」と「契約」が意味するその内奥だけでなく、これを「時期的に」解き明かそうとするものです。
【もう飲まない】
 前節は、「ぶどうの実からできたものを飲む」祭儀行為が、「多くの人のために流す(血)」を「(神への)犠牲の捧げもの」として戴(いただ)くことだと告げています。25節は、「ぶどうの実からできたもの(ワイン)」が、パンと共に、終末的な意義を帯びていることを示します〔France. The Gospel of Mark. 572.〕。「もう飲まない」は、差し迫るイエスの死を予期させますから、パンとぶどう酒は、この地上で、イエスと弟子たちが、共に交わる「最後の時」をも表わします。
【神の国で新たに飲む】
 25節は、イエスの差し迫る「死」と、これに伴う「しばらくの不在」を予告し、続いて「人の子として復活する」時が来ると告げています〔France. The Gospel of Mark. 613.〕。その上で、この一連の出来事を通じて、人類の歴史の終末における「神の国の成就」も視野に入ります。「神の国で、ぶどうの実からできたものを新たに飲むその日」とは、古来のイスラエルの伝承では、「メシアが到来する時に共に宴会に与る」ことを指します。以下、参考までに、神の国の到来と宴会にかかわる伝承を引用します〔France. The Gospel of Mark. 572.参照〕。
【神の国の到来と宴会】
(1)申命記33章28節(捕囚期の前6世紀)。ここには、モーセからイスラエルのユダ部族に与えられた預言として、「天から降る露によって、穀物とぶどう酒の土地で平和が与えれる」とあります。
(2)イザヤ書25章6節(前5世紀?)。ここは、捕囚期以後の第三イザヤによる預言で、極上のぶどう酒による終末的な祝宴が預言されています。「主(ヤハウェ)の山で、すべての民のために、極上のぶどう酒にあずかる祝宴がひらかれる(時が来る)」とあり、さらに、この祝宴では、「死者のよみがえり」(19節)と共に、「苦難によって殺され流された(義人たちの)血」(21節)の意義が、人々の前に露わになるとあります。
(3)イエス様語録(Q文書:成立は60年頃?)には「私が、神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたの所へ到来している」(マタイ12章28節参照)とあり、イエスがこの地上に現われたことそれ自体が「神の国」の到来を意味すると証ししています。
(4)イエス様語録(Q文書13・28~30)に「東から西から諸民族が来て、アブラハムやヤコブやイサクと神の国で宴会にあずかる」(マタイ8章11~12節=ルカ13章29節)とあります。
(5)マルコ4章26~27節には、「神の国は絶えず成長し続けている」とあり、神の国が「その力をほんとうに発揮する」(マルコ9章1節)時をイエスの十二弟子たちが生存中に体験するとあります。
■マタイ26章
 マタイの記述は、ほぼマルコのそれに準拠しています。しかし、以下に見るように、マタイ独自の解釈をも加えています。
[26]マタイは、改めて、主語の「イエス」(冠詞付)を明確に出すことで、ここの記述が「主イエスの聖餐」に関わることを読む/聞く人に強く印象づけようとしています。だから、マタイは、マルコ福音書のイエスの「受け取りなさい」に、「(これを)食べなさい」を加えています。「食べなさい」は、後出の「飲みなさい」と共に、マタイの所属する教会で(北シリアで80年代に?)、聖餐授与の祭儀で、司祭によって使われていたと考えられます〔France. The Gospel of Matthew.992〕〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』(Ⅰの4)小河陽訳。教文館(2009年)127頁〕。マタイもマルコの「(わたしの体)である」を踏襲していますが、これは、パンが象徴的な意義を帯びていること意味するものです。ちなみに、パンをイエス自身(の体)として「噛みしめて食べる」ことをはっきりと言い表わしているのはヨハネ6章47~51節です。マタイとヨハネ福音書との関係は、よく分かりません。
[27]「飲みなさい」という命令は、マルコの記述にはありません。イエスは、一つの杯を全員が回し飲みをするよう命じています。ユダヤ教の過越の食事では、食事の際に、(四つの?)杯が、食卓の一人ひとりそれぞれに用意されていて、その際に、「私たちの主なる神、世界の王、ぶどうの実を造られる方よ。あなたは褒(ほ)むべきかな」という祈りが唱えられました。通常、二番目の杯の際に、家長から、ぶどう酒(の杯)についての説明がなされましたから、ここの杯への言葉もこれにならうという説があります。ただし、イエスの杯は、三番目の杯の後だという説もあります〔France. The Gospel of Matthew. 993〕。
[28]原文の冒頭をあえて私流に訳せば、「なぜなら、これは、私の契約の血なのだから」です。「なぜなら」は、前節の「飲みなさい」という命令への説明です。ユダヤ教の過越の食事では、犠牲として献げられた小羊の血は、家々の入り口(の鴨居)に「塗る」ためのものでした(出エジプト記12章22節)。ところが、イエスは、己の命である「血」の象徴を「飲む」ように命じています。仮にも「血を飲む」行為は、ユダヤ教では固く禁じられていました(レビ記3章17節/同7章27節)。だから、イエスがぶどう酒を「自分の血として飲む」ように命じたのは、弟子たちにとって、相当にショッキングなことであったと思われます(ヨハネ6章53~54節と同60節を参照)。マルコの記述について指摘したとおり、イエスが、その行為を「祭儀化する」ことで初めて、弟子たちもこれを「受け取る」ことができたのです。「受け取って食べなさい」、「みんなで、この杯から飲みなさい」のように、マタイのイエスは、マルコよりもいっそう生々しく発言しています。さらに、マタイの記述では、最後の晩餐と主の晩餐とが、時間的に「間を置いて」います〔Davies and Allison. Matthew 19--28. 471.〕。マタイのこの記述は、彼の教会で行なわれている聖餐の祭儀と、司祭が実際に語る言葉とを念頭においているのでしょう。「食べて飲む」という祭儀行為は、出エジプト記24章11節で、モーセによる「契約の血」の祭儀に与った民の長老たちが、「神を観(み)たので、彼らは食べ、かつ(ぶどう酒を)飲んだ」とあることにも由来します。ちなみに、出エジプト記24章6~8節のモーセによる民への祭儀は、ヘブライ9章19~20節でも言及されています。
 なお、 イエスは、「(血を飲む)この異常な勧め」(フランス前掲書)への説明として、「(血による)贖い」の働きをあげていますが、この「贖い」には、以下の三つが含まれています。
(1)血の契約(出エジプト記24章8節)。
(2)「多くの人」のために流される血(イザヤ53章11~12節/マタイ20章28節を参照)。
(3)罪の赦し」とあるのは、主の晩餐の記事ではマタイだけです(イザヤ53章5~8節)、〔France. The Gospel of Matthew. 993--994.〕。マタイは、マルコの「多くの人のために」が指す祭儀的な意義をより明確にするために、「多くの人の身代わりとして、その人々に罪の赦しを授与する」と言い換え補充しています。
[29]この節とマルコ14章25節との違いをあげると、「アーメン」→「なぜなら」、「もはやけっして・・・・・しない」→「今からはもう・・・・・しない」、「ぶどうの実」→「このぶどうの実」、「これを飲む時」→「あなたがたと共にこれを飲む時」、「神の国」→「わたしの父の王国」となります。マタイは、前節の「(イエスが)多くの人のために流す罪の赦しの契約の血」を差し迫るイエスの受難と、続く復活と、これに伴う御国の成就という「終末的な時間意識」と結びつけています。「あなたがたと共に」と「わたしの父」は、「共同体意識」を聖餐の祭儀に見ているからです。
■ルカ22章
 マルコとルカの聖餐制定の記事を項目別にして比較対照すると次のようになります。
【マルコの記述】
(1)弟子たちによる過越の食事の準備(14章12~16節)。
(2)食事の最中にイエスへの裏切りを警告(同17~18節)。
(3)十二人への警告と弟子たちの動揺(同19~20節)。
(4)イエスが受難の死を予告(同21節)。
(5)イエスがパンを取り、弟子たちに「わたしの体である」と告げて、「取りなさい」と言う(同22節)。
(6)イエスが杯を取り、「契約の(私の)血である」と告げる(同23~24節)。
(7)「神の国」の到来とぶどうの実への言及(同25節)。
【ルカの記述】
(1)ペトロとヨハネによる過越の食事の準備(ルカ22章7~13節)。
(2)食事の前に)「神の国」の到来とぶどうの実への言及(同14~16節)。
(3)イエスが杯を取り、「受け取って、分け合いなさい」と告げる(同17節)。
(4)「神の国」の到来とぶどうの実への言及(同18節)。
(5)(食事の後で)イエスがパンを取り、使徒たちに与えて「わたしの体である」と告げ、「記念としてこれを行なう」ように命じる(同19節)。
(6)食事の後で、イエスは、杯を取り、「新しい契約の(私の)血である」と告げる(同20節)。
7)ユダによる裏切りを警告(同21節)。
(8)イエスが受難の死を予告する(同22節)。
(9)使徒たちの動揺(同23節)。
【 】は、ルカ版で欠落した部分。
【ルカの記述の特徴】
  マルコとルカの用語の違いを別にして、両者の記述の内容だけを比較すると、
(A)マルコとルカでは、それぞれの(5)~(6)部分が共通して、主の晩餐(聖餐)制定の中核になります。ところが、この共通箇所を中心に観ると、
(B)マルコでは、裏切りへの警告とイエスの受難と死の予告が、食事の最中に、すなわち、聖餐制定の前に行なわれているのに、ルカでは、食事が終わってから、聖餐制定の後に死の予告がきています。
(C)マルコでは、イエスがぶどう酒の杯を与える記事は一度だけですが、ルカでは、聖餐制定の前と、制定の際と、二度に渡っています。ただし、過越の食事では、参加者全員が杯から飲む機会が四回ありますから、ルカの記述のほうが史実に近いと言えましょう〔フランシスコ会聖書研究所訳注聖書のルカ22章17節の注(5)を参照〕。
(D)マルコでは、神の国の到来とぶどうの実への言及が、最後を締めくくっています。ルカでは、イエスは、食事の最中に、(パンと共に?)神の国とぶどうの実について語り、食事の後にも、杯と共に「神の国」について語りますから、二度言及しています。
【欠落部分がある版】
  ルカの今回の部分には、ルカ福音書全体の中で「最も悪名高い」と言われるテキスト批評の問題があります。今に伝わるルカ福音書の写本の中で、ベザ写本と幾つかの古いラテン語の写本では、ルカ22章19節の「あなたがたのために与えられる」と「わたしの記念としてこのように行ないなさい」(原文ではひと続き)が抜けていて、これに続く20節が、その終わりまで欠落しています。
 ルカ版の長い本文のほうは、以下のものがあります〔Novum Testamentum Graece. Apparatus. 276〕。
(1)Bodmer Papyrus XIV (記号は?75)は、スイスのジュネーヴにあるBodmer 図書館所蔵のギリシア語のパピルスの写本で、 ルカ福音書とヨハネ福音書(1章~15章)が含まれています。ギリシア語のやや細い大文字で、頁の上から下まできれいにぎっしりと行が並んでいます。175年~225年の期間に書かれた貴重な写本で、現存する最古のルカ福音書の写本です〔Bruce.. Metzger and Bart D. Ehrman. The Text of the New Testament. Oxford University Press (2005).58--59.〕〔Kurt Aland and Barbara Aland. The Text of the New Testament. Engish translation by Errol F. Rhodes. Eerdmans (1987).101.〕。
(2)シナイ写本(Codex Sinaiticus)(記号はヘブライ語アルファベットの「アレフ」は、4世紀頃のギリシア語の写本で、大英博物館所蔵です。シナイ半島の聖カテリーナ修道院でドイツの神学者ティッシェンドルフ(Dr. Constantin Tischendorf)によって、七十人訳(旧約聖書のギリシア語訳)の部分が発見され(1844年)、継いで。旧約聖書のほとんどと新約聖書の全部が発見されました(1859年)。1行14文字ほどの太い大文字体で、四列の段組で、上から下まできちんと記されています〔Aland. The Text of the New Testament. 107.〕〔Metzger and Ehrman. The Text of the New Testament. 19.〕。
(3)ヴァティカン写本(Codex Vaticanus)は、ヴァティカン図書館所蔵のギリシア語の写本で(記号はB)(4世紀)、旧新約聖書の権威ある綴り本です。
(4)レギウス写本(Codex Regius)(記号L019)(8世紀)は、パリ国立図書館の所蔵です。左右二段の太いギリシア語大文字の綴り本です。
(5)これらのほかに、ギリシア語の小文字で書かれた写本(記号は579)(13世紀)もあります。
短い本文のほうでは、以下のものがあります。
(1)ベザ写本(Codex Bezae)(記号はD)は、ケンブリッジ大学図書館所蔵の5世紀の写本で、四福音書と使徒言行録のほとんどが(第三ヨハネの断片も)含まれています。左側の頁にはギリシア語で、右側の頁にはラテン語で、細かい大文字の行が並んでいます(写筆者はラテン語が母語?)。この写本では、ルカ22章19節の後半から同20節全部が欠落しています。この写本のギリシア語部分は、どのようなギリシア語版からの写本なのか、その原本は不明です〔Metzger and Ehrman. The Text of the New Testament. 71.〕〔Aland . The Text of the New Testament. 109.〕。
(2)古いラテン語訳(記号はff2)(5~6世紀)。
(3)シリア語訳(記号はsy)(7世紀初頭)〔Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. Eerdmans(1978).799.〕。
  なお、そのほかに、長文のほうで、語順が入れ替わった写本や、パピルス文書(の断片)が多数あります〔Nestle-Aland. Novum Testamentum Graece.Apparatus.Greek-English New Testament. Deusche Bibelgesellshaft (2013)276. 〕。
 ルカ版の「長い本文」と、欠落した版の「短い本文」と、どちらがルカほんらいのものか?をめぐり、20世紀~21世紀にかけて論争が続きました〔Marshall. The Gospel of Luke. 799--801.を参照〕。
 ルカ22章19節後半から同20節の終わりまでの欠落部分は、第一コリント11章24節のパンの授与と、マルコ14章24節のイエスによる杯授与の言葉との合体です。その文体はルカ的でありません。現行のルカの「長い本文」では、「神の国」言葉が、16節と18節で繰り返され、杯への言葉が、17節と20節で二度語られます。「短い本文」では、パンよりも杯のほうが先になり、マルコ14章24節の「聖餐制定」の大事な祭儀用語が抜けて、過越の食事としての最後の晩餐と聖餐制定とが一体になります。
 欠落が生じたのはなぜか? その理由として、この欠落部分には、聖餐の際に唱えられる重要は「イエスの御言葉」が含まれていますから、これが「外に漏れる」のを嫌ったからだという説があります。事実、2世紀に、「クリスチャンは人肉を食べている」という悪口がささやかれたことがあります。
 長い本文とマルコの記事とを比べると、マルコの記事のほうはセム的(ユダヤ的)で、史実を伝える伝記的な記述の仕方です。ルカの長い本文のほうは、神の国の到来を重視していますが、マルコの記述よりも祭儀的な特徴が強く出ています。ただし、この事を理由に、ルカの伝える「イエスの言葉」は、ほんらいのものではなく、後の教会による編集だと判断することはできません〔Marshall. The Gospel of Luke. 801.〕。短い本文を支持するギリシア語の写本はベザ写本だけですが、長い本文は、Bodmer Papyrus XIVとシナイ写本とレギウス写本など、信憑性の高いギリシア語の写本が支持しています。
 20世紀の半ば頃までは、「短い本文」を採用する版がありましたが、それ以降は、現在にいたるまで、長い本文のほうを採用する版が圧倒的に多くなりました。長い本文は、記述に重複があり、記述の仕方がやや不自然な印象を与えます。長い本文のほうが、ルカほんらいのものだと判断する理由は、不自然なものから自然なものに編集し直されることがあっても、その逆は考えられないからです。現在の英訳では、New Revised Standard Versionは長い本文を、Revised English Bibleは短い本文を採用しています(欄外に欠落部分を掲載)〔前掲書Nestle-Aland. Novum Testamentum Graece.276. 〕。
【ルカの資料】
 ルカもマルコの記事を参照していますが、ルカ22章15節~18節と同19~20節はマルコ福音書と異なっています。19~20節は、第一コリント11章24節~25節に近いと思われますが、ルカが直接パウロ書簡を参照したものではなく、ルカ以前のルカの独自資料(L)からでしょう。ただし、19節前半の「これはわたしのからだである」はマルコ14章22節からです[Fitzmyer.The Gospel According to Luke.X-XXIV. 1387.]。
 共観福音書の中でも、ルカの記述は、出来事の原因と結果の因果関係を重視しています。主の晩餐(聖餐制定)の部分は祭儀性が強く、この部分は、ほんらい、最後の晩餐と一体であったのが、伝承過程で聖餐制定の部分だけが切り離され、その後再び、受難物語の形成の中で最後の晩餐と結びくという事態が生じたとも考えられます〔マーシャル前掲書〕。
 今回のルカの記事の後半(19節~20節)は、マルコの記事よりも、パウロの第一コリント11章23~26節のほうに近いと見られています。ルカは、マルコ福音書系の伝記的な資料と、ルカ独自の祭儀的な資料(L)とを保持していて、彼は、これら二つの資料を「併せ用いた」と考えられます。「神の国」についての言及が重複するのはこの理由からでしょう〔Bovon. Luke 3. 156.〕。だから、例えば、マルコとマタイの「(パンを)賛美して/祝福して」が、ルカとパウロでは、「感謝して」となっています〔F.Bovon. Luke 3. Hermeneia. Fortress Press (2012).153.〕。
 ルカはマルコの記事を離れて、ルカ22章15~38節を彼独自の資料(L)にもよっています。マルコ=マタイ系の資料は、十二使徒との交わりを重んじるエルサレム系の伝記的な伝承に基づく資料であり、ルカ=パウロ系の資料は、北シリアのアンティオケア系の祭儀化した資料からで、異邦人との交わりが重視されます〔Bovon. Luke 3. 154.〕。
【ルカの記述】
 ルカの今回の最後の晩餐と聖餐制定の記述は、「学者の天国、初心者の地獄(悪夢)」[Joseph A. Fitzmyer.The Gospel According to Luke.X-XXIV. Doubleday(1983).1386.]と言われるほど、混迷を感じさせるところがあります。ルカも、イエスとその弟子たちが、ユダヤ教ほんらいの「過越の食事」を食べたとは明言していません。最後の晩餐で、イエスによる「予期せぬ出来事」が行なわれたことを語っているだけです〔F.Bovon. Luke 3. Hermeneia. Fortress Press (2012).152.〕。しかし、注意深く読むなら、ルカの今回の記述には、次のような四組みのつながりが重層していて、その記述に独特の深みを与えているのが分かります。
(1)出エジプトの出来事を継承する過越の食事から、過越を成就するイエスと十二人の最後の晩餐へ。
(2)終末でのメシア到来を待ち望み、犠牲として献げられる小羊の肉に与る過越の祭儀から、神の国の終末の到来を待ち望んでイエスの体に与(あずか)る祭儀へ。
(3)憎悪と暴力による血なまぐさい流血の死への史的な伝記から、犠牲による(身代わりの)贖いと赦しの祭儀形式へ。
(4)出来事を想起する祭儀から、祭儀を通じて出来事に「誘い込み」、その出来事に「参与させる」パフォーマンスへ。
■ルカ22章
 今回のルカの記事では、ルカ22章15~18節は、マルコとマタイの記事にはありません。15節と同様の趣旨は、マルコ14章25節=マタイ26章29節にもありますが、マルコとマタイでは、イエスのこの言葉が「食事の後」に来ます。ところが、ルカでは「食事の前」に来ます。
 ルカの今回の記事では、過越の食事と最後の晩餐と主の晩餐とが、切れ目なくつながっています。あえて、節ごとに分析すれば、22章14節で、一同が食事の席に着き、同15節で、イエスは、最後の晩餐が過越の祭儀に「ちなむ」ことを語り、同16節で、イエスの受難による「別れ」と終末での御国の成就を告げ、同17節で、イエスは、杯を手に取り、使徒たちに回し飲みするように告げ、同18節で、再び受難の別れと御国の成就が告げます。19~20節は、晩餐の後の「主の晩餐=聖餐」の制定です〔フランシスコ会聖書研究所訳注の編集による小見出しによる〕。最後の晩餐を「過越の食事」だとしているのは、マルコ14章12節とルカ22章15節だけです。最後の晩餐と過越の食事とをこのように同一視するのは、おそらく、キリスト教会による伝承の過程で生じたことでしょう。晩餐の実際の日付については、ヨハネ福音書の晩餐の日付(14日)のほうが、歴史的に適切だと見る説が有力です〔E・シュヴァイツァー『マルコによる福音書』高橋三郎訳。NTDシリーズ。ATD・NTD聖書駐解刊行会(1986年)397頁/398頁を参照〕。
[15]【この過越の食事】
 ルカは、「過越の羊の肉」と「過越の食事」と「過越の祭儀」とを、ひとつにしています〔佐藤研・新井献訳注『ルカ文書』岩波書店(1995年)132~133頁脚注〕。イエスは、字義通りに「過越の食事」の意味で、犠牲として屠られた「小羊の肉を食べる」食事を指しているのでしょうか? それとも、イエスは、正規の過越の食事がかなわないことから、犠牲の小羊の肉がなくても〔Marshall. The Gospel of Luke. 795.〕、弟子たちと共にする最後の晩餐を「過越の祭儀」に見立てているのでしょうか?[Fitzmyer.The Gospel According to Luke.X-XXIV.1396.]。
【切に願っていた】
 原文は、「願いを抱いて願う」で、七十人訳でも用いられる動詞と名詞(与格)の二重の(ユダヤ的な)セム語の強めの語法です。「願う/欲する」には、貪欲と熱い願望という善悪二つの意味があります。共観福音書は、イエスが、なぜそれほど「過越の食事を弟子たちと共に食べる」ことを切望していたのか、その理由を明らかにしていません。ルカ22章15節に続く内容から、「最後の晩餐」は、イエスにとって、弟子たちとの食事の「最後の機会」であり、弟子たちには、過越を受け継ぐこの晩餐が、新たな契約として記念する最初の機会になります。イエスは、十字架の受難を間近に控えて、自分の「死の杯」を「過越の杯」として、弟子たちと共にしたいと「切に願った」のでしょうか?そうだとすれば、その「願い」には、ゲツセマネの願いに見るような、人間的な苦しみもこめられていることになりましょう〔F.Bovon. Luke 3. Hermeneia. Fortress Press (2012).152.〕。
[16]【食事を取る】
 原文は「これ(過越の食事)を食べる」です。この「食べる」は、18節の(ぶどうの実からできたものを)「飲む」と対応しますから、これは過越の食事に出される種なしのパンをも念頭に置いているのでしょう(否定する説もありますが)。
【神の国が】
 「神の国が成就される(時)までは」とは、「神の国が、自(おの)ずと成就(fulfillment)を迎えるそのときまでは」の意味です。イエスは、これから、終末での御国の到来まで、弟子たちと共に「このような形での過越の食事」をとることがないと告げます(マルコ14章25節を変形)。第一コリント11章26節に、「主が来られる時まで主の死を告げ知らせる(パンとぶどう酒)」とありますから、ここでイエスが始めた「新たな過越」は、「イエスが再臨する時」まで「成就する」ことがなく、聖餐は、弟子たちに十字架のイエスの死を覚えさせることになります。
[17]ルカの語り方からは、イエスが実際に行なった祭儀の仕草が、はっきりとは見えてきませんが、あえて原文の語順に従って、イエスの仕草を具体的に推察すると次のようになりましょう。
【それから杯を取り】
 「取る」の原語は、ほんらい「誰かから受け取る」ことです。正規の過越の宴席では、杯は、食事の世話役から座長に「受け渡された」のでしょう。しかし、最後の晩餐のこの席では、イエス自(みずか)らが、食卓の杯を「手で取り上げた」のです。ルカ16章6節にも同じ動詞がでてきますが、そこでは、「自分で(勘定書きを)手に取って」の意味にも(NRSV)、「ほれ、ここに勘定書きがあるよ」(REB)と誰かから手渡された意味にも、両方に解釈できます。[Joseph Fitzmyer.The Gospel According to Luke X--XXIV. Doubleday (1983).1396]〔Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. The Paternoster Press.(1978).797〕。
 ところで、ルカの長い本文では、17節と20節とで、杯が二回でてきます。最後の晩餐では、各自の前に、杯が、少なくとも一つは置かれていたと思われますが、ここでは、「互いに回して飲む」のですから、イエスは、自分の杯を弟子たちに回し飲みさせたことになります。ここでイエスが弟子たちに与えた杯が、イエスの血を象徴するのであれば、聖餐の祭儀の「血の杯」になります。短い本文では、まさに、これが、聖餐の「血の杯」にあたります。この場合、杯がパンよりも先になりますが、「十二使途の教え」と称される「ディダケー」(100年~150年頃)でも、聖餐の解説で、パンよりも先に杯が扱われています[小高毅編『原典:古代キリスト教思想史』(1)教文館(1999年)21頁]。しかし、長い本文では、聖餐の杯は20節になりますから、17節の杯は、過越の食事の四回の杯のどれに相当するのかが問われてきます。ここでのイエスからの杯は、過越の食事を始める前の家長による感謝と賛美の後で飲む第一の杯にちなむのか、過越の由来が語られる時の「第二の杯」にちなむのか、一番目、あるいは二番目だとする説が有力です。杯は、神が授与する人の「定め」をも意味しますから、イエスは、過越祭の規定にとらわれることなく、イエス独自の意義をこめて、杯をまわしたと見るべきです。この杯は、弟子たちの心を自分と一つにするためでしょう。
【感謝して言う】
 これは、感謝の言葉だけでなく、祭儀での「感謝の仕草」をも指すと考えられます。ヘブライ語では、「賛美する・祝福する」(ギリシア語「ユーロゴー」)が通常であるのに対して(マルコ22章22節を参照)、ヘレニズムでは「感謝する」(ギリシア語「ユーカリストー」)が多いので、ここでの「感謝する」仕草は、ユダヤの過越の食事の際の伝統的な祭儀の仕草ではなく、ヘレニズムのギリシア風のお参りの仕草ではないかという説があります。しかし、「感謝する」は、おそらく後のキリスト教会での聖餐用語から来ているのでしょう〔Marshall. The Gospel of Luke. 798〕〔Bovon. Luke 3. 158(Note)35〕。
【互いにまわして飲む】
 ここでイエスは、自分が手に取った杯を「互いに回して飲む」ように使徒たちに命じています。これは、食卓のそれぞれの人に杯が用意されていたユダヤ古来の過越の食事とは異なっています〔Marshall. The Gospel of Luke. 797.〕。イエス自身は、その杯を口にしなかったという見方もありますが、家の主人が先に杯を飲む当時の習わしからすれば、イエスもその杯を飲んだと見るほうが自然でしょう〔Fitzmyer.The Gospel According to Luke X--XXIV.1396.〕。
[18]マルコ14章25節と全く同じです。ただし、マルコの冒頭は「アーメン」ですが、ルカでは「なぜなら」です。18節は16節と平行していて、杯の後に出てきます。これから判断するなら、15節のほうはパンを指しているのでしょうか。ルカは過越の食事を離れて、ルカの時代の教会の礼拝のことだけを考えているという説もあります〔Bovon. Luke 3. 158(Note)35.〕。
[19]ここからは、いわゆる「脱落部分」に入ります。それについては、上記の脱落部分の項を参照してください。19節~20節は「主の晩餐」(聖餐)を制定しています。
【パン】
 これは、種なし、種ありの両方が可能です。過越の食事では、食事が始まる直前に、種なしパンを取り上げて、祝福と感謝の祈りを捧げてから、パンを裂いて与えます。それから第三の杯を飲みます。ここでの「パン」は、この時のパンに相当するのでしょう。
【感謝して】
 ルカには、「与えた」がありませんが、この意味も含めています。ルカには、マルコにある「受け取りなさい」が欠けています。ルカの時代の教会では、聖餐の際に、この言葉がなかったのでしょうか。マルコでは「賛美する/祝福する」(原語「ユーロゴー」)で、ルカでは「感謝する」(原語「ユーカリストー」)で、第一コリント11章23節と同じです。この「感謝する」は、現在だけでなく未来も含んでいます。また、「感謝する」は、過越の祭儀を「新たに解釈し直す」ことをも意味します。ルカの時代の教会では、「感謝する」が用いられていたのでしょう〔Bovon. Luke 3. 158.〕。
【これは~である】
 「(イエスの)からだ」を「表象する」ことですから、パンと体を「(物理的に)同一視する」ことではありません。
【体】
 ここでのギリシャ語の「ソーマ」は、ほんらい「霊魂と身体」の「身体」を指す言葉ですが、「その人自身」をも意味します。ギリシア語の「サルクス」は「人肉」(英語の“flesh")のことです。古来のヘブライでは、特に神との対照において、「人間」のことを「血肉」と言います(シラ書17章31節/新約ではガラテヤ1章16節)。
【あなた方のために与える】
 これは、現在よりも未来を表しています。「ために」は、「犠牲」と「贖い」を意味しますが、「殉教」の意味もこめられていると考えられます。
【多くの人】
 これは、イザヤ書53章からです。「多くの人のために」には、この祭儀の継続の意味も込められています。
【記念として】
 「これを行いなさい」と結んで、祭儀として遵守し続けることを意味します。過越の祭儀でもこのことが告げられます(出エジプト12章24~25節を参照)。「記念として」は、マルコとマタイには出てきませんが、パウロの第一コリント11章24節に出てきます。パウロでは、「イエスの死」と結びついていますから、この言い方は、教会で始まったものではなく、イエスによって、弟子たちとの「別れの言葉」として語られたと考えられます〔Fitzmyer.The Gospel According to Luke X--XXIV.1401.〕。
[20]マルコでは、聖餐の制定が食事の最中に行なわれます。ルカでは、パンと杯とか、食事の前後に分けられます。マルコでは、「これは」が葡萄酒を指しますが、ルカの「これは」は杯のほうです。この違いはおそらくマルコとルカとの資料の違いからでしょう〔Marshall. The Gospel of Luke. 807--808..〕。イエスがここで告げている「杯」は、過越の食事では、全員が種なしパンと併せて犠牲の子羊の肉を食べることで、食事が始まった後で飲む第三の杯に相当します。なお、「杯」には、神からその人に与えられる「運命/使命」の意味もあります。
【新しい契約】
 エレミヤ書31章31節から。
【注がれる】
 マルコでは「多くの人のために(注がれる)」ですが、ルカでは、「あなたがたのために」です。旧約聖書では、「血を注ぐ」は「死」を指しますから、ここは、イザヤ書53章12節の「自分の命を死にいたるまで注ぎだして、多くの人の罪を担う」執り成しの業(わざ)のことです。
【*】受難週と最後の晩餐について、「最後の晩餐」とユダヤ教の「過越の食事」との関係について、最後の晩餐の日付に関する共観福音書とヨハネ福音書の記述について、これらの問題は、コイノニアのホーム・ページの次の諸項目を参照してください。
(1)コイノニア会・ホーム・ページ→聖書と講話→共観福音書補遺→「ユダヤの『日』について」。
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