194章 財布と剣(つるぎ)
          ルカ22章35〜38節
 
             【聖句】
■ルカ22章
35それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
36イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
37言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
38そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。
                                                   【注釈】
               【講話】
■「二振りの剣」解釈の伝統
アンブロシウス(339年頃〜397年)は、ローマ帝国のミラノの司教で、国王の政治権力に対抗して教会の権威を認めさせました。彼は、今回出てきた「二振りの剣」ついて、「答えよりも疑問のほうが大きい」ことを認め、注意深く言葉を選びながら、剣の使用は、「復讐のためではなく自己防衛のため」だけに認められるとしました(ヘブライ4章12節の「御霊の剣」を参考に)。アンブロシウスは、イエス様自身さえ、「自分自身を守ろうとはしなかった」と述べて、「霊の剣」を用いるとは、「この世での自分の命を諦めること」だと考えているようです。彼は、ルカ22章27節のイエス様の言葉に従って、「物の剣」は、国家権力に関わる人々が、「奉仕する者として」初めて手にできると説いたのです。「二振り」とは、「霊(神)の言葉である」旧約聖書と新約聖書を表象するもので、新旧二つの神の言葉を表すことで、「二振りの剣」の意味が十全になると彼は見ています。
 アンブロシウスこの考え方は、それ以後、アンブロシウスを師と仰ぐアウグスティヌス(354年〜430年)や、「大グレゴリウス」と称されるローマ教皇グレゴリオス一世(540年〜604年)などにも受け継がれます。彼らの志を受け継いだ8世紀のアイルランドのある神学者は、キリストは教会の頭 (かしら)であるから、ルカ22章32節でイエスがペトロのために行なった執り成しの祈りは、教会全体にも有効であると解釈しました。この神学者は、「肉に従う生き方」と「聖霊に従う生き方」とを比較対照させた上で、「霊魂と肉体」との調和によって初めて、二振りの剣が「十分に働く」と解釈しています(以上は、F.Bovon. Luke3. 184--185を参考にしました)。
 ヨーロッパに初めて帝国を築いたフランク王国のカール一世(フランス語シャルルマーニュ大帝)(742年〜814年)は、相手の耳を切り落としたことを非難したイエス様が、なぜ剣を買えと言ったのか?と至極もっともな疑問を提示しています。これに対する彼の答えは、「二振りの剣」を「一時的なこの世の力」と「永遠の霊的な力」という寓意(アレゴリー)を用いて、比喩的に解釈する方法です。その上で、カール一世は、教会とこの世の権力の両方を手にしている当時のローマ教皇こそ、「二つの剣」を手にしている者だと見なしました(前掲書186頁)。
このような「二つの剣」を手にする教皇論は、10世紀のイングランドのエドガー王(944年頃?〜975年)へ受け継がれますが、彼は、カンタベリー聖堂の大司教に宛てて、「私には(ローマ皇帝)コンスタンティヌス王の剣があり、あなたには、ペトロの剣がある」と述べています。11世紀のドイツの皇帝ハインリッヒ四世(在位1053年〜1105/6年)は、ローマ教皇と対立して、一時破門されますが、当時教皇が滞在していたカノッサで、屈辱的な「赦し」を教皇から授与されます。彼は、ルカ22章38節に基づいて、王名による会議を開いて、「二つの剣」に潜むジレンマを解消させようと試みました。こうして、「霊」と「この世」の「二振りの剣」論は、12世紀以降、ヨーロッパに共通する解釈になりました。
 フランスで、ベネディクト派のシトー会のクレルヴォー修道院の院長に任ぜられたベルナルドゥス(1090年〜1153年)は、西欧の修道院制度に大きな影響を与えました。シトー会の新しい会則に従うクレルヴォー修道院では、「二つの剣」について、教皇が持つとされる「二つの剣」の一つ「この世の剣」は、国王の権力の下にあると定められます。こうして、国王の即位にあたって、教皇が「この世の剣」を国王に手渡すという儀式が生まれました。ヨーロッパでは、17世紀まで、このような解釈が有効とされたのです。
 宗教改革者カルヴァン(1509年〜65年)は、パリで学び、ヨーロッパで、カトリックとプロテスタントとが、血で血を洗う争いを繰り広げていた時に、スイスのジュネーブで宗教改革を断行しました。彼は、サタンの働きを重視して、人間は、その弱さのゆえに、サタンの策略によって罪を犯しやすいことを強調しています。カルヴァンは、イエス様の在世中は弟子たちはまだ「未熟な子供」であった。だが、今や、イエス様は、弟子たちに、サタンの働きと闘うために「大人になる」ことを求めていると言います。その上でカルヴァンは、その神学に基づいて「二つの剣」を解釈し、ローマ教皇が「二つの剣を併せ持つ」という考え方を厳しく批判しています。彼は、「この世の剣」と「霊の剣」を教皇の手から市民社会へ手渡すことによって、国王が、「この世の剣」を誤った用い方をする場合には、市民は、それを正すために、「霊の剣」によってこれと戦うことができることを認めました。彼の神学は、市民社会の民主化へ道を開いたと言えましょう。
■今の日本の二振りの剣
 古来の教会は、弟子たちが持っていた「二本の剣」を、「霊の剣」と「物の剣」のように、寓意(ぐうい)として、比喩的に解釈しました。比喩とは言え、この解釈は、古来の教会が置かれていた歴史の体験の中から生まれた大事な解釈ですから、それだけに真実味を帯びた重みがあります。
 2024年の現在の日本は、アメリカと組むことで、中国と北朝鮮、そしてプーチンのロシアと対立しています。日本は、とりわけ、米中対立の狭間(はざま)に置かれていて、この危機に備えて、日本にも「二振りの剣」が与えられています。今の日本は、戦後80年続いてきた平和憲法に支えられて、「平和と民主主義」という国家理念を「霊の剣」として左手に携えています。ところが今や、アメリカの武力の援助の下に、日本の「自衛隊の防衛力」という「物の剣」をも右手に握ろうとしています。右手の剣は、明らかに、中国からの脅威に立ち向かうためですが、もしもこの剣で、相手の「耳を切り落とす」なら、日本は、大変な危機に陥ります。
 もしも、左手の「霊の剣」を活用して、「聞く耳持たぬ」相手の耳を「切り落とす」のではなく、相手が「耳をそばだたせる」よう仕向けることで、中国と北朝鮮を「平和と民主主義」の道へ導くことができれば、日本は、独裁国家の下にある両国民に、平和と民主主義という大きな恵みをもたらすことができます。これに反して、「物の剣」で防衛力を強化し、中国と北朝鮮とに立ち向かうなら、日本は、アメリカ軍の下請けにされて、国の滅亡さえも視野に入る危険な選択を迫られます。残念ながら、今の日本には、「あの十一弟子たち」と同じく、霊の剣よりも物の剣に頼ろうとする傾向があります。
 だから、中国と北朝鮮の人たちに平和と民主主義の恩恵をもたらす道を開くために、左手の「霊の剣」を右手に持ち替えて、この目的を達成するために用いながら、「物の剣」は左手にして、アメリカの武力に支えられながらも、イエス様の忠告通りに(ルカ22章51節)、あえて用いることを<しない>なら、私たちの手にある二振りの剣を、「神から与えられた二振り」として、正しく活用する道を学んだことになりましょう。    
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