補遺(2)
                 ゲツセマネ解釈の歴史

 
以下は、ゲツセマネ物語への西欧での解釈の歴史を、ごく大雑把にまとめたものである(Bovon. Luke 3. 204--211.に基づく)。
(1)ユスティノスは、「殉教者ユスティノス」(英語で"Justin Martyr")とも称される(100年頃~166年没)。ギリシア・ローマの哲学者で、とりわけ、霊魂による見神を志すプラトン哲学に造詣が深く、キリスト教哲学に転じて、ローマで学校を開き殉教した。彼は、詩篇22篇(のとりわけ15節)をイエス「受難の祈り」への予言だと見ている。その上で、イエスの人間性を否定する「ドケティズム」(仮現主義)を批判した。
(2)テルトゥリアヌスは(160年頃の生まれ~220年以降に没)、サタンこそが誘惑者であると見て、サタンの誘惑に負けることなく、「目覚めて祈る」ようイエスからの警告を主の祈りと結びつけた。
(3)ケルソス(Celsus)は(2世紀)、反キリスト教的なローマの哲学者で、「もしもイエスが神である」のなら、イエスには、死も身体の苦痛も存在しないはずだと主張した。彼の見解は、当時の異教の知識人たちの見解を代表している。
(4)オリゲネスは(184/5年~253/4年)、ケルソスに反論して、イエスの祈りには、人間性を具えたイエスの神への服従心が示されていると唱えた。オリゲネスは、彼の時代のクリスチャンたちの「殉教」こそ、イエスの飲むべき「杯」であると見ている。
(5)ヒュポリュトスは(170年頃~235/6年)は、ローマ教会の長老で、ユスティノスやオリゲネスの解釈を引き継いで、「慰め主キリストこそが慰められる」という想いから、「御子の受肉」の神秘について考察している。
(6)シリアのエフラエムは(306年~373/77年?)、パレスチナのシリア教会の神学者である。清貧の生活と広い学識で知られ、キリスト単性論などの異端を論駁(ろんばく)した。彼は、ニカイア公会議(325年)に出席したと伝えられる。イエスの悲嘆は、その人間性のまことの証であるとみなして、「血の汗」こそが、イエスが「最初のアダム」の子であることの証だとし、「最初のアダム」と「最後のアダム」の二人のアダムについて述べている。
(7)古代の最後を飾るのは、ミラノの執政官アンブロシウス(339年頃~397年)である。彼は、教会が、アレイオス主義と正統との論争で混乱した時期に、教会の混乱を収束しようと努めた。アンブロシウスは、オリーブ山の出来事こそ、キリストの性格の二元性を表すと解釈した。アンブロシウスは、オリーブ山の出来事に「自分自身の気持ち見いだした」と共感をこめて述べている。
(8)5世紀のアレクサンドリアの主教キュリロスは(370/80年~444年)、イエスの恐れと驚きに、キュリロス自身の驚きを重ねて、イエスに働く神の摂理を「御言葉の受肉」によって解き明かそうとした。
 概して言えば、ユダヤ人キリスト教徒も、パウロ主義者も、アレイオス派も、ネストリオス派も、カルケドン公会議も、ルカ22章43~44節を公式に認めているから、ドケティズムやイエスの単一性主義とは反対の立場である。
(9)7世紀のキリスト教会は、キリストのうちに二つの意思があるとみなして、イエスの単一性主義を批判し、ゲツセマネの物語こそが、イエスの二つの意思を表していると見なした。
(10)7~8世紀のベーダ・ヴェネラビリス(ラテン語名)(672/3年~735年)は、北イングランド出身の教会の聖職者・神学者で、カトリック教会と聖公会とルーテル教会で「聖人」とされ、「尊敬すべきベーダ」(英語で"Bede the Venerable")と称されている〔フリー百科事典『ウィキペディア』より〕。彼は、ヒエロニムスやグレゴリオスを引用して、「目覚めて祈る」イエスの教えと、主の祈りとを重ねて、イエスの悲しみは「我らのため」であると見て、ルカ22章42節のイエスの祈りは、彼の二つの性質を表すと述べている。
(11)ルカ22章43~44節は、とりわけ、(東方の)アルメニアの教会において、大きな議論を呼んだ。教会のある者は、天使の慰めを過小に評価し、別の人たちは、イエスの祈りに込められた「御力」を強調した。ルカ22章43~44節は、シリア語の版とギリシア語の版には出ているが、アレクサンドリアの版では省かれている。アルメニアの教会は、アレクサンドリアの版を重視した。
(12)ボナヴェントゥラ(1217年頃~1274年)は、フランシスコ会の修道士で、神学者であり枢機卿である。彼は、ゲツセマネでのイエスの祈りに、七つの特注を見ている。(1)人に知られない祈り。(2)迫る危機におびえる祈り。(3)深い分別に基づく祈り。(4)天使がもたらす慰めを受け、力を授与される祈り。(5)祈りの中身は苦しみ。(6)イエスは弟子たちに分別を持って接する。(7)イエスの「七つの血」による贖い。ボナヴェントゥラによれば、イエスの三度の祈りと、イエスの恐れとは、「我らのため」であり、イエスへの天使の慰めも「我らのため」である。
 (13)宗教改革時代(16世紀~17世紀)のエラスムスとルターとカルヴァンは、ゲツセマネ物語に、「人の子」の神秘を啓示する全能の神が、私たちに啓示する「まことの敬虔」を見いだす。キリストの二つの性格については相互に異なるが、マルコ15章34節の「エロイ・エロイ」の叫びこそ、「血の雫(しずく)」であると解釈した。イエスは、「まことの人間性」の模範である。
 (14)啓蒙思想の時代(18世紀)のフランスの宗教史家ルナンは、受難に先立つ深いメランコリーを指摘した上で、一切を神のみこころに任ねるよう提言した。イエスは「高い人間性」の啓示者である。
(15)ドイツの哲学者ニーチェ(19世紀)は、イエスの英雄的な人間性の有り様自体を批判した。
(16)ドイツの神学者バルト(20世紀)は、カルヴァンの説を踏まえて、「天から下ってきた者」が、なぜ「罪びとたち」の手に渡されるという出来事が起こるのか?と問う。イエスの恐れは、殉教とは関係がない。バルトは、イエスが誘惑に屈しなかった「強さ」と、ゲツセマネにおけるイエスの「弱さ」とを対照させている。サタンは、「始末された」のではない。イエスの祈りは、「サタンとの戦い」でもない。イエス自らが救おうとした「この世」が、彼を「見捨てた」。このことは、「この世の謎」でも「悪の謎」でもなく、「神の謎」である。神は「沈黙し不在」である。神は「サタンの陰に隠れ」ている。イエスは、杯を断るか、悪と罪に対抗して「贖いを成し遂げる」ために、杯は避けられないと悟るか、どちらかを選択しなければならない。神はイエスを「死に渡す」が、神はイエス「死から取り戻し」救い出す。「杯」は、「死の象徴」であるよりも、むしろ「神の怒りの顕れ」である。
(17)ゲツセマネ物語には、眠りによって不安から逃れようとする弟子たちと、眠らずに恐れに苦しむイエスとの対比を見る。ルカは、弟子たちの運命に注目している。悲しみのあまり眠くなる弟子たちに、「目覚めて祈れ」と命じるイエスこそ、弟子たちが悲しみを克服して、イエスと共に立ち直るそのきっかけとなる。ゲツセマネでは、私たちは、「知らずして身体と肉体を分ける」、「知らずして、神は沈黙し顕れない」。神はその姿を見せずその願いにも応じない。杯を取り上げることをせず、その杯を飲む力を与える。弟子たちは、始めは、主が、あのような試練に逢わなければならないことに驚愕する。しかし、イエスの人間性には、神の摂理が具わることを知り、イエスが死に渡されるのは、彼が「命の君となる」ためであることを悟る。ここに、クリスマスから聖金曜日に至る道がある。
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