補遺 マルコによる秘密福音書
 「マルコによる秘密福音書」"The Secret Gospel of Mark."とは、アメリカのコロンビア大学の教授であるモートン・スミス(Morton Smith)が、現在のイスラエルの南部の荒れ野にあるマル・サバ修道院( Mar Saba monastery)の図書室で「発見した」(1958年の夏)とされる「文書」です。「文書」とは言っても、実際は、16世紀のラテン語の写本である「イグナティウスの書簡」の末尾に、手書きのギリシア語で、二頁半に渡って「書き写された」とされる「手紙」"a letter"のことです。この「手紙」それ自体の存在もスミスの発表までは知られていませんでした(ハーバード大学より1973年に出版)。
 この手紙によれば、もとの手紙は、古代エジプトの「アレクサンドリアのクレメンス」(2世紀の教父)によって書かれたもので、その手紙には、「すでに失われているマルコによる秘密の福音書」のことが書かれています。その手紙で、クレメンスは、「アレクサンドリアの教会は、(外部には)秘密にされている福音書を所蔵している」と述べて、その上で、「ペトロが(首都)ローマに滞在中に、マルコは、主の御業について書き記したが、それが全部ではない。そこには、まだ(知られていない)秘密の事柄(複数)があるが、そのことに(マルコは)触れていない。マルコは、教えを求める人たちの信仰に資するための最も大事なことだけを選んでいるからである」とあり、さらに、「ペトロが殉教を遂げた後に、マルコは、自ら書き残したものと、ペトロが記したものとを携えて、アレクサンドリアに渡り、先に著した文書(マルコ福音書のこと)に、さらに知識の進歩に資するに足るあらゆることを書き写して、より完全性を求める者たちのために、より霊的な福音書を編集した」とあります。その上で、この「秘密の文書」は、「アレクサンドリアの教会に注意深く秘蔵されていて、この偉大な神秘に入ろうとする者たちだけが閲覧を許される」とあります。
 実は、この手紙は、イエスの一行がエルサレムへのぼる途中で、「(イエスが)三日目によみがえる」と予告した後に次のように述べています(ヨハネ福音書11章のラザロの復活と共通する)。
「彼らはベタニアへ着いた。すると、弟を亡くした女性がいて、イエスの前にひれ伏し、『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と願った。・・・・・イエスは手を伸ばし、その若者の手を掴み、(墓の中から)彼を引き出した。若者は、イエスを見て、イエスを愛し、イエスと共に居たいと願い出た。・・・・・その六日(むいか)後に、イエスが彼に教えると、その夕方、<若者は、素肌の体に亜麻布をまとって、>イエスの前に現れた。その夜、イエスは、神の王国の神秘について(彼に)教えた。」< >は筆者(私市)による。
 その後、スミスが「発見した」とされる手紙が「見失われる」という出来事が起こります。このこともあって、スミスの死後、彼の発見を偽造あるいは偽物と見る傾向が強くなりました。
(1)手紙の内容が、イエスと弟子との「同性愛」的な傾向を帯びていることと、「発見者」と言われるスミス自身が同性愛的な人物であることから、偽造というよりも遊びのつもりから出たスミスによる「ゲイのイエス」であろう。
(2)マルコがペトロに与えた教えをアレクサンドリアへもたらしたのは、4世紀のカイサリアのエウセビオスによると考えられているから、スミスが言う「手紙」は、アレクサンドリアのクレメンスの手紙からの写しではない。
(3)この手書きの手紙は、2世紀ではなく、5世紀以降のもので、キリスト教の修道院での同性愛的な傾向に合わせた創作である
(From an electronic edition of Gnostic Society Archive Notes and others.)
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