【注釈】
■マルコ14章
今回のマルコのペトロによるイエス否認の記事は、最高法院でのイエスの裁判と(14章53節以下)、ピラトによる裁判(15章1節以下)との間に挟まれています。マルコのこの手法は、最高法院での裁判とペトロによる否認との二つの出来事が、ほとんど同時に起こったことを表そうとするものです。それと同時に、無罪のイエスが、不当な裁きを受けながらも、自己の有り様(アイデンティティ)を堂々と告白している(14章62節)姿と、イエスの仲間だと詰問(きつもん)されたペトロが、己の真の有り様を無様(ぶざま)に否定する姿とが対照されているのが見えてきます〔Adela Y. Collins. Mark.
Hermeneia. 698--699.〕。最高法院での裁きが史実かどうかは、197章の注釈のマルコの部分を参照してください。マルコの記事の内容は、史実通りとは言えませんが、ペトロへの汚名となる否認の出来事それ自体は、その内容から判断して、史実に基づくと見なされています〔Collins. Mark. 699--700.〕〔W.D. Davies and D.C. Allison. Matthew 19--28. ICC. 544.〕。
〔資料について〕いわゆる「受難物語」とは、マルコ福音書14章から15章の終わりまで、すなわち、過越祭の頃、「祭司長と律法学者たち」がイエスを殺す計画を立てることに始まり、イエスの逮捕から十字架の死にいたるまでの出来事を物語るものです。「受難物語」"the passion narrative" は、イエスの十字架刑(30年頃)以後、比較的早期に、エルサレムを中心とする原初キリスト教会の間で語られ始めた物語です。この受難物語は、イエスの復活物語と結びついて、(おそらく50年頃までに)受難と復活の物語が形成されます。しかし、マルコに受け継がれマタイとルカに伝わる受難物語とは別個に、ヨハネ共同体には、ヨハネ福音書18章と19章を中心とする(十字架の日付など)やや異なる受難物語が伝承されたと考えられます。ただし、受難物語の継承過程において、加えられたり省かれたりする場合があり、とりわけ、ペトロやユダやヘロデなどの人物象について、この傾向を見ることができます〔『新約・旧約聖書大事典』教文館590--91.〕〔F. Bovon. Luke 3. Hermeneia. 224.〕。
今回のペトロの否認記事は、マルコ以前からの原資料(いわゆる「受難物語」)とは別個の伝承に基づくものでしょう。したがって、マルコ14章53節に始まり、同72節にで終わる最高法院でのイエスの裁判とペトロの否認記事は、マルコ以前の受難物語に、マルコが書き加えたとも考えられます〔Adela Y. Collins. Mark.
Hermeneia. 699.〕。
[66]~[67]【下の中庭】「大祭司の家の中庭」については、マルコ14章54節の注釈「大祭司の中庭」の項をご覧ください。ユダヤの過越の季節では、寒空の屋外の庭はかなり冷え込んでいたと思われますから、ペトロは、「危険をも顧みず」、屋敷の男女の使用人たちと一緒にたき火に当たっていたのです。
【女中の一人】大祭司の家には、男女の奴隷が居たと思われます。この女中は、その女奴隷の一人でしょう。身分の低い女中ですから、ペトロは気にしなかったようです。
【じっと見つめて】ルカでは、「たき火に照らされているペトロの顔を」とありますから、女中は、暗がりに映し出されるペトロの顔を探るようにじっと見ていたのです。
【ナザレのイエスと一緒】この言い方から判断すると、彼女は、以前、イエスの一行がエルサレムの市内を歩いていたのを目にしたのでしょう。イエスのすぐ側を歩いているペトロの顔を覚えていたのです。「一緒に居た」とは「同じ仲間だった」ことです。イエスは、エルサレムの人たちに「ナザレのイエス」という言い方で知られていました。「ガリラヤのナザレ村」の出を意味するこの言い方には、多少軽蔑の意味がこめられていたと考えられます〔R・T・フランス『マルコ福音書』620頁〕。
[68]14章30節のギリシア語「アパルヌーマイ」(否認する/関係を否定する)ではなく、ここのギリシア語は「アルヌーマイ」(否定する/打ち消す)ですが、先の30節のイエスの言葉を知っている読者は、それと同じ重みで理解するでしょう。ペトロの言葉を字義通りに訳せば、「私はなんにも知らない。あなたの言うのは、何のことが分からない」です。マルコ流の二重の言い方で、「イエスを恥じている」(マルコ8章38節)のです〔前掲書〕。マルコは、8章27~30節でのペトロの告白をも念頭においているのでしょう。
【出口の方へ】ペトロは、道路から中庭へ通じている道を通って屋敷に入ったので、今度はその道を外へ出よう出口へ向かったのです。
【鶏が鳴いた】この節のテキストの件は、【補遺】「ペトロによる否認記事」をご覧ください。
[69]【周りの人々に】同じ女中が、自分の見立てに間違いないと同意を求めて「周囲の人」に告げたのです。たき火の周りには、イエスの逮捕に向かった者たちも居たでしょう。「あの人も彼らの一味」とは、イエスだけでなく、その一行も同罪だ(今流に言えば「テロの一味」?)と見なされていたからです。
[70]【居合わせた人々が】マルコの記述は、ちょうどゲツセマネでのイエスの二度目の祈りのように(14章39節)、二度目の否認を簡単に記しています。しかし、今度は、否認の内容よりも、否認が、聞く人たちによって、より公(おおやけ)に公認されていることに注意してください〔前掲書621頁〕。「否定した」が、ここでは繰り返えされた行為を指しますから、ペトロは、自分は無関係だと人々に「説得しよう」としたのでしょう。「語気を強めて繰り返す」ペトロの話し方から、「ガリラヤなまり」を感じ取った聞き手から「お前もガリラヤ者だ」と言われたのです。当時のエルサレムでは、「ガリラヤ者」すなわち「反ユダヤ主義者」だとは言えませんが、「エルサレム」に批判的ないわゆる「反ユダヤ」の者たちが、ガリラヤ北部の山岳地帯に身を隠す場合が多かったことから、「ナザレのイエス」とその一味の「ガリラヤ者」が大祭司の庭に居ることが許せなかったのかもしれません〔フランス『マルコ福音書』621~622頁〕。
[71]【呪いの言葉を口にする】節の冒頭の「~し始めた」は、ここから、ペトロの否認の姿勢が、新たな様相を呈し始めたことを指します。彼は、まず、「イエスは、呪われよ!」と叫び、継いで、「私は神に誓って言うが、あなた方が口にするそんな人物を全く知らない」と断言して見せたのです。ここの「呪う」を「自分を呪う」の意味に解する説もありますが、原語の動詞は他動詞で、「誰かのことを、あるいは何かを呪う」ことです。マルコは、その目的語(イエス)を省いていますが、「イエスは呪われよ!」と口にすることを指していると思われます。紀元100年頃に当時のローマの執政官であった弁論家のプリニウスによれば、「これは、クリスチャンならとうてい口にしえないことです!」(第一コリント12章3節を参照)〔フランス『マルコ福音書』622頁による〕。
[72]【鶏が再び鳴いた】この句については、補遺「ペトロによる否認記事」を参照してください。
【いきなり泣きだした】「わっと泣き始めた」"burst into tears"[REB]の意味に解する訳もありますが、原語の動詞は不定過去形ですから、むしろ、「哀しみのあまり自分を見失って、頭を抱えて座り込み、何時までもイエスの言葉を思い返して泣き崩れていた」のです。“he broke down and wept”[NRSV]〔フランス『マルコ福音書』623頁〕。
■マタイ26章
マタイによるペトロの否認は、続くユダの自殺(マタイ27章1節以下)と対(つい)を成しているように見えます。マタイでは、或る女中の告発、別の女中の告発、居合わせた人たちからの告発と、はっきり三段階に分かれています。マタイもマルコの記述を参照していると思われますが、今回のマタイの記事は、マルコの記事とかなり異なっていますから、マタイとルカは、マルコとは別の「第二の伝承資料」(ヨハネとも共通)を保有していたと見るほうがいいでしょう(ルカがマタイの記事を参照しているとも言えますが)。マタイの資料について確かなことは分かりません。三人の共観福音書の作者以前から、イエスの逮捕と裁判とペトロの否認を含む「受難物語」が伝承されていて、三者は、それぞれにこの資料に預かっていると見る説もあります〔John Nolland. The Gospel of Matthew. NIGTC. 1137--38.〕。
[69]【外にいて中庭に】ペトロは、大胆にも、遠くからイエスに着いていって、「成り行きを見届けよう」として、屋敷の「中に入って座って」いました(26章58節)。ところが今は、「(中に居るイエスの屋敷の)外の中庭に座っている」のです。マタイのこの言い方は、今のペトロが、イエスから「離れている」ことを示唆するのでしょう〔Nolland. The Gospel of Matthew.1138.〕。
【一人の女中が近寄って】イエスへの偽証者たちが「現れ出てきた」(60節)のと同じように、ここでも、ペトロを陥れる者が「近寄る=現れ出て」きたのです。「一人の女中」には「或(あ)る女中」の意味もありますから、マタイは、その女中の名前を伝承によって聞いていたのでしょうか?
【ガリラヤのイエス】この呼び方は、新約聖書でここだけです。マタイは、21章11節を念頭においているのでしょう。
[70]【皆の前で打ち消して】マルコの記述とは違い、ペトロは最初の否認を「みんなの前で」公(おおやけ)にしています。
[71]【ほかの女中】マルコの記述と異なり、マタイでは、「外に出よう」とするペトロに目をつけるのは「別の女中」です。この女中は、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒(の仲間)だ」と告げます。マルコの記述にある「ナザレのイエス」(マルコ14章67節)は、イエスが「ナザレに住んでいる人」あるいは「ナザレから来た人」(原語は「ナザレーノス」)だという意味です。ところが、ここでこの女中が言うのは、「ナザレ人(びと)イエス」「ナザレの人イエス」(原語は「ナゾーライオス」)です。マタイがここで言う「ナザレ人」は、預言者たちによって証しされている「メシア」の呼称として一般に言われている「(あの)ナザレ人」のことです(マタイ2章23節、マタイ4章15~16節を参照)〔Nolland. The Gospel of Matthew.1141.〕。だから、この二番目の女中は、今、大祭司の屋敷の中で行われているイエスの裁判の内容(マタイ26章63節)を聞き知っていることが分かります。マタイが、ペトロへの二度目の詰問を別の女中にしたのは、おそらくこの理由からでしょう。
[72]マルコの記述では、ペトロの「再度の」否認は極めて簡単です(マルコ14章節前半)。マタイは、「否認した」とある動詞の時制を変えて、その「再度」を確認した上で、「誓って」を加え、「その人のことは知らない」とペトロに偽りを言わせています。マタイの念頭には、人間の「誓い」には偽りがつきまとうことを戒めたイエスの教え(マタイ5章33~35節)があるのでしょう〔ノウランド前掲書〕。
[73]
【そこにいた人々が近寄って】マルコでは、三度目の否認では、「居合わせた人たちが<再度>」になっています。マタイの記述では、女中の言葉とペトロの答えを聞いていた「その場の人たち」のほうが、今度は、わざわざペトロに「近寄って」、ペトロの偽りを告発します。
【言葉遣いで分かる】マタイは、人々がペトロを「ガリラヤ者」だと判断したその理由を告げています。字義通りだと「お前の話し方がお前(の正体)をはっきりさせる」です。4世紀の教父聖エフレミ(St. Ephraem)の説教にさかのぼる写本では、「お前の話し方がガリラヤだ」です。ガリラヤの人の話し方は、エルサレムのユダヤの人たちには聞きずらかったという指摘があります〔ノウランド前掲書1142頁:脚注275〕。
[74]【呪いそして誓い始めた】マタイの記述では、二度目のペトロの否認は、「誓いながら打ち消した」です。“he denied it with an oath”[NRSV]. しかし、三度目では、「すると/その時、(彼は)激しく呪いながら誓い始めた」です。マタイの「その時」は、新たな事態が始まることを告げています。マルコの記述では、一般に使われる「呪う」(原語「アナセマティゾー」)が用いられていますが、マタイは、これを強める「カタセマティゾー」を初めてここで用い、続く「誓う」(原語は「オムヌオー」)と共に語尾を揃えた不定詞にしています。だから、「呪い始め、そして誓った」"he began to curse, and he swore an oath "[NRSV]よりも、「呪いつつ誓いを立て始めた」"he started to curse and declared with an oath"[REB]のほうが適切でしょう。
ペトロは、いったい何を呪ったのでしょう? 「イエス」でしょうか? 「ペトロ自身」でしょうか? 「イエスとつながりのある者たち」でしょうか?〔ノウランド前掲書1142頁〕。後のクリスチャンたちが、権力者から背教を迫られた時に、「イエスを呪う」よう命じられた例をあげて、ここでも「イエスを呪う」ことを指すと解する説もありますが〔 Davies and Allison. Matthew 19--28. 548.〕、この点は、次の邦訳を参照してください。「そこでペトロは、『そんな男は知らない。これが嘘なら、呪われてもよい』と、幾たびも呪いをかけて誓った」〔塚本訳〕。「そこで彼は、『〔嘘ならばこの身は〕呪われよ』と誓い始めた」〔岩波訳〕。なお、マタイは、マルコの「鶏が再度鳴いた」の「再度」を省いています。これについては、補遺「ペトロによる否認記事」を参照してください。
[75]引用されているイエスの言葉を比べると以下の通りです。
マルコ「鶏が<二度>鳴く前に三度わたしを否認するだろう」(「わたし」が「三度」と「否認する」の間)。
マタイ「鶏が鳴く前に、三度わたしを否認するだろう」(「わたし」が「三度」と「否認する」の後)。
ルカ「<今日>鶏が鳴く前に、わたしを三度否認するだろう」(「わたし」が「否認する」と「三度」との間)。
マタイとルカでは「三度」の位置が異なり、マタイとマルコでは、「わたし」の位置が異なります。
【激しく泣いた】マタイのこの言い方は、かつてイザヤが、敵の軍勢によって荒廃したエルサレムの町を見て泣いたこと(イザヤ22章4節)、あるいは、荒れ果てた神の都(シオン)とその周辺の国々の荒廃を見て、それでも、主の憐れみは、正義と平和をもってシオンを復興させてくださると「平和の使者が激しく涙する」(イザヤ33章7節)様子を思い出させます。マタイは、ここでのペトロの姿に「悔い改め」とその「再起」への期待をこめているように思われます〔Nolland. The Gospel of Matthew.1144.〕。
■ルカ22章
ルカの記述もマルコのそれを基準にしていますが、ルカの記述では、ペトロの否認が、マルコ=マタイとは異なり、最高法廷でのイエスの裁判(ルカでは早朝)より以前のことなります。告発者も、一人の女中とほかの二人と、三人だけです。なによりも、ペトロの否認をイエス自身が見ていることで、否認が、イエスによって予言されたとおりに成就したことが分かります。彼は、中庭から出ることがなく、誓いも呪いもしませんから、ペトロは、マルコ=マタイの記事に見るような「(サタンによる)無様な棄教」に陥ることがなかったのです(ルカ22章31節を参照)〔I. Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. 839.〕。告発の三人がサタンの遣いだと見れば、ルカは、ここでのペトロの出来事をイエスの荒れ野での誘惑(ルカ4章1~13節)と類比させているのでしょうか。ルカは、マルコに準拠しながらも、別の伝承資料を用いて書き加えていると見ることができます〔F. Bovon. Luke 3. 225.〕。
[56]~[57]【たき火に照らされて】女中は、ペトロの顔がはっきりと見えなかったので、彼をじっと見つめて、ペトロにではなく、周囲の人に「この人」と三人称で告げています。ペトロの答えもマルコよりもマタイに近いですです。シナイ写本、ヴァティカン写本、べザ写本、シピウス写本、レギウス写本など多くの版では、ここでペトロが「女よ」と呼びかけて、ペトロのほうがその女中に向いて答えています。「あいつなぞ知るものか、女よ」〔岩波訳〕。"Woman, I do not know him."[NRSV]. このために、ペトロに対する告発の厳しさがやや薄らぎます。この三人称は、ルカが知っていた口頭伝承で生じたという見方があります〔Marshall. The Gospel of Luke. 842.〕。
[58]マルコでは、一度目の告発の後で、ペトロは外へ出ようとしますが、ルカでは、「少し経って」とありますから、ペトロは、そのまま同じ場所に留まっていたことになります。しかも、彼は、イエスからも見えるところにいたのです。二度目に告発する「別の人」は男性です。ルカは、マルコに基づきながらもその記述を書き換えています。ルカでは、一度目と三度目の告発は、「あの人は」と三人称の間接的な告発ですが、二度目のこの節では、「お前は」と二人称の直接話法の告発です。
[59]~[60]【1時間ほど】「ほぼ一刻(こく)ほど経って」〔岩波訳〕。ルカは、おそらく、イエスが逮捕される時に「今はあなた方の時だ」と言うのを受けて、イエスの逮捕の時からペトロの否認までの「闇の時間」を「1時間ほど」と言い表したのでしょう〔Marshall. The Gospel of Luke. 843.〕。
【言い張った】三度目に告発する「もう一人の別の男」とは、ヨハネ福音書(18章26節)では、ゲツセマネでペトロに耳を切り落とされた人の身内です。ルカの伝承資料にもヨハネのものと共通する記述があったのでしょうか、だから、しつこくペトロを告発したのです〔前掲書〕。ただし、ルカの三度目の告発に対するペトロの答えは、マルコの一度目とほぼ同じです。
【言い終わらない】この部分は、ルカによる挿入です。
[61]【主は振り向いてペトロを】この部分は、ルカ(の発案)による書き加えだと言われています(ルカは「イエス」の代わりに「主」をよく用いる)。ただし、「発案」がどうかには疑問もあります。もし、ヨハネ福音書が証しするように、イエスが最初に連行されたのが(大祭司とも称される)アンナスの館であって、そこから、正式の大祭司カイアファの別の屋敷へ連行されて最高法院の裁きに臨んだとすれば、ペトロが否認する中庭に、イエスが居合わせることもあり得るからです〔Bovon. Luke 3. 232.〕。この部分もルカ以前からの資料にあったとすれば、22章56節で女中が言う「この人もあの人(イエス)と一緒だった」は、いっそう生々しさを帯びてきます〔Marshall. The Gospel of Luke. 844.〕。
「見つめる」イエスには、ペトロへの非難がこめられていたのでしょうか? ルカ5章8節を引き合いに出して、今回もペトロは己の罪業を覚(さと)らされたという見方もできますが、十字架に向かうイエスの眼差(まなざ)しには、不思議な力が働いていたと受け取ることもできます(ルカ20章17節を参照)〔マーシャル前掲書〕。
【今日】ルカでは、「鶏が鳴く」にマルコの「再度」が抜けていますから、その代わりに「今日」を入れたのでしょう。アレクサンドリア学派の写本、べザ写本、ペトロポリタン写本(仮称)、コデックスW写本など、「今日」が抜けている版が多くあります。
[62]この節はマタイと同じです。ルカが、今回のペトロの出来事をイエスの荒れ野での誘惑(ルカ4章1~13節)と類比させているのであれば、主に見つめられたペトロは、立ち直って、新たな歩みを始めたことになります〔F. Bovon. Luke 3. Hermeneia. 224.〕。
ペトロの否認へ