【注釈】
■マルコ16章
 マルコ福音書は、16章8節で、ひとまず「終わっている」と見なされています。したがって、今回からは、この福音書への「付加部分」に入ります。聖書協会共同訳によれば、「付加部分」には、「結びI」 (長い結び)"the longer ending"と、「結びII](短い結び)"the shorter ending"とがあります。さらに、「結びI」は、「マグダラのマリアに現れる」(16章9節~11節)と「二人の弟子に現れる」(同12節~13節)と「弟子たちを派遣する」(同14節~18節)と「天にあげられる」(同19節~20節)の四部構成になっています。今回は、「結びI」(長い結び)の最初の部分です。
[9]結びII(短い結び)では、16章8節後半の「そして(彼女たちは)誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」とある内容が訂正されていて、「彼女たち(三人)は、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短かに伝えた」となっています。結びI(長い結び)のほうは、「イエスは復活した」で始まり、前節(8節)と内容的につながりません。マルコの聴衆の中には、女性たちが、天使から「イエス復活」のお告げを受けた「その後で」、「イエスの復活が生じた」と誤解する者もいたかもしれません。16章2節の「週の初めの日、朝早く」が繰り返されているのは、こういう誤解を防ぐためでしょう。「先ず/最初にマグダラのマリアに」は、ヨハネ20章1節~18節の記事と重なります。しかも、「七つの悪霊を追い出していただく」は、ルカ8章2節とも重なります。「長い結び」の作者は、これらの記事をまとめているのです(A.Y. Collins. Mark. 807--808.)。
[10]~[11]「短い結び」では、「女性たちは(主語は明示されていない)、命じられたことすべてを、ペトロの周辺にいる人たちに、手短に伝えた」です。「長い結び」では、「この女性」(マグダラのマリア)は、以前、イエスが、山上で、宣教のために「使徒として任命した人たち」(マルコ3章14節)のところへ「出向いて行って告知した」とあります。ところが、彼らは、「イエスの死を悼んで泣き悲しんでいる」にもかかわらず、「生きてにいるイエスが目の前に居た(観た)」とこの女性から聞かされても、「信じようとしなかった」"They would not believe it."[NRSV]のです。人の死を悼んで「嘆き悲しむ」のは通例のことですが、イエスが生きていると聞いても「信じようともしない」その姿勢は、ヤイロの娘の死を「嘆き悲しむ」人たちが、「(娘は)死んだのではない」というイエスの言葉を「あざ笑った」(マルコ5章38節~40節)場面を思わせます(A.Y. Collins. Mark. 808.)。
■マタイ28章
[9]「すると見よ」で始まるこの部分からは、マルコの記事とは全く異なります。「イエスのほうから出迎えて会う」この場面は、四福音書でも極めて異例です(John Nolland. The Gospel of Mark. 1252.)。
【おはよう】この語の原語「カイロー」の原意は「喜ぶ」ですが、ヘレニズムの用法では「おはよう」の意味でも用いられ、また、広く挨拶の言葉として用いられました。しかし、この「カイロー」は、先に、ユダが裏切りの時に用い(マタイ26章49節)、ローマ兵がイエスをからかうときにも用いています(マタイ27章29節)。この28章9節では、イエスによって、この「カイロー」のほんらいの「喜ぶ」の意味へと「贖われて」いるのです(Nolland. The Gospel of Mark. 1252.)。
【イエスの足を抱き】ひざまづいて、相手の両足を抱くこの行為は、「親しみ」と同時に深い「自発的な従属/服従」をも意味します〔ノウランド前掲書〕。ここでは、続く「ひれ伏す」で、「敬意を表して拝む」意図が明白になります。この行為は、また、ここでのイエスが、いわゆる「幽霊」ではなく、実態を持った存在であることを証ししますから(ルカ24章37節~43節を)、これで、「空の墓」から始まる女性たちの「復活への信仰」が「確信/確認」に達します。なお、ルカ7章38節/ヨハネ11章2節/同12章3節の女性の行為をも参照。ここの女性たちの行為は、マタイ28章17節の弟子たちの行為につながるのでしょう。しかし、女性たちに与えられた復活のイエスへの確信と体験は、番兵たちの報告を受けた祭司長たちや長老たちによって、「イエス復活」への対抗処置をも生じることになります(マタイ28章11節~15節)。
【わたしの兄弟たち】この呼び方は、イエスと弟子たちの新たな関係を生み出す発端となります。ヨハネ20章17節を参照。
[10]「そこでイエスが彼女たちに言う」と現在形で「恐れるな」(28章5節)が繰り返されます。マタイは、続く、ガリラヤへ赴くメッセージで、マルコ16章6節~7節の若者のメッセージをイエス自身の口から直接話法で伝えています。
■ルカ24章
 ルカは、物語の終わり近くになって女性たちの名前をあげています。名前は、ルカ8章2節~3節からですが(マルコ15章40節と同47節と同16章1節をも参照)、ここへ名前のリストを配したのはルカによる編集です〔Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. 887.〕。なお、209章「墓を訪れた女たち」のルカ24章10節~11節の注釈を参照してください。
                 210章 女性たちへの顕現へ