【補遺】イエス様の御復活
(2025年12月2日)
イエス様御復活の要点を以下にまとめます。
(1)歴史的に見れば、イエス様の御復活は、紀元1世紀のアラム語を話すユダヤ教の真っ只中で、起こった出来事です。
(2)それは、神がお造りなられたこの大自然(the Great Nature)における神の秘技(the Mystical Art)ですから、人が自然に働きかけて起こす人の技法(アート)では不可能な出来事です。シェイクスピアの言葉を借りれば、「不思議や不思議、あら不思議、も一つ不思議な」"Oh! Wonderful wonderful wonderful, again wonderful"出来事です。
(3)イエス・キリストは、「復活させられたキリスト(救い主)」“the Risen Christ"ですから、これは、受動態の完了形によって言い表すべき出来事です。
(4)人間イエス様の復活は、今はやりのAIなどに象徴される自然科学の人知が編み出した最高の技術をも超えることで、人知の極地において見えてくるもので、人知の技法に欠けているもの(欠陥)を超えることで、その技法を補い正す働きをします。
(5)御復活のイエス様は、医学、経済学、政治学、社会学、宗教学など、宇宙や社会を解明しようと志す普遍性を帯びた知識が与えてはくれないこと、すなわち、遍くすべての人に向けられることから、さらに、あなたの目をひたすら「あなたという個人」に向けさせる出来事です。 だから、これは、人が「パーソナル」(人格的/個人的)に「ただ信じる」ことだけを求める出来事です。
(6)「身体を具える」イエスの復活顕現は、後にパウロによって、「肉のからだ」と「霊のからだ」という独特の内容を蔵する用語を生み出す基となります。「肉」と「霊」というキリスト教固有の用語は、イエスの「身体的な」復活顕現の賜(たまもの)です。
(7)イエス様は、十字架の死によって殉教者になられたのではなく、十字架を通じて献げられる犠牲の祭儀の「献げ者」になられたのです。これが十字架の秘義です。
上の(1)と(2)、(3)と(4)、(5)と(6)の狭間に、そして、(7)それ自体にも現れる逆説とも言える内容に注意してください。
213章 弟子たちへの顕現へ