『ラドロウ城の仮面劇』 注
行
【サーシス】テオクリトスやウェルギリウスの作品にでてくる牧歌の巧みな羊 飼。この仮面劇を作曲したヘンリ・ローズが扮する役であることを考えてミ ルトンはこの名をつけたのであろう。
【守護の精霊】ギリシア・ローマの個人の守護霊からでているが、ミルトンは これにキリスト教の守護天使の意味をも含ませている。
【サブライナ】セヴァン河は、ウェールズに源を発し湾曲してウェールズとイ ングランドの境を流れシュルースベリやラドロウの東を通りブリストル湾に 入る。サブライナはその河の女神。本文八二六行以下を参照。
【降下あるいは登場】「降下」とは上方から舞台に下る装置を用いる場合を指 す。これがない場合には「登場」となる。
1【ジュピター】ギリシア神話のゼウスにあたるローマの最高神。ただし、ここでは背後にキリスト教の神をも示唆している。
2【不滅の姿】肉体を持たない姿。四六一ー六三行注参照。
4【もろもろの圏層】神々の住む霊域のこと。ホメーロス『オデュッセイア』六巻四三ー四五行参照。ミルトンはガリレオの説を知ってはいたが、文学的にはルネサンスの宇宙観に従っている。
ケンブリッジ草稿では、この行の後に一四行ほどの挿入があって、削除されている。この部分にも訂正がなされているが、その主な部分をブッシュの版にしたがって引用すると以下のようになる。九八〇ー八二行注参照。
ヘスペリデスの園の中、神酒ネクターと
天の合唱に浸されたその岸辺に、
永遠のバラが生えていて、そこにはヒヤシンスも
黄金の皮に包まれた木の実もあって、そのうるわしい木の上には
うろこに覆われた竜が、絶えず惑わしのきかない
眼光で鋭く見張っています。この悦楽の島の
周辺と聖なる境界のまわりを
昔から流れるあのねたみ深い大海が
腕を広げて取り囲み、ついには落下する滝となって
空しく流れる海水の半分は広い大西洋を満たし、
半分はゆっくりと底知れぬスティクス河の淵に注いでいます。
5【人間たちが地上と呼ぶ】人間が一般に大地と呼んでいる所は、実は「真の地表」ではないという意味である。プラトンの『パイドーン』(一〇九以下)には次のようにある。「というのは、大地をめぐっていたるところに、形態においても大きさにおいても、種々さまざまな多くの窪みがあり、水や霧や空気はその中へと、もろともに流れ込んでいるのである。ところが、大地そのものは汚れをおびず、浄らかな天空の中に横たわり・・・さてわれわれは、この大地の窪みの中に住んでいるのだが、それとは気づかず、上方の大地の表面に住んでいると思っているのだ。」(松永雄二氏訳)
10【美徳】原語は大文字で擬人化してある。以下仮面劇にはこのような例が多い。
11【あの冠】新約聖書のヨハネ黙示録四章四節には白衣の長老たちがいて、頭に永遠の命を象徴する金の冠をいただいている。ただし「聖座に着く神々」とあるからギリシア・ローマの神たちもそこに居ることになる。
13【黄金の鍵】キリストの使徒ペトロが手にする天国の鍵。マタイによる福音書一六章一九節参照。
17【むかつく臭気】特に人間の肉体からでる臭気。
18【ネプチューン】ローマの海神。彼はジュピターとプルートーンと三兄弟で、父サートゥルヌスから宇宙の支配権を奪ってこれを分割し、その結果ジュピターが天を、プルートーンが地下の国を、ネプチューンが海の支配を得た。「ジュピターたち」とあるのはこの三兄弟のこと。
24【貢を贈る神々】海神ネプチューンの大海に注ぐ河川の神々。
26【小さな三つ又矛】三つ又矛はネプチューンの象徴。「小さな」とはネプチューンのに比較して言う。
28【この島】ブリテンの島。
29【青い毛髪の】海の色を指すのであろう。
30【この地方一帯】ウェールズとその境界を指す。
31【さる高貴な方】ウェールズ総督のブリッジウォーター伯爵を指す。
32【この民】ウェールズ人。「誇り高く武勇にすぐれた」はウェルギリウスがローマ人に与えた形容。
【穏やかながらも】ウェールズは当時イングランドの支配に属していたので比較的「穏やかに」統治できるという含みか。
44【大広間でも小部屋でも】中世の騎士物語は城の大広間や城主の姫の小部屋で語られることが多かった。
47【バッカス】ギリシア神話でディオニューソスとも呼ばれる酒神。伝説によれば、彼はナクソス島に渡ろうとタスカニアの海賊船に乗り込んだが、彼らがこの神を奴隷に売ろうとしたので、バッカスは帆柱と櫂を蛇に変え、船を蔦と笛の音で満たしたので、水夫たちは狂って海中に逃れ海豚になった。オウィディウス『変身物語』三巻(五九七行以下)参照。バッカスの聖なる植物はぶどうの木と蔦で、動物では、山羊、海豚、蛇、虎、山猫などである。
48【トスカナ】中央イタリアのティレニアは、ローマ人によってエトルリアあるいはトスカナ地方と呼ばれていた。
50【キルケー】海神オーケアノスの娘ペルセーイスとヘーリオス(太陽)との間に生まれた娘で、アイアイエー島に住んでいた。オデュッセウスとその部下たちが、この島に来たときに、部下たちは彼女の魔酒で豚に変えられてしまった。オデュッセウスは、ヘルメース神から魔除の霊草モリーを得て(本文六三七行参照)、キルケーの宮殿に入り部下を人間の姿に戻らせた。ホメーロス『オデュッセイア』一〇巻(二一〇行以下)参照。
57【母にはもっと似ている】コウマスの魔術のこと。
58【コウマス】ギリシア語の「コーモス」(酒乱)からでた名前か。コウマスの誕生は、ミルトンの創出である。キルケーとオデュッセウスとの間に子が生まれたという伝説もあるが、しかし、ここではむしろヘーシオドスの『神統記』(一〇一五行)にキルケーには子供たちが居たとあるから、ミルトンはどうもここからヒントを得たようである。
60【ケルトやイベリア地方】フランスとスペインを指す。どちらもぶどう酒の産地だから。
66【太陽神】原語は「フィーバス」(輝くの意)。これは太陽神アポロの別名である。
70ー77ホメーロスの『オデュッセイア』一〇巻に基づくこの話しは、ウェルギリウスを経てルネサンス文学に受け継がれてきている。ホメーロスとミルトンとの違いは、『オデュッセイア』では体全体が獣に変わりながら人間の心は失われないままであるのに対し、ミルトンでは頭部だけが変相して、しかも内面まで獣と化している点である。上演の便宜のために頭部だけを変えたのかもしれない。
83【虹の女神】原語は「アイリス」。ルネサンスでは、彼女は大天使ミカエルの衣を染めたとされていた。一〇〇一行注参照。
84【ご当家にお仕えする】ヘンリー・ローズは、ブリッジウォーター伯爵家の音楽教師であった。
86ー88ミルトンはローズの歌をオルペウスのそれにたとえて彼に賛辞を呈している。
94【明星】宵の明星である金星(ヴィーナス)。
97【さかまき落ちる】ギリシア人は、大西洋の西の果てで海水が急な滝となって落下していると考えていた。
99【天頂】天球の北極のこと。
111【透明な炎】人間とその世界を形成している四大元素(地・水・空気・火)の中で、火はもっとも高い次元に属すると考えられていた。コウマスはここで、自分たちが、それよりも高い「透明な炎」であると自称する。
113【歳月を導く】星の運行が一年の歳月のしるしとなるから。
114【星空の合唱隊】ミルトンはガリレオの説を知ってはいたが、詩では一般に親しまれている古来の宇宙観(天動説)によっている。天体は、それぞれの「圏層」に固定されていて、その回転によって軌道を描いていると考えられ、月と太陽を含めて七つの惑星があった。これら圏層は、地上からの距離と運行の速度によってそれぞれ固有の音色をひびかせていて、全体が一つの調和した音階を形成している。これが「圏層の音楽」とも「宇宙の魂」とも呼ばれるもので、汚れのない心の人にだけ聞こえると考えられていた。
116【モリス踊り】どのようなダンスかはっきりしないが、はでな衣装をつけた踊りであったらしい。「ムーア人の踊り」からでた名か。
【月に波打ち】「月に服従する」の意味。
120【妖精】原語は「森の妖精」であるが、ここでは木や川の妖精たち全体を意味する。
124【愛の神】ヴィーナスの息子キューピットを指す。ここでの二人は卑猥な愛欲を意味する。一〇〇二ー四行注参照。
129【コティトー】本来はギリシア半島の北方にあるトラキア地方の女神。ミルトンの時代には淫蕩な女神として描かれた。
130【竜】竜は鋭い眼光のために「暗黒の車」を引くと言われた。ヨハネ黙示録二〇章二節ではサタンも竜として描かれる。
134【ヘカテー】太古では天と地と海を支配する女神であった(ヘーシオドス『神統記』四一四行以下参照)。しかし、後には夜と魔術の女神とされ、しばしば地獄と結びつけられた。オウィディウス『変身物語』一四巻(四〇三行以下)では、キルケーが毒草を辺りにまいて、夜と暗黒と混沌を呼び出し、気味の悪い叫び声でヘカテーに祈りをささげたとある。
140【船の小窓】舷窓のこと。太陽は夜の間は、地下の黄泉の国を通り抜ける「夜の船旅」をしている。
153【目をくらませる】ここでコウマスは、手にしている金銀の粉のようなものをまき散らすのであろう。
166このコウマスの言葉を文字どおりにとれば、彼が次に登場して乙女に姿を現わすときに(二六五行)、羊飼いに変装する必要はないことになる。しかし実際は羊飼いの身なりで登場したのであろう。
167一六七三年版では、一六七行が削除されていて、一六八行と一六九行とが入れ替わっている。この入れ替えがミルトン自身によるのか印刷屋の手によるものか説が別れる。
176【パーン】ギリシア神話では森と羊飼いの神である。田園詩ではさらに広く万物の繁栄を司るが、ここでは万物を与える「恵みの神」をも示唆しているのか。
186【親切な森】『コウマス』の森や自然は「陰気な森」(三七行)ともなり二重性を帯びている。
194【意地悪な暗闇】兄弟が乙女に付き添っているのを暗闇が「ねたむ」こと。
195ー225この部分はブリッジウォーター草稿には欠けている。実際の上演ではまだ無かったか省かれたのであろう。初版の一六三七年版の前に加筆されたと考えられる。
206【脳髄】原語は「記憶」。脳の記憶の部分は、心象や想像の宿るところと考えられていた。
215【貞節】新約聖書コリントの信徒への手紙(一)一三章一三節に「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」とある。ミルトンはここで「愛」を「貞節」と入れ替えているのが注目される。
231【ミアンダ】小アジアにある曲がりくねった河。「空洞」が多く「流れもゆるい」とあるのはそのため。エコーとミアンダとの結びつきはミルトンの創出である。
234【ナイチンゲール】フィロメラ(ギリシア語でナイチンゲール)は、義兄テーレウスに陵辱された。このため姉妹でテーレウスに復讐した後に、彼女はナイチンゲールに変身した。ここでのナイチンゲールは、この伝説を暗示していると思われる。
236【ナルキッソス】ギリシア神話で、山の妖精エコー(こだま)は、河の神の息子ナルキッソスに恋をするが、彼は水面に映る自分の姿に見とれて彼女の愛を受け入れなかった。このためエコーは、やせ細って、ついに声だけになったという。一方ナルキッソスは、水仙に変身した。オウィディウス『変身物語』三巻参照。
241この乙女の詞(二四一ー四三行)は、エピローグの終わり(一〇一八ー二一行)と呼応している。
243【天の調和】ルネサンスで「調和」(ハーモニー)とは、メロディーや音色も含むが、ここでは圏層の音楽を構成する音階のことである。だが、宇宙全体の「調和」の意味でもある。
244ー264コウマスの傍白となる。
244【土塊】人間は四大元素、特に「土」でできているから。
253【セイレーンたち】セイレーンたちは海のニンフで、その妖しい美声の歌で水夫たちの魂を奪った。ホメーロス『オデュッセイア』十二巻(三六行以下)によると、彼女たちの島は、キルケーの住むアイアイエー島とスキュラの岩との間にあった。オデュッセウスはキルケーの忠告によって、部下の耳を鑞でふさぎ、自分の体を帆柱にくくりつけて彼女たちから身を守った。そのため彼女たちは、海中に身を投じたという。
257【エーリュシオン】ギリシアのはるか西方にあり、英雄たちが死後に住むという浄福の島。一〇〇五行注参照。
【スキュラ】スキュラとカリブディスは、イタリアとシシリーとの間にある一対の岩である。スキュラの洞窟には、犬のように吠える同名の怪物が居た。カリブディスは、日に三度海水を飲み込み、三度吐き出したという。
267【シルワヌス】ギリシア神話の森の神であるが、後代ではパーンと同一視されることがある。
271【羊飼いさん】一六六行注参照。
290【ヘーベ】ゼウスの娘で、神々に酒杯を運ぶ役であったが、青春の女神とされるようになった。
300【空中に戯れる】火、空気、水、地の四つの元素にはそれぞれ固有の霊が宿るとされていた。ここではその「空気の霊」のことである。
335【混沌】ギリシア神話に出てくる「カオス」(混沌)は、本来原始の深淵を意味していて、エレボス(暗黒)とニュクス(夜)などを生んだ。
341【大熊座】原語は「アルカディアの星」。ギリシア人は大熊座に頼って航海し、ツロ(フェニキア)の水夫たちは、小熊座の一部である北極星によって航海したという。ギリシア神話で、アルカディアの妖精である処女カリストーは、アルテミスに従って狩をしていたが、ゼウスに愛され身ごもった。これを知ったアルテミスは、怒って彼女を熊に変じたが、ゼウスは母子を憐れんで母を大熊座に子をアルクトゥーロス星に変えた。オウィディウス『変身物語』二巻(四〇一行以下)参照。
373以下でミルトンは、兄の口を借りて美徳と貞節の力を賛美する。コウマスと乙女との間の論議では、コウマスはこのような教えを「悟る耳も心も持たない」(七八七行)からである。
376三七六ー八〇行は、ミルトンがこの仮面劇を書いた頃の生活を反映していると考えられる。
389【元老院】ローマの元老院は、立法の府として神聖な場所とされていた。
393【ヘスペリデスの園】ヘスペリデスはヘスペロス(夕べ)の娘たちで、ギリシアの西方、オーケアノスのほとりに彼女たちの園があった。そこには黄金の実のなる木があって、大蛇ラードーンが木の実を護っていた。ミルトンは、この娘たちを美と貞節の象徴と見ている。九八〇行参照。一説によるとエジプトの暴君ビュジリスは、彼女たちをわがものにしようとしたのをヘーラクレースに助けられたという。ミルトンが美人をヘスペリデスの木にたとえたのはこの言い伝えに基づくのか。
421【鎧で固めて】貞節が完全な鎧を着けている姿は、スペンサーの『妖精の女王』三巻にでてくる女性の騎士ブリトマートから得たのであろう。
422【矢も鋭い矢筒を背負う妖精】狩と月の処女神ダイアナに仕える妖精たちのこと。
442【ダイアナ】ギリシア神話のアルテミスと同一視されるローマの処女神。狩を好み同時に月の女神でもある。
447【ミネルワ】ギリシア神話のアテーナーにあたるローマの処女神で戦の女神。ゼウスとメティス(聡明)の間に生まれた。
448【ゴルゴーン】ゴルゴーンは、女怪物ゴルゴネスの一人メデューサのこと。その顔は美しく頭髪は蛇であって、彼女の顔を見た者はたちまち石に変じた。ペルセウスは、彼女の顔を盾に映しながらその首を切り、これを女神アテーナーに献じたので、アテーナーはその顔を自分の盾のしるしとした。
460【心の宮】人間の肉体は魂の住む宮であるという意味。新約聖書コリントの信徒への手紙(一)三章一六節参照。
477【アポロ】アポロは、音楽の神でもあり哲学の神でもある。
478【神々の旨酒】神々の飲む神酒ネクター。
494ー456オルペウスの竪琴の音色は木石をも感動させたとあるのを引いて、ローズに賛辞を呈する。田園詩では伝統的な手法である。
515【天のミューズ】圏層に住む九人の詩歌の女神ミューズたちの一人。ここでは特に「天のミューズ」とあるから至高の神の座に近い存在である。ミルトン自身もこの詩神から霊感を受けていることが示唆されている。一〇二〇ー二一行参照。
517【キマイラ】獅子の顔と山羊の体を持ち、口から火を吐く怪物。ホメーロス『イーリアス』六巻(一七九行)、オウィディウス『アイネーイス』六巻(二八八行)参照。
【魔法のかかった島々】スペンサー『妖精の女王』二巻一二篇十一節には、人の目をたぶらかす絶えず浮動する島がでてくる。
518【裂けた岩】ギリシア人は、洞窟や岩の割れ目を黄泉の国への入り口と見なしていた。
561【死神の肋骨】音楽は骸骨に魂を吹き込んで生き返らせるといわれた。
572【ある印】六二九行以下で語られる霊草ヒーモニィのこと。
587【偶然】神の摂理から見るとき、運命的な「偶然」は存在しない。
598【天球を支える柱】旧約聖書ヨブ記二六章十一節に「天の柱は動きその(神の)叱咤に動転する」とある。
603【アケロン河】地下の国を流れる河の一つであるが、転じて地獄そのものを指す。
605【ハルピュアイ】ウェルギリウスの『アイネーイス』三巻(二一二行以下)にでてくる翼のある女体の怪物。曲がった爪でアイネイアースの一行を襲い食物を奪った。
605【ヒドラ】ヘーラクレースが退治したという水蛇で、九つの頭を持ち、その一つを切るとそこから二つの頭が出てきたという。『変身物語』九巻一五八行参照。
【アフリカからインド】西の果てから東の果てまでの意味。
608【奴のちぢれ毛】エリザベス朝では、ちぢれ毛は気取った女々しさを意味していた。
619【若い羊飼い】これをミルトンの友人とする説もあるが、この羊飼いはミルトン自身を指していて、守護の精霊を演じるローズの歌にここで賛辞を贈っていると見るのがよいと思う。
637【モリー】五〇行注参照。ミルトンはここでのモリーを「節制」の象徴として用いていると考えられる。『オデュッセイア』一〇巻三〇二ー五行参照。
638【ヒーモニィ】これの解釈には諸説がある。「ヒーモニィ」はミルトンの造語でギリシア語の「ハイマ」(血)から来ていると思われる。以下に語られる霊草ヒーモニィは、キリストの血とその贖いの力を象徴していると解するのがよいであろう。
640【復讐の亡霊】原語は「フュアリーズ」でギリシア神話の復讐の女神たちを意味する。しかし、ここではギリシア神話の女神たちだけでなく、魔女や妖怪をも含む。
655【ウルカーヌスの息子たち】ウェルギリウスの『アイネーイス』八巻(二五〇行以下)には、ヘーラクレースに追いつめられたウルカーヌスの息子カークスは、異様な声をあげて喉から巨大な煙を吐いたとある。
662【ダプネー】彼女はアルカディアのラードーン河神、あるいはテッサリアのペーネイオス河神の娘といわれている。ダプネー(ギリシア語で月桂樹)は、彼女に恋するアポロの追跡を逃れようとするが、行く手を父の河にはばまれたので父に助けを求めると、父は彼女を月桂樹に変じた。オウィディウス『変身物語』一巻四五二行以下参照。
675【ヘレナ】彼女は絶世の美女でスパルタ王メネラーオスの后であった。トロイの王子パリスに心を移して彼と駆け落ちし、トロイ戦争の原因となった。
676【ネーペンテス】父の行方を探すオデュッセウスの息子テーレマコスが、スパルタのメネラーオス王を訪れたときに、后のヘレナがテーレマコスに与えた薬。これを飲むと父母が死に、目の前で兄弟や子供が殺されても、その日は涙を落とさないという。これをつくったのはトーンの妻でエジプトのポリュムダムナであるとされている。『オデュッセイア』四巻二二〇行以下参照。
680【自然】この行以下では、自然が美しい体を人間に「委託」したというルネサンス文学によく現われる経済的な貸借関係のイメージが用いられている。
697ー700この部分はブリッジウオーター草稿では欠けている。初演では語られなかったと思われる。
701【ジュノー】ジュノーはジュピターの后であるから、ここでの乙女自身を暗示するのにふさわしい。
706【毛で縁どった】ミルトンの時代の大学教授たちは、毛で縁どりをしたガウンをまとっていた。
707【ストア派】ストア派の哲学者は禁欲的な生活を重んじていた。
708【キュレネ派の桶】アテネのキニク派の哲学者ディオゲネスは、贅沢を避けて桶の中で暮らしていたという。
721【豆ばかりを食べ】旧約聖書ダニエル書一章によると、預言者ダニエルは、バビロン王ネブカドレツアルの宮廷で肉と酒を避けて十日間豆ばかりを食べていたとある。(現行の聖書では「野菜」とあるがミルトンの時代の欽定訳では「豆」となっている。)
727【日陰の子・・・】新約聖書ヘブライ人への手紙十二章八節に「もしだれもが受ける鍛錬を(神から)受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって実の子ではない」とある。しかしここでは「自然」について言っているのであるから、コウマスは「神」と「自然」とを入れ替えて聖書の内容をゆがめていることになる。
732【掘りもしないダイヤモンド】ダイヤモンドは、人間によって採取されないと、地中で「成長する」と考えられていた。
734【地の底に住む者たち】地下に住む亡霊たちは夜にしか姿を見せないのに昼間から現われるという意味。
737自然の豊饒を賛美した後で、コウマスは乙女の誘惑に移る。この行から七五五行までは、ブリッジウォーター草稿には欠けているので初演の台本にはなかったと思われる。乙女の台詞としてはふさわしくないと考えられたからであろうか。
753【曙のような巻毛】『オデュッセイア』五巻(三九〇行)の「うるわしい髪の曙」からでた表現。
756この行から七六一行までの部分は乙女が傍白として語ると思われる。
779この行の「続けましょうか」から八〇六行までは、ケンブリッジ草稿にもブリッジウォーター草稿にも欠けていて、一六三七年版にでてくる。ミルトンは一六三七年から三八年にかけてここを加筆したのかもしれない。
782【太陽の威光をまとう貞節】新約聖書ヨハネ黙示録一二章一節に「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には一二の星の冠をかぶっていた。」とある。この女性は教会を現わしている。
786【崇高な神秘】新約聖書エフェソの信徒への手紙五章二一ー三三節では、夫と妻との関係をキリストと教会との関係になぞらえて「神秘」と呼ばれている。
800この行から八〇六行前半まではコウマスの傍白となる。
804【サートゥルヌスの手下ども】サートゥルヌスはギリシア神話のクロノスにあたる。ウーラノス(天)とガイア(地)との間に生まれた十二名のティーターンたちの一人。クロノスの息子ゼウス、すなわちジュピターは、伝説によれば、ティーターンとオリュンポスを支配していたが、自分の息子ディオニュソスが、ティーターンたちに殺されたのを怒り、雷光を持ってティーターンたちをエレバス(暗黒の混沌界)に閉じ込めた。ヘーシオドス『神統記』六八七行以下参照。
808【僧院規定】カトリック教会の修道院規定を示唆している。
809【憂鬱症の血】人間の体質と気質を構成すると信じられていた四つの「体液」の中で、黒胆汁が憂鬱を生じる働きがあるとされた。憂鬱病の治療には、血液を採る方法があったので、その方法に触れてこのように言う。
813【賢くなって飲んでみよ】ミルトンの『楽園喪失』九巻七三二行で、蛇に身を変えたサタンが、エヴァを誘惑するときの次の台詞と比較される。「人間の姿をした女神よ、手をのばし思いきり味わってみよ。」
816【あの杖を逆さにして】モリーを身につけたオデュッセウスが、キルケーの魔酒にも害を受けず、キルケーに命じて変身した自分の部下を人間に戻させるときにも「キルケーは、杖を逆さにしておれたちの頭を打ち、前に唱えたのとは反対の呪文を唱えた」とある。オウィディウス『変身物語』一四巻二九一ー三〇五行参照。
823【メリビアス老人】ミルトンが「自分の師」と呼んだスペンサーは、『妖精の女王』二巻一〇篇で、サブライナの話しを語っている。このことからこの老人はスペンサーを指すと考えられる。
826【サブライナ】イギリスに古くから伝わるジェフリー・オブ・マンモスの『ブリテン列王史』(二部四ー五)によると、アイネイアースの子孫であるブルータスの死後、その息子の一人ロクラインは、コーンウォールの王コリネウスの娘グウェンドレンと婚約した。しかし、彼がハンバーと闘ったとき、ハンバーのもとにいたドイツ王の娘美女エストリルディスを手に入れた。しかし彼は約束どおりグウェンドレンと結婚した。だが、エストリルディスへの想い断ち難く二人の間にハブレンが生まれた。コルネリウスの死後彼はグウェンドレンを捨ててエストリルディスを后にしたため、グウェンドレンは兵を率いてロクラインを滅ぼし、エストリルディスとハブレンを河に投じた。このハブレンが転じてサブラとなり「セヴァン」の名前が出たという。
ミルトンは、このサブライナの物語にかなり変更を加えていて、グウェンドレンをサブライナの「継母」とし、サブライナを純潔で無垢な乙女として河の女神として甦らせている。ミルトンのサブライナは、ドレイトンの『ポリー・オルビオン』に現われるサブライナをモデルにしていると言われる。『ポリー・オルビオン』七巻四九ー五一行参照。
835【ネーレウス】ネーレウスは、ポントス(海)とガイア(地)との間に生まれた息子で、彼とオーケアノス(大洋)の娘ドーリスの間にネーレイドたち(水の妖精)が生まれた。彼女たちは、海や河川の妖精で、後出のアンピトリーテーやテティスも彼女たちの仲間である。彼女らがサブライナを助けた方法は『妖精の女王』三巻四篇四〇節を参照。
840【神々の香油】これは神々の食べ物とされるアンブロシアのことである。ネクターやアンブロシアを死体や体に注ぐのは『イーリアス』一九巻(三八ー三九行)や二三巻(一八五ー八七行)にもでている。しかし、ここではウェルギリウスの『農耕詩』四巻の「蜜蜂の巻」にでてくるアリスタイオスとその母キュレネーの話しが下敷きになっているのではないかと思える。なお前注『妖精の女王』参照。ここでのサブライナの変身はコウマスの手下が獣に変身されるのと対照される。
867以下にギリシア・ローマの水にかかわる神々の名前が列挙されるが、いずれもそれぞれに伝統的な形容辞をともなって現われる。
869【ネプチューン】ギリシアのポセイドーン。「大地を震わす」はホメーロスの形容辞。一八行注参照。
870【テーテュース】オーケアノスの妻で、万物の母である。二人は、はるか西方に威厳をもって住むと考えられた。
872【カルパトスの賢者】プロテウスのこと。「海の老人」と呼ばれ、海神ネプチューンの魚群を牧していた。牧人の持つ「柄の曲がった杖」を手にし、地中海のカルパトス島に住み、予言する力を持つ。
873【トリトーン】ネプチューンとアンピトリーテー(八三五行注参照)との間に生まれた子。下半身は魚で、海の神々の伝令役としてほら貝を手にしている。
874【グラウコス】ボイオーティア地方の人間の漁師であったが、薬草のおかげで不死となり海に飛び込んで海神になり、漁師や水夫に宣託を与えた。
875【レウコテアー】カドモスの娘でアタマースの妻イーノーのこと。セメレーと姉妹である。セメレーはゼウスに愛されてディオニューソスを生んだ。しかしセメレーが死ぬとゼウスは彼女にディオニューソスを育てるように命じたが、ヘーラーが怒って、彼女の夫アタマースを狂わせたために、夫は自分の上の子レアルコスを鹿と間違えて殺した。イーノーは、下の子であるメリケルテースを大釜で煮て殺し、その死骸を抱いて海に飛び込みレウコテアー(白い神)となった。彼女は難破船を助ける女神とされ、息子もパライモーンと呼ばれる海神となり、港の守護神ポルトーヌスと同一視される。「海辺を守る」とあるのはこのため。レウコテアーがオデュッセウスを救った話しは『オデュッセイア』五巻三三三行以下参照。またウェルギリウス『農耕詩』一巻四三七行参照。「きれいな手」とあるのは彼女の手が白いから。グラウコスもレウコテアーも水に身を投じて不滅な者になったのでサブライナを呼び出す名前にふさわしい。
877【テティス】海の妖精の一人である。美しいのでゼウスとポセイドーンに求婚されたが、ゼウスを拒んだため人間と結婚しなければならなくなり、テッサリアの王ペーレウスに追われてその妻となり、アキレスを生んだ。ホメーロスは彼女を「銀の足をした」と呼んでいる。
879【パルテノペー】セイレーンの一人(二五三行注参照)。彼女たちが海中に身を投じたとき、パルテノペーの遺骸がナポリに流れ着いたので、ナポリの人は彼女の墓を建てたという。サブライナの呼び出しになぜセイレーンの名がでてくるのかが謎であるが、ミルトンは、乙女とコウマスとサブライナとの関係を設定するにあたって、プロセルピナ神話を下敷きにしていると考えられる。すなわち、コウマスをハーデースに、乙女をプロセルピナに、そしてサブライナをキリスト教化されたケレースにそれぞれ類比させて見ることができる。オウィディウス『変身物語』五巻(五五四ー五五行)によれば、セイレーンたちは、プロセルピナがハーデースにつれ去られるまで共に花を摘んで彼女の仲間であったという。ミルトンがここで乙女を救うためにサブライナを呼び出す際にセイレーンを加えたのはこのためであろう。
882【リゲア】ウェルギリウス『農耕詩』四巻(三三六行)で、河の女神キュレネーに仕えるニンフの一人である。彼女たちの「白いうなじに、つややかな髪がかかっていた」(河津千代訳)とある。キュレネーは、その息子アリスタエウスのために神々の香油(アンブロシア)をその体に振りかけたとあるが、これはサブライナの甦りの典拠の一つであると思われる。もっとも、「岩にすわって髪を梳く」のは北方神話の人魚からでているのではないかともいわれる。
885【上がってきてください】ここで、サブライナは、妖精たちをともない、車に乗って下から上昇する装置を用いて、舞台の中央へ登場する。
912【霊水】この水は神の恩寵を象徴する洗礼の水と解される。
920【アンピトリーテー】彼女は、ネプチューンの妻であるから「宮殿」とは、彼らの宮殿のことである。サブライナの最後の二行は、再び降下しながら語られたのであろう。
923【アンキーセース】ロクラインの系譜は次のとおりである。アンキーセース、アイネイアース、アスカニウス、シルウィウス、ブルータス、ロクライン。アンキーセースは、ダルダノス王の娘テミステーの子でトロイの王家の血を引く。イーデー山で家畜を追っていたときに、アプロディーテーに愛されてアイネイアースの父となった。このことを話すのを禁じられていたが、酒に酔って打ち明けたために雷に打たれて盲目になった。トロイ陥落の際に、アイネイアースに背負われて脱出し、シシリーまで落ち延びてそこで死んだという。
933【黄碧玉や金の鉱石】サブライナへの祝福は実際の河の風物と重なりながら、ここからは比喩的な描写となる。
934【頭には冠のように】ミルトンはここでプロセルピナの母ケレースと同一視されるキュベレーを念頭においている。オウィディウス『変身物語』一〇巻(六九六行)に「城の櫓(=塔)にかたどった冠をいただくキュベレ女神」(中村善也訳)とある。キュベレーとケレースとの結びつきについては、ミルトンのラテン詩「悲歌」第五番(六一ー六二行)に「見よ彼女(=春)の高い額には聖なる森の冠がある、まるでイーダ山の豊穣の女神が松の塔で囲まれるように」とある。この「イーダ山の豊穣の女神」とはキュベレーの呼び名である。同じ「悲歌」(一二六行)にはさらに「母キュベレーとケレース」とありミルトンはキュベレーをケレースの母と見ていることが分かる。プロセルピナがケレースによって黄泉から戻されたために地上での豊穣が回復されたことをここでのサブライナによる乙女の回復に結びつけているのである。
937【没薬や肉桂】どちらも聖書の中でその薫りを賛美されている。セヴァン河の流域に産するのではない。
952【鄙びた踊り】ジッグダンスはやや活発な踊りであったようであるが、「鄙びた踊り」とは「宮廷風」すなわち貴族の踊りに対して言っている。「頭をひょこひょこしない」とあるから、手を組んで頭を下げることをしないという意味か。仮面劇では、貴族の踊るダンス以外は、職業的な踊り手によるのが通例であった。これらの踊り手は、劇の終わりに貴族たちが踊るまでに退場することになっていた。ここではしかし、ブリッジウォーター伯爵の着任を祝って「辺りに住む人たち」が踊っている。
957【中空を支配】新約聖書エフェソの信徒への手紙二章(二節)には「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊」とあり、サタンは、天と地上との間を占める「中空」を今も支配していると考えられている。
963【マーキュリー】神々の伝令役でギリシア神話のヘルメースにあたる。『ホメーロス賛歌』の「ヘルメース賛歌」では、ヘルメースは亀の甲羅から竪琴を発明して、その美しい音色でアポロを魅了して、自分の竪琴と牛の群れとを交換したとある。彼は音楽と体技の創始者であるから、「森の妖精」たちと「優美に」宮廷風のダンスを踊るのにふさわしい。
966以下の第二の歌は、伯爵夫妻と子供たちの対面だけでなく列席の人たちに三人を紹介する機会ともなっている。これに続いて子供たちが舞台の中央でダンスをするのである。
【エピローグを語る】初演に用いられたと思われるブリッジウォーター草稿では、このエピローグの九七六ー九八行までが、やや縮小され違う言葉遣いで、現在のプロローグの前に置かれている。守護の精霊がプロローグを語る前に歌ったのであろう。また、九九七行と九九九ー一〇一〇行まではミルトンが初版の一六三七年版の前に書き加えたと考えられる。この部分のケンブリッジ草稿には、二とおりの原稿があるが、後の糊付けされた方が初版に近い。したがって、初演のエピローグは、一〇一二行以下のみであったと考えられる。
976守護の精霊は大西洋の西の果てに飛び、そこから天界へ昇ると考えることもできるが、そのような境界は必ずしも明確ではない。ここでは、浄福の島エーリュシオン(『オデュッセイア』四巻五六二行以下参照)と同じく西方にあるとされるヘスペリデスの園(九八〇ー八三行)とが同一視されているからである。このような同一視はルネサンス文学において確立されていたのでミルトン独自のものではない。しかし、同時にこの楽園が「広々とした大空の中」(九七七行)と結びつくのは、ミルトンがこの楽園をさらにプラトンの「真の地表」と結びつけていることを意味する。五行注参照。
978【昼も決して目を閉じない】太陽は「昼の目」と呼ばれる。
980【ヘスペロスの園】三九三行注参照。
981【澄んだ大気】「真の地表」には「アイテール」と呼ばれる「大気」が存在する。プラトン『パイドーン』一一一参照。
982【黄金の木】オウィディウス『変身物語』四巻(六三七ー三八行)では、木は実だけでなく木それ自体も黄金であり、これを守るのはアトラスである。ミルトンも始めは「アトラス」としたが、これを「ヘスペロス」に変えている。夕べのヘスペロスをアトラスの兄弟と見て、彼を三人の娘ヘスペリデスの父としたのである。なおミルトンはここで、この木を見張る大蛇ラードーンを除いている点に注意。
986【優美の女神たち・・・・・】原語は the Graces。ヘーシオドス『神統記』(九〇九行)によれば、エウプロシュネー(よろこび)、アグライア(輝く女)、タレイア(花の盛り)の三人とされ、「カリスたち」あるいは「カリテース」と呼ばれる。ヴィーナスの侍女とされ、元来は豊穣の踊りと結びついているが、ルネサンスではその意味を広げ、スペンサーでは宇宙的な調和を司る踊りを導く役をしている。
【季節の女神ら】原語は the Hours。「ホーラーたち」あるいは「ホーライ」とよばれる。ヘーシオドスの『神統記』(九〇二行)では、三人で、「秩序」(エウノミアー)、正義(ディケー)、平和(エイレーネー)と呼ばれている。元来は季節を司る女神であったのが、次第に時間の女神とされるようになった。スペンサーでも一年の星座の運行を司ると同時に季節の女神でもあり、特に優美の女神たちと共に祝婚の場に招かれて贈り物や祝福を与える役をする。「胸もバラ色」とあるのは、一日の始まりの曙の光を意味するとも春の季節を現わすとも考えられる。
991【甘松や肉桂】甘松の香油は「ナルドの香油」として聖書にしばしばでてくる。肉桂と並んで聖書的な表象として用いられている。
992【虹の女神】八三行注参照。彼女は天と地とを結ぶ神々の使者である。
997この行は以下に述べることに注意を促すための挿入。
999【アドーニス】ミルトンは、ヴィーナスとアドーニスの話しをオウィディウスの『変身物語』十巻(五一九行以下)から得ていると思われるが、ここではより直接的にスペンサーの『妖精の女王』三巻六篇にでてくる「アドーニスの園」をその下敷きにしていると解されている。スペンサーの「アドーニスの園」では、二人は、太陽(アドーニス)と大地(ヴィーナス)、あるいはネオプラトニズム的な意味での「イディア」と「質料」との結びつきを意味するという解釈もある。しかし、この園は、自然の内に営まれる生殖と再生を描いていると見るのが最も妥当であろう。「地面には」とあるように、ミルトンはここではこのような自然の愛の姿を現わすものとして「アドーニスの園」を下敷きにしている。
1002【アッシリアの女王】ヴィーナスを最初に崇めたのはアッシリア人であったと言い伝えられているのでこのように言う。ヴィーナスは、現在のシリア地方からキプロスを経てギリシアに伝えられた。
1004-1006【天のキューピット・・・・・】アプレイウスの『黄金のろば』(四巻ー六巻)で挿話として語られる神話に基づく。王の娘である美しいプシューケー(魂)を妬んだヴィーナスは、息子キューピットを遣わして彼女を世にも醜い男と恋に陥らせようとしたが、かえって二人は愛し合うようになった。しかし、プシューケーが、見てはいけないと言われたキューピットの姿をのぞいたために二人は離ればなれになった。プシューケーはヴィーナスの課すさまざまな試練を首尾よく成し遂げついに神々の許しを得てキューピットと結ばれ不滅なものとされた。
ヴィーナスとアドーニス、キューピットとプシューケーの二組は、スペンサー「アドーニスの園」にも現われる。しかしそこではキューピットとプシューケーはヴィーナスたちと同じ所に住んでいるのに対して、ここでは二人は「はるか高み」に引き上げられている。ルネサンスの伝統としてキューピットとプシューケーの愛は、キリストと教会を象徴するとされていたのでミルトンはこれにしたがったのである。
1010【若さとよろこび】「アドーニスの園」では二人の間に「楽しみ」が生まれる。ミルトンはコウマスの「若さとよろこび」(六六八ー七二行)と対照させようとしているのであろう。