ラドロウ城の仮面劇 訳文  
ブリッジウォーター伯爵の正式のお世継ぎであられるご子息のジョン様、ブラックリー子爵卿へ。
 
 殿下、この詩は、あなたとご家族の方々が機縁となって初めて生まれたもので、上演にはご自身も参加くださる栄誉を得たものですが、今再びお手元に献上すべく戻ってまいりました。作者の認可こそ載せてありませんが、いわば嫡子として出されたものです。実にみごとな出来映えなので、希望する方が多く、幾人かの友人に満足いただこうと幾度も写しているうちにわたしの筆も疲れてしまって、これを印刷して世に出す必要にせまられた次第です。そこで今、豊かな将来とまれなご資質のゆえに、殿下を知るほどの人たちに将来必ずすぐれたお人柄になられるであろうと大いに嘱望されている若いあなたに、心からの忠誠をこめてこれを献上いたします。愛する殿下、お名前にふさわしく立派にご成長くださいますよう。そして、高貴なご両親の数々のご厚情を常々かたじけなく思う者の手より、ご自分のものとしてこれをお納めください。この舞台であなたを守護したサーシスのように今も変わらぬ真実をこめて。
                  忠実な僕より足下へ。
                   ヘンリー・ローズ
    登場人物
 
             
守護の精霊、後にサーシスに扮する。
コウマスとその手下ども。
乙女。
兄。
弟。
河の妖精サブライナ。
 
   ご出演の主な方々
 
ブラックリー卿。
トマス・エジャトン(卿の弟)。
アリス・エジャトン嬢。
 
第一場は生い茂った森。
 
守護の精霊が降下あるいは登場。
 
    守護の精霊
ジュピターの宮殿の星のかたどる門の前に              1
わたしの住まいがあります。そこには、不滅の姿をした
あの透明に輝く霊たちが、穏やかに澄みわたる
大気の中、もろもろの圏層に住んでいます。
はるか下には、人間たちが地上と呼ぶ
煙とざわめきにむせるこの薄暗い所があって、
卑俗な思いにとらわれ、家畜の檻に閉じ込められ詰め込まれて
欲に燃えるはかない身を保とうとあくせくするばかり、
うつし身を経た後に、聖座に着く神々の間で        
美徳がその真実な僕(しもべ)に授ける                 10
あの冠は気にも留めない。              
けれども、ある者たちは、その階梯(きざはし)を正しく登り
かの黄金の鍵に正義の手をのばし
永遠の宮殿を開くのです。
わたしが遣わされたのはこの者たちのため。彼らが居ないなら              
きよく香しいこの天衣を罪深い土塊(つちくれ)の放つ
むかつく臭気でよごしたくはない。
だがまず口上を。海神ネプチューンは、
満ち潮引き潮一切を意のままにする力に加えて   
天界と黄泉(よみ)の国とを分け持つジュピターたちとのくじ引きで、   20
深い海原の飾りけのない胸に、豊かな色とりどりの
宝石のように散らばり、波を帯とする
すべての島々を統治する権限も手に入れました。              
ネプチューンは、これらの島々を貢(みつぎ)を贈る神々への報いにと
位に応じてそれぞれの支配に委ね、彼らには         
サファイアの冠を戴き小さな三つ又矛を
手にする許しを与えたのです。けれども
あらゆる海域でもひときわすぐれて大きいこの島は、
青い毛髪の神々に分け与えられました。
こうして、沈む夕日に面するこの地方一帯は、              30
信望も権勢も類いなきさる高貴な方が
治めることになり、古来から誇り高く武勇にすぐれたこの民を
穏やかながらも威厳をもって導こうとされています。
さて、育ちも気高くうるわしい子供たちが、       
新たに託された王笏の座に着かれる父君のもとに
参列しようと来るところ。だがその道は
この陰気な森の曲がりくねった小路づたい、
薄暗い茂みが不気味な顔を近づけ
一人はぐれてさまよう旅人を脅かしています。
この場所は、うら若い年頃が危険に陥る所、               40
もしわたしが、至高のジュピターから即刻行けとの命を受け
彼らの護衛と守護に遣わされていなければ。
ではお聞きください。これからお語りするのは、
古今の歌人からは、大広間でも小部屋でも
歌にも物語にも聞いたことがないからです。
 紫のぶどうから初めて酒を搾り出し
これを甘い毒酒に変えたバッカスは          
トスカナの水夫たちを海豚(いるか)に変えてから
風のまにまにティレニアの岸づたいに
キルケーの島に流れ着きました。(太陽の娘               50
キルケーを知らない者がいるだろうか。その魔性の杯を
口にすれば、だれでも真っすぐな姿を失い
のたくる豚へと堕落するのです。)
この妖精は、蔦の実の絡まるふさふさした巻毛と
彼のあふれる若さに目を奪われ            
彼が島を離れる前に息子を孕(はら)み、
父そっくりながら母にはもっと似ているその子を
コウマスと名づけて自分の手で育てたのです。
今ではすっかり成長して浮気心の熟した彼は
ケルトやイベリア地方をうろついたあげく                60
ついにこの不気味な森へもやってきて        
暗い木陰の厚い帳(とばり)に潜み隠れ
母親のすごい魔術を負かすほどの巧みで
旅に疲れて通りかかる者にはだれでも
水晶のグラスにきらめく得意の酒をすすめ
太陽神の与える喉の渇きを癒やせと言う。これを口にすると
(たいていは愚かにも渇きに節度を忘れて飲むので)
たちまち毒がまわりだし、人間の顔立ちが
神々そのままの形を変えて
狼や熊や山猫、あるいは虎や豚、                    70
ひげのある山羊などの獣に変じてしまう
体のほかの部分はもとのままでも。
しかもその堕落ぶりは悲惨のきわみ、
醜く損なわれた己の顔に少しも気づかず
前よりも美しいと誇るありさま、
友人をも故郷をも忘れはてて   
官能の汚濁(おだく)の中を転げまわってよろこぶしまつ。
だから、いと高いジュピターの恵みを得た者が
この危険な森にさしかかることがあると、
流星のひらめきにも似たすばやさで                    80
わたしは天から一気に降って護衛に当たる、
今のように。だが、先ずはこの天衣、            
虹の女神の織り糸仕立ての衣を脱いで
ご当家にお仕えする一人として      
牧人(まきびと)の身なりに扮するとしよう。  
この牧人、柔らかな笛の音と言葉うるわしい歌声で
吠え狂う風を鎮めたり、波打つ森のざわめきを    
黙らせる術(すべ)を心得ているのですから。
忠義の心もこれに劣らず、丘の上での羊の見張り役も
この際にはぴったり、さっそくご援助にと                90
手近に控えています。だが、嫌な足音が
聞こえる。ここは姿を隠さなくては。
 
 コウマス、片手に魔法の杖を片手に酒杯を持って登場。さまざまな獣の頭をした怪物の一群を従えているが、体はぴかぴかの衣装を着けた男女である。手に手に松明をかざし、やかましいわめき声をだしながら入ってくる。
 
    コウマス 
羊を檻に入れよと告げる
明星空に高くまたたき   
日輪黄金(こがね)の車を走らせ
燃える車軸を大西洋の
さかまき落ちる流れに沈める。
傾く太陽残光鋭く
天頂高く夕空を染め
足どりゆるく大地の裏を                        100
寝所を目指して東へ向かう。      
さあさ嬉しく宴(うたげ)を始めろ。
どんちゃん騒ぎで夜通しすごせ。
ティプシーダンスだ嬉しく踊れ。
バラの花輪で巻毛を飾り
香油をたらし酒を注ごう。
厳格さんも今はお休み、
思慮分別のご意見役も
厳しい年寄り気むづかしい真面目さんも
重々しい教訓を枕にすやすやとお眠り。                 110
透明な炎と燃える俺たちは
夜の見張りの圏層にいて
すばやいロンドで歳月を導く
星空の合唱隊を真似る。
波頭きらめく沖も瀬戸も
モリス踊りで月に波打ち
黄褐色の砂地や砂州では
妖精たちや小人らがぴちぴち踊る。
波立つ小川や泉の畔で
川や木立の妖精が、雛菊きれいに着飾って                120
夜の祭りを楽しく祝う。
夜こそ眠りを忘れてはいかが、
眠りにまさる楽しみを味わうために。
さあヴィーナスが目を覚まし、愛の神を呼び起こす。
では俺たちの祭りを始めよう。
罪つくりなのは昼間の明るさ
この暗い木陰がばらす気配はない。
ようこそ、夜の遊びの女神、
黒いヴェールのコティトー様に、めらめら燃える
真夜中の秘かなお灯明を。竜の腹から                  130
吐き出され、とぐろを巻く地獄の闇の
暗黒で辺り一面真っ暗にならないと
姿を見せない神秘の女神よ、
ヘカテー様と相乗りの
雲間を走る黒檀のお車を止め
誓いを立てたわれら祭司が、あなた様へのお勤めを
あますことなく成就するようお力添えを。
秘密をばらす東の物見、
インド洋の果てから明ける小うるさい朝が
船の小窓から盗み見て                         140
べらべらしゃべる太陽に
秘かにあげるこの儀式を告げ口しないうちに。
さあ、手をつないで地面を鳴らし
輪になって軽やかに踊り狂うのだ。
 
       音楽に合わせて踊る。
 
    コウマス 
止まれ。止まれ。どうやらこの近くに、調子の違う
貞節の足どりの気配がする。
この茂みや木立に大急ぎで隠れろ
大勢いるとこわがるから。どこかの処女に違いない。
(俺の魔法で見分けがつくのだから。)
森の中で行き暮れたな。よし、魔法でおびき寄せてから          150
うまく罠にかけてやろう。まもなく俺も
母のキルケーの周りにいたのと同じくらいみごとな
獣の群れをつくってみせる。こうして目をくらませる
呪(まじな)いを辺りの空気にたっぷり吸い込ませ、
幻影で彼女の目を欺いて、ありもしない
姿を見せてやるのだ。この場所と
俺の異様な身なりに驚いて
怪しんで女が逃げ出すような
やり方はしない。俺の方法はその逆だ。
いかにも親切そうな装いで                       160
言葉巧みにへつらいも丁寧、
もっともらしい理屈を餌に釣り込んで
人の言いなりになる奴の心にくねくねと入り込み
巻き込んで罠に落とす。一旦彼女の目が
この魔法の粉の力に触れると、
俺の姿はどこかの気のいい村人に映り
野良仕事に励んでいたと思うだろう。
だが、こっちへ来る。そっと脇へ退いて
こんな所になんの用か、できれば聞いてみよう。
 
       乙女登場。
 
    乙女 
あの音はこの方角だった、聞き違いでなかったら。            170
今は耳だけが頼りですもの。なんだかひどい騒ぎ方で
羽目をはずしてはしゃいでいるようだった。
陽気なフルートやうきうきしたパイプの音色で
無知で節度をわきまえぬ百姓たちが浮かれだすときみたい。             
増えた羊の群れやいっぱいの穀物倉を祝い
野卑な踊りで豊穣の神パーンをたたえても
神々へのそのような感謝の仕方は誤りです。無作法で
酒臭くあつかましい夜の飲み助たちなどに
出会いたくないのだけれど。でもほかに
不案内なこの足をどっちへ向ければいいのかしら、            180
この深く茂った森の真っ暗な迷路の中ですもの。
弟たちは、長い道のりでわたしが
疲れているのを見て、ほどよく枝を張っている
この松の木立の下で夜をすごそうと決めて、
すぐ近くの茂みまで出て行って
野莓かなにか、親切な森がもてなす
冷たい実を探してくると言っていた。
二人が出かけたのは、灰色の頭巾をかぶる夕暮れが        
巡礼姿の地味な行脚僧(あんぎゃそう)のように
太陽神の車輪の後から姿を現わすときのこと。              190
でも、どこにいるのか、どうして戻ってこないのか、
今のわたしの心にかかる。どうやら
遠くへ足を向けすぎて踏み迷い、
意地悪な暗闇が二人の帰りを先回りして
わたしから連れ去ったらしい。でなけば、おお、盗人の夜、
よこしまな企みがないのなら、どうしてあなたは
自然が尽きぬ油で天にともす       
星の光をお前の龕灯(がんどう)に閉じ込めて
踏み迷うわびしい旅人の行く手を
照らす光をばさえぎるのですか。                    200
確かこの辺りだわ、つい今しがた
大声で浮かれ騒ぐ声が
この耳にはっきりと聞こえたのは。
でも見えるのはただ暗闇ばかり。
これはいったいなんなの。無数の妄想がうじゃうじゃと
わたしの脳髄に群がってくる。
呼びかける姿や手招きする奇怪な影、
砂浜や渚や荒涼とした荒れ野で
舌先鋭く人の名を呼ぶ空中の声。
こういう思いは心をどきっとさせる。でも                210
美徳の心はおびえない。いつも付き添い
護ってくださる強い味方の良心が居るのですから。
ああ、ようこそ。瞳の清い信仰、それに手の白い希望、    
あなたは金色(こんじき)の翼ではばたく天使。
そしてしみ一つない姿の貞節、
三人ともはっきり見える。今こそ信じましょう、
最高に善なるお方のもとでは、良くない出来事はみな
罰を下すための手下役人にすぎない。
このわたしには、いざというとき、光輝く護衛を遣わし   
命と操(みさお)を危害から護ってくださるのだと。           220
思い違いかしら、それとも黒地の雲が
銀色の裏地をひるがえして夜を照らしているのだろうか。
間違いない、黒地の雲が
銀色の裏地を夜に向かって輝かせ
鬱蒼と茂るこの森をほのかに照らしている。
弟たちに呼びかけることはできなくても
なるべく遠くへ聞こえるように思いきって
声をだしてみよう。新しい元気が体の中から
湧いてくる。そんなに遠くへは行っていないかもしれない。
 
        
 
声うつくしいこだまさん、姿を見せぬ妖精さん、             230
   流れもゆるいミアンダの
   緑の岸の空洞や        
   すみれ花咲く谷間(たにあい)で
   愛を奪われたナイチンゲールの
夜毎に悲しい歌声がひびく所に住むという。
あなたのやさしいナルキッソスに
   よく似た二人を知りませんか。
   どこか花咲く空洞に
   二人を隠しているのなら
   せめてその場を教えてください、                 240  
呼べば応えるやさしい女王、天層の娘さん。
   そうすれば天上高く移されて
天の調和をうるわしい恵みの音色で飾るでしょう。
 
    コウマス     
地上の土塊(つちくれ)からできた生身の体が
こんなにも神々しいうっとりするよろこびを響かせるだろうか。
きっとなにか神聖なものが胸の内に宿っていて
その喜悦のほとばしりが大気を震わせ       
秘められたその住処(すみか)を明らかにしているのだ。
その声はなんと秘めやかに夜のしじまの
翼に乗って、星一つない夜空を縫うように                250 
一節(ふし)ごとに射干玉(ぬばたま)の烏のような暗闇の
羽毛にそっと触れたことか、夜の暗さもほほえむまでに。
母のキルケーが三人のセイレーンたちと
花を着飾る水の精に囲まれて
薬草や毒草を摘みながら歌うのをよく耳にしたが、
その歌は、肉体に閉じ込められた魂を包み
エーリュシオンに誘いだした。スキュラも涙して
吠えたける波を叱って聞きほれさせると
酷いカリュブディスさえ、そっと感嘆の声をもらしたほど。
だが、彼女らの歌は心地よいまどろみで感覚を麻痺させ          260
甘い恍惚で意識を奪うものであったのに、
こんなにも神聖で心にひびく喜悦を
こんなにも確かな意識に目覚めたよろこびを
今まで耳にしたことがない。話しかけてみよう。  
俺の后(きさき)にするのだ。もし、この辺りに見かけない美しい方、
荒涼としたこの暗い茂みが生み出すはずのないお方だ。    
きっと鄙(ひな)びた社(やしろ)の中、パーンかシルワヌスと共に
ここに住んでおられて、ありがたい歌声で
性(たち)の悪い冷たい霧が湧く度に
高く生い茂るこの森を損なわぬよう命じてくださる女神様だ。       270
    乙女
いいえ、親切な羊飼いさん。せっかくのおほめの言葉も
この耳に入らないほどです。
上手なところを見せようとしたのではなく、はぐれた
連れの者たちを呼び戻そうと思いあまって
やむをえず親切なこだまを呼び覚まして    
苔むす臥所(ふしど)から応えてもらおうとしたのです。
    コウマス
お嬢さん。どういうわけでこのように一人だけに。
    乙女
暗がりと茂った迷路のせいよ。
    コウマス
付き添いの案内人にはぐれたのもそのためですか。
    乙女
疲れたわたしを草地において行ったのよ。                280
    コウマス
裏切りか礼儀知らずか、それともほかに訳があって。
    乙女
冷たいおいしい泉がないかと谷の方へ探しに。
    コウマス
美しい方を護らずにですか、お嬢さん。
    乙女
二人しかいないので、すぐに戻るつもりでしたの。
    コウマス
きっと意地悪な夜に先回りされたのでは。
    乙女
わたしの不運をちゃんと言い当てますのね。
    コウマス
今の自分を案じるより二人のいないのが気になりますか。
    乙女
弟たちを失うのと同じですもの。
    コウマス
二人は男盛りですか、それとも若さにあふれる年頃。
    乙女
剃刀をあてない唇はヘーベのようになめらかよ。             290
    コウマス
そんな二人を見かけました。ちょうど疲れた牛が
引き具だけをつけて小麦畑から帰り              
垣根造りの人足たちが疲れた夕食(ゆうげ)につく頃に。
向こうの小さな丘の腹を這い登る
緑の蔦が覆うその下で、柔らかい細枝から
熟したぶどうを摘んでいるのを見ました。
立っているその姿は人間とは思えなかった。     
まるで虹を住処にして
綾(あや)なす雲間に遊ぶという    
空中に戯れる妙(たえ)に美しい幻(まぼろし)かと           300
見間違えるほど。畏敬の念に打たれて
わたしは通りがかりに拝みましたよ。
あの二人を探しておいでなら、あなたをお助けするのは
天にも登る旅路というものです。
    乙女
              親切な村人さん、
そこへわたしを連れていく一番の近道は。
    コウマス
この薮から真っすぐ西へ行ったところの上り坂。
    乙女
でも羊飼いさん、こんなにかすかな星明かりで
道を見つけるのは、どんなにすぐれた
案内人の技でも無理なこと、          
行き慣れた人の確かな勘(かん)に頼らなければ。            310
    コウマス
わたしならこの茂った森のどんな小路も林道も        
窪地でも薮のある谷間(たにあい)でも知っています
茂みが縁どる小川の流れも隅から隅まで、
毎日歩いて長い間なじんでいますから。              
もしもお連れの方が、まだこの界隈(かいわい)の小屋に泊まるか
木陰に身を寄せているのなら、夜が明けて        
地面に巣ごもる雲雀が、藁の寝床から
舞い上がるまでに分かります。
でなければ、お嬢さん、伏せ屋ながら心のこもった
家にご案内しましょう。さらに探索を続けるまで             320
無事に居られるよう。
    乙女
          羊飼いさん、お言葉に従って
真心からのその礼儀をお受けしましょう。              
礼儀とは、とかく煤けた天井の賎(しづ)が屋に
多く見かけるもの。王侯の住む綴れ織りの大広間や
館(やかた)などは、礼儀の名の出所なのに   
ほんの上辺だけなのです。
ここほど守りの悪い危険な所はないのですから
移るのはこわくありません。
ああ、天が導きの目を留めて、この試練をわたしの力に
ふさわしくしてくださいますよう。羊飼いさん、行きましょう。      330
 
    両人退場。
    二人の兄弟登場。
 
    
おぼろな星よ覆いをとれ。うるわしい月よ、
旅人の恵みとなってくれるあなたも      
青白い顔を琥珀(こはく)色の雲間からのぞかせ
闇と森陰の二重の夜でここを支配する
混沌を追い払ってくれ。
もしもあなたの威力が、黒いよこしまな毒気に               
さえぎられて届かないのなら、土壁(つちかべ)づくりの住まいの
網代(あじろ)窓からもれてくる
どこかのやさしい蝋燭の光よ、
灯芯から長い一筋の光明となって僕たちを訪れてくれ。          340
そうすれば僕たちの大熊座とも   
ツロ人(びと)の北極星ともしよう。
    
            あるいは僕たちの目に
その幸いもさえぎられるのなら、せめて聞かせてほしい、
板囲いの檻にいる羊の群れの鳴き声とか       
麦でつくった牧笛(まきぶえ)の音色とか
森番の口笛、村里の雄鳥が
毛並みのいい雌鳥に時を告げる鳴き声でも。
数知れぬ枝にびっしりと閉じ込められては
それでも慰めになり気を引き立ててくれる。
でも、ああ不運な乙女、行方の知れない姉さん。             350                      
今頃どこをさまよっているのか。がさがさする毬(いが)や薊(あざみ)の中を
冷たい夜露をしのごうと、どこへ向かっているのだろう。
今頃は、どこか冷える土手を枕にしているか
大きな楡のざらざらした幹に枕もなしに
悲しみと恐れでいっぱいの頭をもたせかけているのだ。
もしかすると気も動転しておびえているのでは。
こうして話している間にも、飢えた野獣や
野蛮な情欲の魔の手に落ちているのでは。
    
これ、落ち着きなさい。あれこれ心配して
確かでもない災難に気を回してはいけない。               360
たとえそのとおりでも、まだ分かりもしないのに
一番嫌なことにわざわざこちらから出向いて
悲しみの時を早める必要がどこにある。
ありもしない恐怖におびえていたとしたら
ずいぶん惨めな自己欺瞞になるではないか。
姉さんは、そんなにとり乱したりする人でなく
美徳を教える書物の素養に欠けていて
善良な心に宿る快い平安をなくしたりはしない。
明かりや物音がないくらいで
(危険な状態にないと僕は信じるので)                 370
静かなもの思いの生む心の落ち着きが乱されて
めったな振舞にかられることはないと思う。
たとえ太陽や月が平らな海に沈んでも
美徳はみずから発する輝きで
美徳の思うとおりを行なう。英知自体も
時折ひっそりと心地よい孤独を求め         
瞑想というこよなき乳母(うば)に育(はぐく)まれて
その毛並みをそろえ翼を生やす。
群衆のざわめく雑踏の中では
羽もすっかり荒れるし時には傷めるから。                380
みずからの澄んだ胸の内に光を宿す者は
地の底にすわっていても明るい昼をすごす。
だが、暗い心と醜い思いを隠す者は
真昼の太陽のもとでも暗闇を歩く
自分自身が牢獄だから。
    
            なるほど             
深い瞑想には、人里離れた庵(いおり)の
ひっそりした静けさが一番似つかわしく、
人や家畜がにぎやかに訪れる所を遠く離れても
まるで元老院にいるように安全にすわっておれます。     
  だれが隠者の衣やわずかの本や                   390 
数珠(じゅず))や楓(かえで)の木皿を奪ったり
白髪頭に暴力をふるったりするだろう。
だが美人は、ヘスペリデスの園にある
黄金の実がなるうるわしい木のように、
魔法にもくらまぬ竜眼鋭い護衛が居て
あつかましい欲情の粗暴な手から
その花を護り実らせる必要があります。
辺り一面荒れ茂るこの荒れ野を、護る者なく
ただ一人通る乙女を、危難が
黙って見逃して無傷で通してくれるなどと                400
そんな期待を抱くのは、こっそり蓄えた 
守銭奴(しゅせんど)の宝を強盗の岩穴の前に広げて
安全だと言うのも同然です。
僕の気になるのは夜や孤独ではない。
この二つにともなう恐ろしい事故が恐い。
なにかよこしまな手が助けのない姉さんの
身に触れるのではと。
    
          僕はなにも
姉さんの状態が、疑いも議論の余地もなく
安全だと言うつもりはない。
ただ、希望と恐怖が等しく釣り合って                  410
事の成り行きをはかるときには、
僕は生まれつき恐れよりも希望に傾き
疑わしい横目などはきっぱりはねつけるのだ。
姉さんは、君が想像するほど護りの悪い
ままではいない。姉さんには、君の忘れている
隠れた力がある。
    
        どんな力です、
もしも天からの力でないと言うのなら。
    
その意味でもあるが、天が与えても
自分の力と呼べる隠れた力のことです。
それは貞節なのです。いいかい、貞節です。               420
これを備えた女性は、身を鎧で固めていて
矢も鋭い矢筒を背負う妖精のように
広漠とした森、身の置きどころのない荒れ地、
名も恐ろしい山々や危険な砂漠を
巡っても、貞節の放つ神聖な光のために 
獰猛(どうもう)な荒くれ者も山賊も山男も
あえて処女のきよらかさを汚そうとはしない。
そう、とても人の住めない所、               
茂みが不気味に陰る洞穴や洞窟の傍(かた)らでも
平気で堂々と通りすぎて行ける                     430
高ぶりや思い上がりでやってはいけないが。
人の云うには、夜中に出歩く悪いもの、
湖や沼地の畔や霧や鬼火の中にいるもの、
青ずんで痩せこけた妖婆、晩鐘が夜を告げると
呪縛を破る執念深く往生できない亡霊、
悪鬼や廃坑にでる黒い妖精なども
まことの処女性には危害を加える力がないそうだ。
これで納得したか。それともギリシアの
昔の学派から古代の書を引いて
貞節の武器を証拠立てようか。                     440
永遠に貞節で銀の矢を放つうるわしい女王、
狩の女神ダイアナに恐ろしい弓があったのもこのため。              
これで縞模様の雌ライオンや斑(まだら)の豹を
手懐(てなづ)けたし、キューピットの気まぐれな矢など
ものともしなかった。神々も人々も
その厳しい顔つきを恐れ、それで彼女は森の女王なのだ。
無敵の処女である賢明なミネルワの持つ
蛇の頭のゴルゴーンを描いた盾こそは、
これで彼女は敵を凍らせ石に固めてしまったが、
貞節の威厳を帯びた厳めしい顔つきと気高い品位で            450
凶暴な相手も圧倒され崇拝の念に襲われ
畏敬にたじろくほどのものではなかったか。
聖なる貞節は天ではとても大切で
ある魂が真実そうだと分かると
天衣をまとう無数の天使が彼女に仕え
罪や汚れのもとを一つ一つ遠ざけて         
きれいな夢や厳かな幻(まぼろし)の中で
汚れた耳では聞けないものを聞かせてくれる。
天に住む者と交わりを続けるうちに
汚れに染まぬ心の宮となるべき                     460
その人の外形にも光が射しそめて、
だんだんと魂の本質へと変えられ
ついには、全体が不滅にされる。だが、情欲のため       
淫らな表情や卑猥(ひわい)な仕草、汚い話しや
とりわけ淫乱な肉欲に耽ける罪の行ないによって
心の奥まで汚れに染まると
魂もこれに汚染されて固まり
肉性と獣性を帯び、とうとう
神聖な性質を持つ初めの姿を失ってしまう。
こうしてあのじっとりと陰気な黒い影となり               470
死体置き場や墓地にしばしば現われては       
さまよったり新墓(にいはか)の傍らにじっとすわったりする。
まるで官能の肉欲に引きずられて
堕落と退廃へ落ち込んだかっての自分の
慕わしい肉体を去り難いかのように。
    
聖なる哲理はなんとすばらしいのだ。
鈍い愚か者の考える堅苦しさもなく
アポロの笛のように快いひびきや  
神々の旨酒(うまざけ)の尽きないもてなしのようだ。
飽きたりて胸につかえることがない。
    
            ほら、ほら、どこか遠くから          480
静かな空気を伝わって呼び声が聞こえる。
    
僕もそんな気がする。なんの呼び声だろう。
    
                  きっと
だれかが僕たちみたいに行き暮れたのか、
         
それとも近くに住む木こりか。悪くすると
仲間を呼んでうろつく強盗か。
    
天よ、姉さんにお護りを。ほら、また聞こえる。近づいてくる。
剣(つるぎ)を抜いて用心する方がいい。
    
            僕が声をかけよう。
敵対しなければ迎えよう。するなら
正当防衛だ。天のお力添えを。
 
 守護の精霊、羊飼いの身なりで登場。
 
聞き覚えのある声だ。だれだお前は。                  490         
それ以上近寄るな。剣(つるぎ)の餌食になるぞ。
     守護の精霊
その声はだれです。若君では。もう一度お聞かせを。
    
兄さん、お父さんの羊飼いだ。間違いない。
    
サーシスか。巧みな調べで流れをせき止め
渦巻く川に歌声を聞かせたり
谷間(たにあい)の麝香(じゃこう)バラに香りを添える人だ。
牧人(まきびと)さん、どうしてここへ。雄羊が
檻を抜け出したのか。小山羊が親からはぐれたのか。
羊が群れを離れて囲いを迷い出たのか。
この暗い奥まった片隅をどうやって見つけたのです。           500
    守護の精霊
おお、これはご主人の愛するお世継ぎと次に愛される方。
迷った雌の羊や、かすめ奪う狼に取られたものを
追うなどと、そんなささいなことで
来たのではありません。この辺りの高原を豊かにする
ふさふさした羊の尊い群れも、わたしの用向きと
そのための気がかりに比べると取るに足りないほど。
おや、乙女の身なのにお嬢さんはどこにいるのです。
いったいどうしてご一緒でないのですか。
    
羊飼いさん、困ったことに、僕たちの過失でも
怠慢でもないけれども、来る途中で見失ったのです。           510
    守護の精霊
ああ、なんということに。ではわたしの心配したとおりです。
    
なんの心配だ、サーシス。どうか手短に話してくれ。
    守護の精霊
話しましょう。これはたわいない作り話ではないのです。
(浅薄無知な人はそうきめこむけれども)
その昔賢明な詩人たちが、天のミューズに教えられて
崇高で不滅な詩で語っている
ものすごいキマイラや魔法のかかった島々、
地獄の入り口となる裂けた岩のことです。
こういうものはあるのに、信じない者にはそれが見えません。
 この不気味な森の真ん中ほどに                    520
黒々とした糸杉に覆われて妖術師が居るのです。
バッカスとキルケーの間に生まれたものすごいコウマスで
母親のあらゆる魔術に深く通じて
喉の渇いたさすらい人が通ると、この所で    
巧みに誘(いざな)い、呪(まじな)いを幾度もかけた恐ろしい
毒酒をすすめるのです。その口当たりのいい毒にかかると    
飲む者の形相(ぎょうそう)がみる間に変じて
嫌らしい獣の顔が代わりに刻み込まれ
顔に印されていた理性の刻印を
消し去ってしまう。このことを知ったのは                530
この谷底を見おろすほど近い小高い草地で
群れの番をしていたときです。谷底から夜な夜な
彼とその怪獣どもの吠える声がひびく様は、まるで
檻の中で吠える狼か獲物にとびかかる虎のよう。   
奥深い住処(すみか)に潜み、いつも決まった場所で
ヘカテーにおぞましい儀式をあげるのです。
しかも、いろいろな餌や惑わしの呪文を用いて
それとは知らずに通りかかる人たちの 
隙をねらって感覚をたぶらかし招き寄せる。
今宵遅く、露を含んだおいしいみちやなぎで               540 
夕食(ゆうげ)をすませた羊の群れが 
反芻(はんすう)しながら檻にいる頃、   
蔦が天蓋(てんがい)をつくり風に揺れる
すいかずらの咲き乱れる土手の上で
腰をおろして番をしていたわたしは
静かな憂愁の思いに心地よく身を委ね 
牧人(まきびと)の歌を奏でるうちに、うっとりと                
夢見心地になりました。ところが、節回(ふしまわ)しの終わりに
森の中からいつものわめき声が起こり
辺りの空気をぎゃあぎゃあかき乱したので                550
わたしは歌を止め、しばらく騒ぎを耳にしていると
いつになくぴたりと止んで静けさが戻り 
帳(とばり)をおろした眠りの車を引く駒が
破られたまどろみを再び始めました。
そのうちに厳かにひびく歌声が、そっと
豊かに蒸留された香水の香りのように立ちのぼり
辺りの空気に漂うと、沈黙さえもわれ知らず        
聞き入って、その性(さが)に背いて立ち退き
いつまでもその声をひびかせたいと
思ったほど。わたしも耳をそばだて                   560 
死神(しにがみ)の肋骨にも魂を吹き込むその調べに
心を通わせました。ところがなんと、そのうちに
それがあなた方の姉上、わたしの敬愛する
お嬢さんの声だとはっきり聞き分けられたのです。
恐れと悲しみに愕然としたわたしは、あわてて立ち上がり、
「ああ、哀れにも不運なナイチンゲール。なんと美しい
歌声で、死の罠に近づくのか」と思いました。
それから、まっしぐらに森の草地を駆けおりて
昼間踏み慣れた曲がりくねる小路を走り抜け
耳を頼りにそこへ行ってみると                     570
あのいまわしい魔術師めが、巧みな変装に身を隠し
(わたしはある印でそれと見破ったのです)                       
わたしの全速力の疾走も時すでに遅く、助けのない無垢(むく)の乙女、
奴がねらった獲物に出会ったのです。
近くに住む村人と思いこんだ彼女は
これこれの二人を見なかったかと優しく尋ねました。
それ以上聞くまでもなく、あなた方二人のことだと           
すぐに気づいたので、踵(きびす)を返して一足とび、
ここであなた方にお会いした次第です。
これ以上は知りません。
    
           おお、夜よ、暗い森よ、              580
なんとお前たちは地獄と三人ぐるになって                 
一人ぼっちで助けのいない乙女の防ぐ術(すべ)のない
弱さを攻めるのか。兄さん、あなたはまだわたしに
確信を持てと言うのですか。
    
             そうだ、それを保って
しっかりとその確信を支えにするのだ。僕が
言ったことは一言も取り消さない。悪意であれ
妖術であれ、あるいは人が誤って偶然と呼ぶ
力が向かってきても、僕の信念はこうだ、
美徳は攻められても決して傷を受けない             
不正な力に驚いてもこれの虜(とりこ)にはならない。           590
そう、たとえ害悪がどんな危害を企もうと
きっとその試練を幸いに転じて栄光を現わす。
だが、邪悪はその身にはね返り
善とは二度と混じることなく、ついには
澱(おり)のように固まってひとりでに沈んでいく。            
悪は、永遠に定まりない流転(るてん)の末に
己を食らいみずから消滅する。これが誤りなら
天球を支える柱は腐敗し
大地の床もその土台は切り株だ。さあ、行こう。
天の意志と武器に逆らって                        600      
この正義の剣(つるぎ)をふり上げたりは決してしない。
だが、あのいまいましい魔術師め、たとえ彼が、
アケロン河のどす黒い旗の下に集う
ぞっとする悪霊の大群に護られていて、
ハルピュアイでもヒドラでも、アフリカからインドにいたる
どんな奇怪な姿がいても、きっと奴を探し出して
奪ったものを力づくで取り戻すか
奴のちぢれ毛を掴んで、呪われたその命、
汚れた死へとたたき込んでやる。
    守護の精霊
            ああ、見上げた勇気の若者。
その勇気と大胆な企てはあっぱれですが                 610        
この際あなたの剣(つるぎ)は役に立ちません。
地獄のすごい魔力に打ち勝つには
全く別の武具と武器とが要るのです。
奴は、杖一本であなたの腱(けん)を粉々にし
関節をばらばらにできるのですから。
    
           でも羊飼いさん、いったい
あなたはどうやって、そんな話しができるほど
奴に近づけたのですか。
    守護の精霊
         注意深く最高の手だてで
お嬢さんを突然の魔の手から取り戻すために
わたしに思い当たるある若い羊飼いがいます。
 人目を引くほどの者ではありませんが、                620
朝の光に緑の葉を広げるあらゆる
霊験あらたかな草木や薬草に通じています。
わたしに好意を寄せて、よく請われるままに
歌ってあげると、柔らかい草の上にすわって
うっとりするまで聞きほれていました。
するとお礼にと彼の皮袋を開き
数知れない名の薬草を見せては
その不思議によく効く効能を語ってくれたのです。
その中から、とりわけ小さく見栄えがしないが
 霊妙な効き目のあるのを選んでくれました。              630
葉は黒ずんで刺があり
彼の言うには、別の国だと 
金色(こんじき)に輝く花を咲かせるのに、この土地ではだめなのです。
人に知られず尊ばれもせず、愚かな田舎者の
鋲のある靴の底で日毎に踏まれていますが、
それでいてヘルメースがその昔賢明なユリシーズに与えた
モリーよりもすぐれた作用を発揮します。
彼はそれをヒーモニィと呼んでわたしに与え
あらゆる妖術や害を及ぼす黴や毒気、
ぞっとする復讐の亡霊などに最高の力を                 640
発揮するからしまっておけと言ったのです。
わたしはそれをしまい込んで、たいして気にも留めずにいたのが、
今のこの苦境でやっと思い出し
それがほんとうだと分かったのです。このおかげで
あの汚らわしい魔術師の変装を見破り  
鳥黐(とりもち)のような呪(まじな)いの真直中から
抜け出せたのですから。これを身に帯びていれば
(出かけるときにさしあげますが)思い切って 
怨霊(おんりょう)をあやつる奴の館(やかた)を攻めることができます。
彼を見つけ次第勇猛果敢に                       650 
剣(つるぎ)をかざして飛びかかり、グラスを割り
その淫らな飲物を地面に流してください。
だが杖は奪うのです。彼とその一味とが
盛んに闘う素振りを見せて脅しをかけても
あるいはウルカーヌスの息子たちみたいに煙を吐いても
奴さえ引き下がればじきに退散しますから。
    
サーシス、すぐ案内してくれ。ついて行こう。
だれかよい天使が僕たちの盾になってくれるように。
 
 場面は立派な宮殿に変わり、さまざまな華美な飾りつけがしてある。静かな音楽とご馳走を並べた食卓が幾つか。コウマスが一味を連れて登場。乙女は魔法のかけられた椅子にすわらせられている。彼がグラスを差し出すと、彼女はそれを拒み立ち上がろうとする。
 
     コウマス
お嬢さん、いけません。この杖を一振りすれば 
体の筋(すじ)は自由を失い、石膏の肌をした              660
彫像になるか、アポロから逃れようとした
ダプネーのように根が生えるのです。
    乙女
             愚か者、自慢はおやめ。
あなたの魔術がどんなものでも、心の自由に触れることは
できません。たとえこの肉体が、天の許す間だけ
あなたの力で縛られていても。
    コウマス
お嬢さん、なにをそんなに苛立つのです。顔をしかめたりして。    
ここにはしかめ面(つら)も怒り顔もない。悲しみもあちこちの
戸口から飛び去ってしまう。ほら、ここには好き心が
若い思いと一緒に生み出す楽しみがあるばかり、
桜草の季節になると四月の蕾が開いて                  670
若い血が生き生きとよみがえるときのように。
先ず、心をかき立てるこの飲物をごらん、    
水晶の器(うつわ)の中でこんなにめらめら踊っている。
芳醇な酒と香りも甘い液とを混ぜたもの。
エジプト王トーンの妻が、ジュピターの娘ヘレナに      
与えたという憂(う)さを忘れるネーペンテスも
こんなよろこびをかき立てる効き目はなかったほどに
命にやさしく渇きに冷たいのです。
どうしてあなたは自分をそんなに酷く扱うですか。
やさしくいたわりそっと楽しむために自然が               680
貸し与えたその肢体に酷くするのですか。
あなたは、自然が委託した契約に背いて
せっかくよい条件で借り受けたものを
悪い借り手のやるように粗末にして
生身の弱い人間ならだれでも免れない
条件を無視しているのです。
労苦の後には休息、苦しみの後には慰めが必要。
それなのに、一日中食事もせずに疲れていながら                   
ほどよい休みもとっていない。だが、美しい生娘(きむすめ)さん、
これですぐに元気が戻る。
    乙女
         戻りません、嘘つきの裏切り者。           690
その偽りの舌先であなたが追い出した
真実と名誉はもう戻りません。
これがあなたの言う「伏せ屋」なの。
安全な住まいなの。なんて見苦しい姿でしょう、
このような醜い顔の怪物ども。ああ、わたしにお護りを。
汚らわしい詐欺師、その毒々しい魔薬をあっちへおやり。
信じやすいわたしの無知につけこんで
偽りの仮面と卑劣な欺瞞で裏切ったのね。
その上まだ、獣をおびき寄せるのに格好な餌で
わたしを罠にかけようとするの。                    700
たとえジュノーがその宴会で飲む酒でも
あなたの差し出す裏切りの酒など口にしません。
善い人だけが善いものを与えることができる。
節度をもって欲求を賢く処理する人には
善くないものはおいしくないのです。
    コウマス
なんという愚かな人間ども!毛で縁どった
ころも
衣など着たストア派の学者どもに耳を傾け
キュレネ派の桶から教訓を得て
痩せて青ざめた禁欲をほめそやすなんて。
いったいなんのために自然は、豊かに惜しみない手で           710
善いものを注ぎ出し、この地上を
花々や果実や家畜の群れで満たしてくれたのです。     
海を無数の稚魚(ちぎょ)の群れであふれさせたのです。
味覚の鋭い人間をよろこばせ賞味させるためじゃないですか。            
そして、幾百万の糸を紡ぐ蚕(かいこ)にせっせと
緑の仕事場でなめらかな絹を織らせては
自然の子を飾るのです。その上どんな片隅も
自然の豊かさにもれぬよう、彼女は腰の辺りに             
だれもが尊ぶ貴金属や宝石を孕(はら)んで
子供たちに与えてくれる。もしも全世界が                720   
節制風(かぜ)に吹かれて豆ばかりを食べ
澄んだ水を飲み粗末な衣をまとうなら、
万物を与えるお方は、感謝もされずほめられず
その富の半分も知られないで蔑(ないがし)ろにされてしまう。
それでは彼は、冷たい主人、自分の富を
出し惜しむけちん坊にされてしまい、
わたしたちも自然の日陰の子でその嫡子ではなくなる。
自然はありあまる自分の重さに耐えきれず    
無駄な豊饒(ほうじょう)で息がつまってしまう。
大地は担いきれず、空は鳥の翼で暗くなり                730
家畜の群れは飼い主の手にあまるほど増え広がり
海はあふれる魚で膨れあがり、掘りもしないダイヤモンドは、
地底の額に夜空の星みたいにちりばめられて
ぎらぎらと輝き、地の底に住む者たちも       
光にすっかり馴れて、ついには地上に
恥知らずにも顔を出して太陽を眺めかねません。
お嬢さん、お聞きなさい。恥ずかしがって処女性などと         
誇らしげな名前に騙(だま)されてはいけません。
美人は自然の鋳た貨幣、しまっておくものではない。
通用させなくては。むつまじく楽しみを                 740
分け合ってこそ値打ちのでるもの、
一人で楽しんでも味気がない。
時を逃せば、見捨てられたバラのように
首うなだれて萎れてしまう。
美人は自然の自慢の種、宮廷や宴会、それに
豪華な式典にも姿を見せて、大勢の人が   
その細工(さいく)に感嘆するようにしなくては。
所帯を守るのは所帯じみた顔のやること、
そこからその名が出たのです。ざらざらした顔の肌、
くすんで艶のない頬などは、刺繍仕事に                 750          
精を出して羊の毛を梳(す)くためのもの。
そんなことに、赤く燃える唇や愛を放つまなざし、
曙のような巻毛がどうして要りますか。    
こういう賜(たまもの)には別の意図があるのですよ。
よく考えて聞き分けなさい。あなたはまだ若いのだ。
    乙女
この不潔な空気の中で、固く閉じた
唇を開きたくはなかったのです。ただ、この手品使いが、
わたしの目ばかりか判断までも狂わせようと
偽りの規範にもっともらしい理屈を装わせてくるから。
悪徳が都合のいい論法を並べるのに                   760
美徳にその高慢を抑える舌がないのは我慢できません。
いかさま師、なんの罪もない自然が         
まるで自分の子を放埒(ほうらつ)に仕向けようと             
しているような言い方はお止し。自然は良い賄(まかな)い人、
その与えるものは、善良な人のためだけのもの
節度ある自然の定めとほどよい節制という
神聖な教えに従って生活する人のためです。
もしも今、ありあまるほどにため込んだ少数の人が
              ざんまい
お腹に詰め込むだらしのない贅沢三昧の中から
欠乏に悩む正しい人たちみんなに                    770
それ相当の分け前を幾らかでも回してあげたら、
自然の十分な祝福はほどよくいきわたり
あまることなく平等に配分されて
自然はその蓄えに少しも煩わされません。
こうすれば、与えてくださるお方は、よりよく感謝され
ふさわしい賛美を受けます。豪華な宴会で
豚のようにがつがつしながら、天を仰ぐこともしない          
愚劣な恩知らずどもは、貪(むさぼ)りながら
養うお方を罵るのです。続けましょうか、            
それともこれで十分なの。冒涜(ぼうとく)の舌先を           780
侮蔑の言葉で武装して、あえて
太陽の威光をまとう貞節に逆らう者には 
一言(ひとこと)言ってやりたいのです。でもそれがなんになるでしょう。
賢明で大切な処女性の教えを
説き明かすのに語らなくてはならない
高遠な思想と崇高な神秘を
悟る耳も心もあなたにはないのです。
今のあなたの身の上以上のしあわせを
悟らないのは当然の報い。
あなたの大事な機知とやらを、それが仕込んだ              790
目もくらむ華やかな弁術と一緒に楽しむがいい。
いくらあなたが間違っていると言っても聞かないのですから。
でもわたしが語り始めるなら、このきよらかな大義の持つ
尊さは抑え難い力となってほとばしる精神に火をともし
神聖な炎となって燃えさかり
もの言わぬ木石も感動のあまり共鳴すると
非情な大地も力を添えて揺れ動き
あなたの魔法の殿堂がどんなに高くそびえていても
その偽りの頭上にがらがらと崩れ落ちるでしょう。
    コウマス
   たわごと
これは戯言ではない。なにか俺に勝る力が                800
彼女の言葉の背後から迫る気配がする。
人間でもないこの俺の体が震える冷や汗で
びっしょりだ。まるでジュピターが怒りの
雷鳴をとどろかせ、サートゥルヌスの手下どもを
暗黒界に閉じ込めたときのように。ここは平気を装って
もう一押し強く試してみよう。さあ、もうたくさんだ。          
そんなのは教訓じみた戯言(たわごと)にすぎん。俺たちの神殿の
僧院規定に真っ向から逆らうもの、
許してはおけない。それこそ憂鬱症の  
血の滓(かす)が溜まりすぎたせいなのだ。               810
だが、これを飲めばすっきりする。一口すすると
沈んだ気持ちもよろこびに浸されて
夢見心地を上回る気分になる。賢くなって飲んでみよ。
 
兄弟剣を抜いて跳び込んで来る。コウマスの手からグラスを奪い取り地面にたたきつけて割る。彼の一味は抵抗の構えを見せるが、みんな奥へ追い込まれる。守護の精霊登場。
 
    守護の精霊
なんと、あの偽りの魔術師を取り逃がしたのですか。
これは失策。杖をもぎ取って奴をしっかりと
縛ってほしかったのに。あの杖を逆さにして
呪文を逆に唱えて魔力を解かないと
石みたいに固く押さえつけられ身動きできずに
ここにすわっているお嬢さんを自由にできません。
だが、待てよ。心配は要らない。いい考えがある。            820
もっと別の方法が使えそうです。
牧場(まきば)で笛吹くどんな牧人(まきびと)よりも誠実な
メリビアス老人から以前聞いたことがある。
ここからほど遠くないところに心やさしい妖精が居て                
なめらかなセヴァンの流れに濡れた轡(くつわ)をかけています。
名をサブライナというきよらかな処女で
その昔ロクラインの娘でした。彼女の父、
ロクラインは父ブルートゥスの王笏を継いだのです。
罪もないこの女は、怒り狂う継母グウェンドレンの
厳しい追跡を逃れるうちに                       830
逃げる彼女の行く手をさえぎるこの流れに
その汚れのない身を委ねました。    
河底で戯(たわむ)れていた水の精たちは
真珠に輝く手首を上げて彼女を受け入れ
すぐに老いたネーレウスの宮殿へ運びました。
彼女の不運を憐れむ彼は、濡れた頭をもたげてやり         
娘たちに命じて、凋(しぼ)まぬ花を浮かべた           
神々の香水ネクターで湯浴(ゆあ)みさせてから          
五感の働くそれぞれの孔(あな)や口に              
神々の香油を落とすと、彼女は甦(よみがえ)って            840         
たちまち不滅の姿に活かされ
この河の女神になりました。乙女の
やさしさを今なお保ち、夕暮れなどにはよく
黄昏(たそがれ)の牧場(まきば)を歩む羊の群れを訪れて
性(たち)の悪い小鬼などが悪戯(いたずら)にやる
作物や家畜の疫病や縁起の悪い仕業などを 
器(うつわ)に入れた貴重な水で直してくれます。
このため羊飼いたちは祭りの度毎に 
鄙(ひな)びた歌でその親切を声高くほめたたえ   
桜草や撫子(なでしこ)やラッパ水仙で編んだ              850
香り豊かな花輪を流れに投げ入れるのです。     
その老いた牧人(まきびと)の言うのに、彼女は、幾重(いくえ)にもかけられた           
魔法を解いたり金縛りの呪(まじな)いをも消すことができます、
歌を用いて正しい仕方で呼び出すならば。
処女性を愛する彼女は、かっての自分のように
処女が苦境に追い込まれると、すぐにも
助けてくれるのです。やってみましょう、
少しばかり呼び出しの呪文を添えて。
 
    
 うるわしのサブライナよ、
   聞いてください。ガラスのように                 860          
透きとおる冷たい波の水底(みなそこ)にすわり 
   百合の花咲く組み紐で
 琥珀のしたたる流れ髪を結う方よ。      
   大切な操(みさお)のために
   銀の流れの女神様、
    聞き入れてお救いください。
 
聞いて姿を見せてください
大いなるオーケアノスの名によって。
大地を震わすネプチューンの矛と
テーテュースの重々しい足どりにかけて。                870
白髪のネーレウスの皺くちゃな顔と
カルパトスの賢者の曲がり柄の杖にかけて。
鱗姿のトリートーンの渦巻くほら貝と
占いの老人グラウコスの呪文にかけて。
レウコテアーのきれいな手と
海辺を守るその息子たちにかけて。
きらめく靴をはくテティスの足と
甘いセイレーンの歌声にかけて。
死んだパルテノペーの懐かしい墓と
ダイヤのような岩にすわり                      880           
柔らかになまめく髪を梳(す)く        
美しいリゲアの黄金(こがね)の櫛にかけて。
流れの上で夜毎に踊る
あだな目つきの妖精たちにかけて
上がってきてください。珊瑚を敷いた河床から
バラの花輪の頭をもたげ出てきてください。      
さかまく波に手綱(たづな)をかけて
この呼びかけに応えるまで
           聞いてお救いください。
 
サブライナ、水の精たちを従えて舞台に上がってきて歌う。
 
    サブライナ
   燈芯草の縁どる岸辺                      890
 柳と濡れたこり柳の生える所に
   すべる車がぴたりと止まると       
 ちりばめた瑪瑙(めのう)とまばゆく輝く
  トルコ玉の青やエメラルドの緑が
   河底に映ります。
 急な流れを抜けた足を
 九輪桜のなめらかな花に
 こうしてのせても跡もつかず
  花はたわみもしないのです。
 やさしい羊飼いさん、あなたの願いを聞いて             900
   ここに来ました。
    守護の精霊
貴い女神様、
どうかあなたの強い手で
ここに苦しむまことの処女の
魔法の呪縛を解いてください。
呪われた魔術師のよこしまな
魔力と悪巧みにかけられたのです。
    サブライナ
羊飼いさん、罠にかかった貞節を
助けることこそわたしの務め。
輝く乙女よわたしをごらん。                     910
きよい水源の雫を集めた
妙(たえ)なる効き目の霊水を
あなたの胸にかけましょう。
この指先に三度。
ルビーの唇に三度。
次は、熱くべとつく粘液で
毒された大理石の椅子に
冷たく濡れた貞節の手の平をあてましょう。
さあ、呪(まじな)いは力を失いました。
ではわたしは夜明け前にアンピトリーテーの              920
宮殿に伺わなければなりません。
 
サブライナ降る。乙女椅子から立ち上がる。
 
    守護の精霊
処女よ、ロクラインの娘よ、
先祖アンキーセースの血をひく方。
あなたのあふれる河波が   
雪を頂く山から下る
無数の小さな流れを集めた    
豊かな貢(みつ)ぎを失わないように。
夏の日照りも焦げつく大気も
うるわしい巻毛を焦がさないように。
雨多い十月の激しい雨水も                      930       
澄んだ流れを濁(にご)さないように。
あなたの泡立つ波が岸辺に 
黄碧玉(おうへきぎょく)や金の鉱石を運ぶように。          
あなたの気高い頭には冠(かむり)のように
多くの塔や庭園が立ち並び    
あなたの堤(つつみ)は点々と茂る
没薬(もつやく)や肉桂(にくけい)の森を頂くように。
 さあ、お嬢さん、天の恵みのあるうちに
この忌まわしい所を出ましょう。
 あの妖術師が新しい手で                      940
わたしたちを誘わぬうちに。
浄(きよ)い所へ出るまでは
小さな音にもご注意を。
この薄暗く広がる森を
わたしが忠実に案内します。
ここからほど遠くない所に    
父上の館(やかた)があるのです。
そこでは今夜厳かに
多くの友人が集まって
待ちかねたご臨席を祝い、その上                   950
辺りに住む人たちもみな        
ジッグダンスや鄙(ひな)びた踊りに集います。
その催しに間に合って
ふいにその場に出るなら
楽しさ嬉しさは倍になりましょう。
さあ、いそいで。星は高くのぼっていても     
夜はまだ中空(なかぞら)を支配しているのですから。
 
場面は変わってラドロウの町と総督の城。田園風の踊りを踊る者たちが入ってくる。続いて守護の精霊、兄弟と乙女を連れて登場。
 
    守護の精霊
羊飼いたち、あちらへ戻って
次の晴れた祝いの日まで。
今度は頭をひょこひょこしない                    960
別のステップを踏むのです。
つま先軽く宮廷風に
マーキュリーが、優美に踊る       
森の精と草地や牧場(まきば)で
初めて考えだしたように。
 
次の第二の歌で子供たちが、父君と母君に引き会わされる。
 
気高い殿、うるわしい奥方、
新しいよろこびを今ここに。
ごらんください成人された
三人のうるわしいお子たちを。
天は早くも彼らの若さと                       970
信仰、忍耐、節操を試し、
厳しい試練を通った彼らに    
朽ちない冠(かむり)の褒美を授けたので
愚かな肉欲と不節制にみごとに
勝った勝利を祝って踊ります。
 
踊りが終わると守護の精霊がエピローグを語る。
 
    守護の精霊   
では大海原(おおうなばら)の果てに飛び
広々とした大空の中
昼も決して目を閉じない
あの幸いの国へと向かいます。
そしてヘスペロスの園の内で                     980
澄んだ大気を吸いながら
三人の娘が黄金の木の周りで歌う
その歌声を聞くのです。
木(こ)の葉の揺れる緑樹の陰で          
春は嬉しくぴちぴち戯(たわむ)れ
優美の女神たちと胸もバラ色の季節の女神らが       
豊かにもたらす賜(たまもの)で
そこには常夏が宿り
西風が薫る翼に乗って 
香柏(こうはく)の並木を通り抜けると                990
甘松(かんしょう)や皮桂(ひけい)がかんばしく匂うのです。
そこでは虹の女神が露の弧を描いて      
しっとりと堤(つつみ)をうるおし
縫い取りした彼女の飾り紐より
色とりどりの花を咲かせ、
エーリュシオンの園の雫で
(聞く耳ある人よお聞きなさい)
ヒヤシンスやバラの床を濡らします。            
そこでは若いアドーニスが深手(ふかで)を 
癒やされ、折々に身を横たえて                    1000
そっとまどろむ地面には
アッシリアの女王が悲しげにすわるのです。
だが、星空輝くはるか高みへ上げられた
彼女の名高い息子、天のキューピットは
長いさすらいの労苦の後でうっとりと甘美に浸る
愛しいプシューケーを抱いています。       
神々の一致した思(おぼ)し召しで
彼女は永遠の花嫁となり
きよらかにうるわしいその体からは
二人の幸いな双子、若さとよろこびが                 1010
生まれるのです。ジュピターの誓われたとおりに。
今わたしは無事務めを終え
天駆(あまが)けるか地を駆けるかして
すばやく緑の大地の果て
大空がゆるやかに弧を描く所へ向かいます。
そこからさっそく飛び立って   
三日月の角(つの)にいたるのです。        
 わたしに従う人間(ひと)たちよ、
美徳を愛せよ、彼女だけが自由。
美徳はあなたを教え導き                       1020
圏層の音楽よりも高く登らせる。
美徳の力が及ばぬときには
天みずからが身をかがめ彼女を支えてくれましょう。
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