【注釈】
〔構成〕
 この詩編は、全部で22の連からなり、各連は八つの節で構成されている。22の連は、ヘブライ語のアルファベットの順になっていて、それぞれの連を構成する八つの節は、全部そのアルファベットで始まる。たとえば、最初のアレフの連では、1節から8節までがアレフの文字で始まる。そして、その各々の節には、「証し」「定め」「掟(おきて)」「裁き」「言葉」「戒め」「律法」「約束」のどれかが用いられていて、一つの連でこれら八つの言葉が一回りでてくるように配列されている。でてくる順序は、連によって異なるがこれにも一定のパターンがあると思われる。したがって、これらの言葉の意味にはそれほど大きな違いがないと考えられるが、それでも、各々の言葉の持つ固有の意味が生かされているのを見落としてはならない。1連が8節の構成は、完全の表象である7に、さらに+1を加えて律法の完全な成就を表象させるための数秘と考えられる。
 各連の内容も、2×4の構成によってふたつに分かれる。今回のペの連で言えば、129~132節では、暗闇から光へと「律法の戸口」へ導き出されることで、律法への飢えが満たされ、命の力が与えられる。133~136節では、悪しき圧制者から解放されて、律法を蔑む者たちによる奴隷状態から贖い出されることが祈り求められる〔Hossfeld. Psalms (3).279-280〕。
 こういう技巧的な構成の中に、作者は、祈り、感謝、賛美、嘆き、諭し、告白などのさまざまな内容を織り込んでいて、一見雑然とした印象を与える。しかし、読んでいくうちに分かることだが、全編が「神のみ言葉と法」への信頼と賛美によって貫かれている。注意したいのはこの神のみ言葉と法に向けられた信頼が、作者と神との個人的な関係と深く結びついていることである。しかも、その結びつきの背後には、作者の並々ならぬ体験、悩みと苦難の体験があるのをうかがわせる。この詩は、律法そのもの「内容」は説かない。主の律法を瞑想することで、主との人格的な交わりへと引き入れられる「律法神秘主義」とでも言うべき詩である〔Hossfeld. Psalms (3).256〕。
〔成立年代〕
 虜囚後期から初期ユダヤ教にかけて、イスラエルの宗教は、律法主義的な傾向を強めていき、これが後に「学者・パリサイ人」の宗教としてイエスの非難を受ける結果になった。しかし、この詩編では、神の律法に向けられる作者の心は、これを通じて神との深い交わりに達していて、そのような頑なさは見受けられない。作られた年代は比較的遅い。119篇は、過越祭に歌われるハレル詩集(113~118篇)と巡礼の詩集(120~134篇)の境目に置かれている。これら二つの詩集が一つにされたのは、虜囚以後で、前4世紀の頃であろう〔Hossfeld. Psalms (3).263〕。
〔律法用語〕
 「律法の篇」と呼ぶにふさわしいこの119篇には、神の法を意味する八つの異なる言葉が繰り返し用いられている。そのうちで、「み言葉」は「神の語られること」を、「律法」は「神の法」を意味するもっとも一般的な用語である。しかし他の六つについては、日本語訳、英語訳を通じて訳語が一定していない。[共同訳][関根訳][フランシスコ会訳][口語訳]の間でも、同じ訳語が違った原語に対して用いられている。したがって、この訳での用い方を以下に簡単にあげておきたい。
【証し】原語は「エードース」。「証しする・証言する」からでた語で詩編119では複数形で現われる。
【戒め】原語は「ミツオース」。「任命する・申しつける・命令する」からでた語で、これも複数形で用いられている。
【裁き】原語は「ミシュパティーム」。「裁判する・判断する・司法を司る」の意味でこの詩編では単数形と複数形の両方が用いられている。
【約束】原語は「イムラー」。「述べる・宣言する・公約する」からでた語。法的には「戒め」をも意味する。単数形で用いられている。
【定め】原語は「プクディーム」。「調査して決める・規定する・(軍隊で)任じる」からでた語で、これも複数形で用いられている。
【掟】原語は「ホキーム」。「書きしるす」からでた語で、古代ヘブライでは法律による行政用語。通常罰則を伴う。
 
[129]【すばらしい】「驚くべき」「不思議な」の意味をも含む。
[130]【純朴な者】原語の元の意味は「信じやすくだまされやすい者」。これを「おろかな者」「無学な者」とする訳もあるが、むしろ「信じやすい純朴な者」[フランシスコ会訳]のこと。
[132]【ご配慮】原語は「あなたの裁きにしたがって」。これは慣用句で「あなたがいつもなさるように」と訳されているが、むしろ「(正しい裁きにより)当然あるべきように」という意味であろう[ワイザー]。
[133]【悪に負けない】原典は、あらゆる悪(「虚無」の意味をも含む)が自分を支配しないようにという意味。
[136]【川となった】原典では、涙の川が「流れた」は過去形。「守らない」は現在形である。これを、どちらも現在形にする訳が多いが〔新共同訳〕[フランシスコ会訳]〔NRSV〕、現在の状態をも含む完了形の訳もある〔Hossfeld. Psalms (3).253〕。
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