2篇:ヤハウェに油注がれた王
 
1なにゆえに異邦の諸民は騒ぎ立て        
  もろもろの民は空しい事を企むのか。
2地の王たちは事を構え            
  君侯たちは共に謀議して
  主に逆らい、その油注がれた者に向いて言う
3「我らは彼らの枷(かせ)を振り切り
  彼らの縄目を断ち切ろう」。
 
4天に座す方は笑い 
  主は彼らを嘲られる。
5時に主は怒りを発して彼らに語り 
  激しく憤り彼らをおののかせて言われる
6「我自(みずか)らが王を即位させた
  わが聖なるシオンの山で」。
 
7わたしは主の詔(みことのり)を告げよう。 
  主はわたしに言われた「あなたはわたしの子
  わたしは今日あなたを生んだ。
8わたしに求めよ、そうすれば与えよう 
  異邦の諸民をあなたの嗣業として
  地の果てまでもあなたの所領として。
9あなたは彼らを鉄の杖で打ち破り 
  陶器師の器のように打ち砕く」。
 
10王たちよ、今こそ悟りを得よ 
  地を裁く者たちよ、戒めを受けよ。
11恐れつつ主に仕えよ 
  おののきつつ主を喜べ。
12その御子に口づけせよ。
   さもないと主の怒りで彼らは道半ばで滅びる 
 その怒りが速やかに燃えるからである。
   すべて主に寄り頼む者は幸いである。
                        【注釈】

【講話】

2篇の謎
 「君が代」は、古来九州地方の民謡で、婚礼の席などめでたい時に歌われていたらしい。だから「君」とはほんらい花婿を指していたことになる。この歌が、いつの間にか都のほうへも伝わって、嵯峨天皇(在位809年~823年頃)の頃には天皇を讃える歌として用いられるようになった。明治政府は、これを、天皇制国家を讃える国歌と定めたが、このことが災いして、戦後から現在にいたるまで、この歌をめぐって訴訟が絶えない。歌にはこのような長い歴史があるから、歌の作者は誰か、歌がどのように解釈されるのかについて、限定したり特定したりするのは難しい。特にその解釈は、時代による変遷を免れないし、それがその歌の命でもある。
 この2篇は「王の詩」と呼ばれていて、これも同じ王の詩である89篇と対応している。しかし、わたしたちは、この篇が、世の権力者たちの弾圧を受けた最初期のクリスチャンたちが、彼らの祈りを支えるために引用したことを知っている(使徒4章)。生まれたばかりの主の民が、なぜこのような詩を引用したのか。新約の神の民が、イスラエル民族主義の気概溢れるこのような詩を、それもイスラエル民族主義から最も遠いはずの彼らの信仰の支えとしたのはなぜなのか? ダビデ王権に由来するこの詩が、どのようにしてそのような気高い普遍的な精神を産み出すことができたのか? 国家を超え、民族を超える普遍性を具えるキリスト教の誕生に、この詩篇がかかわっているのはなぜか? このことの謎は深い。
 先ずこの2篇と共に、聖書の次の三箇所に目を通していただきたい。一つはサムエル記下7章で、ここにはこの2篇の背景となっているダビデ王権の意義が語られている。この詩が、代々の王の即位式に王自らによって唱えられてきたのも、サムエル記下7章18節の「ダビデ王の祈り」に表明される信仰告白のゆえである。次に詩編110篇、ここには「メルキゼデク」すなわち「神の祭司」と「王」とが一体となった王権が歌われている。この110篇も「王の詩篇」であるが、この篇が重要なのは、ここで「主(ヤハウェ)」が「主(アドナイ)」である王に語りかけていて、それが来るべきメシアへの預言となっているからである。三つ目は使徒言行録の4章25~31節で、ここではこのメシア預言の成就者である「油注がれたイエス」が、約束の御霊の「油」を信じる者たちに注いでくださった様子が語られている。
2篇とダビデ王権
 詩編2篇も、サムエル記下7章にでてくる「ダビデの祈り」同様に、ダビデ王権思想に裏打ちされている。しかしこの詩の原形は、おそらく捕囚期以前で、それも捕囚期に近い頃であろう〔Hossfeld. Psalms(3).144〕。その頃北王国イスラエルは、すでにアッシリアに滅ぼされていたし、南王国ユダも新バビロニアの支配の影に怯えていた。詩編が成立するのは捕囚期以後であるから、この詩が現在の形になったのもペルシアによるイスラエル支配時代の後期か(前400年~340年頃)、続くエジプトのプトレマイオス朝(ギリシア系)によるユダヤ支配の頃(前300年~200年頃)かもしれない。
 この詩が「王の詩篇」と呼ばれるのは、王の即位の際に歌われたからであるが、その内容はダビデ王朝に遡る。ただしこの詩の背景は単純ではない。古代オリエントの大帝国、例えばアッシリアや新バビロニアやペルシアのような帝国で、その権力の中心に居た王が没すると、これまでその支配に甘んじていた諸国の王が一斉に不穏な動きを見せ始め、このために帝国が危機的な状態に陥ることがよくあった。したがって、強力な大王の後を引き継いだ新しい国王が先ずにしなければならなかったことは、いかにしてこれらの諸王ともろもろの異国の民とを自分の新しい統治と支配に服従させるかということであった。この2篇では、このような強大な宗主国の新たな王と、これに反抗を企てる諸王の様子が描かれていて、その様子が、新王を支える「天に座すお方」と、その支配に逆らおうとする王たちへの比喩として用いられている。
 「空しい事を企む(反乱を企む)」「事を構える(戦いの準備をする)」「縄目を断ち切る(自分勝手に振る舞う)」「怒りを発する(大王が秩序を乱す者に対して)」「王を立てる(帝国への反乱を鎮めるために)」「詔を述べる(新しい王が諸国の民に自分の権威を示すために)」「仕える」「足に口づけする(臣下の誓いをする)」などの表現は、このような背景を持つ言葉であることに注意してほしい。
 ここで歌われているのはダビデ的な王権である。それにしても、どうしてこのような大帝国の王の即位の比喩が、この篇で用いられているのだろうか。と言うのは、イスラエルがこのような大帝国を築いたことは一度もなく、ダビデ王の時でさえその版図はオリエントの帝国に比べると限られた地域でしかなかった。むしろ現実はこれとはちょうど正反対で、イスラエル王国もユダ王国も、アッシリアやバビロニア、それにペルシアなどの強大な帝国の狭間にあって、絶えずこれらの国々の力と支配の下で怯え、悩み苦しみ、滅ぼされたり、絶滅寸前の憂き目に出遭った。この小国ユダが、どうして大帝国をもその配下に置く「王たちの王」「主たちの主」を信じるという大きな理想を抱くことができたのか。
 その理由は、大国の間で絶えず脅かされて来たイスラエル民族の状況そのものにある。ある一つの民が、勝手な妄想や自惚れに陥らずに、自己の置かれた状況を的確に見通した時に、そして自分たちを取り巻く状況がどんなに危険で恐ろしいかを見抜いた時に、彼らがとり得たたった一つの道、それは「地上の王たちの王」であり「この世の主たちの主」である神ヤハウェの御力を信じて、これに寄り頼むことであった。だから、彼らが進んで主に寄り頼んだと言うよりも、主に寄り頼まざるをえない状況に追い込まれたと見るほうが正しい。言わばこの民は、自分の運命をこの主ヤハウェに託するにあたって、主と契約を結んだのである。それは、止むに止まれず「主に救いを呼び求める」ぎりぎりの選択だったと言えよう。理想とは自ら好んで描くものではない。このような信仰がもとより容易に生まれるものでもない。おそらく多くの血と涙があり、苦しみがあり、そして多くの引き裂かれた心があった。そのような涙と悩みと多くの血が、「神の正義」を信じ、神こそ真の王であるという信仰に至らしめた本当の力である。
 この逆転、「王は神である」から「神は王である」に到達した信仰こそ、古代イスラエル民族が産み出した人類への最大の所産である。地上のもろもろの王権に優る「天の聖なる王権」、これがこの詩にみなぎる力を与えている。このような力は、それが民族の存亡をかけた祈りに根ざしているからだけでなく、歴史を導く神の霊的な王座への深い洞察を秘めているからである。それは、地上において人間を支配する国家という不動の価値観を「陶器のように砕く」力が存在することを証しする。
 地上の支配者たちは「神とのきずなを断とう」「その縄目を振り切ろう」と言う。彼らの「世界」は己れの大帝国だけである。権力の欲望にとり憑かれた者には、正義も平和も人間への愛も苦しみも目に入らない。このような「帝国主義」は神の「怒り」と「嘲り」をかうだけである。彼らは、強大な軍備と壮大な建築を誇っても、歴史を貫く「神の真理」に欺かれて滅び去る。「神の御声」とは、大自然の根源の力のように、地上の権力者たちを本当の意味で嘲笑(あざわら)うことのできるただ一つの力である。これが、大帝国の支配とその王権を比喩化しながら、神の王権を歌いこれにより頼もうとするイスラエルの王権思想である。
110篇とメルキゼデク
 詩編110篇と2篇とはつながりが深い。どちらも、その内容が捕囚期以前のダビデ王権の時代にさかのぼるだけでなく、その最終的な成立が、捕囚期以後の、おそらくはプトレマイオス朝支配の時代にあたるからである。また、両方とも王の即位を扱っている点で共通する〔Hossfeld. Psalms (3).144/145-146/147〕。しかもその即位が、王の「新たな誕生」を指している。その上、どちらの篇も新約聖書で重要な役割を担っていることもある(マタイ22章44節/マルコ12章36節)。これに付け加えるなら、110篇もまた、サムエル記下7章の永遠のダビデ契約を背景に持っている〔Hossfeld. Psalms (3).150〕。
 これら二つの篇では、主であるヤハウェが終始その主役を果たしているのは言うまでもないが、この110篇は、捕囚期以前の王権思想が、捕囚期以後において、「メシア的な」詩へと「再解釈」されていることで、2篇とは異なると言えよう。だから、110篇は、言わば2篇の再解釈だと言うことができる。
 この詩は、1~3節と4~7節とに大別することができるが、問題はその4~5節である。
 
主は誓った。
  ひるがえすことはされない。
「あなたはとこしえの祭司
  わたしの言葉によるメルキゼデク。」
主はあなたの右にあり
その怒りの日に諸王を打ち砕いた。
   (詩編110篇4~5節)〔私訳〕
 
 「メルキゼデク」は「マルキー(わたしの王)+ツェデク(正義)」のことであるから、「主の義を執行する王」の意味に採ることもできる。しかし、ここは後期の編集であるから、「メルキゼデク」は固有名詞として用いられている〔Hossfeld. Psalms (3).143〕。「メルキゼデク」は、「いと高き祭司」として、パンとぶどう酒を携えてきて、アブラハムを祝福した(創世記14章18~20節)。これが注目されるのは、4~5節の導入によって、110篇が、諸国の王たちを主の御名によって従属させる「征服する王権」から、主と諸王との間を執り成す「祭司」へと転向させるからである。ここには祭政一致の「祭司王」が現われている。110篇は、この意味で2篇とは異なる。この詩が捕囚期以後の「メシアの詩」と見なされる理由である。
 祭司王が主の右に座している姿は、アッシリア帝国から新バビロニア帝国へ、さらにペルシア帝国からヘレニズム化したエジプトのプトレマイオス朝時代へと、幾つもの帝国支配を経験する中で、イスラエルの王権思想が、政治権力から霊的な権威へと変容したことを物語っている。その間に、ダビデ王朝の滅亡があり、ペルシア帝国の支配があった。イスラエルの王権が、祭政一致の宗教的な権威へ移行したのはこのためである。
 ちなみに、「王の右にいる主である神」という図像は、古代エジプトの壁画で、敵に向かって弓を構えた王(ファラオ)の右にその守護神セトが付き添っている図像と一致する〔Hossfeld. Psalms (3).151〕。これもこの詩が、エジプトのプトレマイオス朝時代にあたると見なされる理由のひとつなのだろう。戦車に乗って弓を構える王を、その敵側から見れば、セトはファラオの「右」になる。しかし、見方を変えるなら王が主の右にもなるから、詩編では主が「あなた(王)の右」におり、新約では王が「わたし(主)の右」(マルコ12章36節)になる。
 110篇の3節はテキストが乱れているが、七十人訳によれば「あなたの力の日に、聖徒たちの輝きにあって、支配はあなたと共にある。わたしは曙の前に胎からあなたを生んだ」である。「力」を兵力と採れば戦闘的な意味になるが、これでは「聖徒たちの輝き」と合わない。七十人訳では、むしろ「主の右に座す王」とともにいる「聖徒たち」を指すのであろう。この新たに生まれた王は、2篇の王の誕生と重なるだけでなく、ここはイザヤ書9章5節「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。・・・・・その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し平和は絶えることがない」ともつながるから〔Hossfeld. Psalms (3).149〕、わたしたちはここに「メシアなる王」を読み取ることができる。新共同訳の「聖なる方の輝きを帯びた力」という読み方を採れば、その王権は、地上のもろもろの王権を無力にする「聖なる王冠」をいただくメシア王である。
  わたしたちは、ここに初めて、暴力的な王権によらない慈愛と正義の「神の王権」を体現する理想のメシア王の姿を見ることができる。ちなみに、このようなメシア王は、ヘブライ語で書かれた
『ソロモンの詩編』(前63~48年)の17章にも見事に描き出されている(現存するのはギリシア語訳のみ)〔『聖書外典偽典5』旧約偽典Ⅲ。教文館(1976年初版)58~64頁〕。
16篇のメシアの民
 詩編からもう一つ引用することをお許しいただきたい。使徒言行録2章25~28節に引用されている詩編16篇である。この詩の成立時期も確かなことが分からない。ここで歌われている状況を具体的に確定することも難しい。これをユダヤの民が絶滅する危機を免れて帰還した捕囚直後の作とする説と、さらに時代が降って、ヘレニズム時代の迫害の危機を想定する説もある。内容は個人的な信仰体験に根ざすのであろうが、「ダビデの詩」とあるように、共同体的な信仰告白とも重なる。
 この詩が伝えようとする信仰それ自体は明確である。「ほかの神々」に頼ることをせず、ひたすら主ヤハウェのみに拠り頼む信仰である。主に己の命を全託して、主と共に歩むことを「わたしの運命」と見なして、主への信仰のみを自分の唯一の「嗣業」とする心である。だから、この詩の作者は祭司ではないかと言われている。
 特に7~9節に注目してほしい。「わたしは常に主の御前にいる」(8節)とある「常に」(ターミード)は、ひたすら主の導きだけを求めて、ほかのいっさいを顧慮しない歩みのことである。だからこれを「全き(ターミード)歩み」とも言う。「ほかの神々」とは、主を求めることをせず、この地上の様々な誘惑や営みに惹かれる自己追求のことであろう。詩人はこれらのいっさいを拒否して「彼らの神」の名を唱えることをしない。
 その代わりに詩人に与えられるのは、「主が自分の右にいる」ことであり、「心から湧く喜び」であり、平安であり、「栄光/輝き」に包まれる事態である(9節)。彼にとって主とは、肉体と霊性の両方を支える「命そのもの」である。この主により頼むことは、そのまま命に与ることにほかならない。だから彼は、自分の「命が陰府で見棄てられる」ことがなく、「墓で朽ちる」こともないのを知っている。ここで言う「墓」は、その語源である「朽ち果てる滅び」のことであろう(9節)。
 詩人は「地上を歩む聖なる人たち」へ呼びかけている。わたしたちはここに、地上の権力が求めるいっさいの価値観を拒否して、「命の神」だけをひたすら求める人たち、神の御国の民、「聖なる民によって成り立つ祭司たちの王国」(出エジプト記19章5~6節)の姿を見る。これが、イスラエルの「メシア」の有り様であり、使徒言行録2章で引用されている「メシア」(油注がれた者)としてのイエス・キリストである。これが、「陰府の滅びに打ち勝った」イエスから、聖霊の油を注がれたペトロのペンテコステ説教にいたるまでを支えている信仰である。わたしたちはここに、世界の創造主の命そのものをどこまでも生き続ける「メシアの民」の誕生を見る。死をも克服するメシアの御国の民は、かつてのダビデ的メシアが求めた王権を遙かに超えているから、これこそ真の意味で「聖なる王冠」(サクラ・コロナ"sacra corona")をいただく王の姿であろう。
使徒言行録の「油注がれた方」
 詩編110篇と16篇とは、共に使徒言行録2章に引用されている。どちらも、主であるヤハウェとイスラエルの王とが、「あなた」と「わたし」の交わりにあることを表わす。しかもここは、受難と死から復活したイエスが「メシア」とされたことを宣言していて(使徒言行録2章36節)、このメシアは「神の子」であり、同時に「ダビデの子孫」としてダビデ王権を受け継いでいる(同34節)。今やイエス・キリストが、神の御子として神の右に座す世界の主なのである(マタイ26章62節/ダニエル書7章13節)。
 ここでわたしたちは、この箇所が、ペトロの「ペンテコステ説教」の一部であることを思い出す必要があろう。彼は、昇天した受難の僕イエス・キリストの御名によって、父なる神から聖霊の油を注がれたペトロである。だから、彼が語るメシアの王権は、「御霊の王権」にほかならない。忘れてならないのは、この御霊の王権が、イザヤ書に預言されている「受難の僕」に授与される王権だということである。しかも、この御霊の王権は、なんと「死をも滅ぼす」力を具えている(使徒言行録2章24節)。だからこの霊的な王は、自分自身を神への犠牲として捧げることで、人類を贖い、人に永遠の命を授ける「永遠の大祭司メルキゼデク」なのである(ヘブライ5章5~6節/同6章20節)。
 主(ヤハウェ)の霊威により地上のもろもろの王権の上に立つメシア王が、このようにして「神から生まれた」(同5節)。この王国は、地上のあらゆる王国が栄枯盛衰を繰り返す中で、永遠に変わることがなく、人類の終末まで続く「神の王国」である。ここに生まれた新たなヤハウェの王権は、「イスラエルの敵」を滅ぼすが、それは地上の王権のするような武力によるものではない。大祭司として民のために神に執り成しを行なう霊威を帯びた王なるメシアの姿がこのようにして誕生した。
聖なる王冠
 「エジプトはナイルの賜物である」という有名な言葉があるが、古代エジプト帝国は、壮大な文化と文明を誇り、王の権威を象徴するピラミッドが、ナイル河に沿うように偉容を誇っていた。しかし、これらのピラミッドのために、どれだけの人間が犠牲にされたかはファラオ(王)の目から隠されている。それが見えていたのはモーセのほうであった。彼がその杖でナイル川の水を打つと、川の表が真っ赤に染まったとある。モーセの見たナイル川は、人間の血で染められていた。そこには、逆さまのピラミッドが映し出されている。これが「モーセの見た」大帝国の真の姿である。イスラエルの本格的な救済史は、このモーセに率いられた出エジプトの民の歩みが始めたと言ってもよい。大帝国を逆立ちさせるこのような価値観の転換をもたらしたのが、イスラエルの神、ヤハウェである。
 訪れる者を威圧する古代エジプトの神殿のあの偉容とそこにそびえる巨大な王の立像、壮大なピラミッド、万里の長城など権力が作り出す様々な道具立て、モーセは、眼前を遮るこれらの演出を超克することによってその無力を透視する。約束の国、それは、人類の終末から響く「神の呼びかけ」の御声にほかならない。2篇5節の「時に」は、この意味で過去・現在・未来を貫く。この御声は、何時の時代でも、困難な状況にある「小さな民の大きな理想」を支えて新しい秩序と平和をもたらす力となってきた。
 新約聖書の神の御国は、イスラエルの民のこの情熱が生み出した救済史に支えられている。「神の御国の民」とは、世界の「地の果て」を視野に入れて歩む神のエクレシア(共同体)のことである。それは、権力の魔力に心を奪われている大国の権力者たちの対極に目を向けて、「終末的な理想」に導かれる民である。この「エクレシア共同体」は、偏狭で独善的な「民族主義」を超える赦しと慈愛の御霊に支えられている。エクレシアには、「聖なる山」に向いて跪(ひざまず)き、「聖なる王冠」をいただく主を王とする民として、新しい人類の展望を切り開くよう祈ることが求められている。これこそ、日本の「主の民」に向けられている神からの呼びかけではないだろうか。「今こそ(地上の)王たちは悟りを得」なければならないからである。今は支配者たちが「主の戒めを受け」なければならない時だからである。
 だから「主の民」は、「おののきつつ」「シオンの聖なる山」にいます方に目を向けよう。そのような山がどこにも見当らないのなら、新しく「祭壇を築き直さ」なければならない。こうして「壊れた祭壇を築き直す」ことによって、人類は常に危機を乗り越えて来たし、これからも乗り越えていくことができる。そうでないと人類はその「道半ばで」滅んでしまうかもしれない。
                  詩編の招きへ