【注釈】
 42篇と43篇はひとつの詩であった。このように分けられたのは礼拝で用いるための都合によると考えられる。この詩の題に「コラの子」とあることから、もとは84篇などと同じ詩集に属していたのであろう。ところが、84篇では「主」(ヤハウェ)が用いられているのに、ここでは「神」(エロヒーム)になっている。42篇から83篇までは「エロヒーム詩集」と呼ばれていて、これらの詩は礼拝で用いられたものである。「主」から「神」への変更も、この目的のために編集者によって変られたのであろう。後代になって(捕囚期以後?)からのこのような編集の跡は3節の後半にも見ることができる。
 この詩が現在の形になったのは虜囚以後のことであるが原型はもっと古い。作者がどのような人でどういう状況でつくられたのかは、他の篇と同じく推測の域を出ない。長年多くの人々に歌われ用いられている間に個人的な特徴は薄められていく。しかし、7節から判断すると作者はイスラエルのはるか北方に居たことが分かり、しかもかなり身分の高い人であったようだ。戦の時に敵に捕えられた人、とも推測されるが、おそらく、神殿に仕えていた高位の人が、なんらかの理由で、「神を恐れぬ民」の策略によって追放され、異教の地に亡命したのであろう。神の住みたもう宮で再び自分の神に出会いたいという悲壮な想いが切々と読む者に迫ってくる。作者にとっては、神の宮から追放されることは、命の神御自身から切り離されるのに等しい。その悲痛な叫びは、しかしながら、単に地理的に離れているという以上に、ここでは、霊的な内面において神から切り離された者の悲しみへと深められている。
■42篇
[1]【マスキール】32篇注参照。「コラの子らのマスキール(の歌)」と読む訳もあり〔フランシスコ会訳聖書〕〔NRSV〕、二つを切り離す訳もある〔新共同訳〕〔REB〕。「マスキール」は「瞑想/教訓」を意味するが、これは特定の歌い方を指すと考えられる。この歌い方が指示されている篇は、南北朝時代の中期に始まり(52篇/54篇/55篇)捕囚期に作られたものに多いようだが、ペルシア時代初期のものもある(16篇/57篇/59篇)〔Briggs.Psalms.(1)xc〕。だから「マスキール」は、歌の編集の由来を指す「コラの子たち」とは別個に考えるほうがいいであろう。
【コラの子の歌】「コラハの子らへ」とあるが、「コラ」は「アサフ」などと同じく、レビ族で、神殿での礼拝の賛美を司る合唱隊の家系を指す(列王記上6章16~23節/列王記下5章12節)。「~に属する」とあるからこれらの篇は比較的古くから第二神殿の時代へ伝えられたのであろう〔Weiser. The Psalms. OTL 97〕。この42篇がその最初になる。
 詩編全体を二つの編集に分けると(1~89篇/90~150篇)、「コラの歌」は、42~49篇と84~88篇のふたつに分かれて配置されており、中心の「ダビデの歌」(51~72篇)を外側から囲む構成になっている。「コラ」と「ダビデ」の間には「アサフの歌」があり、これらも50篇と73~83篇に分かれて、「コラ」の内側にあって「ダビデの詩」を囲んでいる〔新共同訳『旧約聖書注解』(Ⅱ)92頁〕。
[2]【水涸れの川床】原語は「川の流れ」。しかしこの語は「川床」の意味にも用いられ、おそらくこれがここでの元の意味であった。イスラエルでは雨が降らない時には水のない川床になることが多い。「涸れた谷に」〔新共同訳〕。「谷川の水を」〔フランシスコ会訳聖書〕。
[3]【生ける神】原語「エル・ハイ」は特殊な言い方。谷の水が鹿の命を支える源になるように、イスラエルの神は人の命を支える源である(84篇3節/ヨシュア記3章10節/ホセア書2章1節にも同じ言い方がでている)。
【神のみ顔に見(まみ)える】テキスト本文は「神のみ前に出る/現われる」であるが、欄外の読みをとり、み顔を「見る」と読む訳が多い。この詩が礼拝に用いられるようになって本文のように変えられたのか。
[4]【お前の神は】十字架上のイエスに浴びせられた非難を思い出させる。
【彼らは言い続けた】「言い続けた」は不定詞で主語は特定できないが、異読に「彼らは言い続けた」とある。ここではあえて受動態に訳した。
[5]【魂を注ぎだし】この行を直訳すれば「わたしは思い起こそう。そして自分の上に魂を注ぎ出そう」となる。「自分の上に魂を注ぎ出す」は胸中の悲嘆な思いを注ぎ出すことによってかつての思い出を呼び起こすこと。「思い起こせば胸が詰まりますーー」〔フランシスコ会訳聖書〕。「わたしは魂を注ぎだし、思い起こす」〔新共同訳〕。しかし「わたしの上に魂を注ぎ出す」は神への深い祈りをも表わすから、悲嘆と苦しみの内にあっても、なお神に祈り求めようとする詩人の想いを表わすとも解釈できる〔岩波訳(注)3〕。
【立派な人達と連れ立って】ここは様々な読み方がある。本文は「群衆と共に神の家へ進んだ」〔新共同訳〕であるが、欄外の読みをとって「群衆を導いて神の家へ進む」〔NRSV〕という読みもある。しかし今回の訳では、もうひとつの欄外の読み〔Biblia Hebraica1011〕をとり「立派な人たち(栄光に満ちた人たち)と神の家に進んだ」とした〔REB〕〔Weiser.The Psalms.349〕。この詩の作者は、かってはそうとう高い身分の人であったと思われるからである。「進む」というのはここではエルサレムの神殿に礼拝のために上ること。
【巡礼達のどよめく】祭を祝うために上京して来た大勢の人達が輸になって踊ったり賛美したりする歌声や歓声。
【歓喜と賛美】詩人も歓喜し賛美していると解釈できる。
[6]この節のテキストは乱れている。本文は「なぜならわたしはなおも感謝/賛美しよう、み顔による救いを」となる。しかしこの節は11節と同じ「折返し」(リフレイン)であるから、欄外の異読〔Biblia Hebraica1011〕に従って、11節に合わせる訳が多い〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕〔NRSV〕〔REB〕。11節に従うなら、「なぜ」(わたしのことで思い乱れる)を補い、「神を待ち望め。なぜなら、なおもわたしは彼に感謝するだろう。わたしの顔の救いを。わたしの神よ」となる。「わたしの顔の救い」とは自分の身が救われることである。最後の「わたしの神よ」は、本文では7節の冒頭になるが、これを6節の最後にまわす。
【わが魂よ】この呼びかけは62篇6節/103篇1節を参照。
[7]この節から詩人がどの辺りに居るかが推定される。それはガリラヤ湖のはるか北、ちょうと現在のレバノン南部の東に位置するヘルモン山とそこに源を発するヨルダン川(原語は「ヨルダンの地」)の辺りであろう。ミツァルの山とはどこか不明である。詩人の居る近くの小さな山のことかもしれない。この詩人はレビ族の高位の人で、エルサレムの神殿の合唱隊を指揮する人であったが、何らかの理由で北王国イスラエルの北部へ追放されたのかもしれない。
[8]【大滝】ヘルモン山より下るヨルダンの激流を思わせる。
【淵と淵】原語は「混沌」の意味をも含むから、このような深い大水は不気味な「混沌の淵」を表わす(創世記1章2節/詩編106篇9節/箴言8章28~29節参照)。
[9]現行の本文だと主の慈しみとこれに伴う賛美の歌がすでに詩人に訪れていることになるが、これだと続く10節と内容的に合わない。「主はその慈しみを」は後の追加かもしれない〔Weiser. The Psalms.347.Note11.〕。この段階では救いは詩人の身にまだ成就していないと考える方がよいであろう。しかもなお彼は望みを捨てず主に祈り求めるのである。この解釈に基づいて、あえて原典〔Biblia Hebraica〕の欄外の読みを採った。この読みだと、「主への歌」が前の「夜」ではなく、後の「祈り」とつながる。なお「命の神」とあるが、これは「ヤハウェ神」という珍しい形がここに用いられていると言われる〔Briggs.Psalms.(1)369〕。
■43篇
[1]【訴えをとりあげ】ここで詩人は、自分と敵対する者たちの間を神の法廷で裁き、自分に降りかかった嫌疑をはらし、自分の正しさが立証されることを祈り求めている。「争う」は法廷用語で、邪悪な誹謗と争い、自分の正しさを証しすること。
【神を畏れぬ民】原文は「不信仰な異邦(異教)の諸民族」。これを1節の前半につなぐ訳と〔NRSV〕〔REB〕、前半から切り離して、後半の「~から助け出す」につなぐ訳がある〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕。
[2]【避け所】「砦」とも訳せる。
【拒む】「見棄てる」とも訳せる。「突き放す」〔岩波訳〕。
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