【注釈】
 この詩のもとのタイトルが「愛の詩」となっているように、これは、王の結婚を祝う「祝婚歌」である。「歌」とは、いうまでもなく歌唱のためのもので、「コラの子」とあるから、この歌は「コラの子の歌集」に入れられて礼拝で用いられたのであろう。ここで歌われている「王」が誰であるかについて様々な推察がなされている。王妃が異教の地の出身であるから、ファラオの娘と結ばれた(列王妃上3章1節)ソロモン王とする説、あるいは、王妃が「ツロの娘」とあるから、北王国イスラエルのアハブ王ではないか(列王紀上16章29~31節)という説がある。しかし、詩の内容からこれを推定するのは難しく、また「祝婚歌」としての性質からもここでの「王」を特定する必要はない。いずれにせよ、この45篇は詩篇全体の中でも最も古い賛美歌集に属していて、北王国イスラエルの頃(前9世紀?)のものだと推定される〔Briggs.Psalms.(1)〕。
 祝婚歌は、古代から伝わる形式で、その伝統は長く、この詩にもその特徴が表われている。2節で詩人は、自分の歌でこの日を祝福しようと自らの作品に対する確信を述べ、これが末尾の18節と呼応する。3節では、王のうるわしさが述べられ、続いて4~6節で外敵に対する王の勇ましさを歌う。王に求められるのは、何よりも外敵に対して「強い」こと、内の民に向いて「恵み」にあふれていることである。7~10節で、詩人は王の即位をたたえるが、それが王の結婚とだぶらせてある。11~13節は、王妃へ向けた詩人の勧告である。このように、作者が花婿や花嫁、さらに式典にかかわる全員に命じたり語ったりするのは祝婚歌の伝統的な形式である。14~16節で花嫁の行列が入ってくる。祝婚歌にはその外、新婚の部屋への床入り、子孫の繁栄などが歌われるが、それらは16~17節で示竣される。
 以上、この詩の概要を知った上で、さらに、この詩の宗教的ならびに政治的背景に触れなければならない。古代イスラエル、すなわちダビデ王国の頃までは、イスラエルの暦は春分を起点としていた。すなわち、春分に新年が始まり、週七日が七回繰り返され、終末の一日が加えられて、全部で五〇日が一つの単位であった。これが一年を通じて七回繰り返され、その間に、秋の収穫祭と、春の復活再生の祭りが七日づつ加えられて一年の暦が完成していた。
 春の祭り、すなわち過越が重視されたのは、それが年の始まりであったばかりでなく、その年の収穫の始まりでもあったからである。この時期を境にして、古い年の穀物は必ず食べてしまうか、余ったものは必ず処分されなければならなかった。いかなる事があっても新しい年の収穫と古い年のものとを混ぜてはいけないのである。それは、古い年の神が必ず死ななければ新しい年の神は再生できないと信じられたからである。この信仰は、冬の間の太陽の「死」と春の太賜の「復括」と深く結びつけられている。
 ヘブライ人が、このような農耕的な暦を採り入れたのはカナンの地に定着してからのことである。もっともソロモン王の頃には、太陽暦が用いられるようになり、新年は春分から秋分へと変ることになった。これに伴って年始めは収穫の感謝祭になるが、祭りの性格がそれまでと基本的に変ったわけではない。
 王の即位は、「太陽の死と再生」、そして穀物の実りと絶減に時を合わせて行われた。王は、言うまでもなく国全体の象徴であり、民全体の代表であって(古代では民と王とは一体とされていた)、王の即位は同時に新しい年(時代)の開始ともなった。一説によれば、この即位式は、新年の到来と共に毎年行われていた。春の祭りの間、王はエルサレムの神殿内で、古い太陽の死と新しい太陽の再生を祭儀的に演じていたのである。彼は古い年のために悲しみ、祭りの週の終りに初日の出の光がオリーブ山からエルサレムの神殿内の二本の柱の間を通り抜ける時(主の栄光)、彼は新しい太陽と共に力を得た。民は一斉に畑に出ていってその年の最初の収穫の儀式を演じた(パレスチナでは、大麦の収穫が四月未から五月にかけて、それより二週間ほど遅れて小麦の収穫が行われた)。
 洋の東西を問わず、祝婚歌は、古来、太陽と大地が結ばれて穀物が生まれる豊穣と深くかかわっていた。日本の君が代もその例外ではない。これが民間の祝婚から転じて王室の祝婚ともなれば、王(太陽)と国土(大地)の結びが、国の繁栄、大地の豊穣と一つになって、王室とその子孫の繁栄が歌われることになる。この意味で古代の祝婚歌は叙事詩であって、単に夫婦の愛を歌う抒情詩ではない。今回の45篇は、詩篇の中でもとりわけ古い部類に属するから、「王の祝婚」をこのような背景において読むことが求められるであろう。
                
[1]この節は聖歌隊の指揮者への指示である。
【ゆり】どのような花なのか確かでないが(「蓮の花?」〔岩波訳〕)、この名を題名にした歌、あるいは旋律があって、その歌い方を指示したものであろう〔Weiser.Psalms.Old Testamanet Library.〕。結婚を祝う時には、この形式が用いられたのかもしれない。ここのほかに60篇/69篇/80篇にでてくる。
【コラ】原語は「コーラハ」。神殿で詠唱を司る者の中にこの名前がある(歴代誌上6章22節)。「コラの子たち」とはこの家系の聖歌隊のことであろう。「コラの子たちへ」と指示された詩篇は「ダビデの歌」(51~72篇)を挟んで、その前後に42~49篇と84~88篇(86篇を除く)とに分かれて配置されている。
【マスキール】これも不明である。おそらく特定の賛美の仕方を指示するのであろう。「マスキール」は「聡くあること/聡き者」を意味するから、これを「教訓詩」と訳す場合もあるが〔岩波訳〕、歌の内容と合致しない〔Weiser.Psalms.〕。初出は32篇で全部で13の詩篇にでてくる。
【愛の歌】「愛の歌」とあるのはここだけで、これがこの歌のもとの題名であったと思われる〔Briggs.Psalms.(1)〕。
[2]【王に】詩人は王に自分の祝婚歌を献上するのであるが、自分が王の前で朗唱するのか("in honour of a king I recite the song"〔REB〕)、あるいは単に王に宛てて献上するのか("address my verses to the king" [NRSV])までは分からない。「王」に冠詞がないから、特定の王を意識したものではないという見方もある〔Briggs.Psalms.(1)〕。
【書く人の筆】ここでは王の言葉を書き取る書記(速記者)のこと。「速やかに物書く人」〔新共同訳〕。
[3]【世にも類いなく】原文は「人(人間)の子たちの中でだれよりも」。
 【優しい唇】原文は「あなたの唇には優美が注がれる」。「優美」とは、優雅さだけでなく王の「恵み」に満ちていること(英語の"grace")。
[4]【腰に剣を】剣を帯びるのは戦のためで、王は戦の勇者である。
【威光を輝かせる】原文は「あなたの威厳、あなたの威光のために」。通常この言い方は神に向けられるが(96篇6節)、ここでは王に宛てられている(21篇6節を参照)。
[5]【勝ち進め】原文は前行を受けて「あなたの威光よ、勝ち進め!」。勇ましい王が、戦闘用の馬車を駆って勝利を得る姿。
【虐げられた義】原文は「まこと/真理の言葉と柔和な義のために(勝ち進め)」。「柔和な義」という言い方は外に例がない。「柔和」には、「謙虚」あるいは「貧しく苦しめられる者」の意味があるから、「真実と苦しめられる義のために」〔Briggs. Psalms.(1)〕あるいは「苦しむ者に正義をもたらすために」〔フランシスコ会訳聖書〕と解釈すべきか。「謙虚<と>正義」〔Biblia Hebraica欄外注〕と読み替えて、七十人訳に従い「真実(まこと)と謙遜と義のために」〔岩波訳〕という訳もある。
[6]【倒れる】ここは、語順を入れ替えて「王の矢はその敵どもの胸に刺さり、諸国の民は王の足下に倒れる」〔NRSV〕〔Weiser. Psalms. Old Testament Library.〕と読む訳もある。
【胸を貫く】「王の敵どもの心はくじける」〔REB〕という訳もある。
[7]【主よ、あなたの王座は】原文は「神よ、あなたの王座はとこしえに続く」。この篇では、ほんらい「主(ヤハウェ)」であったのが、後に「神(エロヒーム)」へ読み替えられたと考えられる〔Briggs. Psalms.(1)〕。その上、ここ7節は、王を神の代理と見る王権思想に立っているから(歴代志上23章29節/詩篇2篇7節参照)読み方も解釈も分かれる。私訳では7節の「あなた」を主なる神のこと、8節の「あなた」を王のこととしている。なお、新約聖書のヘブライ1章8~9節では、「神」と「あなた」を区別して、「あなた」を神の御子イエスへの預言と解釈している。
(1)「主よ、あなたの王座はとこしえに続く・・・・・あなたは義を愛し悪に憎んだ」とある「あなた」をすべて主なる神とする解釈〔Briggs.Psalms.(1)〕。
(2)これに対して、「<神性なる王よ>。あなたの王座は・・・・・それゆえ、主なるあなたの神はあなたに油を注ぎ」のように、「あなた」を王に宛てて読む解釈〔Weiser. Psalms. Old Testament Library.〕。
(3)また、7節の「あなた」を神への呼びかけとして、8節の「あなた」を王とする訳もあるが、この場合8節に「(あなたは)神に従うことを愛し」を補っている〔新共同訳〕。
(4)「神はあなた(王)を永遠の王座に据えた」〔REB〕〔フランシスコ会訳聖書〕のような訳もあり、これに対して「あなた(王)の王座は神の王座。それはとこしえに続く」〔NRSV欄外注〕と読む訳もある。
[8]【油注ぎ】原語は「メシア」の語源となる「マーシャツハ」。
【喜びの油】「(死の)悲しみ」に対する「(結婚の)喜びの油」を意味する。イザヤ書62章1~5節では、「新しいエルサレム」が主(ヤハウェ)の「喜び」である花嫁となる。なお「仲間」とあるのは、共に王位を競った者たちのことか。
[9]【没薬など】これらは、「聖なる油」に含まれていた香料であろう。「没薬」は「ミルラ」からとった香料。「ろかい」は「アロエ」からのもの。「桂皮」は「シナモン・カシヤ」の皮からとった香料で、同じく「シナモン」と呼ばれる「肉桂」の代用として用いられた。ちなみに、アモス6章4~6節では、北王国イスラエルの高官たちの「最高の香油を身に注ぐ」贅沢が批判されている。
[10]【王家の娘たち】周辺の諸国の王の王女たちのこと。この王の権勢を現わす。
【宮廷の】原語は「尊い/貴重な」。「あなたの愛する者たちの中に」〔フランシスコ会訳聖書〕/「あなたが愛でる女たちの中から」〔新共同訳〕などの訳があるが、原語の意味は「あなたの宮廷の貴女たち」のこと。"among your ladies of honour" 〔NRSV〕/"among your noble ladies" 〔REB〕。
【オフィル】この場所については諸説がある。恐らく紅海の入口に当る両岸、すなわちアラビヤ半島とアフリカの両岸に渡る地方一帯を指すのであろう。
[11]【あなたの民】13節から見てこの王妃がフェニキアのティルスから輿入れした王女であるとすれば、「民」とあるのはティルスの民を指し、「あなたの父」はティルスの王を意味する。いずれにせよ、この王妃がイスラエル以外の国から来たのは確かだと思われるから、この11節で、詩人は、特にソロモン王や北王国のアハブ王を惑わした異教の王妃たちを念頭に置いているのかもしれない(列王記上11章1~2節/同16章31~33節)〔Weiser. Psalms.〕。 
[12]【慕う】これを「慕わせよ」と二人称の命令/勧めに読む訳がある。「恋わせよ」〔岩波訳〕/"let the king desire" 〔REB〕。
【ひれ伏せ】王が主なる神の代理であることから、それにふさわしく敬うこと。「伏し拝め」〔フランシスコ会訳聖書〕。
[13]【ティルスの娘よ】ティルスはシドンと共に、地中海全域で繁栄を極めたフェニキア(前1200年頃~前400年頃)を代表する都市であった(現在のレバノン)(列王記上5章15~26節/同7章13~14節)。この王妃は、フェニキアのシドンの王女イゼベルではないかという見方がある(列王記上21章1~16節参照)〔Briggs.Psalms.(1)〕〔Weiser.Psalms.Old Testamanet Library.〕〔岩波訳(注)17〕。だから詩人はここで、王妃が「自分の故国」を忘れてイスラエルの神と王を心から敬うなら、イスラエルの民は彼女に好意を抱いて彼女を守り支えると告げている〔新共同訳〕。
 しかし、これに対して、「ティルスの娘」(単数)とは「シオンの娘(=イスラエルの民)」という言い方と同じであり、ここでは「ティルスの民」を意味するという解釈もある。この場合、「民の富める者たち」とは、フェニキアの民の豊かな人たちを指すことになり、彼等が「王妃の好意」を求めに来ることになる。「娘(民)ティルスは贈り物をもってあなた(王妃)の前におり、/(ティルスの)民のうちの富める者はがあなた(王妃)の好意を求める」〔フランシスコ会訳聖書〕〔NRSV〕。
 しかし、この解釈も全体としての読み方は一様でなく、「ティルスの娘」をその前の「彼の前にひれ伏せ」と結びつける読み方もある。"Do him obeisance, daughter of Tyre." 〔REB〕。私訳では「ティルスの娘」を王妃に対する呼びかけととり、「民」を「王の国の民」と解した。
[14]14~16節はテキストの乱れがひどく、読み方も様々である。ここの部分は、祝婚歌の伝統に従い、王女が部屋で着飾り、乙女(処女)たちに付き添われた花嫁の行列が花婿(王)の待つ王宮内へ進む情景を描写していると解釈するのが妥当であろう〔NRSV〕〔REB〕〔Weiser. Psalms.〕。
【王の娘】ティルスの王女である王妃を指す。
【金糸の綾織】金を織り込み刺繍の模様を浮きたたせた衣。
【室内で】原語は「内へ向いて」。「(王のいる所へ)進み入る」〔新共同訳〕/「華やかに入ってくる」〔フランシスコ会訳聖書〕などの訳があるが、王女の「個室内で」の意味に採った。"within the palace the royal bride is adorned"〔REB〕/"the princess is decked in the chamber" 〔NRSV〕。なおこの語を「珊瑚で」と読み替える異読もある〔Biblia Hebraica〕。「金に縁取られた珊瑚」〔岩波訳〕。
[15]【乙女たち】花嫁の行列には通常処女たちが付き添う。
【彼女に付き添い】原語は「彼女の女友達」。これを乙女たちの後に続く「侍女たち」の意味に採る訳もあるが〔新共同訳〕、「乙女たち」のことを言い換えていると解して「<付き添う>乙女たちも(王女の)後に続いて」〔フランシスコ会訳聖書〕とした。
[17]【父祖を継ぐ】原文は「あなたの父祖に代わる子たちが」。
[18]【憶えさせる】すなわちこの詩篇を通して王の名が代々憶えられること。
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