49篇
人は悟りなく死ぬ獣
 
1聖歌隊の指揮者に。コラの子による賛歌。    
 
2すべての民よ、これを聞け           
 代々に住む人よ、耳を傾けよ。
3高き者も低き者も               
 富めるも貧しきも共に聞け。
4わが唇は知恵を語り              
 わが心は悟りを想う。
5わが耳はたとえを聞き取り           
 わが琴は謎を解く。
 
6なにゆえ禍いの日に恐れるのか         
  追い迫る欺きの敵を怖がるのか。
7彼らは金権を頼みとし             
  その巨大な財力におごる。
8人は決して自らを贖うことができない   
  神にその贖い代を払い終えることもない。
9その命は贖うにあまりにも高く          
  これを払うのは永遠にかなわず
10いつまでも生きながらえて          
  墓穴を見ずにすむこともない。
11まことに目に映るのは賢い者も死に      
  愚か者も馬鹿者も共に滅び
  その富も他人に渡ること。
12墓こそ彼らの永遠の家            
  いついつまでも彼らの住まい
  もろもろの土地を自分の名で呼ぶとも。
 
13人の栄華はつかの間で             
  ほうられて死ぬ獣に同じ。
 
14これこそ彼ら愚か者のたどる道        
  自己満足の行き着くところ。
15]彼らは陰府に定められた羊の群れ       
  死が彼らを牧し
  まっすぐに墓へ導き
  そこで彼らは姿を失い
  陰府がその住まいとなる。
16しかし神はわが命を贖い         
  われを陰府の手から取り去り給う。
17人の富む時も恐れるな      
  その家の栄える時もうらやむな。
18まことに人の死ぬ時は何物も携えず      
  その栄えが彼の後を追うこともない。
19まことに生ける間自らを幸いと思うとも    
  善いめぐりあわせだと人にほめられるとも
20ひとたびその先祖の列に加わる時       
  絶えて光を見ることがない。
 
21人の栄華は悟りなく             
  ほうられて死ぬ獣に同じ。
 
               【注釈】
              【講話】
  (1)
  近頃、老人問題がやかましく論じられるようになった。これにつれて「死」の問題もクローズアップされている。タナトロギー(死についての学問)という新しい分野までできてきているという。しかし、日本では、この「死についての学問」はまだ十分には認められていないようである。これは、一つには、日本人は「死」を忌み嫌い、そういうことを考えるのを極力避けようとする傾向があるからでもあろうが、同時に、いくら死の問題を考えたところでどうにもなるものではないという諦めもあるからだとも思う。病院でも、「4」という番号は不吉だから使わないらしい。しかし、例えば西ドイツではこういう学問が起こってきているのにどうして日本人は死の問題を真剣に考えないのか、あるいは考えたくないのか不思議である。なぜなら、日本人の宗教では、死んだら仏になる、いわゆる成仏するわけで、お盆になると先祖の霊がこの世に帰ってくることになっている。こんなふうに、死んだ人と生きている人の間にはいろいろと交流があるのだから、欧米に比べれば日本のほうがずっと死を恐がらなくてもいいはずである。ある有名な俳優さんの言うように死んだら極楽のような所に誰でも行けるのならこんな結構な話はないわけで、「大霊界」という映画までが公開されている。
 ひょっとしたら日本人は、タナトロギーなんかやらなくでも、死の問題はもう解決済みなのだ、だから、そんな学問ははやらないのだ、こう思いたくもなる。しかし、そうするとまたおかしいことがある。だれかが癌にかかる。アメリカの医者なら本人にそのことを告げる。日本ではほとんどの場合これを言わない。死ぬことが恐くないのなら、告げられても悲しまないはずであるが、どうもそうではないらしい。ここら辺が納得がゆかない。死んだら人は仏になり、神様になり、ご先祖様と呼ばれて拝まれるのだから、これくらい死をうまくコントロールしている国民はないと思うのだが(なにしろ戦争で死んでも「英霊」になって靖国神社に祀ってもらえるのだ)、こうしてみるとやっぱり日本人は、死ぬのは恐い、いやだという気持ちが強いらしい。どんなに成仏できても、神社に祀られても、そんなことでは克服できない死に対する恐れがわたしたちの心の奥に潜んでいる、こう考えざるをえない。
 今一つ面白いことに、金儲けや出世に心を奪われて、自分の業績をあげるのに没頭していて、死ぬことなど考えもしない、あるいは、そんなことに気を取られるのは馬鹿馬鹿しいといわんばかりであった人が、死が近くなると、きまって自分の名前をなんとかして残そうとすることである。自分の名前の残る建物や、博物館や美術館などを建てたりする。しかも、こういうことをやるのは、きまって、いろいろと悪どいことをやって、人の血と汗を搾り取ってきた連中なのである。この国にかぎらない。ヨーロッパに行けばそんな銅像や、なにやら皇帝の記念像がいっぱいある。人間死んだらおしまいだ。あの世のことや死んでからのことよりもこの世での金儲けと権力のほうがずっと大切だと、汚職をやり多くの人をこき使って肥え太ってきた人たちが、例外なく、年をとると後世に自分の名前を残そうとやっきになる。結局は人間これで勝負するのだなということが、これを見ているとよく分かる。いつまでも生きたい、この願いは人間にとってそれほど切実なものらしい。
                 (2)
 死ぬのは恐い。死んだら極楽に行ける。あるいはもう一度生まれ変わる。あるいは永遠に生きられる。さらには、この世にいつまでも生きていたい。こう考えてきたのはわたしたち日本人ばかりではない。昔からどの国民も同じことを考えてきた。これはおそらく、人間がこの地上に出現したときからの古い課題なのだろう。人間はすいぶん長い間、この問題と真剣に取り組んできた。仏教思想もその一つである。ところで、こんなふうに昔からの人類の知恵を受け継ぎながら、死の問題を考えた一人の詩編の作者がここにいる。詩編49篇の作者である。この篇は、捕囚期以後の作で、ギリシア文化と接し始めた頃のものであろう。ギリシア的な思想の影響を受けたことは、当時のヘブライの思想にとって重要な意味をもっていた。と言うのは、ヘブライの人たちが死後の生命とか人間のよみがえりについて真剣に考えるようになったのは、この頃からだからである。
 「死と再生」「死とよみがえり」、このテーマは、古代の神話とともに古い。したがって、ずいぶんいろいろな見方が伝えられている。ちなみに『インタープリターズ聖書事典』によって、これらの見方を類型的にまとめてみるとおよそ次のようになる。第一にあげられるのは、宇宙の原理からこの問題への答えを導きだそうとする思想である。万物は、めぐりめぐって再び元に戻る。この原理にしたがって、人間の魂も、この世を去って再びなんらかの姿でこの世へ戻ってくるという思想である。仏教の輪廻思想もこの部類に入るのであろう。こういう思想は、ギリシアで古くから哲学されていた。第二に、死んでよみがえる神々の神話がある。これも古代から語り伝えられているもので、古代エジプトのオシリスやカナンのバアルなどの神々がこれにあたる。これらの神々はほとんどの場合穀物の豊穣となんらかの形で結びついて信奉されていた。古代からの英雄伝説もこの部類に入るものが多い。
 穀物の豊饒といえば、第三に「種蒔と刈れ入れ」がある。これは人間の営みの中で最も基本的なもので、大自然のリズムと一体になった行為である。おそらく、この種蒔と刈れ入れの比喩は、人類によみがえりと生れ変わりを考えさせた最も基本的なものであろう。さらにもう一つ、ヘブライの人たちに影響を及ぼした思想がある。それは、「最後の審きと終末」である。この信仰は、古くはゾロアスター教(紀元前1000年頃)からきているといわれるが、この篇の時代に、イランから伝わったと考えられている。
 ヘブライ人のよみがえり、あるいは復活信仰は、人類の太古からの流れの中において見ると比較的新しい。それらの様々な思想や信仰が旧約聖書に受け継がれ、融合して独自の「よみがえり」「復活」の信仰を生み出した。このことは、言い換えると、49篇には、それまでの人類の様々な信仰や英知が流れ込んでいることを意味する。これが、後に新約聖書に受け継がれて、キリストの復活という出来事に結晶することになる。
 先ほど日本人の「死」についての考え方とこれに対処するわたしたちのやや矛盾した態度について述べた。実はこれが、日本だけではなく、この篇の作者を囲む周囲の国々の状況でもあったことを理解してもらいたかったからである。この時代、ヘブライ民族の周囲には、人間と神々との間にはっきりしたけじめをつけない民族が多かった。人はたやすく神々と交わり、生まれ変わったり再生したりする。権力者や王は「神」として崇められる。いや、唯一の神を信じているはずのヘブライの人たちの間にも、このような「人間と神(々)との交流」を説く宗教の影響が浸透していた。国の権力の中枢にいる人たちは、「金権を頼み巨大な財力におごり」、民を搾取し、こうすることで地上に己の名を残し、神の永遠の命にあずかろうする。いつの時代でも世の中は変わらない。かってエジプトの王は、自分の墓(ピラミッド)を建てるためにおびただしい数の奴隷や異民族を犠牲にした。現在でも、自分の権威と財力を築くために大勢の人を犠牲にする実業家、経営者は後を絶たない。こうして彼らは、「いつまでもこの世に生きる」ことを、すなわち金と権力で「自分の命を贖う」ことを願う。この篇の作者の目は、国の内外のこういう状況に鋭く注がれている。こういう人間のあさましい実相を目のあたりにして、彼は告げる「およそありとあらゆる人、人間は自分の命を贖うことは絶対にできない!」。
 ここで「贖う」という言葉について少し注釈を加えよう。ヘブライの律法では、例えば自分の飼っている牛が、角で隣人を殺した場合でも、その飼い主は、自分の命でこれの償いをしなければならなかった。ついうっかりしていたでは済まされなかった。ただし、自分の命の「贖い代」として、それ相当の金額を支払うならば、死を免れることができた。ところが、悪い金持ち連中の中には、この制度を悪用して、人を殺しておきながら金でけりをつけようとする者たちがいたのである。これは律法によって禁じられたが、金のある者、権力のある者は、貧しい者や弱い者を犠牲にし、こうすることでこの世では生きながらえ、あの世では幸せになろうとするのがいつの世でも変わらぬ仕組みらしい。この詩は、こういう現実をはっきりと見据え、これに向かって告げている。
 この世で、「人間同士の間」では、こういうまやかしも通じるかもしれない。なにがしかの金を払えば、立派な戒名がいただけて、それだけよい浄土に行くことができる。地獄の沙汰も金次第である。中世のヨーロッパでも変わりない。金を払って免罪符を買えば死んでから天国に行ける。今地獄にいる身内の者でさえもそこから「贖う」ことができるのだ。ルターが反対して立ち上がったのも無理はない。だが、立派な壷を買えばよい運に恵まれるとか、先祖の供養になるとか言われてお金を巻き上げられる人が居る今の世の中では、中世を笑ってばかりもいられない。なんと言っても金と力のある奴が、この世でもあの世でも強い。これが人間の本音である。しかし、たとえこの世ではそれが通用するとしても、死の向こう側では、「神のみ前」では、それは絶対に通用しない。こうこの詩は告げている。
                (3)
 人間は金と力で「自分の命を贖う」ことは決してできないのだ。人間のほんとうの命とは「神のみ前で与えられる命」である。これは、人間には「あまり高くて永遠に支払いきれない」からである。どんな金持ちも、皇帝も宗教家も、富める者も貧しい者も、死んだら墓の下に降る。そこには一人の例外もない。全部の人が陰府に降り、そこで「朽ち果て」てしまう。「汝は塵なれば塵に帰るべし」とある通りに完全に無に帰してしまう。これが、人間にとっての「死」の実相である。この詩の作者は、周囲の民が行なっている様々な「神々との交流」が、たんなる「気休め」にすぎないことを、偽りのまやかしにすぎないことを見抜いている。死の現実はそんなことで欺かれはしない。死に面と向かうとき、このようなまやかしは通用しない。死の前では、人間は「ほうられて死ぬ獣と同じ」である。それも自然に死んでいくのならまだいい。人間の都合で「犠牲にされて」死んでいくのだ。汚職の罪をかぶって自殺する大会社の秘書連中だけではない。様々な形で犠牲にされ死んでいく人が、わたしたちの周囲にはごまんといる。人は「犠牲にされて殺される」獣なのである。この作者は、犬や猫が死んでいくのと人間が死んでいくのとを全く同列において見ている。
 それだけではない。人間の中には、賢い人、知恵のある者がいる。そういう人たちは、普通の人間の持てない「知恵」を持ってる。この「知恵」によって永遠の世界にあずかろう、こう考えて彼らは、様々な哲学を構築する。宇宙の霊法にあやかろうと、壮麗な儀式を編み出したりする。しかし、このような様々な「永生観念」、これもはっきりとここで否定されている。人はみな例外なく「獣のように死んでいく」。「賢い人も無知な者と一緒に滅びる」のだ。平等と言えばこれぐらい平等なものはない。一人の例外も認めない絶対の平等である。権力ある者も知恵ある者も、「自分の力に頼る愚か者」も「自己満足の者」も、たどる運命は一つである。だから、キリスト教国の人は救われて天国に行き、「異教」国の人は救われないなどという幼稚な欺瞞はもはや通用しない。こういう「自己満足の者ども」も獣のように死んでいく。この詩の作者の見る目は透徹している。くだらぬ優越観に腹を立てる必要もない。こう作者は喝破する。国と国とを比べても、個人と個人を比べても、なんの変わりもない。人の栄華はつかの間で、ほうられて死ぬ獣と同じである。
 人がたやすく永生を得られると思うのはまやかしだとすると、犬猫同然に死んでいくのが人の死にざまの実相だとすると、いったい、人間にとって命とはなんなのか。「永遠に生きる」とはどういうことなのか。そんな命があると主張する根拠がどこかにあるのか。一切は無意味な虚無にすぎないのではないか。「死」こそこの世界の最後の勝利者ではないのか。こういう疑念が沸々と湧いてくる。これが、この詩の作者が直面した「謎」である。ヨブもこれと同じ「謎」にぶっつかった。人間が神になり神が人間になる世界にはびこる魅惑的で危険な幻想、これに作者が同調できないのは、彼がヘブライの伝統に立っているからである。すなわち、人間を神から完全に切り離して、永遠なる神と獣のような人間との間に横たわるとてつもない断絶を見つめているからである。だが、この視点は、同時に人間には畜生なみの「死」だけが待っていることを確認させる。神と人間とのこの連続と断絶、この二つの狭間に横たわる「謎」をこの作者は見つめる。この「謎」は容易に解けない。
                  (4)
 この謎の答えが16節に現われる。「しかし神はわが命を贖い給う」。これと同じ事をヨブもヨブ記19章25節で言っている。ヨブはこの言葉をまさにどん底の中から叫んだ。どうしてこんな時にこんな言葉が出てくるのかと読者は不思議に思うかも知れない。神のなさる「不思議」とはこういうものらしい。天来のみ言葉である。自分は獣に等しい。一切の幻想から目覚めてこの現実に徹したときにこういう言葉が上から響いてくる。塵に等しい自分のありように気づくときに、ヨブの言い方を借りれば、神はこの「塵の上に立たれる」のだ。死に直面して、自分は畜生のような存在だ、こう悟った時に本物の「神からの命」が彼を支えてくれる。だから、この命は、あるがままの自分の姿を見つめることと裏表である。ほんとうに「神の命」に生きたいのならこの厳しい現実に徹する、これより外にない。「我深き淵より呼ばわる」というバッハのカンタータの題名の通りである。人が生きるただ一つの道はこれしかない。
 作者はさらに続けて16節の後半で言う「神はわれを陰府の手より取り去り給う」。その前節の15節には「死が彼らを支配する」ことがはっきりと確認されているのにである。この「彼ら」にはこにの詩の作者も入るのだろうか。彼も「陰府に置かれた羊の群れ」の一人なのだろうか。確かにそうである。彼が自分がそういうものであることを悟らないならばそうである。神が、「陰府の手より」この自分を「取り去って」くださらなかったら自分には神の命にあずかる可能性など何一つないことを確認するまでは、彼も死に引き渡された存在である。キリスト教徒も、仏教徒も、イスラム教徒も、ユダヤ教徒も、ホッテントットも、ポリネシア人も、要するに「死」の「こちら側」では、絶対に平等である。人はみな獣で、獣として死んで行く。この現実を見つめ、この実相に徹する、ここにしか、人間が「生きる」道を見いだすすべはない。
 だから、このような獣人の死を神が贖ってくださるとすれば、そのこと自体がとほうもない「謎」である。だから、16節は5節の謎の答えであると言うよりは、さらに大きな謎を提示していると見ることができる。わたしたちが、イエス・キリストの十字架を見るのは、こういう視点からである。イエスの十字架は、わたしたちと神とをつなぐのと同じくらい確かにこの両者を引き離す。十字架(死)の向こう側とこちら側とは、そう簡単にはつながらない。そこには、「自己満足」も「まやかし」も通用しない。だから、あまりなれなれしく、十字架と復活とを結びつけないほうがいい。十字架を飾りたてて「復活」を祝うのも護摩を焚いて永世を求めるのもその本質において変わりはしない。そんなおまじないで「謎」が解けるほど「死の謎」は簡単ではないのだ。初代のキリスト教徒は、この謎の重みをはっきりと見抜いていた。死と再生、ヘレニズム世界でこれぐらいよく知られた思想はない。だから、初代のキリスト教徒たちは、このような神々との交流を自分たちに伝えられた福音と比較してその違いを的確に見抜いていた。
 初代のキリスト教徒がわたしたちに伝えてくれた使徒信条はこうである。「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちよりよみがえり」。注意して読めばすぐに分かる。十字架につけられてすぐによみがえったなどとどこにも書いていない。「十字架」と「よみがえり」との間には、なんと四つもの段階がはさまれているのだ。「死んで」とは完全に死んでしまうことである。「葬られ」は土の中で獣のように「塵」となることである。「陰府に降り」は、暗い世界に引きずり込まれて二度と生ある世界には戻れない死の恐ろしさを思わせる。「三日目に」はラザロの復活の記事を思いださせる。ラザロは「眠っているのではない、死んだのだ」とイエスは言われた。「三日」とは、この厳しい現実をはっきりと示している。もしも、人間にほんとうの意味で「よみがえり」ということが起こりえるとすれば、こういう状況の中で、それでもなお起こらなくてはならない。この謎をはっきりと見つめ、これと真正面から対決し、この謎を解いてくれたお方、これが「復活」のキリストなのだ。もしもイエス・キリストが、旧約の預言したメシアだとすれば、この詩の謎を文字どおりに「贖」ってくださった方でなければならない。人間が永遠に生きるかどうかというようなとてつもない問題は、もしもそれがほんとうなら、明日から自分の生き方がすっかり変わるほどの「おおごと」なのだ。この謎に答えてくれない「宗教」は、いわゆるキリスト教をはじめとして全部まやかしではないか。こういう疑いをこの詩は呼び起こしてくれる。16節にある通り「神がわたしの命を贖う」とは、「陰府の手から取り去ってくださる」とはいったいどういうことなのか。これが、この詩の提示する「謎」である。
                 (5)
 
「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を持つ。また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」
             (ヨハネ5章24節)
 このイエスの御言葉は、これに先立つユダヤ人指導者たちとの問答と密接に関連している。この問答で、ユダヤ人はイエスを殺そうと決心する。イエスが「ご自身を神と等しい者とされたから」である。「神と等しい者」、これがユダヤ人がイエスを殺す直接の動機となった。これもまた不思議な動機である。なぜなら、日本人なら、もしある人が「神と等しく」なったら、殺すどころか、神社を建ててお祀りして拝むだろう。うっかり神様を殺したりしたら罰が当たるか崇りが来る、わたしたちなら一応そう考えるだろう。人間がカミになり、この世とあの世とがつながっているのならば、これが自然な発想であろう。ちょうどこの49篇の作者の時代の諸民族がそうであったように。
 ところが、ユダヤ人は、これを絶対に認めなかった。彼らは、自分たちの信仰が、周囲の民族のとはっきり違うことを自覚していた。神と人間との間には、絶対に超えることのできない断絶がある。だから、人間が神になることなどは絶対にありえない。このことを知っていた。この「神の民」は、人間の死の実相を正しく見ていたのである。しかし、彼らは、この超越した神が「自分たちの」優越を示すとは考えていたが、この詩の作者のように、人間から超絶した神ならば、自分たちも外の者と同じようにその断絶の下にある獣に等しい存在であるとは考えなかった。自分たちだけは、この神によってよみがえりにあずかることができる、こう思いこんでいたのである。彼らもまた自らの幻想に気づかなかった。だから、彼らには、神と人間とのまやかしの同一性と断絶、この二つの狭間に現われるあの「謎」、この詩の作者が見つめていた謎が見えてこないのである。
 神は、獣のような人間をば、陰府の支配から「奪い取る」ためにイエスを遣わされた。この一点が見えてこなければ、わたしたちがイエスを信じる納得できる理由などなに一つ存在しない。イエスは、「父がなさることはなんでもその通りにする」ために来られた。それは「父が死んだ者を復活させるその通りに、人間に命を与える」ためであった。この神と獣のような人との間にもたらされる御霊の交わり、これがキリストが、文字どおりにその命をかけて成し遂げられた「命の贖い」であった。ユダヤ人との問答の中で、イエスが「あなたたちの驚くようなもっと大きなこと」(ヨハネ5章20節)を父は成し遂げる、と言われたのはこのことである。
 使徒信条は、人間と神との間に横たわるこの深い溝、生と死とを区切るこの深淵をはっきりとらえている。「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り、三日目によみがえり」とあるように、この世と「霊界」とを行き来するまやかしの「霊」も「よみがえり」も「復活」も存在しない。あるのは、冷たい「死」に「陰府に降り」が続くのみなのだ。そこで、人間の「すがた」は完全に消滅する。人間の存在それ自体が消滅してしまう深い虚無がそこにはある。キリストが「人間」をほんとうに「よみがえらせる」ことができるのであれば、それはこういう冷厳な現実の中から「それでもなお」生じる「神のみ業」でなければならない。
 はたしてそんなことがありうるのか。これが、この詩の作者と共に抱くわたしたちの「謎」である。だから、この謎は、キリストの十字架とその復活との間に横たわる深い断絶と結びついてくる。この断絶を見落とすならば、そのような復活信仰は「事実」ではないであろう。それは、宇宙の支配者である神ご自身が定められた真に存在する「復活」ではないであろう。もしも真の復活が存在するとすれば、十字架のこちら側にいるわたしたちには絶対に見えないはずである。復活の影さえ見えない死に向かって最後まで神のみ手に自分を委ねきること、これがキリストが啓(ひら)かれた「復活への道」なのであろう。したがって、その「み跡を歩む」のは、人間にはできないこと、少なくとも「自分のいのちを大切にする」人間には決してできないことなのであろう。
 この事実をいささかのごまかしもなく認めたときに、その時にのみ、初めて、キリストが「よみがえられた」という完了形がもつ重みが少しは理解できるようになるのであろう。わたしたちにとって、確実なのは、イエスが十字架につけられて「わたしたちが死ぬのと全く同じように」死んだこと、そして、このイエスが今も生きておられると信じられていること、この二つだけである。この二つを結ぶ「謎」はいぜんとして謎のままである。「それにもかかわらず」キリストがよみがえられたと信ぜられ、しかもそれが現実の歩みの中で「生きられ」、そのように生きる人が、二千年間に渡って後を絶たず、多くの民の間で、かくも多くの時代の人が、これを信じて生き、そして死んでいった。その力はどこからくるのか。現にわたしの内にも微弱ながらも働くこの力はいったいなんなのか。それはいぜんとして「謎」のままである。
 「しかし神はわが命を贖い給う。」これは、おそらく、わたしたちがどんなふうにしてよみがえるのかを考えさせるための言葉ではないであろう。それは、どこまでも「それでもなお」現実にわたしたちに働きかけてくる謎の力なのであろう。そして、これが、キリストをして「死にいたるまで従順に」歩ませた力だったのであり、キリストがわたしたちにお与えになった「永遠の命」である。
(『光露』83号。1989年2月)

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