【注釈】
 62篇は、内容的に共通する61~64篇の中にあって、ダビデ詩集の中核部分に属する。この詩の前半(2~8節)は、大勢に迫害された個人が、神が設けた避難所に庇護された状況で作られたと考えられる。後半(9~13節)では、その体験から与えられた霊性を共同体全体と共有する「知恵」へ移行している〔Hossfeld and Zenger.Psalms (3). 111.〕。そうだとすれば、前半部分は捕囚期以前で〔Briggs.Psalms.(1)xc〕、それが捕囚期以後に後半部へ発展したとも考えられる。内容から読み取れるのは、この詩の作者が圧倒的多数の仲間たちから裏切られ迫害されていることである。しかし、このような苦しみや悩みも、もはや彼の心を動かさないほどの静かな霊的境地に達している。彼は、この苦難を通じて人間の真の姿をその偽りや欺瞞と共に見抜き、それと同時に人生の真実がどこにあるのかを悟った。彼は、肉の同族関係により頼む空しさと同時に、自分を導いておられる究極のお方がだれかを学びとった。
 この体験を彼は他の人々にも分かち合いたいと願う。9節からは、作者の目は自分の内から外へ向けられ、同時に、それまでの告白的なスタイルが知恵文学に見られる諭しのスタイルへ移行する。ここで到達した詩人の境地は、同国民、同部族の中にありながら徹頭徹尾主の導きに己れを委ねる一個人の魂の姿である。「心を注ぎ出して主に祈る」この一事の中に彼は自分と自分の仲間たちとのただ一つの真実のつながりを見出す。共同体の内にありながら一人の個人として生きる事を知ったこの詩人の魂は、旧約でもまれに見る透徹した高さに至っている。ローマ人への手紙で、パウロが、ここを人間の究極の価値基準としたのもこのような高さに立つからであろう。
 
[1]【エドトン】アサフなどと共にダビデの宮廷に仕えた音楽指揮者の一人(歴代志上16章41~42節/同25章1~3節参照)。しかし、「~に合わせて」とあるから、「エドトン」の名を持つ特定の韻律あるいはメロディを指すのであろう。
[2]【静まる】原語は「沈黙」「静けさ」。ここは「沈黙して待つ」「静かに待つ」と解する訳が多い〔NRSV〕〔REB〕。大勢の敵対者の迫害からの来る恐れに襲われる中で、なおも「ただ神に向かって静まる・安らぐ」状態が与えられること[ワイザー][フランシコ会]。
[3]【やぐら】原語は「高いとりで」。敵に向かって安全に身を守り、かつ敵を向かえ打つ強さを意味する。
[4]【倒れてくる石垣】「あなたたち皆」は後の挿入と思われる。このためテキストの読みが二様にとれる。「石垣」と「塀」が倒される人の姿を現わすとすれば、大勢の人によって押し倒される石垣のイメージが浮かぶ〔REB〕[ワイザー]。しかし、ここは大勢の人が石垣や塀が倒れかぶさるようにして一人の人を押し潰す様子だと解する方がよい〔NRSV〕[関根]。詩人は、この状態が「いつまで続くのか」と神に訴える。
[5]【尊厳を落とそうと】原語は「高い位置から人を落とす」。直接には「高い地位にある人を引きずり降ろす」の意味にもなるが、原語には「尊厳、威厳」の意味があり、また「落とす」にも「堕落させる」の意味があるから「人間の尊さを傷つけ堕落させる」と解することができる。ここで彼を陥れようとするのは、単なる敵ではなく、友好を装うかつての仲間たちである。
[6]~[7]6~7節は2~3節とほとんど同じである。この篇はもとは4節から始まっていたが、出だしが唐突な感じを与えるので6~7節を始めに繰り返したという説もある。しかし詩の場合の繰り返し(あるいは折り返し)は、単なる繰り返しではなくそれなりの深い意味があることを忘れてはならない。なお6~7節の原典本文は、2~3節と異なり「静まりて待つ」が「静まりて待て」と命令形になっていて、「救い」が「望み」となっている。命令形については原典欄外の読みに「静まりて待つ」と出ているように2節と同じに読む訳が多い。しかしこの命令形を重視する訳もある[関根][フランシスコ会]。「神にのみ向かえ、わが魂よ」〔岩波訳〕。
[8]【栄え】原語は「栄光」「栄誉」「名誉」と訳すこともできる。ここでは、個人の宗教的な信仰だけでなく、彼の社会的な地位と名誉を奪うこと。
【逃れの場】モーセがイスラエルに命じて定めた殺人者たちへの避難の場(ヨシュア記20章参照)。しかし、この詩の作者は、敵対する仲間に偽って罪に陥れられ、このために裁きを受ける状態にあると考えられる。神こそ不正な者たちからの義人の逃れの場である(申命記33章27節)。
[9]9節はその前の連につないで読むこともできるが、ここから作者の目は自分の内面から外へ向けられ、自分の「民」全体への呼びかけとなる。
[10]【低い人】原語は「人(アダム)の子ら」。これは普通身分の低い階層を意味する。これが、「高い人たち」すなわち「人(イーシ)の子ら」と対応する。しかし、ここでは社会的な階層よりも、「はかない息/命」にある人間全体の姿そのものを指す(39篇6~7節/144篇3~4節)〔Hossfeld and Zenger. Psalms (3). 116.〕
[11]【しぼり取る】しえたげ搾取すること。
 【むしり取る】奪い取る、強奪すること。「盗む」という訳もある〔REB〕。
[12]【一つを】このように数を数える表現法、いわゆる「数え格言」は古くから行なわれていた。ここを「一度」と解する訳もある〔NRSV〕。人の知恵ではなく、神から啓示された知恵のこと。
 【力】原語の「オーツ」には「防御、避難所」の意味もある。この「二つ」の意味を聞き取ったのかもしれない。
[13]【人それぞれに】新約では、この部分がローマ2章6節/第二テモテ4章14節に受け継がれている。
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