【注釈】
〔詩編全体における位置〕詩編は、89篇と90篇の間を境に、全体が2~89篇と90~149篇と、二つの部分に分かれている(1篇と150篇は全体の序と結び)。前半部分の2篇と89篇は、どちらも「油注がれた王」を謳(うた)っていて、これが前半部を囲んでいるから、前半部全体は「メシア的な王の詩編」と呼ばれる。特に今回の72篇は、その前半部の中核となる51~72篇の最後にあたる。この中核部分は「ダビデの歌」と題されているから「ダビデ詩集」と呼ばれる(ただし、72篇は「ダビデ」ではなく「ソロモンへ」と題されている)。このダビデ詩集を中核に2篇から89篇までの「メシア的な王」の詩集が構成されていることになる。「メシア的な王」の詩集が最終的に成立したのは、アレクサンドロス大王のヘレニズム世界が始まる頃の前300年であろう〔Hossfeld. Psalms (2).210〕。
〔構成〕72篇全体は1~11節と12~17節と18~20節の三つに分けることができる。これをさらに細分すれば、1節/2~4節/5~7節/8~11節/12~14節/15~17節/18~19節/20節となろう。1~11節と12~17節の祈りは並行しているが、単なる繰り返しではなく、徐々に内容が強められている。王の即位に際しては、この二つの部分が、それぞれ別個に唱えられたのかもしれない。1~17節は72篇の原型で、ここはダビデ王朝の後期にさかのぼると思われる(ヨシヤ王の頃か)。当時のアッシリアや新バビロニアの王権思想を受け継いでいるという説もあるが、むしろ、王権を太陽と結びつけることで、エジプトを含むオリエントの王権思想に根ざすことによって、アッシリアや新バビロニアの王権に対抗するイスラエル独自の王権思想を読み取ることができる。18~19節は、「アーメン」の繰り返しを含む頌栄であるが、これを後の追加だと見る説とメシア的王権を謳う全体の一部だと見る説とがある〔Hossfeld前掲書210頁〕。20節は、72篇の末尾を占める位置から見て、ダビデ詩集の最後を締めくくると同時に、以後のアサフ詩集へつなぐ役割をも果たしている。
〔成立〕以上のように、72篇の原型は、ダビデ王朝の後期にさかのぼるが、北王国イスラエルの預言者アモスの頃(前750年頃)から南王国ユダのヨシヤ王(前620年頃)の頃の預言者ゼファニヤ、さらにイザヤの時代(前7世紀)まで、代々王の即位の祭儀に用いられたものであろうと推定される〔Hossfeld. Psalms. (2).208〕。
〔内容〕全体が、王のための祈願の形をとっているが、現実の王を対象にしながらも、それがメシア的な預言にまで高められていて、祈願が預言と分かち難く結び付いている。したがって、どの部分を祈願に、どの部分を未来の預言とするかは訳によってまちまちである。ヘブライ語では、祈願か未来かは母音の長短によって決まり(ヘブライ文字は子音のみで母音は書かれない)、しかもその長短も必ずしも規則通りにいかないから、この両方を見分けるのは難しい。しかしこの篇では、ヘブライ語のこの特徴が、現在の王国とメシアの王国とを一つに結ぶ重要な働きをしている。たとえば8節の祈願が10~14節の預言へと滑らかに連続しているのが分かる。この祈願は、19~20節の賛美へと高められていくことで「ダビデ詩集」を締めくくるのにふさわしい構成を採っている。
 
[1]1節は2人称で神への呼びかけであり、これが以下の祈りと頌栄全体の基調になっている。
【ソロモンへの】題名は「ソロモンの」とあるが、これは父ダビデ王が、その息子ソロモンのために捧げる祈りであり遺言でもあろう。10節がその根拠になったのだろうか(列王記上10章)。「神よ」とあるのも、ほんらいは「ヤハウェ」であったと思われる〔Hossfeld. Psalms. (2)211.〕。
【掟】原語「ミシュパト」は「法」「掟(おきて)」「戒め」「裁定」「公正」「判断」などの意味を含む。1節ではこの語は複数で神の「公正な法」(単数)から発して具体的な事柄を王が判断する際の正しい「掟」「判定」を意味する。この語は、2節では単数で神の「公正な法」それ自体を指す〔Hossfeld. Psalms (2).202(NB)b〕。
【正義】原語の「ツェデク」(男性名詞)は「神の義」それ自体を指し、女性名詞では地上で現実に実行される「正義」のこと。1節では女性名詞、2節では男性名詞である〔前掲書〕。
【王の子】表題から判断すると、「王の子」はダビデ王の王子ソロモンのことになろう。即位の際には、実際に神の律法が新王に手渡されたのかもしれない。
[2]~[4]「彼」とは新たに王に即位する「王の子」のことであり、「あなた」とは主ヤハウェのことである。
【義と公正】「公正」(ミシュパット)とは、法の支配によって社会の秩序が保たれることである。法に背く者は罰せられるから、民が日常生活する法的な規範のことである。これに対して、「義」(ツェデク)は、「公正」よりも包括的な意味で、具体的な法が本当に正しく施行されるかどうかを監視する根本的な権威のことである。だから、王は義をもって公正を監視しなければならない。王は法が施行されるかどうかだけでなく、法が民のために本当に正しく運用されるかどうかをも左右するから、王権の義は、法それ自体をも支配することができる〔Hossfeld前掲書215頁〕。
【山々】古代の王は、太陽神の創造力の加護を受けて、国の秩序だけでなく宇宙全体を「混沌」から守り、その秩序を維持することが期待されていた。これはバラモン教のインドにも、古代エジプトにも、古代メソポタミアにも共通する。メソポタミアに古代都市群を形成したシュメールの神話はアッシリア(前8世紀~前7世紀)に受け継がれ、その代表的な神話『エヌマ・エリシュ』には、「王は(主神)マルドクが天に行なうと同様に地上でも行なわなければならない」とある。ハンムラビ法典にも「アヌとエンリル(の神々)は、我ハンムラビに命じて、国土に正義を行ない、憎悪に満ちた悪しき者どもを滅ぼし、強き者が弱き者をしえたげることなく、太陽神の如く地を照らし、民に幸いをもたらす・・・・・」とある〔Hossfeld.前掲書212頁〕。72篇の神は主(ヤハウェ)であり、この神によって立てられた王権は、オリエントのいかなる国々にも優る「ヤハウェの義と公正」を神の民にもたらすよう祈願されている(65篇参照)。特に4節での王権は、古代オリエントの諸王権に比べると、国の外部よりも、国の内部において「ヤハウェの民」が圧政と不正から守られることが求められている。
[5]【太陽】古代オリエントでは、(かつての日本と同様に)王は太陽神の創造力を帯びているとされた。古代エジプトでは、「マート」と呼ばれる智慧/正義が、太陽神から授与されると考えられた。9篇20節、146篇8節参照。
[6]ここでの王権は、大自然を司るヤハウェの信託を受けて、民と国土とこれを包む宇宙そのものと一体化されている。だから王は、太陽と月と雨などの自然の恵みをもたらす「神の義の擬人化」〔前掲書215頁〕である。89篇37~38節参照。
[8]8~11節は捕囚期以後の作である。ヤハウェ神の信託と庇護の下で、ダビデ王朝を受け継ぐ王を通じて、全世界の民が主なる神の下に統合される日が来ることを祈願し、その成就を預言する。このスタンザ(詩の区切り)の動詞は、「~するように」と祈願にも訳せるが〔新共同訳〕[NRSV]、成就を確信する預言にも訳せる[フランシスコ会訳]。イザヤ書35章1~13節参照。
【海から海まで】地中海とインド洋の東西二つの海が当時知られていた全世界の海である。なおこのような地理観はバビロニアの地理の影響を受けている。
【大河】ユーフラテス河のこと。ここでの地理的な背景は列王記上5章1節を参照。ここでの支配をゼカリヤ書9章9~10節と関連づけて、メシアとしての「王」が到来する時は、軍馬ではなく平和の象徴である「ろば」に乗ってくるという預言を読み取る解釈もある(マルコ11章1~10節)(ミカ書4章2~3節をも参照)〔Hossfeld. Psalms (2).216〕。
【地の果て】王が治める領域を意味する。2篇9節参照。この言い方は、ここではダビデ王朝の王が支配するオリエント全域を指すが、この「王」がメシア的な預言とされるに応じて、「地の果て」はメシアが到来して支配する全域を表わす用語になった(使徒言行録1章8節を参照)。
[9]【荒れ野の民】原語「荒れ野に住むもの」は、ほんらい荒れ野の獣を指すが、ここでは、イスラエルの周辺にいてイスラエルを悩ますベドウィン族などを指している。ここを「仇/敵」と訳すこともできる。"foe" [NRSV]。なお七十人訳では「荒れ野の民」ではなく「エチオピア人たち」とある。七十人訳がエジプトのアレクサンドリアで訳されたのが前3世紀であるから、エジプトよりも南にあるエチオピアがでてくるのであろう。
[10]【タルシシ】フェニキアの植民地として知られたタルテッサス(現在のスペイン地方)とする説が有力である。前節の「地の果て」も具体的にはこの地方を指しているのであろう(イザヤ書60章9節参照)。ただし旧約聖書の言及だでは特定できない。いずれにせよ金銀に富む豊かな楽園と考えられていた。イザヤ書60章6~9節を参照。
【島々】沿岸地方とその島々を含む。ここではとくに地中海一帯の沿岸とその島々を指す。イザヤ書11章11節を参照。
【シバとセバ】「シバ」は「セバ」のヘブライ名。セバ王国の植民地がエチオピアにも存在していたので「シバ」をこれと同一視する説もある。イザヤ書60章6節やエレミヤ書6章20節はこれを指すのか。「セバ」の名は創世記10章7節にでているクシの子孫の名前である。この王国の所在もはっきりしないが、おそらくアラビア半島の南端で紅海の入口に当たる地方にあって、東西の交易によって豊かな富をもたらす所と考えられていたのであろう。「セバ」の名はイザヤ書43章3節にも見える。七十人訳では「アラビアとセバの王たち」とある。
[11]この節でイスラエルの歴史と世界の歴史とが統合され、世界史的な救済史が開かれる。
[14]12節は「キー」(なぜなら/確かに)で始まり、ここから後半に入る。12~14節は、1~2節で祈願された神と王とのつながりと、その王が行なうべき「義」と「公正」を具体的に述べる。王の業は神の業と一つに見なされている。
【圧政と暴虐】王が扱うべき社会的公正の中核となるのがこの問題である。
[15]15節には問題が二つある。(1)15~17節は祈願なのか? それとも未来への預言なのか?(2)だれがだれに「シバの黄金」を与えるのか?
(1)このスタンザ(15~17節)を預言と解釈する訳もあるが[フランシスコ会訳]、ここは、5~7節のスタンザに戻って、「王が生き長らえるように」と王についての祈願で始まり、スタンザ全体を祈願と解釈するほうが適切であろう〔新共同訳〕[NRSV]〔REB〕。
(2)この節の人称代名詞「彼」がだれを指すのかがあいまいである。15節冒頭の動詞「生き長らえる」はパアル(普通能動態)の3人称単数男性の未来形である。これは預言と祈願のどちらにも解することが出来るが、ここでの主語は「王」であって、「王が生き長らえる」の意味であるのは間違いない。問題はこれに続いて、「そして彼が彼にシバの黄金から与える(ように)」である。「与える」主語の「彼」は王を指し、与えられる「彼」はその前のスタンザにでてくる「貧しい者」「苦しむ者」のことだと解釈すれば、「王が彼ら貧しい者たちにシバの黄金から分け与える」ことになり、続いて、「王が絶えず貧しい者たちのために祈り、彼らを祝福する」ことになろう〔Hossfeld. Psalms (2).203-204のテキスト注(j)〕。「彼が」を「人々が」とする訳もある〔新共同訳〕[フランシスコ会訳。しかし七十人訳は、15節の「彼が彼に」の「彼が」を一般的な非人称だと解して「王に与えられる(ように)」のように受動態で訳している[NRSV]〔REB〕。私訳もこれに従った。なお、七十人訳では「アラビアの黄金」とある。
[16]【穂波が揺れる】テキスト本文の原語は「地震のように揺れる」。ここは「山々の頂きまで穂波が揺れる」と解釈される[NRSV]〔REB〕[ワイザー]。
【その束】原語は「市から」であるから、「市の人々は(草のように)栄える」と解釈することができる〔新共同訳〕[フランシスコ会訳][NRSV]。しかし「街から(メイール)」を「穀物(の束)(アミロー)」と読み替える訳もある〔Hossfeld前掲書205テキスト注(k).〕〔REB〕「ICC}。私訳もこれに従った。
[17]【王の名】古代(例えばエジプト)では、王座にその王の名前とその業績を刻む風習があった。「その名は太陽のある限り栄える」は、王の生命力が太陽神の創造力を源にしていることを表わす。
【すべての民は】17節後半は、アブラハムに与えられた契約を反映していると考えられる(創世記12章1~3節その他)。ここで「王」がアブラハム契約と結びつく。これによって神とイスラエルの救済史に組み込まれることで、72篇の王権に「メシア王」預言の特徴を与えている。
 なお七十人訳では「彼の名がとこしえに祝福されるように。その名が太陽よりも長く保たれ、地のすべての民は彼によって祝福され 彼を幸いな者と呼ぶように」とあって、ヘブライ語原典によりも王権への賛美が強められている。この賛美は、19節での主なる神への賛美に匹敵するもので、ヘブライ語原典では、王権が最終的に神に従属することでメシア預言としての性格を帯びるのに対して、七十人訳では王権が神的な性格を帯びている。七十人訳には前3世紀のエジプトのプトレマイオス朝時代の王権思想の影響を読み取ることができよう〔Hossfeld前掲書218〕。
[18]【ほむべきかな】ここで「バルーク」(祝福される/ほむべき)が「主(ヤハウェ)なる神」に献げられる。15節ではこの語が「王」に用いられているが、王への賛美が、最終的に主なる神への賛美と結びつくことで、王権思想が主なる神の栄光に従属し神中心へ移行する(詩編24篇/イザヤ書6章3節参照)〔Hossfeld. Psalms (2)218.〕。この移行過程によって、ダビデ王朝の「王」がメシア的性格を帯びることになる。
[19]【アーメン、アーメン】19節は、72篇よりも、ダビデ詩集(51~72篇)全体を締めくくる。「アーメン」形式はエジプト起源で、ほんらいは世俗の法的な契約を確認し実行することを誓う祭儀的な意味で用いられていた。これがイスラエルへ採り込まれて祭儀用語となり、祈りと頌栄に対する信仰を表わすために用いられた。ちなみに、七十人訳では、ここの「アーメン」が「そのようになるように」と訳してあって、「アーメン」のほんらいの意味を留めている。「アーメン」は公の祭儀だけでなく、個人の祈りでも用いられたから、会衆一同と個人とを一つに結ぶ祈りの確信を表わすようになった〔Hossfeld. 前掲書218~19頁〕。
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