84篇
  主の住まいを慕う
 
1聖歌隊の指揮者によってギティトのしらべに
 あわせて歌わせたコラの子の歌
 
2どんなにあなたの住まいを愛することか
  万軍の主よ
3わたしの魂は絶えいるばかりに慕わしく
  主の大庭を求めて
この身も心も喜びのあまり
  生ける神に向かって叫ぶ。
4雀はそこに住みかを見つけ
  燕もそこに巣をつくり
あなたの祭壇のかたわらで雛を飼う
  万軍の主よ。わが王、わが神よ。
5幸いである、あなたの家に住む者は
  常にあなたを賛美する者は。「セラ」
 
6幸いである、その力があなたにある人は
 その心にあなたに至る大路がある人は。
7彼らは死の谷を通る時も
  これを泉の湧く所にする。
まことに祝福が
  前の雨のようにそこを覆う。
8彼らは力から力へ進み
  シオンで神にまみえる。
 
9万軍の主なる神よ、この祈りを聞き入れてください。
  ヤコブの神よ、耳を傾けてください。「セラ」
10われらの盾よ、神よ、目を注いで
  あなたの油そそがれた者の顔を顧みてください。
 
11まことにあなたの大庭に居る一日は
  他の千日にまさり
わが神の家の戸口に立つのは
  悪の天幕に座るのにまさる。
12まことに主なる神は太陽であり盾であり
  恵みと栄光を与えられる。
主は良いものを拒まれず
  その歩みを全うする者に与えられる。
 
13万軍の主よ
 あなたにより頼む者は幸いである。
                      【注釈】
【講話】
 84篇には、聖なる都に向ける愛慕と、その都が回復され、そこを訪れた喜びが一つながりになって流れている。かつて存在した聖なる都、今は失われてしまった都、再び回復されたまだ見ぬ都、神の都の過去と現在と未来とが、この詩の中で去来する。そこには、この都を目指して旅する心とこれを目の当りにした喜びと再び異教の地へ戻らなければならないという想いが交錯している。
 人間は皆、それぞれに安住の地を求める。しかし、どういうわけか、自分の国、自分の市、自分の家に安住できない人がいる。彼らは、住むべき家、頼るべき国、共に暮せる仲間を持たない。こういう人々は、この地上に安住できる地を求めてさまよう。しかし、これこそ自分にぴったりだと思う所へ行き会えたとしても、それは問題の始まりであって終わりではない。彼がそこに住みつく決意をしたその時から、そこは、自分の望みや願いを実現させるための労苦の場となる。人それぞれに個有の幸せを手に入れようと労する所となる。この欲求は人間と共に古い。
 このように、人は、魂の安息の場を求めてさまよい、ついにこれを見出して喜び、そこに自分の心の神殿を築こうとする。これは純粋に無形な信仰の営みであるが、これもまた、人類と共に古い。だからこそ、安住の地を求めて旅する事が、古釆、信仰の歩みの比喩として用いられてきたのだろう。
 しかしこの「比喩」は、単なるたとえ以上の意味を持つ。この「比喩」こそが、聖堂や寺院を建て、キリスト教国、仏教国、イスラム教国などを地上に実現させた強大なエネルギーを秘めているからである。霊と肉、天上と地上との合体を求めるこのような営みを仮に「宗教」と呼んでもいいのなら、信仰は、いつもこういう様々な宗教から抜け出しつつも、常に新たな宗教をこの地上につくり出してきたと言える。
 信仰は、自分を取り囲む世界とこれを成り立たせている宗教とに満足できなくなって、新たに魂の安息を求めて旅立つ。人は、こうして、住み慣れたウルの都市を離れて、行先を知らずして出て行ったアブラハムの子となる。へブル(さまよう)人となる。こうして巡礼は「涙の谷」を通る。そして、ある日、ようやく自分の神に出会う。神が彼にあらわれてくださるのだ。あらわれたその所が、彼の神殿となり心安らう「大庭」となる。それは絶対にそれ以外の場所ではありえない唯一無二の所である。それは、学問的な探究の結果と言うにはあまりも熱く、知的な思索の到達と言うにはあまりにも体験的である。それは、いわば陶酔であり、新しい創造の始まりである。「身も心もよろこび叫ぶ」ような状態が巡礼を包むのはこういう時である。
 彼は、その創造の中で過去に出会い未来に向かう。そして、今自分が詣でている神殿が昔あった神殿の模倣にすぎないことを、古くからの神殿が、自分の神殿のタイプ(予型)であったことを知る。新しい労苦が始まる。「悪の天幕」と「主の大庭」との間にあって巡礼の旅をくり返す労苦である。そして、この亀裂が埋められた時、気がつくと彼の信仰が、いつの間にか宗教に変貌して現実するのを見る。
 この世を離れて、ひたすら神の居ます主の大庭を求めて旅する営みが、いつの間にか、この世を変貌させ自らも宗教に変貌していく。すると再び、その彼方に、聖なる都が姿を見せて、新たな巡礼たちを招く。この不思議な比喩の神秘は、いつまでも隠されたままである。
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