【注釈】
表題から見ると、84篇は、「コラの子の歌集」から「ミズモリーム」(詩編)を経て「聖歌隊の指揮者によって編集された」と一応は推測できる。だが、この篇は内容も構成も単純でない。何よりも、この篇は、エルサレム神殿への巡礼の歌である。その点では、120篇以下の「都もうでの歌」と同じ部類に属する。これを122篇と同じタイプに分類する説があるが、わたしは、むしろ、この詩は、心情的に見れば116篇のほうに近いとさえ思う。「都もうでの歌」は、捕囚以後に再建されたエルサレム神殿へ諸国から旅する巡礼の歌である。そこには異教の地から神の居ます神殿にたどり着いた喜びがある。それが、収穫の祝いと重なると喜びはなお大きい。
しかし、この篇には、同じ「コラの子の歌」とされる42篇、43篇にも通じる激しい感動と叫びがある。これらの篇は「主の神殿を慕い求める嘆きの歌」である。たとえば、2~4節と42篇の始めの2節とを比べてみてほしい。これら三つの詩篇は、同じ作者ではないかと言う説さえある。42と43篇は、時期的には先ほどの「都もうでの歌」よりもずっと早く、捕囚の最中の作である。異国の異教の地で涙ながらにシオンの回復を待ち望む悲愁の漂う作である。42篇の作者が、その祈りと願いがかなって、シオンの神の宮に詣でることができた。その喜びが84篇である。こう考えてもいいと思う。仮に作者が違っていてもそれほど問題ではない。
そもそも詩篇の「わたし」は個人のことではない。それは、同時に、「わたし」の属する共同体であり、同信の民であり、場合によっては自分の国なのだ。だからといってその祈りや叫びが、個人として弱くなるのでもない。むしろ、自分の祈りが、自分一人の祈りではないことを知って一層激しく燃え上がる。概して、詩編は一人の作者が作ったとも言えない。礼拝の中で歌い継がれるうちにできてきたものである。
この篇の表題に「コラの子」とあるが、この84篇の9~10節は、特に王国の後期の頃の87篇と比べられる。87篇では、主の建てられた「聖なる都」に対する信頼と愛が歌われている。このように王の都を賛めたたえる歌、「シオンの歌」の痕跡をも84篇はとどめている。4節4行目の呼びかけ、さらに、9節の「油注がれた者」のための熱い祈りに注意してほしい。「巡礼たちが、王と民のために神に祈り、自分たち個人の物質的な幸いを求めていないことは、言うまでもなくこれが祭儀としての特徴を帯びているからである。それは、地上の王が王座についたことを年毎に祝うと共にヤハウェが王座につかれたことと結びついている」〔ヴァイザー『詩編』〕。
84篇の2~5節は、神の住まう神殿を慕い求めて巡礼に旅立つ者の想いを歌うのであろう。6~8節では、巡礼の旅の辛さとこれを支えてくれた神の恵みを偲ぶ。その思いは、異教の地での苦しさをも思い出させる。9~10節は、この都に居ます方のための祈りである。背景には、古代オリエントの王への賛美と祈りがある。11~12節では、主の家に住む幸いと再び異教の中へ戻らなければならない想いとが表裏一体になっている。13節は結びであるが、もとは各連の終わりでくり返された折り返しかも知れない(5節参照)。
したがって、84篇全体を1節(題名)/2~5節(神殿への巡礼を求める)/6~8節(巡礼の旅)/9~10節(主からの王権への祈り)/11~12節(巡礼者の神殿での喜び)/13節(結びの祝福)のように分けることができよう。時代は、捕囚期以後のペルシア時代であろう。ただし、4節4行目と9~10節の主からの王権にかかわる部分は、内容的に見て、後のギリシア時代に加えられたものであろう〔Hossfeld. Psalms (2).352〕。
[1]【ギティト】「ギティト」は8篇/81篇/84篇に出てくる。おそらく歌のメロディを指すのであろう。ギリシア語訳(七十人訳)とラテン語訳では「ぶどう搾りの歌」とある。だから「ギティト」とは、収穫の喜びを表わすメロディであったとも考えられる。ただし、「ギティト」と呼ばれる弦楽器があったので、その楽器のことではないかという説もある。
【コラの子】レビ族の出でコハテの子孫(歴代誌上6章22節)。コラたちが、モーセとアロンに逆らった話は(民数記16章)、この一族が古代ヘブライ民族の中で重要な地位を占めていたことを思わセル。コハテとコラの子孫は神殿合唱隊の職にあった(歴代誌下20章19節)。
[2]【あなたの住まい】エルサレムの神殿のこと。バビロンの捕囚以前であればソロモンの神殿を指すが、ここでは捕囚後の第二神殿(前520年~前515年に完成)を指す。
[3]3~5節はイスラエルの民とヤハウェ神との内面的な「交わり」の深さを歌っている。
[4]「万軍の主よ。わが王、わが神よ」は、ユダヤの神を王権と見なす後期のギリシア支配の時代(前198年頃から)の挿入であろう。
[5]【家に住む】神の臨在の内に「留まり続ける」ことこそイスラエルの信仰の真髄である。
【セラ】欄外に記されていた言葉。「声を上げる」の意味。歌の合間の休止あるいは奏楽の切れ目を指すと思われる。ここで頌栄が唱えられたのであろうか。
[6]【大路】この歌は「エルサレム巡礼」の歌なので、この路も巡礼の通る道のことであろう。
[7]【死の谷】原語は「バカの谷」。巡礼たちが旅の途中で受ける困難を意味する。「バカ」は乾燥地に生えるバルサムと呼ばれる潅木を指すので、ここを、エルサレム郊外にあって巡礼の通る谷の名前だと考えることもできるが、ここではむしろ、一般的に「水のないかわいた谷」の意味であろう。それは「暗い谷」「死の谷」をも指す。「バーカー」(バルサム)は語の末尾が1字違いの同音で「涙を流す」となるから「涙の谷」という読みもある(七十人訳)。
【前の雨】パレスチナでは、秋と春に雨が多い。夏の日照りの後の秋の雨は、10月から11月にかけての小麦と大麦の種まきのために大切なので、これを「前の雨」と呼んだ。これは「後の雨」、すなわち、5月から6月にかけての麦の刈り入れに先立って、春先に 降る雨と対照される。この一句から、ここで歌われている巡礼は、9月から10月にかけて行なわれる仮庵祭(収穫祝)のためであろうと考えられる。この祭には雨ごいの意味もあった。
[8]【力】「胸壁/とりで」と読むこともできる。「力から力へ」は、巡礼がエルサレムの神殿にだんだん近付くことをあらわす。
【神に】「神々の神に」と読むこともできる。
[10]【油注がれた者】ギリシア語訳(七十人訳)は「キリスト」である。この語は、捕囚以前では、イスラエルの「王」を意味し、捕囚以後では「大祭司」を意味するようになった。「コラの子の歌」とあるように、この篇はダビデ王国時代にさかのぼるとも思われるが、捕囚以後に行なわれた巡礼の歌ともなる。だからここでの「油そそがれた者」には「王」と「大祭司」の両方の意味を重ねることができよう。
[11]【戸口に立つ】その家の門番になることが暗示されている。
[12]【太陽】「胸壁」とも、「栄光」「誉れ」とも訳すことができる。
【全うする】原語は「完全に歩む」。「罪とがなく歩む」という意味にもとれるが、このような生活態度よりも、むしろ、全面的に主に信頼して歩む心の有り様を指す。
[13]【幸いである】「~する人は幸いである」の「幸い」のギリシア語「マカリオス」(七十人訳)は、新約のマタイ5章1~12節の「~する人は幸いである」につながると見ることができる〔Hossfeld. Psalms (3).356〕
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