2014夏期集会講話
            性愛から霊的結婚愛へ(後編)
■「恋愛」の発明と騎士物語
 「恋愛」とは男女が愛し合うことですが、「恋愛」がそれだけで美しいものだから、どんな状況でも恋愛を貫くことは価値がある。そもそも、こういう恋愛観は誰がどこで「発明」したのでしょうか? 古代オリエントにも、イエスにもパウロにも、ヘレニズム世界にも、インドや中国、江戸時代の日本にもこういう恋愛観は存在しません。
 11世紀末から13世紀末にかけて、南フランスで活躍した「吟遊詩人」(トルバドゥール/Troubadour)と呼ばれる人たちがいました。ボルドー河の南のプロヴァンス地方でプロヴァンス語(オック語)で書かれた彼らの抒情詩は、中世ヨーロッパの公用語のラテン語ではなく地方語で書かれた最初期の詩であり、地方の民謡から、新たな詩形、旋律、リズムをとり込んだのです。
 今日まで作品が遺る最初期のトルバドゥールは、アキテーヌ公ギヨーム9世(1071年〜1127年)です。400人以上のトルバドゥールの大部分は貴族の出で王侯も含まれます。彼らにとって詩を自作自演することは騎士道の理想を表現することでした。詩のテーマは、恋愛、騎士道から、宗教、政治、戦争、葬儀、自然におよび、約2600もの詩が遺っています。これら吟遊詩人たちは、宮廷から宮廷へと巡回して謡(うた)いましたが、伴奏はふつう、ビエル(中世のビオラ)やリュートなどの弦楽器でした。
 トルバドゥールの運動は、教会の権力が最高に達した12世紀に、イスラム教の影響を受けた南フランス、すなわち聖職者の独身制と典礼化された結婚を重視するカトリック教会の権威の最も弱い地方から起こりました。これがカタリ派の異端運動と結びついていたことは確かでしょう。彼らの謡う「恋愛」は、結婚制度に束縛されない「自由な」恋愛感情で、マリア崇拝などに基づくキリスト教的な「聖愛」に対するパロディ的な意味を帯びていたと言えます(例えば、高貴の夫人に恋をして「あなたはわたしのマリア様!」と呼ぶように)。この運動は主として宮廷を中心に行なわれたので「宮廷風恋愛」(courtly love)と呼ばれます。
 一方、北フランスの宮廷につかえた詩人たちを「トルベール」と言います。彼らは、トルバドゥールの作品を模倣したりアレンジしたりしながら、独自の詩歌をつくりあげていきます。トルバドゥールの作品に似ていますが、英雄的な叙事詩に重きがおかれていて、北フランス語(オイル語)で書かれています。
 トルバドールからトルベールにいたる運動は、宮廷での作法、とりわけヨーロッパ中世の騎士道に大きな影響を与えました。恋する貴婦人のために闘うという騎士道は日本の武士道とこの点で大きく異なっています。騎士道物語でよく知られている「トリスタンとイゾルデ」(12世紀)は、騎士トリスタンが、忠誠を誓う自分の領主の婚約者イゾルデに恋する悲恋物語です。「パーシヴァルと聖杯物語」(英語読み)も有名で、これらはフランス語とドイツ語で書かれますが、15世紀にイングランドの詩人トマス・マロリーによって「アーサー王と円卓の騎士」物語群として編集され、『アーサーの死』"Le Morte Darthur" と題して出版されます(1485年)。
 「トリスタンとイズー」(英語読み)は結婚に真っ向から背く悲恋物語ですが、アーサーの騎士の一人ガウェイン卿(Sir Gawain)は結婚に関して完璧な貞節の騎士です。「ガウェイン卿と緑の騎士」(1375年)や「ガウェイン卿とラグネル姫」の物語が有名です〔ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳(岩波文庫)が手軽で分かりやすい〕。
 このようにして産まれた中世の「恋愛」観は、イタリア・ルネサンスにおいて霊的に高められて、ダンテのベアトリーチェへの愛として謡われ〔『新生』(1295年)/『神曲』(1307年〜21年)〕、あるいはミケランジェロのヴィットリア・コロンナへの愛として記録されることになります〔『ソネット』1524年以降〕。
■エリザベス朝のソネット
 キリスト教会の結婚制度とその聖愛観に背く恋愛運動として始まった宮廷風恋愛は、14世紀のイタリア・ルネサンスを経てキリスト教の結婚観にとりこまれることになります。ここにヨーロッパ独特の「結婚愛」、明治以降に日本人が「恋愛結婚」と呼ぶ結婚観が誕生しました。このような「恋愛結婚」は、16世紀末のイングランドにおいて1590年代に生まれました。この時期はイングランドのルネサンス期で、スペンサーとまだ若いシェイクスピアが活躍した時代です。以下にエリザベス朝のソネットを三つ紹介します。
 
●フィリップ・シドニーのソネット集『アストロフェルとステラ』(1534年以降)
60番
私の守護神が私を導き、ステラの中に
 私のすべての善を見うる所に連れてきてくれても、
 その喜びの天界は、私に対し、ただ
 侮蔑のいかずちと、不興のいなずまを投げかけるだけ
そして足どりの乱れもひどい運命が
 私を彼女の姿の見えぬところへと転落させる
 すると彼女は、中に詩神の宝物を入れた言葉で、
 いとも優しく、私のいないところで、愛と憐れみを示す。
私は長い間冷酷な運命に知性を痛めつけられ、
 ひどく鈍感になっているので、この恐ろしい愛、いとしい憎しみが、
 どうして存在しうるのか、その根拠を探ることができない。
だから、だれか親切な方よ、私はどうすればよいか教えてほしい。
 私がいることはいないことで、いないことはいることで、
 呪われて祝福され、祝福されて呪われているのだから。
 
シドニーは文武に優れた典型的なイギリスの「ジェントルマン」と呼ばれています。このソネット集は、シドニーが既婚の貴婦人に献げたものです。だからこの謎めいたソネットは、中世以来の宮廷風恋愛の伝統に従っているのが分かります。
 
●シェイクスピアの『ソネット』集(1593〜96年頃)
18番
君を夏の日にたとえようか
君は もっと美しく もっとおだやかだ
あらしが 五月のかわいい蕾を散らし
夏の季節は あまりも短いではないか
ときには 太陽の光は 暑く照りすぎる
ときには 輝く黄金の顔に 雲がかかる
こうして 自然のなりゆきや 時のはずみで
すべての美は いつか その美をそこなっていく
けれども 君の常夏の日は 色あせる時がなく
君に宿る美は 君から離れることがなく
君が冥府の闇路をたどると 「死」に言わせることもない
この永遠の詩のなかで 君が「時」と合体するときには
ひとが生きるかぎり 眼が見えるかぎり 長く
この詩は生きて 君にいのちを与えるのだ
             (中西信太郎訳)
 このソネットはある身分の高い若い男性に献げたものです。エリザベス朝では、このように男性が男性に向けて愛を語るソネットが存在したのです。これはギリシア的な伝統に根ざす「美への愛」です。ただしこれは、シェイクスピア自身の体験から出たものではなく、彼の創作によると考えられます。
 
●エドモンド・スペンサーのソネット集『アモレッティ』(1594年頃)
64番
あの人に、接吻(くちづけ)しようと近寄ったら、
      (それだけの恵みを受けたから)
 美しい花園の香りがしたように思われた、
 乙女たちが、愛する人の部屋を飾るにふさわしい
 馥郁(ふくいく)たる香りをあたりに放つ花々の。
あの人の唇は、においあらせいとうの香りを思わせ、
 赤い頬は、紅のばら花、
 雪のような額は、ほころびそめたべラマーの花、
 愛らしい眼は、花開いたばかりの石竹、
見事な胴は、いちごの苗床、
 項(うなじ)は一房のおだまき、
 乳房は花びらを散らす前の百合の花、
 乳首は、蕾を開いたばかりのジャスミン。
このような花々は、いともかぐわしい匂いを放つが、
 あの人の快い香りは、すべてに立ち勝っていた。
 
68番
この日、死と罪に打ち勝ち給いし
 いとも栄えある生命の主よ、
 また地獄の扉を打ち破り、
 そこより、捕縛(とらわれ)の身のわれらを連れ出し給いし主よ。
貴き主よ、この喜びの日を、歓喜もて始め、
 われらのために死に給い
 その尊き血もて罪を洗い浄められしわれらが、
 至福の中に永遠に生きることを得さしめ給え。
そして、御身の愛を畏れかしこみ、
 われらも同じくそれに応えて御身を愛し、
 また、われらすべてを同じ価もて贖われ給いし御身のために、
 われらが互いに愛し合うようになさしめ給え。
だから、いとしい人、愛し合おう、われらのつとめにふさわしく。
愛こそは、主の垂れ給いし御教訓(みおしえ)だから。
 
 このソネット集は、スペンサーがエリザベス・ボイルという女性に送ったプロポーズのソネットです。64番には雅歌が、68番にはイエスの復活が重ねられています。この一連のソネットは、二人の結婚を祝う『祝婚歌』で終わります。だからこれは従来見られなかった全く新しい「結婚愛のソネット」です。エリザベス朝では、このように、宮廷風恋愛型、同性愛型、結婚愛型のソネットが同時に存在していたのです。
■スペンサーの結婚愛
『祝婚歌』6番
僕の愛する人は、今夢から覚める。
その麗しい目は、薄暗い雲にかすむ星が、
今その美しい光を放つようだ
ヘスペラスが頭をもたげるよりもなお輝かしく。
さあ貴方たち、喜びの娘たちよ、来て
素早く彼女を飾ってください。(短)
だがその前に来るがよい、麗しの時節たちよ、貴方たちは
ジュピターの楽しい楽園で昼と夜から生まれ、
年毎の季節を割り当て、
この世の麗しいものをことごとく
絶えず造り出し新たにする。(短)
次いでキプロスの女王に仕える三人の乙女たち
僕のいとも美しい花嫁を飾り
着飾らせながら、その合間に
時折優美を見せてください (短)
またヴィーナスにするように彼女にも歌ってください
森もこれに応えて、貴方たちのこだまを響かせましょう。
 
 エドモンド・スペンサー(Edmond Spenser)は、文学史で初めて「結婚愛」を主題とした詩人です。彼は、恋人エリザベス・ボイルに宛てたソネット集『アモレッティ』を著し、このソネット集を二人の結婚を記念する『祝婚歌』(Epithalamion)で結びました〔コイノニア会ホームページ→聖書講話→スペンサーを参照〕。その第6スタンザ)にはギリシア神話の季節の女神たちとヴィーナス(キプロスの女王)に仕える3人の優美の女神たちが登場して、花嫁の身体的な美しさを飾っています。大自然の創造が産み出す性愛の美が、神(ここでは、ギリシアの「ジュピター」がキリスト教の神を示唆します)の楽園に創造されたエデンの園のエヴァと重ねられて描かれ、花嫁には「美」と「愛」と「貞節」の3人の優美の女神たちが付き添うのです(ボッティチェルリの「春」の真ん中で踊る3人が優美の女神たちです)。 ヴィーナスの性愛が結婚の花嫁への賛美へ向けられているのに注意してください。
 
11番
もしあなたたちが目にすることができるなら
彼女の生き生きした霊性の内に宿る美を
いと高い天の賜で飾られたその美を
目にするなら、その美しさに驚嘆するあまり
見る者を石にするメデユーサの頭を見た人のように
きっと立ちすくんでしまうだろう。
そこに住むのは、やさしい愛と変わらぬ貞節、
汚れない誠実としとやかな女らしさ、
名誉を尚ぶ心と温和な慎み、
そこでは美徳が女王の座につき、
ただ一人、掟を与える。
低い諸々の情念もそれに従い、
その意のままに仕えるから、
よからぬ思いがそこに近づき
あの人の心を悪へ誘うことはできない。
一度でもこの神聖な宝物を、
この披露されぬ喜びの数々を、自にしたならば、
そなたたちは驚いて賛歌を歌い、
すべての森はそれに答えてこだまを返そう。
 
 ここでは、花嫁の外見の美からその内面の霊的な美へ目が向けられます。しかし、その美は、愛と貞節、名誉(誇り)と温和とあるように、一見矛盾する性質を具えています。しかもその「美徳」が、王国を支配する女王のように、花嫁全体を支配していて、低い情念を従わせるとありますが、これは、ここでの結婚愛が、当時のエリザベス女王とこれに支配されているイングランドと重ねられていることを表わします。
 
13番
開けよ、教会の門を、私のいとしい人のために
開けよ、広く、あの人が入れるように、
ごらん、あの人が祭壇の前に立って
聖なる祭司の言葉を聞き、
そのめでたい両手の祝福を受けるのを
赤いばらが頬にさし、
雪白(せっぱく)の肌を、芯まで染めぬかれた深紅のように
鮮やかな朱色に染めれば、
天使たちさえ、聖なる祭壇の周りに
いつまでもとどまり、
つとめを忘れてあの人の周りを飛びかい、
見れは見るほど美しいその顔を
何度も何度ものぞきこむ。
だが、きまじめな目はじっと地面に注がれ、
みごとな慎み深さの支配を受けて、
よこしまな思いを少しでも入れるわき見など
ただの一度もしはしない。
愛する人よ、なぜにそなたほ頬を赤らめるのか.
そなたの手を、私たちの契りの固めを、私に与えるのに。
歌え、やさしい天使たち、ハレルヤを歌え、
すべての森がそれに答えてこだまを返すように。
 
 ここでは、祭壇の前に立つ花嫁が、キリストの花嫁であるエクレシアと重ねられています。このソネット集では、花嫁は大自然の季節を司る性愛の女神と重なり(6番)、それが雅歌の女性と重ねられ(10番)、エリザベス女王の支配するイングランドと重なり(11番)、キリストの花嫁であるエクレシアと重なります(13番)。16世紀のイギリスの詩人エドモンド・スペンサーは、神によって「結ばれる」結婚の偉大な神秘を『祝婚歌』を通して、家庭と社会と国家と宇宙を一つながりに結ぶ「神の霊的な秩序」を支える「厳かなもの」として描き出したのです。なおこの頃の結婚愛を主題にした劇では、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の夫婦の悲恋物語が有名です。
■ミルトンの離婚論
 イエスによる結婚の内面化は、カトリックに反対する宗教改革において新しい展開を見せることになります。そのひとつとして、それまで固く守られてきた聖職者の独身制度が、宗教改革によって崩壊するという大変革が起こります。また結婚と離婚を「個人」の問題として、離婚の自由を認める思想が生まれました。離婚の自由を真っ先に唱えた人の中に、イギリスの詩人ジョン・ミルトン(1608〜74年)がいます。ミルトンはスペンサーの結婚愛を受け継ぎながら、彼独自の信仰に基づいて「離婚の自由」を主張します。彼の離婚論は、彼の信仰の自由と密接に結びついています。
 ミルトンは、ピューリタン革命の前夜(1641年)に始まる一連のトラクトで、信仰の自由、離婚の自由、言論の自由、たとえ国王と言えども必要なら国民は彼を排除する権利を有するという政治の自由を唱えて、近代民主主義の基礎を形成しました。ピューリタン革命はイングランドで挫折して王政に復帰しますが(1660年)、その精神はピューリタンたちによってアメリカ大陸へ渡り、アメリカ建国の理念として現在にいたっています。
 ミルトンは、結婚・離婚を法的社会的な制度の外面ではなく、霊的内面的にとらえ直しました。彼は、イエスの結婚・離婚への見方を再検討して、夫と妻がほんとうの夫婦愛で内面的に結ばれていない場合、あるいは、何らかの事情で内面的な夫婦愛が崩壊している場合には、その結婚は、神から出た結婚とは言えないと主張して、結婚・離婚観を全く新しい方向へ転換させたのです。これは、いかなる理由があっても離婚は認められないとするカトリック教会とイングランド国教会の両方に対抗するものでした。
 イエスによれば、結婚は、夫婦が、神によって霊的にも身体的にも一心同体となる新たな創造を意味しました。ミルトンは夫と妻が内面的霊的な結び付きを「追求する」ことこそ、神から与えられた結婚の目的であるととらえ直したのです。その結果、そのような結婚愛への追求が放棄され失われている場合には、それはもはや神からの結婚とは言えないがゆえに、離婚が認められるべきであるという根拠へ到達したのです。
 だからミルトンにあっては、イエスの結婚による創造信仰が、離婚を禁止する方向ではなく、逆に、離婚の自由を唱える根拠になるのです。すでに結婚愛への追求を内面的にを失っている夫婦は、外面的に結ばれているにすぎないから、もはや神によって会わせられているとは言えない。したがって、そのような場合は神から出た結婚ではないから当然離婚が認められるべきである、というのがミルトンの論理です。こういう彼の主張の背後には、結婚制度それ自体が律法化し形骸化した当時のキリスト教社会の現状がありました。
 ミルトンのこの思想には、誤解を招く点がひとつあります。それは、ミルトンは結局のところ、結婚・離婚問題を軽く考えていたのではないか? という疑問です。事実はその逆で、ミルトンは結婚を普通以上に重視し真剣に考えていたのです。ではなぜ離婚の自由を主張するのか?それは、離婚の自由が存在しなければ、結婚愛を霊的に追求する自由も失われると考えたからです。離婚の自由が存在して初めて、結婚愛を霊的に自ら選び取る努力が意味を持つからです。それは教会へ「行かない」自由がなければ、自ら進んで教会へ「行く自由」はその意味を失うのと同様です。「しない自由」は「する自由」と表裏を成しているからです。
 不信心な者は教会の礼拝に出席する必要がないと考えるのは、教会の礼拝を軽く考えているからではありません。逆に霊的な真の礼拝を大切にするからです。モーセ律法は、古代世界にあっては、結婚・離婚についてきわめて優れた教えでした。だからこそイエスは、その律法の精神を内面化することで、いっそう高い基準を示すことができました。と同時に、このような内面化は、それまでのモーセ律法を否定する結果にもなったのです。ミルトンは、イエスの結婚・離婚に対する高い基準を受け継ぎましたが、これをいっそう徹底させて制度にこだわることなく、その理想を内面化したと言えます。この結果、従来のイエスの教えを否定するようにも見える結論に至ったのです。
 このような結婚観は、結婚を単なる世俗のこととして、独身者の聖なる生活からこれを区別してきたカトリック教会と大きく異なるものでした。イングランド国教会の教義も、この点では大陸のドイツやフランスの結婚・離婚観とは異なっていました。大陸では、結婚は世俗のこととして扱われ、ドイツでは、離婚はどこまでも「世俗」の問題として処理されていました。ところが、イングランドにおいては、結婚は、まさに霊的で「聖なる」ことと見なされたのです。聖なる神の教会に、不敬虔な者が参加してはならない。これと同じように、聖なる神の結婚に、愛を失った夫婦がただ外面的に参与することは、偽善以外の何ものでもない。それはかえって、神への冒涜に当たるとミルトンは考えたのです。こういう結婚観および離婚観は、ピューリタン革命の精神を受け継いだアメリカにおいて、近代以後の結婚・離婚観に大きな影響を与えることになりました。
 ミルトンのこのような結婚・離婚観は、さらに、夫と妻の関係において、もうひとつの重要な側面を有していました。結婚愛が夫と妻の内面的霊的な結びつきによることで、夫と妻が神の前に完全に対等で平等なものになったことです。それまで女性は、いわば、家父長制の下で男性の下におかれていたのですが、ここにいたって従来とは全く違う結婚・離婚観が生まれたのです。したがって、離婚の自由は、男女平等の問題と深く結び付いています。ここから、女性解放と離婚の自由が、アメリカの社会において提起されるようになり、やがてこの思想が定着していく原因になりました。このように女性解放と結婚・離婚の自由は深く結びついています。
 もっとも、最近のアメリカでは、キリスト教への信仰が失われるにつれて、離婚そのものが無軌道に増殖し、このことが社会を不安定なものにしています。このために、キリスト教原理主義などから、アメリカ社会の「リベラルな」傾向に対して批判が向けられるようになり、最近では再び、離婚を避ける旧来の宗教的な傾向も生まれています。「自由」とは不思議なもので、自由を与えられるから自由を求める、ということが起きるのです。だから、「自由」は、自由を「求める自由」のことです。逆に自由がないとは、自由を「求める自由」が与えられないことです。この問題についてさらに詳しくは、コイノニア会ホームページ→聖書講話→ミルトンとその思想→甲南女子大学公開講座「ミルトンの教会改革と結婚・離婚思想」をご覧ください。
■ミルトンの結婚愛
 ミルトンの『楽園喪失』は、聖書の創世記(1章から3章まで)の物語に基づいて、これをミルトン独自の構成と解釈で歌いかつ語っている叙事詩です。そこには天地創造、エデンの園、人間の創造、アダムとエヴァの堕罪、楽園からの追放とそれ以後の歴史が語られます。『楽園喪失』では、アダムとエヴァをめぐる愛と憎しみと和解の物語が、一つの重要なテーマになります。ミルトンの時代は、男性優位の時代でした。したがってミルトンも、女性は男性に服従すべきであるという考え方から抜け出すことができませんでした。その意味でミルトンはフェミニストではありません。しかし、ミルトンには、現代のフェミニズムに通じる重要な認識がありました。それは、結婚が子孫を残すための営みであるとする伝統的な考え方に対して、結婚の意義を男女の結びつきそれ自体に求め、その上で、夫と妻の内面的精神的な一致こそ結婚の目的であると見なしたことです。
 『楽園喪失』を通じてアダムとエヴァの結婚愛をたどると次のようになります。アダムは、初めてエヴァと出会ったときに、彼を避けて逃げようとするエヴァに次にように呼びかけます。
・・・・戻りなさい、うるわしいエヴァよ。
あなたが逃げようとしているのは誰?それは君の源、
彼の肉、彼の骨こそあなた。君が生まれるために
命そのものの心臓の側近くから、
自分の脇腹を差し出したのは彼。君が僕の側にいて、
離れ難く愛しい慰めとなるために。
今から僕は、魂の一部である君を慕
僕の伴侶として君を求めるのです。
       (4巻481〜88行)
 このようにして、エヴァは、アダムと結ばれ、エデンの園で神の祝福を満喫します。その時のエヴァの気持ちを、ミルトンは一篇の抒情詩として、次のように彼女の口から歌わせています。
その彼にエヴァは、美しさの極みに飾られて応えました。
私の出所、私の主人、あなたの命じることなら
私は心から従います。それが神の定め。
神があなたの掟。あなたが私の掟。それ以上に
出ないことこそ、女の最高に幸せな知識、女の受ける称賛。
あなたとの語らいに、私は時を忘れます。
どの季節もどの移りゆきも、皆等しく楽しい。
朝の息吹も甘く、その風も、甘い
早起き鳥の囀りを運び、太陽も心楽しく
喜びの大地に最初の光を東から
広げ、草や樹木や木の実や花々が
露で輝きます。優しく降る雨に
大地も豊かに香ります。それから優しく訪れる
穏やかでうるわしい夕暮れ。そして静かな夜。
ほら、夜の厳かな鳥の声と、あの麗しい月。
ご覧、天の宝石が、月のお供をしている。
けれども、立ちのぼる朝の息吹も
早起き鳥の囀りも、昇る朝日も
喜ばしい大地も、露に輝く草も
木の実も花々も、雨の後の香りも
穏やかな優しい夕暮れも、静かな夜も、
あなたなしでは、少しも楽しくないのです
         (4巻635〜57行)
ここには新婚のエヴァが居ます。「あなたがいれば・・・・」と「けれども・・・・あなたなしでは」が、肯定と否定を通じて、エヴァの心がアダムを中心に円を描いて踊っているようです。ミルトンは、このような夫婦の愛を「結婚愛」という言葉で表現します。この言葉は、いわゆる男女の「恋愛」とは違う意味を帯びて用いられているのですが、その違いがどこにあるのかが、ここから追求されます。
 ところが、このような幸せな二人の生活にも、ある時転機が訪れます。エヴァは全く突然に、アダムにこう切り出します。
私たちは別れて仕事をしましよう。あなたは自分の選ぶ
好きな所か、あなたの必要な場所へ行き
・・・・・・・・・私のほうは
天人花のまじるあちらのバラの茂みへ行きます。
          (9巻214〜18行)
どうしてエヴァが突然このようなことを言い出したのかは説明されません。いろいろな解釈が可能ですが、今はそのことに触れません。ただここで、エヴァが「別れる」という不吉な言葉を口にしていることに注意してください。アダムは、エヴァの突然の申し出に、当惑したりむっとしたりしながら、エデンの園に最近悪い奴が忍び込んでいるから、二人一緒にいるほうがいいのではないかと引き留めます。しかし、エヴァは聞き入れません。アダムも仕方なく、エヴァに向かって次のように言います。
たぶん二人の語らいが多すぎて、あなたを
飽きさせたのなら、少しの間君が居なくても我慢しよう。
               (9巻247〜48行)
そして、最後に決定的な言葉を口にするのです。
行きなさい。心から居たいのでなければ、君が居ても居ないほうがまし
            (9巻372行)
ここで「心から」と訳した原語は「自由に」です。エヴァはアダムの警告を無視して、彼女の自由意志と選択によって、あえてアダムに従うことを止めます。彼女は「アダムの手から自分の手をそっと抜き取って」足取り軽く去って行くのです。
 エヴァが一人になったのを見定めたセイタンは、蛇の姿に変じて、エヴァに近づいて、言葉巧みに彼女を誘い、禁じられていた知恵の樹の下へと彼女を連れていきます。そしてついに、彼女をして知恵の樹の実を食べさせるのに成功します。なぜエヴァが、木の実を食べたのか? これは「知恵の樹」とはそもそもなにか?という疑問と重なりますから、簡単に判断することができません。しかし、ミルトンは、ここではっきりと、神が食べるなと命じ、「食べると死ぬ」と警告した神の禁止を破ること、すなわちエヴァの不従順が、最大の罪であると見ています。「これを食べるとアダムよりも賢くなれる」こうエヴァが考えたことも示唆されています。
 エヴァの帰りが遅いのを心配して、アダムが彼女を捜し、知恵の樹の傍らに来たときに、彼はそこにすっかり変わったエヴァを見て愕然とします。彼は、始め神に背いたエヴァを責めるのですが、エヴァはここでも、「あなたと共なら」禁断の木の実を食べた喜びはいっそう増すし、「あなたなしでは」喜びも湧かないとアダムを誘います。アダムは、エヴァの懇願に負けて、自分もその禁断の木の実を口にします。「すると二人の目が開けて、二人は裸であることが分かった」と聖書にありますが、ミルトンは、その時の姿を次のように描いています。
さあ、来いよ。こんないい気分になったのだから、一緒に遊ぼう。
おいしいものを食べた後では、それが一番。
初めて君を見て結婚した時、完全な美に飾られていると
思ったが、今ほど僕の感覚に火がついて、
君を楽しみたいという想いに駆られたことがない。
この有り難い樹のお陰で、前よりもきれいに見える。
そう言いながら、ためらいもなく、ちらちら視線を向けて
愛欲の仕草を見せると、エヴァもそれと心得て、
その目から、燃え移った欲情の火を放った。
               (9巻1027〜36行)
この描写は、二人が神の祝福によって与えられた「結婚愛」を失ったことを示しています。ここでは、何か大事なものが、二人の愛の中から失われています。アダムはエヴァに、「遊ぼう」と言いますが、これは今まで、アダムがエヴァに向かって決して口にしなかった言葉です。二人の愛は、この時点で、その場限りの「お遊び」に変じたのです。もはや、アダムには、誠実な愛情よりも「君を楽しみたい」という欲望だけが働くのです。
 同じ一組の男女の間でありながら、ここでは、「結婚愛」を失った二人の全く違った姿があります。ここで改めて「結婚愛」とはなんだろうという疑問が湧いてきます。この問題は、例えば、現在ではよく見かける、結婚しないまま共に暮らす、いわゆる「同棲」という形で考えてみると分かります。いったい結婚と同棲の間には、あるとすればどんな違いがあるのでしょう。「あるとすれば」と言ったのは、この区別それ自体がはなはだ曖昧な人たちが案外多いからです。紙一枚提出さえすれば結婚になり、出さなければ同棲になる。ただそれだけの事だ、という意見も出てくる時代です。その「紙一枚」がなにを意味するのか、あるいはしないのか、この辺が問われているのです。ミルトンの「内面化の論理」からするならば、外面的にみる限り、結婚も同棲も全く区別がつきません。とすれば、問題はその内面のあり方にかかわってきます。二人が恋愛して結婚を決意する。いったい、恋愛から結婚へと決断させるもの、それはなんなのかがここで問われるのです。
 恋に「落ちる」とは言いますが、結婚に「落ちる」とは言いません。逆に、結婚に「踏み切る」と言います。いったい、なんに向かって「踏み切る」のでしょう。この辺が分からないと、結婚に積極的な意味を見いだせなくなります。ミルトンの結婚・離婚思想もまさにこの問題に行き当たったと言えます。このような意味で結婚を意義あらしめる内実を、ミルトンは、「結婚愛」と呼んで、これを神によって人間だけに与えられた創造の賜物と見ています。ですからこの結婚愛は、恋愛とある意味で対立する概念になります。この結婚愛と恋愛の対立をめぐって、ヨーロッパではそれなりの長い歴史が中世以来続いているのは今まで見てきた通りです。
 二人はしばらくの間、愛欲の限りを尽くして互いの罪を慰め合うのですが、やがて、二人の間に亀裂が生じます。ついに、アダムは、エヴァを「蛇」と呼んで、その憎しみを露にします。エヴァも負けてはいません。
こうして二人は、互いに非難を繰り返し、
「お前が悪い」「あなたが悪い」と、益にもならない
言い争いをいつまでもいつまでも続けました。
               (9巻1087〜89行)
世の夫婦であれば、この時点で完全に離婚するところです。ところが、突然、エヴァは意外な言葉を口に出します。
・・・・二人とも罪を犯したのです。
でも、あなたは神だけに。私は神とあなたに対して。
だから私はお裁きの場に戻り、
天に向かって叫び求めます。裁きの判決を
あなたの身からこの私に移してくださいと。
すべての災いのただ一つの原因はこの私。
この私だけが神のお怒りを受けるのにふさわしいから。
            (10巻930〜36行)
これはアダムにとって、予想もしなかった展開でした。さめざめと泣くエヴァを見て、アダムの心も和らいで、二人の間に思いがけない和解の兆しが現れます。言うまでもなく、ここでは、アダムよりもエヴァのほうが、人間的にずっと優れています。今度は、アダムが、エヴァの悔い改めの姿勢に従う番です。エヴァの働きかけに応じて、二人は、再び神の前に戻り、一度失った結婚愛を再び回復することになります。しかし、一度罪を犯した以上、もはやエデンの園に留まることは許されません。二人は、行く先を知らないままに、この園から追放されることになります。ミルトンは、この最後の場面を次のように語っています。
自然に流れ落ちる涙を、直ぐに彼らはぬぐい去った。
全世界が彼らの前に広がり、摂理に導かれて
安住の居場所を選ぶ二人を待つ。
彼らは手に手を取って、よろめく足取りも緩く
エデンを抜けて、その孤独な道を歩みだした。
            (12巻645〜49行)
 こうして、人類の始祖である二人の愛の物語は、ひとまず終わります。もっとも、最後の結末の示すとおり、それは新たな始まりにすぎません。ミルトンはここで、「結婚愛」という近代市民社会の家庭を基礎づける概念を物語っています。
 先に指摘したように、夫婦の「結婚愛」は、男女の「恋愛」とは違った相を持ちます。9巻の堕罪直後の場面で見たとおり、ミルトンは、この二つの愛の在り方の間に横たわるある種の亀裂を浮き彫りにしています。充実した人生は、必ずしも充実した結婚と同じではないかもしれません。結婚を「束縛」ととらえるのは一面の真理です。しかし、先に述べたとおり、それはあくまでも一面の真理にすぎません。人間が自分の存在を充実させていくのに、さまざまな生き方や方法があると思いますから、結婚したくないのであれば、それはそれで一つの選択です。ただし、安易に束縛を嫌って、この営みから逃避するならば、人生を生きる大きな意味を見失うことになります。結婚とこれに伴う育児が、束縛をもたらすのは避けられません。しかし、そのような「束縛」を、あえて自分の意志で選びとる、この積極的な自由も、真に人間らしい決断なのです。
■恋愛結婚の成立
 イギリスでも、恋愛と結婚が結びつく「結婚愛」が社会に根付くのは18世紀後半から19世紀にかけてです。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』(1847年)では、主人公ヒースクリフのすさまじい愛欲が描かれていて、そこには道徳も結婚愛も見いだすことができません。しかし、同年に出されたエミリーの姉シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(1847年)では、ヒロインのジェインが、ロチェスターと愛で結ばれる結婚愛への兆しを読み取ることができます(ただし、その裏に屋根裏にいる狂人の妻の存在があります)。チャールズ1世(17世紀)に始まるイギリス王室の結婚愛は、ヴィクトリア女王(在位1837年〜1901年)の時代に、王室の理想の結婚愛として、広くイギリスの家庭に受け入れられるようになりました。日本の江戸時代では、近松門左衛門の名作『大経師昔暦』(だいきょうじむかしごよみ)で描かれる大店の若女将おさんと手代の茂兵衛の姦通によるはり付け獄門の物語があります。これは京都で起こった実際の出来事(1683年)を近松が浄瑠璃として採り上げた物語(1748年)で、「密通」とは言うものの、近松の描く茂兵衛は、金と義理人情と女将への一方的とも言える愛欲がもつれて、周囲の人たちをも巻き込んで破滅へいたらせる「世話物」です。最期には、愛欲に目覚めた女将もろとも死にいたるのですが、最初から二人の恋愛で始まり、最期は死によって二人の愛を成就する『ロミオとジュリエット』(1594年?)とは様子が全く違います。キリタンへの厳しい弾圧によって、キリスト教的な夫婦愛を奪われた江戸時代の日本社会の「愛の有り様」を近松が鋭く洞察しているのが分かります。
■藤井武の結婚愛
 明治期の日本人は欧米の結婚愛をどのように見たのでしょうか? 例えば島崎藤村は、明治学院で教え子を恋して、恋愛結婚を自由恋愛だと誤解しました。終戦直後、小樽出身の作家伊藤整は、『婦人公論』の「女性に関する12章」で、恋愛結婚はキリスト教の神への信仰に基づくから、日本人はこれに軽々しく近づくことができないと警告しています。彼は、日本人の結婚観と西欧のそれとの間には、「祈りを通じて達成される」神の御前での新たな創造という、根本的な違いがあることを洞察したのです。また京都大学の英文学では吉田新吾が『スペンサー研究』で結婚愛を取り上げました。
 無教会の藤井武は、ミルトンの『楽園喪失』を訳し(岩波文庫1〜3巻)、ダンテからミルトンにいたる「愛」と「結婚愛」の思想をさらに徹底させました〔『藤井武全集』7巻「聖書の結婚観」307〜517頁(岩波書店)〕。彼はダンテのベアトリーチェへの愛を「神に献げられた聖なる愛」と見なしています〔前掲書518〜19頁〕。その上で、神は、天地創造の初めに、「神とロゴスの愛」に基づいて、アダムとエヴァを創造することで人にこの愛を体現させたと考えたのです〔前掲書324〜25頁〕。この結婚愛はキリストと教会の交わりとしてキリストの十字架と贖いに基づくものです。彼によれば夫婦の愛は「永遠に神聖」です〔前掲書337頁(1921年)〕。それゆえ、藤井は離婚は言うまでもなく、死別後の再婚も認めませんでした。夫婦の愛は永遠に続くからです。彼は、妻喬子の死(1922年)に際して『小羔(こひつじ)の婚宴』と題する叙事詩を書き始め、その最終年(1930年)まで書き続けました。『小羔の婚宴』では、創世記からヨハネ黙示録まで、さらにキリスト教の歴史から日本のキリスト教にいたる信仰が結婚愛に貫かれて謡われています。
■結婚愛の霊性
 藤井武の弟子でありわたしの恩師であった小池辰雄先生は、「藤井先生の結婚愛はあまりに理想的で厳しすぎる」とわたしに語ったことがあります。わたしたちはここで、「理想と現実」の問題に出遭うことになります。理想と現実があまりにかけ離れると、人は理想そのものを笑うか、現実のほうを笑うかのふたとおりに分かれます。理想を笑うことは冷笑につながり、理想に照らして現実を笑うことはユーモアを生じますが、この問題はこれ以上触れません。ただ、ミルトンが主張したように、離婚の自由がなければ結婚愛を追求する自発的な自由は意味を失うことになります。
 およそ宗教に限らず芸術もまた上を目指す上昇型と上から降る降下型があります。芸術は、現実から始めてより高い世界へ上昇させるものだけではありません。反対に、本源的に存在するある「実在」から言葉を借りて、上から下へと降下する文学もあるのです。スペンサーがそうです。そこでは高い世界を目指す努力ではなく、すでに存在するある実在が、その文学によって地上に顕現するのです。このような文学は、体験から生まれるのではなく、逆に、そのような文学から、様々な体験が発生するのです。このような文学では、人は現実から文学へ赴くのではなく、文学が現実へと赴いてくれるのです。モーツァルトやバッハの音楽、スペンサーやシェイクスピアの詩、そして聖書の御言葉、特にイエスの譬がこれです。恩寵と啓示の言葉にはこういう働きがあるのです。
 結婚愛に関して、スイスの医師で哲学者であり宗教家でもあったマックス・ピカート(Max Picard: 1888-1963)は次のように述べています。
 「今日では、精神は下から上へ上昇しようとする。すなわち、セックスという暗黒な部分から出発して、精神という明るい透明な部分に到達しようとする。こうして、セックスは、下から上へ昇る最下底の段階へと転落した。このような上昇志向は精神の緊張を伴う。これは、それ自体必ずしも誤りではないが、その緊張はしばしば過度になることで、誤りを犯す。それは誤った精神の緊張である。これとは逆に、完全な精神が、上から下へと展開するときには、精神は事物全体に対してすべてをもたらす。しかもそれは、上昇するための目標設定ではなく、その目標に到達しようという緊張でもなく、愛のためなのだ。ただ愛のためにのみ、精神は上から下へと動く。それは慈愛の運動であって、目的のための運動ではない。しかし、大切なのは、上から下へ働く運動それ自体ではない。その運動が最下底で<留まる>こと、静止することが重要なのである。聖書では、精神は上から下へ、人間のもとへ自ら人間となって神が到来する。それは聖なる運動である。中世の神秘思想家たちは、世界を観察するに当たり、上から下へ動いていった。ところが、中世の末期になると精神は、下から上を目指し始めるのである。レスコフの作品には、神の上から下への慈愛によって、救済<されるべき>人間ではなく、救済<された>人間がいる。レスコフの人間は欠陥を持っている。しかし、その人間は、欠陥と共に微笑むのである。彼らは恩寵をめざしはしない。恩寵が彼らを目指すからである。結婚もこれと同じである。恩寵が結婚を訪れる。結婚はただそれだけでなにもしなくていいのだ。」〔ピカート『揺るぎなき結婚』佐野利勝訳(みすず書房)57頁〕。
ここで「精神」と訳された語は「霊性」のことです。エフェソ人への手紙が証しする通り、結婚愛の霊性は、全宇宙の支配者であるイエス・キリストから降るものです。わたしたちは、神に命じられるから結婚愛を目指したり、これを追求するのではありません。そういう努力も大事ですが、真の結婚愛の霊性は、わたしたちの努力の結果到達するものではなくて、イエス様に心を開き、謙虚にイエス様の御霊に己を委ねるその時に、「命じられて求めるのではなく、穏やかな雨がしとしと地上を潤すように」〔シェイクスピア『ベニスの商人』4幕1場〕、イエス様に心から従う者に降るのです。だからわたしたちは、離婚の嵐の吹きすさぶこの世にあっても、既婚の者も独身の者も、自分たちの弱さに惑わされたり動かされることなく、ただあるがままでイエス様にある結婚愛を霊的に生きるのです。祈りを通してイエス様を心から愛することが夫婦の愛を開き、その夫婦愛が周囲の人への愛を広げるからです。21世紀以降の日本、と言うよりはこれからの人類の結婚は、こういう方向へ歩みを向けることになるでしょう。
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