【注釈】
1【これに次いで14年目に】1章18節には「3年目に」エルサレムのペトロのもとに滞在したとあるので、「これに次いで」とは、ペトロと出会ってからさらに「14年目」のことなのか、それとも回心してから14年経っていたことなのかはっきりしません。1章18節と同じく、ここでも「回心してから」14年を経ているとする説とペトロとの出会いからと見る説とがあります。パウロが数えるその起点はなにか? それと数えからが「足かけ」なのか「満何年」かで、かなりの違いがあります。この問題は複雑ですから、詳しくは、付記の「パウロのエルサレム訪問について」を参照してください。なお「キリキア地方へ出かけて」から14年目とは考えられません。
【再びエルサレムへ】ここでのエルサレム訪問は、使徒言行録15章2節にあるエルサレム使徒会議を指すと考えらます。イエス様の十字架刑(紀元30年?)からパウロの回心までの間に、イエス様の直弟子たちを中心にユダヤ人キリスト教徒の原初教会が成立し、これに続いてヘレニストのユダヤ人キリスト教徒への迫害が起こりました。結果として異邦人への伝道が行なわれたのですが、この期間を約5年と考えると、パウロの回心は35年頃になるでしょうか。それからさらに14年目なので、エルサレムの使徒会議は通常48年〜49年頃とされていま。ただしこの問題には異論があり、エルサレム会議がパウロの第一回伝道旅行の後にあったとする説と第二回伝道旅行の後とする説とがあります。付記「パウロのエルサレム訪問」を参照。
【バルナバ】原初教会で重要な役割を果たした使徒です。キプロスのユダヤ人レビ族の出身で、名はヨセフ。「バルナバ」は御霊にある「励まし/慰めの子」という意味(使徒言行録4章36〜37節)。彼は、財産を教会に献げて、エルサレム教会からアンティオケアの教会へ派遣されて異邦人伝道に尽くしました。パウロと同じヘレニストのユダヤ人キリスト教徒で、ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒との間の架け橋となった人です。パウロの回心に疑い深かった人たちを説得して、パウロを教会に受け入れさせたのは彼です。また彼は、パウロにタルソからアンティオケアへ来るよう依頼しました。後に二人は別行動を取ることになるのですが(使徒言行録15章39節)、二人の友情は以後も変わらなかったようです(第一コリント9章6節)。
【テトス】ギリシア人のキリスト教徒で、シリアのアンティオケアでパウロによって回心したと思われます(テトス1章4節)。彼は第一回目のガラテヤ伝道の際にもパウロに同伴していて、すでにガラテヤの人たちに顔を知られていたのかもしれません。彼はエルサレム教会への献金のためにも尽くしました(第二コリント8章6節)。クレタ島では、パウロの代理を務めていて(テトス1章5節)、後にクレタの初代主教になったと伝えられています。ここでパウロは、テトスを「同伴させた」と言っているので、「異邦人の弟子」としてエルサレムへ伴ったことになります。なぜパウロは彼を連れて行ったのでしょう? パウロは、無割礼の異邦人を弟子として連れて行くことで、エルサレムの主要な人物に無割礼の異邦人キリスト教徒を認めさせようとしたのでしょう。
2【啓示があった】パウロの場合、「啓示」とは、夢・幻によるものと(使徒言行録16章9節)、恍惚状態によるものと(使徒22章17節)、御霊の示しと(13章2節)、御霊による預言(使徒21章11節)などがあります。バルナバと共に行ったのですから、パウロの個人的な啓示だけでエルサレムを訪問したのではないことになります。この訪問を「飢饉訪問」(付記を参照)と見なす場合は、ここでの「啓示」を使徒言行録11章28節の預言と結びつけることもできます。とにかくパウロは、この上京が、エルサレム教会から「呼びつけられた」のでも、また指導を仰ぐためでもなかったことを言いたいのです。
【福音を呈示した】パウロは、使徒会議全体の席上で、自分が異邦人の間で教えている福音を「公然と力説した」のです。その上でさらに、有力者と思われる使徒たちには、ひとりひとり「個別に」説明したと言うのです。「呈示して話す」のは、ヘレニズム時代では「同意を取り付けるために解説し説明する」ことです。エルサレムの使徒たちから指導や承認を受けるためではありません。なお新共同訳では「異邦人に」宣べ伝えている福音とありますが、正しくは「異邦人(諸民族)の住んでいる地域で」福音を宣べ伝えているという意味です。そこにはユダヤ人も住んでいたから、伝道の対象が異邦人だけに限定されるという意味ではありません。ユダヤ人にもその他の異邦人にも、福音を伝えていたのです。
【有力と目される人たち】「目される」は、敬意を表わしているとも受け取れますが、むしろここでは、反対者のユダヤ人キリスト教徒たちからも「有力者と見なされている」ことを念頭においているのでしょう。だから、「目される」にはやや否定的な意味が込められています。パウロは、「有力者たち」から幾分身をひいているのです。
【行程が無意味になる】「行程」の原語は「走る」で、目標を目指して努力すること。一般的にここの箇所は、パウロの伝える福音が、割礼問題で異端視されて排除されることを「懸念していた」と受け取られています。しかしここの語調はそうではありません。パウロにとってもエルサレムの使徒たちにとっても、全キリスト教徒の一致はきわめて重大でした。パウロがエルサレムへの献金に力を注いだのもこのためです。彼は、ユダヤ人も異邦人も共に交わることができる「福音の真理」を確認してもらおうとエルサレムの人たちの説得に努めました。説得は一応の成功を見たようです。ただしパウロは、福音の継承において、異邦人よりもユダヤ人のほうが救済史的に優位であると認めたのではありません。
3【強制されなかった】テトスは割礼を実際は「受けたが、それは強制ではなかった」(2世紀の教父たちは、このように理解しました)という意味ではありません。ある程度の押しつけがあったけれども、それをはねつけて割礼を受けさせなかったという意味です。テトスがギリシア人であって、パウロと「共にいた」のは、パウロとテトスが割礼の問題で同じ信仰に立っていたことをはっきりさせるためです。そのテトスが、福音の根本原理に照らして割礼を「強いられなかった」ことが重要なのです。エルサレムの使徒たちは、パウロの福音を全面的に受け入れたわけではなかったのですが、ただパウロたちの立場を否定はせず、結果的に承認したのです。
43〜4節はひとつながりの節で、主語と述語が欠けていて、構文が中途半端になっています。
【偽兄弟たちが潜り込んできた】「偽兄弟たち」とあるのは、ユダヤ教徒のことではなく、洗礼を受けたユダヤ人キリスト教徒たちのことです。かなり有力な人たちでしょう。彼らは、パウロの福音を「ひとまず認めた」使徒たちとは異なって、異邦人へ割礼を課すことを主張したと思われます。パウロが「偽使徒たち」と呼び、「義の教役者に変装したサタンの手下たち」と呼んでいるのも彼らと同類の人たちです(第二コリント11章14〜15節)。以下の内容から見ると、彼らの行動は一時的なものではなく、かなり長期的であったと考えられます。その妨害は、エルサレム使徒会議の間だけでなく、アンティオケアでも、ガラテヤでも続いていたのです。彼らは裏で「足を引っ張ろう」とし(「潜り込む」は味方を敵方にわたす裏切り行為のこと)、パウロたちの説く異邦人への福音の自由が、どの程度のものかを「密かに偵察」していたようです。ねらいは、ユダヤ教の伝統を義務づけることで、異邦人キリスト教徒を彼らに「隷属させる」ことでした。
彼らが、エルサレムの大使徒たちとどの程度関係があったかはっきりしません。「潜り込んできた」という受動形分詞は、「送り込まれた」とも読めるので、彼らの背後に「大使徒たち」がいたと解することもできなくはないからです。だから、大使徒たちが、彼らの主張に配慮して、テトスへの割礼をパウロたちに「要請した」のかもしれません。偽の兄弟たちが、異邦人キリスト教徒に対するユダヤ人キリスト教徒の優越性を前提にして、パウロたちの福音伝道を「監視していた」のは間違いないでしょう。
【イエス・キリストにあって得ている自由】「キリストにある自由」とは、キリストの御霊にある「自由」のことです。この自由は「キリストにある信仰」と重なっていますから、イスラエルの律法に束縛されて「隷従」へと転じるなら、その自由の喪失は、キリストを失うことに通じるとパウロは考えているのです(5章4節)。偽兄弟たちは、異邦人キリスト教徒がモーセ律法を受け入れない場合は、エルサレムの教会が、異邦人の教会と交わりを断つことも考えていたのでしょう。パウロは、キリストにある自由をどこまでも主張して交わりを断たれるか、それとも反対者たちの主張を受け入れて自分たちの自由を失うか、どちらかの選択を迫られる状況に立たされていたことになります。
【わたしたちを隷従させようと】3章23節以下で述べているように、パウロはこの4節で「モーセ律法」を、ユダヤ教の律法全体と同じに見ています(「律法」については付記「パウロの律法観」を参照)。だがパウロは、イスラエルの律法でさえも、ギリシアやローマなど異邦人の世界の宗教と同類であって、これらユダヤ教の律法も異教の宗教もすべてが、キリストにある自由から人間を再び隷従へと逆戻りさせると見なしているのです。
5【そういう彼らの強要に譲らなかった】「そういう強要」とは割礼を受けること。ギリシア系教父のテルトゥリアヌス(『マルキオン論駁』5巻3章)もエイレナエオス(『異端論駁』3巻13章)も、この節の関係代名詞と否定辞「彼らに対して・・・しなかった」を削除して、「偽兄弟のゆえに、一時譲歩して、テトスに割礼を行った」と読んでいます。2世紀の教会では、教会が制度化するにつれて、再びモーセ律法への回帰が起こっていたのかもしれません。一方で、旧約を排除して新約だけがキリスト教だと主張したマルキオンは、この否定辞を削除せずに、パウロがどこまでも「従属に屈する」ことを拒んだと読んでいます。パウロとエルサレムの使徒たちと保守的なユダヤ人キリスト教徒たちとの相互に複雑な関係が、2世紀の教会から見ても、いかに困難であったかが分かります。
【福音の真理】偽りの福音と区別した真の福音のこと。パウロにとって、「キリストにある自由」こそ、福音の真偽を見定める重要な基準です。ユダヤ教の黙示文学に「律法の真理」という用語がありますが、「福音の真理」はこれに対応するのでしょう。黙示的な用法は終末的な意味を帯びる傾向がありますが、黙示文学の終末性は、必ずしも世の終わりを志向するのではありません。現在において、自分の周辺で生じている「同時的な出来事」も、神の救済史の流れの中では重要な意味を与えられていると見るからです。だから「真理を知る」ことは、現在生じている出来事の意味を「霊的に正しく」洞察することと切り離すことができません。信仰が真理か否かは、このような洞察に基づいて、聖書をいかに読むかという聖書解釈の問題にかかわってくるのです。「福音の真理」という表現は、ここと14節に出てくるだけですが、14節ではこの語が、ペトロの行動の一貫性に向けられています。だが同時に、ペトロの信仰の有り様とも切り離すことができません。これに類する表現では、「キリストの真理/真実」(第二コリント11章14節)があり、そこでもパウロは、客観的な規範よりもむしろ「神の前で」自分の良心の証しとしてこの表現を用いています。これに似た表現では、「現在あなたがたに臨んでいる福音の真理の言葉」(コロサイ1章5節)があります。ここでも、「真理」は、終末に向けて「あなたがたのために蓄えられている」とあって、「真理」は、過去から現在まで連続していると見なされます。だから、「偽り」と「真理」との区別は、神が「現実に働いている」かどうかが重要な基準となるのです。「福音の真理」が「あなたがたに一貫して留まるために」とありますから、ガラテヤの信者たちは、パウロの福音を少なくとも以前は正しく把握していたことになります。
6【彼らがかつてはどのような人たちであったにせよ】パウロは慎重な言い回しをしています。ガラテヤを訪れているユダヤ人キリスト教徒たちの意見は、エルサレムの「有力な人たち」の意見も反映していたのでしょう。これに反論するために、パウロはそのような「有力者たち」と自分とは直接の関わりがないと言おうとしているのです。ここの「かつては」は、動詞の過去形を伴っていて、「今の私には直接かかわりがない」と現在形で結んでいるのもこの意味です。「かつて」を「そもそも」の意味に解して、過去と現在との違いにこだわるべきではないという説もあります。しかし、大使徒たちが「柱と目されている」のは、彼らが、「かつては」イエス様の弟子だったからです。またヤコブはイエス様の兄弟であったことに関連しています。パウロが現在形でかかわりを否定しているのは、エルサレムの大使徒たちが、異邦人がキリスト教徒になる場合に、割礼をほどこしていたからです。後に出てくるように、この有力者たちは、パウロに「交わりの」右手を差し出しました。このことから判断するなら、ここでは逆に、エルサレムの大使徒たちとの関係を強調するほうが、パウロにとって有利なようにも思われるのですが、彼の反対者たちが、大使徒たちの割礼の保持を強調しているために、そうはできにくい理由があったのでしょう。
【負担を加えなかった】パウロは先に、血肉に「相談し」なかったと述べています。ここでは、その同じ動詞がさらに強い「加重する」の意味で用いられていて、今以上の「押しつけ」はいっさいなかったと言うことで、自分が、エルサレムの指導者たちからなんらかの条件を課せられたというガラテヤの敵対者たちの意見を否定するのです。ここでパウロが大使徒たちと提携できたことは、原初キリスト教にとって決定的に重要なことでした。
【顔で左右されない】原語は「顔を受け入れない」で、相手を表面的な姿で判断せず、公正な裁きを行うこと。「顔を受け入れる」とは通常好意的に見ること。
7【それどころか】前節の「負担を加える」とは正反対に、パウロに無割礼の人たちへの福音が託されているのを彼らは「分かった/見てとった」のです。彼らが「分かった/見てとった」のは、パウロが彼らに個人的に「提示して」説明した(2節)からですが、ここではさらに、御霊の働きによって彼らに「示された」ことも含まれています。しかしパウロはこの出来事の後で、ペトロが、「福音の真理」に従って歩んではいないことを「分かる/見てとる」ことになります(2章14節)。
【ペトロ】パウロはペトロを通常「ケファ」というアラム語で呼んでいますが(ガラテヤ2章9節以下/第一コリント1章12節、15章5節)、ここ7〜8節でのみ「ペトロ」と呼んでいます。「ケファ」は、新約ではほかにヨハネ1章42節に表われるだけです。「ケファ」はユダヤ人同士としての呼び方ですから、ここでのパウロは、ユダヤ人としてよりも、ガラテヤの異邦人への伝道者としての立場から「ペトロ」とギリシア風に呼んでいるのかもしれません。ユダヤ人同士での話し合いと、異邦人へ向かう立場と、その両方のパウロがこの手紙には顔を出しています。
【割礼の人たちへの福音】ペトロは当時すでにエルサレムでの指導的な地位をヤコブに譲っていたと思われます。ペトロは、「伝道者として」認められていたようです。パウロがペトロについて「割礼の人たちへの福音を委ねられている」と言ったのはこのことと関連します。パウロはここで、エルサレムの指導者たちが、自分をペトロと対等な権威を持つ者と認定してくれたと述べているのです。
これで見ると、エルサレム教会は、割礼が異邦人の救いにとって不可欠ではないという条件を了承したことになります。ただし、ユダヤ人キリスト教徒については、いぜんとして律法を遵守する義務がある、というのがエルサレム側の意見でした。しかし、ユダヤ人はすでに割礼を受けているはずですから、彼らがキリストを信じても、割礼の必要について問題は生じません。また、このことは、パウロが、ユダヤ人キリスト教徒には割礼が「必要である」と考えたことを意味しません。「無割礼の福音」が認められるのであれば、割礼はすでに救いの不可欠な手段ではなくなるから、「無割礼の福音」が妨げられない限り、彼はエルサレムと提携できると考えたのです。パウロの側から言えば、これは決して「譲歩」ではないのです。ここでは、なによりも両者の提携が重要でした。パウロの使徒職は神からのもので、人間からのものではありません。しかし、彼の働きが、エルサレムと対立するのではなく、これと協力関係にあることが相互に確認されたこと、このことが大切なのです。
ただし、この取り決めは、とりようによっては、パウロが先に否定した「ふたつの福音」を認めたようにも受け取れます。この点は、福音の性格が、それが伝えられる相手と無関係ではありえないことから来るのでしょう。ところで、パウロが、ここだけ「ケファ」と呼ばず「ペトロ」と呼んでいることや、「割礼の人への福音」と「無割礼の人への福音」という言い方が「パウロ的」でないとして、パウロはここで、エルサレムの使徒たちとの取り決めの文書中で用いられていた用語をそのまま引用していると見る説もあります。
8【私にあっても働いて異邦人に向かわせて】神の御霊が、無割礼の異邦人の間でも「現実に」働いて、さまざまな霊的なしるしを表していることを指しています。割礼を施すペトロたちにも御霊は働いています。しかし、割礼を施さずに、律法からの自由を唱えるパウロを通じても御霊は同じように働いて、パウロの使徒職を証ししているのです。
9【恵みが分かって】パウロは、自分の使徒職が、過去の経歴や教会の権威によって根拠づけられるのではなく、神から「授与された恵み」であることを言おうとしているのです。エルサレムの使徒たちに、パウロに授与されたこの恵みが「分かった」のは、驚くべきことで、これはキリストの御霊の働き以外のなにものでもありません。だから、ここでの「恵み」は、エルサレムとの交わりが支えられたという「恵み」にも通じています。
【柱】宇宙を支える樹木という象徴的な意味で「宇宙樹」というのがあります。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたという伝承もこのような「宇宙樹」から来ているのです。宇宙の写しである神殿や教会堂の「柱」も同じように象徴的な意味を帯びていて、日本の家屋の「床柱」もこれに類するのでしょう。ユダヤ教のタルムードでは「アブラハム、イサク、ヤコブ」がイスラエルの「柱」と呼ばれていました。したがってこの用語は、パウロからではなくエルサレム教会でのユダヤ人キリスト教徒の間で、宗団の中心的な人たちに対して用いられていたものです。ヤコブとヨハネとペトロの3名を「柱」とする伝承で、「ヤコブ」というのは本来はゼベダイの子ヤコブのことではなかったかと考えられます。しかし、彼が殉教したことによって、「主の兄弟ヤコブ」が、使徒ヤコブに代わって「柱」の一角を担うようになったのでしょう。「義人ヤコブ」と呼ばれたこの「主の兄弟」は、律法を遵守する人だったから、無割礼の福音を唱えるパウロから見ると、この両「ヤコブ」の交代は、必ずしも好ましいものではなかったと思われます。「柱とも見える/目されている」という言い方には、そのような彼の気持ちが反映しているのかもしれません。
【右手を差し出す】これは友情の誓いのしるしです。本来は、敵対する者同士が和解のしるしとして、特に強い者、目上の者が、弱い者、目下の者に向けて「差し出し」、これを受ける相手は、服従の意味をこめて相手の右手を戴く行為でした。この行為は、中世のヨーロッパでも、君主や貴婦人によって家臣や騎士に対して行われていました。しかし、ユダヤでは、捕囚以後の第二神殿時代から、このような服従関係ではなく、単なる和解の意味でも行われました(第一マカバイ書6章58節/11章50節など)。特にここでは互いに対等な関係ですから、パウロは特に「交わりの」という語を付加しています。逆に、ユダヤ人キリスト教徒の中には、パウロたちとの「交わり」を断とうとする動きがあったとも推測できます。
【交わり】ここでの「交わり」は、民族的、文化的な相違を調停するための交わりではありません。また、パレスチナと異邦世界という、地域的な区分を前提にしているのでもありません。「異邦人へ向けて」という言い方は、「割礼の者へ」と対句をなしていますから、地域ではなく福音の相手となる人間について「和解」が成立したことなのです。これは、パウロにとって決定的に重要なことでした。「割礼の者へ」の福音とは、すでに割礼を受けている者への福音のことですが、ユダヤ人キリスト教徒が割礼を受けることを認めるという意味もあるでしょう。ここでの両者の関係は、むしろ、割礼をも含めてモーセ律法全体をどのように扱うべきかという律法の「継承関係」についての区分だと考えるほうが適切です。ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒とでは、福音を受け入れる場合に、律法の「継承関係」が違った仕方で行われるのです。継承関係におけるこのような違いを孕みながら、しかも「交わり」が保たれるのは、それが人間的な関係ではなく、神の御霊にあって授与されたものだからです。福音の理解において「異なる立場」に立ちながら、しかも「対等」で、両方の形態を保持するための「交わり」なのです。
10【貧しい人たち】字義どおりには、経済的に困窮している人たちのことですが、この言い方は、旧約以来、圧制者によって虐げられている人たちを意味してきました。そこから転じて、「神に依り頼む人たち」「敬虔な人たち」の意味にも用いられるようになったのです。クムラン宗団でもこの意味で「貧しい者たち」が用いられ、エルサレム教会も自分たちのことをこの意味で「貧しい人たち」と呼んでいました。
パウロはここで、エルサレム教会への資金援助をエルサレムの使徒たちと公式に約束したと述べています。ところが、使徒言行録の15章に出てくる使徒教令には、献金についての取り決めが述べられていません。このことから、ここでのパウロたちのエルサレム訪問は、使徒会議ではなく、使徒言行録11章30節で述べられている訪問(飢饉訪問)を指すという説があります。しかし、パウロはここで貧しい人たちへの援助を「これこそわたしが努力してきたことである」と過去形で述べていますから、この訪問で「初めて」資金援助の取り決めがなされたわけではないことが分かります。