【注釈】(2)
■18章
[12]~[13]【千人隊長】「千人隊長」とは、正式にはローマ軍団(レギオー)の一つの部隊(コホルス)の隊長でした。しかし、ここは派遣部隊のことですから、正規の兵員数ではなく、少数の兵士たちの指揮官でしょう。
【縛って】マルコ福音書では、最高法院でイエスを処刑する決議が行なわれた<後で>イエスを縛っています(マルコ15章1節)。マルコ福音書の記述のほうが犯罪者への正当な扱いですが、どちらが史実なのか分かりません。逮捕の段階で「縛る」のは、その者がすでに処罰されるべき犯罪者であることを意味しますから、イエスの逮捕は始めから処刑を前提で行なわれたことを表わしています。
【アンナス】アンナスが大祭司の職にあったのは紀元6年~15年です。彼はシリア州の総督クィリニウスによってユダヤの大祭司に任命されます(紀元6年)。その時のユダヤの代官はルフスです。しかし、ネロがローマ皇帝になると、彼はグラトゥスをユダヤの代官に任命します。このグラトゥスによってアンナスは罷免され(15年)、代わりにイシマエルが大祭司職につきます。しかし、これもつかの間で、今度はアンナスの息子エレアザルがグラトゥスによって二度目の大祭司に任ぜられます。しかし、これも1年ほどで、その後アンナスの義理の息子カイアファが大祭司に任ぜられます(18年)。その後グラトゥスがローマへ戻ると、代わりにピラトがユダヤの代官として赴任します〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻2章〕。ユダヤ教の規定では、ほんらい終身であるべきイスラエルの大祭司職が、ローマの総督あるいは代官によって左右されるきわめて不安定な状態にあったことが分かります。
アンナスは、グラトゥスによって罷免された後も、大祭司としての権威を失うことなく依然として「大祭司」の名称で呼ばれていました。したがって、正式の大祭司職と実際の大祭司の権威は二重性を帯びていて、この混同が新約聖書の「大祭司」に反映しています。アンナスの5人の息子たちは、全員が大祭司職についており、さらに娘婿のカイアファまでがこの職にありましたから、アンナス一族は「大祭司一族」と見なされていたのです。このようなわけで、ヨハネ福音書はアンナスをも「大祭司」と呼んでいます(18章19節)。アンナスは退職した後も、息子たちを通じて影響を及ぼしていたからで、ヨハネ福音書の作者や編者は、当時の実状を熟知していたことが分かります。マタイ26章57節では「大祭司カイアファ」とありますが、ルカ文書では、大祭司が「アンナスとカイアファ」です(ルカ3章2節/使徒言行録4章6節)。アンナスとカイアファのこのような二重関係が、ここでのヨハネ福音書の「二人の大祭司」の記述に反映しているのでしょう。
イエスの神殿制度に対する抗議的な行為は、大祭司の一族への直接の脅威であったことがうかがわれます。ペトロとヨハネへの尋問だけでなく、後に主の兄弟ヤコブを殺したのも大祭司です(62年)。ヨハネ福音書では、すでに11章にカイアファと最高法院の場面がでてきますから、18章では、主としてアンナスが大祭司として尋問することになります。最高法院での尋問と裁判に先立って、大祭司が、重要な犯罪人を呼び出して予備尋問をすることが、しばしば行なわれていました。だから、イエスが夜間にアンナスの邸宅に連行されても不自然ではありません〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔キーナー『福音書の史的イエス』〕。大祭司が「イエスに弟子たちやイエスの教えについて尋ねた」(18章19節)とあるのも、それが予備尋問であったことを思わせます。マルコ14章53節にあるような最高法院が大祭司の邸宅で開かれたとは考えられませんから〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕、まず予備尋問がアンナスによって行なわれ、この夜間の尋問の後で、カイアファが開いた最高法院へ、尋問と審議が引き継がれたと見るほうが史実に近いようです。したがって、ヨハネ福音書のアンナスの尋問は、ヨハネの神学的な構想によるものではなく、この出来事を伝える最初期の伝承から出ていると見ていいでしょう。
[14]【カイアファ】ここ18章13~14節にあるように、カイアファはアンナスの義理の息子でした。ローマ長官グラトゥスはカイアファを大祭司としました(18年)。カイアファは、20年近くも大祭司の職にありましたが、36年に、シリアの総督ウィテリウスによって退職させられました。ピラトは、カイアファの在任中にユダヤの代官に任ぜられましたが、カイアファと同じ頃にウィテリウスによって更迭されています。大祭司職は、ユダヤの法律では終生職でしたが、実際はローマの意向によって退職あるいは任命されたのです。ヨハネ福音書は、アンナスとカイアファの両方に「大祭司」を用いているように見えますが、ヨハネ福音書の言う「大祭司」もカイアファのことです(11章49節/18章13節)〔なお11章49節の注釈「カイアファ」の項を参照〕。
[15]ここからがペトロによる否認の場面です。この否認は、「鶏が2度鳴く前に3度知らないと言う」(マルコ14章30節)、「鶏が鳴くまでに3度知らないと言う」(マタイ26章34節/ルカ22章34節/ヨハネ13章38節)とイエスから預言されています。ペトロの否認は史実に基づく出来事で、そうでなければ、ペトロにとって「不名誉」な伝承が、教会によってこのように伝えられるとは思われません。否認が3度行なわれたとあるのもマルコ福音書以前からの伝承で、おそらく史実でしょう〔キーナー『福音書の史的イエス』〕。
ヨハネ福音書は、イエスへの尋問(19~23節)の前と後とに分けて否認を伝えています。ペトロは、逮捕の場面でも登場し、そこでは、イエスとは対照的な様子を見せています。否認の場面でも、最後まで弟子たちを守ろうとしたイエスの誠実さと、その師を否認するペトロの「不名誉」とが強く印象づけられます。ペトロの否認が二つに分けられて、イエスへの尋問を挟むように構成されているのは、これによって、尋問でのイエスの姿勢とペトロの否認とを対照させるためです。
ところが、「大祭司アンナスの尋問」(18章19~23節)を挟むペトロの否認のこのような配置によって、ペトロの二度にわたる否認が何時どこで生じたのかが疑問になります。現行のヨハネ福音書では、18章24節に「それから(大祭司)アンナスは、イエスを縛ったままで、大祭司カイアファの所へ送った」とありますから、この文面から判断すれば、25節以下の二度目の否認は、カイアファによる尋問の時に起こったことになります〔バーナード『ヨハネ福音書』(2)〕。だから、否認は、大祭司アンナスの屋敷と大祭司カイアファの最高法院の場と、二箇所に分かれます。ところが、25節の「ペトロは立ったまま火にあたっていた」は、同じアンナスの庭での続きだと受け取れなくもないのです〔前掲書〕。アンナスとカイアファが出てきますから、尋問が二度行なわれたのは確かですが、いったい、イエスは「何時」カイアファの所へ送られたのかがはっきりしないのです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
ヨハネ福音書は、ユダの裏切りとイエスへのペトロの否認を共観福音書以上に厳しくとらえています。鶏が鳴いたことだけが語られていて、共観福音書が伝えるペトロの涙ながらの改悛はでてきません。おそらくここにも、ヨハネ共同体が体験した分裂や否認や殉教などの厳しい現実が反映しているのでしょう。
【もう一人の弟子】「もう一人の弟子」という言い方は、ここペトロの否認の場面とペトロがイエスの墓を見に行くところ(20章2~8節に4回)とにでてきます(「ほかの二人の弟子たち」なら1章37節/21章2節にもあります)。この弟子は、クリュソストモスなどの教父以来、伝統的に「イエスが愛した弟子」のことだと解釈されています。もしも、ここ15節と20章2節の「もう一人の弟子」とが同一人物だとすれば、それが「イエスの愛する弟子」である可能性が強まるでしょう。彼は、イエスの十字架のもとからさえ離れませんでしたから(19章26節)、イエスの後についていったと考えられます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ただし、もしもそうなら、ヨハネ福音書は「主が愛した弟子」と書くはずだとして、この見方を否定する説もあります〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。なお、最近では、「主の愛弟子」とは、ゼベダイの子ヨハネの息子のことではないか、とする説が教皇ベネディクト16世から提起されています〔ラツィンガー『ナザレのイエス』(1)〕。漁師を副業とする人の息子でも、祭司を兼ねることが可能でしたから、大祭司の家に入ることが許されたと考えられます。
【大祭司の屋敷の中庭】ヨハネ福音書によれば、否認は、アンナスの庭とカイアファの庭とで起こったのか、それとも、24節を挟んでいるとは言え、同一のアンナスの庭なのか、この点がはっりしません。共観福音書によれば、否認は、最高法院でのイエスの尋問の際に、「カイアファの庭」で起こったことになります。ただし、アンナスとカイアファの大祭司一族が、同じ邸宅の敷地内にいたとすれば、ヨハネ福音書の作者が、ペトロの否認が同一の場所で起こったと見なしたとしても矛盾しないでしょう。
当時、神殿の西側が官邸街で、神殿の西壁の近くにハスモン家の宮殿がありました。大祭司カイアファの屋敷は、その宮殿の南の方にあったとも考えられます。カイアファの邸宅は、エルサレムの西の城壁近くにあったヘロデの宮殿の南東側にあたるとも言われますが、これだと、ゲツセマネからも、最高法院の切石の間へも遠すぎます。だから、アンナスとカイアファの邸宅は、神殿の西側にあたる邸宅街にあったという見方があります〔Ritmeyer,
Jerusalem in the Year 30 A.D.71.〕。おそらく、アンナスとカイアファは、中庭を挟んだ同じ敷地内に住んでいたのでしょう。だからアンナスの尋問が終わると、イエスは、同じ邸内にいるカイアファに渡されて、カイアファは、イエスを官邸街と神殿の丘との間にある最高法院の議場へ連行したと思われます。ルカ福音書に、イエスは大祭司(カイアファ?)の屋敷に連行され(ルカ22章54節)、そこから最高法院へ連れて行かれた(同66節)とあるのもこのことと合致します。また、ヨハネ福音書で、アンナスの尋問の前にペトロの第一の否認があり、尋問が終わってカイアファに引き渡された段階で、(同じ?)中庭で第二と第三の否認が起こったとも受け取れる内容と合致します。洋の東西を問わず古代の王室では、権力を維持していた上皇が、その息子の王と同じ宮殿内に居るのが当然あるべき形だとされていました。
なお、マルコ福音書によれば、イエスの尋問は2階で行なわれ、ペトロは1階、すなわち「下の中庭」にいて、たき火にあたっていました(14章66~67節)。マタイ福音書では、ペトロは「外の中庭に座っていた」とあります(マタイ26章69節)。ルカ22章55節では、ペトロは「屋敷の中庭の真ん中でたき火に照らされて座っていました」です。ルカ福音書では、ペトロの第三の否認の際に「主は振り向いてペトロを見つめた」(22章61節)とありますから、この場合、イエスは、2階ではなく下にいたことになります。イエスはこの時、最高法院へ連行されるために下に降りてきたのでしょうか。ヨハネ福音書では、ペトロは中庭で「<立って>火にあたっていた」(ヨハネ18章18節/同25節)です〔これについては後の注釈を参照〕。ルカ福音書とヨハネ福音書は、それぞれの伝承が、マタイ=マルコ福音書の伝承とは異なることが分かります。
[16]~[17]正確に言えば、ヨハネ福音書のペトロの1度目の否認にあたる部分は、共観福音書にありません。語法的に見るならば、ヨハネ福音書では2度目にあたる18章25~27節が、共観福音書では、最初の否認の記事に相当するからです。
【知り合い】原語は「親友」「親族」から単なる「知り合い」まで、幅広い意味ですから、どのような関係なのかを特定するのは難しいようです。
【門番の女】ペトロを最初を怪しんだのが「女中」であったことはどの福音書も同じです。ただし「門番」とあるのはヨハネ福音書だけです。尋ねてきた人が誰であるかを確認して、その客を外へ待たせたまま、主人に客の訪問を報告して指示を仰ぐのが門番の仕事です。だから門番が一人一人の「顔を確かめる」のは当然です。そのような役目が女性に与えられるのは不自然だという指摘もありますが、女性の「取り次ぎ役」は必ずしも不自然でありません(使徒12章13節参照)。ヨハネ福音書に「門番の女」とあるのは、その尋ね方から判断しても、四福音書の中で最も自然な状況だと思われます。
【あなたも】「まさかあんたもあの人の弟子ではないでしょうね?」と現在形の疑問で、門番らしい尋ね方をしています。「あんた<も>」とありますが、これは「あんたも、逃げて行ったほかの連中と同じように」の意味でしょう。
【違う】ヨハネ福音書では、門番はペトロの顔を確かめて訊いたのですが、これに対してペトロは「(わたしは)そうでない」"I'm not."と短く否定します。これに先立つイエスの逮捕の際に、イエスが「わたしがそれである」"I am."と2度繰り返して、自分をはっきり表わしているのと比較してください。ヨハネ福音書は、こういう場合に、短い否定形で返答し、その内容に含みを持たせています(2章21節の洗礼者ヨハネの返答を参照)。
[18]【僕や下役たち】18章3節では「一隊の兵士たちと下役たち」ですが、ここ18節では「僕たちや下役たち」です。イエスは、この後で、大祭司の屋敷から神殿の丘へ行く途中のサンヒドリンの会議場まで連行されますから、そのために警護の役人たちが、まだ残っていたのでしょう。
【寒かった】この指摘もヨハネ福音書だけです。4月の始め頃のエルサレムは、日中はそれほど寒くありませんが、夜になると冷え込みます。
【炭火】これもヨハネ福音書だけです。ペトロが裏切った時の「炭火」と復活したイエスがペトロたちを迎えた時の「炭火」(21章9節)とを象徴的に対照させる見方もあります。
【火にあたって】マルコ福音書(14章67節)にも全く同じ原語が用いられているのは偶然でしょうか。
【立って】マタイ福音書とルカ福音書では「座って」です。ただし、「立っている」のヘブライ語/アラム語的な用法には、単にその場に「いる」ことだけを意味する場合もあります〔ブラウン『ヨハネ福音書』〕。「彼らと一緒にいた」とあるのは、ペトロがここでは彼らの仲間の一人になっていたことを意味します〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。たき火を囲んで共に手をかざす行為は、同じ共同体に加わることを意味しています〔ルネ・ジラール著『身代わりの山羊』織田年和/富永茂樹訳(法政大学出版局:1985年)。第12章ペテロの否認〕。
[19]大祭司がイエスに尋問する場面は、ヨハネ福音書と共観福音書とで異なっています。共通するところは、イエスが「神殿で教えていた」(マタイ26章55節=マルコ14章49節=ルカ22章53節)とあることです。アンナスの尋問は、カイアファの開く最高法院での尋問のための予備尋問でしょう。先に指摘したように、最高法院での大祭司の尋問とこれに対するイエスの応答はヨハネ福音書にはでてきません。
共観福音書では、最高法院で、イエスがメシアかどうかが尋ねられ、イエスは「神を汚した」として冒涜の罪にとわれます。しかし、ヨハネ福音書では、アンナスの最大の関心は、イエスが、騒乱を起こすような偽預言者あるいは偽メシアかどうか? という点にあるようです。(1)イエスは人々を惑わしているのではないか(イエスに弟子のことを尋ねる)?(2)イエスは偽って神の名によって語っているのではないか(イエスの教えについて尋ねる)? この二点です(申命記13章2~6節参照)〔ブラウン『ヨハネ福音書』〕。
[20]【公然と話した】共観福音書では、「お前はメシアなのか?」という大祭司の問いに対して、イエスは「(あなたたちは今に)人の子が全能の神の右に座る(のを見る)」と答えています(マタイ26章64節=マルコ14章62節/ルカ22章69節は少し違います)。すでに指摘したように、共観福音書の最高法院での尋問とヨハネ福音書のそれとは状況が異なります。しかし、四福音書共に、イエスが敵対する人たちのいる前でも「公然と」語ってきたことを伝えていて、イエスは、そのことを大祭司に向かって指摘しています。「公然と」は、逃げ隠れせずに「大胆に」の意味で、これは、イエスの言動が、騒乱を起こすような「政治的な」意図や陰謀から出ているのでは<ない>ことを証しするものでしょう。
原文では「わたしは語ってきた」と「わたしは教えた」が並んで、「わたし」が強調されています。またこの節には、「語ってきた」〔完了形〕、「教えた」〔アオリスト形〕、「集まる」〔現在形〕などの動詞の時制が入り混じって、「今までもしてきたとおりに、今もそうしている」と告げています。
大祭司たちが遣わした役人たちが、「剣や棒を持って、まるで強盗を捕まえるように」やって来たと共観福音書が証言していますから、大祭司たちは、イエスとその一味に「不穏な動きがある」とにらんで、騒乱を未然に防ぐために先手を打って逮捕に踏み切ったと思われます。だから彼らは、イエスたちに「密かな陰謀」があったのか、政治的な暴動の計画があったのかを探り出そうとしているのです。このことを考え併せると、イエスのここでの答えがよく分かります。イエスは、敵対する人の前でも「何一つ隠すことなく」公然と語り行動してきたからです。しかも、イエスは、大祭司たちが最も恐れている「人々の集まる会堂や神殿の境内」で語り行動してきたのです。このようなイエスを、人々の目を避けて夜間密かに逮捕して、人目につかない邸宅の一室で「密かに」尋問しているのは、大祭司のほうです。「陰謀と政治的な企み」は、イエスと彼らと、いったいどちらのほうなのか? 誰が誰に向かって、何を告発しているのか? ヨハネ福音書は、イエスの答えを通じて、この場の「皮肉」(アイロニー)を見事に描き出しています。
【ひそかに話した】この20節でのイエスの答えは、大祭司たちからイエスに向けられた「政治的な陰謀」に対して「ひそかに」語り行動したことがないという意味です。イエスは「どんな場合も」公然と語っていて、「ひそかに」語ったことがないという意味ではありません。彼は、ニコデモとは夜「個人的に」語り(3章)、サマリアの女とも二人だけで語り合っています(4章)。共観福音書でも弟子たちだけに「密かに」御国の奥義を語っています(マルコ4章11節その他)。なお、「<ユダヤ人が集まる>会堂」とあるのは、読者や聴衆がユダヤ人の場合は言う必要のないことですから、異邦人のためにヨハネが加えた説明です(1章38節を参照)。
[21]【聞いた人々に】ユダヤ教の裁判において、特に死刑にあたる場合には、自白/自供だけで判定することは違法とされていました〔バレット『ヨハネ福音書』〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。だからイエスは、自分が何を語ったのかをイエス自身に対してではなく、「イエスが話したことを知っている」人たちに訊くべきだと告げているのです。ここでも大祭司が、強引なやりかたで、イエスを自供に追い込もうとしていることがうかがわれます。なお、ここの大祭司の「強引な」尋問の背景には、ヨハネ共同体の高度なキリスト観を「偽預言者」だと断定しようとした90年代のユダヤ教のファリサイ派の尋問を重ねる説があります。また、95年頃のローマ皇帝ドミティアヌスによるキリスト教への迫害をここの尋問の背景に読み取ろうとする見方もあります〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
[22]【下役の一人】マルコ福音書(14章63~65節)では、大祭司がイエスの答えを聞いて、「(イエスの)この冒涜を聞いたからには、あなたたち(最高法院)には何が明白になったのか」〔直訳〕と問いかけます。そこで最高法院の「全員」が「死刑に値する」と言います。それから「ある者たち」はイエスに「唾を吐きかけ」、目隠しをして「殴り」ます。さらに、今度は下役たちがイエスを「平手で打ち」ます。エルサレムを代表する議員ともあろう人たちが、こんなひどいことをするのか、と疑うのは現代人の感覚で、こと「神への冒涜」に対しては、自分たちの嫌悪をはっきりとした行為で示すことが求められたと考えるべきです。だから、これが議員たちによって実際に行なわれたとしても不自然でありません〔フランス『マルコ福音書』〕。ただし、マルコ福音書の「彼ら」とあるのは、議員たちのことではなく、次に出てくる下役を指すという説もあります〔フルッサー『ユダヤ人イエス』〕。「下役たち」には、身分の低い奴隷やユダヤ人以外の人もいたと考えられます。
ヨハネ福音書には最高法院の場面がでてきませんから、今回の箇所を共観福音書と並行関係に置いて論じることはできません。ヨハネ福音書は、イエスへの侮辱の全体的な状況ではルカ福音書に近く、「平手打ち」をした者ではマルコ福音書に近く、大祭司に向けたイエスの答えに対する仕打ちとしてはマタイ福音書に近くなります。これはヨハネ福音書だけの伝承に基づくものでしょう。
[23]【その悪を証明する】イエスは、ここで「あなたの民の中の代表者をのろってはならない」(出エジプト記22章27節)とある聖書の戒めを念頭に置いて答えています。イエスは、「悪を行なっている」のがいったいどちらなのかと問い返しているのです。被告と原告の立場は事実上逆になっていることを大祭司もイエスを叩いた役人も全く気づいていません。
【打つ】先にでてきた「平手で打つ」とは異なる原語です。日本語でも「日本<たたき>」「新聞で<たたかれる>」という言い方をしますが、ここでのイエスの「打つ」にもその意味が含まれています。
[24]【大祭司カイアファ】カイアファは、ここで初めてイエスに出会ったことになります。「大祭司カイアファ」という言い方は、ヨハネ福音書の著者が、カイアファを正式の大祭司と見なしていることを表わすのでしょう。先に指摘したとおり、ほんらい大祭司は終身職ですから、大祭司一族の長であるアンナスが依然その権威を保持していたのです。「大祭司カイアファのほうへ」とあるのは、カイアファの邸宅のことなのか、それともカイアファが開いた最高法院のことなのか、この点がはっきりしません。おそらくアンナスもカイアファと同じ邸宅の別棟に住んでいたのでしょう。どちらにせよ、神殿の丘の西側にあたる両者の住まいは、そう離れていなかったと考えられます。19節と24節の「大祭司」の意味が混乱を招きますが、ヨハネ福音書は、イエスの逮捕から処刑までが大祭司一族を中心に行なわれたと見ているのです。これはヨハネ共同体の伝承に基づくと考えるべきで、この伝承は史実を伝えていると思われます〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
ただし、共観福音書の記述と考え併せるなら、この24節は、カイアファが開いた最高法院(サンヒドリン)のもとへイエスを縛ったままで連行したことになります(28節の「彼ら」は最高法院の者たちを指す)〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕〔キーナー前掲書〕。ミシュナの規定によれば、最高法院は、神殿の丘とエルサレム市街との間にある「切石(きりいし)の間」で開かれることになっていますが、70年頃の記録によれば、最高法院は「すでに40年ほど前に」そこから別の場所に移ったとありますから、イエスの頃の最高法院の場所は正確には確定できません。
[25]ここから2回目のペトロの否認に入ります。ヨハネの描写は、実際は連続して起こった否認の出来事を意図的に二つに分けて、その間にイエスが大祭司に示した態度を挟み込み、イエスとペトロとの違いを浮き彫りにしています。また、ここでのペトロの否認が、21章でのイエスからペトロへの3度の呼びかけと対応していることが指摘されています。共観福音書に比べると、伝えられている否認の内容は最小限に切り詰められていて、しかも大祭司の存在が、彼の僕(しもべ)の登場を通して大きく映し出されています。共観福音書との主な違いは次の通りです。
(1)ペトロが立っている。(2)2度目にペトロを見とがめるのは「人々/彼ら」である。(3)ペトロの否認の言葉が極度に短い。(4)3度目にペトロを咎めるのが耳を切られた大祭司の僕の身内である。(5)「ガリラヤ人」の指摘がない。(6)ペトロの強い否認の言葉がない。(7)ペトロが泣く場面がない。
【お前も】マタイ福音書とマルコ福音書は「あんたも、ガリラヤ/ナザレのイエスと一緒だった」です。ルカ福音書では「この人もあの人と一緒だった」ですから、どれも過去形です。ヨハネ福音書は、ここでも17節同様に現在形の疑問文です。
【打ち消して】マルコ14章68節では、ペトロの答えが「あなたが言っていることは、なんのことか知りもしないし理解もできない」と強い否定になっています。マタイはこれを縮めています。ルカ福音書は「そんな人は知らない」(22章57節)です。ヨハネ福音書では、17節と全く同じ「わたしでない」だけです。
[26]~[27]【身内の者】この人は10節にでてきたマルコスの親戚にあたる人で、この人も大祭司の僕です。これで見ると、ヨハネ福音書の作者は、大祭司の僕であったマルコスの身内の一人がだれであるかを知っていたのでしょうか。大祭司の僕の耳を切り落としたその人だと見破られたら、ペトロの命も危なくなるでしょう。これが事実だとすれば、ペトロはずいぶん大きな危険をおかしていたことになります。マルコ14章71節によれば、3度目の否認でペトロは「神に誓って、わたしはそんな人は知らない」と言ったとあります。マルコ福音書でのこのような激しい否認は、もしヨハネ福音書の記述がほんとうなら、その原因も理解できます。おそらくマルコスは、「ペトロに耳を切られた大祭司の僕」として、教会の人々に知られていたのでしょう。「マルコスの身内」の登場は、ペトロの3度目の激しい否認の理由を説明するために後から加えられた伝承だという説もあります。しかし、「マルコスの身内」がでてくるのは、ヨハネ福音書だけです。だから、ここは、「大祭司の僕の耳を切り落とした」ペトロと、「その僕に見とがめられて否認する」ペトロとを対照させていると見ることができます。だとすれば、イエスと共にいた時の勇み足のペトロとイエスを見失った時の弱いペトロを対照させているのです。
【鶏が鳴いた】ヨハネ福音書には、ペトロがイエスの警告を思い出したことがでてきません。ここで言う「鶏が鳴く」は、神殿の北側にあるアントニアの砦で、ローマ兵の見張りの交代を告げるラッパのことではないかという説もあります。もしもそうだとすれば、見張りは、夕方6時から明け方6時までの間が四つに区切られていましたので、「3度目」に鳴いたのは、現在の時刻で言えば、真夜中の12時~午前3時までの見張りが終わったことになります。したがって、イエスへの尋問は午前3時頃に終わったことになります。なお、エルサレムで実際に鶏が明け方に鳴く時刻は、午前3時~5時だとあります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。
マルコ福音書では鶏が2度鳴いたとあります(14章68節/同72節)。しかし、同68節の「鶏が鳴いた」が抜けている写本があります。「鶏が2度鳴く前に」(同30節)とあるイエスの預言に合わせて、後の編集でこの「鶏が鳴いた」が加えられたと見ることもできましょう〔岩波訳注〕。しかし、編集者が、マルコ福音書<以外の>福音書の記述に合わせて、この句を原本から取り除いたと見ることも同じくらい合理的な推論です〔新約テキスト批評〕。この場合、1度目に鶏が鳴いたのにペトロはイエスの預言を思い出すことをせず、2度目に鳴くまで悔い改めなかったのだろうか? という疑問が編集者に働いたのかもしれません。したがってこの句は、書き加えか? 取り除きか? どちらの可能性もあります。ちなみに、この句を除いた英訳〔REB〕とこの句を残して、欄外に抜けている読みがあることを注した英訳とがあります〔NRSV〕。
ヨハネ福音書には、鶏が鳴いた後のペトロの描写がありません。ペトロがその後で泣いて悔い改めたことは、おそらくヨハネ福音書の読者たちにも知られていたでしょう。しかし、あえてそのことに触れず、その後でペトロがどうしたかを読者の判断に委ねているのです。裏切り/否認と悔い改め、裁きと赦しのこの問題をヨハネ福音書は共観福音書よりも厳しくとらえているのです。
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