【注釈】(1)
■イエスの裁判から判決までの区分
イエスとピラトの出会いは18章28節~19章16節で語られます。この部分は、通常、次のように七つに分割されています〔ブラウン『ヨハネ福音書』〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
(1)18章28~32節:ユダヤ側がピラトにイエスの死刑を要請。
(2)同33~38節前半:イエスとピラトとの王国をめぐる問答。
(3)同38後半~40節:ピラトがイエスの無罪/釈放を提言。
ユダヤ側はバラバの釈放を要求。
(4)19章1~3節:ローマ兵がイエスを鞭打ち、茨の冠をかぶせる。
(5)同4~7節:ピラトが再度イエスの無罪を提言。
ユダヤ側は再度死刑を要求。
(6)同8~11節:イエスとピラトとの「権限」についての問答。
(7)同12~16節:ピラトがユダヤ側にイエスを引き渡す。
この区分は、(4)を中心に置いて観ると、次のように交差法で構成されています。
(3)と(5)ではピラトがイエスの無罪/釈放を提言する。
(2)と(6)ではピラトとイエスの問答。
(1)と(7)ではユダヤ側の要求とこれへの認可。
さらに、この構成を場所的に見ますと、中心となる(4)は官邸の中庭で起こり、(3)と(5)は官邸の外で起こり、(2)と(6)は官邸の中庭で行なわれ、(1)と(7)は、官邸の外で行なわれています。
■共観福音書との関係
さらに(1)~(7)を共観福音書との関連で見ますと、
(1)では、「お前がユダヤ人の王か?」というピラトの言葉は四福音書に共通しますが、マルコ=マタイ福音書ではそれ以上のことは書かれていません。ルカ23章2節ではイエスが訴えられた理由が書かれていますが、この点を最も詳しく説明しているのはヨハネ福音書です。
(2)では、イエスの「それはあなたが言っていることである」が四福音書に共通します。マルコ=マタイ福音書では、訴えに対してイエスが沈黙しているのでピラトは不思議に思ったとありますが、それ以上のことは書かれていません。ヨハネ福音書は、ここでもイエスとピラトとの問答を語伝えています。
(3)では、ルカ=ヨハネ福音書には「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」というピラトの言葉が記されていて、これをルカ福音書が説明しています(ルカ23章2~5節)。ヨハネ福音書もこの点について簡単に触れていますが、マルコ=マタイ福音書には何も書かれていません。ただし、続くバラバの釈放に関しては、マルコ=マタイ福音書に(特にマタイ福音書に)詳しく書かれていますが、ルカ=ヨハネ福音書では比較的簡単に記されています。
(4)は、マルコ=マタイ福音書で詳しく語られています。ヨハネ福音書は簡単に記していますが、ルカ福音書には何も書かれていません。ただし、マルコ=マタイ福音書では、兵士たちによる侮辱がピラトの判決の後で行なわれますが、ヨハネ福音書では、バラバの釈放が決定した後で、ピラトによる再度の無罪の提言の前に行なわれますから、この点がマルコ=マタイ福音書とは異なっています。
(5)は、マルコ=マタイ福音書には何も書かれていません。ルカ福音書では、イエスがピラトからヘロデのもとへ連行されて再び送り返され、そこでピラトは再度イエスの無罪を提言します(ルカ23章13~14節)。ヨハネ福音書には、「見よ、この男だ」というピラトの言葉があって、この場面が詳細に描かれています。
(6)は、ヨハネ福音書だけが詳しく記しています。
(7)では、マタイ福音書に「その血の責任は我々と子孫にある」という言葉と共に詳しく描かれています。しかし、他の三つの福音書では比較的簡単に記されています。
ここでは、これらの異同を検討するのは控えます。四福音書が証しする実際の出来事の基本的な事項については、前回の「大祭司の尋問とペトロの否認」の注釈(1)「大祭司の尋問からピラトの判決まで」の「四福音書の記述」の項をご覧ください。そこにあげられた項目の(8)~(12)の事項が、ピラトの裁判に相当します。ただし、今回は、裁判にあたったピラトの「逡巡/ためらい」がなぜ生じたのか?という基本的な出来事に的を絞って考察したいと思います。
■資料の問題
18章28節~19章16節を資料的に見ますと、この部分には(1)マルコ=マタイ福音書と共通する資料、(2)ルカ福音書と共通する資料、(3)ヨハネ福音書だけの資料、(4)ヨハネによる解釈の四つに分類することができます。しかし、ヨハネ福音書の資料については不確かな点が多く、また、資料と見なされる部分にも編集の手が加えられていますから、この分類はだいたいの目安だと考えてください。
ヨハネ福音書に含まれる資料部分をブルトマンの説に従ってあげると次の五つに分けられます。18章28節前半と29節/同38節後半~40節/19章1~3節/同13節/同15~16節〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。これで見ると、18章38節後半はルカ23章15節と共通するところがありますが、39節はマルコ=マタイ福音書と類似しており、40節はルカ23章18節と共通します。19章1~3節はマルコ=マタイ福音書と共通します。同13節の<ヘブライ語でガバタ、「敷石」>とある部分はヨハネ福音書だけの資料で、同15節後半もヨハネ福音書だけです。同16節は共観福音書と共通します。
このように、裁判から判決までの部分では、ユダヤ側が訴え出る初めの場面と、中程のバラバの釈放と、ローマ兵によるイエスへの侮辱と、終わりのほうでユダヤ側が十字架刑を要請して認められる部分とに資料が用いられています。
これらを先にあげた全体の構成区分に照らして見ると、(1)と(3)と(4)と(7)にあたり、これ以外は、ヨハネ福音書だけの解釈で構成されているのが分かります。しかも、資料の部分は、マルコ=マタイ福音書と共通するところ、ルカ福音書と共通するところ、ヨハネ福音書独自のものがありますから、ヨハネ福音書の資料は、共観福音書のどれにも直接依存することがなく、しかも共観福音書と共通する「原資料」(口頭伝承と文書の両方)から来ていると思われます。特に、ルカ福音書との共通点が興味を惹きます。
■ヨハネ福音書の描くピラト
先にあげた交差法の構成でも分かりますが、ピラトは、イエスへの鞭打ちと侮辱を挟んで、その前後2度にわたって、イエスの無罪を進言しています。ピラトは、イエスの十字架刑を言い渡すまでに、ためらいを示していますが、冷酷な対処の仕方で知られるピラトが、なぜイエスの裁判に限ってそのように逡巡(しゅんじゅん)したのか? イエスの有罪/無罪を決するピラトのこのような逡巡について、いろいろな見方があります。
四福音書の証言が正しければ、ここでは、何か不思議な出来事が起こっていることになります。この場合、福音書が出来事を歪曲しているという先入観に立って、その「歪曲の理由」を探すよりも、むしろ福音書の証言をそのまま受けとめた上で、ピラトの逡巡という出来事がなぜ生じたのか? 「このこと」の歴史的な理由を考察する必要があると思います。
ただし、ピラトのこの逡巡が、イエスに対する好意や同情から出ているとか、あるいは公正な正義感が彼を動かしている、というように解釈するのは誤りです。ピラトは冷徹な野心家ですから、そのような感情や正義感に動かされる人物ではありません。そうではなく、彼のためらいにはそれなりの理由があった。こう考えるべきです。それは彼とローマの権力との関係にあります。
ピラトは言わば「騎士身分」で、決して「総督」ではありません。したがって、シリアの総督の下に置かれていたやや格下の地方長官(代官)です。こういう身分に置かれていて、しかも野心家で冷酷な人物は、自分より権力を持つ上司との関係、ローマの中央政権で進行する権力闘争が自分に及ぼす影響と評価にはとりわけ敏感です。冷酷な能吏ほど権力の動向に敏感な者はいないからです。だから、わたしたちは、イエスの裁判についても、ユダヤ側とピラトとの関係だけから、これを見るのではなく、ローマの中央政権、直接の上司であるシリアの総督、これらとピラトとの関係において、彼の置かれた立場を考察する必要があります。
エルサレムの大祭司たちの身分が不安定であったと同様に、ローマの権力者たちや有力者たちの地位と身分も、パレスチナのそれに劣らぬほど不安定でした。例えば、賢者で知られたキケロは、ユリウス・カエサルの独裁に好意を抱かず、カエサルの側についたアントニウスに批判的であったために、アントニウスと一時的に手を結んだオクタヴィアヌスが権力の座につくと、それまでキケロを支えてくれた元老院が彼に対する態度を一変させ、キケロは処刑されました。
ピラトは、当時のローマの権力者セイヤヌスの支持を受けてユダヤの長官(代官)の地位を得たと考えられます。しかし、セイヤヌスの権勢も例外ではありませんでした。彼はローマ皇帝ティベリウスの護衛隊長でしたが、皇帝の好意を得て、護衛隊長の職権を越える軍事的かつ政治的な権力を手にすることに成功しました。セイヤヌスは、敵対する者を容赦なく追放したり処刑したりして、権力を拡大しました。皇帝ティベリウスは暗い性格で、疑心を抱く人物でしたが、この皇帝が、表向き政治から引退してから、セイヤヌスが事実上の皇帝代理としてローマで権能をふるうようになっていました。
皇帝の信任を得て護衛隊長から成り上がったセイヤヌスに対して、面と向かって物言う者がいない代わりに、彼への敵意は元老院の間に相当深く広がっていたようです。だから、元老院の反感がいつ表に出るかは時間の問題でした。セイヤヌスは、31年に「突然に」失脚して処刑されます。ピラトのように、権力に敏感で冷酷な能吏ほど、上司の間の権力の動向を抜け目なく察知するものです。ピラトは、中央政権でのこのような成り行きをすでに感じていたのではないかと考えられます。このために、自分の身の保全のために、所轄の支配区域で騒乱や反乱が生じたり、住民の不評や反感を買うことを彼は極度に恐れたと考えることができます〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。
すでに指摘したように、共観福音書においてもヨハネ福音書においても、イエスの裁判におけるピラトの逡巡と判決の姿勢が、イエス以後のキリスト教会に「護教的な見解」を提供しているのは事実です。冷酷で知られていたピラトが、イエスの裁判で見せた「弱腰」とも思えるためらいは、確かに不自然で不思議な出来事です。大事なのは、この不思議で不可解とも思われる出来事がなぜ生じたのかを史的にも考察することです。
以上を確認した上で、わたしたちは初めて、ヨハネ福音書の描く裁判の場面を正しく読み解くことができます。すでに指摘したように、ヨハネ福音書では、ピラトの一連の言動がドラマ化して描かれています。ドラマ化することによって、ピラトの逡巡の意味を<解釈する>こと、ヨハネ福音書は、このことに意を用いています。彼は官邸の内と外とを幾度も出たり入ったりすることで、イエスと彼を訴えるユダヤ側との間の媒介役を演じます。このため、イエスの受難劇を構成する幾つかの幕と場の中でも、この裁判の幕では、場が特にめまぐるしく転換します。
訴えるユダヤ側と、訴えを受けとめるローマの権力、その狭間に立つイエス、これら三者のやりとりの中で、イエスの啓示する霊性が、ドラマ化されて浮かび上がってきます。官邸の内ではイエスとピラトの問答が行なわれ、外ではピラトとユダヤ側とのやりとりが描かれます。こうしてヨハネ福音書は、神学的な構成を通して、ピラトの裁判で起こった出来事の「意義」を解釈するのです。外のやりとりでは、ユダヤ側が、イエスを反逆の「ユダヤの王」として認めさせるその過程で、自らをローマ皇帝の民と認めざるをえなくなる皮肉(アイロニー)が見えてきます。官邸の中庭では、イエスとピラトの間に交わされる問答を通して、「地上の王国」と「真理の王国」について、また真の権威/権能について語られます。これらについてのヨハネ福音書の解釈が、「歴史と神学とを微妙にブレンドしたヨハネの記述」〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕を支えているのです。
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