71章 イエスとピラト
18章28〜38節
■18章
28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。
33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
38ピラトは言った。「真理とは何か。」
■もう一つの「事実」
今回は、イエス様とピラトとの出会いの場面です。ピラトがイエス様に「お前はユダヤ人の王なのか?」と訊(たずね)ますと、イエス様は「わたしの国はこの世のものではない」とお答えになってから、さらに加えて、「わたしは真理を証しするために来た」と言われます。イエス様が言われる「真理」とは、ピラトが支配するユダヤの国、あるいは当時ユダヤが属していたローマ帝国の政治・社会体制に向かって、直接政治的な働きかけを行なうことではありません。ピラトの統治する国家を支持するにせよ、国家の現状を否定して何らかの革新的な働きかけを行なうにせよ、どちらにせよ、イエス様の言われる「真理」は、ピラトが「ユダヤ人の王」と呼ぶような権力のことでは<ない>という意味です。
では、イエス様が言われる「真理」とは、国家や政治とはいっさい関わりを持たないのか、言い換えると、人間の内面のみにかかわる心理的・精神的な領域のことに限定されるのかと言えば、そうでもありません。現代のわたしたちは、こういう内面性のことを、政治や社会とは区別して「宗教的な」領域と呼んでいます。しかし、もしも「宗教」がそういう意味なら、イエス様の言う「真理」を「宗教的」と呼ぶのは適切でありません。あるいは、「真理」を理念的あるいは観念的に解釈して、何か哲学的・形而上的な世界のことだと考えるのも正しいとは言えません。ただし、イエス様が証ししている「真理」、すなわち「神の国」は、ピラトが見知っている現実の世界、ピラトの母語であるラテン語で言えば「ヴェーリタース」(あるがままの事実/真実/真理)に近いとも言えますが、ピラトが直接見知っている事実や出来事とは、対照しながらも対応するとでも言うべき不思議な「もう一つの」事実や出来事のことです。だからそれは、もしもピラトが受け容れて承認しようとすれば、彼にも承認できる事実であり「真理」です。
その「もう一つの事実」は、今ピラトの目の前に、「イエス様」という一人の人間として間違いなく「そこに居ます」。イエス様が現にそこに「いる/ある」というこの事実は、ピラトにとって、目の前に存在している「あるがままの事実」であり出来事ですから、人の内面に限定されることでもなければ、哲学者に説明してもらわなければならない形而上的な世界の「真理」のことでもありません。
イエス様が言われる真理とは、イエス様という「人間が居る」こと、<そのこと>だからです。ピラトは、自分が今まで見知っている事実(それが政治的であれ経済的であれ思想的であれ物理的であれ)として、イエスの存在を彼なりに理解しようとしています。しかし、イエス様が「わたしの国はこの世に属さない」と言うとき、それは、ピラトが今見ている「事実/出来事」が、彼の知見を超える何か全く異なる「事実」を証ししていることを指しています。ピラトは、確かにそこに存在するけれども、それは、今まで彼が経験したことのない「もう一つの事実/真理」が存在することを証しする「真理」と向き合っているのです。イエス様の存在が証しするこの「もう一つの事実/真理」は、この上なくはっきりと、目の前に具体的に存在しています。それは抽象的でも理念的でもなく、いわゆる「神学的」でもなく、この上なく具体的な「人間」として、今、自分の目の前に、イエス様として、とにかくそこに「いる/ある」のです。
■最初の「ピラト」
ピラトは、ローマ帝国の権力を代表するユダヤにおける最高権力者です。彼は、言わば生殺与奪(せいさつよだつ)の政治権力を保持しています。自分こそユダヤを支配するローマ帝国の代官であり、ユダヤの法であり支配権力だという自負に立っています。権力を体現する彼に向かって、イエス様という人物を告発し訴えているのがヨハネ福音書の言う「この世」で、これはユダヤ人の指導者たちによって体現されています。ピラトが体現する政治権力と、イエス様を告発している「この世」は、この段階では、まだはっきり区別されています。ピラトは、自分が代表する政治権力と、目の前に存在している「イエス様」と、イエス様を告発する「この世」と、この三つどもえの中に立たされているのです。
だから、ピラトは、権力を持つ為政者としてイエス様に出会った最初の人です。これ以後、キリスト教が世界に広まるにつれて、世界のいたるところに無数の「ピラト」が現われます。彼らは、イエス様の伝える「神の国」の「真理」と自分が体現する権力との間にあって、自分の置かれた政治的、社会的、宗教的な状況の中で、それぞれに、今回の「最初のピラト」と同様、難しい判断を迫られることになります。
為政者としてのピラトが、冷酷で無慈悲だったという証言がありますが、イエス様との出会いにおいては、そのような冷酷さを感じさせるところがありません。イエス様は、大祭司を始めユダヤ人の指導者たちとの対決に続いて、今度はローマ帝国と直接対決に挑んでいる。この場をこのように読み取ろうとする説もありますが、これは正しくありません。だからといって、逆に、「ピラトは、中立の立場を保って、(イエスとユダヤ人たちとの)対立を全体的に見て、(この場で)仲介的な立場を保とうとする正直で善意の人たちを代表する」〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕という見方も適切でないでしょう。
彼は、ローマ帝国の辺境に位置するユダヤ地区という難しい地域を管理し支配するために、ローマの中央政府から派遣された代官です。だから彼の役目は、自分の管理下に置かれた地区を「とにかく無難に統治する」ことであって、この目的のためなら、冷酷な処置であれ、寛大な取り計らいであれ、脅したりすかしたりする手段を駆け引きとして用いることのできる人物です。「わたしがユダヤ人だとでも言うのか!」というピラトの言葉で判るように、イエス様の裁判に臨む彼には、外から来た為政者が支配下の民に向かう時の「よそ者の無関心」が読み取れます。
通常の事件であれば、ピラトは、彼なりの判断で適当に処理することができたでしょう。ところが、今、目の前にいるのは、彼がそれまで経験したことのない不思議な人物なのです。イエス様が「わたしの国」と言われているのは、ご自分の「真理の王国」において、やがて「栄光の王」になられることを意味します。しかも、その栄光の王は、反対する勢力に対して武器を手にして戦うことを要求<しない>のです(18章36節)。だからイエス様は、為政者としてのピラトが懸念する政治的な革命家ではないと、はっきり告げているのです。
ピラトのほうも、目の前のイエス様が、「武器を取って戦う」反乱の首謀者では<ない>ことを読み取ったようです。「お前がユダヤ人の王なのか」と、ピラトが多少軽蔑の意味をこめて言うのは、彼の目の前にいる人物が、権力を求める「ユダヤ人の王」にはとても思えない風貌を具えていたからです。ピラトは、ユダヤ人たちの告発をも併せて、イエス様をどのように扱うべきか迷っているのです。だから、この最初のピラとは、「真理とは何か?」とイエス様に問いかけるのです。
■キリスト教を保護した為政者たち
わたしたちは今、「最初のピラト」がどのように対処<した>のか?を問うています。しかし、彼は「最後のピラト」ではありません。だから、かつてのピラトが<した>ことと同時に、それ以後に現われるであろう「ピラト」たちは、どうすべきだろうか? あるいはかつてのピラトはどうすべき<だった>のだろうか?と問うこともできます。実際、今回の箇所では、この点がしばしば問題にされています。
読者の中には、もしもピラトが、イエス様の言う「神の国の真理」を何ほどか理解することができたならば、敵対する「ユダヤ人たち」にイエス様を渡すことをせず、逆にその身柄を保護しただろう。そうすれば、名代官として後世に名を残すことができただろう。こう思う方がいるかもしれません。クリスチャンとして、これは魅力的な期待で、現にこのようなキリスト教徒の期待を表わした「ピラトの報告書」が存在します。
皇帝コンスタンティノヌス1世(在位306〜337年)は、キリスト教をローマ帝国の公認宗教と認めて(331年)、歴史に大きな足跡を残しました。彼が、ギリシア・ローマの神々のたたりを恐れる兵士たちに命じて、「キリスト」を意味するギリシア文字(大文字)の「X]と「P」を組み合わせた印を尻込みする兵士たちの楯に描かせ、この旗印を掲げさせて敵を破った話は有名です。後にキリスト教は、ローマ帝国の国教になります。
コンスタンティヌス帝が心からキリストを信じたかどうかよりも、為政者としての彼が、とにかくキリスト教の側に与(くみ)したことが大きな意味を持つのです。『教会史』の著者エウセビオス(260頃〜339年)が、皇帝を讃(たた)えたのもこの理由からでしょう。この出来事が、以後1400年以上続く東ローマ帝国と東方正教会の出発点になりました。今に残るヴァティカンの聖ペトロ大聖堂も、ベツレヘムの聖誕教会も、彼の時代にそれらの原形が建てられました。日本でも、高山右近や大友宗麟のキリシタン大名たちの治世が長らく続いたらどんなによかっただろうと思うクリスチャンは、カトリックの人たちに限らず少なくないでしょう。
ただし、コンスタンティヌス帝の治世にも、光と陰の両面がありました。教会史上有名なニカイア公会議(325年)を主催し、アタナシオス派とアレイオス派との間の正統と異端を巡る論争に関与したのもこの皇帝です。彼によって建てられた堂々たる聖堂の陰で、これの建設費をまかなう重税に苦しむ人々がいたのも事実です。しかも、以後の教会の歴史を見ますと、「信仰の擁護者」と称する為政者が、はたしてほんとうに望ましいのかどうか? 事はそれほど単純ではなさそうです。
時代が降ってイギリス王ヘンリー2世(1133〜1189年)は、即位の当初は、カンタベリ大司教であったトマス・ベケット(1118頃〜1170年)と親交があり、王はベケットの良き友であり信仰の理解者でした。ところが納税や刑罰の問題などで、国法と教会法とが異なるために、二人は何かにつけて対立し始めます。ついに王は、4人の騎士を遣わしてカンタベリ大聖堂内でベケットを殺害しました。ところが当時のカトリック教会は、<国王に逆らって信仰を貫いた>このベケットを聖人として列聖したのです。このため人々の間に「ベケット崇拝」が起こり、その結果、ヘンリー2世は、ベケットの霊廟の前にひざまずいて懺悔する羽目になりました。これなどは、まだ、望ましい為政者の例でしょう。
さらに時代が降ってヘンリー8世(1491〜1547年)になると、彼は熱心なカトリック信者であり、聖書にも通じていて、教会から「信仰の擁護者」と称されるほどの王でした。ところが世継ぎが生まれないために、自分の王妃を次々と処刑し、カトリックの信仰篤かったトマス・モア(1477〜1535年)を自ら大法官に任命しておきながら、離婚に反対して王に逆らったかどで彼を処刑したのです。この王の下で、イングランドの教会はカトリック教会から独立して英国国教会になり(1534年)、イングランドは、いわゆるプロテスタント国家へと変革します。だからといって事態が好転したわけではありません。イングランド内のカトリック教徒は迫害され、聖書を読むことは、貴族や大商人以上の者に限られ、国教会の定めに背く者は厳しく罰せられました。祭壇に置くロウソクの数が少ないという理由で訴えられた国教会の牧師さえいます。
17世紀のピューリタン革命の時代になり、国教会が廃止された後でも、信仰に熱心な為政者が、民の生活と信仰の良い保護者であったかと言えば、残念ながらそうとも言えません。ピューリタン革命の英雄と讃えられるクロムウエルも、カトリックのアイルランド側に言わせると「侵略者であり残虐な為政者」です。だから、仮にピラトが、「彼なりの理解の仕方で」イエス様の言うことに賛意を表して、イエス様の保護者になろうと熱心に申し出た(!?)としても、はたしてイエス様は、彼の申し出を「快く」受け容れたかどうか? わたしには疑問です。「ピラトの報告書」にもあるように、おそらくイエス様はその申し出を断わったでしょう。
ローマ帝国の中にも、かつてのペルシア帝国の王のように、諸民族の多様な宗教に「寛容な」為政者たちがいました。このような為政者と「信仰に熱心な」キリスト教的な為政者と、いったいどちらのほうがほんとうに望ましいのか? 「信仰が篤い」と言われる為政者のほうが、イエス様を裁いたピラトよりも「望ましい」と考える根拠は、どうも弱いようです。
■為政者とイエス様の国
今回は、ピラトの裁判の前半部分ですが、次回では、ピラトがイエス様に「無罪」を告知したにもかかわらず、ユダヤ人の指導者たちの強硬な主張に押し切られて、ついにイエス様に十字架刑を宣告することになります。ここで、イエス様とピラトのほかに「ユダヤ人」が出てきます。しかも、これまでしばしば見てきたように、ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」と「この世」とが重なり、この勢力はさらに「この世の支配者」であるサタン/悪魔ともつながっています。「ユダヤ人」と「この世」、これとピラトとの関係は、裁判の後半部で考察しますが、為政者としてのピラトと「ユダヤ人」とについて、少し触れたいと思います。ここで言う「ユダヤ人」とは、大祭司たちを頂点とするユダヤの指導者たちのことで、彼らがエルサレムの神殿制度を支配していた勢力でした。当時のユダヤが、ヘレニズム世界の諸民族に比べて、宗教色の強い祭政一致の国であったことを思えば、ここでは「宗教」と「政治・社会」とを区別して考えることができません。「当時の」と言いましたが、実は現代でも、「宗教」と「政治」は、わたしたちが一般に考えているほど分離してはいません。
ピラトは、イエス様とその一味が、この世的な政治革命を目指しているのではないことを察知します。にもかかわらず、ユダヤ人たちは、イエス様の一味が「悪いことをしている」と告発します。この告発を前にして、ピラトは、どのように振舞い、どう判断すべきでしょうか? 先の世界戦争でのナチスの出来事は、今回のピラトの解釈にも影響を及ぼしています。ナチス政権下では、告発する側(キリスト教)とされる側(ユダヤ人たち)と、その立場が今回とはちょうど逆になります。
21世紀の「現在のピラト」は、国家権力を代表する為政者として、安易な「中立」を保つことが、できもしないし、またしようとしてはならない、という見解があります。「この世」の力に逆らっても、この世からの(ユダヤ人への?/からの?)告発を拒否しないならば、結局は世の力に巻き込まれ、これに支配されてしまう。だから、「ヨハネ福音書のイエスは、国権が、真理に対して中立にとどまることができないことをピラトに示そうとしている。この場合、中立とは、国権をして、正義の最も基本的な問題さえもその場しのぎの便法に帰すことであり、その結果(中立は)、国家の真の利益に反する行為になるからである」〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕という見方があります。これによれば、ピラトは、イエス様に与(くみ)して「この世」を拒否すべきであったことになります。
これに対して、イエス様に対する「ユダヤ人」からの告発について、この場のピラトに求められるのは、先ず何よりも「中立性」であるという見方があります。ブルトマンは、ピラトが「国家が処理すべき理由があるかどうかを良心的に審査している限り、彼はまだ出来事に即して(適切に)対応している」と見ています。「イエスは、国家権力の代表者(ピラト)が承認することができない政治的な称号を要求しているのか?」ということがここで問われていますから、ブルトマンは、「現代の」ピラトが、イエス様の啓示を<受け容れる>ことについても、限定を設けています。「国家は、国家である限り、その(国家の)代表者(ピラト)が、(イエスの)啓示が求めることを承認する場合でさえも、決してそれ以上のことをすることはできない。なぜなら国家が世に対して国家的な手段によってイエスの『王国』の承認を強制しようとすれば、彼はイエスの国を誤解ないし否定して、この世的な『王国』にしてしまうからである」〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕というのがその理由です。
ブルトマンの『ヨハネの福音書』は、1937〜41年に出ました。だから、ナチス政権下の第二次世界大戦中のことです。おそらくブルトマンのこのような解釈には、当時のヒットラー政権の「キリスト教的な」反ユダヤ主義への警戒がこめられていると思われます。わたしの見るところ、英米では、ピラトはここで、イエス様の説く真理を受け容れることによって「この世」(「ユダヤ人」の求め)を拒否すべきであると解釈する傾向があるのに対して、ドイツ系の学者は、為政者としてのピラトは、「この世に」(「ユダヤ人」の求めに)逆らっても、イエスとこの世との間で「中立を堅持すべき」だという解釈に傾いているようです。
クリスチャンにとって「キリスト教的な政権」が望ましいという見方は十分理解できます。しかし、ここでのピラトの立場が提示する問題は、それほど単純ではありません。わたしに言わせるなら、現在の日本国憲法の定めるとおり、事宗教に関する限りは、国家と国権は、どの宗教からも厳正に中立を保つほうが、「最善ではないまでも、それ以外にない道」"not the best, but the only way" ではないかと思われます。
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