73章 十字架にかけられる
                      19章16〜27節
■19章
16そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。
17イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
18そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
19ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
20イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
21ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。
22しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
23兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
24そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。                       
                   【注釈】

                                   【講話】
■自ら十字架を担う
 19章17節には、イエス様が「自ら十字架を背負われた」とあります。しかし、共観福音書では、シモンという人が、途中から、イエス様に代わって担いだことになっています。おそらく、イエス様は鞭打ちのために体力が弱っていて、刑場まで横木を担ぐ体力がなかったのでしょう。このことから、イエス様は「十字架を背負う覚悟を途中で失った」という噂が流れたのでしょうか。ヨハネ福音書の作者は、この噂を打ち消すために「自ら十字架を背負い」を入れたという説があります。もっともらしく聞こえますが、これでは、ここでヨハネ福音書が言う「自ら十字架を背負う」の意味を言い尽くしているとは言えません。この解釈は、ヨハネ福音書の作者が、シモンの出来事を知っていたことを前提にしています。この前提は正しいでしょう。その上で、作者は、最後まで十字架を背負いきれなかったイエス様を弁護するために、意図的にシモンの出来事をはずして、「自ら十字架を担う」と記したことになります。これはこれでひとつの説明ですが、ここで、ヨハネ福音書のこの一句に共観福音書のシモンの出来事を重ね合わせると、そこには、単なる「弁護説」では済まないさらに奥深いヨハネ福音書の真意が見えてきます。
 キレネ人の出来事は、イエス様の肉体が、その限界に達したことを証しするものです。しかし、このような肉体の限界と同時に、ヨハネ福音書の「自ら進んで」は、最後まで十字架を背負い抜こうとされたイエス様の意志とこれを支える霊性を言い表わそうとしています。ヨハネ福音書は、いわば共観福音書が<外から>見ている出来事を、イエス様の内面から見ようとしているのです。だから、共観福音書とヨハネ福音書とを重ね合わせると、ヨハネ福音書が言う「自ら進んで十字架を担う」は、イエス様の十字架が、肉体的な苦痛だけにあるのでは<ない>ことを告げています。厳しい鞭打ちと非難の中で、弱り果てたイエス様のお心とお体を支え続けている力がいったいなんなのか? これを、ヨハネ福音書は「自ら十字架を担う」と、イエス様の霊性を証ししているのです。体力の限界からシモンに助けられたにもかかわらず、人間の肉体的な力を超える神様の御霊の働きによってかろうじて支えられているイエス様のお姿を、「自ら進んで」と言い表わしているのです。だから、イエス様の肉体が弱って十字架を担うことができなくなったから、「彼は十字架を担ぐ意志を失った」と非難する声があったとすれば、それは出来事の外側しか見えない無知による侮辱であって、これもまたイエス様への「もう一つの」十字架です。
■罪状書き
 共観福音書では、十字架上のイエス様に向かって「イスラエルの王、今すぐ十字架から降りてみろ」(マルコ15章32節)、「神の御心なら、今すぐ救ってもらえ」(マタイ27章43節)などと人々が嘲りののしる場面がでてきます。ところが、ヨハネ福音書の受難物語には、そのような嘲りもののしりもでてきません。ただし、前回見たように、ヨハネ福音書では、十字架にかけられるまでに、鞭打ちの出来事(X)を中心にして、その前後の出来事が独特の交差法(A B C X C’B’A’)で構成されています。これによって、イエス様への侮辱そのものが、身体的な苦痛以上に強く印象づけられるのです。さりげない方法ですが、いかにもヨハネ福音書らしい語り方です。
 マルコ福音書の罪状書きは「ユダヤ人の王」だけですが、ヨハネ福音書のほうには、これに「ナザレのイエス」が加えられています。「ナザレのイエス」には、軽蔑の意味もこめられていますが、これはイエス様が、紀元1世紀のガリラヤのナザレ出身であることを明示するもので、人類の歴史のある特定の時点で「言葉が肉体(人間)となった」(1章14節)ことと結びつけられているのです。私も在世中のイエス様を「ナザレのイエス様」と呼んでいますが、それは、ここでヨハネ福音書が意図していることと全く同じです。
 罪状書きでは「ナザレのイエス」に「ユダヤ人の王」が続きますから、人々は、「ナザレのイエス」に続く後半部を見て、この男が「ユダヤ人の王」なのか、と嘲ったのです。「十字架から降りて、自分を救え」とののしったのです。もしも、ここでイエス様が十字架から降りたとすれば、御復活も人類の救いもなかったでしょう。この十字架の裏には、驚くべき神の御手が隠されていたのですから。共観福音書は、これを知らずにののしる人たちの霊的な盲目と、これに耐えるイエス様との間に潜む恐ろしいまでの亀裂と矛盾を暴(あば)いています。
 ヨハネ福音書では、共観福音書の嘲りの代わりに、ユダヤの指導者たちが、ピラトに罪状書きの書き換えを要請したとあります。彼らは、「ユダヤ人の王」ではなく「ユダヤ人の王だと<自称した>」と書き換えるようピラトに申し入れたのです。十字架上の無力で惨めなガリラヤ出の男が、こともあろうに「ユダヤ人の王」として人々から侮辱されているのを見て、彼らは、侮辱されているのは、この男のほうよりも、むしろ自分たち「ユダヤ人」のほうだと気づいたのでしょう。ピラトの十字架上の罪状書きを見て、十字架されているのは、特定の人物(イエス様)ではなく、むしろ「ユダヤ人の王」そのものであることを察知したのでしょう。これこそ、ピラトがねらった効果だったのですから。
 共観福音書のほうは、イエス様に対する人々の嘲りを描くことで、イエス様が曝(さら)されている屈辱を言わば「誰にでも見える」様(さま)で描いてくれます。これに対して、ヨハネ福音書の書き換え要求は、そのようなあからさまな現実の裏に、ほんとうに嘲られているのは、実は、嘲っているその人たち(ユダヤ人)のほうなのだと気づかせてくれるのです。それにしても、どのような知的エリートでも、「ナザレのイエス」の十字架が、イエス様の復活と人類の救済につながるとは夢にも思わなかったでしょう。この男が、真の意味で「霊的なイスラエルの王=メシア」として、神によって世界に告知されるとは考えも及ばなかったでしょう。この不思議な神の摂理は、事の真相を神によって啓示された後の使徒人たちです。パウロは、この事態を人間の罪業の深さを「逆転させる神からの恩寵」ととらえました。
 三カ国語で書かれたことを伝えているのはヨハネ福音書だけです。パレスチナを含んで、当時のヘレニズムに共通する三つの言語を通して、イエス様が、その受難によって初めて、神の御子として「イスラエルの王」に即位する栄光を与えられることが、ヘレニズム世界全体に告げ知らされているのです。この不思議な告知の仕方は、ユダヤ人の抗議にもかかわらず、期せずしてピラトによって実現しました。ヨハネ福音書は、イエス様の受難の裏に潜む「栄光」をも描き出そうとしているのです。わたしたちは、ヨハネ福音書と共観福音書を重ねることで、外から「見える」現象と、その裏に潜む霊的な真実とが、表裏を成して浮かび上がるのを知るのです。
■母マリアと愛弟子
 イエス様が十字架の上でお語りになった御言葉が、全部で七つ伝えられています。この「十字架七言」を加藤常昭牧師の著作によって順にあげると次の通りです〔加藤常昭著『十字架上の七つの言葉』教文館(2006年)〕。
〔十字架七言〕
(1)父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(ルカ23章34節)。
(2)アーメン。あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23章43節)。
(3)婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です(ヨハネ19章26〜27節)。
(4)わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか(マルコ15章34節)。
(5)渇く(ヨハネ19章28節)。
(6)成し遂げられた(ヨハネ19章30節)。
(7)父よ、わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23章46節)。
 これで見ると、十字架七言は、一つがマルコ福音書(=マタイ福音書)、三つがルカ福音書、三つがヨハネ福音書になっています。ここで採りあげるのは、その中の一つ、イエス様が、その母マリアを愛弟子に託する際の御言葉です。十字架の場面にイエス様の母が、このようにはっきりとでてくるのはヨハネ福音書だけです。不思議なのは、むしろ共観福音書のほうで、イエス様の母がこの場に居合わせたという明確な証言がありません。しかし、ここでは、抜けている理由、でてくる理由を文献的な視点から考察したり、資料的に検討するのが目的ではありません。そうではなく、共観福音書とヨハネ福音書を相互補完的に重ね合わせながら、ヨハネ福音書の証言の意味を読み解こうとするのです。
 マルコ福音書には、「なぜわたしをお見捨てになったのですか」というイエス様の悲痛な叫びが記録されています。これは詩編22篇の預言がイエス様にあって成就したことを語るものです。ルカ福音書では、イエス様が、「父よ、彼らをお赦しください」と敵のために赦しを祈り求めておられます。ルカ福音書は、イエス様の十字架とこれに伴う復活によって、「罪の赦し」が、敵対した人たちをも含む全世界に伝えられることをここでイエス様の口から証ししているのです。
 ヨハネ福音書のここの御言葉は、残されるイエス様の母とイエス様の愛弟子への遺言です。イエス様の母と愛弟子が、十字架の場にいたことは、歴史的な事実に基づくと考えられます。けれども、ヨハネ福音書は、そのような歴史的な事実だけを伝えようとして27節を加えているのではありません。パレスチナでは、男性がその最期にあたって、母を信頼できる家族に託する慣わしがありましたから、イエス様もこれに従ったのでしょう。しかし、この点から見て、「愛弟子」という言い方は、イエス様の親族を指す言葉として適切でありません。ヨハネ福音書の言う「愛弟子」がだれを特定するにせよ、この言葉には、イエス様の理想の弟子の姿が投影されているのは間違いないからです。
 十字架七言では、始めにイエス様は、敵対する人をも含むすべての人たちのために罪の赦しを祈られました。ヨハネ福音書の「母と愛弟子」への御言葉を、ルカ福音書のこの祈りと並行させると、イエス様の遺言の意味がはっきり見えてきます。イエス様は、まず「外の人たち」に向けて語られてから、今度は「内の人たち」へ、すなわち自分の家族をも含む弟子たちへ向けて語られたのです。これ以後イエス様は「人に向かって」お語りになることはありません。
 ヨハネ福音書では、イエス様のすべての御言葉も出来事も、なんらかの霊的な意義を秘めていますから、象徴性を帯びてきます。だから「愛弟子」とは、イエス様との親族関係がある/なしに関わらず、ヨハネ共同体の霊性そのものを指すと考えていいでしょう。したがって、母マリアと愛弟子の結びつきも、単なる養子縁組のことを意味するのではなく、イエス様にあって母と愛弟子(ヨハネ共同体)が「新しい」霊的な関係で結ばれることを言い表わしているのです。わたしたちは、ここで、イエス様の母とイエス様を信じる理想の共同体、すなわちエクレシア(=ヨハネ共同体)との関係をこの節から読み取ることができます。
 だから「母マリア」は、イエス様の親思いだけでなく、イエス様の御霊にあって誕生するエクレシアとも関係づけて解釈することができます。御言葉は、ご自分が地上を去った後への遺言ですが、それは、理想の愛弟子である真のエクレシアにイエス様の「母」が委ねられることを意味します。このように見ると、ヨハネ福音書は、十字架上の御言葉を通じて、エクレシアに委ねられるイエス様の<霊性そのもの>についても証ししているのが分かります。
 現在のトルコにあるエフェソの遺跡には、イエス様の「愛弟子」と呼ばれた使徒ヨハネが、イエス様の母マリアを伴って、迫害を逃れてパレスチナから移住したという伝承が現在でも受け継がれています。後に、エフェソ公会議(431年)で、母マリアが「神の母」として公式に認められて、これが、「エクレシアの象徴」としての「聖母マリア」像の出発になります。ヨハネ福音書のここの御言葉は、この聖母像の起源になったとも言えましょう。
■十字架の側の女性たち
 十字架の場に居合わせた女性たちについて、四福音書の証言は相互に違いますから、四福音書の総合から得られた結論も客観的、歴史的に見て「確か」とは言えません。バレットが言うとおり「特定は易しいが、確認は困難」です。四福音書で十字架の側に居合わせた女たちは、以下の通りです。
マルコ福音書:マグダラのマリア/小ヤコブとヨセの母マリア/サロメ 。
マタイ福音書:マグダラのマリア/ヤコブとヨセフの母マリア/ゼベダイの子らの母。
ルカ福音書:女たち(女たちの名前はない)。
ヨハネ福音書:マグダラのマリア/イエスの母/その姉妹/クロパの妻マリア。(後半の二人を同一人物だと読む説については注釈を参照)。
 マルコ福音書の「小ヤコブとヨセの母マリア」を「小ヤコブの母マリアとヨセの(母)」と読んで、全部で4人の女性がいるという説もありますが、原文の「ヨセの」は、それだけ独立させて読む場合には、その所有格はパレスチナでは通常「ヨセの父」の意味ですから、「小ヤコブとヨセの母マリア」は、一人の女性だと考えられます。イエスの埋葬に際しては「ヨセの母マリア」とあり、復活の際には「ヤコブの母マリア」とありますが、これは同一人物になります。
 「<小>ヤコブ」というのは、十二使徒の一人で、「ゼベダイの子ヤコブ」(<大>ヤコブ)と区別するために<小>ヤコブと呼ばれます。マルコ6章3節にはイエスの兄弟として「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」の名前がでています。もしも、十二使徒の「小ヤコブ」とイエスの兄弟「ヤコブ」が同一なら、「小ヤコブとヨセの母マリア」は、イエスの母マリアのことになります〔Edwards, The Gospel According to Mark. 485-86. 〕〔Tabor, The Jesus Dynasty.78.〕。イエスの兄弟ヤコブは、後に「義人ヤコブ」と呼ばれて、エルサレム教会の指導者になりました。カトリックでは、この義人ヤコブを小ヤコブと同一視する説がありますが、それなら、マルコは「イエスの母マリア」と書くはずですから、マルコ福音書の書き方は不自然だという意見もあります〔フランス『マルコ福音書』664頁〕〔シュヴァイツァー『マルコによる福音書』487頁など〕。これだと、小ヤコブとイエスの兄弟ヤコブを同一視するのは適切とは言えないでしょう。
 マルコ福音書の「サロメ」は、マタイ27章56節では「ゼベダイの子らの母」にあたります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)〕。二人が同一人物なら、十二使徒のゼベダイの息子たちヤコブとヨハネの母の名前は「サロメ」になります〔フランス『マルコ福音書』664頁〕。
 以上をまとめると、マルコ=マタイ福音書では、マグダラのマリア/小ヤコブとヨセ(フ)の母マリア/ゼベダイの息子ヤコブとヨハネの母サロメの三人の女性たちがいたことになります。
 ヨハネ福音書の四人の女性たちと共観福音書の女性たちとを対応させると、先ず、マグダラのマリアは四福音書に共通します。だから、共観福音書の「小ヤコブとヨセ(フ)の母マリア」と「ゼベダイの息子ヤコブとヨハネの母サロメ」の二人が、ヨハネ福音書の「イエスの母」と「その姉妹」と「クロパの妻マリア」との対応関係において問題になります。
 「イエスの母」はヨハネ福音書だけです。ここで、ヨハネ福音書のイエスの母の姉妹=ゼベダイの息子ヤコブとヨハネの母サロメだとし、マルコ福音書の小ヤコブとヨセの母マリア=クロパの妻マリアだと想定すれば、共観福音書とヨハネ福音書との3人が調和します〔The Jerome Biblical Commentary. John:19,25. Electronic edition.〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)906頁〕。この場合、サロメとイエスの母とが姉妹になりますから、使徒ヤコブと使徒ヨハネは、イエスと従兄弟同士になります。さらに、古代からの伝承の通り、ヨハネ福音書の言う「主の愛弟子」が使徒ヨハネのことだとすれば、「愛弟子」はイエスの従兄弟になりますから、彼に母を託すのはごく自然に理解できます。この特定はカトリック教会で伝統的に行なわれてきました。
 ただし、この組み合わせでは、「小ヤコブとヨセの母マリア=クロパの妻マリア」という同定に問題があります。なぜなら、小ヤコブは「アルファイの子ヤコブ」(マルコ3章18節)とあって、小ヤコブの父はアルファイで、クロバではないからです。ただし、「アルファイ」のアラム語は「ハルファイ/ハロファイ」で、「ハ」は「カ」とも置き換えられますから、この名前が、ギリシア語による伝承の途中で「クロパ/クロエパ」に転じた可能性があります〔The Catholic Encyclopedia. "Cleophas."〕。そうだとすれば、「アルファイ」と「クロパ」は同一人物ですから、カトリックの伝承は正しいことになります。
 以上を整理すると、十字架の近くにいた女性たちは、「マグダラのマリア」と「イエスの母」と「クロパの娘で、小ヤコブとヨセ(フ)の母であるマリア」と「イエスの母マリアの姉妹で、ゼベダイの息子ヤコブとヨハネの母サロメ」、これら4人の女性たちで、彼女たちが、イエスの最期を見守ったことになります。ただし、「小ヤコブとヨセの母マリア=クロパの妻マリア」という同定については、カトリックとプロテスタントの間に意見の溝がありますので、総合しますと、イエス様の十字架の場には、少なくとも4人から5人の女性たちが居合わせたことになります。共観福音書では3名ですが、ヨハネ福音書を重ねますと、これにイエス様の母とその(義理の)姉妹とが加わることになります。だから、十字架上のイエス様の死を最期まで見守った女性たちがいたこと、彼女たちが、イエス様の女弟子であり、イエス様の母であり、イエス様の親族の母であり、弟子たち(使徒たち)の母であったことが、四福音書の証言から分かります。
■縫い目のない下着
 イエス様の下着に「縫い目がなかった」と証言しているのは、ヨハネ福音書だけです。マルコ福音書には、イエス様の死に際して、「神殿の垂れ幕が二つに裂けた」と証言されています。この垂れ幕は、聖所と至聖所とを隔てる1枚の大きな縫い目のない垂れ幕のことだと言われています。人が犠牲を献げる場所と神御自身が御臨在する場所とは、この幕で隔てられることで象徴されていました。
 ヨハネ福音書が証言する「縫い目のないイエス様の下着」は、マルコ福音書のこの証言と並行させて解釈することができます。「縫い目がない」とは、イエス様の衣を通じて、神と人とが「一つながり」になったことを象徴すると解釈できるからです。イエス様ご自身が、十字架上で、神への犠牲の献げものとして、贖いの小羊となることによって、人が献げる犠牲はもはや不要となり、イエス様の死を通して「隔て」が取り除かれ、神と人が霊的に交わる道が開かれたことを象徴する出来事だと見ることができます(エフェソ2章11〜18節/ヘブライ9章6〜14節を参照)。
 さらに言えば、マルコ福音書は、それまで神と人とを隔てていた「神殿の垂れ幕」が、イエス様の死によってその意味を失ったことは証ししています。この解釈は、ヨハネ共同体の時代では、エルサレムの「神殿そのもの」が失われたことと重なります。ヨハネ福音書は、イエス様こそが、その「失われた神殿」を新たに建て直して、神と人とが「霊と真(まこと)を持って」交わる道を開いてくださったと証しするのです。ヨハネ福音書は、「このこと」をイエス様のからだを覆う「縫い目のない下着」で言い表わしているのです。だから、ここは2章19節のイエス様の御言葉に通じています。
 ここで大切なのは、イエス様の「衣服分け」が、詩編22篇19節「彼らはわたしの着物を分け/衣を取ろうとくじを引く」という預言を踏まえていることです。ここで確認しておきたいことがあります。それは、イエス様御自身がこの22篇の預言を信じておられたことです。詩編22篇が来るべきメシア預言であるという伝承は、旧約の時代からイエス様の時代まで受け継がれていました。この伝承をイエス様自身が信じていたこと、さらに、22篇のメシア伝承が最初期のキリスト教徒たちによって受け継がれ、四福音書の作者たちもまた、イエス様の信仰を受け継いで「この預言」が成就したと信じていたこと、このことが大事なのです。旧約聖書と、イエス様御自身と、イエス様の復活を信じた初期のエクレシアからの伝承と、これらを編集し書き残した福音書記者たち、これら四つの段階が継承関係で結ばれることによって初めて、ナザレのイエス様が、今もなお、御霊にあって御臨在してくださることが分かるのです。
■聖書が実現するため
 だから、預言の成就が、聖書解釈においてきわめて重要な意味を持つことが分かります。イエス様の出来事の意味を四福音書からだけでなく、さらに旧約聖書の預言とも関連づけて読み解こうとする方法は、「タイポロジー的」("typological")な解釈法と呼ばれています。今回の19章24節に「聖書が実現するためであった」とあります。わたしたちは、今この証言の意味を正しく理解することができます。ヨハネ福音書は、衣服分けや縫い目のことだけを指して「聖書が実現する」と言っているのではありません。イエス様の十字架の出来事全体を指して「聖書が実現するためである」と証言しているのです。これは、旧約で語られた神の御言葉が、イエス様にあって成就したという意味です。
 聖書の歴史観は「預言成就の歴史」です。新約聖書は旧約預言の成就によって成り立っています。先ず神の御言葉が語られる。その言葉が成就する。そこに生じるのが「聖なる歴史」です。「語られた神の御言葉が、イエス様にあって成就した」、このことに気づく人が初めて、聖書を通してこの啓示に与ることができるのです。
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