77章 マグダラのマリアへの顕現
                 20章11〜18節
■20章
11マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
12イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。         
13天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
14こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
15イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
16イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。          
17イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
18マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
                   【講話】
                   【注釈】
■復活顕現
 最初にイエス様の空の墓を発見して、そのことを弟子たちに伝えたのは、ほんらいの伝承では複数の女性たちだったと考えられます。ヨハネ福音書は、あえてマグダラのマリア一人に絞って、彼女を通して空の墓を伝えています。それも、復活したイエス様の姿を最初に体験した女性として劇的に描いています。マグダラのマリアをこのように詳しく伝えているのはここだけですから、今回の箇所は注目に値します。
 マリアは、弟子たちと一緒に再び墓を訪れました。おそらく、イエス様の死を悼み悲しむためでしょう。彼女への天使の言葉「なぜ泣いているのか」が、イエス様の語りかけでも繰り返されますが、これが悲しみから喜びへ変わる転機になります(16章20節)。ヨハネ福音書は、イエス様を心から愛するすべての信仰者への顕現のモデルとしてマグダラのマリアへの顕現を描いているのです。
 彼女は、イエス様に言葉をかけられても、イエス様だとは気づきません。ルカ24章でも、エマオへの途上の弟子たちにイエス様が顕現します。二人の弟子は、イエス様と共に歩いているのに、しばらくの間、それがイエス様であることに気がつかず、夕食のパンを裂く時に、初めてそれと分かるのです(ルカ24章30〜31節)。ティベリアス(ガリラヤ)湖岸でのイエス様の顕現では(21章)、愛弟子に言われるまで、ペトロはイエス様であることに気づいていません。
 これで見ると、復活後のイエス様は、生前のイエス様と「異なる姿」(マルコ16章12節)であることが分かります。パレスチナのユダヤ教では復活が身体の変容を伴うことは自明のことでしたから〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕、顕現に接しても、はたしてイエス様がどうか、なお疑う人たちがいたのです(マタイ28章17節/ルカ24章37〜38節)。したがって、復活のイエス様を「ただ目にしただけでは」、イエス様だと必ずしも見分けられなかった。パウロも、クリスチャンの新しい「からだ」を肉体と対照させて「霊のからだ」と呼んでいます(第一コリント15章46節)。今回の20章でも、マグダラのマリアは、名前を呼ばれて初めてイエス様だと気づきます。羊は自分の羊飼いの声を聞き分けるのです(10章3節)。
 マリアは、イエス様を観て「先生!」と呼びかけ、イエス様にすがりついた、あるいはすがりつこうとしました(ここは「触れようとした」と読むこともできます)。どちらにせよ、マリアは、見失ったイエス様を二度と手放すまいと必死だったのです。彼女は生前のイエス様をもう一度取り戻そうとしたのです。彼女のこの想いはイエス様によって変えられます。御復活以後は、イエス様と弟子たちとの関係が、生前のそれとは異なる次元へ転移するからです。マグダラのマリアのように、イエス様の復活は、これを体験はできますが、それが、生前のイエス様御自身を体験するのとは同じでないことを知る必要があります。復活のイエス様は、どこまでも<間接的に>しか体験できません。御臨在は、イエス様のほうから語りかけられて初めて、「目が啓かれ」「耳が開かれる」のです。復活のイエス様に出会うことは、だれでもできることであり、だれでもができるとは限らないのです(6章61〜64節を参照)。
 イエス様は、弟子たちへの重要な伝言をマリアに委託しますが、このことは、二人の間が「師」と「弟子」の関係であることを意味します。女性がこの役目を委託されるのは、1世紀のパレスチナでは希です〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)〕。弟子たちが、彼女の知らせを疑った理由の一つは、告知が女性によるものだったからでしょうか(ルカ24章11節)。マグダラのマリアが復活の最初の証人であるという伝承は、原初教会にさかのぼるもので、聖霊降臨直後の諸教会では、御霊が男女の差を超えて活発に働いていたことをこの伝承は証ししています(ガラテヤ3章28節参照)。
 ところで、ここでのマグダラのマリアへの顕現と、使徒言行録で伝えられている40日間にわたる顕現とは、どちらもイエス様の昇天以前のことでしょうか? マグダラのマリアへの顕現は昇天以前で、使徒言行録での40日間の顕現は昇天以後だと区別する見方もあります。
■象徴としてのマグダラのマリア
 マグダラのマリアに限らず、新約聖書の女性に関する伝承には特別の配慮が必要です。イエス様に始まる聖霊運動では、女性たちの活発な働きがあったと考えられます。女性たちの目覚ましい働きは御復活以後も継続していて、この点で、パレスチナのユダヤ教の男性優位とは際立った対照をなしています。しかし、すでにパウロの頃から、教会での女性の霊的な発露に対して一定の抑制が加えられ始めて、この傾向は、教会が組織的に制度化されるにつれていっそう顕著になります。したがって、女性に関する伝承が、文献的に見れば後期のものだからと言って、伝承それ自体が後からできたと考えることはできません。ヨハネ福音書で、マグダラのマリアがイエス様の御復活顕現の<最初の>証人となっていることも、この点から判断する必要があります。
 ヨハネ福音書では、4章でサマリアの女が登場して、イエス様との出会いを通じて、サマリアの町に救いを伝える最初の証人になります。この記事は、ヨハネ共同体にサマリアからの改宗者たちが加わっていたことを証しするものでしょう。同様に、11章で、ベタニアのマルタが、ラザロの死と復活についてイエス様と語り合いますが、彼女がヨハネ共同体の復活信仰を代弁していることはすでに見た通りです。彼女の妹マリアが、イエス様に香油を塗った行為も、イエス様の十字架に油注ぎのメシアの栄光を見ていたヨハネ共同体の信仰を表わすものです。ここ20章で、マグダラのマリアが復活のイエス様の顕現に最初に接したことも、彼女がヨハネ共同体の復活体験を象徴的に担っていることを表わします。「わたしたち」(20章2節)とありますから、ほんらいの伝承では、女性は複数いたことが分かりますが、ヨハネ福音書は、これを意図的に個人化することで、彼女をヨハネ共同体の代表として象徴的に描いているのです。
 マグダラのマリアは、復活したイエス様を「しっかり掴んでいる」様子さえうかがわれます。だとすれば、彼女は、おそらく生前イエス様と共にいた時と同じように、これからも地上でのイエス様を「手放すまい」としたのでしょう。彼女は大きな誤解をしています。イエス様が昇天を遂げるまでは、十字架の贖いの結果として与えられるパラクレートス(聖霊)が彼女にも弟子たちにも降らないからです。復活以後のイエス様は「地上のイエス様」と同じであって同じではありません。地上のイエス様は「まだ栄光を受けておられない」(7章39節)からです。いわゆる「史的イエス」の探求が、新約聖書の伝えるイエス・キリストにたどり着くことができないのもこの理由からでしょう。
 ヨハネ福音書の「昇天」は、イエス様が神の座へ高挙され栄光を受けることを<空間的に>表現していますが、この栄光化は、十字架で「すでに」始まっています。共観福音書では、イエス様がご自分の復活について幾度か預言しておられますが、ヨハネ福音書では、ご自分が「あげられる」という言い方で、十字架と復活と昇天全体が預言されるのです。「あげる」「立ち上がらせる」は、ヘブライ語では「復興する」「再建する」ことから、さらに「よみがえらせる」「復活させる」ことをも意味します。
 雅歌3章1〜4節には、「慕い求める人」を朝早く起きて探し求めても得られず、夜警に尋ねても分からず、そのすぐ後でその人を「見つけた」とあります。雅歌の女性はヤハウェを慕い求めるイスラエルの民を象徴しますが、今回のマグダラのマリアもイエス様を慕い求めるクリスチャンを象徴するのでしょう。ルカ福音書のエマオ途上でのパン裂きの場面とヨハネ福音書のここの場面を併せると、御復活以後のクリスチャン共同体にイエス・キリストが顕現する様子が浮かび上がってきます。
■ソフィアのマリア
 共観福音書において女性が目覚ましい働きをする箇所は多くはなく、それだけに、ルカ8章1〜3節は、女性たちがイエス様の伝道活動において積極的な貢献をしたことが記録されている貴重な箇所です。マタイ福音書とルカ福音書でのイエス様の誕生物語を除くなら、共観福音書は、イエス様の母マリアのことをほとんど語っていません。マルコ福音書では、十字架の際に立ち合う女性たちの中に「小ヤコブとヨセの母マリア」がでてきます。もしも、このマリアがイエス様の母マリアだとすれば(マルコ6章3節参照)、マルコは彼女をほとんど匿名に近い形で登場させていることになります。このことからも、ヨハネ福音書でのベタニアのマルタとマリア、それにマグダラのマリアの登場がいかに特異であるかが分かります。新約聖書の女性の扱い方から見れば、今回のマグダラのマリアが、ヨハネ共同体の信仰を代弁しながら、しかも女性特有の性格をはっきりと表現しているのは驚きに値します。
 サマリアの女(4章)、姦淫の女(8章)、ベタニアのマルタとマリア(11章)、そして20章のマグダラのマリア、これら一連の女性たちは、それぞれが個人として登場しながら、ヨハネ福音書に流れる女性原理を証しするのです。彼女たちは、ヨハネ福音書の主役であるロゴスのイエス様への脇役として、イエス様の霊性に潜む「もうひとつの」側面を映し出すのです。それは、イエス様に体現される男性原理に伴う女性原理であり、「ロゴス」(男性名詞「ことば/理性」)に伴う「ソフィア}(女性名詞の「知恵」)の存在です。
 「ソフィア」としての知恵思想は、共観福音書のイエス様の教えにも、パウロ書簡にも(第一コリント人への手紙)、パウロ系の書簡(コロサイ人への手紙/エフェソ人への手紙)にも表わされていますから、ヨハネ福音書に限られるわけではありません。しかし、ヨハネ福音書のように、具体的な人物像としてソフィアが体現されているのは新約聖書でも特異な例です。この福音書には、イエス様在世当時に発する「新たに創造された」女性的霊性が、そのまま受け継がれているのでしょう。
■ソフィアとロゴス
 ソフィア(知恵)思想それ自体も旧約時代の箴言/ヨブ記/コヘレトの言葉/知恵の書などにさかのぼるもので、その源は遠く古代エジプト、あるいは古代メソポタミアに発すると考えられます。前3世紀以後のギリシア系王朝によるパレスチナ支配時代に、ヘレニズムの影響を受けて、男性原理を象徴する「ロゴス」と女性原理を象徴する「ソフィア」との対立を調和させるはからいが試みられました。両者の関係は、それ以後も、キリスト教とプラトニズムとの関係を通じて欧米の思想に大きな課題を提供しています。
 フラ・アンジェリコ(1387?〜1455年)は、ルネサンス期を代表する最も清純な霊性に生きた修道士であり、画家として知られています。彼の作品は、フィレンツェのサン・マルコ修道院の2階の修道士たちの部屋に壁画として今も遺されていますが、そのひとつに、復活のイエス様とマグダラのマリアとの出会いを描いた有名な壁画があります。サン・マルコ美術館の館長が、フラ・アンジェリコの絵はどれもすばらしいが、いつ見ても感動するのは「復活のイエス様とマグダラのマリア」の壁画であると言っています。マリアの鮮やかなオレンジ色の衣とイエス様の純白な衣と周囲の景色、これら全体を包む輝くような空気がすばらしいと言うのです。フラ・アンジェリコは、ドミニコ会の教義を忠実に表現したと言われますが、この絵には、ソフィアとロゴスの出会いが描かれています。イエス様の手とマリアの手とが、触れ合うことなく呼応しているのは、「わたしに触れるな」とあるとおり、復活したイエス様がまだ昇天しておらず、このために、聖霊がまだ降臨していないことを示しています。聖霊の降臨によって初めて、ソフィアのマグダラのマリアとロゴスのイエス様の手とが結ばれることを示唆するのでしょう。
■マグダラのマリアとグノーシス
 ヨハネ福音書に見られる女性原理は、2世紀以降のキリスト教会の主流において、さらに制約を受けることになり、2世紀末には、女性は教会の指導層から姿を消すことになります。「正統派」と言われるキリスト教の教会が、女性の活動にこのような制約を加えたその背景には、女性の働きを比較的自由に認め、女性の預言者たちの働きを活かそうとしたグノーシス系の宗団の存在があります。「グノーシス」運動は、2世紀の初め頃から活発になり、2世紀の半ば頃から「正統派」と呼ばれる教会を脅かすほどに成長しました。グノーシス系の宗団とその思想は、これを批判し反駁した正統派のエイレナイオスの著作『異端反駁』などを通じて知るのみでしたが、20世紀半ばに(1945年)、エジプトで「ナグ・ハマディ文書群」が発見されてから、ようやくその全貌が明らかになってきました。
 グノーシス的な思想を表わすキリスト教の文書としては、『トマス福音書』があります。この福音書はすでに3世紀の教父たちの著作からその存在が知られていましたが、ナグ・ハマディ文書群にも含まれています。『トマス福音書』は、ほんらいシリア語で書かれたもので、その場所はシリアのエデッサで(現在のトルコの東南でシリアとの国境に近いシャンル・ウルファの近く)、時期は2世紀半ばと考えられます〔荒井献訳「トマスによる福音書」ナグ・ハマディ文書(2)『福音書』岩波書店(1998年)〕。これがギリシア語に訳され、ギリシア語からエジプトのコプト語に訳され、そのコプト語版がナグ・ハマディ文書に含まれていたのです。
 『トマス福音書』(114)の最後の結びで、ペトロはイエス様の弟子たちに言います。「マリハム(マグダラのマリア)はわたしたちのもとから去ったほうがよい。女は命に値しないからである。」するとイエス様がこれに答えて言います。「見よ、わたしは彼女を(天の王国へ)導くであろう。わたしが彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る活ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから。」 ここでイエス様がマグダラのマリアを「男性にする」と言うのは、彼女が女性であることを止めて男性に性転換することではありません。グノーシス思想では、男と女が一つになり、男が男でなくなり、女が女でなくなる時に初めて、完全な「合体」が成就すると考えるからです。世界が「男性」と「女性」とに「分裂する」以前には、「単一」なる完全が存在したという思想がここにあります。
 マグダラのマリアによって象徴される女性的ソフィアは、『フィリポ福音書』(2世紀後半以降にギリシア語で書かれコプト語に訳された)にもでてきます。そこには、「不妊の女と呼ばれるソフィアは天使たちの母である。そしてキリストの同伴者はマグダラのマリアである」とあり〔大貫隆訳「フィリポ福音書」55a。ナグ・ハマディ文書(2)『福音書』〕、続いて、「主はマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。そして彼(主)は彼女の口にしばしば接吻した。他の弟子たちは彼がマリアを愛しているのを見た」ともあります(同55bの前半まで。訳文の[ ]は略してあります)。
 『トマス福音書』や『フィリポ福音書』に登場するマグダラのマリア像には、ヨハネ福音書のマグダラのマリア像が前提されていると見ることができます〔荒井献『新約聖書とグノーシス』〕。ただし、これらの福音書は2世紀後半以降に書かれたものですから、そこに表われたグノーシス思想を90年代のヨハネ福音書にさかのぼらせて、ヨハネ福音書のマグダラのマリアをグノーシス的だと見なすのは正しくありませんから注意してください。実は、20世紀末までは、ヨハネ福音書をグノーシス思想と関連づけようとする見方が強かったのですが、これは、グノーシス文書を逆にヨハネ福音書にさかのぼらせて投影することから生じた誤解です。新約聖書にソフィア(知恵)思想が流れていることと、ソフィアが後にグノーシス的な傾向を帯びるにいたったこととは区別しなければなりません。
■「罪の女」マグダラのマリア
 キリスト教の原初の段階では、イエス様の在世時を含めて、女性の活発な働きが認められました。しかし、2世紀後半の正統派の教父エイレナイオスは、グノーシス的な宗派で女性が聖餐式を行なうのを認めていると非難しています。2世紀に起こったモンタヌス運動の指導者モンタヌスも同じ非難を受けました。この結果、200年頃から、正統派のキリスト教会では、女性の預言者は存在しなくなります。このような事態の遠因は、先にあげたパウロの勧告にさかのぼるようです。
 ギリシアやアジアでは<大いなる母>がまだ健在で、エジプトではイシス女神が崇められていましたが、2世紀の終わりまでに、グノーシスへの弾圧に呼応して、キリスト教会では、女性の活躍が認められなくなります。しかし、イエス様が女性を他の弟子よりも愛したと『フィリポ福音書』が伝えるように、女性蔑視は、キリスト教の本質に根ざしたものではなく、教会制度が確立する2世紀末の教会行政によると見ることができます。ただし、キリスト教会とグノーシス派が、一様に女性差別に賛成あるいは反対だったのではありません。エジプトのアレクサンドリアでは、フィロンもクレメンスも、女性原理に肯定的でした。
 マグダラのマリアに関して言えば、彼女は、おそらくイエス様の高弟だったと思われますが、イエス様の足に香油を塗った「罪深い女」(ルカ7章37〜38節)やベタニアのマリア(ヨハネ12章3〜5節=ルカ10章39節)、また「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」(ルカ8章2節)と、これに今回の20章のマグダラのマリアとが、同一視されるようになります。こうして、イエス様の復活の最初の証人となった彼女が、「罪深い女」として娼婦にされてしまったのです。マグダラのマリアを最終的に娼婦に仕立て上げたのは、法王グレゴリウス1世の時(591年)のことですが、現在のカトリック教会ではこのようなマグダラのマリア観を認めていません。
■聖母マリア
 マグダラのマリアが娼婦に貶(おとし)められるのとは対照的に、イエス様の母マリアが崇められるようになります〔エリザベート・モルトマン=ヴェンデル「マリアかマグダレーナか―─母性か友情か」『マリアとは誰だったのか――その今日的意味』E・モルトマン=ヴェンデル/H・キュング/J・モルトマン編/内藤道雄訳。新教出版社(1993年)〕。
 イエス様の誕生物語と幼少期の記事を除くと、共観福音書での母マリアは、「イエス様の肉親」としてイエス様の「霊の兄弟姉妹」と比較対照されています(マルコ3章31〜35節/マタイ12章46〜50節/ルカ8章19〜21節)。さらに共観福音書では、母マリアは十字架の場面でさえも、その姿をはっきりとは見せません。この場面で、女性としてのマグダラのマリアと並んで、母マリアが登場するのはヨハネ福音書のみです。十字架の場で、彼女は、ヨハネ共同体を代表するイエス様の愛弟子の母として「エクレシアの母」になります(19章26〜27節)。こうして、マタイ福音書とルカ福音書の処女降誕物語とヨハネ福音書のロゴスの受肉は、2世紀以降のキリスト教神学に大きな影響を与えることになり、母マリアは、イエス・キリストをこの世にもたらした女性として崇められるようになります。
 アレイオス(256頃〜336年)は、父なる神とその子キリストとを区別して子を父の下位においたために、ニカイア公会議(325年)で異端だと宣告されました。しかし実際は、アレイオスも父と子とが「同質」の存在であることを認めています。違いは、御子キリストがこの世に誕生する以前には存在しなかったと唱えたことです。
 問題はこれで終わりませんでした。イエス・キリストと母マリアとの関係をめぐって、コンスタンティノポリスの総主教ネストリオス(381頃〜481年頃)とエジプトのアレクサンドリアの主教キュリロス(370/80〜444年)との間で論争が起こり、エフェソ公会議(431年)でネストリオスが異端とされました。当時のコンスタンティノポリスでは、母マリアは、「神の母」(テオトコス)なのか? 「人間の母」(アントロポトコス)なのか? をめぐって論争がなされていました。ネストリオスは、両方の和解を図って、「キリストの母」(クリストトコス)を提案したのです。ところが、アレクサンドリアの主教キュリロスがこれに異を唱えました。
 ネストリオスは、この論議において、キリストの十字架と復活、すなわちその救いの業よりも、むしろ純粋に「キリストの誕生」に限ってこの問題を観ていたようです。すでにニカイア公会議で、キリストは、人間性と神性との二つの本性を兼ね具えながら、二つの本性は結合したままの状態で、神であるロゴスの受肉が行なわれたと定められていました。だから、神は、み言であるロゴスを地上に「キリスト」として遣わすために、言わばマリアの胎を利用した(平たく言えば「借り腹」)ことになりましょう。しかし、「二つの本性(神性と人性)はキリストのなかで(受胎以前に)最初から純粋に結合していたとするこの説は、受肉の正しい理解を妨げる」と見なされたのです〔ニコス・ニシオティス「東方教会の正教神学におけるマリア」『マリアとは誰だったのか』〕。
 言うまでもなく、神のロゴスの受肉と受胎は、神の聖霊の働きによるものです。この際に、神の聖霊の働きに人間である母マリアもまた「参与する」のです。神性と人間性とは、人間である母マリアにおいて受肉し受胎されるのであり、母マリアは、この瞬間に「神を世に送り出した」のです。「神は、自らが、マリアつまりテオトーコスの霊に働きかける位格において、人性と完全に統一した神的なロゴスとして、肉を受け取る」〔前掲書〕ことになります。こうして、キリストの降誕によって、神のロゴスは完全な人間存在となることができました。これが、マリアが「神の母」(テオトコス)と呼ばれる所以(ゆえん)です。これを言い換えるなら、神のロゴスがマリアのソフィアとひとつになることで、イエス・キリストがこの世に誕生したことになりましょう。
 このようにして「聖母マリア」への崇拝が、キリスト教会において公認されることになりますが、この聖母像は、先に述べた「エクレシアの母」としてのマリア像と結びついて、「父なる神」に対応する「母なる教会」という教会観を誕生させます。その結果、かつてヨハネ福音書でマグダラのマリアに象徴されていた女性原理は、聖母像を通じて母性原理へと吸収されていくことになります〔エリザベート・モルトマン前掲書〕。
■母なる教会と花嫁の教会
 ここで少し追加しておきたいことがあります。それは、17世紀のイングランドで起きた、イングランド国教会とピューリタンとの間のピューリタン革命でのことです。この革命は、宗教的であると同時に多分に政治的で経済的な側面を有しています。しかし、ピューリタンが国教会制度に反対して、ついにこれを廃止へと追い込む過程の中で、「母なる教会」の隠喩が「花嫁なる教会」へと転換されることになりました。
 「母」と「花嫁」の隠喩は、どちらも終末の教会への隠喩としてヨハネ黙示録に現われます(ヨハネ黙示録12章1〜6節/同19章5〜8節)。この二つは、ヨハネ福音書でも、イエス様の母マリアとイエス様の弟子マグダラのマリアとして現われます。神の母(テオトコス)における神と人間との共同の働きとして、神性を帯びたイエス・キリストがこの世に誕生し、その救いの業の結果として、エクレシアが誕生したとすれば、神の聖霊の働きにあって、父性と母性、神と人間、ロゴスとソフィア、男性原理と女性原理が相互に協力し合う営みが可能ではないか? このような見通しが今後のキリスト教の歩みにおいて期待されていると言えましょう。
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