【注釈】
■ヘロデの前で
マルコ福音書にもマタイ福音書にも、ルカによる今回の出来事への記事がありません。マルコ福音書では
(1)イエスが、最高法院とピラトとから尋問を受けますが、最高法院もピラトもイエスを有罪にする決定的な証拠を見いだすことができません(マルコ14章55節/同15章9~10節)。
(2)イエスは、大事なところで沈黙します(マルコ14章61節/同15章4~5節)。
(3)具体的な(死刑の)判決の前に、ピラトは、(イエス無実への)心情を伝えます(マルコ15章12節と14節)。
(4)紫の衣や茨の冠や葦の棒などによる、ローマ兵によるイエスへの侮辱行為の場面が出てきます(マルコ15章17~18節)。
ルカでは、衣は、ヘロデによる「きらびやかな衣」(ルカ23章11節)です。茨の冠も葦の棒も出てきません。侮辱する具体的な言葉も出てきません。ルカの今回の記事は「ヘロデによるイエスへの侮辱」で終わります。マルコ15章16節~20節前半でのイエスへの侮辱行為は、ルカ23章11節でのそれと同じ出来事でしょう。しかし、マルコ=マタイでは、「バラバ釈放」の提案拒否に続いて、ピラトによる死刑判決の「後で」、ローマ兵による侮辱の場面が出てきますが、ルカでは、イエスへの侮辱行為が、ピラトによる判決の「前に」、ヘロデの兵士たち(ユダヤ人)によって行われます(ルカ22章63節~65節)。ルカ福音書では、十字架刑の場面で初めて、「ローマ兵」が言及されます(ルカ23章36節)。これらから判断すると、今回のイエスへの侮辱の記事は、ルカ独自の別個の伝承に基づいていると見るべきです〔Bovon. Luke 3. 264.〕。今回のルカの記事は、おそらく、それまで教会に伝承されていた「受難物語」とは別個に伝承されたものでしょう〔Fitzmyer, The Gospel According to Luke X--XXIV.1479.〕。
マルコ=マタイ福音書にはヘロデによる裁判が出てきません。ヘロデの裁判が史実であるとすれば、ピラトがイエスをヘロデの下へ送った理由が問われることになります。その理由として、ヘロデの好奇心を満たすための計らいに過ぎないだとか、ピラトのこれ見よがしの「馬鹿騒ぎ」の仕業だという見方などがありますが、それよりも、ローマ総督の政治的な視点から見て、「この無害な熱狂主義者」の扱いに手を染めるよりも、イエスの出身地(ガリラヤ)の領主であり、ユダヤ人の問題に詳しいヘロデの手で始末させるほうが得策だとピラトが判断したからです〔Fitzmyer. The Gospel According to Luke X--XXIV.1480.〕〔I. Howard Marshall. The Gospel of Luke. NIGTC. 854.〕。これを機会に、ヘロデともうまくやろうとするゼスチュアもあったのでしょうか(12節)。ルカは、ピラトとヘロデの二人の支配者の判断を通じて、イエスに「何の罪も見いだせない」ことを明確にしています〔マーシャル前掲書854頁〕。
【使徒言行録の記事と比較】
ルカでは、最高法院に続いて、ピラトだけでなく、ヘロデとの裁判が出てきますが、この点から見て、今回の記事と内容が並行する使徒言行録4章25節~28節と、そこの詩編2篇からの引用が注目されます。使徒言行録4章27~28節と今回のルカの記事とを比較すると、今回は、二人の支配者が、共にイエスの無実を認めていますが、使徒言行録4章のほうでは、詩編からの引用を通じて、「王と政治指導者たちが、相伴って油注がれた主の僕に逆らっています」。ルカは、今回の記事では史的な出来事だけを伝え、使徒言行録のほうでは、教会の祭儀と宣教の視野から語っています。使徒言行録4章27~28節のほうが、ルカ23章の伝承を受け継いでいるという見方もありますが、二つの記事が同一の資料から出ているとは想われません。また、使徒言行録4章の記事は、後のキリスト教会によって、詩編2篇のメシア預言から作られた伝承だという見方もありますが、使徒言行録4章の記事での詩編2篇への言及はあまりにも漠然としていますから、この詩編から、使徒言行録の伝承が生じたとは考えられません〔Joseph A. Fitzmyer, S.J. The Gospel According to Luke X--XXIV. Doubleday (1983).1478--79.〕。今回の記事を使徒言行録と比べるのあれば、むしろ、使徒言行録25章~26章でのパウロと総督フェストゥスとの出会いと、パウロとアグリッパ王(と后)との出会いとを通じて、「パウロの無実」が明らかにされる記事のほうと比較するのがふさわしいでしょう(福音書でのイエスの沈黙と、使徒言行録でのパウロの能弁との違いにも注目)〔Bovon. Luke 3. 262.〕。
【今回の記事とルカの資料】
ピラトとヘロデとの両方による裁判の伝承は、最初期のエルサレムのキリスト教会において、イエスへのメシア預言として詩編2篇が導入されることとも関連すると見ることができます(第二コリント2章7~8節を参照)〔Bovon. Luke 3. 264.〕。ルカは、ここで、おそらく、「ペトロによる福音書」と同じ伝承に与っているという指摘があります〔Bovon. Luke 3. 264--265.〕。「ペトロによる福音書」では、「主(イエスの遺体を指すと思われる)を引き取る」事に関連して、ヘロデを含むユダヤ人の裁判官は誰一人手を洗わないので、ピラトが立ち上がり(手を洗った)」という記事で始まります〔「ペトロによる福音書」『聖書外典偽典』(7)新約外典II.(教文館)147頁〕。今回の記事では、「送り返した」(11節)、「手渡した」、「その当時」(7節)、「ずっと以前から」(8節)、「まさにこの日に」(12節)などの言い方が、ルカによる挿入だと見なされていますが、ヘロデが「久しい間、イエスに会いたいと願っていた」とあるのは、ルカだけの独自資料からです〔Bovon. Luke 3. 263.〕。
以上から、今回の記事は、ルカによる「創作」ではなく、ルカ以前の最初期のキリスト教会の伝承によると考えるべきです。ボヴォンは、この伝承の形成それ自体が、必ずしも今回の記事が史実であることを証明するとは見ていませんが、状況証拠をも含めて総合的に判断すると、前出の最高法院での裁判と同様に、ヘロデの裁定をも含む今回のルカの記事も歴史的信憑性を有すると判断することができます〔Fitzmyer, The Gospel According to Luke X--XXIV.1479.〕〔Marshall. The Gospel of Luke. 854--855.〕。ルカがここに挿入したエピソードでは、結果として、イエスは、軽蔑されつつも尊敬され(衣装の件から)、ピラトとヘロデが和解し、ピラトは、イエスへの判定から「身を引く」ことができなくなります。ピラトによる「ヘロデへの手渡し」の策謀は無駄であったように見えますが、その結果、二人の支配者によって「イエスの無実」が明らかになります〔Bovon. Luke 3. 261.〕。今回のルカの記述は、イエスの裁判にまつわる人間関係とその状況を見せてくれるだけでなく、イエスへの最終判決(ルカ23章25節)に先立つ「イエスの無実」を明らかにするのです。
■ルカ23章
[6]直訳すれば、「(イエスが)ヘロデの管轄権内のガリラヤ出身だと聞き知っていたので、イエスをヘロデのもとへ手渡した」です。イエスが「ガリラヤから始めて、ユダヤ全土で教えて民衆を扇動している」という「訴訟を引き受けた」ピラトは、前節で言う「教える」ことが宗教的な内容を指すと察知したので、ガリラヤの「管轄権」を担当するヘロデが、祭りでエルサレムへ来ているのを幸い、イエスの訴訟の件をユダヤ人の問題に通じているヘロデに<手渡そう>としたのです。
【ガリラヤ人である】ピラトは「ガリラヤ人」を軽蔑していたという説もありますが、そうではなく、ガリラヤが、ユダヤ人と異邦人とが共生している地域であることから、しばしば、エルサレムの支配層に対して、「不平不満を起こす」地域であることを考慮したのです。ピラトは(ルカも同様に)、「ガリラヤ人に」反ローマを意図する政治的な含みを持たせているとは思えません。「聞き知っている」も「尋ねる」も法廷用語で、ピラトは予(あらかじ)め「(イエスについて)聴取した」上で、イエスに「尋問した」のです。
[7]【ヘロデの管轄権】ルカはここで、イエスの頃には、刑事罰を伴う犯罪への訴訟が、それが犯された地域の管轄で行われるべきだと示唆していますが、ローマの市民権を有しない被告の場合には、ローマの総督は、そのような制限をうけることなく刑事罰を伴う裁判を行うことができました〔Marshall. The Gospel of Luke. 855.〕〔Bovon. Luke 3. 266.〕。ピラトは、おそらく、カイサリアから出てきて、エルサレムを囲む城壁の西の部分に沿って建てられているヘロデの王宮に滞在していたと思われます。ヘロデ・アンティパスのほうは、祭りでエルサレムに滞在中でした。彼は、神殿のすぐ西側にあたる所で、以前にハスモン家の王宮があった屋敷に滞在していたのでしょう〔Marshall.
The Gospel of Luke. 855.〕〔A.D. Collins. Mark. Hermeneia. 719. Note
78〕。
【手渡す】「(ヘロデに)手渡す」とは、単に「送る」ことではなく、裁判の手続き上、「参考意見を求める」必要がある場合を指すという解釈があります。これには、上位の法廷に「上告する」という意味もありますが、ここではその意味ではありません〔前掲書〕。なお、ヘロデ・アンティパスについては、199章「ピラトによる裁判」の補遺「ヘロデ王家について」の「ヘロデ・アンティパス」の項をご覧ください。ローマ皇帝アウグストゥスは、ヘロデ大王の最後の遺言に準じて、大王の息子ヘロデ・アンティパスを、ガリラヤとペライヤの「テトラルキア」(四分領太守)(在位前4年~後39年)に認定していました。
[8]【何かしるしを行うのを】ヘロデ・アンティパスは、ガリラヤの領主ですから、かねてから、イエスを通じて「(神の)奇跡(しるし)」が起こっていることをガリラヤ人からいろいろ耳にしていたのです(有力な写本に「彼(イエス)について<いろいろと>耳にしていた」とあります)。彼はまた、洗礼者ヨハネの処刑に手を染めていましたから、イエスについても、関心を抱きつつも、幾分畏れと脅威を覚えていたと思われます(マルコ6章14節~29節/ルカ9章7節~9節)。そのような彼が、イエスに会えて「いささか有頂天になった」のは、ユダヤ人である彼の「神への信仰」の一端を覗(のぞ)かせています(ルカがここで言う「とても喜んだ」は、必ずしも、善意からの言い方ではありません〔Bovon. Luke 3. 267. Note(48).〕)。イエスによる病気癒やしや悪霊追放だけでなく、ヘロデは、何か<もっと大きな>驚くことが、自分の目の前で<現実に生じる>体験を願っていたからです(しるしを<行う>と訳してありますが、原文は、「彼(イエス)を通じてしるしが<生起する>」です(使徒言行録2章43節を参照)。ルカは、この「有頂天な」ヘロデ・アンティパスの態度を褒(ほ)めているのではありません(ルカ11章29節を参照)〔Bovon. Luke 3. 267.〕。
[9]~[10]【何も答えない】イエスは、ここでも、大祭司の前での沈黙と同じ姿勢を貫きます(マルコ14章61節)。イエスは、沈黙によって、その場を(神のご計画に従って)支配するのです〔フィッツマイヤー前掲書1480頁〕。ルカもまた、この場面に、イザヤ53章7節の預言を反映させているのでしょうか。
【祭司長たちと律法学者たち】これらの人たちは、イエスへの訴訟以来、終始、引き回されるイエスに着いて行き、「イエスを非難する訴えをいろいろとまくしたてた」のです。ちなみに、イエスを殺そうとしたのは「祭司長たちと律法学者たち」(ルカ22章2節)で、ユダが向かった先は「祭司長たちと神殿の管理者たち」(同4節)で、イエスの逮捕に向かうのは「祭司長、神殿の管理者、長老たち」(同52節)で、イエスを裁く最高法院は「民の長老会、祭司長たち、律法学者たち」(同66節)で、ヘロデに訴えるのは「祭司長たちと律法学者たち」(23章10節)で、イエスを十字架刑に定めるのは「祭司長たちと議員たちと民衆」同(同13節)です。
【ヘロデもイエスをあざけり】イエスの回答拒否に接して、王権を笠に着る「ヘロデもまた同様に、イエスをないがしろするだけでなく、腹を立てた」のです。ただし、ヘロデは、「イエスの有罪」を確証するにいたりませんでした〔Marshall. The Gospel of Luke. 856.〕。これに続く「侮辱行為」は、「被告を処罰するまでにいたらなくても」、被告に向ける権力者の腹立ちが、「処刑同様の重みを帯びて」イエスに課せられる様子を描いています〔Bovon. Luke 3. 269.〕。
[11]~[12]ヘロデの手でイエスを「始末させる」ピラトの計画は失敗したようです。ヘロデは、初めは興味を抱いてイエスを見ていましたが、イエスの沈黙に接して、次第に好奇心が軽蔑といらだちに変わったようです〔フィッツマイヤー前掲書1480頁〕。ヘロデの手下どもの行為は、まるで「『死ね』と言わんばかりのいじめ」のやり方です〔フィッツマイヤー前掲書1480頁〕。「目立つ派手な衣」は、ヘロデが見るところ、イエスが「無罪」であるというしるしでしょう〔フィッツマイヤー前掲書1480頁〕。これら二人の支配者は、イエスを全く理解できないまま、しかも、この点(イエスの無罪)では「仲直りする」という皮肉な結果になります。これもイエスの受難がもたらす一つの出来事に入るとルカは見ているのでしょう〔フィッツマイヤー前掲書1480頁〕。ルカは、イエスの行為が「政治的な危険性をもたらす」ことを祭司長たちが「激しく訴えた」と言いますが、ピラトやヘロデが、なぜイエスが無罪だと判断したのか、ルカの記述では、その根拠が明らかでありません〔I. Howard Marshall. The Gospel of Luke . NIGTC. 851.〕。
【派手な衣】「外套(がいとう)を身にまとわせた」のです。イエスの頃のギリシア・ローマで用いられたもので、服の外を覆う真っ直ぐな外套のことです。「つやつやの」とあるのは、人目を引く儀式用の衣だからです。マルコ15章17節に「紫の衣」とあります。「紫」は、当時(日本でも同様に)、「王位」を象徴する色でしたから、これをイエスの身にまとわせるのは、ヘロデもピラト同様に、イエスの「メシア的な王権」をあざける意図からです〔Bovon. Luke 3. 269--270.〕。
【互いに敵対する】二人の間は、「ガリラヤ問題」でこじれていたようです。ピラトと「ガリラヤ人」との関係では、ルカ13章1~3節と同23章6節の記事に注意してください。「ガリラヤ人の血を流した」とあるのが、ピラトの仕業だったとすれば、当時ガリラヤの領主であったヘロデにしてみれば、ピラトは、ユダヤだけでなく、(管轄外の)ガリラヤにまで手を出すのかと、ひがみと腹立ちを覚えたことでしょう。これが、ヘロデとピラトの「仲違い」の原因だったという想定があります。ただし、ルカは「そのようには」述べていませんから、この「仲違い」説が史実だと断定はできません〔Bovon. Luke 3. 263.〕。
201章 ヘロデの前で